この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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113話

『――私の両親は運がなくて死んでしまった』

 

 森。冒険者でも容易には辿り着けないほど深くまで踏み込んだその場所。

 

『そして、あんたも運がない。だからきっと、このままではあんたも死んじゃうわ』

 

 淡々と他人事のように評される言葉。

 

『けれど、あんたの運は不可思議に、追い込まれると強くなるみたいなものなの。見たところ、『ハードラック』と言ったところなのかしら。素養はあるのに、重要な運がない。だけど、奇跡魔法が使えるのはそういうことなのね』

 

 冷静に、無情に。その眼差しは見降ろす。

 

 

『だから、ここで“親離れ”をしなさい』

 

 

 そして、あまりに唐突な、一方的な、身勝手極まる通告をした。

 

『何……言ってるの?』

 

『今後、あなたが生きていくために自分のものにする必要がある『特異な運(ハードラック)』……これは、誰の助けも期待できない逆境の中でしか、その感覚(ながれ)は掴められないものだと思うわ』

 

 幼い子供は、言葉をうまく呑み込めずに俯いてしまう。当たり前だ。

 人里離れた過酷な環境、唯一頼れたものから拒絶され、その場で足踏みするしかなく。その左右ふらつくよう身体を揺らす様に何の声をかけることもなく、ただただ黙って見下ろす女性。やがて、ぎゅっと握る拳を震わすこともは地面にぶつけるように俯いたまま言葉を吐いた。

 

『あんたは……こんな“子離れ”でもいいのかよ……!』

 

 この憤りをぶつける問いかけにも、彼女は淡々と返した。

 

『だって、私――何もできないもの』

 

『………え?』

 

『力があるばかりで、人としてさえ何も教えてやれない……家じゃ何もできなかった。そして、肝心な時にあんたを守れなくて一度死なせてしまった。ほら、まるで親に向いていない』

 

 まるで躊躇せず自己さえ卑下するその在り方に、幼き子供の足踏みは地団駄に変わる。

 

『だからって! 料理がダメだって……考え方がおかしくたって……どうでもいいよ! 里の外へ行く前までのように一緒にいられればそれだけで俺は……』

 

『………』

 

『~~~っ、んでだっ! こんなの納得いくか!』

 

 あまりの無反応に、思い切り地面を踏み鳴らした。ダンッ――と空しく森に響く。結局、幼き慟哭は何一つ漣を立てることはなかった。

 

『……里での暮らし、幸せでなかったわけではないわ。多分、私の中でとても人間らしい日々だった。でも、私はこんなんだから結局……娘にも……妻にも……母にもうまくできないみたい。だから、せめて、人の為になることがしたいの』

 

 突き放すことは既に彼女の中で決定事項として凍るように固まっている。それを溶かすことは幼き子供の言葉ではできなかった。

 

『そのためには、なるべく早く、もうここで“子離れ”を済ましておいた方がいい。本当に勝手でごめんなさい。

 だけど、私に期待しないでと言っておいてなんだけど……あんたには期待している』

 

『何を、そんな……』

 

『……今でもよくわからないけど、昔、あの人の魔法で、人を好きになって、愛せれたとき、嬉しかったの。本当よ。あの時まで人らしくあれるかわからなかった私にとって、あれは本当に奇跡だった。もうとっくに、その日のうちに、魔法の効果(ちから)は消えているけれど、あの奇跡は今も私の中に残っている。そして、その結晶があんたなの、とんぬら』

 

 頭の上に置くように。そう決して乗せず、その髪に触れる程度のところで添えるように、手をかざしながら、

 

『だから、きっと、奇跡魔法(パルプンテ)はあなたを助けてくれるわ』

 

 と言って、スレスレに近づけさせながらも触れ合わぬままに引っ込められようとする手――――が離れる前にその掌へ頭突きをかますよう、跳び上がって少年は面を上げた。

 これに、ここで初めて瞠目した女性、その大きく見開かれた眼へ、挑むように睨みつけて、その直前にある女性の手へ噛みつくように吼えた。

 

『~~~っ、わかった! ……俺は、自力で、生き抜く。今後、あんたらの手なんか期待しない、跳ね除ける。ひとりでやれるようになる。そして、奇跡魔法を極めて母さんにもう一度思い知らせてやる!!』

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ――ぷっつんと、そこで“誰かの回想(フィルム)”は途切れた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 《カズマ……カズマ……》

 《私の声が、聞こえますね……》

 

 声に反応して、目が覚めるとそこは崖。

 

「うおっ!?」

 

 前方に大きな滝が見える、ちょっとでも前に踏み出せば真っ逆さまの血の気が引く絶景だ。

 さっきまで屋敷にいたはずなのに、一体全体どうしてこんなところにいるんだ?

 意識が覚醒するや飛び退いたカズマ。それからきょろきょろと辺りを窺うも、めぐみん、ダクネス、アクアはおらず、それからとんぬらたちもいない。代わりに姿は見えねど脳裏に響くのは、女性の声。

 

 《私は全てを司る者》

 《あなたはやがて真の勇者として私の前に現れる事でしょう……》

 

 なんだ、これ……?

 さっぱりと状況は呑み込めないが、アクアやエリス様と初めて対峙した時に似ている。でも、死んでいないはずだから、ここはこの世とあの世の狭間とかじゃないはずだ。

 

 《しかしその前にこの私に教えてほしいのです。あなたが、どういう人なのかを……》

 

 語りかけているのだけど、こちらの反応など一切無視して話が進められる。まるで自動音声のようだ。

 

 《さあ、私の質問に正直に答えるのです。用意は、いいですか?》

 

 無視して帰っても良かったが、それは徒労に終わる予感した。

 そう……どうにも、このあまり現実感のない感覚をカズマは良く知っている気がした。結構な頻度でお世話になっている、はずだ。ただそれがいつもと違うような……なんだろうか?

 とにかく、この強制イベントっぽい質疑応答に付き合えばいいのだろう。

 

 

 Q1:あなたにとって冒険とは辛いものですか?

 

 何が来るかとちょっと身構えたけど、差し障りのない質問である。

 それで冒険が辛いか辛くないかと訊かれれば、断然、“はい”だ。これまで一体どれだけ酷い目に遭ってきたと思う。単なる慰安旅行にも魔王軍幹部と出くわす始末だし、冒険は御免だ。命が惜しい。

 

 

 Q2:街の人達と話すことは楽しいですか?

 

 うん、まあ、これも“はい”だな。ギルドに屯っている冒険者連中はなんだかんだで気のいいやつらばかりだし。しかし……これが『アクセル』とは違う余所だったらもっと競争意識が高く殺伐しているのだろうか。必要とあらば同業者(ライバル)を蹴落とそうとするような。そう思うと駆け出し冒険者の街の空気は自分の性に合っている。

 

 

 Q3:洞窟を見つけるとつい入ってみたくなりますか?

 

 “いいえ”。クエストでもないのにダンジョンみたいな危ない所に自分から行くわけがない。

 

 

 Q4:剣で戦うより魔法を使う方が好きですか?

 

 剣を振り回すのも格好良いと思うけど、やっぱりこういうファンタジーな世界に来たら魔法に憧れる。“はい”だな。

 

 

 Q5:空を飛べたらどんなに良いだろうとよく考えますか?

 

 高所からの自由落下体験をしたばかりだ。しばらく空を飛ぶなんて考えるだけでもまっぴらごめんだ。“いいえ”。

 

 

 Q6:占いを信じる方ですか?

 

 世の中にはバニルとかそういう本物がいるのは知ってるが、あれは占いとかじゃなくて、未来視だ。普通の占いはあんまり信じない。“いいえ”。

 

 

 Q7:身体を動かすのは好きですか?

 

 叶うならば一日中ベッドでダラダラする生活を送りたい。“いいえ”。

 

 

 Q8:犬より猫の方が可愛いと思いますか?

 

 これ出題者の嗜好が交じっているとかじゃないよな? けどまあ、屋敷で最近ちょっとずつ大きく成長している黒猫(ちょむすけ)を飼っているんだし、ここは“はい”だな。

 

 

 Q9:親友の恋人を好きになってしまうことはいけない事だと思いますか?

 

 身近にいる彼女持ちの奴と言ったら、とんぬらか。……うん。倫理的にダメだし、恐ろし過ぎて無理だ。もちろん“はい”。

 

 

 Q10:人から褒められるのは照れ臭いですか?

 

 照れくさいけど、チヤホヤされたい! ここは、“いいえ”!

 

 

 Q11:身体を動かすのは好きですか?

 

 その質問二回目だろ! “いいえ”!

 

 

 Q12:友達は多い方ですか?

 

 あー……うん、少なくはないはず。酒場に行けばダストとかキースとかと音頭を取って騒いだり……あれ? 思い返すと、俺ってあいつらに奢ってばかりじゃないか? これって財布――い、いや、そんな悲しくなる境遇じゃないはず。“はい”でお願いします!

 

 

 Q13:人の噂が気になりますか?

 

 現時点でそうだから。怖くて街を歩けない。……“はい”。

 

 

 Q14:世の中には楽しい事よりも悲しい事の方が多いと思いますか?

 

 それは……――

 

 

 ………

 ………

 ………

 

 

 《そうですか……これであなたのことがすこしはわかりました。ではこれが最後の質問です》

 

 そう心理テストみたいなアンケートが終わった途端、ぐんにゃりと景色が歪んで、場面が変わった。

 反射的に目を瞑ってしまい、それをゆっくりと薄目で開けていけば……それは森。周囲をぐるりと鬱蒼と茂る木々に囲まれた森の中、ぽっかりと開いた小空間。

 そこに何やら山と積まれてる岩石に、筋骨隆々たる初老の大男。頭はつるつるのスキンヘッドで、口の周りには豊かなヒゲを蓄えている。こちらが存在に気付くのを待っていたかのように、視線を向けられた老人は口を開いた。

 

「ふぉっふぉっふぉっ。道に迷いなされたかな。西、つまり左の方じゃな。その方向に歩いてゆけばこの森を抜けられるはずじゃ」

 

「あ、どうも……」

 

 ぶっちゃけて、この状況が未だによくわからない。というかここは本当にどこ何だ? 確か、あの滝に来る前は、そうだ。とんぬらからトラウマを克服するために修行を受けないかと提案されて、それを了承――して、一気に意識が暗転した。それから、あの滝だ。質問に付き合わされたが、まったく意味が解らない。これにいったいどんな意味があるんだ? とんぬらがやることならきっと意味がないはずがないとは信じてるけど……

 うまく呑み込めない状況が喉に詰まるような違和感で、さっさとこれを解消したく思う。それで、示した方向へと踵を返そうとしたところで、ご丁寧に道案内をしてくれた老人はちょっと付け加えるように言葉をつづけた。

 

「ところでお主、途中で岩があったらここまで押してきてくれんかの。きっと礼はするぞい」

 

 わけのわからない状況で道案内してくれた爺さんだ。ちょっと考えてやろうという気にもなる。具体的にはその報酬条件次第で。

 

「お礼って?」

 

「うむ。1回岩を運んでくれるごとに10エリスじゃ。40回も持ってきてくれたらボーナスに50エリスやろう」

 

 ふざけんな。

 ときたま街で子供が小遣い稼ぎにやっているのを見かけるネロイド集めじゃないんだし、あんな一個が40kgくらいありそうな重たい岩を拾って集めるとか割に合わな過ぎる。借金地獄時代でも、10エリスぽっちでそんな重労働をやりたくもない。

 

 適当に後ろ手に手を振って別れの挨拶を済ませて、老人の下を離れる。

 途中それらしき岩が転がっていたけど、当然無視して先を行く。

 

 ………

 ………

 ………

 

「なるほどのう。お主は、“怠け者”じゃ」

 

 ………………へ?

 ずんずん先を進む。モンスターに出くわさないよう少し駆け足で。そうして、森の入口っぽいところまで来たら――――またこの小空間に戻っていた。

 そこには無数に詰まれた岩に、さっきの老人がいた。

 

「は、これどうなってんだよ!?」

 

「まだ気づかんか。まあよい。いずれにしてもお主はワシが許可するまでここから出られないからのう」

 

 一転して、雰囲気が変わる。詰んである岩が賽の河原のようにさえ見えるし、徐々に物々しいオーラを立ち昇らせる老人は情け容赦なく取り締まる獄卒のよう。

 ヤバい。早くここから離れないと!

 

「そうだ、こういうときは……――『テレポート』!」

 

 緊急離脱にうってつけな転移魔法を唱える。しかし不発に終わる。

 

「なんでだ!? ちゃんと『テレポート』は修得しているはずなのに!?」

 

「残念じゃが、ここでは魔法が使えん。しかも倍率はドン。負荷がかかっておるからの、疲労感は通常の三倍以上になる」

 

「――ハァ!?」

 

 ちょっと意味が解らん。しかし状況は最初に思っていたよりも大変だと知る。

 

「泥のような爽快感。目覚めた時は、程よい疲労と達成感を味わえ、最高の状態に仕上がるはずじゃ」

 

「ちょ、なにいってるかわかんないんですけど!」

 

「とりあえず、この森中に散らばっている岩を40個全部、ここまで運んできてもらおうか。そうすれば、怠け者のお主も頑張り屋のタフガイになろう」

 

「ふざけんな! さっきいくつか見かけたが、あんなの背負おうとしてもフラフラするし、持って歩けないこともないけど、こんな道の悪いとこで転んだら怪我する――」

 

「しかしここから早く出ないと大変じゃぞ。この森には一撃熊が出るからのう」

 

 ぐいと老人が何もない手を引っ張ると、茂みの中から首輪で引き摺られるように、一撃必殺の代名詞を持ったクマのモンスターが転がり出てきた。しかもかなり巨大な大物なのが。カズマと目が合う。

 

「グオォ……」

「っ!」

 

 カズマは走った。

 ひぃぃぃ、と本気の叫びを森中に木霊させながら。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「ちょっ、なんかカズマが大変そうですよ! 早く止めさせないと!」

 

 ゆんゆんは先のご注文の金庫と小型冷蔵庫の配送を頼み、ここにはいない。商品を乗せた台車を引く力仕事があるが、ドランゴに代わりにやってもらうよう指示を出しておいた。最初は、とんぬら自身がするつもりだったが、席を外すことはできない。

 けたたましい悲鳴を上げるカズマの姿にめぐみんが血相を変えて腕を引いてくるのだが、それで中断しようとは思わない。

 

「めぐみん、落ち着け」

 

「落ち着いてなんていられませんよ! カズマがあんなに……」

 

「まったくだから見ても気持ちのいいもんじゃないから席を外しておけと散々忠告したというのに」

 

 目が赤く必死なめぐみんはこのままプッツンしてしまうと、爆裂魔法の詠唱を始めてしまいそうだ。そんな火が付きそうな気配(あかめ)に水をかけるような言葉を浴びせる。

 

「あのな。今もそうだが、さっき“私が守る”とか、兄ちゃんを舐めているのか? と俺は文句を言いたかったぞ」

 

「なあっ! 私はカズマのことを心配して――」

 

「それで、挑戦もさせず決めつけたのか。端から“できない”と兄ちゃんを()()()()()のか」

 

 決闘の話をした時、喧嘩早い性格めぐみんは、怒るところだった。いいや最初の頃ならば怒っていたことだろう。

 自分の仲間はそんな脅しに屈しない。負けはしない。自慢の仲間をバカにするなと。

 なのだが、魔王軍幹部にも立ち会いを演じたことのある仲間に対し、少し臆しているがその背中を押すこともなく、“後ろへ下がっていろ”と庇った。

 

「何とやらは人を盲目にするとも言うし、つい大事な人を過保護に守りたくなるその人情はわかる。それにダメなところもあきれるほど見てきた。けれどあそこであっさりと“頼りにならん”と切って捨てたのと同じことをしたあんたらは、同じパーティであるのに薄情だと俺の目には映ったぞ」

 

 今日まで兄ちゃんが勝ち得てきた信頼とはその程度しか築いていないのか?

 投げられたこの問いに、縋っていためぐみん、それから悲鳴を聞きつけ扉の前まで駆け付けたダクネスも固まる。

 

「新聞を読んだが、上級職の三人のことばかり取り上げられて、兄ちゃんの評価は適当だった。世間では『最強の最弱職』とやらも結局『アークウィザード』、『クルセイダー』、『アークプリースト』と言った上級職には及ばない、パーティの荷物持ちとか便利な雑用程度で戦力に数えることはないと思われているのだろう。腹が立つ批評だ。しかしな、あんたらまでそれに染まったらダメだろうに」

 

 ふん、と鼻を鳴らし、

 

「もっとも、一番諦めて、才能がないと見限っているのは兄ちゃん自身であろうな」

 

 これは相当根が深い。これだけ成功しても拭えないほどの劣等感をどこでどう抱いたのか。良い意味では己を把握して無理することがないが、悪い意味に傾けば卑屈と言えよう。

 

「膨大な魔力を持った天才でも、頑健な身体を持った貴族のように生まれ持った資質に恵まれているわけでもない。あるとすれば、羨ましいくらいの豪運か。しかし、それでも王様相手に啖呵を切れる。そこのところは自信にしていいと俺は考えているし――そんなことあんたらに言うまでもないと思っていたんだが」

 

 少し落胆を滲ませた息を吐いてから、皮肉る声音に怜悧さを含ませる。

 

「出ていろ。信じて待てない奴に見守る権利はない」

 

 キツい言い方だが、こちらも神経を使っているのだ。邪魔はされたくない。

 キッと睨む双眸、長い睫毛を震わすめぐみんへ、少し張った緊張を緩ませる声音でもう一言付け加える。

 

「まあ、心配するな。見ての通り、死にはしないから」

 

「~~~っ! ああもう! もし何かあったら爆裂魔法をぶっ放しますからね!」

 

 めぐみんは、出て行った。

 納得なんてしていないだろうが、これ以上は大人しく我慢できないと自分で悟ったのだろう。ちょうどすぐ外にいたダクネスを連れて、ムシャクシャを爆裂魔法で鬱憤晴らしに出掛けるに違いない。

 

「やれやれ。対人戦での兄ちゃんは厄介極まりないし……おそらく俺の構想が叶うのなら、『最強の最弱職』を侮り、喧嘩を売る挑戦者はひとりもいなくなるだろうな」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 もはや獣道としか呼べぬ道なき道をカズマは走る。

 

「っ……! っ……! っ……!」

 

 全速力で。

 ロープも持っていないから『拘束(バインド)』スキルも無理。魔法もできない。

 それで振り向かなくとも、どたどたどたどた、と人のものではない足音。『逃走』スキルを働かせているのに、デカい図体のくせしてなんていう脚の速さだ。なかなかつけ離せない。

 

「グォォ……!」

 

 クマである。

 ある日森の中を歩いていたらばったり出会ったクマさんなんて懐かしい歌謡曲はもう二度と歌わないと心に決めた。

 

「ほれほら、どんどん岩を探して運べい!」

 

 そして、そのクマさんは後ろからマッチョな老人に鞭打ち。嗾けてくるのはさっきの岩運びを依頼した老人という夢にも思わなかったシチュエーションだ。ふざけんな!

 息を切らしながら声を裏返して叫ぶ。

 

「何やってんだよジジィっ!?」

 

「大丈夫じゃよ、このクマチャは私のペットじゃ、ペット。ちと無理に起こしたせいかかなり気が立っとるがのう!」

 

「~~~っ!!」

 

 岩なんて放り投げて木の上に避難しようと思ったが、ふと昔に見たテレビの教養番組が過る。

 クマは木登りが得意であると。木の上に逃げようとも後を追ってよじ登られたらそれこそ袋小路に嵌るのと同じだ。

 

「なあ、そのクマに岩運びをやらせたらどうなんだ!?」

 

「残念じゃがクマチャは手に取ったものは何でもかんでも壊してしまうヤンチャな性格をしておってのう。物を運ぶのが無理なんじゃ。じゃからお主も捕まったら壊……じゃない、物を運ぶのが無理な身体になってしまうのう」

 

 いちいち言い直さずとも同じ意味だろ。などとツッコミを入れる余裕もなくひた走った。

 

 ………

 ………

 ………

 

 この世界にも当てはまっていたが、クマというのは長距離向きの生物ではない。

 だから逃げ続ければ完全にバテるので、その間に急いで岩を集める。何度か森を抜け出そうとトライしたが、結局ループして最初の地点に戻される。畜生。そして余計なことに時間を食ってしまえば、クマは体力を回復して再び追い立てる。『潜伏』スキルを使っているのだが、どうにも野生の鋭い嗅覚で位置を辿られているせいか隠れ切れない。

 結局、えっちらおっちら森中にある岩石を運ばなければならないのだ。あの老人をしばき倒すというのも考えないでもなかったが、クマの肩に乗っているため近づくことすら容易ではない。というか見た目がマッチョで、若者(カズマ)よりも力がありそうなのだ。自分で岩を運べと言いたい。

 

 もう途中から何も考えられなくなるくらい、クマから逃げ隠れしながら、休息中に岩を探して運ぶを繰り返し……どうにか、老人から“ご苦労様”とお言葉を頂けたときはもう、死ぬように倒れ込んで――――――目が覚めた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「お疲れさん。気分はどうだ? ……とわざわざ訊ねるまでもないくらい摩耗しているな」

 

 目が覚めたら、そこは屋敷の自室、ベッドの上だった。

 

「………」

 

「人間、死に直面すると走馬灯を見るというだろう。これすなわち生きようとする生物の本能で、長い人生を一瞬にして垣間見るというのは大変な集中力なわけだ。こうした臨死体験を経ることで、頭が修羅場慣れして常在戦場の心構えが出来上がり普段から集中力が増す……と説明されたな」

 

 どこのグラップラー育成計画だ。

 

「悪夢を見せられ苦情は大いにあるだろうが、実際にやらされるよりはマシだろう」

 

 途中から思考する余裕さえもなくなったが、ようやく気付いた。

 あの特技・魔法も制限され、不思議とお腹が減ることもなければ疲労がたまらず疲労感だけを覚える、辛いことは辛いがそんな現実感がどこかかけ離れた世界は、夢の世界と一緒だ。そう、サキュバスのお姉さんたちが見せるものと同じ。実は夢でしたの夢落ち展開。

 

「一度ちょっとした手土産をもってサキュバスから夢操作のノウハウを学んだことがあってな。夢魔固有の魔力がなければできないが、最下級の悪魔族程度であれば変化魔法の応用を利かした『まねまね(コピーキャット)』ができるんだ。特別スキルを覚える必要もない、まあ、単なる才能だな」

 

 とんぬらが今回考案したのは、サキュバスの夢操作魔法を取り入れた睡眠学習法である。

 強く記憶に残るイメージから夢の世界を組み上げて、体感させる。ただし見せられたのは悪夢な修行風景である。

 

「どうだ? 寝てるだけでいい。安全でらくちんな修行だろう?」

 

 どこがだ! とツッコミたいが生憎とまだ声を出せるほど余裕はない。目覚めてからずっと頭がぼうっとしている。

 ああそれから……何か甘い匂いがする。見れば、部屋の四方にお線香、香が焚かれている。強い香りではないが。妙な感覚。

 

「………」

 

 眠気ではなく、すぅっと何かに引き込まれていくような。

 近いと言えば、満月の夜にバニルの仮面を装着したような心境だ。だけどあれよりもずっと落ち着いている。

 とんぬらは滔々と語る。

 

「兄ちゃんはどうにも雑念が多い。種を明かすと、さっきの夢は、今の、トランス状態を作り出すことが目的だった。クマから逃げるという一心、森から出たい一心、生きようとする本能に訴えかけ、早く仕事を終えて楽がしたい一心で兄ちゃんは現実に目を覚ました」

 

 それはわかる気がする。何かひとつのことで必死になるということ。それがつまり集中力、そしてそれが精神力に繋がる。

 

「過去の話は聞いたことがないが、兄ちゃんはだいぶ平和な場所から来たんだな」

 

 見透かしたように言われる。ああそうだ。日本はすべてが安全で、安心で、集中力という人間に本来備わっている機能を余すことなく発揮できる機会などなかなか訪れない。

 それとは逆に紅魔の里のような、他に余計な情報も雑音もない田舎に暮らしているから、意識すればこの程度のちょっとしたトランス状態に容易に入ることができる。そして集中力は魔法に大きく左右する要素だ。紅魔族が修羅揃いなのは、遺伝だけでなく環境も関わっているのである。

 

「さて、無事に恐怖なんてすっ飛ぶくらいトランス状態に入ったところで、次の段階だ。これまでは準備運動、これからが本番。今の極限の集中力ならば組み上げられるだろう。一夜漬けでも頭の芯にまで染み込ませてやろうではないか! 兄ちゃんにしかできない、そして兄ちゃんらしい他力本願を極めたオリジナル魔法をな!」

 

 なんか俎板の上の鯉というか、改造趣味のマッドサイエンティストが立つ手術台の上の実験動物(モルモット)みたいな心境というのは言い過ぎだろうか。

 ああ、周りで貴重なまともなキャラだと思っていたけど、紅魔族でアクシズ教(変人にして狂人)だな――

 

 

 ♢♢♢

 

 

「俺はサトウカズマを知っている。新聞に散々取り上げられてたが、本当は弱っちい冒険者だ。前に王都での魔王軍との防衛戦でコボルトなんかに袋叩きにされておっ()んだのを見たことがある」

 

 酒場で、この街には見ないような新顔、余所者たちが同じ卓を囲っている。

 それは昔に駆け出し冒険者の街を卒業し、今は王都を拠点としている冒険者達。そして全員がひとりの男よりとある情報がもたらされていた。

 激戦区である新天地へと移ってから、あまり目立つ活躍もなく燻っている彼らの目には一様に粗暴な野心の光がギラついている。

 

「『創世の果実』……それさえあれば、俺も勇者候補の連中……あのミツルギキョウヤに負けない!」

 

「でもよ、サトウカズマはとっくに実を食っちまったら」

 

「大丈夫だ。奴は小心者だという話だ。現地(アクセル)で情報を集めたが、レベルの低い奴が食えば暴走しちまう『世界樹』の黄金の果実にビビって手が出せないに決まっている。けど、奪うなら早い方がいいな」

 

「それなら、奴のいる屋敷へ行かないか。不法侵入でしょっぴかれようが、実を腹の中に収めちまえば関係ねぇ。金を払うことになっても、超々高経験値食材の対価と思えば安い」

 

「おい、『盗賊』だからって抜け駆けするんじゃねぇぞ。それに、あのパーティはサトウカズマは雑魚でも他の三人は、紅魔族の『アークウィザード』、ダスティネス家の『クルセイダー』、それからアクシズ教の『アークプリースト』とヤバい連中ばかりだ」

 

「ああ、アクシズ教がいるんならやめておいた方がいいよな……この『アクセル』の領主でもある大貴族様にも不用意に喧嘩を売るべきじゃあない」

 

「けどよぉ、人間の限界を超えた絶対的な力が手に入ればそんな奴らも怖くないだろ」

 

「馬鹿野郎! お前はあの王都での魔王軍との戦いに参加していなかったから知らないみたいだが、大魔導師めぐみんさんの、逃げようとした敵の司令官を一掃した爆裂魔法の威力を直に拝んだことがないからそう言える」

 

「ああ、ありゃあ喰らったらひとたまりもねぇ……。それに噂じゃ魔王軍幹部の邪神との決戦では封印された本来の姿を解禁して無双したらしいぞ」

 

「それにダスティネス家の令嬢は、同じ魔王軍幹部の地獄の公爵の執拗な責め苦にも耐え抜いたって噂だ。あの王都の防衛戦でも一人突っ切ったあの勇姿は今でも語り草になっている」

 

「『リザレクション』も使いこなす『アークプリースト』もただもんじゃねぇって話だぜ。あの機動要塞『デストロイヤー』の結界すら打ち消したって」

 

 ゴクリ、と生唾を呑む音が異口同音。

 

「まあ、チャンスはある。情報を集めたが、サトウカズマは紅魔族の『アークウィザード』と爆裂魔法をぶっ放す日課があるらしい」

 

「何だか凄まじいが……しかしなるほど。爆裂魔法を撃って消耗したところであれば、大魔導師とて大した障害とはならない」

 

「それどころかお荷物になっているはずだ。あのときも、爆裂魔法で敵司令官を屠っためぐみんさんは力尽きて、自分では動くことすらできないようだった」

 

 狙うべき機は定まった。

 冒険者たちはお互いの顔を見合わせてから、揃って席を立つ。

 そう、全員が全員、欲しいのだ。

 故に今の冒険者たちには『サトウカズマ』は、カモネギ以上のカモに等しい。逃す手はない。そして、果実はひとつしかないのだから、他のライバルが抜け駆けしないようにこうして目を光らせる必要がある。

 協力関係を結んでいるが、競争相手。それが彼らの同盟であった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「――『エクスプロージョン』ッッ!!!」

 

 そして、望んだ好機が到来した。

 

 盛大に大気を震撼させる轟音。遠くからでも大変よく目立つその破壊力にゾッと胆が震えたが、一発限りと知っているのなら怖くない。

 臆病な『冒険者』は『敵感知』を習得しているという話だったから、距離を取って監視していたが、ああして仲間の魔法使いが動けないとあっては逃げるに逃げられまい。爆裂魔法が号砲であったかのように、冒険者たちは一斉にスタートダッシュを切る。

 相手が何かする前にこっちで制圧。そして、向こうに逃げ場などない有利な状況の中で確実に目当てのモノを頂く。

 

 そうして、魔法使いの少女を背負うサトウカズマは、息荒げに駆け付けた冒険者たちに囲まれた。

 

「おっと待ちなサトウカズマ、これから俺とお互いの望むものを賭けた決闘を受けてもらうぜ。わかるだろうが断らせねぇぜ。……へへ、先着順だ悪く思うなよ」

 

「ちっ」

 

 一番に名乗りを上げたのは、『盗賊』の男。

 冒険者の中で最も身軽で足が速かった『盗賊』は真っ先に回り込んでいた。これに他の冒険者たちはあまりいい顔をしなかったが、今はサトウカズマから果実を取り上げる事を優先すると感情を抑えた。

 

「もともとお前の過大評価にはムカついてんだ。『世界樹』の黄金の果実を食われて本当に強くなられちゃあ気に食わねぇよな」

 

 すでに勝ち筋は頭の中に整えてある。

 事前に集めた情報よりサトウカズマは卑怯な戦法を好むと聞いている。それも主に『盗賊』系のスキルを多用してくるという。

 故に何か仕出かす前に『スキル・バインド』で先手を打つ。

 『盗賊』も直接剣を交えるのが達者な戦闘職ではないが、流石にステータス最弱の『冒険者』には劣らない。スキルさえ封じ込めてしまえば、あとは短刀捌きで倒せる。

 

「本職の俺が盗賊の技ってのを教えてやる! その身体になあ!」

 

 舌で自分の唇を舐め回し、今か今かと逸る男。

 成金趣味か、首には緑色の宝玉をつけた首飾りを提げているこの格好の獲物を叩きのめしてやる。

 

 とこれを見て、背負われていた紅魔族の『アークウィザード』は、至極、残念そうに、思いっきり息を吐いてみせた。

 

「まったく予想通りですね。少しはあの男の計算を裏切るような真似ができないんですか」

 

 ややふらつきながらも背中から少女が降りて、そこで冒険者の中のひとりが何か違和感を覚える。

 

(あれ? こいつ思ったよりも慌ててないぞ?)

 

 酒場で聞いた噂では、こうして囲まれるだけで震え上がるようなビビり、牽制しようとダスティネス家が後ろ盾にあることを喚き散らしてくるかと思っていたが、変に落ち着いている。普通に『盗賊』の決闘を受けようとしている。

 たかがこの程度、こちらは何を気にする必要もないのだと……態度だけでそれを表すように。あまりに危機感のないサトウカズマの自然な振る舞いに、むしろ何かあるのでは……とかえって印象付けられた冒険者たちは自然と距離を開けていた。

 そういえば、『アクセル』随一の鬼畜男という話も耳にした。息をするように人にはできない真似を平気でする恐るべき相手だと、主に女性から聞かされていた。まさか俺達にも想像がつかないような姑息な手段を隠し持っていたりするのか?

 

「いいぜ、かかって来いよ。俺も誰かに試したい気分だったからなあ」

 

 決闘を申し込んだ『盗賊』は気づく。コイツ……王都でもそうお目にかかれない歴戦の老兵と対峙した時を思い出させる、何度も死線を超えてきたような、何というか凄みのある目つきをしていると。

 というか、死んだ魚のような目でへらへらと笑っているのは普通に怖い。

 

「調子に乗るな! ――『スキル・バインド』ッ!」

 

 速攻でスキル封じを決めた『盗賊』は短刀を引き抜き、一息に飛び掛かる。

 スピードならば戦闘職にも負けはしない、『スキル・バインド』はかけたが念のために、相手が何かしてくる前にやる。

 

 ――なんだ、あれ?

 サトウカズマは迫る此方に対し、その腰のショートソードと思しき得物には手をかけず、脇の腰元のベルトに挟まっていたそれを取った。筒に何か取っ手が付いているもの。玩具みたいだ。何かしらの魔道具かと思われるが、大して脅威には思えない。

 奴は短刀を振りかざすこちらにその玩具を向け――た途端、強烈な衝撃波に打ち据えられた。

 

 

 ズドンッ!!

 

 

「ぐあっ!!」

 

 猛牛のぶちかましにでも跳ねられたかのような勢いで『盗賊』の冒険者は吹っ飛んで、ピクリとも動かなくなった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 スキルを封じられたはずなのに、魔法のような何かがひとりの冒険者を倒す。

 矛盾しているようで状況が把握できない。しかしこれは想定以上だと、冒険者たちは警戒を高める。

 その反応に、へらへらへらと笑いながらサトウカズマは魔道具を持った手とは逆の手をかざし、

 

「面倒だ。まとめて相手してやる。本気を出せば凄いカズマさんがどれだけ恐ろしいか思い知れ――『マホトラ』!」

 

 それは初耳の、サトウカズマ独自のもの(オリジナル)と思しき魔法(スキル)

 何が来るかと全員身構えた……が、それも抜ける。油断ならぬ相手に緊張状態であったのに、脱力した。欠伸を堪えたり肩を落としたり地面に視線を落としたり、と急にテンション……やる気や精気やなくなる。

 

「な、なんだこの……魔力が吸われていく感覚は。ふあああぁぁ」

 

 瞼が閉じそうになっては手の甲で擦って堪え、頭を左右に振って懸命に耐える魔法使いの冒険者が状態を言葉にまとめてくれた。

 力が抜ける。まともに剣を握れる状態でないにしても、相手は所詮最弱職。コボルトに袋叩きされて死んだのだ。包囲して集団リンチすればいい。

 

「調子に乗るな! 『ファイアボール』!」

 

「――『クリエイト・アース』ーッッッ!!」

 

 『ウィザード』が放った中級魔法を防げる防御魔法なんてないはず。だったが、その小筒から今度は大量の土砂がドバッ! と吐き出された。

 

「ぬおっ!? ぐわっ、熱っ!」

 

 土砂に巻き込まれた冒険者たちが悲鳴を上げる。

 吸い取られそうになる魔力を振り絞って放った火の球は雪崩れ込んだ土砂に防がれ、それがまた他の冒険者たちに弾き返されたのだろう。

 ステータス最弱の『冒険者』、それも初級魔法。なのにこの半端ない土砂の量はどうなっている!?

 

「『マホトラ』!」

 

「あああああ!!?」

 

 ガクガクと膝が震えてとても立っていられなくなった魔法使いがその場に崩れ落ちる。

 

「『クリエイト・アースゴーレム』ー!!」

 

 ――土砂が蠢き、巨人と成す。

 

 『クリエイター』の土人形(ゴーレム)作成スキル。

 これは壁役にもなるゴーレムを造り出すスキルだが、その強度と規格、それから活動期間に比例して必要とする魔力は大きくなる。

 つまり、総量が少な過ぎる『冒険者』の魔力では、腰ぐらいの高さしかない弱いゴーレムしか造れないはずなのだ。

 

「……お、お前は……。『冒険者』じゃ、ないのか……」

 

 創り出されたアースゴーレムは、大柄な冒険者たち全員が見上げ、そしてその陽光遮り生じる影に軽く呑まれ覆われるほどの巨体。しかも、充溢した魔力が溢れ出すように真っ赤なオーラを放つ。

 『冒険者』では造り出せない、本職の『クリエイター』でもこれほどのゴーレムの魔力があるかどうか。

 まさにそびえる岩石の一夜城、『怒りの魔人』とも称するべき巨大ゴーレム。

 この立ちはだかる魔人ゴーレムの足の間から、サトウカズマは不敵に笑って、

 

「『冒険者』は、『冒険者』でも、『最強の最弱職』だ!」

 

「くそー!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「わははは! おいおい、もうへばったのか! だらしねぇな! 俺はもっと死ぬ気でクマから逃げ回ってたぞ!」

 

 話に聞いていたが、これは驚愕する。

 元々あの海での修行をする前からその下地が備わっていたととんぬらは言うが、これほど化けるとは……

 

 カズマの新魔法『マホトラ』。

 曰く、魔導を極めたアンデッド・リッチー固有のスキル『ドレインタッチ』に幸運補正の『盗賊』スキル『スティール』を組み合わせた……両方のスキルを習得できる『冒険者』にしかできないオリジナル魔法は、簡単に言ってしまえば、“遠隔ドレインタッチ”、“魔力体力を盗む”というような効果。

 あの隣国『エルロード』で体験した『カースド・スティール』より、“『窃盗』スキルに可能性がある”と気づいたとんぬらが考案した。そして、その発想を極限集中状態のカズマの頭に叩き込んだ。

 結果、あの緑色の宝石の首飾り――小型機動要塞の動力源として働いていたやる気を奪う魔道具を素材にして造り上げた――『グリーンオーブ』を補助具とすれば、あのような芸当ができるようになった。

 つまりカズマは相手を縛り上げてから接触するなんて手順を踏まずとも、視認、もしくは『敵感知』で捉えた対象より、魔力体力が奪えてしまう。しかも消費する魔力量よりも吸収する魔力量の方が多いため実質、魔力消費なしで、むしろ回復する(おつりがでる)というから制限がなく行使できる。

 ただ、それでも受け皿となるカズマの器、最大魔力の総量は低いため、奪えてもあまりが出ることになる……はずだったのだが、あの小筒型の魔道具――『魔弾銃』が覆す。

 

 神主一族が管理する『レールガン』、その構造を理解しているとんぬらが『マシンメーカー』なる『賢王』の錬金器具で造り上げた簡易版。

 基本魔法を圧縮して撃ち出すその魔道具は、『世界を滅ぼしかねない兵器』である『レールガン』ほどの破壊力は出せない、そこまで魔力を溜め込むことはできないそうだが、だからこそステータスの低いカズマでも扱うことができる。

 そも『レールガン』は一定量の魔力を注ぎ込まなければ使用できないという代物なのだが、それに要求される魔力量が半端なく膨大……アレを個人で使用できるのは母ぐらいだととんぬらは言う。

 なので、簡易版の『魔弾銃』は上級魔法を超えるほどの魔力量を注ぎ込めば壊れてしまうそうだが、発射制限はない。魔法ではなく単なる魔力でもとんぬらの無駄に器用な小技『真空波』のような魔力塊を弾にして撃ち出せるので弓代わりになるし、実際、『アーチャー』スキル『狙撃』の補正が効くそうだ。

 そして、上級魔法を操り強大な魔力を持つ紅魔族にはあまり必要のない代物なのだが、多芸であるが貧弱なカズマにとっては、複数回分の魔法魔力を溜め込んで(チャージして)一気に解き放つことでステータス以上の効果を発揮できる。

 遠隔攻撃の武器であり、低ステータスを補う魔法補助の杖代わり、それがあの『魔弾銃』。

 

 この新たな『魔法(マホトラ)』と『武器(魔弾銃)』は、最弱職(カズマ)を最強へと改革した。

 魔力を奪う魔法と魔力を溜め込める武器、これらを合わせたことで、“相手に魔力消費を肩代わりさせて強大な魔法を行使する”なんて他力本願極まる戦法が取れてしまえるのである。

 つまりあの挑戦してきた冒険者たちに猛威を振るっている『怒りの魔人』を造り上げた魔力のほとんどがあの冒険者たちから徴収したもの。カズマはその橋渡しをしたに過ぎないのだ。

 

(なんとまあ、カズマに似合う戦い方をこうも上手く編み出させてみせたものです)

 

 巨大ゴーレムを守護神(かべ)として冒険者たちの攻撃を受け、また振り払いながら、『魔弾銃』より『金縛り(スタン)』の呪いの魔力を篭めた魔力弾を撃って相手を無力化させていく。そして、魔力が足りなくなれば、『マホトラ』で補充し、これで相手へ消耗分を強いる形に。

 『クリエイト・アースゴーレム』は、成型するために最も魔力を使うことになるが、維持するにも必要なのだ。だから、『マホトラ』はほぼ常時行使中しているようなものであり、この魔力徴収はまず初見では対応できない、紅魔族でも一度受けて耐性作ってないと抗えないと考案者(とんぬら)が評するのだから抵抗できずに絞られ続ける。『逃走』、『潜伏』、『自動回避』と逃げ回ることに特化したスキル持ちのカズマを短期決戦で沈めるのは難しく、長期戦になればなるほど太刀打ちできなくなるのだ。

 加えてこの仕組みを知らないのだから、挑戦者たちは原因不明の体調不良に困惑し、そして、湯水のごとく魔力を使う最弱職らしからぬ魔法行使に只管混乱することだろう。

 

 決闘が始まってから、三分も経たず決着がついた。

 決闘を挑んだ冒険者たちに立っているものはひとりもいない。なんかもういっそ哀れだ。今後、この挑戦者たちから広まって、『最強の最弱職』に挑む輩は現れなくなるだろう。

 

「う、お……すご……。これ、俺が勝ったんだよな……」

 

 そう言った直後に、カズマががくりと膝をつく。

 決闘が終わった途端、カズマは全身にどっと汗を掻き、肩で息を切っていた。魔力体力は十分にあろうとも、常以上の集中力を発揮し続けたことが、よほど精神力を酷使したのだろう。その辺はまだまだ要訓練だ。

 けど、ひとりで決闘を制した。

 それが嬉しくもあるが同時に寂しくもあり、そして、見込んだ通りとなったことに悔しく思う。

 ああ、そうだ。

 父の魔道具を問題作品と見切りをつけていたこちらに対し、どうにか活用できる方法、生きる術はないかと考え続けた。つまり諦めなかった。

 そう、諦めることをしない生き方で、それをこれまで貫き通している。いったいどんな英才教育(スパルタ)を施されたというのか。きっと少しの甘えも許されないようなあり方を強いられて……

 

(あのぼっちな娘のことだけを考えてればいいのに。ええ、もう二度とこんなお節介な真似はやらせませんよ)

 

 遠方より、パーティのダクネス、それからアクア、決闘の始終を見守っていた二人も駆けつけるに合わせて、めぐみんもカズマの下へと歩み寄った。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「あれが、サトウカズマの実力か」

 

 冒険者を嗾けてみたが、そこそこはやるみたいだ。

 傍目では雑魚に見えるが、ああも強力な魔法を行使できるだけの魔力量を有しているとは人間にしては優秀だ。魔王軍の幹部たちとも渡り合っていると言うのは、あながちウソでもないのかもしれん……

 今も優先順位の変更を余儀なくさせるほど大した脅威ではないが、以前遭遇した時は、この手で特別排除する必要性すら感じられなかった。

 ――つまり、この短期間で化けたのは、『創世の果実』を食したということなのだろう。

 

「ふん……。だが、あの程度の人間でも力に暴走されないというのなら、俺も問題ないということだ。奪われた果実も毒見させたということにしておこう」

 

 強大な力を得るために手に入れたが、使えるかどうか不安があった奥の手。鍛えこんできたという自負があるので、そう易々とこの札に頼るつもりはないが、いざとなれば――

 

 

 ♢♢♢

 

 

 物事はそうそううまくは運ばない。

 強さを得るには何事にも代償がいるものだ。

 それが辛く苦しい修行という労力や、何かを犠牲にして得るお約束もある。

 

「この前の睡眠学習法の御代は、『世界樹の葉』をお裾分けしたことにサービスしよう。だけど、その『首飾り(グリーンオーブ)』と『魔弾銃』他諸々しめて五千万エリスちょうだいする」

 

 今回の場合は労力+お金であったという話。

 

「………………えー、と。とんぬら、桁一つ二つくらい間違えてない?」

 

「言っておくがこれでも結構身内割引を適応しているからな。『グリーンオーブ』の核は今のところひとつしか見つかっていない『賢王』の遺産を用いているし、『魔弾銃』は我が猫耳神社の特許でもある。材料も『吸魔石』の中でも特別上等な『聖石』を扱っている。きっと他所に見せてもこの見積もりは妥当どころか優しいと言われるはずだ」

 

 決闘から翌日……。

 有能な鬼教官としてでも親しい友人としてでもなく、魔道具店の販売員(バイト)としてやってきたとんぬらがニコニコと営業スマイルで、畏まったカズマのテーブルの前にすっと売買取引契約書を差し出す。

 挑戦者たちを圧倒した固有魔法にはこの首飾りの補助輪が必要不可欠である。そして魔法を撃ちだす銃なんてとても日本人の琴線に触れるし、何より自分に適している得物である。是非欲しい。昨日の一件で自信が持てただけに手放すには惜し過ぎる。

 

「五千万エリス……。……なあ、もうちょっと値引きでき」

「一括ではなくローンを組んでも構わないぞ。ただ『魔弾銃』は定期的にメンテで預けてほしい。一度につきこれも三十万エリスは頂く料金プランだ。ちなみに『鍛冶』スキルではメンテできないから自前で弄るのはやめておいた方がいい」

 

 しっかりと忠告してから、念を押すように、

 

「大変だろうが、一億エリス以上の借金を返済してのけた兄ちゃんなら支払えると信じている」

 

 信頼が厳しい! とカズマは頬を引き攣らせた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「……少しやり過ぎたか。しかし正直あれくらいが妥当であるのはウソではないし、こちらもお金は稼いでおかないと……」

 

 ここのところ冒険者稼業よりも商売に精を出している。『魔弾銃』やら『グリーンオーブ』を製作したのも、戦力不足を補い自信をつけさせる一環というのも確かにあるが、金稼ぎのためもある。

 ――ゆんゆんの誕生日までに払ってしまったものをできるだけ取り戻す。

 一男して、晴れの舞台に“お金がないから節約してくれ”なんて情けない極まる嘆願はしたくはないのだ。

 この最近、近頃多発していたモンスターの異常発生が止んだこともあって、とんぬらもこちらの方に集中することができていた。おそらくは『世界樹』のような神獣クラスのモンスターの到来に、他所から住み着こうとした魔獣らが一斉に逃げ出したんだろう。

 おかげで『アクセル』近辺の生息域は以前と同じように、駆け出し冒険者達でも安定して狩りができるようになっている。新人冒険者らの稼ぎ時に自分が割って入るのは遠慮しておかねばなるまい。

 

「兄ちゃんらから分けてもらった『世界樹の葉』……これを『シャナク魔法台』にてより純度の高いポーションを精製して……そうだな、いくらかお返しに贈ろうか」

 

 今後の予定を思案しつつ、とんぬらはウィズ魔道具店の扉を開けて、中へ。

 

「とんぬら君、おかえりなさい」

 

 隠しダンジョン並みの伏魔殿と化している魔道具店にはレジの上で何やら検品しているウィズと、それに商品を並べているゆんゆん、そして、悪魔……仮面のではなく、着ぐるみ――

 

 

「おお! 星五つ! バニル様ではないが、君にもお願いが――ピャアアアアアアアー!」

 

 

 がいたので、条件反射的に『退魔の太刀』を抜刀して、問答無用で突き刺した。

 ペンギンみたいな着ぐるみ、その肩口目掛けて突き出された太刀に串刺しにされ、標本の如く壁に縫い止められた。

 

「おい。何しに来たゼーレシルト? まさかまたゆんゆんに近づいてよからぬことを企んでいるんじゃないだろうなあ!」

「とんぬら、落ち着いて! そうじゃないから! 私大丈夫だから!」

 

 そのまま中身に鉄扇を突き入れて、とびきり聖水仕様の水芸でもって水責めを実行しかけたとんぬらであったが、背中に抱き着かれたゆんゆんに止められた。

 この隙に、トカゲのしっぽのように貫かれた箇所の着ぐるみを千切って脱した悪魔は、ウィズの背後に隠れる。ガタガタと震えながら、

 

「そうだもっと言ってやってくれ娘よ。私は恥辱や屈辱、劣等感が好きなだけの、いたって善良な悪魔であると!」

 

「ふざけるなよ。たとえゆんゆんが許そうが、俺の嫁に呪いをかけた悪魔を俺が許すとでも思うのか?」

 

「お、俺の嫁!?」

 

 カッと血が昇って興奮気味のとんぬら、その発言にポンッと沸騰したゆんゆん、そんな冷静でない二人だったが、間に入っているウィズがまあまあと宥める。

 

「とんぬら君が怒るのも無理はありませんが、先程ゆんゆんさんも謝罪を受け入れましたし、話くらい聞いてあげたらどうですか? バニルさんのお知り合いの方みたいですし、そう悪い悪魔ではないと思います」

 

「マネージャーと同じくあまりいい趣味とは思えませんが……これでもそれなりに善政を敷いているこの国の貴族、それに爪をご提供いただいた。ゆんゆんが気にしないというのなら、ウィズ店長の顔に免じて、この場では俺も矛を収めます」

 

 はあ、と息を吐く。

 そこの悪魔に対する怒りはまだ燻っているが、ウィズにそう言われれば渋々ながら刀を鞘に納める。

 これを見て、着ぐるみは未だウィズの後ろに隠れつつも切実に訴えた。

 

「君が喚び出した女神エリスのせいで大変な目に遭っている!」

 

「はい?」

 

「あれからも毎日のように我が城に襲撃を仕掛けては残機を削っていくのだ! それも一昨日には城全体を覆う強力な悪魔払いの結界を張られて、城が住むに住めない聖域となっている!」

 

 これは凄まじいというかなんというか……。

 悪魔にとても容赦ない女神様であると話に聞いたことがあったが、ここまで執拗に悪魔を滅してくるとは思っていなかった。

 

「おかげで、僅かばかりの残機と財産をもって夜逃げするしかなく……なあ、本当に謝る。この前も謝ったが、本気の本気で謝罪するから! この通り! 君が召喚した女神エリスを天界へと還してやってほしい! 悪魔である私は冒険者に攻撃されるのも仕方ないと割り切っている。襲撃を受けたことに関して文句は言わん。しかし、女神を引っ張り出してくるのは反則だろう!」

 

 屈辱恥辱劣等感が好物の高位悪魔が、人間に対して土下座。床に頭をするくらい深く深く下げる。

 これにはとんぬらも目を見張って、頬を掻く。なんとなく子供の喧嘩に親を呼び出す喩えは女神様に対して不遜かもしてないが、その訴えにも一理あると思わざるを得ない。

 

「なるほど事情は把握した。しかし、そういわれてもだな。俺としてはもうすでに女神エリス様は還したはずなのだが……どうやらこれは目を付けた高位悪魔(あんた)を狙って自ら地上に降りてきていると思われる」

 

 といってもこれはどうしようもない。女神エリスがこれほど悪魔狩りに精を出される御方だとはとんぬらも予想外である。

 無情にそう告げてやると、着ぐるみは店の床にぺたんと座り、肩を落とした背中より哀愁を漂わせる。

 

「そうかあ……。あの城は気に入っていたのだが、諦めるしかないかあ……」

 

「……それで、あなたはどうするんですか?」

 

 この反応、傍目では可愛らしいお人形が消沈する様に同情が湧いたのか、ゆんゆんが訊ねる。

 

「実はこの街で、バニル様が経営を始めたカジノ店があると聞き、ボーイ兼用心棒として雇ってもらおうかとも考えていたりする。いやなに、領地を回してそれなりに経営には自信はあるつもりだし、そろそろ新しいことをやりたかったからね。博打に破産した客からはきっと、私の好物である屈辱の悪感情が得られると思うんだ。良い潜伏先だとは思わないか……?」

 

「やはりコイツはエリス様の前に突き出してやったらいいんじゃないか」

 

「やめたまえ! いえ、やめてください!」

 

「だったら、あまり調子に乗るな」

 

 しかし、まあその新天地にもまた女神様はいらっしゃるし、一戦を交えたダスティネス卿と交渉しなければならないだろう。だが、高位悪魔にとっては公爵級の最上位悪魔の庇護下に入れるチャンスもある。

 その辺はとんぬらにはどうでもいい。同情はしないが、干渉もしない。正直言って、あまり関わりたくない。ここで働かず他所へ行くというのならそれで構わない。とりあえずゆんゆんの半径十m圏内に入らせなければそれで。

 

「それでだね。バニル様にお目通りを願おうと、営んでいると聞いているこの店に、夜逃げの時の持ち出した数少ない貴重品を手土産に献上しに来たのだよ」

 

「はい! どれも中々の魔力が篭められた逸品揃いですよ! 効果はわかりませんが、とても興味深いです! ……ですが、こんなにタダでもらってもよろしいのでしょうか?」

 

「ええ、ええ構いません。むしろこれ位しか捧げられずに申し訳ないくらいで」

 

 ウィズ店長のご機嫌取りして、バニルマネージャーの印象を良くしようとしているのだろうか? いやしかし、それはあまり効果が望めないと思うが。

 にしてもだ。

 

「……なんだか、ウィズ店長が気に入るとかあまりいい予感がしないんですが」

 

「もう何ですかとんぬら君! 私の目利きが信用できないんですか!」

 

「ええ、ある意味で信用していますよ」

 

 ぷんぷんと腹を立てるウィズ店長であるが、これまでの前科からして前言撤回はできない。バイトはついっと視線を逸らす。

 『悪趣味な悪魔が蒐集していた物品+呪われた商才を持つ店長が目を輝かせている』という足し算から導き出される答えに、安心できる要素があるわけがない。どちらもマイナスを足し合わせたところで余計にマイナスになるだけである。

 この長い付き合いの少年の芳しくない反応をあまり面白くないお姉さん店長は、ひとつのアイテムを取り上げて、おすすめする。

 

「これなんかとんぬら君にピッタリじゃないですか?」

 

 ウィズ店長が両手でもってバンと突き出したのは、本。魔法の効果が篭められている魔導書だ。もしやここに紅魔族の感性を刺激するような古代魔法とかが秘められていたりするのか。そんな期待を抱いて、とんぬらは問いかける。

 

「ウィズ店長、それは一体……?」

 

「『甘えん坊辞典』です!」

 

 一抹の期待は、さぁっと風に流された。

 

「はあああああ~~……」

 

「なんかもの凄い溜息を吐かされてますけど、この本はとんぬら君には必要です! 是非とも呼んでほしいですね」

 

 冗談などではなく真剣に勧めているのはこれまでの付き合いでわかる。

 でも、そんな怪しい魔本はどうして自分に必要なのだ? とんぬらは自分としては、それほどひねくれてるつもりはないのだ。

 

「……うん、私もとんぬらには必要と思います」

 

「え、ゆんゆんまで!?」

 

 ここでまさかの援護、いや、フレンドリーファイア。

 ウィズ店長の選ぶ商品の問題っぷりは彼女もご承知のはずなのに。

 ゆんゆんは指と指と付き合わせながら、ぽつりぽつりと、

 

「だって……私としてはもっととんぬらに素直に甘えてほしい、から」

 

 そりゃあ……少しは難解な性格をしているとは自覚しているが……

 

「はい、どうぞとんぬら君」

 

 にっこりとウィズ店長より本を手渡しされる。

 

「ああもう……わかったわかった」

 

 ウィズとゆんゆん、それからゼーレシルトからも視線が集められるとんぬらは、この場の空気を読んで渋々ながら魔本『甘えん坊辞典』を開いた。

 

「魔導書といえど、ただ読んだだけで人の性格に影響を及ぼすはずが――」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「――なぁーなぁー、もっとぎゅっとしていい、ゆんゆん?」

 

 

 それは、俗にいう猫(系男子)が犬(系男子)へと遺伝レベルで劇的ビフォーアフターするような変化であった。

 

「…………支払いの件について店にやってきてみれば、バイト中に抱き合っているとかあなた達は一体何をしているのですか。ふざけているんですか」

 

 魔導書を読み上げてから十分後。

 バッタリと居合わせてしまっためぐみんが、凍り付くような声で詰問した。

 ゆんゆんの目には自身よりも低身長であるはずのめぐみんが炎を噴くような怒気のせいで店の天井に頭を擦りつけるくらい身体が大きく見えた。

 

「ふえ、めぐみん!? えと、これは、違うの! とんぬらはそのね!」

 

「それから、よしよしもしてほしいなー」

 

 しかし、そんなのおかまいなしにじゃれつく彼。スリルと嬉しさ、このハプニングのサンドイッチにゆんゆんは顔どころか全身が赤くなって、心臓がエクスプロジョって死んでしまいそうだった。

 とにかくこの時は同じく目と体を真っ赤にしてお怒りのめぐみんに圧されたか、ゆんゆんの中の常識が勝った。

 

「とんぬら、ほら、周りが見てるでしょ。だから、離れてて」

 

「え、ぎゅっだめなの……ゆんゆんから離れなきゃならないなんて……うう、何だか泣きそう……」

 

「………」

 

 しかし、それはすぐに逆転される。

 もうこんな零距離(べったり)なとんぬらは一生見られない、自制心が鋼の如く強靭で一線は踏み越えずずっと適度な距離感で我慢してきたし、こちらも我慢してきた……この時だけかもしれない貴重な体験。

 本当に潤目になるその表情を――思わずきゅんと疼いてしまったそれを――窺いながら押し黙ってしまったゆんゆんは、ふと思う。

 今、今は、誘惑に負けても良いかもしれない……と彼女の華奢な喉が、生唾を呑み込んだ。

 

「もう……冗談だって……そんなによしよししてほしいの……?」

 

「うん」

 

「ほら、今してあげるからそんな泣きそうな顔しないで……ね?」

 

「やったー!」

 

「はーい、よしよし、とんぬらー、いいこねー。ふふっ」

 

「はぁ……ゆんゆんのよしよし大好きー」

 

 弱り顔であやすゆんゆん、しかし面に出さずに堪え隠そうとしている、だらしなく緩んだ満面の笑みが透けて見える。

 そして、その母性たわわな胸元に仮面を埋めるよう抱き着いているとんぬら……。

 

 まったく最高に憎たらしくて、更に憎たらしいことに一種の天才だと評価せざるを得ない――そう思わされた相手が昨日の今日で……

 

「……なんかもう私が泣きそうです」

 

 本当に、奇跡魔法の使い手(とんぬら)人間予測不能(パルプンテ)である。

 つぅっと頬を涙が一筋伝う。ダメだ、見ていられない。めぐみんはこの光景から顔を背けるのだが、スライドした視界には、店の棚の近くで、魔道具店のマネージャーを務めているバニルが口元に手を当てて――ただしこちらが必死に堪えているのはめぐみんとは別の理由であるが。

 

「ダ…ダメだ……まだ笑ってはならん……堪えるのだ」

 

 未来視もできる仮面の悪魔は、大して心配していない……体がふるふると微振動している。それでその前には、ペンギンの着ぐるみが平伏しており、

 

「うむ。ゼーレシルトよ。商品には売れんが、とても面白いものを贈ってくれた。感謝しよう」

 

「勿体なきお言葉! バニル様に喜んでいただいて何よりです!」

 

「我がカジノで働きたいとのことだったがよかろう。しかしこの街には我らが宿敵である狂犬がうろついている。我輩がいないところで遭遇したら残機はないと思え」

 

 一方で、レジカウンターではあわあわと何やら本をひっくり返したり逆さまにしたりと隈なく見分しているウィズ。

 

「効果はばっちしだったんですけど、効き目があり過ぎたというか……!? 『甘えん坊辞典』の解除法はどこに書かれて……」

 

 おそらくめぐみんと同じくどうにかせねばと動いてくれているのだろう。

 おかげで店に入ってから一分も経過しないうちに、異常事態の原因にも予想がついた。精神衛生上、事態を一刻も早く解決したいめぐみんは、応援を呼びに踵を返していったん屋敷へと帰るのであった。

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 睡眠学習(修行)法:うたわれるものの夢幻演武を参照。それから出題された質問は、ドラクエⅢのオープニングの性格診断を参照。

 心理テストみたいな質問(“はい”か“いいえ”の二択式)を答えていくと、最後の質問で様々なシチュエーションをやらされる。

 村で爺さんに盗みを唆されたり、

 砂漠で苦難に見舞われた二人の旅人の死活問題への質問を答えさせられたり、

 魔物になって姿に怯える人々を襲ったり、

 劇場で男から踊り子と結婚することをちゃんと約束したかどうか当人に確かめに来てほしいと頼まれたり、

 塔で勇気を試させて飛び降りを促されたり、

 洞窟で分岐点で立て札に従うか宝物を取るか人を助けるかと判断を試されたり、

 城にて隣国に攻められる前に攻め込もうとする王を諫めるか従うかの反応をみられたり、

 それから 森で岩運びをどれだけこなすか。

 今回出した岩運びは、二回未満は性格が“怠け者”。ちなみにお金がもらえるが夢の中なので、所持金ボーナスとかない。

 

 マホトラ:ドラクエに登場する魔法。『魔法使い』と『盗賊』の職歴技でもある。唯一のMP(魔力)無消費の魔法。

 作中では、『ドレインタッチ』と『スティール』の合わせ技。魔力と一緒に精気……テンションも強奪するので『タメトラ』の要素も入っている。

 それと『グリーンオーブ』は、ドラクエⅪに登場して、『ギガ・マホトラ』を発動するためのボス使用アイテムで、作中ではドラクエⅨの秘伝書みたいな扱いになっている。

 また、漫画スライムもりもりでは、『カッテーニ・ミナデイン』という魔力を強制徴収して放つという派生技もある。

 

 怒りの魔人:ドラクエⅧに登場する合体モンスター。燃えるような赤いオーラに身を包んだ巨大ゴーレム。ゴーレム系モンスターでモンスターチームを揃えると発生する連携(合体)技。ボスクラスにも匹敵する桁外れなパンチ力。しかも会心率が高め。

 作中では、『クリエイト・アース』+『クリエイト・アースゴーレム』。

 

 魔弾銃:漫画ドラクエダイの大冒険に登場する飛び道具。万能人な人間の勇者様が、『銃』についての噂と書物だけで作り上げたものであり、魔法の弾丸に呪文を篭めることで遠距離に発射することができる。スマホゲームにも登場したが扱いは『弓』になる。

 この武器の弾丸の先端には魔法力を蓄積する力がある『聖石』という宝玉が使われており、ただしあまりに過剰な魔力を篭めると壊れてしまう。銃の構造は手先が器用な発明家から『これを作ったものは天才じゃよ』と修復できなかった。

 作中では紅魔族の『レールガン』の簡易版。

 

 甘えん坊辞典:ドラクエⅢに登場する性格を変える本。人に嫌われない甘え方や、母性本能をくすぐる方法などが身につき、性格が甘えん坊になる。ちなみにドラクエⅢの性格改変本の中では、唯一の一点もののレア本である。




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