この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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連続投稿です。


101話

「このっ! どうしてこの指輪は外れないんだ!」

 

 ガンガン! と盆暗な人間の王子がテーブルに指輪を叩くも、取れることもなければ壊れることもない。お抱えの魔導士や学者らも皆揃って首をひねっている。

 実に愚かだ。あの指輪の材質は魔竜の骨。人の力で破れるものではない。

 

「おい、ラグクラフト! これは一体どういうことだ! なんで外せないんだ!」

 

「申し訳ございません、レヴィ王子。どうやら外すには手順があるようでして。……最も魔力が高まる満月の夜にしかとれぬ仕組みです」

 

 指輪は、満月の頃に最大の力を発揮できる。

 その時こそ指輪はその真価……“指標”としての働きを果たすであろう。

 私と同じ……この国に不遇な目に遭わされた復讐者が覚醒するのだ。

 

「どうか、それまで、お待ちくださるよう……」

 

「ぐぬぅ……」

 

 そして、その時に盆暗な王子は、解放されることになる――

 

 ………

 ………

 ………

 

「それで、だ。ラグクラフト……毎朝手に入るこの男性下着(トランクス)は誰のなんだ?」

 

「それは、私にもさっぱり……本当に、どういうことやら?」

 

 王子の自室、そのベッドの上には今日も誰とも知れない下着が何と三枚も並べられている。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 これは、奇天烈な物語――

 駆け出し冒険者の街『アクセル』。そこに奇怪な巡り合わせで集った冒険者たちの物語。

 力を合わせて襲ってくる魔王軍の幹部を次々と倒してきた伝説を(なるべく)忠実に再演する舞台!

 それは、轟く爆発音を開演の狼煙に始まった。

 

 

「『毎日毎日毎日毎日っっ!! 俺のの城に、毎日欠かさず爆裂魔法撃ち込んでいく頭のおかしい大馬鹿は、誰だあああああああー!!』」

 

 ゴオッ! と大剣を空気が震え走るほど力強く振り回す首無し騎士。

 その左腕には頭を模したボールが抱えられて、頭まですっぽりと上半身を呑む黒鎧の胸元には外を視認できるよう穴がある。

 

『彼の名は、ベルディア。数多の勇者たちを屠ってきた“チート殺し”と恐れられる魔王軍の八大幹部の一角。圧倒的な剣技を誇り、アンデッドの無尽蔵な体力と強力な魔法抵抗力を持ち、一定期間後に呪い殺せる死の宣告を放つデュラハン。

 ベルディアはベルゼルグ国内で魔王城から最も遠い街『アクセル』まで大軍を率いてやってきて、とある古城を占拠してしまいます。遠征での道程は、地図上の直線距離にしてこの隣国『エルロード』にまで届きうるほどでした』

 

 人の注目を浴びない裏方から説明するナレーター役の少女が状況を朗々と読み上げていく。

 

『高レベルの勇者ですら敵わないデュラハン・ベルディアに、駆け出し冒険者の街『アクセル』の冒険者達は勇敢にも立ち向かいました。その中でも真っ先に声をあげたのが――』

 

「我は紅魔族の者にして、爆裂魔法を操る者……!」

 

 街を襲うデュラハンの進撃に応じて、颯爽とマントを翻して参上するは、眼帯をつけた魔法使いの少女。

 アイドルの経験があってか、舞台上でも気後れすることなく声を張り上げる。

 

「我が爆裂魔法を放ち続けていたのは、魔王軍幹部のあなたを誘き出すための作戦……! こうしてまんまとこの街に、一人で出てきたのが運の尽きです!」

 

『彼女の名前はめぐみん! 対魔王軍兵器として生み出された紅魔族随一の……天才で、人類最強の攻撃手段である爆裂魔法を操れる、『アークウィザード』です。その優れた頭脳で、見事に……魔王軍から幹部ひとりを誘き出しました』

 

 若干言い難そうにしながらも真面目に台本に書かれたナレーションが読まれるや、次の場面に入る。

 

「『ほう、紅魔の者か。この俺に策をかけるとは猪口才な。しかし所詮は駆け出し冒険者の雑魚が屯っている街。数多の勇者をあの世に送ってきた魔王軍の幹部のひとり、このベルディアには貴様ら弱者が何人とかかろうと滅ぼせるわ! さあ、誘き出したことを後悔するがいい!』」

 

『ベルディアへ血気盛んな冒険者の一パーティが一斉に切り込みます。しかし――!』

 

 舞台上に現れた――現場鋳造された――氷の像が襲い掛かってくるも、首無し騎士は片手持ちの大剣を振り切った剣舞で氷像を粉砕し派手に散らす。

 

「『フハハハ! 相手にならんな! そうだ、ここはひとつ、紅魔の娘を苦しめてやろうかっ!』」

 

 剣を床に突き刺してから自由にした右手の人差し指を、魔法使い役の少女へ突き出し、叫ぶ。

 

「『汝に死の宣告を! お前は一週間後に死ぬだろう!!』」

「――危ない、めぐみん!」

 

 そこへ咄嗟に駆け付けたのは、金髪の女騎士。

 仲間の魔法使いの襟首を掴み、自分の背に隠す。

 相手の右手人差し指から放たれた黒く色付かせた魔力塊を、自ら盾となり受けた。

 

『デュラハンの恐るべき『死の宣告』より、めぐみんを庇ったのは、ダクネス。『ベルゼルグ』王家に仕える『盾の一族』である『クルセイダー』で、めぐみんとパーティを組んでいます。彼女は誰よりも先頭に立ち、身を呈して皆を守ります』

 

 呪い(っぽい魔力弾)から身代わりになった女騎士へ駆け寄る魔法使いの少女。

 

「なっ!? ダ、ダクネス!? 大丈夫ですか?」

 

「何ともないのだが……(少々物足りないくらい、もっとリアルに痛いのが来ると……)」

 

 何やらぼやきつつ、女騎士は自分の両手を確認するかのようにワキワキと何度か握る。

 いまいち実感が湧かない様子に、デュラハン役は勝ち誇ったように宣言する。

 

「『その呪いは今は何ともない。若干予定が狂ったが、仲間同士の結束が固い貴様ら冒険者には、むしろこちらの方が応えそうだな。……よいか、よく聞け! このままではその騎士は一週間後に死ぬ。ククッ、お前の大切な仲間は、それまで死の恐怖に怯え、苦しむこととなるのだ!』」

 

 高笑いと共に告げる語りは、観る者たちの顔色を蒼褪めさせていくほどに迫力があって、それを助長するかのように、女騎士役が慄き叫んだ。

 

「な、なんてことだ! つまり貴様は、この私に死の呪いを掛け、呪いを解いてほしくば俺の言うことを聞けと! つまりはそういうことなのか!」

 

 なんて卑劣な! と観客たちは目を瞠る。

 

「くっ……! 呪いぐらいではこの私は屈しない……! 城に囚われ、魔王の手先に理不尽な要求をされる女騎士に定番なシチュエーションでも、私の心は決して貴様に服従しない!」

 

 大衆の前で変質者呼ばわりされる……公開処刑な目に遭っているのは、どちらかと言えば、デュラハン役である。

 そして……

 

『そう、めぐみんとダクネスには……えと、女神のような『アークプリースト』がついていました』

 

 役者から注文つけられ、研削した台本を読み上げて、

 奮起する女騎士役に応じるように、光と共に参上するのは、見目麗しい青髪の女僧侶。

 

「ロリコンでホモでノーパンで、アブノーマルプレイを好む大陸一の変態な魔王の手先に負けちゃダメよダクネス!」

 

 ――『セイクリッド・ブレイクスペル』!

 高らかに唱えた神聖魔法をその身に受け、女騎士が淡く輝きだす。

 

『なんと! 水の女神と同じ名である『アークプリースト』アクアの魔法は、上級アンデッドの呪いさえも祓ってみせます』

 

「『ぐっ……まさか、俺の呪いをこうも容易く消してみせただと……!?』」

 

 デュラハン役、僧侶役の口上に若干引っ掛かり、胸を押さえつつも台詞を述べる。

 

「この私にかかれば、デュラハンの呪いの解除なんて楽勝よ!」

 

「うむ、助かったアクア。――では、今度はこちらからいくぞ!」

 

 復活した女騎士は剣を抜くと正眼に構えて、首無し騎士へと駆けだした。

 

「『ほう! 俺を恐れずに来るとは潔いな聖騎士よ! ならば、それが蛮勇でないとその剣で示してみるがいいっ!』」

 

 (勝手に外れる)女騎士の剣と、(自ら剣を合わせにいくように)迎え撃って殺陣を演じる首無し騎士。

 しかし、形勢はデュラハン役の方が有利であり、徐々に打ち合いは女騎士が押されていく展開になる。

 

「『ククッ、どうしたどうした聖騎士よ! 守るばかりで一方的ではないか! 勝ち目のない戦いに身を引くのが賢明ではないのか?』」

 

「騎士として、背に庇う者たちを見捨てることなどできん! 絶対に!」

 

「『では、こちらも少し本気を出してやろう』」

 

 打ち合いを避けられ、空振った女騎士の剣が地面を叩く。一旦下がって間合いを取った首無し騎士が、ポーン、と頭パーツなボールを高く真上に放った。そこで初めて大剣を両手で構える。

 

『魔王軍幹部ベルディアは、剣の達人、そして、相手の動きを見切ってしまう魔眼を持ち、隙のない強敵です!』

 

 鎧籠手の下に嵌めた魔法の腕輪の倍速補助効果が働き、急加速。頭のボールが落下するまでに、女騎士の剣へ巻き上げるように大剣を振って弾き飛ばす。

 そして、落ちてくるボールを頭上でキャッチせんと左手を天に掲げて、再び右手持ちに戻した大剣の切っ先を、身を守る剣を無くした女騎士役に向ける。

 

「『意気込みだけは立派だが、俺は仮にも魔王の幹部。レベル差というヤツだ。もう少しお前との力の差がなければ、危なかったかもしれないが――』」

「まだだァ! 剣なくともこの身こそが盾だ!」

 

 怯まず、重い剣を捨てた分だけ身軽となった女騎士は、一太刀を浴びせられながらも強引に、首無し騎士に向かって肩口から体当たりをかます。

 思わぬ反撃にたたらを踏んだデュラハン役は、落下地点から外れ、落ちてきた(ボール)のキャッチを失敗してしまう。

 

「『くっ、俺の首が……っ!』」

「今だめぐみん!」

 

 転々と遠ざかっていく(ボール)に、手を伸ばしながらもよとめく首無し騎士。

 この女騎士が作ったチャンスに、仲間の魔法使いは杖を、

 

「ぐぬぅ……やはり、ここは本物の爆裂魔法を……」

 

 構えるのだが、何やらとても不服そう。

 

『ベルディアの豪剣に斬られながらもダクネスは必死にしがみつき、仲間の魔法使いは彼女が作ってくれたこの千載一遇の好機を逃しませんっ!』

 

 けれど、舞台裏方で朗読を読み上げるナレーター役の少女が必死にカンペを叩きながら、“めぐみん、劇に集中して!”と口パクで叱咤すれば、渋々、眼帯を外し、ポーズをとった。

 

「魔王の幹部よ! 我が力を見るがいい! 『エクスプロージョン』――ッ!」

 

 詠唱を合図に、デュラハン役が、黒い鎧に予め貼ってあった黒色に染色した“聖水に触れると爆発するポーションを染み込ませた起爆札”を起爆させて、派手に炸裂。

 瞬間的な鋼化魔法をかけて、自身の身を守ったものの、首無し騎士の鎧は弾け飛んだ。

 

「『ぐああっ!? 魔王様から加護を施された鎧がっ!』」

 

『めぐみんの爆裂魔法を受けて尚、消滅しなかったベルディアでしたが、その身をアンデッドの弱点である神聖属性の攻撃をほぼ無効化にする『吸光鉄』の鎧は破られました。そして――!』

 

「さあ、観念しなさい、魔王の幹部にして、不浄なアンデッドよ! ――『セイクリッド・ターンアンデッド』!」

 

「『ぐああああああ――っ!!?』

 

 最後は、プリーストの神々しい浄化魔法が放たれて、決着がついた――

 

 ………

 ………

 ………

 

「次回は全てを見通す大悪魔との激闘を再現した『仮面に囚われた聖騎士 ~私に構わず撃て! ~』をお送りします。今日と同じ時刻に開演する予定ですので、よければ来てくださーい!」

 

 エルロード王都の広場。そこへ、設えた舞台で繰り広げられる劇。

 『わかった。『ベルゼルグ』からの交渉役はその二人に限定する『エルロード』の要求を呑もう。しかし俺も芸を嗜む者。代わりと言っては何だが、姫殿下の交渉期間の合間、この道化師に披露する場をくれまいか。じゃないと暇を持て余してこちらに顔を出すかもしれん』という交渉(脅しではなく)の結果、王子よりもめでたく許可証を頂いた。

 暗に“何をしでかすかわからないアクシズ教や紅魔族から目を離してもいいのか?”と訊ねていたのだが、そう考えるのなら芸をすることくらい好きにしろと言ったところであろう。

 しかし、芸を侮ることなかれ。

 “アイドル”の一件で、エンターテインメントは民衆の心をとても扇動することをとんぬらは知った。むしろこの戦事とは縁遠い平和な『エルロード』、余裕のある環境においては勇者よりもこのような娯楽の方面からの方が人々に広まり易い。

 

 そして、劇も、多少脚色し事実とは異なる部分もあるが、大筋は間違っていないので、ノンフィクションだと通せる内容。実体験をなぞっていることから、練習もそう必要がなかった。

 

「紅魔族って、すごく賢い連中だって話に聞いたことがあるけど、魔王軍の幹部をも策に嵌めるなんて……!」

「ふっ。紅魔族随一の天才たる我が智謀にかかれば相手が誰であろうと掌の上と変わりません。それから、本物の爆裂魔法はあんなしょっぱいモノじゃありませんよ! 道具に頼ったパチモンなんですから、勘違いしないでくださいね!」

 

「あんな大剣に立ち向かえるなんて、とても勇敢なんですね! 仲間を守るために我が身を盾にするなんて……! 『ベルゼルグ』にはこんな騎士様がいるのか……」

「うむ。私ができるのは皆の盾となり、率先してヒドい目に……じゃなくて、誰かの壁となり守る事なのだ。いつも仲間たちの分も請け負う気持ちで戦いに臨んでいる」

 

「デュラハンの呪いを解いて、成仏させてみせたなんて、本当なんですか!?」

「ええ、本当よ。私にかかればあんなのちょちょいのちょいよ! なんてったって、この私は正真正銘水の女神……「(アクア様)」……みたいに神々しい『アークプリースト』なのだから。(そうね、民衆ウケするミステリアスな雰囲気を出すためにも正体バレはよくないわね)……この力の秘訣をもっと詳しく知りたければ、アクシズ教に入会して……」

「申し訳ありません、握手する時間は制限がございますので次の方どうぞ」

 

 一部フォローが入るところはあるけれど、アイドルの時のノウハウを活かして握手会を劇の終わりに開けば、メイン三人の前には長蛇の列が出来上がる。

 めぐみん、ダクネス、アクア、見た目は、満点な美女美少女であるのだからその人気に拍車をかけた(それにこの隣国にまで『アクセル』での悪評は届いていないからなおさら)。

 

(王城内での派閥は、断交を主張する宰相派が幅を利かせていて、王子の鶴の一声でもない限り決定事項と覆しようがない。でも、何も相手の土俵でやり合うことはない。盤外戦術でもって、交渉を有利に働かせることもある)

 

 握手会の列整理をする、交渉役で劇監督で脚本家で敵役から特殊演出と八面六臂に働いていたとんぬらに、ゆんゆんが隣りに寄って袖を引いた。

 

「ねぇ、とんぬら」

 

 彼女も彼女で、演技中に役者に陰で台詞を教えたり、舞台進行のナレーターを務めた裏方で秘書役のプロンプターをこなしていた(『アルカンレティア』にて女優もやっていたのだが、あのような注目を集めるのは恥ずかしいので)。

 

「これって本当に良いの? 何だか扇動してるみたいなんだけど……」

 

 若干気後れするやや俯いた眼差しでゆんゆんの内心を悟ったのだろう。とんぬらはふてぶてしい笑みを浮かべた。いささかならず、わざとらしいくらいに。

 

「してるも何もそうしている。兄ちゃんと姫さんらに本丸な王子のお相手を任せているんだから、こっちはこっちで外堀をどうにかせんと画策するって話だったろ」

 

「うん。でも……」

 

「ゆんゆんの危惧する通り、悪目立ちしているだろう。でも、問題はあるまい。問題視されようとも、演出の範疇で脚色を加えているだけで、話の大筋は変えていないのだから、劇自体に文句のつけようはない。それになんせ宰相らの首脳陣は、魔王軍との結託を表明することはできないんだからな」

 

 何故ならば、“魔王が人類の敵”だというのは、『ベルゼルグ』や『エルロード』だけでなく他の国々にも各国共通しているのだから。

 魔王が途轍もないアブノーマルな変態だと、アクシズ教が広げた噂をすんなりと信じてしまうくらいだ。

 これに名誉棄損だと訴えれば、“なぜ魔王を庇うのだ?”と突かれる点ができてしまうし、民衆は納得しない。それに他国も『エルロード』を“人類の裏切り者”などと誹ることになろう。

 

「だから、表立っては国家運営に不利になるような働きをしているわけでもないのだ。この前の宴でカマをかけたところ、あちらも宰相以外の人間は完全に納得している様子ではなかったしな。こちらが先んじて“流れ”を作ってしまえば、いくら国を牛耳っている宰相と言えどもそういちゃもんはつけられん。仮にこれで警察に同行されるようなことになろうと“魔王軍を警戒させるような風潮”を、一体全体どう責めることができるのだ?」

 

 そして、この劇の効果が知れ渡るころには止めようがなく、出し抜かれたと切歯扼腕するしかない。

 

「そもそも、何故、この時期に『ベルゼルグ』と手を切ろうと働きかけようとする時点で疑問だ。いいか、ゆんゆん。崩せなかった魔王軍の八大幹部が今や半数以下になっているんだぞ。これは今までにない好機が到来している。陛下が幾度となく侵攻に遭ってきた魔王軍との決着を付けようと考えるのも当然のことだ。勝負の機運を引かずに打ってでる攻め時と見るのは、決して読み違えてはいない」

 

「うん。そうよね。ここで時間をかけちゃうと、新たな魔王軍の幹部が補充されちゃうかもしれないし」

 

「なのに、ここで、支援を打ち切るときた。こんな梯子を外すような真似をしてどの勢力が得をするのかと言えば、それは魔王軍しかない。おそらく推測だが、『エルロード』は『ベルゼルグ』と断交することで、身の安全を保証してやろうと話を持ち掛けられたんだろう。しかし、だ。もし仮に、魔王軍が『ベルゼルグ』を降して、『エルロード』以外の人類を滅ぼしたとして、その先に『エルロード』の生き残りらに待っているのは、おそらく家畜のような扱いだろう。ただ生かされる。扱いは人間というだけで、下の下であり、当然のように奴隷としてこき使われる末路。『ベルゼルグ』程に魔王軍に抗える兵力もない弱小国だから、対等な関係になんてなりえない。ほぼ確実に生まれるのは、一方的な上下関係しかないんだ。

 名宰相と称えられているようだが、この未来を先見できないようではあまりにお粗末、暗愚としか言いようがない」

 

 ――もしくは魔王軍の手の者か。

 

「あの宰相は“臭い”。前に砦で逃した裏工作員と同じ匂いがするし、人ならぬ気配も覚える」

 

 とんぬらは、かなり最初の段階から宰相を疑っており、それでゆんゆんと協力し、“踏み絵”をやらせてみたのだ。

 結果として、このまま国の舵取りを宰相の指揮に任せれば、破滅しかないのはわかったわけだが、

 

「しかし、事態はそう単純に解決できるものじゃない。“宰相は魔王軍だ”なんて弾劾しても、『エルロード』には信じられない。確たる証拠は持ち合わせていないし、俺の推理も状況から判断したものだ。宰相にはこの国を立て直した実績に基づく貢献がある。名誉棄損だと訴えれば、俺達が縛り首にされかねん。そんな口実を与えるような真似は慎むべきだ。――しかし、先に手を出せば不利となるのは宰相とて同じこと」

 

 よって、『ベルゼルグ』は強い、戦況は押している事をアピールし、そして、魔王軍と手を組んだところで本当に信頼の握手を交わせる相手だろうかと疑念の種を植え付ける。民衆から反感を買うと知れば、国の運営陣、ひいては全権を任されている王子も迷うだろう。

 

「さっきも言ったが、あちらがこちらの(げき)を批難するような真似をすれば、それを追求して宰相の席から引きずりおろしてやればいい。そうすれば、あとはこちらの都合の良い展開に運ぶことはできよう」

 

 この劇は、宰相への挑発行為……外堀を埋めてきた宰相に対し、その外堀を掘り返していくような真似をしているのである。

 

「調べた宰相の経歴から察するに……本当に一から取り入った相手の性格からして、辛抱強そうであるし、そう下手を打ってメッキを剥がすような真似をしてくるとは思えんがな」

 

 でもまあ、馬脚を露してくれた。

 とんぬらはそういってにやりと笑った。

 

 その声、その態度、その表情。泰然自若とした彼から自信を伝えるよう、袖を握り続ける手の首を取られ、ぎゅっと握り返されて、ゆんゆんは目を大きく……それからほんのりと頬を赤く色付かせる。

 

「これはこちらを不利に陥らせるかに見えて、魔王軍にとって致命的な失策だった。こんな派手に“待った”をかける行為をするなんてあちらの懐事情を暴露しているのと変わりない。つまり、実質残りの幹部が二席しか機能していない魔王軍は、今、攻められるのはまずいんだろう? 組織として人材が不足し、かつてない危機に直面していると言っても過言ではない。結論、魔王を討つのに今以上の好機なし!」

 

 ………

 ………

 ………

 

 莞爾と頬に皺を作る不敵な少年、その目は赤らんでいないがギラついていた。

 それは、紅魔族固有の体質を御せるほどに自己を制しているわけだけれど、つまるところ、私情ゆえに深く呑み込んでいるが、怒っ(キレ)ている状態にある。

 何故ならば……

 

(コッソリ持ってきておいた予備の着替え用も、それに『エルロード』で購入した分も、あれから毎日毎日、一日一パンツ、いや昨日は三パンツも盗まれて……。どうやら本気で俺にパンツを穿かせたくない運命の強制力でも働いているんじゃないかと疑ってしまうくらいだ。このままだと何か変な悟りを開きそうで……ククッ、クククククッ! こちらにだって考えがあるぞ。盗難防止から盗っ人撲滅用のパンツに創作を切り替え、只今鋭意製作中だ!)

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ――そうして、一週間が経過した。

 

 アイリス王女はカズマ兄ちゃんを連れてレヴィ王子との交渉という名目で勝負をし出してから負けなしの連戦連勝。防衛予算もあと一勝ですっかり元通りになるところまで来ていた。

 

 劇の方も、デュラハンに続いて、日に日に増していくほど盛況ぶり。

 聖騎士に取り憑いた仮面の悪魔を聖騎士が我が身を呈して抑えつけながら降し、

 偽のエリス教司祭に化けて土地を汚染しようと企むデッドリーポイズンから『アークプリースト』が身体を張って街を守り、

 古代の魔道具と融合したグロウキメラを『アークウィザード』が渾身の爆裂魔法でもって倒した。

 一躍時の人となるくらいに主演の三人はこの『エルロード』で有名になっており、一部が天狗のように鼻高々と調子付いてしまっているものの、そこは外交が終わるまでは大人しくしてくださるよう努めてお願いした。

 

 が。

 

 演劇を出待ちしていた貴族の子爵……苦労知らずの金持ちのボンボンより遊びに誘われて、

 スタイル抜群な女騎士に勝負を挑んだ一人は脱水症状で病院に運ばれ、

 最も年下の少女をカモネギの養殖場を案内すれば目の色を変えた彼女の魔法で壊滅し、

 青髪の美女を接待しようと王都随一の高級店に誘えば、神業な一芸で店の調度品を悉く消し去ってしまい、こちらに泣きつかれるほどの請求額を負う破目となる。

 

「お願いだ! 全額とは言わないから、弁償額の半額だけでも頼めないかな! 最初に今日の支払いはこちらの全額持ちで構わないと言ったけどさ、このままじゃ親に叱られるんだって!」

 

 耳を塞いだり、目を逸らしたり、申し訳なさそうに俯く『アクセル』の問題児三人。

 これは調子に乗った貴族の子息の自業自得だと処理しても構わないが、とんぬらは算盤を弾いた。

 

「そうですね……。こちらに支払いの義務はありませんがあなた方に配慮して、四分の一までならば、お支払いいたしましょう」

 

「せめて、三分の一だけでも……! 劇で儲かっているんだろ? あそこの女から連日左団扇で笑いが止まらないって自慢されてるんだからな!」

 

 ちらりと目だけスライドすれば、目を逸らしていたアクア様が何とも巧みな口笛を吹き始めていた。うん、芸としては達者だがまったく隠し事はできていない。

 これで少しは反省していただければいいが……

 

「一男性としてそちらには深く同情しているのですが、こちらも懐事情が厳しいものがありまして……護衛に人を雇おうかと思案している最中なのですよ」

 

「護衛?」

 

「はい。どうにも我々の劇をあまりよろしく思っていない輩がいるようで。私共は魔王軍に怯える人々を盛り立てんと頑張っているのですが、彼女たちの身を脅かそうとする者がいるのです」

 

 まことしやかに……と言うより、これは本当の話である。

 表立ってこちらの活動を妨害しようとすることは避けていた。だが、対魔物ではなく、対人を専門としている、暗殺者っぽさそうな連中に狙われていたりする。

 

 といっても、それも想定内である。雇われの裏稼業の仕事人が息を潜めて襲ってきているのだが、常時四方に散らして配置した使い魔の監視網でもって事前に襲撃を察知したとんぬらが()()()対応した。

 ウソ発見器に頼った尋問法に対し、黙秘権を貫こうとするプロ意識の高い連中であったので、大変心苦しいが――一刻も早く“呪い”から解放されたいとんぬらは容赦なく――

 

『うふふっ、まず誰とイチャイチャしようか食指が迷うわねぇ! あたしの好みは仕事一筋で口が固い性格なんだけど……』

 

 男殺しで有名なこの世界三大禁忌の一角・オークに化けて、捕縛した暗殺者たちに迫真の演技で迫った。壁ドンして、優しーく、指の腹で顎の裏を撫でるように沿わせて品定めするように目を細める……とんぬらに深く刻み込まれたトラウマの再現である。

 そんな“くっころ!”な目に遭うところで寸止めしてから(ダクネスさんが大変目を輝かせていた)、もう一度訪ねると彼らはすぐにとても素直に質問に応えてくれた。

 だが、仕事は仲介人を挟んで依頼されるために、雇い主が誰なのかは知らないという。

 しかし、襲撃者と交渉した――

 

『あんたらは任務に失敗した。撃退され、こうしてまんまととっ捕まっているんだからな。これが知られたらそちらの稼業としては今後の仕事に差し障るほどの汚点になる。いや、それ以上に身の危険だ。口封じに狙われる可能性も捨てきれない。このままだとあんたら、色々とまずいんじゃないか?』

 

 この推測に、襲撃者は憮然となって押し黙った。

 その好機を逃さず。とんぬらは提案した。

 

『だが――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、都合がいいように口裏を合わせよう。そちらは勇み足を踏まず、慎重に任務に徹しているとその仲介役に報告してくれればいいさ』

 

 この提案に、襲撃者らは眉を顰めた。

 

『……どういうことだ?』

 

『もしあんたらが失敗したとなれば、向こうはもっと面倒なのを送り込んでくる可能性がある。次は失敗しないように、そして“不始末”を掃除するためにあんたらよりも強くて厄介な奴がな。もしかしたら、裏でコソコソなんてやめて形振り構わず強引な手に出てくるかもしれない』

 

 だが、

 

『俺はそれを望まない。この『エルロード』と喧嘩しに来たんじゃないからな。それに失敗はしたが、襲撃したのは事実、つまり依頼料分は働いているんだろう? 義理立ては果たしているはずだ。ならいっそ、しばらくはこのまま何もなかったようにあんたらに仕事をしているフリをしていてくれた方が、双方に良い話だとは思わないか?』

 

『そして、あわよくば仲介役の先にいる雇い主を探れ、と……?』

 

『そんな危険は冒さなくていいさ。仲介人を挟む時点で相当なお偉いさんだというのは察しているからな。でも、さっきも言ったが、『ベルゼルグ』は『エルロード』と戦争したいんじゃない。俺達の敵はもっと別にいる。俺達が勝手に争ったところで喜ぶのはそいつだけだ』

 

『………』

 

『だから、同士討ちなんて愚策はもってのほか、姫さんもそれは望まない。俺達は一丸とならなくちゃいけないんだからな』

 

『『宮廷道化師』、か……話に聞いていたが、これほどの大うつけ者だったとはな』

 

 割に合わない仕事だった、と文句を零す。

 それから襲撃者のリーダーは考え込むように長い間無言だった。それもそのはず。交渉を持ち掛けているようでも、暗殺者の立場からすれば、半ば脅迫されているところもあるのだ。迷ってくれている。それを前向きにとらえなければやっていけない。――そしてしばらくの時が経て、嘆息を漏らす。

 

『貴様を敵に回したくない。乗ろう、その話に』

 

『絶賛恐れ入ります』

 

 それからこちらが望んでいた言葉を、苦笑交じりに口にするのであった。

 

 

 そして今、金持ちのボンボン……宰相と関わっているであろう『エルロード』の貴族連中のご子息に“貸し”を作れる機会に恵まれた。

 いけしゃあしゃあと“暗殺者に狙われている”と不安がってみせたとんぬらに、貴族の三人は胸を叩いて、

 

「劇で語られる通り、彼女たちは『ベルゼルグ』で名を馳せた有名人です。万が一があってはいけません。なので、我々の味方をしてくれるものがひとりでも欲しいんです」

 

「わかった! じゃあそれなら、俺たちから親にお願いする! 他の者にも声をかけよう! だから――」

 

「それは助かります。でしたら、こちらからも弁償額の三分の一を支払うことができましょう」

 

「本当か! ありがとう!」

 

 こちらが問題ごとを起こしたというのに、若干、美人局っぽいやりとりであったが、両者は笑顔で握手を交わしたのであった。

 

 

 最初、『ベルゼルグ』の使者団は孤立していた。

 でもこれを諦める必要はない。周りが敵だらけであろうと、それを取り込んで味方を増やしていけばいい。対立する陣営と最後まで相容れないのではなく、状況からして新しい賛同者を望むことはできないのだから、反対する者を説得する。孤立無援の状況を打開するためにも、刃を交えて敵対したものとも手を結ぶくらいのしたたかさが必要だ。

 とんぬらはそれの種を蒔いている。

 しかしこれらが満開に花を咲かせるには、結局のところ、“本丸”を落とさなければならない。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「――はあ? 王子殿が俺と勝負をしたいだと?」

 

「ああ、もうアイリスと戦う相手に立候補するのはいないし、用意していた魔物も品切れになったんだ。そしたら、あの王子が“明日は道化師を呼んで来い”って」

 

「はい。ですから、お願いできませんか? あと一勝すれば、今まで通りの援助金に戻るんです」

 

 第一王女の外交補佐として着々と水面下であれやこれを働いていたとんぬらは、カズマとアイリスから伝えられた言葉に首を少し傾げる。

 

「ふむ。あの王子は俺をもの凄く敬遠していたかに思えるのだが。一体どういう心境の変化があったんだ?」

 

 王子が負けず嫌いな性格で、それを巧みにくすぐってやってこれまで支援金を供出させてきた。しかし、とんぬらはそんな因縁をつけられるような真似はしていないハズ……

 

「わからないけど、ま、呼ばれてるんなら行ってやったらどうだ。どんなヤツをけしかけたところでとんぬらには楽勝だろ。王子から支援金を毟ってやろうぜ」

 

 ………

 ………

 ………

 

「――ギャンブルで勝負しろ」

 

「ギャンブル、ですと……?」

 

 ――あ、ヤバいこれ。

 カズマ、それにアイリスもこのレヴィ王子の提案に昨日の判断を呪った。

 

「お互いに運だけで勝負する、このカジノ大国『エルロード』に相応しい、対等な試合だろう?」

 

 いやそれ思いっきりこっちが不利だから。

 とんぬらの不幸は筋金入りだ。運勝負なんて、そこらの童にも負ける。そう、そこの生意気な王子が相手でもだ。

 向こうは、『ベルゼルグ』の王女と互角以上に渡り合えるとんぬら相手に実力で挑むのは無理だと考えての、ゲームで勝負を提示したんだろうが、それは途轍もなくこちらの急所を突いていた。

 

 そして、この王子との勝負は一度でも負ければ、これまで積み上げた支援金がチャラになるという仕様である。

 

「お、おいおい、それなら別にとんぬらが相手じゃなくてもいいんじゃないか。俺がやってやるよ」

 

「いいや、ダメだ。俺は……俺は、そいつと勝負をしないと気が済まない」

 

 はて? 本当にどうしてこんな因縁をつけられることになっているのやら。

 仮面の道化師に向けた目の光彩には、恐れの色を含んでいたが、それでも逸らさなかった。

 

「もし、この勝負から逃げるんなら……貴様の婚約をなかったことにしろ」

 

「―――」

 

 王子から突き付けられた思い寄らぬ言葉に、仮面の奥の双眸が眇められる。

 射抜くような視線の圧力にややのけぞりつつ――ちらとアイリス王女へ視線をやってから――怯まずにふんぞり返るレヴィ王子。

 

「ふん。俺の目を節穴と侮ったか!」

 

「……だが、王子殿がそれに口出しする権限はないはずではないのか」

 

「わかっている。これは他国の事情だというのがな。しかし……気に食わんのだ」

 

 なんてわがままな小僧だ。人の色恋沙汰にまでちょっかい出してくるとか、馬に蹴られてもしょうがない。

 カズマも、それにアイリスもこれはいくら何でもと口を挟もうとしたのだが、それよりも早く、とんぬらが前に出た。

 

「いいだろう」

 

「おいとんぬら!」

 

「兄ちゃん、紅魔族は吹っ掛けられたケンカは買うのが流儀だ」

 

 その心は冷え切っていた。ギャンブルがどれだけ不利な勝負かなんて、誰よりも知っている。

 でもやる。そう決めた。可能性がゼロであろうと、必勝の策を考えつく。閃かなくても閃かせる。己にとって大事なものを守り抜く。思いを強くすれば不可能などない。

 

「しかし、王子殿。覚悟しておけ。俺は一国を相手取ろうとも、その未来をかけた勝負に負けるつもりはない。道理を覆してでも勝利を掴み取るぞ」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 こっちが覚悟を決めて強気に迫ったのに、いささかの迷いも感じられないその立ち姿に、感慨に似た想いを抱いてしまう。

 確かに、この『宮廷道化師』は、外交の場において一度たりとも弱腰にならなかった。王侯貴族の出ではないだろうに、声ひとつ震えない。恐れを感じていないのか。いや、この男は自分の行いに絶対の信念を持っているのだろう。

 

「お兄様、ヤシチに任せましょう」

 

 内心は不安でいっぱいに違いないのに、王女はその真っ直ぐなヤツの目を見て決を降す。

 ……そうか、それほどに入れ込んでいるんだなそいつのことを……

 

「――そして、支援金だけでなく、俺個人の事情にまで口を挟むというのであれば、王子殿もまた上乗せ(ベッド)するのが筋というものだ」

 

 不遜にもそう告げてくるヤツに、もはや、レヴィ王子は少々やけっぱちな笑みで応じた。

 

「何を要求する気だ」

 

「指輪を」

 

 っ……! こ奴、そう来たか……!

 『ベルゼルグ』の王族の風習は、『エルロード』でも聞き及んでいる。

 彼らは子供の頃よりひとつの指輪を肌身離さず身に着け、婚約者が決まった時にのみ外し、伴侶となる相手に渡すという。

 ――つまり、道化師は、元婚約者であった俺より、“第一王女から頂くはずだった指輪の権利”を奪う、と大胆不敵に宣告してきたのだ。

 

「い、いいだろう」

 

 しかしここで躊躇えば、こちらの未練たらしい執着があるなどと思われかねない。レヴィ王子は是と応じて、それから付け加えるように軽口を添えてみせた。

 

「そんなの、俺にはもう不要だからな。ゴミも同然だ。わざわざこっちの許可なんか得ずに勝手に取っていけばいい」

 

「何だと……」

 

 瞬間、その場の空気を平伏させるかと思えるほどに圧が増す。

 王女との婚約指輪を侮辱されたのが、彼の者の琴線に触れた。ヒッと悲鳴が飛び出しかけたけど、喉元で堪えて呑み込む。

 

 ビビるな、ビビるんじゃない……ゲームで勝負なんだ。相手がどれだけ怪物だろうとも腕力も魔力も関係のない土俵である。そして、“必勝策”をこちらは用意している。

 一杯食わせてやる――そう思って、こんな自分らしからぬ勝負を吹っ掛けたのだから、ここで逃げたらあまりに格好悪い。

 そうやって自分で自分を奮い立たせたところを見計らったタイミングで声がかけられる。

 

「……それで、ゲームで勝負と言ったが、何で勝負をするつもりだ?」

 

「俺はこの街のカジノの全てを遊び尽しているが、やはり目玉はこのゲームだ!」

 

 パチン、と指を鳴らせば、それを合図に運ばれてくるのは――ルーレット台。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「――カジノの入門ゲームと言われるルーレット。どうだ、この勝負を受けるか?」

 

 なんとなくこれが王子の個人的な事情が発端らしいことはわかった。

 なんというべきか、とんぬらは何かと絡まれやすい運命なのだろう。

 しかし、もはやカズマに口出しできない。

 

(アクアのように運が残念なくせに無謀な賭けに打ってでるようなタイプじゃないってのはわかっているんだけど……)

 

 正直、内心は薄氷を踏む思いだ。とんぬらという大穴も大穴に一点張りで賭ける、こちらこそ真にリスキーなギャンブラーかもしれなかった。

 

(しかもルーレットなんて、腹の探り合いや駆け引きとかの心理戦がほとんどない運不運の勝負じゃねーか)

 

 とんぬら! 別のゲームにしてもらえ!

 指で×を作ったりなどのジェスチャーするカズマだったが、それをちらりと見たとんぬらは頷いて、

 

「わかった、受けよう」

 

 おい!

 邪魔しないよう口を閉ざしていたカズマだったが、思わずツッコミかけた。

 こっちの意図がまったく伝わってなかったのか!? お前が最も不利なゲームなんだぞ!

 

 で、さりげなくサインを送っているつもりだったがバレバレな、もう憚らずに慌てふためいているカズマの様子に、レヴィ王子は改めて確認した。

 

「おい、あっさりと承諾してくれたが、本当にルーレット勝負でいいのか?」

 

「構わんよ」

 

「大した自信だな。……お前も類まれな豪運の持ち主だったりするのか?」

 

「いいや、運にはまるっきり自信がない。兄ちゃんとは対照的に、じゃんけん()()を貫いてきている。――ほら、冒険者カードの運ステータスも残念だろう」

 

「は?」

 

 と運のステータスだけが見えるよう、決して詐称のできない冒険者カードを提示されて、確認すればその通り。

 ウソだろ……『宮廷道化師』って相当強いはずなのに、こんなに低いのか。駆け出し冒険者よりも弱いんじゃないか。

 これには口が開いて塞がらず、瞠る目元をひくひくと痙攣させるレヴィ王子。

 

「……お、おいおい、それじゃあなんでギャンブルなんて勝負を受けたんだよ」

 

「なんでって、さっきも言ったが、売られたケンカは買うのが紅魔族の流儀――それに王子殿となら何で勝負しようが一緒だからな」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「た、大した自信だな。一つお手柔らかに頼むよ、井の中の蛙な宮廷道化師」

 

 あったまに来たぞ! この道化師野郎!

 陰で盆暗と言われても、仮面の顔に張り付いた余裕は何としてでもひっぺ剥がしてやる!

 

 ギャンブルには、古来ギャンブラーが経験則と研究によって導き出した定型がある。

 代表的なもので言えば、倍々方式。例えばこのルーレットで、赤か黒、勝率二分の一の配当二倍のギャンブルを挑んだとする。そこでどんなに負け続けても、倍の額を賭け続ければ一度買った時に必ずわずかな儲けが出るという考え。

 だが、こんなのは机上の空論であって、無敵の必勝法なんかじゃない。実際には資金は無限ではなく、ギャンブルには掛け金の上限というのが設定されているのだから。売買にした額が上限を超えた瞬間に、完全に破綻する。

 

 他にも様々な定型があり、それらを駆使しながら、すべての局面で計算上、期待値が最大になるような賭け方をする――だが、そんなのは熟達したギャンブラーなら誰でも身に付けていて、それでも必勝パターンになりえない。

 暗算で確率を導き出しながら最もリスクの低い賭けを選んだところで、胴元であるカジノ側の儲け分である控除率がゼロでない以上、結局、期待値は常にマイナスなのだから。

 

 だから、うまい具合にチャンスの到来まで持ち金を持たせていくのだが……あんな運が残念なヤツじゃあ、いつまで経っても流れ(ツキ)を呼び込めやしない。

 

「じゃあ、あとで揉めないように、ルールを確認したい」

 

 なのだが……向こうは、チップを増やす気満々である。

 

「おい、説明してやれ」

 

「はい」

 

 ルーレット台を運んできた、ディーラー役を務める使用人は、淡々と説明する。

 と言っても何も特別なことはない。国営カジノで敷いているのと同じだ。

 赤か黒かに賭ける色別、もしくは奇数偶数で別けて賭ければ二倍、宝箱(0)から36――この三十七のポケットの内、数字一点掛けのストレートで三十六倍……他にも隣接する四つの数字に同時に賭けるコーナーや同じ列の三つの数字に賭けるストリートなど様々。

 

「ふうん――じゃあ、この宝箱のポケットは?」

 

 隈なくなぞるような視線でルーレット台を見つめる道化師が指した疑問点には、ディーラーではなくレヴィ王子自身が答えた。

 

「そこは、我が『エルロード』のルーレットでは他とは違う点だ」

 

 これは本来のルーレットでは、カジノ側(ディーラー)の総取りとなる“0”のポケットが、“宝箱”になっており、ここに懸けて当てればチップが獲得できる他に懸賞品がもらえるのである。

 

「カジノで財を成したのが『エルロード』王国だからな。ギャンブラーたちに一発逆転のチャンスを用意している」

 

「なるほどね。マネージャーの店で見たのよりも親切な設計している。――うん、このルーレット台は大体掴めた」

 

 頷いて、道化師はひとつ球を摘み、自分で試しにホイールを回して、ルーレットの溝部分にボールを滑らせる。

 

「ふん。ルーレットのルールを理解できたみたいだな。それで勝負のルールだが、制限時間は一時間、お互い均等に、今回賭けるはずだった残り一割の支援金額分のチップを持ち、タイムアップの時点でどちらがチップを多く持っているかで勝敗を決める。もちろんチップが先に無くなったらそこで負けだ。そして、勝てば支援金は元通りにしてやる」

 

「そうか、わかった」

 

「最低ベットは百万エリスから。上限は……」

 

「なくていいんじゃないか」

 

 さらりと言う道化師。

 まあ、どうせこの勝負のチップはただの値で、上限があっても困ることはない。ただ予想よりも早く、ゲームを終わりやすくするだけのこと。

 困った時の一発逆転狙いをする腹積もりだろうが、現実はそううまくはいかない。――そう、既にこちらは懐柔しているのだから。

 

「いいぞ。上限はなしでやろう」

 

「よし」

 

 ……本当に、コイツ、わかっていないのか。いや、もうこれは舐めているだろ。

 対等な条件での勝負だとかで納得しているんだろうが、ルーレットはそんな単純なものじゃない。

 

 素人でもチップを置くだけで賭けられるルーレットは一見賭ける技術がないように思われているが、ひとつ逃してはならない要素がある。

 ――ディーラーだ。

 第三者として、ボールをルーレット台のポケットに滑り落とす舞台装置。しかしそのディーラーの中には、正確に狙ったポケットに入れることができるものも存在する。

 

 高速で回転するホイールに位置が変動するポケット、

 投入されてから落ちるまで溝に沿い何回転もし、落ち際にも跳ね方が違ってくるボール。

 そんな不確定要素が多いルーレットで、狙い目に落とせるというなんて絵空事もいいとこだ。

 でも、そんな空想を実現できるものが極稀にいる。

 道化師はこちらが用意したディーラーに対して何の追及もしてこなかったが、それこそが自身が用意した必勝策――そう、このディーラーはカジノ大国『エルロード』で最も腕が立ち、経験では右に出る者がいないとされる名ディーラー。

 そう、ギャンブラーの間では、ルーレットはディーラーの心理を読んで狙い目がどこかを推理することが肝要とされるゲームである。

 

(わかっているな?)

(はい、レヴィ王子)

 

 つまり、ルーレットを差配するディーラーを抱え込んでいるこちら側は自在にとまではいかなくても有利になるよう操作できるのだ。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 頼む、幸運の女神様、あなたの後輩に幸運を――!

 

 ゲームが始まってしまった。カズマは祈る。

 もしかしたら今見守ってくれているかもしれない、意外と勝負好きな陽気なお頭に力を貸してくださるよう、天に向かって。

 

 “うーん……でも、後輩君、先輩の加護がとっても強いから私には……”

 

 なんか残念な反応が脳裏に返って来たが、只管に祈る。これで負けたら全部がパア。これまでの交渉が全部水の泡となればきっと妹のアイリスはすごく悲しむ。

 しかしだ。以前ちょろっと愚痴をこぼされたことがあったけど、後輩君こととんぬらの不幸というのは、幸運の女神様でも介入至難な具合であるようで。

 

「は……いきなり宝箱とは、まるでド素人だな。『ベルゼルグ』の連中はどいつもこいつも欲深なのか」

 

 ルーレットが開始して、レヴィ王子はすぐさま9枚賭けでまとまった面積、ルーレット盤のおよそ四分の一の範囲を押さえた。

 それに対して、とんぬらは適当な感じで、宝箱へとチップを置く。

 

「王子殿。アクシズ教にはこんな教えがある。『どうせダメならやってみなさい。失敗したなら逃げればいい』と」

 

「とんぬら、真面目にやってるんだろうな!? こっちは心配になってきたんだけど!」

 

「大丈夫、真剣にやっているぞ兄ちゃん」

 

 ギャラリーからツッコミが飛ぶ。

 まさか、アクシズ教の色に染まって……アクアみたいにギャンブル破滅型な性格だったのか!?

 でも、そんなカズマにとんぬらは頬杖を突きながら後ろ手に軽く振るだけ。球の行方すら追わず、ボケーッと盤上を視界に入れているだけのような目。

 

「そ、それはなんかもの凄くダメ人間な考えじゃないのか」

 

「何事もやってみなければわからないという事ですよ、王子殿。まずは土俵にも立たなければ負ける事すらもできない」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ルーレット台を廻る球は、大当たりの宝箱も、それから王子が張ったポケットにも入らずに外れる。

 これで、いい。

 ディーラーとグルだと疑われようが、文句があるのかと突っぱねてやるつもりだが、余計な面倒を追うつもりはない。まずは中立であるとアピールするために、どちらにも賭けていないところに入れるよう指示してあった。

 

 そして、二投目、三投目――

 

「おお、当たった当たった! 開始はコケたが二連勝だ」

 

 ルーレットは一点賭けで当たれば、36倍の配当。基本的な考えとして、35目に賭けて当たればプラスになる。

 それで、こちらは9目……つまり、すべての目のおよそ四分の一を押さえて当てている。これなら、五回中二回も当たれば十分収支は増えていく塩梅である。まだ序盤だから賭けているのは少額だがこの先徐々に大きく賭けて儲けを得る。

 

 で、こちらは真面目にセオリー通りにやっているというのに……

 

「とんぬらー! そんな大当たり一点賭けは止めて、コツコツ稼いでいけー!」

 

 道化師は初回と変わらず、この三回連続、“宝箱”の目にしかチップを置いていない。

 

「おい、お前やる気あるのか! 負けたら、二人が稼いだ支援金がパアになるんだぞ」

 

「わかっているぞ、王子殿」

 

「だったら、もっと――」

 

「くっ……!」

 

「何がおかしい道化師!」

 

「こちらが負けた方が、支援を打ち切れる大義名分が整い、魔王軍を刺激したがらないその方には好都合であるかと思っていたのだが……どうして王子殿はそこまで気に掛ける?」

 

 うっ、と言葉が詰まる。でもすぐさま言い返す。

 

「それが違う。『エルロード』の王族として卓についたゲームで、相手が不真面目であるのが許せないからだ。なんだ、さっき言った文句は全部ハッタリなのか道化師?」

 

「では、こちらが真剣に臨んでいることを証明しよう」

 

 そして、ゲームは動いた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 四、五、六投目――両者、連続的中。

 

「うむ、調子がいいな。やはり、己は追い込んでから出ないと運は起きてくれないものらしい」

 

「……、」

 

 狙ったポケットに入って普通に喜ぶとんぬら、それとは対照的に息を呑んでいるのはレヴィ王子。

 

 カズマも驚きだ。

 ()()とんぬらが当てるなんて……

 それも連続で。

 しかも徐々に王子が賭けるマス目より、ひとつずつ数を減らしていっている。

 四投目は、八目賭け……当たる確率は、およそ22%。

 五投目は、七目賭け……当たる確率は、およそ19%。

 六投目は、六目賭け……当たる確率は、およそ16%。

 で、これを連続的中させた確率となれば、どれだけのギャンブルになるのか。

 しかも自信があるようで賭け金の方も、王子の倍、三倍、四倍と増やしていっているのだから、凄まじい。最初のリード分などすでに逆転している。カズマも慄く勝負師っぷりだ。

 

「どんなカラクリだこれ? 未来視しているとしか思えないぞ」

 

「予知、だと!? 『ベルゼルグ』の道化師はそんなこともできるのか!?」

 

 カズマが思わず口滑らせた単語を拾って、過敏に反応するレヴィ王子に少し肩を竦めて、

 

「さあ、どうでしょうか? 我が師のひとりに、多少の誤差あれど一度も外したことのない占い師がおりますが」

 

「き、貴様貴様貴様! よくもこの俺にイカサマを使ってくれたな! 予知能力など使うなど卑怯すぎるぞ!」

 

「いやいや、使ってはおりません。私めは師よりもその道は未熟で人様に披露できるほどでもありませんし、それを言うなら、五連続で的中させている王子も中々ない確率でしょうな」

 

 この指摘に、王子は口を噤んでしまう。

 そうだ。とんぬらの連続的中のインパクトが強くて突っ込まなかったけど、あちらの王子も最初を除いて外していない。これ、やっぱり何かあるだろう絶対。

 そんな疑わしいジトッとした眼差しを向ければ、王子は反射的に顔を逸らし、

 

「……くっ、これだから田舎者は! まあいい、まぐれがそう続くものか。俺は知っているんだぞ。予知なんて運命に干渉する類いの能力は、私利私欲のために用いれば必ずしっぺ返しを食らうのが通説だと」

 

 と強気に奮い立たせてゲームに臨む――そんなちっぽけな意思を呑み込むかのような宣告が襲う。

 

「じゃあ、七投目は、五目賭けといこうか。チップも上乗せで」

 

 

 ……五目賭けの確率は、14%もない。

 だけど、もう外さない気がしてきた。賭け金も倍増ししているがもはや何とも言わない。

 

「お兄様……ヤシチはギャンブル勝負を端から放棄しています」

 

 カズマの隣で、アイリスがそんなことを呟いた。

 ルーレットをしているのにギャンブル勝負をしていない? どういうことだ?

 目を皿のように大きくさせて、とんぬらのようにルーレット盤を見ているアイリスは、どこか悔し気に、言葉を続ける。

 

「お兄様の言うような未来視を使っていません。ヤシチは()を使っています」

 

 誰もが正確に読み取れぬカラクリの種をアイリスは察しているようだが、それでもなお信じられないと心底驚いていた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 何が根拠なのか道化師の動きを見る。

 予知能力を使ってないなどというのなら他のカラクリがあるはずだ。でなければ、あんな運数値が低いヤツにこんなに当てられるわけがない。

 

 何一つ動きを見逃さない! と気合いを入れて観察すれば、道化師はディーラーがルーレット盤のホイールを回し、球を投入する瞬間、双眸が閃いて見えるほどに凄まじく集中しているのがわかった。

 でも、視線は回ってる球の動きを追っているわけでもない。そして、球が盤上を回っている間に、手早く賭け金を指定している。

 

 しかし、ヤツが無造作に賭け金を置いた五つのポケットのうち一つにルーレットの球は入る。

 

「よしよし、当たりだ」

 

 それは王子も当てたのだが、賭け金、それに賭けている目の数で道化師の方が稼いでいる。リードを更に許す。

 ……どんな錬金術を使っているのか、まったくタネが分からない。

 観察してわかったのは、まず、ゲームが始まってからしばらくの間、道化師は極度に集中する。その間、7秒ほど。それからチップを張るのだが、以降はまったく集中していない。瞼を閉ざしてさえいる。まるで見るまでもなく自分の当たりを確信しているかのように。

 

 なんだなんだなんだ……!!?

 どうして、こんなに当たるんだ……!?

 こんなのもう、こちらのようにディーラーとグルでもないとありえないぞ!

 

 しかし、そのディーラーはこちらとグルであって、その顔も平常心を装っていても瞳の奥が揺れていて、動揺しているのがわかる。こんなに当てられるとは思っていないのが明白だ。

 

 イカサマだ……イカサマをしている! 未来を予知しているんだ!

 だったら、こっちだって、もはや形振り構ってなどいられない……!

 

 ディーラーを見る。その隠さない真っ直ぐな睨みを利かされ、ディーラーは息を呑んだ。

 けれど、それは悪手だった。一球でも外せない勝負展開の最中で、王子からの視線という更にプレッシャーを与えるような真似は――

 

「……思いの外疲れてきたし、時間はまだあるが、次で勝負を決めようか。全ての賭け金(チップ)を三等分にして投入しよう」

 

 

 唐突な終了にして、勝利宣告。

 この最後となったゲーム、ギャンブラーの鉄則を順守するレヴィ王子は盤面四分の一を占める九目に置くが、この王子が指定した九目(ゾーン)とは重ならない――すなわち王子とグルなディーラーの狙い目からは外れた――場所へとんぬらは賭けた。

 押さえたのは、“宝箱”とその両側を含めた三目。そこへ宣言通り、王子とは桁違いに稼いだ賭け金全てを三等分にして。

 

 入るはずがない。こんなの勝負を投げているとしか思えない賭け方だ。

 そして、これが失敗すれば、こっちの勝ちだ。

 だから、外れろ!

 頼む、頼む……!! 外れろ……!!

 ―――。

 ああ、でも――“ここまで来たら、奇跡が見たい……!!”なんて反する想いを抱かせる。

 

 ………

 ………

 ………

 

 そうして、ルーレット盤を巡り、やがて……――かん、かん、と枠に当たって跳ねる音を背景に、場の視線を一心に集める球は、唯一番号が振られていないそのポケットへ吸い込まれるように入った。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 まだゲーム終了したわけではない。時間は半分近く残っている。

 だけど、決着はついた。これが実際に支払われるチップでなくて心底安堵するほど、天文学的な金額に30分足らずでどう挑めという。こんなのディーラーを抱え込んでもどうにかなる額ではない。

 それにこの大当たりに呑まれたディーラーはその精度がめっきりと落ちて、王子が指定するポケットから連発して外すという始末。

 結果、王子はゲームで用意されたチップをすべて失い、ゲームオーバー。

 まさしく天と地の差をつけて、宮廷道化師へと軍配が上がる。

 

「認めないぞ……イカサマだ。予知能力を使ったんだろ! こんなの無効だ……!」

 

 当然、納得がいかないこの結果に、レヴィ王子は卓を叩いてこちらを批難した。

 勝負が終わった後にいちゃもんを再燃させるなんて勝った側からすればたまったものじゃないが、しかしカズマにもこの王子の気持ちがよくわかる。

 

「わかったわかった。王子殿にこのからくりを種明かししようか」

 

 そんなまったく解明できない、秘策をあっさりととんぬら自ら打ち明ける。

 同じようにすれば今のと同じような大勝利ができるとすれば金を払ってでも拝聴する価値はあろう。しかし、このルーレットの必勝法は、普通じゃできないとんでもないものであった。

 

「球と盤をよく見て、頭を使ったんだ」

 

「は、はあ!? 何を言っている!? そんな当たり前なことで……!!」

 

「一芸人として、話に聞いたことがある。熟練のディーラーは狙った目を出せるという話を。実際に自分で球を入れて見たが、操作可能な範囲だった。難しい職人技だけどな。なるほど、腕の立つディーラーとグルなのはルーレットではとても有利だ」

 

 こちらのイカサマなんてとっくにお見通しで、お目こぼしされていたことに言葉が詰まる『エルロード』。

 

「しかし、それは俺には無理だ。味方でもないディーラーの腕を信用するなんて、恐ろしくできない。だから、それよりも絶対なものを見定めようとした」

 

 トントン、と人差し指で小突いたのは、ルーレット台。

 

「まず、ドームの傾斜角度。次にピンの位置と形、ボールポケットの仕切りの深さをよく」

「一体何の話だ!? ルーレット台の講釈なんてして……!!」

 

「これらが、球の動きを予測するための要素になる。冒険者もクエストで事前に地形を知っておけば、獲物の動きを予想できるのと同じような事だ」

 

 ルーレットで投げ込まれた球は、通常いくつもの障害を乗り越えてポケットに入る。

 傾斜に落とされ、ピンに弾かれ、ポケットが浅ければ球が飛び出る。その特徴を頭に入れた。

 

「人の和は得られずとも、盤という地の利を把握した。あとは天の理を球とホイールの速度から予測する」

 

「予測だと?」

 

 とんぬらは軽くホイールを回しながら球を投げ入れ、

 

「ディーラーは毎回、球を投げ込むパワーが違うが、投げ入れる位置が決まっていて、球筋も素直だ。ホイールの回転もそう激しくもなくなだらか。どちらも十分目で追えるもので、目測でスピードは把握できるし、ホイールと逆方向に回される球を逆算してズレを修正していけば自然、落下点は見えてくるという寸法だ。例えば、今投げ入れた球は15近辺に落ちるはず」

 

「……、」

 

 言った通りに、投げ入れた球は15のポケットに入ったが……言うほど簡単なことではない。

 というか、そんな離れ業が人間に実行可能なものなのか。

 いいやできない。できるわけがない。

 理論としてはわかった。だが、その把握が物凄くシビアだ。0.1秒の狂いがあってもダメだ。0.01の誤差も許されぬ正確性が求められる。極めて厳密に正確じゃないと予測できない。

 そして、逆方向に巡るホイールと球の逆算を含めた不確定要素の計算を、賭け金が指定できるまでの10秒とない猶予で済ませる。

 時計や算盤もなしに。

 とんぬらの言い分は自身の体内時計で測りながら並列して思考計算で、時計や算盤よりも正確かつ迅速に落下点を割り出しましょうと言っているのも同然だ。

 

「ふざけるな! そんなの人間技じゃ……!!」

 

 普通に特異な予知スキルを使って未来視したと言った方が納得するほど、無茶苦茶な予測法だ。

 されど、とんぬらはこともなげに言った。

 

「神魔にも見通せぬ奇跡魔法と比べたら、目に見える運命の輪なんて買い物の暗算みたいに易しい。この程度、俺の中じゃ不確定要素には入らない」

 

 一か八かの勝負なんてしていなかった。

 結局のところ、すべてはただ一言に集約される。

 アイリスの言う通り、とんぬらは、運が介入する余地などないほどに、“頭を使った”、のである。

 

「むぅ……私も実践してみましたけど、ヤシチのようにできません」

 

「いやアイリス、普通に出来なくて当然だからなその必勝法」

 

 言ってみれば、能力(スキル)ではなくて、()力による未来視。紅魔族は人並み以上に優れた頭脳を持つ集団であると聞いているが……その中で、紅魔族随一の天才(めぐみん)より“紅魔族の変異種”なんて称されるキワモノだ。

 

 悔しそうにするアイリスを宥めつつ、カズマは開いた口が塞がらないご様子のレヴィ王子を見やる。

 まったくもって、勝負する相手が悪かった。ご愁傷様。あちらも小細工(イカサマ)を弄したんだろうけど、ギャンブルで運頼みしないで勝ちをもぎ取るという反則的(チート)な頭脳プレーをする輩なんて、絶対の幸運持ちのカズマでもお相手するのは御免被る。

 

「じっ、じじじ! じじじじじょじじじょ冗談にしても酷すぎるぞ!」

 

「冗談ではなく本気だ。なんなら、イカサマ対策のウソ発見の魔道具で証言しても構わない。ベルを黙らせる自信がある」

 

 住んでいる世界が違う。コイツの頭は、いいや心技体のすべては、どこまで突き抜けているというのだ。

 

 

「……まあいい。結果が全てだ。負けを認める。こんなふざけたのは二度とないと思うけどな」

 

 圧巻される在り方にぐうの音も出なくなった第一王子はそれ以上駄々をこね、無意味な結果に終わるだろう尋問もせず、恥の上塗りをするような真似はしなかった。

 けれど、

 

「でも、あくまで金を出してやるのは防衛のための支援だけだ。追加は出さない。これは絶対にだ。……というか正確には、防衛費の支援を打ち切るべきだと言い出したのはラグクラフトなのだがな。俺としては田舎娘との結婚など御免だからこの話に乗っただけだ。だから負けたところで何も惜しくない」

 

 なんて、負け惜しみともとれる発言に、シスコンなカズマの目が据わりかけた。

 とんぬらはその逆に、この一方的に突き放そうとする王子の態度に呆れ具合を示すように肩を落とす。口に出したりはしないが、この元婚約者な王子から、不器用だが屈折したプラスの感情を嗅ぎ取っている。

 

 それはさておいて、とんぬらは個人的にとても大事なことがある。

 

「では、王子殿、お約束の指輪を頂戴できませぬか?」

 

「フン、勝手にするがいい」

 

 そういって、腕を組んでそっぽを向く第一王子。

 ……指輪を外そうともしないし、またこちらに嵌めている手を向けたりもしない。それじゃあ取りづらいというか、“指輪をやる”と言っているのに、そのポーズはいくら何でも不親切ではないだろうか。

 まさか無理やり指輪を取らせようとして不敬罪を負わせようとしているのだろうか。でもこちらは言質を取っているのだから、許されるはず……

 

(心休まるためにも、いい加減に呪いを解いて――ん?)

 

 王子の態度を怪訝に思いつつ、とんぬらは手を伸ばそうとしたその時だった。

 なんと唐突に、指輪が光り始めたのだ。

 

「なんだ、これ、――――がっ!!?」

 

 急な立ち眩みが王子を襲う。

 虚ろに宙を泳ぐ視線。蒼白の血色。そして瀧のように額を流れ落ちる汗……

 とんぬらの行動が発端となったかのように、指輪が点滅する異常から始まり――そして、レヴィ王子は立ったままに昏倒し、糸が切れた人形のようにその場に頽れかかった。

 咄嗟に抱き留めたとんぬらだったが、腕に抱いたひょろい身体の異常な発熱に、第一王子が抜き差しならない状況を理解する。

 

「この魔力の流れ……!? いったいこれはッ!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 深き地の底に閉ざされた闇の中、“ソレ”は微睡みの淵を彷徨っていた。

 浅き眠りを幾度となく繰り返すは、ひとつの体にふたつの魂がせめぎ合いをしているからにある。元の宿主、ドラゴン族の中で最も凶悪狂猛たるブラックドラゴンのものと、その骸と成り果てようとも最たる強度の(からだ)を奪わんとする侵略者の如き黒魔道を極めたある男のものが……。

 竜骨の魔力からアンデッドとして蘇った竜骨兵スケルトンが存在するが、彼の者が手に入れようとしたのは、そんな“欠片”のスケールではない。

 余さずすべて。

 死してなおも動く竜骨、スカルドラゴンを我が物にする。

 そう、この世界を滅ぼすために――!

 

 そんな今となっては、幾星霜を隔てた追憶の悲願。

 あれから、どれほどの月日が流れたのか。少しずつ少しずつ染め上げていく彼の魂は呆然と想いを馳せる。

 

 ここで、あの指輪の出自を語ろう。

 現在、『エルロード』王族の嫡男が嵌めているのは――下着泥棒の貴族の弟が兄の無念を晴らすために作り出したマジックアイテムである。

 スカルドラゴンに取り憑こうとしているのは、兄のために指輪を作った弟、その成れの果て。

 “魂の憑依”という指輪に組み込まれた術式の複雑さから作成者がその道、つまり呪いの知識に長けていたのがわかるだろう。

 弟は生前、黒魔術師か死霊使いの類であったのだ。

 

 黒魔術は極めれば不老不死すら可能とする魔術。

 弟は指輪を作って兄の無念を晴らそうとした。しかし、それだけでは気持ちが収まらなかった。

 さらなる復讐を望む。

 

 兄の……“ささやかな趣味”を否定した世界への復讐を!

 常識という枷が兄を殺した! 弟は怒り、世界ごと常識を壊そうと目論んだ。

 

 されど、魂の定着は至難の技。

 それなりの時間と力を要する。それが誇り高いドラゴン族、その中でも特に凶暴なブラックドラゴンの屍なら尚更。本来の主である魂が、おいそれと体を明け渡すわけがない。

 そうなることを弟自身も見越していた。

 

 だから、指輪だ。

 道標となる役目。

 指輪が何者かを支配し力を発動させたとき、その術者の魂を強制的に導く役目。

 それが、ひとつ。

 

 しかし、この取り扱い説明書な文献にも記載されていない、もうひとつの役割・機能があった。

 

 これは、何故弟が世界を滅ぼそうと望み、指輪を製作した目的となる出来事。

 その昔――

 下着泥棒の嫌疑に曝された貴族の紳士がいた。弟の兄だ。

 貴族の兄は、冤罪を晴らすために奔走し続けたが、身の潔白を証明する前に、不慮の事故でこの世を去った。

 だから、弟は、兄の無念を晴らすためにこの指輪を作った。

 このマジックアイテムは、男性の指に収まることで初めて魔法の効果が発動する。

 そして、その“道標”とは別の、本来の効果は――“無意識下で女性の下着を奪う”というものである。

 

 兄に掛けられた嫌疑は冤罪ではない。

 兄は正真正銘、下着泥棒であった。

 

 地位ある立場故に懸命に身の潔白を訴えたが、その間も趣味である下着の収集に勤しんでいたほどに、兄はパンツを愛していた。

 そして、彼の弟は突然の死により下着を盗めなくなった兄のために、指輪を作ったのである。

 そう、指輪のもう一つの役目とはすなわち、『下着(ぱんつ)を収集する』という“ささやかな趣味”をもった兄の代わりに果たさせ、その無念を少しでも晴らさせるというもの。

 なんて傍迷惑な兄弟であるが、指輪は相当複雑な構造で、効果はまた絶大。

 

 だが、ここに一つの誤算が生じた。

 

 弟の魂は微睡みながらも、兄のために下着を求めるのだが、少年(やろう)の下着しか盗めないのである。これは大いに不服だ。眠りながらも悪夢に魘されるように不機嫌に弟の魂は荒ぶっている。

 

“何故、パンツが奪えない! 指輪の術式理論は完璧なはずであるのに!”

 

 『窃盗』は行使者の運ステータスだけでなく、狙った対象の運ステータスも成功確率に関わっている。

 そして、幼き頃に女神の悪戯に運命を狂わされ、仮面の悪魔が筋金入りの波乱万丈と保証する、とある少年の“不幸”。それは幸運ステータスに恵まれておらずとも、『スティール』が必中の精度にまで高められてしまうくらい。

 

 ……初対面時、見た目お姫様に騙され、その得物(ぱんつ)を奪ってしまってからその悲劇は始まる。

 しかも、一度目をつけてしまったターゲットから外す、唯一の解呪法である返却をする前に焼却してしまったので、縁切りされていないままずっと固定されているのだ。

 それでも……それでも、“女性の下着を我が手に!”と執着する指輪に篭められた意志はターゲット固定された少年の周囲にいる女性から奪おうとするのであるが、如何せん、少年の“不幸”は、脇目を振ろうがほぼ確実に手に入ってしまうくらいどうしようもないものであった。他所に外れる余地があまりにない。窃盗の成功確率は、運否天賦の領域であるがために、わざと外すことはできない。これが宝くじだとすれば、実質、99.9%が“ハズレ”で、“当たり”は1%にも満たない配当である。ただし、一応は当たっていることになっているのだから手に負えない。

 なので、指輪の窃盗が成功していても、狙った獲物は奪えないでいた。

 これでは弟の魂はますます無念が募るばかり。魔力が最大限に発揮し、覚醒できる満月の頃に、この“障害”を排除せんと弟の魂は、ここに誓いを立てる。

 最凶の竜族ブラックドラゴンの魂と、ひとつの骸を巡って生存競争の果てに融け合ったせいか、弟の意思は暴力に抵抗がないほど短絡的となっていた。

 

“許……さん! このパンツの持ち主は、我が八つ裂きにしてやる……!”

 

 偶然に偶然が重なり、不幸と不幸が連なった。

 誰とも知れず、我が身(ぱんつ)を犠牲にして少女の純潔を守り、

 誰とも知れず、少年は理不尽な弟の怒りを買って難易度を上げている。

 

 この事情を知るのは、今のところ、遠い地よりお気に入りの星五つを観戦しながら愉悦を堪能するすべてを見通す悪魔のみである。

 

 そして、倒さんとする気配(魔力反応)の接近に刺激され、より多くの魔力を――魂喰らいを欲した結果、まだ子供の身体の第一王子は耐えられなくなったのだ。

 宿主がぶっ倒れてしまったので、顕現されることはなかったのだが……タイミングは最悪であった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「ハァ、ハァ、ハァ……」

 

「王子殿! 気を確かにッ!」

 

 王子の容体を一目で悟るとんぬら。

 爆裂魔法を放った直後のめぐみんと同じ、魔力が欠乏している。それも生命が危機に瀕するほど急激に。

 まずい! このままだと命に関わる……!

 不足しているのなら、補えばいい。王子の魔力では足りぬと体力まで貪られているのが原因だ。

 だったら、俺の魔力を食らえ……!

 とんぬらは己の魔力を溜め込んである『吸魔石』を取り出し、それを王子の震える手に握らせる。

 すると魔石から篭められた魔力が喪失していくのを代償に、徐々に王子の荒かった気息が落ち着いていく。

 

(よし、これなら――)

 

 とんぬらは魔石から色が抜け落ちては新たな魔石を取り出し、それでどうにか容体を安定させる。しかし、これは応急処置、根本的な解決にはならない。原因を取り除かなければ、また起こりうる。

 魔力反応に敏感な紅魔族の瞳がその“原因”へと視線を走らして――気づく。

 魔力補給に集中するあまり気づくのが遅れたが、周囲を包囲されていることに。

 

 

「なんと、レヴィ王子を害するとは! 者ども、その道化師を拘束せよッ!!」

 

 

 予期せぬ事態に凍り付いていた兵らに叱声にも似た命令を打ち、陣取るのは宰相。

 場が混乱してる最中、突然現れた宰相は兵らの背を押すため、そして事態をひとつの方向に導くために、再度叫んだ。

 

 

「我が『エルロード』の王族を襲った大罪人ですッ! 抵抗するようなら容赦なく殺しても構いません!」


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