この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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115話

 魔物や罠に警戒しなければならないダンジョンは冒険者を駆り立たせるだけの魅力がある。強力なモンスターを倒した先には、宝箱があるというのが定番だ。

 一説には冒険者を誘い込むためのエサであるとか。ダンジョンはモンスターの住居であるため、溜め込んだ財産を箱に入れて保管しているだけとか。

 所説は色々あるが、冒険者にとっての大切な収入源であることに違いなく、また手にしたものは冒険者界隈で一目置かれる栄誉をも授かるだろう。

 

 陽の光が届かない地下深くのダンジョン、とんぬらは暗闇に慣れていると自覚はあるが、ウィズは格が違った。

 凄腕の冒険者であった彼女はかつてパーティと共に王都近辺にあるダンジョンの、誰も辿り着けていなかった最下層まで一番乗りした到達記録保持者(レコードホルダー)でもある。

 深層に行くほど危険度が増すギミックやモンスターにも慣れたもので、しかし油断する愚は決して犯さない。

 宝箱を前にしても、魔道具店を商うほどコレクターであるウィズは目を輝かせながらも、『トラップ・サーチ』と『エネミー・サーチ』を欠かさず、更に用心して軽く魔法を放つほどの徹底ぶり。聞くところ、昔に宝箱に潜んでいた、仮面がトレードマークの某地獄の公爵に大層からかわれたのだそうだ。とんぬらも師匠のダンジョンを改築したギミックの質問責めにとてもメシウマな目に遭わされたので、うんうんと二度頷くほど共感できる話であった。

 

 そんな普段(まち)とは違って頼もしい店長と潜ったダンジョン深層で、とんぬらは、ある宝箱――『ダンジョンもどき』の変異種『邪悪な箱』を発見し……激闘の末、これを討伐する。

 

 禍々しいオーラを放つ、無機物というよりは、『冬虫夏牛』のような寄生モンスターに巣食われた宝箱のような気味の悪い一つ目の箱は、それ一体でダンジョンの災難が全て詰まっているようなモンスターだった。

 凶悪なギミックを用いた攻撃だけでなく、その防衛行動があまりに厄介。こちらから攻撃を受けると、その場にドラゴンや爆弾岩、一つ目の魔獣などなど三体のモンスターを生み出して、別の場所に『テレポート』して避難する。ダンジョン内を我が物としているように自在にワープすることが可能で、モンスターさえ生み出す。まさに個体迷宮。

 しかも魔法に対する耐性が極めて高く、炎系の攻撃を受ければ分裂までしてくる。向こうは悪辣な特性を発揮してくるというのに、こちらは物理攻撃による正攻法しか許されないという縛り。

 それで、ダンジョンの深層が魔物だらけになるモンスターハウス化状態にまで激化した最中、このキリがない戦況を打開するためにとんぬらはひとつの作戦を実行した。

 

『こいつらは俺が引き受けます! ウィズさんは奴を――!』

『とんぬら君っ!』

 

 それはウィズが持ち歩いていた『所持するだけで(モンスターを含む)出会いを引き寄せるロザリオ』を『アンデッドにモテモテになる神気を帯びる』とんぬらが受け取り、それにプラスして『モンスターを挑発する青白い炎』、アクシズ教の神聖魔法『フォルスファイア』を放ってから、絶対防御だが行動不能に陥る鋼化魔法『アストロン』をかける。

 つまりは、囮になったのである。

 アンデッドでもなければ、挑発に効果のあるモンスターでもない、無機物(ダンジョンもどき)である『邪悪な箱』以外はすべて、ドッととんぬらの方へと誘き寄せられた。

 不壊の鋼の肉体となり、それから不屈の鋼の精神をもったとんぬらでも、モンスター達に360度隈なく密集されて入れ食いな状況には内心冷や汗を垂らし息を呑んだ。

 

『邪魔さえ入らなければ……!』

 

 でもこれは、信頼があって望んで決行した策だ。

 商売ではまるで頼りにならないが、彼女は宮廷魔導士以上に魔導を極めた『氷の魔女』であり、アンデッドの不死王リッチーの戦闘力は、地獄の公爵でも侮れるものではない。

 一対一の状況にさえ持っていけば、バニルマネージャーと殺人光線が飛び交う非常にレベルの高い諍いを起こすことのあるウィズ店長が、たかが『ダンジョンもどき』の変異種に苦戦するはずもない。実際、魔法抵抗力の高いはずの『邪悪の箱』を氷漬けにして行動停止に追い込み、最後、砕き散らしてみせるのにそう時間はかからなかった。

 

 でだ。

 極限の忍耐力を持ったサムライでも、恋愛相談と並行してのダンジョンはとても疲れているが、ハラキリセップクなイベントは強制である。逃げられない。

 

「………と途中から何だか冒険者の血が騒いでダンジョン攻略に夢中になってしまってな、こうキリが良いところになるまでダンジョンに篭った趣旨をウィズ店長と揃って忘れてしまった次第で……それで思ったよりも長引いてしまったと思う。すまない、ゆんゆん」

 

 一冒険で得られた経験・財宝……それ以上に背負ってきた疲労を全部投げて体感時間的に久々なフカフカ寝床へダイブしたい気持ちを投げてでも優先せざるを得ないものがこの世にある。

 話し合い。またの名を弁明。

 正直に白状してとんぬらは、この数日顔を見せることなく放置していた――そして事前に気配を察知したのか報せてもないのに玄関を開けたら腰に手を当てて仁王立ちで出迎えてくれた――彼女……ゆんゆんの審判の沙汰を待つ。

 この時の心境は譬えるのならば、ちょうど体験してきたばかり、ダンジョン深層にてダンジョンもどきの変異種が大量発生させたモンスターに周囲を埋め尽くされた状況――を記録更新するレベルの圧迫面接である。これを世間は尻に敷かれているというのだろうか。

 

「とんぬら、別に怒ってないわ。まったく。全然」

 

 おや? 知人とはいえ女性と数日ずっと一緒に過ごしたことは、これまでの経験上、ゆんゆんが嫉妬する案件に該当するものと考えていたのだが……これは結婚してから心がおおらかになってくれたからだろうか。いや、間違っても浮気は男の甲斐性などとほざく気は一切ないし、そのつもりも微塵もなかったが。

 でだ、やさしいゆんゆんの声に、どうしてかな、とんぬらの鍛えた感覚が警報を鳴らすのは。

 

「それよりもこの五日間ずぅーっと頑張った、とんぬらを癒して、とんぬらのお願いを何でも応えてあげないと……!」

 

 そう、これは……

 

「とんぬらとんぬらとんぬらとんぬら」

 

 うん、やっぱり怒っている。

 そんなのはわかりきっていた。家のドアを開けて、切々とした熱がこもるように赤らんだ潤目を目の当たりにした時から、とんぬらの全面的無条件降伏は決まっていた。

 反省したところで、ゆんゆんにさせてしまった寂しい思いが帳消しとなるわけじゃない。

 嫌な汗を掻くもとんぬらは、口を閉じた。これ以上みっともない弁明はできないし、したくもない。大人しく、ゆんゆんの不満を受けよう。できれば刃傷沙汰は勘弁してほしいけれども。

 

(…………もうっ)

 

 少し腰が浮くくらい前のめりだったのから深く椅子に腰を降ろした、そんな些細な彼の姿勢の変化より心情を機敏に感じ取ったゆんゆんは、ふぅ、と胸の奥から言葉にならない溜息を零す。それから暴れる激情を隠すように瞼を閉じた。そうして五秒ほど心の中で数え切り替えてから、ひとつ問うた。

 

「それで、ウィズさんは大丈夫なの?」

 

「ずっと同じことをグルグルと悩みに悩んでいたが、いい気分転換になったとは思う。ウィズ店長も昔に戻ったみたいで楽しかったとダンジョン攻略に満足していたし」

 

 とんぬら個人もとてもいい経験値稼ぎになった。レベルだけでなく、ダンジョン攻略の知識もまた学ぶことが多かった。

 

「なら、もういいわよそれで」

 

「ゆんゆん? 俺、自分勝手だったと反省しているんだが、そんなあっさりと」

 

()()勝手じゃないわ。とんぬらは勝手だけど、そうやってとんぬらが勝手になるのは、だいたい誰かのためだもの。それで、私はそんなとんぬらが、好き、なんだし……」

 

 困ったように眉根を寄らして評して、それから最後は指と指を突き寄させつつもそういうセリフを口にできるようになったのは成長の証か。とんぬらもここのところゆんゆんに頭が上がらなくなってきていることが増えているように思える。けどきっとこれは、いい傾向なのだろう。

 

「だ、だからっ! 怒ってないのは本当よ! 無事に帰ってきてくれれば私はそれで……ちょっぴり寂しかったけど」

 

 それに彼女の愛らしさがますます盛んに増すことはあっても減ることはない。

 ただでさえ赤い照れ顔からまた茹ったように首筋まで真っ赤になったゆんゆん。これを見るだけでとんぬらは胸がほっこりと暖かくなる実感に、発作のように微笑がこの仮面(かお)を覆った。まったく、いじらしさにたまらない。

 

「うん……その埋め合わせとしては何だが、ひとつ土産がある」

 

 そういってとんぬらは、『邪悪の箱』を倒した後に発見した戦利品の宝物――『幸せの箱』をことりとテーブルに置く。

 

「なにこのきれいな箱?」

 

「ほら、開けてみてくれ」

 

 とんぬらに促されてゆんゆんが箱に手をかける。蓋を開ければ、不思議と人を上機嫌に明るくさせる魔力の篭った波長(メロディ)が流れ出した。

 

「うわぁ……何だかうきうきとしてくるねとんぬら!」

 

 耳から全身に染みとおる音楽を奏でるこの魔道具は絡繰り箱(オルゴール)で、『宝物が手に入れられたのは、最後、モンスターを一手に引き受けた作戦をとんぬら君が実行してくれたからです』とウィズ店長が功労をねぎらうよう笑いながら渡してくれたものである。

 

 ゆんゆんはその聴くだけで幸せになる音色に耳を澄ませるよう、たちまち機嫌のいい猫のように目を細める。とんぬらも彼女と共有するようしばらく耳を傾けた。

 

 ………

 ………

 ………

 

 ムードが落ち着いたところで、話を切り出す。

 

「それで、そちらはどうだったんだ? ウィズ店長が逃げてしまってからこの数日に何か動きとかあったのか?」

 

「うん、あのデュークさん? はまだ街にいるみたいで、それで昨日めぐみんが(ここ)に来たんだけど、カズマさんたち、色々と探ったみたいなの」

 

「兄ちゃん達が?」

 

 めぐみんからのまた聞きの伝言ゲームになるので情報の精度は頼りないものになっているかもしれないが、とんぬらはゆんゆんからの話を聞いた。

 

 まず、逃亡してから三日間様子を見ていたカズマ兄ちゃんが酒場にいるストーカー・デュークに接触を図ったのだそうだ。そこにたまたま居合わせたチンピラことダストが、デュークに絡んだのだが力量を察するやあっさりと掌返して媚びを売った。

 そんなダストはカズマ兄ちゃんへと、『あいつはヤバいな。俺が今まであった中でもとびきりだ。それこそ、大物賞金首や魔王の幹部級じゃないのか?』と評したそうだ。

 

 

 ……ふむ、それは俺の見立てと同じだ。

 直接対峙して、牽制程度だがナイフを振るわれたが、ただものでないのはとんぬらも測れた。少なくともマネージャー(バニル)の見通す目を弾けるだけの実力は有しているのは確かだ。

 

 

 その次に今度はカズマ兄ちゃんがデュークへと探りを入れたようなのだ。

 向こうもカズマ兄ちゃんのことは知っていたようで、隣のカウンター席に着くや『黄金の果実を食したのか?』と訊ねられて、兄ちゃんは鬱陶しそうにしながらもそれを否定。しかしながら、それを鼻で笑う態度で、まるで信じてもらえなかったという。

 それから、ウィズ店長のことを話題に上げたところ、向こうは態度を急変。とんぬらの時のようにナイフを振るわれたのだが、『自動回避』スキルが発動して間一髪逃れる。その後すぐ、兄ちゃんがウィズとの関係性は友人だと訴えればデュークはそれで矛を収め、感心するように警戒心を解いたという。

 それで話を聞くと、デュークは『ウィズ店長が今の仕事――つまり、魔道具店の仕事に向いていない』と愚痴を漏らし、それなら兄ちゃんは『勝負を挑むのではなく話し合いで退職を願ったらどうなんだ?』と提案する。しかし、これにデュークは『それでは意味がない』と言い張り、兄ちゃんの提案を退けた。こうも頑なに力を示したがるのはきっと、デュークはウィズ店長が未だに除霊など危険な仕事をしていると思い込んでいるからだと推察。だから、除霊の仕事を引き継げるだけの強さはあるのだと周囲に見せつける必要がある――そうデュークは考えているのではないのかと。

 今はもう除霊の仕事はアクア様が請け負っているのだが、ここまでウィズの身を案じているデュークに、兄ちゃんはその事実を教えるのを躊躇った。代わりにウィズを家庭に入らせるのであれば共に魔道具店を盛り立てていくつもりであろうからそれを確認する。

 『ウィズの仕事を全部引き継ぐってことでいいんだよな?』と問えば、『無論だ。あの仕事は俺以上に相応しいものなどいない! そして、破綻寸前に追い込まれた現状を絶対に打破してみせる!』と自信満々に経営回復宣言をしてみせた。

 

 

 ……いや、俺やゆんゆんも頑張っているし、今そんな赤字経営で火の車になってはいないはずなんだが。

 まあ、兄ちゃんも出会った当初のウィズ魔道具店の悲惨な経営を知っているからそう誤解してしまっているのだろう。

 

 

 それで兄ちゃんはさらに突っ込んだ質問をした。それはあのマネージャー――ウィズから仕事を取り上げてその後釜に座ろうというのなら、仮面の悪魔バニルが流石に黙っていないだろう、と。

 ウィズ店長に専用の巨大ダンジョンを作ってもらうのがバニルマネージャーの目的。魔道具店を盛り上げようとあくせく働いているのは、そのための資金を集めるためである。

 なので、ウィズの嫁入りは熨斗をつけて送り出すほど歓迎するかもしれないが、店主に収まるというのであれば果たしていい顔をするだろうか?

 この兄ちゃんの追及には自信家のデュークも怯んだ表情を見せるも、『確かにあの方は厄介だ。だが、これは俺とウィズの問題だ』と退かず、さらには『たとえバニル殿といえども退く訳にはいかぬ! 必要とあらばバニル殿をも倒す用意が俺にはある!』――

 

 なんと魔導を極めたリッチーだけでなく、チート悪魔すら相手にする覚悟があるという。これには兄ちゃんもストーカーから“漢の中の漢”へと認めたそうだ。最初は反対するつもりであったが今では応援する側に回っている。

 この後、デュークより『あのブラッド(とんぬら)という男は何者なんだ?』と質問されて、兄ちゃんは『あいつはお前の敵じゃない。この前は突っかかったかもしれないが、それもお前を試してのことなんだ』と正体は明かさずそうフォローを返したそうだ。

 『(スパルタな修行など)キツいことをしてくることもあるけど、ブラッド(とんぬら)も漢気溢れる奴なんだ。お互い認め合えばきっといい仲間になれるさ』……そう最後、デュークの肩を叩いて、兄ちゃんは酒場を去った。

 

 

 ……なんだろう、事態がややこしい方向に転がっているような気がする。

 ウィズに一途なデューク、ゆんゆんに一途なとんぬら、清く誠実なもの同士だからきっと気が合うはずだ――と兄ちゃんは確信しているそうだ。

 そんな兄ちゃんの期待を裏切るようであれだが、とんぬらとしてはこの前の邂逅した時の第一印象からまるで手を取り合えるような予感はしない。

 

 

 そして、その次の日。今度はアクア様が、“えっちいのが大好きな相手に猛威を振るうエロネス”ことダクネスさんと“ロリっ気がある相手に致命的な威力を発揮するロリキラー”ことめぐみんは、逆ナンをして本当に一途で真面目な漢なのかを試す……ことになりそうだったので、嗾けられる前にめぐみんは屋敷からゆんゆんの家へ避難した。

 

 その際にめぐみんから兄ちゃんの話をゆんゆんが聞いて(他にも“甘えん坊”事件の夜、一線を越えるような不純異性交遊をしたのかどうか問い質された)、今その話をゆんゆんからとんぬらが聞いた――

 

「なんというか、話が明後日の方向に飛んでいっているかと思えば、明後日の方向から真実を微妙に掠めているような感じだな」

 

 とんぬら第一声の感想がこれ。

 これも間に二人も伝言を挟んでいるせいなのか、それともカズマ兄ちゃんが感情移入しているせいなのか、あまり鵜呑みにできないけれども、所々かいつまんで参考にできるかもしれない、と言ったところだろうか。

 

「この情報を整理するに、あのデュークとやらは、ウィズ店長の仕事ぶりに不満があり、自分ならもっとうまくやれると自信がある。それでウィズ店長に実力で勝つ必要がある、か……なあ、今更指摘するのもどうかと思うが、これ、どこに色恋の要素があるんだ?」

 

「え? だから、ウィズさんよりも強いって証明するために強くなったんじゃないの」

 

「それは正直、魔道具の経営には重要とは言えない要素だと思うぞ。ウィズ店長、強いことは強いけど、商売はまるでダメな人だし。仕事にダメ出しするくらいなら強さよりも何か実績で示す方がアピールポイントは高くはないか?」

 

「それは、魔道具店のことだけじゃなく、除霊を心配しているんじゃないかしら?」

 

「ウィズ店長が除霊を請け負っていたのは、今時ほぼ無償で除霊作業をしてくれるものがいなかったからだ。『プリースト』らも暇ではないし、はした金で亡霊退去(ボランティア)などやっていられないと敬遠していたんだ。それをお人好しのウィズ店長がじゃあ私がやりますよ、って……今はアクア様が請け負っているけれど。だから、定期的に見回らなきゃいけないからめんどうではあるが浄化魔法が使えるのならあまり危険性はない仕事だ。ウィズ店長が召喚した使い魔ゴーストをあっさりと祓えるくらいの能力があるならもう十分すぎるくらいだぞ」

 

 なのに、それでも強さが肝要であり、ウィズを倒して知らしめなければならないとこだわるのは、着眼点がズレているようにも思える。

 

「それで現在の魔道具店の経営状況も知らず好き勝手に言われる。何でも知っていると豪語するわりに、一面しか知らないようだ。というか見ていないし、それで測った気になられて幻滅さえされている」

 

 これは、自分が潔癖すぎるのかもしれない。

 けれど、人に“愛している”というのも難しいとんぬらにとっては、皆のように色恋沙汰へと結び付けられない。

 つい、モノの見方がキツく穿ってしまう。

 

「ウィズ店長は、己の身勝手で人に刃を振るうのは好まない。なのに、軽く挑発したとはいえ、ウィズ店長の前でああも俺に躊躇なくナイフを突き付けられた。本気であの人を好きなのか俺は疑わしく思う」

 

「とんぬら……」

 

「男の、女性から見ればつまらないこだわりにも理解はあったつもりなんだが、どうにも俺はあのデュークからそれは感じ取れなかったよ」

 

 ウィズ店長が決める事なのだから口出しはしたくはない。でも、兄ちゃんらのように応援に回るには抵抗がある。デュークとやらに感情移入している。でもそれを言うなら自分の意見もまた感情移入している。

 とんぬらはこの数日で、客観的に己を顧みて、自分がウィズ個人へ自分には説明できない感情を抱いていることを認めている。

 それが説明できないものであるため否定はできず、だから、やたらデュークに反抗しているのは感情が入っていると認めざるを得ない。

 だから、とんぬらはこれ以上冷静に、公平性に欠ける寸評はできずに口を閉ざす。ゆんゆんはそれに何か言いたそうに口を震わせるよう微かに開け閉めするが、何も言えず。

 ――代わりに意見を投じられたのは明後日の方向からだった。

 

「あいつ、危ない……ギル」

 

 それまで話には入らず、『幸せの箱』を机にかぶりつくように夢中になって、“ぎるるる~♪”と音色に合わせて尻尾を振っていたドランゴ。

 先日の告白にて、兄ちゃんやゆんゆんらと一緒に現場を観ていたドランゴは、口下手でたどたどしくはあるが、なんの遠慮なく、思うがままに己が意見を口にする。

 

「ドランゴ、あの男から何かを感じ取ったのか?」

 

「会ったことある……あいつ……シルフィーナにぶつかって何かした。……その次の日、シルフィーナ……病気になった」

 

「何だと? それは本当か?」

 

「臭いも……服も……同じ」

 

 これを聞いて表情を険しいものにする。

 そうだ。この前の『コロリン病』の一件、シルフィーナがそのキャリアとされていたが、一体どこからその病原を患ったのか不明であった。彼女がこの『アクセル』に引っ越したのは、前領主アルダープがいなくなってから、ちょうど感謝祭の時期だ。『コロリン病』の潜伏期間を考えると街の外で感染したとは考えにくく、それから体の弱いシルフィーナはほとんど街の外へ出ることはなく、屋敷か孤児院かで一日の多くの時間を過ごしていたはずだ。

 だから、彼女だけがキャリアとなった原因が思い当たらなくて、次回を未然に防ぐ対策ができず……。だがそれが何者の意図したものであったのなら――

 

「あいつ、危険だ……ギルルル」

 

 野生の直感に説明できる根拠はない。だが幼き竜は二度重ねて言い現わした。

 危険、それは的を射ているようにとんぬらは思えた。

 

 

「――バニルさんの馬鹿!」

 

 

 そして、その時、隣からこちらにも聴こえるほど大声がとんぬら達の耳に入った。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「そういうデリカシーのないところは昔からちっとも変わってませんね!」

 

「このすっとこ店主が、悪魔にデリカシーなど求めるでないわ! フラフラと放蕩して、あまつさえ竜の小僧を連れ出し星五つの悪感情をお預け食らわせたかと思えば色惚けおってからに、嫁に行くならとっとと行けばいいではないか!」

 

「いいんですか!? 本当に私がお嫁に行っちゃっていいんですか!? 家庭に入れと言われている以上、このお店を辞めなきゃいけなくなるんですよ!? 経営者が替わるんです! 悪魔にとって契約は絶対なんでしょう? 一緒にこのお店を盛り立ててくれるっていう私との契約はどうなるんですか!」

 

「行き遅れ店主が嫁入りして店主が替わった暁には、使える方の新店主と店を盛り立て、ちゃんとダンジョン建設費用を捻出してやる! だから安心して嫁に行くがいいノロケ店主め!」

「きいいいいっ!」

 

 隣の魔道具店に駆け付けると、ご丁寧に作り物の体のこめかみに青筋を浮かべるマネージャーと目に涙を浮かべて掴みかかる店長の姿があった。

 普段であれば割って入るにも命懸けなやり取りには回れ右をするところだが、今回のは無視できない。とんぬらはまだ冷静であると思われるバニルの方を見やれば、向こうもこれは心外だと言うように主張する。

 

「店に帰ってきてからというもの、先程からずっとこうなのだ。我輩が“店を続けるなら留守にしていた分とっとと働け、嫁に行きたいのならそれこそ汝の好きにしろ”と告げてやると、何故か突然怒り出してな……」

「もっと親身になってくれてもいいじゃないですか! 私とバニルさんの仲はそんなものなんですか!? 私達はお互いの願いを叶えるための相棒でしょう!」

 

「悪魔にとって契約は絶対であるのだが……。この我輩でも、最近の汝のぽんこつ具合にいささか心が折れそうなのだ……。どうにか汝との契約をクーリングオフできないものかと、日夜知恵を巡らせているのだが……」

 

「させませんよ、契約破棄だなんて! だいたいほら、世界最大のダンジョンとなると、絶対私にしか作れませんよ? いいんですかバニルさん、難攻不落の最高のダンジョンの奥底で、冒険者を迎え撃つという夢を諦めてしまっても!」

 

 バニルマネージャーは至極正論を語っているように思えるのだが、縋りついて必死に訴えるウィズ店長を見ると心情的にはそちらに傾く。

 

「我輩としては店主が汝でなくとも構わぬし、金さえ貯まった時にダンジョンを作ってくれればそれでよいのだが」

「バニルさんはツンデレなんですか!? デレの部分がなさすぎます、もうちょっと私に興味を示してくださいよ! 私達はもう長い付き合いじゃないですか、いいんですか私があの方とくっついて離れて行っても!」

 

「性別のない我輩にツンデレと言われても困るのだが」

 

 言い争いは白熱して、そろそろ止めないと光線やら魔法が飛び交うことになりそうだと危惧した時、とんぬら達の後ろから来訪客を告げるドアのベルが鳴った。

 

「あ、ウィズ! 帰ってきてたのね、ちょうど良かったわ! 朗報よ!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「あのデュークという男は、本物の女性を見抜く目を持った大人だったわ。魅力あふれる私のお誘いには抗えなかったみたいだけど、でも安心して、セクハラみたいなことはされなかったし、それどころか、常日頃カズマさんが発してるような邪気も感じられなかったわね。エロいダクネスからの邪な誘いはちゃんと撥ね退けていたし」

 

「そ、そうなのですか……」

「おいアクア、いちいち私を引き合いに出すのはやめてくれないか!」

 

 誠実なのかを試そうとアクア様たちは本当に逆ナンをしたようである。

 最初は、アクア様も『あんなどこの馬の骨ともわからない人なんて認めないわ! だっておかしいもの、相手はあのウィズなのよ? どうしてそこまで惚れ込むの? 絶対悪いこと考えているに違いないわ! これはそう、女神の勘よ! あの男はウィズのことを好きなんかじゃないわ!』と茶飲み友達でもあるウィズの交際に反対派であったものの、今ではすっかりと認めていらっしゃるようだった。

 

「(兄ちゃん、何があったか教えてくれないか?)」

 

「(ん、ああ、とんぬら。実はな……)」

 

 何故だか微妙な顔――おそらくはアクア様が勧めるから逆に訝しんでいるのだろう――をしているカズマ兄ちゃんを店の端、商品棚の裏へ連れて詳細を聞く。

 

 

 めぐみんは逃げたが、まずダクネスが酒場にいるデュークへとナンパをした。

 最初はアクア主導の逆ナン作戦にカズマも反対、というか“お前には無理だ”と言ったそうなのだが、それがかえってムキにならせてしまい、『貴族は男を落とす篭絡術も学んでいるのだ』やら『仕方ない、ウィズの為だ。貴族令嬢のオーラというのを見せてやる』と格好良く言い放って、社交界で着るような本気の高級ドレスでおめかししたダクネスは出向く。

 だが、そんな気合いを入れて化粧をしたダクネスは、口説こうとしたデュークより第一声で“商売女”と言われてフラれた。その後もめげずにダクネスは頑張ったのだが、金髪のチンピラ・ダストに隠すつもりだったダスティネス家令嬢の正体をばらされ、社交界のノリで安酒場で高級酒のワインを注文して赤っ恥を掻き、最後はどういうわけか店で一番高いクリムゾンビアーの小樽を酒場にいるみんなに振舞った。まあ、自爆したのである。

 とにもかくにも、男好みの体つきをしているダクネスは見向きもされずに袖にされた。これだけならば、デュークは一途なんだと話は終わったのだが、次……今度はアクア自ら逆ナンした。

 

 恋愛経験皆無なダクネスでは当て馬にならない、ここは美しくも麗しい大人な私が反応を見る! と篭絡に乗り出したアクア。

 いつもの神器である羽衣は仕舞い、安酒場の雰囲気に合った町娘みたいな変装をしたアクアが、年上のお姉さんっぽく話しかける。

 それをカズマは『潜伏』して隠れながら、『千里眼』と『読唇術』でもって会話の内容を盗み見ていたのだが、それは頭が痛いものだった。

 

 『ねぇ、そこはかとなくイケメン臭のするぼっちで飲んでるお兄さん。ウチにいるニートばりに暇を持て余してそうだけど、ちょっといいかしら?』と初対面にも拘らずいきなり(カズマ(こちら)にも)失礼な単語を混ぜた挨拶から始まり、

 

 『あらあら、お姉さんが美しくてびっくりしたのかしら? ふふ、可愛らしい坊やだこと。実はとっても面白い話があるの。どう? 聞く気はない?』と怪しげなセールスの女にしか思えない態度で興味を引こうとしたら、

 

『……ほう、面白い話、か……。なるほど、いいだろう、付き合おう。店主、この女性に俺の奢りで一杯頼む』

 

 なんとデュークは誘いに乗ったのだ。

 これには一緒についてきていたダクネス、それにめぐみんも青ざめた顔で戦々恐々。

 外見はとにかく、肝心の中身がアレなアクアが、逆ナンを成功させただと……!?

 それからアクアは、面白い話……“お尻を突いた時の野良ネロイドの鳴き声は普段より一オクターブ高い”やら“ピンクミュルミュル貝がイソギンチャクの仲間”と日常生活において全く役に立たないであろう雑学を披露。

 

 これにもデュークは至極真面目に食いついた。カズマからすればあれは本気で口説いているのかとツッコミたくて仕方がなかったが、デュークは『話は半分ぐらいしか理解できないが、ウソをついている邪気は発生していない』とアクアの話を真剣に聞き入る。

 あれは、神の神聖なオーラとかそういうので相手を判断しているのだろうか?

 けれど、ミュルミュル貝に続いて語った“エリスの胸はパッド入り”というアクシズ教の聖典にも載っている重要情報には、“大変有益なことを聞いた!”と大笑い。国教指定の女神様をああも笑い者にしてしまえるとは、神職には考えられない反応。

 以前、『怠惰と暴虐を司る女神』であるウォルバクも注意していたが、異教であれ神様であれば『プリースト』は敬意を払うものなのだというのに。

 

 そして、最後――

 

「それに……」

 

「ん?」

 

 カズマ兄ちゃんはアクア様たちと話し込んでいるウィズ店長の方を気にしながらも、とんぬらに耳打ちして教えてくれた。

 

「(アクアは、ウィズは清潔にしているし腐敗臭だってしないから大丈夫だって言っていたけど、あいつ、アクアに『人を見る目に自信があるのに、どうして死体愛好家なの?』ってリッチーのウィズにぞっこんなのをツッコまれたら、『この俺がアンデッド好きだと!? ふざけるな、俺はアンデッドと悪魔が大嫌いなのだ!』って)」

 

「―――」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「私、あれから真剣に考えたんです。デュークさんの想いに応えるべきか、それともここで、バニルさんの願いを叶えるために、店を頑張っていくべきか……」

 

「我輩は何度も言っているが、汝が嫁に行ってくれた方が店の経営は上手くいくのだが」

 

「ああっ、毎日平和にお店を繁盛させていただけなのに、突然こんなことになるなんて……アクア様、私は一体どうすべきでしょう? バニルさんは確かに私を必要としてくれています。ですが……」

 

「必要なのは汝の魔法で、経営能力ではないのだが」

 

「ですが! デュークさんに至っては、私を必要としているのではなく、私じゃないとダメだと。私以外には考えられないと、そこまで言ってくれてるわけで――どうすべきでしょうかアクア様、私はどちらの道を選ぶべきなのでしょうか?」

 

「えっと、あの人はとても良い人っぽいし、多分オススメだと思うんですけど」

 

「そうですか! アクア様のお眼鏡にも適うような方でしたか! そんな人が、この私を……」

 

 そういって、うふふと変な笑いを浮かべるウィズ。そこで頼まれごとを思い出したアクアは、酒場で預かった呼び出しの手紙をウィズへ手渡そうと取り出す――そこで割って入った。

 

「ウィズ店長、頭が花畑になっていますが、百年の恋もなんとやらという言葉をご在知か?」

 

「とんぬら君、その手紙――」

 

「身だしなみ、もっと気を付けた方がいいと思いますよ。ダンジョンから帰ってきたばかりで、手櫛で整えてはいますが髪や服も乱れてますし……失礼ですが、結構臭います」

 

「ええっ!?」

 

 鼻をつまんで見せるポーズを取れば、ウィズは飛び上がってしきりに服の匂いを嗅いで、アクアにも確認する。

 

「アクア様、今の私ってそんなに臭いますか?」

 

「うん、そういえばそうね。今のウィズ、とってもアンデッド臭がするわ。えんがちょよえんがちょ」

 

 アクアからも同様に鼻つまみ者なリアクションを取られては、ウィズはさっきの有頂天から一転、急降下して慌てふためく、

 

「ど、どうしましょう!?」

 

「人に会うのなら、一日休んでからの方がいいんじゃないんですか? 服も勝負衣装のままダンジョンへ飛び出していったんですから、クリーニングに出すか別のに選んだ方がいいと思いますし。待たせることになるでしょうが、べた惚れな相手なら一日くらいで心変わりはしませんよ」

 

「そ、そうですね。デュークさんには申し訳ありませんが……それに、私自身もまだ整理ができてませんし、せめて風呂で身綺麗にしておかないと……!」

 

「……まあ、向こうを待ちぼうけにさせるのもなんですから、そこは俺が明日に伸ばして欲しいと話してきますよ。ウィズ店長も今のままだと会いづらいでしょう?」

 

「ありがとうございます、とんぬら君」

 

 この気遣いにウィズは助かったと言うように笑顔を見せ、とんぬらはアクアから掠め取った手紙を懐へと忍ばせた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「――とんぬら、待って」

 

 店を出たとんぬらを、追うように出てきたゆんゆんが呼び止める。

 

「ゆんゆん、そんな慌ててどうした?」

 

「行くんでしょ、デュークさんのところに?」

 

「ほらさっき言ったけど、このまま待たせてしまうのも悪いだろう?」

 

「誤魔化されると思う?」

 

 あのアクアから手紙を取った時、垣間見えた彼の横顔は、いつも決戦に赴く時のと同じだった。ほんの一瞬だったけれど、ゆんゆんがそれを見間違うはずがない。そう目に意を篭めて背中を見続ければ、やがて降参というようにその肩を落とす。

 

「……そうだな、これは俺の勝手。独善。親切の押し売りですらない一身上の都合だ。だから、止めるのか、ゆんゆん」

 

「ううん、私も行くわ」

 

 音量は控えめながらも芯のある声でそう断じると、彼の隣、そこが定位置だと訴えんばかりにピタリと寄り付く。

 思わぬ後押しにとんぬらは少し呆然としたが、やがてゆっくりと唇を動かした。

 それは、苦笑のようにも見えた。

 

「それは勘弁してほしい」

 

 立ち止まるゆんゆんを置いて、一歩前進する。これに咄嗟にゆんゆんは彼の手を掴まえた。

 

「どうして?」

 

「今回は、その方がやりやすいのもあるんだが、それは建前で……正々堂々とケリをつけたいんだ」

 

 そんな言葉で片付けられても、納得がいかない。自らを不利に追い込もうとする真似なんて認められない。

 だいたい、それならば……明日、何であれウィズ自身がつけにいくはずだろう。だから、ここで衝動のままに考えなしに行く――そんな彼らしくない行動は、その実、彼の望むものであった。

 

「納得がいかないだろうけど、男のちっぽけなこだわりって奴で、俺が、そうしたいんだ」

 

 ゆんゆんは、触れている。彼の背中に刻まれた傷。

 それは彼が大切なものを守るために傷つく覚悟を決めて、実際にそれを一つの結果として成し遂げた。お涙頂戴の美化された自殺願望などではなく、傷つくのが目に見えていながらも、それでも前へ進んだのだという、ひとつの結果で。

 

「こんな馬鹿をして痛い目を何度も見てきた。でも、そうやって俺はここにいる。そんな馬鹿の積み重ねで俺は形作られているんだ。中にはそうせざるを得ない状況に巻き込まれたのもあったけど、俺は俺がやりたいことをやってきたときちんと言える」

 

 気が付けば、ゆんゆんの手が離れていた。

 異様に強い力で、とんぬらの腕が動いていた。

 

「俺は行く。別にやらなくちゃいけない強制力があるわけでもない。……でも俺は行く。結局、同じなんだよ、こういうのは。面倒ごとに巻き込まれるか、自分から首を突っ込んで

出しゃばるか、違いはそれくらいだ。俺は()()()()()()自分を曲げるような性格じゃなかった。きっと根っこから格好つけたがりなんだろうな」

 

 男はゆんゆんに背を向けて、再び歩き出そうとする。

 ゆんゆんは、それを追いかけたいと思えても、動けなかった。背中はまだすぐそこにあるのに、手を伸ばせば届くのに。

 ああ、そうだ。

 彼がこんなにも格好つけたがりなのは、一人勝手に師と決着をつけに飛び出した時からわかっていた。その時だって全然納得できなかった。だけど――それが、好きになった男の子(とんぬら)だ。“どうしようもなく彼は逃げない”と自分でその時叫んだのだ。本当に、泣きそうだった彼を初めて見て。

 

「………ぅ」

 

 出てきそうな言葉を胸の中へと押し返させるよう空気を吸い込む、でも、五秒も胸に溜めていただけでも破裂しそうになる。

 そんな彼女を、納得がいかないのに堪えてくれている少女の様を、見ずとも彼の背は感じて、ふと立ち止まる。

 

「……まったく、急に肩の辺りが寂しくなった。どうしてくれる」

 

 半身だけ振り返り、手を伸ばして、こんな所でもまた格好つける。

 

「パートナーと歩くのにどうやら体が慣れ切ってしまっているらしいなこれは……」

 

「え……」

 

「なあ、ゆんゆん、少しばかりひとりは心細いから、“いつものお守り”を貸してくれないか」

 

 なんて、やや大げさに、催促をした。

 格好つけ極まる彼の、自分だけにするその“甘え”に、ゆんゆん、胸にそのひとり出るときにお守りにしている短刀を胸に抱いて――とんぬらの胸に飛び込んだ。ドスン、ととんぬらがややふらつくくらいのドストレートの豪速球。そして、勢いのままに、いっそもつれこむくらいに、身体によりかかりながらつま先立ちして、彼の仮面に覆われていない口元へ寄せる唇。その僅かな接点に精一杯の気持ちを込めて――

 

「浮気はダメだからね、とんぬら」

 

「満点越えな百二十点なサービスをしてくれるとはこちらもいやが応にもやる気が出るではないか。朝帰りにならないようにしないとな」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 冬も過ぎたというのにひどく底冷えのする、街から少し離れた共同墓地。

 肌寒い夜風が墓石の間を縫う。その度、風と石がこすれて、ひゅおおお……ひゅるおおおおお……と、気味の悪い音をすすりあげる。

 あたかも死霊たちが嘆くような、月へひしりあげるような音が木霊する。

 ここは、そう初めて彼女と会ったのは魔道具店でだけれど、リッチーの正体を知った、その素顔に触れたという意味でウィズに会ったというのなら、この墓地が初めてだとも言える。

 そこが偶然にも、相手から指定された待ち合わせ場所だった。

 

「おしゃれを学んでおけと言わなかったかい?」

 

 古めかしいローブとマントを羽織ったその格好は、どうみても愛の告白(プロポーズ)に臨むに相応しいとは言えない。

 デュークは、まずは以前と同じ変装をして現れたとんぬらに、目を見開いた。鋭く視線を走らせ、来るべきはずの同行人がいないことをすぐ不審がる。挨拶代わりの戯言を聞き流してそれを問い質した。

 

「ウィズはどうした? 貴様がここにいるということは奴も帰ってきているのだろう」

 

「性能と値段が無駄に高い問題作を仕入れて折角の黒字の赤字にしたり、契約しているのが人間をご飯にする愉快な悪魔だったり、だけど、ああも面倒の見甲斐のある店長の下でないと働けないみたいだ」

 

「一体何を言って」

 

「挑戦者の露払いくらいはバイトの業務のひとつとして受けるってことだ」

 

 とんぬら、髪をかき上げるよう顔に手をかける。

 

 

「『氷の魔女』をご所望のようだが、魔王軍の幹部としての実力を示したいのなら、俺で十分だろう?」

 

 

 顔から手を払うと、その容貌は一変していた。

 仮面、そして、煌々と燃えるように輝く真紅の瞳――すなわち、『仮面の紅魔族』へと。

 

「どうだ? 前座としても不服か?」

 

 正体を知り、デュークは、固まった。

 固まったまま、長い――あるいはとても短い時間が流れて、その硬直も破れる。綺麗に整った面相が大きく歪むほどの、狂気的な笑みを湛えて。

 

「くっ、くくくく、くはははははっ! そうか! その仮面! 貴様が貴様が貴様が! あはははははっ! 十分だ! 十分だとも!」

 

 そう、内面より滲みだす憎悪のせいか、鬼面の如くに禍々しい表情だった。

 

「『仮面の紅魔族』よ、今や貴様の首は、サトウカズマはおろかかつての『氷の魔女』をも上回っているのだからな!」

 

 激しい戦意敵意殺意をぶつけられて、とんぬらは、無表情に、ついぼやいた。

 

「かまかけだったんだが……万が一にも、そうでない可能性を望んだんだけどな。本当に俺の予感というのは悪い方によく当たる」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ――はあああああっ!!?

 

 『千里眼』+『読唇術』にて、デュークの言葉を読み取ったカズマは思わず絶叫を上げかけた。

 

「カズマ、一体何があったんですか? 早く翻訳してください!」

 

 こちらの話を聞いた後の表情が気になったのもあった、それから外に出たら、隣の家の前で何やらウロウロしていたゆんゆんを、イラっときためぐみんが強引に引っ張って、魔道具店を出たとんぬらの後を追い、呼び出された墓場までやってきた。あまりデュークのことを認めていないようなとんぬらの態度であったから、もしかするとこれは一戦を交えるかもしれない、そんな予感がして。

 でもそれは河原で喧嘩してお互いを認め合うようなイベント、過激な争いでも冒険者同士の決闘程度だとカズマが高を括っていたが、これは魔王軍との真剣勝負だった。

 めぐみんに急かされてデュークの正体を明かす翻訳したカズマに、一同は目をむいた。

 

「あの男、魔王軍だったのか!?」

「うそっ! 冗談じゃなくて本当に?」

「こんなことでウソを吐くか!」

 

 通りでだ。なんか違和感を覚えていた。パズルがきちっとはまらないというか、ボタンを掛け違えているというか。

 そうである。向こうは一言もウィズに“家庭に入れ”だとか言っていない。ウィズが勝手に勘違いしていたのである。

 

 

「『インフェルノ』!」

「『花鳥風月・水神の竜巻』!」

 

 

 デュークの魔法が炎の津波を喚起し、怒涛の如く包み込もうと迫ったが、蒼い烈風が炎をせき止めた。減衰した熱気に構わず突貫したとんぬらが炎を蹴散らして、デュークの許まで到達する。すでに鞘から太刀は抜いている。――だが、その間合いを詰めるよりも速く、上空に避難していた。

 見覚えのある烏のような漆黒の翼を広げて、飛んでいる。跳ぶではなく、滞空している。

 そして、あわやこちらを撃ち落としかけたあの熱線魔法を真下のとんぬら目掛けて放った。

 

 

「やってくれる、『仮面の紅魔族』! 『クリムゾン・レーザー』ッッッ!」

「『ディフューズ・リフレクト』!」

 

 

 盾とした鏡形態の扇に、紅い熱線は乱反射で倍増されて返された。無数になって逆襲する己が放った熱線を食らったデュークは羽織っている黒ローブを焼き払われた。

 

「あれってまさか!? 俺達を落とそうとしたヤツの――っ!」

 

 羽織っているマントが亡くなってより露わとなったそれは、『世界樹』で襲い掛かった者と同じ。

 アクアも気づき、さらに襲撃者の鳥人の正体を口にした。

 

「あーっ! なにあいつ、悪魔やアンデッドを嫌う今どき珍しい良い人だと思ったら、自分も神に逆らう愚か者の堕天使だったの!」

 

 めぐみんもまた声を上げる。

 

「胸元に彫られているあの紋章は、魔王軍の証ですよ!」

 

 つまり、あれは堕天使で、魔王軍の手先ということなのか。

 

 

「小癪な真似を! よくも俺に俺の魔法をぶつけさせてくれたなあ!」

 

「あんなダサい服、元々燃えるゴミだろうに」

 

「『ファイアーボール』!」

 

 

 とんぬらの返しにキレた堕天使が上空から火球を雨霰と降り注がせる。相手の手の届かない制空権を確保して、有利な状況から一方的に攻め立てる。このグミ撃ちに対し、とんぬらは反射魔法を駆使し、また墓場に生えている木々を盾にしながら躱すも、先の熱線とは違って火球は跳ね返しても堕天使のいる上空にまでは届かず反撃の糸口がつかめない。

 

 

「逃げ足は達者のようだ。だが守ってばかりでは俺には勝てん、『ラーヴァ・スワンプ』!」

 

 

 広範囲に墓場が溶岩の沼と化す。とんぬらは咄嗟に地面から墓石のひとつに飛び乗るが、それもずぶずぶと溶岩の沼に沈んでいく。

 まずい。ただでさえ防戦一方だったのに逃げ場のない状況に追い込まれてしまった。

 

「おいカズマ、ここはもう見ている場合ではないぞ。あのままだととんぬらがまずい!」

 

「ええ、とんぬらに夢中でこっちに気付いていないようですからね。今なら一撃で仕留められますよ」

 

 焦った声を上げるダクネス。もう勝負に水を差すだとか気にしている場合ではない。

 あの上空からとんぬらを睥睨している堕天使を撃ち落とす――そう、ここには遠距離からの一撃必殺を可能とする爆裂魔法の使い手がいるのだから。

 

「――待ってください!」

 

 だが、それを止めた。誰でもない、とんぬらの相方であるゆんゆんが、杖先の照準を上空へ合わせようとしためぐみんを手で制する。

 

「お願いです、もう少しだけ……ギリギリまでとんぬらに任せてみてください」

 

 必死に感情を抑えているのが丸わかりな、赤く点滅している瞳。そんなゆんゆんの内心とは相反したその嘆願を受け、めぐみんは杖こそ下げないが、詠唱は始めない。誰よりも堪えている同郷の少女に、口をへの字にしためぐみんは同じく紅魔の里出身の少年を睨んだ。真っ赤な瞳で。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「――そこまで、だな」

 

 己が勝利を確信する。地を這うことしかできない人間にこの状況を脱することは適わず。

 デュークはその双眸のみを冷徹に光らせ、手中にあるトドメの火球を少しずつ魔力を練り上げながら大きくしている。

 対するとんぬらは、愛用の扇と太刀を手に、いささかも構えることなく無造作にだらりと下げて、不安定な墓石の上に一本足立ちしてバランスを取っている。まるで案山子のように。

 

「なるほど、幹部を立候補するだけの実力はあるのは疑いないようだ」

 

 融解していく足場を、初級魔法『フリーズ』にて冷やして固めさせているが、周りが灼熱の溶岩だけあっていつまでも沼に沈まずにいられることはないだろう。そして、その墓石から飛んだところをデュークは撃つ。反射魔法が使えるようだが、飛びながらではうまく跳ね返せはしないだろうと睨む。

 それを読んでいるのか、だがこの危機的な窮地から脱する素振りを見せることなく、くっ、と小さく不敵な笑みを見せる『仮面の紅魔族』

 

「だが、上に立つための一線を画す戦闘能力はあっても、下を扇動するための知略はあるのか?」

 

 それから鏡としていた扇を閉じてしまい、それでトントンと肩を叩く。まるで世間話をするような落ち着いた物腰で、のうのうと講釈を垂れ始めた。

 

「この近頃、『アクセル』近辺の魔物の状況が穏やかじゃなくなってきたが、それも魔王軍、あんたの仕業か?」

 

「……ほう、中々鋭い。そうだ、次々と魔王軍幹部を撃退した要警戒対象がこんな辺境な地に集っている。いずれここは、魔王軍の最重要攻略地点となろう」

 

 そう答えてやれば、大玉になってきた火球の熱射にじりじりと炙られるのも相俟ってか、『仮面の紅魔族』は忌々しげに唸り声をあげた。

 

「最重要攻略地点、か。……だから、この『アクセル』で魔道具店を営んでいるウィズ店長が邪魔になったということか?」

 

「邪魔だし、不要だ。魔王城の結界を維持しているが、幹部だというのに魔王軍としての働きもしない怠慢ぶり。魔王様はお認めになられているようだが、俺は許せない。俺が魔王軍幹部の座にいれば、既にこんな辺境の地など征服してしまえているに違いないのに!」

 

 憤りを滲ませ、熱弁を振るう。

 この胸に抱く誇り、そして自負をぶつけるかのように。

 

「……幹部であったデュラハンのベルディアでさえ大軍を率いて侵攻できなかったというのに」

 

「あれは退けられたのは貴様らが幸運に助けられたからだ。アンデッドとはいえベルディア殿は栄えある幹部として長らく前線で戦って来られた方だ。突如降ってきた隕石に軍が壊滅されていなければこんな街、魔王軍が本気になれば一日と経たず壊滅できたであろう……!」

 

 ぼそりと囁いたセリフを、キッと鋭い眼光で射抜いてやれば『仮面の紅魔族』は気圧されたように口を噤んだ。

 この怯んだ態度にますます機嫌を良くして、声高に、

 

「そうだ。俺はまだ魔王軍幹部ではないが、もうすでに動いている」

 

「それは、不自然な魔物の大量発生の事か。だがあれはこの前の『世界樹』の神獣に散らされたとギルドから観測されている」

 

「ふん。俺がそれだけしか手を打っていないと思っているのか。ここへは『氷の魔女』から魔王軍幹部の座を奪いに来たが、幹部になった時のために実験程度だが下準備もしている」

 

「なんだって……!?」

 

 驚く『仮面の紅魔族』。水面下で動いていた此方に明らかに動揺している。そして、奴はわなわなと震えながら口に手をやり、

 

「はっ! まさか、この前の子供たちが『コロリン病』に伝染していたのは、貴様の仕業か……!」

 

「ほう! 気づいたか。ああ、そうだ。忌々しい高位悪魔の爪が特効薬の『コロリン病』、これを流行させれば、『アクセル』は壊滅するしかないからな」

「――――なるほど、外道か。容赦してやる理由をまた一つなくしたな」

 

 瞬間、表情が一変。

 動揺の面貌は剥がれるように先の不敵な笑みへ、それも抉るように深く――

 その口角の上がる口先が厳かな声を発する。

 

「ペラペラと調子に乗ってくれたおかげで、感染病原の特定ができた。お礼に、俺の弟子を苦しめてくれた借りを利子つけて返済してやる」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 足場となる墓石も半ばまで融けている。

 もう少し、()()()()()()()()()()()をして、軽くなった相手の口から情報を引き出したかったが、ここらが限界か。

 

「『春一番・為虎添翼』」

 

 堕天使がトドメにはなった巨大火球を飛翔して悠々と回避してみせる。なっ!? と驚く反応を見るに、『氷の魔女』の情報を集めるばかりで、『仮面の紅魔族』の更新は遅れているようだ。でなければ、空を飛べれば回避できる状況など劣勢などとは思えないだろうに。

 

「そのような奥の手を隠し持っていたか、『仮面の紅魔族』!」

 

「この程度で驚かれては、俺のすべての引き出しを披露させることは適わんぞ」

 

「戯言を! 『インフェルノ』ーッ!!」

 

 とんぬらの身体が溶岩の沼の上を低空飛行する。ならば、と即座にデュークは炎の壁を溶岩から噴出させるよう立ち上げ、迷宮の如く、その行く空路(みち)を塞いだ。如何に空中を翔けようとも、逃げ場をすべて埋めてしまえれば、なすすべない。

 

「『風花雪月・猫被り』」

 

 だが、防火服のような白雪の衣を瞬時に纏い、そのまま炎の壁を突き抜けた。

 『春一番』が翼の代わりとなる神風を起こすのであれば、雪精は“冬を呼ぶ”特性でもって灼熱に炙られる大気の高温を下げる。上級魔法の炎と言えども、一瞬で焼かれたりはしない。

 しかも、さらにとんぬらは大きく、息を吸い込んだ。

 

 ――ドラゴン固有スキル『全てを吸い込む』。

 ブレスや魔法などを口から己が身の内に取り込んでしまう、流体に対する『ドレインタッチ』のような特技。

 

 すぅぅ――と。

 猫舌にも合うよう精霊に冷まされた炎が、仮面の下の口に吸い込まれていく。

 まるで堕天使の魔法を食らうように。炎の迷宮は掻き消え、危機を逆転させた好機を逃さず。

 

 

「………」

 

 潜伏する観衆たちは、言葉もなく、その光景を見ていた。

 宴会芸、精霊、魔法、そして、彼のドラゴンの特質などと、ひとつのスキルとしても、例外的なほど様々な現象を起こす、武芸百般に恵まれた多才性。

 だが、真に強大なのはそれではない。

 芸能ひとつで、上級魔法に匹敵する現象を引き起こす、その極度の集中力だ。

 戦いながら、とんぬらの集中は髪一筋揺らいでいない。呼吸から指先ひとつまで何もかも崩れていない。そのことが、たてつづけに神業披露を許しているのだ。

 『芸は身を助く』その通りにこの百の武芸に支えられた、千の戦術。

 とんぬらは、まさしく特異ながらも完成された冒険者だった。

 

 

「おおおおおっ!」

 

 吼える。

 手にしているのは杖ではなく、太刀。これを槍投げの要領で斜め上の堕天使目掛けて躊躇なく投擲する。宙空を滑る勢いを殺さずに推力と加算さ()せて、人並み以上の強肩から発射する撃剣術。ぐんぐん一直線に射抜かんとする太刀に堕天使は声を荒げ、吼え返した。

 

「舐めるな! 魔法と神聖魔法の両方を使えるのは貴様だけではない!」

 

 展開するのは、透明の反射板。『リフレクト』。先程の意趣返しにと遠距離攻撃を相手に跳ね返す神聖魔法の障壁は――その刃先に容易く貫かれた。『退魔の太刀』、その刀身には『結界殺し』なる魔力を分解させる特性がある。魔法で防御しようがそんなものは障子紙と変わらない。

 

「くぅっ!!?」

 

 咄嗟に身を捻り、限界まで背を逸らせ、堕天使はこちらの撃剣を間一髪で躱してみせた。頬に浅い切り傷。これに手を当てた堕天使は、己が傷をつけたことに総身震えるほどの激情を露にしてくるが――頭上注意だ。

 

「――顕現すると同時に堕天使を狩れ、バルバルー」

 

 宙空にて緑色の肌をした精霊の上位種・幻魔バルバルーが、堕天使の上を取る。予め指示したとおりに。

 そこへすかさず『天地雷鳴士』が固有スキルである『天地鳴動の印』を発動――『退魔の太刀』を依り代とした剣使いの幻魔が繰り出す解放技『剣技乱舞』は、都合六度振るう太刀捌き。

 

 ザンゾンバン!!!!!! と恐るべき斬撃が、堕天使デュークへ稲妻のように襲い掛かった。

 

 無残に斬り込まれた堕ちた天使が――つかのま、爆ぜる花火の如く、世界に紅を飛び散らせた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 くるん、と旗のようなものが空中で大きな円を描く。

 くるん、くるん、と。

 それは、漆黒の翼。堕天使の翼。

 飛翔能力を断たれたものがどうなるかなど語るまでもなく。重力のくびきに引っ張られて墜落するのみ。

 ぼとぼとぼとぶちゃ、と幻魔に漆黒の翼を斬り飛ばされた堕天使は、真っ逆さまに、頭から溶岩の沼に墜落する。

 

「ぐあああああっ!!?」

 

 己が生み出した灼熱地獄にもがき焼かれ、阿鼻叫喚を挙げる堕天使を見つめる、とんぬら。

 

 こうしてひとりで決闘の場に望んだのは、仮にもひとりの女性(ウィズ)を賭けた男のこだわり、それから油断させて生の情報を引き出し易いと計算もあったが、決闘の場にゆんゆんをいさせたくはない心情も働いた。

 

 決闘は本質的には、殺し合いだ。単純な腕っぷしだけでなく、いざとなれば相手の命を奪える冷酷さが勝敗を分ける要因になる。実力が拮抗していればいるほど、小手先のテクニックなどよりも冷酷であれる心胆こそ肝要。殺すか殺さないか、二つの選択肢を選べるものはそれだけ行動の幅が広がり、逆に自然と選択肢がひとつしかないものは、バレれば相手に舐められる。そして、その経験がある者は見るものが見ればわかるのだ。

 この前のカズマ兄ちゃんに挑戦した冒険者の中にはいなかったが、そう例えば『エルロード』の外交にて陰で狙ってきた暗殺者は当て嵌まる。目つき、呼吸、踏み込みの位置、力加減、タイミング、説明し切れないほど様々なものが違う。

 

 今回の相手は、それと同じだった。レベルが高いだけでなく、あの刃物を突き付けた時の躊躇いのなさ。あれは躊躇うことなくその命に手をかけられる者だ。

 そして、魔王軍の手の者と推理できたが、だからといって人外だとは限らない。砦に潜伏した内通者が“人間”だったのだから。違和感があるものの、悪魔の気配がしない人型の存在……すなわち人間との“死合”に発展し得る可能性をとんぬらは考慮した。

 

(ああ、めぐみんのことを偉そうに言えないのも自覚しているさ)

 

 そうなれば、あの普通の人付き合いにも精一杯の勇気がいるようなゆんゆんには、こんな命を取り合う対人戦は無理だろう。というか、己よりもずっと純粋な彼女が人を殺せる冷酷さになど染まってほしくはない。見た目可愛い一撃ウサギでも魔物を狩るという心構えとはまた別種で、めぐみんとやっているような真剣勝負とは別次元だ。

 むろんとんぬら自身にも人殺しの経験はないが、自分やパートナーを守るためにどうしても必要とあらば、命を狙ってくる輩に対し手を紅に染めることを躊躇うほど優しい性格ではない……と自負している。

 

 それで、残酷に徹する覚悟をして決闘へと臨んだのだが……結局正体は堕天使であった。

 人に暴虐を成すのであれば時に女神さえも斬る神主としては、堕ちた天の使いの首を刎ねることも役目である。

 

(……しかし、まあ、わざわざ取るまでもない)

 

 実力が伯仲していれば今のうちに息の根を止めるべきか判断に迷っていたところだが、実力はあっても火力一辺倒の戦法を取ってくる性格であればこちらも二つの選択肢がある。そして、命からがらのところを見逃す慈悲を一度くらい出せる余裕はあるととんぬらは判断を下す。

 紅く光ることさえない冷酷な眼差しを伏せ、その目の色を変える。非情さは残るが、無情ではないものに。

 

「『風花雪月』」

 

 フワフワと風に乗って滞空しつつ、上から落ちてきた太刀を真上に掲げた鞘の鯉口へとすとんと納刀し(いれ)てみせてから、その鉄扇を開いて振るう。

 扇の煽ぎに生じた極寒の吹雪は紅の絵の具の上に白の絵の具を筆で塗り重ねるようたちまち溶岩を冷やし、沼を固めてみせる。

 “自分が圧倒的な強者である”と相手に印象付けるよう余裕の様で見栄を張り(えんじ)、それから冷酷さを瞳に湛えて見下して、

 

「あんたの負けだ」

 

 そして、デュークの前に降り立ったとんぬらは淡々とこの地に塗れる敗者へ端的に勝利宣告をする。

 

「これ以上、ウィズ店長に関わらぬと誓うのであれば、命までは奪わない」

 

 仮面の双眸が見下ろして、底冷えのする声で淡々と降伏勧告を唱える様に、震えが走ったデュークだがその恐れを噛み潰して呑み込む。肌が火傷に爛れているにも構わず、血走った目で、この憎き系譜を睨む。

 

「ぐうううっ! 親が親なら、子もそうかっ! 俺を……この俺をどこまでコケにしてくれるのだ!」

 

「親、だと……?」

 

 熱ある感情を押し込める無情の仮面を外した直後であって、この思わぬ単語に、つい反応してしまった。それがまずかった。

 

 

「俺から幹部の座を奪った紅魔族唯一の裏切り者ぽかぱまずは、貴様の父なのだろう!」

 

 

 …………………………………………………………………………………………………………………え?

 

 

「隙ありだ! ――ゼナリスよ、この人間に災いを!」

 

 

 瞬間、とんぬらの全身が石で塗り固められたように身動きができなくなる

 

 ッ!? これは、呪い――それも強力な神格の……!?

 全力で抵抗したいが、神格というのにこと弱いとんぬらは、破るという意志すら起こさせない。呪いの効果が切れるまで、相手を黙ってみているしかないのだ。

 

「俺が元仕えていた神は、供物に想い、執着の篭った物品を求める制約があるが、捧げた供物に応じた“力”を与える」

 

 それは例えば今のとんぬらのように金縛りに遭わせたり、シルフィーナに病魔の呪いをかけたり、対象にバッドステータスを付与するのを主とするもの。

 

「あんた、神に逆らった堕天使のくせに神格に頼るとか矛盾していないか?」

 

「う、うるさい、俺達天使は散々神々にこき使われてきたんだ! なら、その代価として多少力を使ったっていいだろうが! 言ってみれば、未払い分の給料の回収だ!」

 

 腰の袋から取り出した黄金の果実を頭上に掲げた堕天使は唱える。

 

 

「――さあ、『不死と災いを司る太古の神ゼナリス』よ! 『世界樹』から採った『女神の果実』を捧げる! この俺を、地に災いをもたらす完全なる破壊の化身にしたまえ!」

 

 

 堕天使を中心に魔法陣のような紋様が浮かび上がると空に向けて眩い光が突き抜けた。

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 邪悪な箱:不思議なダンジョンシリーズ2に登場するラスボス。『ダメージを受けるとモンスターをその場に三体生み出し、階層の何処へとワープする』という普通に倒すのはかなり面倒なボスモンスター。さらに箱自体の行動速度も迅速で、攻撃力もドラゴンの二倍以上あって、しかも炎系の攻撃を受けると分裂までするし、一部の巻き物を除いて杖などのアイテムが一切効かない。『聖域の巻き物』の引き籠り戦法か、『はりつけの巻き物』で動きを停めてからでないととても倒せないくらい強敵。

 

 幸せの箱:ドラクエで最も有名な愛妻家の商売人キャラのダンジョンシリーズに登場する重要アイテム。不思議なダンジョンの27階層にある誰もが見たこともないお宝で、中身はオルゴール。蓋を開けると不思議な力がこめられた曲を流してくれる。これを開けっぱなしにすることで、もっと不思議のダンジョンへ行けるようになる。

 『幸せの箱』と、数々の災厄を抱える『邪悪な箱』は対となるもので、双方、不思議なダンジョンを生み出すという隠れた性質(設定)がある。

 

 ゼナリス:『戦闘員、派遣します』に登場する太古の神。不死と災いを司る神のようで邪神イメージが強いが、主人公パーティの大司教はそう呼ばれると怒る。そして、その力は制約があるが凄まじい。

 大事な想いや執着が篭った品を供物(ボロボロになった人形や使い古した服、年季の入った物品、穴のあいたお気に入りの靴下も可)とすることで、それに応じた奇跡を代行できる。

 ただ必ずしも成功するとは限らず、同じ文言の呪いは使用頻度に比例して成功率が下がる。その上、失敗して不発に終われば、自らに反動が来るという自爆ギャンブル仕様。

 しかしそれに見合った効果はあって、信徒はたとえ頭が飛ばされても供物を捧げれば一晩で勝手に蘇生したり、呪詛は成功すれば四天王さえも金縛りに遭わせられる。

 作中では、デュークが仕えていた元神様(上司)という追加設定。だが、不死だったり、力を借りるのに対価を支払わせる性質が、アンデッドや悪魔と似ていて、天使的な感性で受け入れられず、厭う。でも力は頼る。この呪詛でシルフィーナに病魔の災い(コロリン病)を感染させた。

 そして、『女神の果実』を供物にして、変身したその姿は、ドラクエⅨのラスボスと同じで……




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