幻想郷は夢を見る。   作:咏夢

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お待たせしました!

舞台は本編から一年後!(多分)

森近未来禍の物語、どうぞ!
(短編初挑戦なので、暖かく見てくださいね)


短編 明日の暁―とある迷い人の夢

 幻想郷には、一人の少女が住んでいる。

 

 瞳に湛える灯は、夢見る幼子のまま。

 

 家族の帰りを待つ、あの日の雨を見つめながら。

 

―――1―――

 

「あーいてーるぜー?」

「此所の店主は僕だろ……?」

 

 響くノックの音に暢気に答える魔理沙。それを苦笑いで咎める霖之介。いつものやり取りだが、今日は普通ではなかった。

 

 その少女は、外の雨でずぶ濡れになりそれでいて無表情だった。

 魔理沙はうわぁ、と言った限り何も出来ずにいる。

 霖乃介は慌てて奥からタオルケットを持ってくると、少女を招き入れた。そして、少し躊躇った後、魔理沙と一緒に奥の部屋に通した。

 魔理沙の行動も迅速で、数分後、少女はしっかり乾いて出てきた。ついでに髪に三つ編みが増えたのは触れないでおこう。

 

「えーと……お前名前は?」

「……?」

「どっから来たんだ?」

「……?」

「こーりん、宇宙人とテレパスする機械無いか?」

「そんなわけないだろう」

「ちぇっ、もう少しノってくれたって良いじゃんかぁ」

 

 魔理沙が目を離した隙に、少女は店内を歩きはじめた。霖乃介も仕方なく席を立ち、少女の覗きこむ所へ行く。少女は一つの小さな箱を手に取っていた。

 

「えぇと、それは"オルゴール"だね。」

 

 霖乃介が半自動的に説明をしようとすると、まるで何もかも知っているような手つきで、少女はオルゴールを鳴らしてみせた。

 魔理沙もこれには驚いて、目を輝かせた。

 

「驚いたな。どっかの魔法使いは、いくらやっても……」

「使い方教えてもらえるのと使えるのは違うんだよ!」

 

 ムッとしたような魔理沙の隣で、少女は初めて笑顔を見せた。とても可愛らしいその様子に、魔理沙は心惹かれて言った。

 

「なぁこーりん。名前、つけてあげろよ。」

「えぇ?何でいきなり」

「仮だよ、仮。ほら、何にする?」

 

 いきなり話を、しかも無理難題を吹っ掛けられた霖乃介は暫し考えると、口を開いた。

 

「未来禍。とかどうだい?」

「アスカか。いいな!そんじゃアスカ、宜しくな!」

「……よろしく?」

「おぉっ!喋った!」

「……失礼な。」

「はははっ!すまんすまん……」

 

 ん、と片手を差し出した魔理沙に、未来禍も握手で応えた。相変わらず苦笑混じりだが、それでも受け入れたような霖乃介。

 色白な右手を、同じく右手で勢いよく振り回していた魔理沙だったが、ふとその手を止めて、今気づいたように言った。

 

「そうだ、霊夢ん所にでも連れていかねぇとな。」

「それなら早く行ってきた方がいいんじゃないかい?随分日も落ちてきたし、何より、アスカが人里の子だった時に困るだろう。」

「おう、そーするぜ。行くぞアスカ!」

「……分かった。」

 

 小さく頷いた少女・アスカは、魔理沙の箒の後ろへと躊躇無く座った。脇の下に細い腕が回るのを確認すると、魔理沙は地面を蹴った。

 ふと締め付ける感覚が緩くなり、魔理沙が振り向くと、アスカはぐんと手を伸ばして、眼下の香霖堂の軒下に立っている霖乃介に、大きく振っていた。

 きっとこーりんは心配してるだろうなと思いながら、魔理沙はスピードを緩めながら、山の中腹へと飛んだ。

 

―――――――

 

「霊夢ーーっ!!!」

「あー魔理沙ね……はあぁ?!」

 

 明らかに緊迫した魔理沙の声を、あわよくばスルーしようとした霊夢は、上空を二度見した。

 そりゃあそうだ。何せ、やけにフワリと降りてきたのは、魔理沙ではない女の子だったのだから。

 

 だが霊夢はいかなる時も冷静だった。アスカが間合いに入ったのを見て、彼女の体内霊力を操作する。

 次の瞬間、ぼんやりとした淡い群青色の光が、アスカを包み込み、安堵のため息が二重に響く中、平然と宙をさ迷うアスカ。

 無論、霊夢の矛先は魔理沙へ向かった。

 

「ちょっと!何落としてくれてんのよ!?」

「な、落としてねえよ!自分で飛び下りたんだよ!」

「それこそ訳分からないじゃないの!全く……」

 

 大体誰よアイツ、と内心続けた霊夢に、魔理沙がふふんと笑う。そして未だ霊力飛行しているアスカを指さして言った。

      . .

「アイツは、森近未来禍だ」

「……嘘を付くならもう少しマシなのにしなさいよ?」

「まぁ、そう言うなよ。強ち間違っちゃいないし。」

 

 今度こそ怪訝そうにアスカを見つめる霊夢に、これでもかというほどの早口で、魔理沙は状況説明を終えた。

 霊夢は、思考を追いつかせるのに精一杯だったが、やがて一つ頷くと言った。

 

「いや何よそれ、結局誰よアイツ?」

「分かんねぇからお前の所に連れてきたんだろ。」

「全く……もう良いわ、入んなさい。そこのあんたもね」

 

 開き直った魔理沙を、結局いつものように迎え入れようとする霊夢。だが、茶の間には、思わぬ先客が居た。

 

「待ってたわよ、魔理沙」

「うわっ!てか、霊夢じゃなくて私をか?」

「どちらかといえば貴女の連れてきたその子をね。」

 

 八雲紫は、閉じた扇子で未来禍を指した。

 魔理沙達が振り返ると、当人は何故か紫を睨んでいるように見える。普通怯えるのが人間の道理だろうが、未来禍は違った。

 明らかな敵意を滲ませて、紫にだけ囁いたのだ。

 

――貴女、私を知ってるの?

 

 紫は目を見開いた。その色は、憂いや戸惑い、哀れみ、何より怯えを纏い、未来禍を視ていた。

 

「……!」

「……紫?ちょっと、紫ってば」

「……いつも通り、能力だけ確かめておいて。」

 

 そう言い残した紫に、霊夢はただ怪訝そうに首を傾げた。魔理沙はさして気にしてもいないようだったが。

 対して未来禍は、先程の会話さえ忘れてしまったかのように、首を傾げた。

 

「一体何があったっていうのかしら……?」

「さぁな。ま、能力が何とやらって事は、人里の子じゃないんだよな。とりあえず調べてみようぜ!」

「……そうね。」

 

――――――

 

「ふぅ……まぁ、色々分かったわね。」

「そーだなぁ……メシにしよーぜ。」

 

 彼女は、やはり能力持ちだった。

 『ありとあらゆるものを使いこなす程度の能力』、だそうだ。エネルギーとしては、霊力が高く、妖力は感じられない。まぁ、普通の人間なのだろう。

 が、続く結果に霊夢は違和感を感じていた。

 

(霊力が、どう考えても低すぎる……)

 

 そう。人間の子供にしては、霊力の値が低すぎるのだ。死期の近づいた老人ならまだしも、この年で平均を大幅に下回る等ということは、今まで無かった。

 それとは別に、彼女の勘はピンと来ていた。

 

「貴女は、"夢の迷い人"なの……?アスカ。」

 

 霊夢の微かな呟きは、桜の予感がする風に流された。

 

******

 

 私は一人じゃない。

 

 マリサとコーリンが、私を見つけてくれたから。

 

 でも、"僕"は独りぼっち。

 

 きっと、幸せな夢を見ているだけ。

 

 また息が苦しくなって、微かな電子音が聞こえる。

 

 嫌だ、帰りたくない。ずっと、ここに居たい。

 

 偽りの優しさだけで、あと何回耐えればいい?

 あの痛みに、あの寂しさに、あの……静けさに。

 

******

 

「紫さまーっ!ねぇ紫さま、聞いてください!」

「え?あ、あぁ。どうしたの?橙」

 

 どこか沈んでいるようだった紫は、どこかに出かけていた様子の橙に声をかけられた。

 

「魅空羽を見かけたんです!もう時間が無くて、会いに行けないのは残念だけど、皆に宜しくって!」

「!……橙、その話はもう誰かに話したかしら?」

「いえ、紫様に早く教えて差し上げたくて!ついさっきの事ですし……」

「そう。橙、その話は私との秘密にしてくれないかしら」

「えっ?わ、分かりました。秘密なんですね!」

 

 キョトンとした様だったが、深入りせずに頷いて出ていった式に、紫は思わずため息を溢す。

 まだ誰にも知られてはいけないのだ。もしかすると、霊夢は気づいているかもしれないが、彼女は何かと察しがいい。公の場で私やアスカを問いつめたりなんてことはしないだろう。

 

「でも、どうすれば……」

 

 一度夢から醒めてしまえば、まず助からないであろう事は分かっている。けれども、望みなど最初から存在しないのだ。どうしてこんなにも情を入れるのかは、自分でも分からないが、何かを変えられないかと思っているのも事実。紫は、今までにない事例に頭を抱えた。

 

「魅空羽……燐乃亜……」

 

 懐かしい名前が、今は何よりも頼もしく聞こえる。今なら、彼女達を呼び出す事は容易だが、あれだけの異変に関わった二人には、これ以上の事は任せられない。

 

 やはり、受け入れるしかないのだろうか。

 彼女の"現実"を。

 

―――2―――

 

「おーい、起きろ、アスカー」

「……」

「アスカってば、朝飯出来るぞ」

「ぁ、ぅぁぁ…………」

 

 昨日とは打って変わって、怯えるような明日禍の声音に、魔理沙は戸惑いつつ声をかけた。

 

「アスカ?」

「……ま、りさ……」

「此所に居るぞ。」

「ぃ、ゃぁ……」

「どうしたんだ、アスカ?」

 

 うっすら開かれた瞳には揺れる光が射して、今にも灯の消えそうなランタンのようだった。魔理沙は、そっと布団の脇に放られた明日禍の手を取った。自分の手が、弱々しく握られて初めて気づいた。

 冷たい。思わず自分の胸に抱きしめてしまうほどに、冷えきっている。昨日は、雨に濡れていたので、さほど気にならなかったのだろうか。

 

「……マリサ、おはよう。」

「!」

 

 魔理沙がハッとして視線を上げると、不思議そうな顔をした明日禍がいつの間にか起き上がっていた。思わず瞳を覗きこむが、先程の怯むような光はもう見えず、部屋の灯りさえ映らない闇が広がるばかりだった。

 

「どうしたの、マリサ。」

「い、いや、何でもない……訳でもないか。もう朝飯にするぞって、こーりんが言ってたからさ。」

「……分かった、行こうマリサ。」

「あ、あぁ。そうしようぜ。」

 

 心なしか、昨日よりもハキハキと喋る明日禍は、毛布を手早く畳むと、魔理沙の手を引いて食卓へ向かった。

 

 その日、明日禍は紅魔館へと訪れることになった。

 

――――――

 

「…………。」

「いい加減起きろよバカ!アスカ、もう行こうぜ……」

「…………。」

 

 眠りこける門番の頬を、突っついたり引っ張ったり。

 明日禍は少しむすっとした表情で、数分前から何とか目の前の女性を起こそうと努力していた。

 いくらやっても、居眠り門番の名は伊達では無く(決して褒めてはいない)、ちっとも動じない。

 明日禍を引っ張って行く訳にもいかず、一番不憫なのは魔理沙だが、そんな彼女の怒りもついに爆発する。

 

「あぁぁっ!!!分かったアスカ!ちょっと下がってろ!」

「了解、マリサ」

「恨むなよ!"マスター……スパーク"ッ!!!」

「ぎゃあああああああ!!?」

「おー……すごいねマリサ」

 

 言葉とは裏腹に、いつも通りのテンションで明日禍はパチパチと手を叩いた。魔理沙は、今までの苛立ちを皆ぶつけて、満足そうにクルリと振り向いて明日禍を促すと、館内へと歩き出した。

 

「此所にも……私を、知ってる人が……」

 

 微かに声音の違う明日禍の呟きは、誰にも届くことは無かった。その視線の先には、紅い館がそびえ立つ。

 

――――――

 

「お嬢様、魔理沙と客人が一人。お嬢様にお会いしたいとの事で……」

「待ってたわ、入りなさい。」

「だそうよ。私は仕事があるから、これで。」

「あぁ。ありがとな、咲夜。」

「えぇ、また貴女とも話したいわね。」

 

 その場から消えた咲夜にもう一度感謝すると、魔理沙は明日禍の手を引きながら部屋へと入った。目の前のソファには、魔理沙にとってとても見慣れた小さな吸血鬼が座っている。

 魔理沙は、帽子を手近なテーブルに置くと、明日禍へ先に座るよう促した。何故か明日禍の表情は少し曇っていたが、それに気づく様子もなく魔理沙は片手を上げて声をかけた。

 

「よう、レミリア。何か久しぶりだな。」

「貴女が正門から入らないからでしょ、まぁ最近は宴会も無かったしね。それで、紅茶は何が良いかしら?」

「美味しいなら何でもいーよ」

 

 俯き加減で座った明日禍と、その隣に背もたれを飛び越えて座る魔理沙。もうそれを注意する気も無くなり、霊夢の気持ちが少しだけ理解できたようなレミリア。

 

「さてと、まずは名乗らなくちゃね。私は、レミリア・スカーレットよ。この館の主である、吸血鬼。」

「……私は、アスカ。」

「ふぅん、驚かないのね。」

 

 自分の正体を明かしても、表情一つ変えない明日禍につまらなそうな顔をするレミリア。それも一瞬のことではあり、魔理沙は口を開いた。

 

「で、一体何の用なんだよ。急に呼び出しておいて。」

「あら、偶然ではなかったのね?」

「あんなに分かりやすくしといて、そりゃないだろ。」

 

 実は、魔理沙に昨夜届いたものがある。それは、彼女を叩き起こし、一度は、即刻紅魔館へと飛んでいこうかとも考えさせた。瞼の裏まで紅く染まった……のは気のせいだったが、とてつもない妖気の波動だ。

 どうやったのかと聞けば、内緒だとはぐらかされて、少々ペースを乱されつつある魔理沙。未来禍に向けられる視線に気づいて、話が逸れない内にと言葉を足す。

 

「アスカに用なら、私は外すが?」

「いえ……まぁ、そうね。じゃあそうして頂戴。別に、手を出すつもりも無いし。」

「その場合はマスパ一発じゃ済まないからな?」

 

 怪訝そうな表情を浮かべる魔理沙に、ひらひらと手を振って、レミリアはメイドを呼び出し紅茶を入れさせる事にした。

 

******

 

 微笑と何かを見透かすような目が、ずっと離さない。目を背ける事も出来ずに、ただ私は無表情に見つめ返しているだけ。

 

「貴女、いくつなの?」

「……知らない。」

 

 そうだ、それでいい。"私"――未来禍は、何も知らなくて良いんだ。ただ踊るように、過ごせばいい。考えるような吸血鬼の表情だって、全部、全部夢なんだから。

 

 苦しむのは、"僕"だけでいいんだ。

 

******

 

 あっという間に、幻想郷は夜を迎えて、魔理沙が書斎に戻ってくると、レミリアは先刻と変わらない姿勢で、ソファに座っていた。チラリと目線を上げて、ティーカップを置く。

 

「寝ちゃったわよ、その子。随分マイペースなのね。」

「ん……そうか。じゃ、帰らしてもらうぜ。」

「えぇ。……魔理沙」

 

 どこからともなく取り出したブランケットで未来禍を包む魔理沙に、レミリアはふと声をかけた。振り向くとレミリアは、月を見上げてこう言った。

 

「冥界には行かない方が良いわ。」

 

――――――

 

 どういう意味だか分からないが、どうせ彼女お得意の占いとやらなんだろう。いや、アイツの場合はもう予言に近いか。

 

 魔理沙は、家路を(仕方なく徒歩で)辿りながら、ふっとレミリアのように月を見上げてみた。

 

「おぉ。満月じゃねえか、綺麗だな……」

 

 ふと、それを横切る影。風に揺れるワンピース、その背中で一生懸命に羽ばたく小さな翼。月明かりに照らされた、焔のような髪。

 

「燐乃亜……おーい!」

「?」

 

 声が聞こえたように、くるりと宙で向きを変えた少女は、此方を見つけると同じく手を振って降りてきた。

 

「魔理沙!久しぶりだな。元気だったか?」

「おう、燐乃亜も元気そうで良かったぜ。髪伸びたか?」

「少しね。多分あと数分だったし、会えて嬉しいよ。」

 

 幻想郷と現実世界は、昼夜が逆転しているという性質がある。夜10時である現在、燐乃亜達の住む世界は、朝の10時。何故こんな時間に?と訊ねると、休日だから、と燐乃亜は答えた。それでもあと数分、それが過ぎれば目覚め、現実世界へと戻る。

 

「ん、その子は人里の子?」

「いや。私が預かってるだけなんだぜ。記憶喪失って訳じゃ無さそうなんだけどな……」

「ふぅん、じゃあもしかしたらその子が……あ。」

 

 話の続きはまた今度だな、と燐乃亜は少しだけ寂しそうに笑った。魔理沙は頷くと、その手を一度しっかり握って、ニコリと笑った。

 

「さて、と。遅くなっちまったなぁ」

 

 魔理沙は再び、歩き始めた。

 

―――3―――

 

 春の陽が瞼を擽る。魔理沙は自宅のベッドで起き上がる。未来禍は昨日のうちに、勝手に香霖堂に押し込んできたので、いくら寝ていても怒られはしないのだが。

 

(あ、霊夢……どうしてるかな。紫の様子も変だったし……見に行ってみるか。)

 

 霊夢の様子を見に、本音を言えば朝食を集りに、彼女は手早く髪を結わえると、箒を手にとって外へと出た。

 

 魔法の森の上空を、涼しい朝の空気を浴びながら移動していく。暖かい昼間の和やかな空気とは違って、鋭く肌を刺すような冷気に、すっかり目も覚めた頃、鳥居が山腹に見えてきた。慣れた手つきで降下すると、魔理沙は欠伸を噛み殺しながら、境内を遠慮なく進んでいく。

 

「霊夢~おはよ~……霊夢?」

 

 いつもなら不機嫌な顔で、それでも返事くらいはしてくれるはずの霊夢が、今朝は何も反応が無い。魔理沙は何故か少し不安になった。

 

「おい、霊夢……まだ寝てるのか?霊夢……?」

「――!」「――。」

「……!」

 

 居た。もう一人居る。少し意識を集中させると、声色によく聞き覚えがある、紫だ。障子の奥で何やら叫んでいるようなので、さすがに押しかけはしない。魔理沙もわざわざ入っていって、険悪なムードをぶち壊せるほど器用ではないのだ。

 かといって、このまま帰るのもどうなのかと思った。少し考えた魔理沙は、中の様子を探りながら、待つ事にした。多少不謹慎ではあるが、こうなると出直すも億劫だ。

 

「さて、と……何話してんだろうな……一体。」

 

――――――

 

 何を言っているのか。

 

 霊夢が叫び、怒りを露にする。しかし紫は俯き黙ったままだ。事はものの数分前、ちょうど魔理沙が目を覚ました時と同じくして、紫が博麗神社を訪ねてきた。

 

「――?ん、紫じゃない」

「!なかなか、早く気取るようになったわね。」

「そりゃ、いつから押しかけられてると思ってるのよ。ちょっと待ってて、着替えてくるから。」

「いえ、そのままでいいわ。話があるだけよ」

「……そう?まぁアンタがいいなら、別にいっか。」

 

 布団から起き上がってぼんやりとしていた霊夢は、紫の訪問を見抜いた。そして、白い寝巻きのまま、畳の上に座る。いつもと違い、当然ながら下ろしている髪を肩から払いのけて、すっかり切り替わったように紫と目を合わせた。

 

「で?どうしたのよ一体。こんな朝早くに、異変かしら」

「……いえ。それよりも事は深刻、かしら。」

「何よ、酷い顔するわね。ホントにヤバい話なの?」

 

 からかうような発言だったのだが、打ち菱がれたような顔をする紫に、霊夢は眉を潜める。ただ事で無いのは分かるが……解らない。いっそ魔理沙とかだったら、勘でどうにか話題を察せるのだが。

 

「まぁ、急ぐ話じゃないなら、お茶でも淹れましょう。本当に酷い顔よ、アンタ。……ほら、来てよ」

「えぇ、ありがとう」

 

 正直言って、気味が悪い。いつもあんなに自分を導き使い潰す彼女が、後ろを歩いているという状況すら、朝の空気よりも冷たい寒気を覚えそうだ。

 しかし、本当にどうしたというのか。霊夢は心当たりを探すが、これといって事件は無かった、はず――。

 

(あ、在ったわね……忘れてた訳じゃ無いけど)

 

 あの外来人だ。確かにあの時も紫は変だった。複雑に瞳を曇らせて、弱々しい佇まいで。何か知っているようだったが、魔理沙も居たせいで聞き損ねていた。それに霊夢の勘は、事態があまり軽くない事をも悟った。

 結局、考えるのを止めて、次の機会にでも話を聞こうと思っていたのだが、そういえば彼女は一体、どういう存在なのだろうか。ただの人間には見えないし、と霊夢は少し引っ掛かりを覚える。

 

「ちょっと座ってて。すぐ戻るからね」

 

 台所に早足で向かう。何にせよ今は紫の事だ。精神が狂って果てには異変でも起こりました、なんて笑い話にもならない。いやまぁそんな事にはならないだろうが、霊夢は最悪時の事を想定して、懐に何枚か常備している札に霊力を流した。万が一すぐに結界を張れれば、後は問題無いだろう。

 

 温かい湯呑みを二つ両手に持って、来た廊下を戻る。紫は少し俯きがちに座りつつも、案外いつも通りの様子で待っていた。顔色もいくらかマシになった気がする。

 やはり、彼女はこうでなくては、霊夢も調子が狂うというものだ。少しホッとしながら自分も座布団に座った霊夢は、茶を一口啜ると優しめに話を切り出した。

 

「それで、どうしたの?依頼では無いようだけど……」

「えぇ。伝えなければいけないこと、なの。貴女と――」

 

 魔理沙に。心なしか不安そうな声で、意外な名前が。霊夢は疑問符を浮かべたが、今咎めては話が進まない。紫もそれを察したのか、少しの沈黙から言葉を探るように目線を左右させると、口を開く。

 

「気づいているかもしれない、アスカの事よ。」

「!」

「彼女は……普通の外来人では無いの。それは判る?」

「まぁ、何となく。感じてはいたけれど」

「そう、よね。」

 

「それで……?」

「彼女が……"迷い人"であることも、気づいていたの?」

「!……まさかとは思ったけれど、そうだったの。私の勘も捨てたものじゃないわねぇ」

 

 少しおどけたように言ってみせたのは、紫の声色が前より少し沈んだから。そして霊夢の感じた事は、やはり正答だったようだ。

 彼女、未来禍は、"夢の迷い人"なのだ。

 しかし、話がそれだけであったなら、今には至らないはずである。紫は決心したように、顔を上げて句を紡ぎ出していく。

 

「アスカには……外界の記憶が無いの。」

「それは、まぁ見たら分かるけど……?」

「霊夢には、何故だか解る?」

「え……それは、何だろう。現実を忘れている……いやもしかして……忘れたい、だけ?」

「さすがね。」

 

 解らない。霊夢が今まで出会った外来人は、幻想郷に居ることを望む事は有れど、現実を忘れたい、その果てに記憶を無くすなど、聞いたこともない。

 未来禍……夢の迷い人なら尚更だ。夢の中に居て記憶を無くすとは、どういう了見なのだろう。

 

「彼女は、彼女の現実は……あまりに辛すぎる。」

「辛すぎる……だから、忘れたっていうの?」

「……逃げている、と言うべきかしらね。アスカは……彼女の本質ではない。別人格、もしくはそれ以上に疎遠な存在よ。」

「ど、どういうこと?アスカは、アスカじゃない?」

 

「恐らく、"理想"なのでしょうね。」

 

 紫はそう言うと、目を伏せた。霊夢は未だ理解が追いつかなかったが、これから語られる事こそが、重要性を持つ事は感じた。朝の陽射しが凍りついた空を溶かしていく中、告げられるのは辛すぎる現実と真実。

 

 

「アスカの命は、あと一週間……それだけよ。」

 

 

――――――

 

「何言ってるか分かってるの?!」

「……。」

「ねぇ、何とか言いなさいよ。紫!」

 

 信じたくもない。今まで妖怪の命を奪う事すら、躊躇してきた霊夢には、あまりに重すぎる意味を持つ、その発言を、受け入れるわけにはいかなかった。それでも紫は、すっと背筋を伸ばして唇を動かす。

 

「彼女は今病院で、最期を迎える病棟に入っているわ。もう、現実では助からない。だから……」

「ふざけないでっ!!!」

 

 怒声が響きわたる。霊夢はその赤い瞳を燃やして、紫に対峙した。今までの優しさなど、どこにも無い。人間の少女として、あるいは巫女として、霊夢は訴えた。

 

「せめて夢の中では、幸せに過ごすってこと?それこそ一番の苦痛だわ!最期に家族とも愛人とも会えずに、何が幸せよ!?」

「それでも、これは彼女自身が望んだ事よ。」

「アスカが……?どういうこと、アンタは何をしたの?」

 

 紫は次第にいつもの調子を取り戻し、厳しく諭すような口調で、淡々と事実を告げていく。霊夢の核心を突く問いに答えようと口を開き、そして動きを止めた。

 

 突然の出来事だった。障子が突風に大きく音を発てて揺れる。嫌な予感だ、霊夢が外に顔を出すと、見慣れた背中が小さくなっていく。朝の蒼空を駆けるその姿は、最悪の事態を指している。

 

「――!」

「"一時的に相手の動きを阻害する"か。弾幕ごっこじゃ使えないけれど、面白い魔法だわ」

 

 知られてはいけなかった。彼女には――魔理沙にだけは。今日はここまでにしましょう、と紫は言った。霊夢は引き留めるのも忘れて、ただ彼女が飛んでいった虚を、揺れる瞳で見つめていた。

 

――――――

 

「アスカ……少し休んだらどうだい?」

「……やだ。」

 

 もう何回目のやり取りだろうか。朝から未来禍は店の戸口に立ちっぱなしだ。魔理沙を待っているのだろう、しかし今日に限って彼女の来訪が無い。霖之介はため息を吐くと、せめて座るようにと木製の椅子を置いて、茶の入った湯呑みを小さな両手に握らせた。

 魔理沙とは親しく話していたが、自分とは出会った時以来の会話は無い。あまりに不思議な彼女の出で立ちに興味は涌くばかりだが、そんな事訊けるはずも無く。彼は結局、当たり障りのない話題を選びつつ、未来禍の隣に座った。

 

「昨日は、何をしていたんだい?紅魔館に行ったそうだけど。」

「……話してたら、寝ちゃった。」

「え……誰と?まさか、吸血鬼とか」

「そう。吸血鬼……れみりあ、っていう」

「館主の方か……何ていうか、魔理沙も魔理沙だな。」

「……あ、のね。」

「ん?」

 

 ふと、彼女の見た目にそぐわない、幼い声がする。隣で温かい湯呑みを抱える未来禍を、霖之介は少し驚いたように見下ろした。

 

「あの人……私を知ってたの。」

 

 人じゃないけど、と口の中で付け足す未来禍の言葉の真意を、霖之介は汲み取る事が出来ずに黙る。未来禍を知っているというのは、どういう意味なのだろう。彼女が此処に来たのは、一昨日――あるいは、それより少し前の事だ。それなのに、人里などとは疎遠なレミリアが彼女を知っていたとは、一体。

 

「きっと、私を此所に連れてきた人と同じ。」

「……君は、誰なんだ?」

 

 思わず声に出してしまう。霖之介には、その少女の声がとても遠くに感じられたからだ。儚く透けそうな色白の手が、そっと彼の一回り大きな手を握りしめる。まるでしがみつくような仕草に、霖之介は彼女の顔を覗き込んだ。

 

「私は、私……香霖は、そう思わないの。」

 

「そう、だね。すまない、アスカ。」

 

 初めて何かを孕んだような声に、霖之介は頷き、少女の銀髪を手で鋤いた。しばらくして、こてんと肩にその頭が預けられ、確かな鼓動を伝えるように、右手がより強く握られた。

 微かに伝わる震えが、何に怯えるものなのか、霖之介には分からない。その事実をただ噛みしめることしか出来ない彼の気持ちもまた、未来禍には分からない。涙を流して彼の手にすがり付くのは、彼女では無いから。

 

******

 

 偽りの優しさにはない温もりが、両手に伝わってくるから、思わず涙が零れた。この世界から獲るモノは、外の世界――現実では、何も感じられない。

 

 どれだけ熱を持ったように聞こえる言葉も、一度本人を目の前にすれば、他人の心の内など透けて見える。眼を見れば、何を考えているのかなんて、紙に書いて見せられているも同然だ。

 

「なのに、どうして……」

 

 あぁ、そうか。この人は"僕"を知らないんだ。

 震える両手に伝わる熱も、向けられた眼差しの輝きも、全て。"未来禍"と名づけられた"私"に贈られたモノなのだ。

 知られてはいけない。マリサにも、コーリンにも。私の心の奥底に、今も横たわる僕の存在を。今はただ、熱を持ったこの世界を、感じていたいのだ。どんな報いも僕が受ける、未来禍は踊っていればいい。

 

 僕が造り出した小さな両手には、この辛さは抱えきれないはずだから。

 

******

 

「……藍。」

「は、はいっ!」

「これ、片付けておいて」

 

 ダメだった。もっと上手く伝えるはずだったのに。

 紫はため息を吐いて、式に後を任せるとマヨイガへとスキマを開いた。とにかく今は疲れてしまった。少し、休んでいたい気分だ。紫の足音に気づいたのか、橙が顔を覗かせる。

 

「紫さまっ……あっ、おいそがしいですか?」

「……いえ、大丈夫よ。どうしたの、客間で何をしてるの?」

 

 紫の表情を見て心配そうな目をしていた橙だったが、紫が微笑みかけると、パアッと明るい笑顔を見せて手を招いた。

 

「?」

「ねぇ、紫さま来たよ!」

「「えっ」」

 

 聞き覚えのある声だ。それも二人分、客間から聞こえてくる。少女らしき声音が囁く。

 

(まさか……)

 

「やっぱり勝手に上がってよかったのかなぁ……」

「いや、お前な。今さらそんな事言われたって……」

 

 耳を疑った、やはり彼女達の声だ。立ち尽くす紫の耳に聞こえてくるのは、懐かしくも新しい、少し成長した二人の少女の話し声。

 

「よし、挨拶しに行こう!」

「え、ちょっ。引っ張らないで……っ!?」

「大丈夫だよ~、早く来てってば♪」

 

 上機嫌な声を上げるのは、冬の流星を司る少女。

 それに対して戸惑うのは、夏の彗星を司る少女。

 

「お久しぶりです、紫さん!」

 

 障子を清々しく開け放って、水色の髪が覗き、次いで星を宿す瞳がキラリと眩しく光った。人懐っこく笑顔を浮かべた少女に続いて、オレンジの髪をふわりと揺らして顔を覗かせるもう一人の少女も、微妙な表情で呟く。

 

「久しぶり、です。」

「声が小さいよ、燐乃亜!」

「えぇ……先輩、じゃなくて魅空羽がいきなり引っ張り出すからだろ……?」

 

 如月魅空羽。それと、葉月燐乃亜。

 先々代の迷い人である燐乃亜と、そのまた先代である魅空羽。彼女らの背は、見ない内に少し伸びたようだ。少し印象が違うのは、燐乃亜の短髪がかなり長くなっているからか、もう短髪ではなくセミロングくらいだ。

 

 紫は、自分でも分かるほどぎこちない笑みを浮かべ、ふいと目線を逸らした。あの混沌と怒涛の一年を経た二人だからこそ、こんなに眩しいのだ。この光を幻想郷から絶やしたくない。未来禍を……どうにかして助けたいのだ。

 

「紫さん?どうしたんですか、何か……」

「魅空羽。」

「は、はいっ」

「燐乃亜。」

「え、な、何?」

 

「貴女達に、もう一度だけ、助けてほしい事があるの。」

 

――――――

 

 揺れる瞳と心模様を写したように、時々箒が不安定にぐらつく。その柄をぐっと握りしめて、目を瞑った。三月の空は薄ら寒いが、それ以上に両手が冷えきっていた。ふと彼女の身体の冷たさをリアルに思い出して、さらにきつく目を瞑る。

 

「魔理沙ーー!」

「!?」

 

 最悪のタイミング、声をかけられた魔理沙はより強く箒を握りしめると、急降下の姿勢に入った。いつもの癖で向かう先は香霖堂にしてしまったが、今止まったら声の主に捕まる事間違いない。

 

「お願い、待って!魔理沙、魔理沙止まってよ!話を――」

「話すことなんて無いだろ。帰ってくれ」

「……っ!」

 

 自分でも驚くほど冷たい声が、空によく響いた。息を鋭く吸う音が聞こえた。しまった、と魔理沙は少し、後悔していた。声の主……霊夢への発言にではなく、目の前の状況を見たからだった。

 

「魔理沙……?」

「~~!」

 

 霖之介の心配そうな目線から顔を背けると、隣に座っていた未来禍に目が行った。霖之介の肩に頭を預けて、どうやら寝ているようだ。

 魔理沙は自分の立場も忘れて、思わず呟いた。

 

「アスカ……」

「あぁ、朝からずっと、魔理沙を待っていたんだよ。」

「私を……?」

 

 ふと、彼女の言動がフラッシュバックする。怯える声に冷たい手先、彼女の中の消えそうな灯。目の前が霞みゆくのを、魔理沙は嫌でも自覚した。

 

「……魔理沙。来て、話をしましょう」

「嫌だ。」

「魔理沙っ!」

 

 吐き捨てるような拒否に、霊夢は魔理沙の肩を掴んで引き寄せた。魔理沙は、何かを噛み締めるように俯いていたが、暫くして小さく呟いた。

 

「10時に私の家だ、霊夢。」

「……片付けておいてよ」

 

 それだけ話すと、二人は別の方向へ飛び去っていったが、後に残された霖之介は、何か嫌な予感、余寒を感じていた。

 

――――――

 

 各々で事が動き始めたのと、時を同じくして。

 

「……嬢様……!」

「……なさい……しっかりしなさい、レミィ!」

 

 意識の奥底から帰還、レミリアは咲夜とパチュリーの呼びかけに辛うじて手を上げた。安堵と呆れのため息が二重に響く中、レミリアは目を開けた。

 咲夜の腕に抱えられ、傍らには少し息を切らしたパチュリーが立っている。本来レミリアしか立ち入る事のできない、予言の間……という名のまぁ、見かけばかりの部屋ではあるが、能力を使用する際には意外と役に立つ此所。レミリアは"彼女"の運命を詳しく読み取るために数分前、咲夜と共に入室した。といっても、咲夜の役目は単なる見張りであり、特に必要ないと思われていたのだが――。

 

「良かった……お嬢様……」

「咲夜……ありがと。でももう大丈夫よ、紅茶を淹れてきてくれる?」

「はいっ、畏まりました」

 

 そっとレミリアを立たせて、咲夜はぱたぱたと廊下を走っていった。咲夜にはかなりパニックな状況であっただろう。況してや占いなどとは無縁の彼女だ。どうしていいか分からずパチュリーを呼んだのか、通信用の魔法具に魔力の痕跡がある。

 

「……それで、何か視えたの?」

「キャーでワーでアー、よ」

「レミィ?」

「冗談。咲夜が来てからにしましょう」

「あの子にも聞かせるのね……意外だわ」

「当たり前でしょう、私の従者よ」

 

 話の内容を半ば察したようなパチェに、レミィは椅子に座り直して軽く笑った。咲夜は人間でありながら、人らしさを感じさせない。だが、パチェは少し心配そうな目線をレミィに向けていた。

 

「……あの子が動き出すのは明日の朝よ。それまでに、整理がつかないようだったら、咲夜は置いていく。それでいい?」

「えぇ。分かった、それならOKよ」

「すみません、遅くなりました」

 

 妥協案に至った二人の所へ、咲夜が早足で戻ってきた。まだ少し困惑しているのか、時を止めるのを忘れているようだ。

 

「さて……私達がどうするべきかが決まったわ。咲夜、悪いけど美鈴を呼んでくれる?今回はアイツも動かそうと思う。」

「はい。」

 

 そう聞くと、咲夜は徐に窓を開けた。日光は射し込まない設計なので、外の暖気だけが流れ込む。風切り音が鋭く響き、ちょうど真正面の門から悲鳴が聞こえる。

 

「アイヤァァァ!!?」

「美鈴ー!!!まーた寝てたでしょアンタはぁぁぁ!!!」

「あ、あはは……でっでもいきなりナイフ投げるのは」

「つべこべ言わずに来いッ!!!」

「はいぃっ!!!」

 

 一頻り怒鳴り合いが終わると、パタンと窓を閉める。いい笑顔を見せる咲夜に、二人もそれぞれ微笑んだ。

 

―――――

 

 所変わって、魔法の森の奥、魔理沙と霊夢は真剣な顔で机上を見つめていた。

 

「……それで、どうすればいいの。」

「何だよ」

「私は今、どうしたらいいのよ。」

「……知らねえよ。自分で考えりゃいいだろ」

「だって……私――

 

 

 

 

 

 

 チェスのルール解らないし。これ、どうすればいいのよ?」

「だから自分で考えりゃいいだろって!」

 

 純粋に首を傾げる霊夢に、魔理沙は深くため息を吐きながら天井を見上げた。元は手持ちぶさたになるのが嫌で、ガラクタの山……ではなくコレクションから引っ張り出してきたゲームなのだが、これでは一向に話が進まない。止めだ、と言って盤と駒を再び部屋の奥へと投げ捨てた。

 小さな家は再び森の静けさに呑まれ、霊夢はチラチラと光る木漏れ日を、さして暖かくもないのに眺めていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

 

「……アスカって、どんな感じ?」

「……何考えてるか、ちっとも解らない。何か寂しそうっていうか……今考えりゃ、分かりきってるな。」

「それはどうかしら?」

 

 魔理沙が怪訝そうに顔を上げると、霊夢はちらと目線を戻して、人指し指を立てた。

 

「例えばの話ね、アスカの事を全て、紫が知っていたとしたらよ?そうしたらアスカは、紫に保護されるのが、筋ってものでしょ?」

「そう……だな。」

「でも、紫はそうしなかった。否、出来なかったのだと思うの。」

「……?」

 

 魔理沙は、より一層怪訝そうに眉を潜めた。霊夢は、とある仮説を導きだしていた。

 

「逃げたのよ。アスカが、自分の意志で。」

「なっ……んなバカな事できるのか?だって」

「そうね。もし紫が匿っていたんだとしたら、確実にそこはスキマの中。逃げることは不可能……でも思い出してよ魔理沙。」

 

「……!そうか、"能力"か!」

 

 未来禍の能力、"ありとあらゆるものを使いこなす"。それはスキマとて例外では無い。とんだチートだな、と魔理沙は苦笑した。

 

「そうしたら、香霖堂に行き着いたのも納得がいく。」

「なるほどな……でも、待てよ。何でわざわざアスカは逃げたんだ?スキマの中は確かに退屈かもしれんが、安全性はこの上ないだろうに」

「恐らく……紫がアスカの事を知ってしまったから、でしょうね。」

 

 魔理沙は最悪のビジョンを脳裏に描いた。もし自分や霊夢が彼女の事を知ってしまったと、アスカが気づいていたら?

 間違いない、彼女はまた逃げるだろう。どこに向かうかは分からないが、彼女は無防備すぎるのだ。まず確実に、野良妖怪どもに……

 

「っ!」

「そうさせないように、私達は動かなきゃならないのよ。魔理沙……あと、一週間なの」

「その件については認めない、が。その前に死なれちゃ困るのは確かだ。一応は協力するぜ」

「……熟哀れなものね、人間ってのは」

「同類のくせに、よく言うぜ。」

 

 紅白の巫女と白黒の魔法使いは、余裕の笑みを取り戻した。

 

―――4―――

 

 そして恐れていた夜は来る。

 

 決して殺戮が始まるわけでも、異変が起きるわけでも無い。しかし確かに、妖怪たちはざわめいていた。濃厚な死の気配、それは自分達に降りかかるものではない。

 

 ならば、行こう。そして喰らおうではないか。その肉から溢れ出る血を啜り、死す瞬間に零れる霊力を、余す事なく味わい尽くす。黒々とした狼のような群れは、一斉に山を駆け下りた。

 目指す先は、本能が教えてくれよう。その身から捧げられる言葉のままの死力に、妖怪達は飢えていた。

 

 

 

 時を同じくして、少女も駆け出した。裸足のままで夜の闇へと、決して大きくはない商店を背にして走る。

 

((もう、此所には居られない。))

 

 一人の少女は、それを悟ったから走る。

 一人の少女は、それを感じて涙を流す。

 

 何かから逃げるように、どこに行くわけでもなく走り続けて、ふと立ち止まる。月が照らす小道の先は、どこともしれない開けた土地だった。

 

「……。」

 

 辺りを静かに睨むと、確かに感じる。妖獣の気配だ。妖怪には主にあの館で会ったことがあるが、それよりか弱そうだ。ならば、今の自分で相手取れるやもしれん。

 

 少女は強まる威嚇の声に、ただその場に立っていた。次の瞬間に、妖獣・グリムの群れは四方から一斉に飛びかかった。

 

「グルアアアッ!」

「っ!」

 

 群青色の瞳を鋭く細めた少女は、狂ったように宙から押し寄せる黒い塊に、手に握っていた刀を横に凪いだ。香霖堂から勝手に持ってきた護身用ではあるが、流石というべきか中々の威力である。

 敵意を見せた標的に向かい、グリム達は牙を剥いた。剣術の心得など何も持たないが、闘うしかあるまい。

 

 柔らかな月光を吸い込んだ銀髪が、夜風に凛と靡く。少女の能力の前に、刀の柄はしっかりと手に馴染んだ。

 未来禍は、目の前の大群に向かって大きく刀身を上へ振りかぶる。ぎゃあぎゃあと喚くアイツ等を切り刻み、もっと先へと進まなければならない。夜が明ければ、彼らは自分が居ないことに気づくだろう、と。そうなれば事態はまた、深刻で厄介で、未来禍の一番望ましくない結末を迎えるだろう。

 

 彼女は思わず強く目を瞑った。嫌だ、それだけは。

 

 この世界で作り上げられた"未来禍"の存在だけが、今も夢現の境界を越えた彼方で眠る"彼女"を生かしているのだから。幻想郷で感じた温もりを、此所で絶やしてはいけない。あの優しい笑顔は、躊躇なく差し出された掌は、次の来訪者を導くためにあるのだ。

 

「……ごめんね、魔理沙。」

 

 今までとは違う声音、現実へと引き戻されつつある己の精神を研ぎ澄まし、未来禍は一歩前へ踏み出した。

 

――――――

 

 ゆったりとした寝装束に身を包み、ふらふらと廊下を歩く霊夢。寝ぼけているのか疲労からなのかは解らないが、そんな意識を叩き起こす声が響いた。

 

「霊夢っ居る!?」

「は~?居るに決まってんでしょ、ていうか何よ……橙?珍しいじゃないの……」

 

 もう夜でしょ、とジト目で嗜めるが、橙は勢いのままに捲し立てるばかりだ。しかもその大半が伝わらない。仕方ないのでお祓い棒片手に一発軽く叩くと、力加減を間違えたかそのまま境内に突き刺さった。これには霊夢も少し……ほんの少し反省したが、深く考えることは無かった。簡潔に言おう、彼女は眠かったのだ。

 

「ん~……でも紫を呼ぶのも面倒だし……ちゃっちゃと寝ちゃいましょうか。明日は久々に大仕事だし……良いよね?」

 

 その大仕事が早まったとは露知らず、平和な少女巫女は驚くほど手際よく眠りについてしまった。……念の為付け足そう、魔理沙も同様である。

 

「~~~~!!!(ら、藍しゃまぁぁぁ!!!)」

 

――――――

 

 幻想郷時間午後10時、グリムと未来禍が衝突した。

 

 レミリア率いる紅魔館、和解に至った霊夢と魔理沙、そして紫達は、その運命の行く末を、残り僅かな命を、最後まで残る希望的観測を護るために、各々に動くことを決意している。

 

……はずなのだが。

 

「動かないわね……このままじゃちょっと危ない?」

「はい。立ち回りがまるで素人ですから、明日まで持つかどうか……」

「そうよねぇ。どうせなら宝刀とか掘り出してくれば、まだ勝ち目があったはずなんだけど。」

「それはちょっと……無理がありますよ。幽々子様」

「あら?そうかしら、妖夢」

 

 ふふ、と柔らかく笑いながら、宙へ映した戦況から目を離した幽々子に、苦笑と頷きを返す妖夢。自身の刀・楼観剣を磨きながら、何度目かの欠伸を噛み殺す従者の姿に微笑ましく思う暇は在れど、状況は依然として良くないのも事実。

 

「早くしないとあの子、ホントに駄目になっちゃう……最悪の場合は私が行きましょうか?」

「えぇ……その必要は無いと、信じたいものだけれど。」

 

 妖夢は瞳を曇らせながら、膝に乗せてある二振りの刀を見下ろして問った。頷く幽々子も、あまり乗り気では無さそうだ。はぁとため息を吐いて、幽々子は溢す。

 

「あんなに可愛い子なのに、ホント残念よねぇ。紫からは、無闇に関わらないようにって言われちゃったし。皆して酷いわよねー?」

「あ、はは……紫様からしたら、あれも生死の"境界"、なんでしょうね。干渉できるからこそ、その重みが感じられる……のでしょうか?」

「……かもね。私達にとっては、些細な事かもしれないけれど、必死で生き急いでるあの子達には……少し辛いのかも」

 

 冥界の主は、儚げな笑みを浮かべると、再び戦況へと興味を戻した。妖夢があっと声を上げる。

 視界を埋め尽くすのは、懐かしい星の輝きだった。

 

――――――

 

「よっ……いつ振りだろうな。闘うのなんて」

「んーと……あ、紅魔館のデスゲームじゃない?」

「そんなのもあったな……まぁ鈍ってないようで良かった、のか?」

「うん……すごく、微妙だけど」

 

 何せ二人とも普段は普通の学生なのだ。特に嬉しい訳でもない。余談だが、魅空羽は高校一年、燐乃亜は中学三年へと、今年進級している。燐乃亜からすれば、

「何が悲しくて、受験生が丸一日寝てんだよ……」

と、言わざるを得ない。

 

「よーしっ!殲・滅・完・了☆」

「頼まれてたのは確か"護衛"だったよな?」

「うん……紫さん、女の子って言ってたけど」

 

 魅空羽は、ステッキをくるくる回しながら、死屍累々といった感じの現場を見渡す。道は絶えているが、広い土地だ。どうやら見当たらないので、先に進んでいるのだろうか。

 

「何があったかは分からんが、とりあえず死なせちゃあいけないな。急ごう、魅空羽!」

「了解!」

 

 燐乃亜は地面を蹴ると、蝙蝠のような羽を広げて飛ぶように走った。魅空羽はステッキを一振りして、星形の盤を作り出して、ひょいと飛び乗った。

 

「秘技・星サーフィン!」

「何だそれ。」

 

 呆れた目で燐乃亜は呟くが、魅空羽は割と楽しんでいるようだった。にこりと笑うと、魔力をブーストして、速度を上げた。

 歴戦の夢の迷い人は、夜空の下を並んで駆けていく。彼女達の運命は実に奇怪だ、と紅魔は言った。それは、数少ない招かれし者として、幻想郷へ招かれた事だけではなく、その存在が周囲に……幻想郷に与えた影響の事を言うのだろう。

 星を司る力を持った少女らは、結ばれるべくして絆を作り出した。それは強く互いを奮い立たせ、いくつもの試練を乗り越えてきた。

 

 それを今、彼女に伝えることが出来たなら。

 

 同じ夢の迷い人である少女・未来禍を追って、二人が足を踏み入れたのは、先程よりも大規模な獣の群れだった。

 

「"爆風シャイニーズフレア"!そーれっ!!!」

「……お前、護る気あるのか?」

 

 まぁいいか、とぼやきながら、燐乃亜も焔の霊殿から召喚した火球で、辺りを荒らしていく。

 そこら辺を飛んでいた氷の妖精が、余波で燃え尽きたのは、また別の話である。

 

――――――

 

 耳障り、不快、睡眠の邪魔……そうだ、消そう。高級感溢れるベッドに潜り込んでいたレミリアは、ガバッと起き上がった。

 

「さくやぁ……咲夜ーっ!!!」

「は、はいっ!」

 

 すぐそこの廊下に居たのか、ドアの向こうから焦ったような声が聞こえる。どうやら話していたのは、妖精共ではなく咲夜だったようだ。何故こんな夜更けに?と、レミリアが首を傾けていると、ドアが開いた。

 

「レミィ!起きたのね、丁度良かった。すぐに出る準備をして頂戴。」

「え?何で?」

「……本当に気づいてなかったのね。」

 

 あからさまにため息を吐いた声の主――パチュリーはベッドに歩み寄ると、指先に魔力を籠めてレミリアの額を弾いた。

 

「痛っ」

「いい?貴女は間違えたのよ、レミィ。貴女は、彼女が動き出すのは確か、明日の朝だと言ったわよね?」

「え、えぇ。だってそう視えたから……」

「でも違った。それは別にレミィの予言が外れた訳じゃ無いわ。当然の事だったのよ!」

 

 レミリアは、咲夜の持ってきたいつもの服に着替えてパチュリーの語彙が少し強まるのを聞いた。自分も一瞬で支度を済ませた咲夜は、理解が追いつかないという顔をしてパチュリーを見た。

 

「咲夜、今何時?」

「10時です。」    . . .

「そう。それなのよ、幻想郷では午後10時なの。」

「あっ……」

「っ!」

 

 眠気が吹き飛んだというように、レミリアは目を見開いた。察したような薄い笑みを浮かべて、パチュリーと咲夜は頷いた。レミリアもやがて口の端に笑みを浮かべて絞り出すように言った。

 

「……運命、上等じゃない……!行くわよ、咲夜!」

「仰せの通りに!」

「はぁ……レミィってば調子いいわよね、ホントに。」

 

 呆れたようにパチュリーは呟くと、館を猛スピードで後にした二人を、静かに見送った。

 

―――――

 

「……夢さん、霊夢さん!」

「ん、ぁ……?」

 

 そよ風のような声に揺さぶられて、霊夢は意識を引き戻された。まだボンヤリした視界に、若葉色の髪と燐光が舞う。

 

「……何で妖精が居るのよ、ん?てか大妖精じゃない」

「霊夢さん!せ、戦争が、チルノちゃんが!」

「はぁ?戦争?チルノはどうでもいいけど、戦争って?」

 

 慌てたように捲し立てる大妖精の、戦争という物騒なワードに目をつけた霊夢は、一応上体を起こして、話を聞く事にした。

 

「霧の湖の手前に、広い更地があるじゃないですか。」

「うん」

「そこに黒い狼みたいな妖怪がいっぱい居て……」

「うん……?」

「その群れを相手に放火魔してる人間が居たんです!」

「え」

「戦争ですよ!余波でチルノちゃんは吹き飛んじゃったし、私どうすれば……」

 

 霊夢の行動は実に迅速だった。乱れた髪もそのままに巫女服へと袖を通すと、枕元のお祓い棒をひっ掴み外へ飛び出した。少し飛んで宙で振り返ると、大妖精が赤い髪留め片手に追いついてきた。

 

「ありがと……着いてきなさい、大妖精。チルノでも何でも助けてあげるから、魔理沙を呼んできて。」

「わっ、分かりました……!」

 

 いくら妖精が馬鹿でも、叩き起こすぐらいは出来るだろう……出来るはずだ。冷たい風にふわりと靡く黒髪を結わえ、霊夢は再び決戦の地へと飛び出した。

 

******

 

 息が苦しい。現実の私は今、どう感じているのだろうか。同じく荒い呼吸を繰り返しているのか、ただ安らかに眠りについているのか。

 そこまで考えた未来禍は、顔をしかめた。何を考えているのだろう?現実の私って、何だ?と。

 

 幻想郷に生まれた、理想と夢想に縁取られた少女は、その存在を揺らがせた。

 初めて、現実の世界で夢を見る、自分の宿主について意識した。

 

(気づいたの……?)

「貴女は……誰?」

 

 この瞬間、無意識下で一体化していた未来禍と少女は、互いを認め合ってしまった。そして、未来禍は完全な自我を手に入れたのだ。

 

(僕は……っ)

「どうしたの……?」

(う、ううん。僕は、キョウカ。)

「キョウカ……どう書くの」

(暁に、華で、暁華。)

 

 刀を振るいながら未来禍は、自分の中に語りかける、少女の名前を訊いた。暁華はどこか苦しそうに答えると、途切れ途切れに話し始めた。

 

(良かった……僕、心配だったんだ。まだ、時間はあるみたい、だね……っ)

「何を……?」

 

 独りごちるような口調の中に、時々息の詰まるような声がする。何を言っているのか分からない、未来禍は胸の奥で疼く痛みに気づくこと無く、獣の群れを叩き斬る事に専念した。

 

(皆は、来てくれるのかな……僕、期待しても、いいのかな……?)

「……」

(あはは、そうだよね……っ。此所には、もう……居られないんだよ、ね。気づいてるよ、でも……でも……っ!)

 

 啜り泣く声、グリムの姿は絶えて、未来禍はその場に立ち尽くした。そして、頭の中で踞る暁華の声に静かに耳を傾けた。

 

(……怖いよ。まだ、帰りたく、ない……暖かくて、皆が優しく、て……幻想郷なら、僕……生きていける気がしたんだ…………!)

「キョウカ?」

 

 ついに声は途切れて、浅い呼吸だけが聞こえる。いつの間に、暁華と未来禍の息遣いは重なっていた。地面に膝を付き、胸を押さえる二人の姿は……重なった。

 

「ーーー!」

 

「居たっ!あの子だよね?!」

「多分な……あれ無事なのか?」

「分からない。だといいけど……」

 

 少し遅れて、少女達の声が響いた時には、暁華の意識は無かった。七日の猶予はもはや残されていない。

 

―――5―――

 

 幻想郷の夜はついに、日付を越えた。

 

 獣の屍が転がる草原を眼下に、霊夢は空を駆けていたのだが、ついに兆しが見えた。遠くに、虹色の光が立ち上っているのだ。

 

「あれは、魅空羽の……!」

 

 さらに加速して、無数の星が示す草原の一角を目指す霊夢。が、その下にある光景に愕然とした。

 

「……、!お前は……」

「え、霊夢っ!久しぶり……じゃなくて、えぇと」

「事情は大体察したわ。燐乃亜は続けていて。」

「あ、あぁ。」

 

 魅空羽と燐乃亜は、降り立ってきた霊夢を見るなり、声をかけたが、説明は不要だと言われると、活動を再開した。優しい色合いをした炎が、燐乃亜の両手から溢れゆく。そして、横たわる未来禍の身体を包み込み、傷を癒していくようだ。いつの間にそんな優れた魔法を……と思ったが、確か彼女は焔の霊殿を度々訪れていると、萃香に宴会場で聞いたことがある。

 

「それでその、魅空羽。状況は?」

「一高校生に判るのは、あんまり良くないって事ぐらいだよ……。でも、まだ間に合うは」

「無理よ。」

「――ず……え?」

 

 楽観視した笑みを浮かべようとする魅空羽に、霊夢は思わず言葉を遮ってしまう。一転キョトンとした表情になる彼女から目を逸らし、激しく後悔を覚える。仕方が無い、と割りきって、霊夢は実情を語ろうとしたのだが。

 

「ま……だ、闘、わ、な……きゃ……」

「「「!!!」」」

「生きて、いなく……ちゃ……魔、理沙……」

 

 違う、未来禍の声じゃない。いや、確かに未来禍の口から零れ出る言葉なのだが、声音はまるで違った。霊夢はショックで何も言えなかった。

 弱々しく投げ出されていた右手が、転がっていた刀を握り直す。慌てて燐乃亜が手を離すと、それを地面に突き立てて、支えに立ち上がる。汚れた頬をぐいと拭うと振り向いて、初めて優しい笑みを浮かべた。

 

「……アスカ。あんたは、一体……」

「霊夢……キョウカだよ。」

「っ?」

「僕の名前は、キョウカ。アスカじゃ、無いんだ」

 

 ごめんね。

 

 震える唇がそう囁く。未来禍……暁華の目線の先には新たなグリムの群れが立ち塞がっている。それだけではない、どうやら囲まれてしまったようだ。

 各自武器を持ち直し、魔力を練り直し、臨戦態勢へと移行する。かなり釈然としない霊夢だったが、まずは敵を打ち倒してからだと気持ちを切り替えた。

 

「わああっ!」

「「「?!」」」

 

 緊迫を破ったのは、魅空羽の奇声だった。前方には、彼女のスペルカード"オーロラアテンションロンド"。

 それから1秒と経たなかった。その障壁を切り刻む勢いで、無数のナイフが飛翔してきたのだ。風切り音と共に飛んできたソレは、弾かれて背後の軍勢にも影響する。

 

「一瞬だったのに、よく気づいたわね。」

「咲夜さんっ!だから、3はどこへ?!」

「誰も3で投げるとは言ってないわよ?」

「え、えぇ……」

 

 何か色々とぶち壊してくれやがった人物の正体は、何でだか知らないが咲夜だった。霊夢が呆れたように見ているのに気づいた魅空羽は、慌てて弁解する。

 

「さ、さっき時が止まったんです!だから、嫌な予感がして……」

「普通に投げても避けるでしょう?これ」

 

 ひょいと目の前の屍をつまみ上げ、咲夜がイタズラに笑う。実際上は、超高速のその刃から逃れられるのは、霊夢やレミリア達ぐらいだろうが。

 はぁとため息を吐く霊夢に背を向けて、魅空羽があぁと声を上げた。切り裂かれ、大きな穴となった大群の間を、悠々と歩いてくる一行。

 

「……少しばかり、到着が遅いんじゃないの?」

「すまないね、どうやら今宵は裏切られたようだ。」

「運命とやらに?笑わせるわね。」

 

 霊夢の軽口に、強ち嘘とも言えない言葉を返す幼き妖は、妹とその従者、親友とオマケを引き連れて合流を果たした。そう、紅魔館の一同である。

 

 次いで到着したのは、一筋の流星だった。その傍には若葉色の燐光が遅れがちに飛んでいる。どうやら仕事はしたようだ。

 

「ありがとね、大妖精。」

「魔、理沙……」

「……よ、早いじゃねーか。」

 

 肩で息をする大妖精に、労いの言葉をかける霊夢。共に降り立ってきた親友には、ノータッチの方向性で即決した。銀髪の少女は、瞳を曇らせて言葉を探すが、無理に笑おうとした魔理沙の声に含まれた複雑さを感じて、視線を外す。

 美鈴に付き添われてきたフランが、魅空羽に抱きつくと無邪気に言った。

 

「ホントは今すぐお話したいんだけど、まずは狼さん達をやっつけなくちゃね!」

「フランちゃん……うんっ、そうだね!頑張ろ燐乃亜!」

「えぇ、何で私に……まぁ、やるけどさ。」

「よーし、久しぶりに本気でいきますよ~!」

 

 美鈴が拳を打ち鳴らすと、各自にようやく戦闘欲が生まれる。最近は宴会も異変も無く、退屈していた所だ。最終目的は何にせよ、今は周りの雑魚妖怪相手に遊戯と行っても良かろう。

 

「ま、話は後って事ね。……合わせなさいよ!」

「……あぁ、任せとけ!」

 

 肩を少し小突いてやると、魔理沙も戦闘態勢へと移行した。ミニ八卦炉を片手に構えると、全員が背中合わせになった。それぞれの温もりが伝わっていき、レミリアが少しむず痒そうに羽をちらと動かした。

 

 その温度の中で切なそうに顔を歪める少女は、ついに冥いカウントダウンへ入ってしまう。暁華は刀を大きく振りかぶって……力の入らなくなった両足から、地面に崩れ落ちた。

 

――――――

 

 正直、人間の命を繋ぐことは容易だ。境界は何にでも存在して、自分はそれを操れるのだから。けれど、自分はそうしてこなかった。それほどまでに、生死の境界はあやふやで、重いものなのだ。

 紫はそう、自分に言い聞かせた。スキマの奥では、命の灯をすり減らしながら、必死で立ち上がろうと足掻く一人の少女がいる。

 

 彼女に自ら会いに行ったのは、確かに紫である。

 しかしながらその理由は、彼女を……現実世界で病に苦しむ暁華を、護りたいとか助けたいとか、況してや命を救おう等とは、決して考えてはいなかった。ただ単純に、次の迷い人に早く会いたかった。それだけだった。

 

 彼女――未来禍と出会うまでは。

 

 まだ名前も無かった彼女は、暁華の理想だった。微弱な生命力を持った少女、儚く美しい群青色の瞳は、一切の光を受け付けない。それと同時に、宿主である暁華の願い……少しの温もりを求めているような気がした。

 紫が訪れた夢の世界では、二人は手を繋ぎにこやかに談笑していた。僕、と喋る暁華の方は淡く透き通って、未来禍よりもさらに華奢だった。

 

『貴女は招かれた、暁華。私と一緒にいらっしゃい。』

『あれ、お姉さんは誰?此所はてっきり、この子の部屋だと思ってたよ、僕。』

『あらまぁ、それはお邪魔してごめんなさいね?それと私は、八雲紫。幻想郷の賢者です……貴女を迎えに来ただけよ。何も心配要らないわ……』

 

『それなら。この子を連れていってあげて。』

『?』

『僕が死んだら、この子は独りぼっちになっちゃうの。そんなの僕は嫌……だから、幻想郷って所に隠しておいて、お願いユカリ!』

 

 とても冗談を言っているようには見えない。紫は暫し考えた後、銀髪の少女を抱き抱えてスキマを潜った。

 

 そして、あの二人は今、目の前で一人の少女の器へと収束している。暁華と未来禍、似て非なる少女達。宿主と空想、何より最愛の友である二人。

 

 未来禍は、主の望んだ通りに、暁華の存在を知った者から逃げ続けた。そして未来(あす)を掴もうと、必死に手を伸ばしているのだ。

 

 その先にあるものを、照らすくらいなら。

 

「許される、かしらね。」

 

 紫は呟き、力を借りるべく白玉楼へと急いだ。

 

――――――

 

 こんなに狼狽える魔理沙は初めて見たと、そう霊夢は本気で思った。肩を揺すり、金色の瞳を揺らす親友の姿には、少しばかり苦しいものがある。しかし今は、人間と妖怪の間に立つ者として、一人の巫女として、冷静でいなくてはならない時だ。

 

「いい加減にしなさい、魔理沙。見苦しいわよ」

「っ!霊夢、お前……!」

 

 いつか見たような激情の色が、顔を上げた魔理沙の瞳に燃えている。あぁ、確か燐乃亜が来たときの狂魔異変(今名付けたが、あの異変の事だ)の時、紅魔館の前で見せた表情だ。数多くの友人を大切にして、人間らしい情を持つ魔理沙だからこそ見せる、怒り。

 自分にはきっと分からないものだろうと、霊夢はそう割りきった……はずだった。柄にもなく紫に喰ってかかった昨朝の事を思い出して、少しげんなりする。だから今回だけは、霊夢も手を貸そう。

 

「立ちなさい。アスカを助けたいなら、そうすればいいでしょ。まずは片付け、手伝いなさいよね」

「な……」

 

「……、今回は魔理沙の負けね。咲夜、貴女にアスカの護衛を任せるわ。私は暴れてくるから、あと宜しく」

「畏まりました。」

「あーっ、私もやる!お姉様だけじゃズルいわ!」

「勿論ですよ、妹様っ」

「どうして私まで来なきゃいけなかったのか、ようやく分かった気がするわ……こあ、後ろは頼むわよ。」

「は、はいっ!お任せくださいパチュリー様!」

 

「魔力も全快だし、今度は全力でいくよー!」

「ま、久しぶりに本気といくかな……魅空羽。」

「うんっ、宜しくね燐乃亜!」

 

 紅魔の主従三組の内、咲夜は未来禍の身体の護衛を、その他は殲滅を開始する事に……訂正する。パチュリーと小悪魔はその制御に徹するようだ。

 魅空羽と燐乃亜はそれぞれの全力を以て、後輩になるべき少女を救うことを決意した。そして固い信頼の下に背中を合わせた。

 

「……合わせなさいよ、魔理沙。」

「…………あぁ、やってやるよ――

 

 私は、人間なんだからな。」

 

 いつもの無駄に不敵な笑み、そうだ、それが似合う。霊夢はふいと顔を背け……背中を預けた。数多の異変を解決し、死線を潜り抜けてきた二人。その出会いもまた幻想郷の中では、一つの異変であった事を思い出した。その時間の中で二人の人間は成長し、ぶつかり合う事も少なくなかった。けれど……そういうものなのだ。人間というのは、生きているという事は。

 

「全員、本気でやりなさいよ!今回は私が許可するわ!」

「言ったわね?博麗」

「壊しちゃうぞー!」

 

 今宵の月は明るく、西の方へと傾き始めている。その次に昇る朝日を拝めるかどうかが、勝負の分かれ目。

 黒い獣達は、この豪華軍勢を前にしても怯むこと無く牙を剥き出していた。紅魔、博麗、魔法使い。そして、二人の外来人。

 

「……行くぜ!」

 

 虹色に輝く細いレーザーが、夜空を一瞬切り裂いた。それが合図となり、全員が一斉に飛び出していく。

 

「"夢想封印 散"っ!」

「"吸血鬼幻想"!」

「"恋の迷路"!」

 

 いきなりのスペルカードの連鎖に、グリムの屍が宙を舞う。札が飛び、弾が回る。その威力も去ることながら美しさも競われる遊戯としては、稀に見る迫力であっただろう。

 

「"クロックコープス"……!」

「"サイレントセレナ"。」

「お手伝いしますよー、っと!」

 

 咲夜とパチュリーはその場から動かずに、援護と護衛に力を注ぐ。小悪魔もその背中を護るべく魔力を用いた体術で、グリムを蹴飛ばし捻り潰していく。

 そして反対側では、最早全てを諦めた燐乃亜と、最初からそのつもりだった魅空羽が、スペルカードを高らかに宣言した。

 

「"新月オールラウンド"ッ!」

「"カストル&ポルックスの絆"!」

 

 月明かりに紛れるような魔方陣が展開され、それとは対称的な光線がぐるぐると放たれる。そして二つの流星が幾度も柔爛しながら、群れを乱していく。

 

 圧倒的な戦況に笑みを浮かべる一同だったが、たった一人魔理沙だけはどこか不安げな表情をしていた。未だスペルカードを使わずに、魔力を抑えているように感じる攻撃だ。レミリアは前線を美鈴に交代すると、その腕を引いた。

 

「魔理沙、何かあったの?」

「……っ。」

 

 隣に浮遊しながら並んだレミリアにそう訊かれると、レーザーの標準が少しぶれた。少し目を逸らして、気にするなという風にしていたが、横顔を紅魔の瞳は離してくれない。運命を視る彼女からは逃れられないという事か、魔理沙は諦めが付いた。

 そして、少しの震えを含んだ声で吐き捨てるように、レミリアにだけ聞こえるように呟いた。

 

「此所が人里だったら、とっくに全員気が滅入ってると思うぜ。死の気配ってのは、こういうものなのか?」

「……気づかなかったわね。フランの狂気にも似ているけど……?」

 

 辺りに漂う濃密な障気。原因はどうやらグリムのようだが、それに慣れすぎた霊夢や咲夜では感じなかった。妖怪達など、日頃から気にしてすらいないだろう。

 かつては純粋な人間であった、という人材は、正確に言えば魔理沙だけなのかもしれない。

 

 近づいてくるさらに濃く、凶悪な気配。魅空羽は手を止めると、思わずそちらへ振り向いた。燐乃亜は静かな夜空を見上げ、襲い来る本能的な恐怖を追いやろうと、白い息を吐いた。

 

「これだから、幻想郷は……!」

「嫌になっちゃうよね……っ」

 

 白亜の杖を握り直すと、魅空羽は羽を広げた。五線譜をモチーフにした透き通る二対の輝きは、遠くからでもよく見えるものだ。フランは目の端にその光を捉えると攻撃を止めて後ろを振り返る。美鈴もそれに釣られて、敵を一掃した後に背後の気配を伺った。

 

「これは、また……久しぶりに見たなぁ」

 

 美鈴は、苦笑に片頬をひきつらせた。妖怪である彼女さえ、出来れば闘いたくはない。死者への執着は、これほどまでのものだったのか、と少々退いてすらいる。

 対してフランは、その数の多さに目を輝かせた。破壊する事は容易だ、しかしその為の"玩具"はそう簡単にはやって来てくれない。絶好の機会だ、と小さな牙を見せ笑う妹に、レミリアも満更でも無さそうだった。しかし運命はその先を見せた。

 

 彼女は、ナイフを巧みに操る咲夜に寄ると、加勢するとだけ告げた。パチュリーや小悪魔の助力もあって苦戦はしていないが、と疑問に思うがまぁ、主人が自ら力を貸すと言うのなら、と咲夜は遠くの敵を見据えた。

 

「あ?何よあれ。聞いてないんだけど」

「お、多くないですか……その、私死にますよね?」

 

 霊夢とその傍で戦っていた大妖精も気がついて、片や至極面倒そうに、その数の多さを愚痴った。片や黒々とした大群に怯え、戦線離脱を望むが……この状況下ではまず受け入れてもらえないだろう。

 

 ここからが本気だ。総員横並びになる陣形で、未来禍を後ろへ隠すように立つ。ついに射程圏内に入った群れの先頭も、敵意と牙を剥き出しにしている。

 普通の人間なら、まず卒倒するであろう空気の中で、霊夢は指先に挟んだ札に力を籠めた。

 

「これ、割とアブナイのよね……あんた、試してみる?」

「いいえ、遠慮しておくわ。アブナイもの。」

「そう。ならこう、ねっ」

 

 妖にとっては、赤く底冷えするような光を放つそれを、レミリアにちらつかせると半笑いで拒まれた。霊夢はつまらなそうに、ノーモーションで地へと投げ捨てたと同時に片手で印を結ぶ。

 

「……"博麗の名において命ず"。……失せなさい」

 

 赤く赤く、鮮やかな血のような色をした光が、辺りを照らした。巫女の無慈悲な瞳は、奇しくも同じ色に輝くと、目の前を軽く睨んだ。

 次の瞬間、光は制裁の炎へと変化して、群れの3分の1程度を焼き払った。疲れたように息を一つ吐く霊夢に、レミリアが口を開く。

 

「で、今の何だったの?」

「あー……そうね、必殺みたいなものかしら。まぁ私が"博麗"になってから使えるようになったから、そういうものなんでしょ。前線は任せたわよ」

「たまには悪くないわ、心得た。」

 

 ひらひらと手を振る霊夢に、レミリアは愉快そうな声で応じ、美鈴とフランにも目配せする。無邪気に両手を上げて喜ぶフランの羽が上下すると、硝子細工のような虹色の結晶が、死神の笑うように音を発てた。

 

「さっさと終わらせましょ。"スカーレットマイスタ"」

「"カタディオブトリック"!」

「"華想夢葛"!」

 

「"シュート・ザ・ムーン"!」

 

 魔理沙もようやくスペルカードを発動し、かなり弾幕の威力も上がってきている。今までの攻撃とは、格段に違う。

 

「"ラーヴァクロムレク"!」

「"ザ・ワールド"!」

 

 しかしながら、敵の個体も桁違いの瞬発力、耐久力のようで、徐々に前線を掻い潜り始める。今はまだ、咲夜やパチュリーの働きで潰せているが、全ては時間の問題だろう。

 

 そう、全ては……。

 

―――――

 

 霊夢は、未来禍の近くに膝をつくと、その細い腕へと触れた。霊力の波動は弱々しく、出会った時よりもさらに少なくなっている。防衛戦に入った咲夜の背中を眺めつつ一時の休息を取る霊夢だが、本当はあの妖怪どもを一瞬で焼き払ってやりたい。そして、未来禍を手遅れにならない内に、――助けたい。

 

「はぁ……」

「あのねぇ、黄昏るなら手伝ってよ。此方まで来てるんだけど」

「嘘でしょ?あいつら仕事してるの?」

 

 慌てて前線を確認すると、一見余裕そうに見える美鈴や魅空羽の足下をすり抜けて、グリムが向かってきているのが分かった。何も彼女達だけではない、全員が勢いに圧されているのだ。

 

「これは、何ていうか……まずいわね。」

「そうね……っ、"操りドール"!」

 

 ついに時を止めたのだろう、視界が一瞬ぶれて今までの比ではない数のナイフが一直線に飛翔した。しかし、獣の体力――生命力は、半端では無いようで。

 

「……止まらないわね。」

「冷静に見てるなら助けてくれない?勝った頃には皆、動けませんじゃあ意味無いのよ?」

「分かってるわよ。」

 

 そろそろ霊力も回復した頃だろう。熱った両手を冷気に晒して冷ますと、いくらか気力も湧いてきた。無双とまではいかないだろうが、たまには何も考えずに暴れても許されるはずだ。

 

「よし、全員本気で潰すわよ!」

「言われなくても、親玉も出てきたし……な!」

 

 前線の列に加わると、魔理沙は清々しい笑みを見せ、獣の群れの奥を示した。

 居る。莫大な負のエネルギーを抱えた、真に化物だ。

 

「じゃ、本気で良いわね。本気で」

「マジと読むってか?」

「どこで覚えたの……」

「何それー?」

「覚えなくていいですから。」

「面白いじゃない……ぶち壊してやるわよ、運命を」

「操るもの壊していいのかしら?」

「無くすのも"操る"の内よ」

 

 いつもの軽口の応酬に、心なしか空気が軽くなっていくようだった。レミリアは、本人に言わせればカリスマというやつなんだろうが、正直言って妖力が威圧を生むだけの風格を纏いながら、紅く紅く微笑む。

 

「今宵の月は紅く染まる……"レッドマジック"!」

「それじゃ……"極彩旋風"ッ!」

 

 迸る紅い光、賑やかな光弾が舞い散る。先陣を切ったのは、紅魔の主・レミリアと、居眠り門番改めれっきとした妖・美鈴だ。

 

 それに続くべく、列の後ろから参戦したのは、時空のメイド長・咲夜と日陰の少女……少女というには知識に溢れすぎている気もするが、魔女・パチュリー。二人のスペルカードブレイクを見計らい、前線を交代する。

 

「こんな所で使うとはね……"賢者の石"!」

「散りなさい……"エターナルミーク"っ!」

 

 終わらない探究の末に生み出された究極ともいえる、パチュリーの正真正銘の大技が繰り広げられた。魔理沙にはその凄さがありありと感じられた。多分、二度とは見られないだろうなぁとただただ見惚れる。

 一方で、時を超えた銀の刃が次々と放たれては、獣の命を削り取っていく。人間の定義とは、と思わず尋ねたくなるような光景である。

 

「"過去を刻む時計"……きゅっとして、どかーん♪」

 

 静かに告げられた"破壊"が、甘い響きを帯びて伝わると、獣の群れは小さな手の中で握り潰された。それでも無尽蔵のように前へ出てくる獣に、次なる攻撃が襲いかかる。

 

「"冬の大三角―ウィンタートリリンガル―"」

「"夏の大三角―サマートリニティ―"」

 

 背中合わせの二人が掲げたのは、まさに夜空の星座達を呼び出すような、魔法。雪のように白く輝き、彗星のように強く燃え盛る。星々は煌めきを残して、強大な力を以て多くのグリムを吹き飛ばした。

 

 残るは、親玉の一体のみ。

 

 霊夢と魔理沙は、音もなく前へ踏み出した。その瞳には圧倒的な光があった。その背中を、レミリアは小さく祈るように見つめていた。

 

******

 

 深く、もっと深く潜れ。

 

 この命が尽きる前に。

 

 何のためかなんて、知る由もない。

 

 ただ、もっと深くまで、行かなくてはならない。

 

 そんな気がしている。

 

『――――』

 

 ……誰?

 

『――――』

 

 ユユコ、っていうのね。

 

 私、貴女を知らないけど。

 

『――――』

 

 何で、止めるの?

 

 逃げなきゃ、逃げなきゃいけない。

 

 今なら思い出せる。

 

 暁華は私に、逃げてって言ったの。

 

 だから……

 

『――違うわ。』

 

「え……貴女が、ユユコ?」

『ふふ、それも少し違うわね。これは仮の姿よ、アスカちゃん。私の従者に頼んで、貸してもらったの。』

 

 意味が解らない。目前をふよふよと漂うソレは、たまに暁華の話してくれた、幽霊に似ている。

 

『やあねぇ、幽霊じゃないわよ……あ、幽霊かしら?』

「どっち?」

『じゃあ、どっちも。』

「……ワガママな。」

 

 思わず、そう毒づいた。

 

 どっちも、なんてあり得ない。生きるか死ぬか、ただそれだけの世界。だから、暁華は苦しみ、涙を流して、私を何度も抱きしめた。

 

 暁華の願いは、私が叶えなくちゃいけない。

 

『それなら尚更、貴女はそっちに行っちゃダメよ。』

「どうして……そっちには、私を」

『知らない人がいる。確かにそうね、でも……ダメなのよ。此処じゃない場所だからって、無闇に行くものじゃないわ。』

 

 諭すような口調。

 

 やっぱり解らない。"ふよふよとしたやつ"を押し退けようとするけど、ふと腕に力が入らなくなって止めた。崩れる身体から暖かさが消えていくようで、何だか怖くなった。

 

「どう……して……」

『貴女が行くべきなのは何処?』

「暁華を、知らない所。何も知らない、私を……愛してくれる人の所。それが、暁華の……」

『それでいいの?』

 

 暁華は、私にとって唯一の友人であり、家族だった。だから、逆らうなんてあり得ない。私はただ、話を聞く

だけ、抱きしめられるだけ。気の利いた事なんて、何も言えずに。

 

 

『暁華が望んだのは、貴女の未来よ。』

 

「え……」

『どうして?って思ってるでしょう。当たり前よ。彼女にとっても、貴女は唯一の友人だったから』

「暁華が……?」

 

 暁華。今まで忘れていた、忘れたかった、忘れようとしていた記憶。その中にたった一人で、いつも微笑んでいた少女。

 

 ――救いたい。

 

 初めての感情だった。ふよふよから、微笑んだ気配がする。その柔らかい声が響く前に、私は口を開いた。

 

「どうすれば、助けられるの?」

『貴女も、暁華も、私達なら助けてあげられる。』

「私、……此処に居て、いいのかな。」

(僕、……生きていて、いいのかな。)

 

 無意識の中で重なった問いに、ユユコは魅惑的な詞で答えた。

 

『……"幻想郷は全てを受け入れる"。』

 

 さぁ、いらっしゃい。

 

 その声に弾かれて、私はもう一度立ち上がった。

 

******

 

 ひしめくように突撃していたグリムは、残すところ後一体となった。これで、闘いは終わる。魅空羽はそう、確信していた。

 

「さっさと決めてやるぜ!"ファイナルスパーク"ッ!!!」

「当たり前……!"二重弾幕結界"!!!」

 

 虹色のレーザーは、吸い込まれるようにグリムを呑み込み、その周りを札が隙間無く囲む。霊力と魔力が互いに爆発力を高め合い、燐乃亜は親玉グリムの木端微塵な姿を、確かに脳裏で描いた。

 

 しかし。

 

 運命は覆らずに、皆を絶望へ着々と追いやっていく。

 

「嘘……!」

「生きてる、のか……?!」

 

 謂わば妖怪にとっては"必殺"のスペルカードの嵐を、耐えきったというのだ。魅空羽は数歩後ろへ怯えるように下がり、信じられないというように首を横に振った。燐乃亜はその場に立ち尽くし、ただ黒い化物を凝視していた。

 

「グルルルルルルルルルルルルァァァ……」

 

「はっ、上等じゃない。」

「……あぁ、やってやろうじゃねーか!」

 

 獣の嘲笑うような咆哮に、奮い立つ歴戦の少女達の、正真正銘、最後のスペルカードがそれぞれ掲げられた。

 

「"スカーレットディスティニー"!」

「これで終わり……"495年の波紋"。」

「はあああぁぁぁっ!!!」

「……ッ!!!」

「爆ぜるといいわ!」

「この命、お使いください!」

 

 霧の湖畔の紅魔の館。そこに住まう者達の究極の幻想が、辺りを紅く染め上げた。

 レミリア・スカーレット、ラストスペルカード。――"スカーレットディスティニー"。

 フランドール・スカーレット、スペルカード。――Q.E.D."495年の波紋"。

 紅美鈴、最大限の気を込めた渾身の一蹴。

 十六夜咲夜、能力を活かした無数の刃の猛攻。

 パチュリー・ノーレッジ、全身の魔力をかき集めた、完全爆裂魔法。そして主のため、その身を魔力へと還元する小悪魔。

 その全てが破壊力となって、獣の身体に降り注ぐ。

 

 しかし、コレの耐久力は思い知らされている。次なる一手を、早急に打たねばならない。だが、レミリア達に余されている力は無い。

 グリムは、爪の一振りで空を抉り、斬撃を飛ばした。

 

「あ……」

「っ、"オーロラアテンションロンド"!」

 

 それは、魔力を使い果たしたフランの後ろ背を切り裂こうとしたが、同じく魔力で出来た壁に阻まれた。相殺された障壁の欠片が砕け散ると共に、二つに結わえた、水色の髪を揺らし、少女はその場に崩れ落ちた。

 

「あ、はは……」

「魅空羽……!」

「フランちゃん。良かった、間に合って……」

「お前、ホントに……」

 

 フランを抱きしめ優しく笑う魅空羽に、呆れたような諦めたような表情でため息をつく親友。そして二人の傍に寄ると、ひょいとフランを抱き上げた。次いで魅空羽にも肩を貸して、紅魔の面々と一緒に座らせた。

 両手を翳して何やら詠唱すると、焔のようにはためくワンピースが、同じ色した髪が、暖かな光に包まれた。輝きは全身から、少女の広げた両手に集まり、次々と炎へ姿を代えた。

 

「何それ……?」

「……さぁ?」

 

 久し振りに見る挑戦的な笑みに、レミリアは面白そうな表情で見守る。薄紅色の炎は、燐乃亜の合図で大きなドーム状になった。すっぽりと包み込まれた一同は、陽のような暖かさに呑まれ、これが癒しの力を持つ結界だと解った。

 

「まぁ……お前らを護りきるくらいなら、私にも出来るだろ。精々、大人しくしてろよ。」

「燐、乃亜」      ..

「……大丈夫だってば、先輩。」

「~~……その言い方は、ズルいよ。」

 

 あの冬休み最後の日、交わした約束を果たした瞬間、現の世界でも繋がれた二人。その関係は、日常を彩るに有り余る温かさをくれた。

 魅空羽を"先輩"と、そう呼んだ燐乃亜。夢でも現でも変わらない、星を宿した瞳が濡れる。最高の信頼、慈愛の温もりに抱かれて、魅空羽はそっと目を閉じた。

 

――――――

 

――面倒だなぁ。

 

 霊夢は目の前の敵を視界に捉えると、そう思わずにはいられなかった。馬鹿みたいな耐久力は無論、攻撃力はなかなかのモノで、移動も素早い。生半可な攻撃では、倒れてくれないだろう。

 魔理沙も時を同じくして、全く同じ事実を受け止めていた。いくらレーザーを放っても、全て避けきってみせるどころか、反撃まで寄越してくる始末だ。

 

「面白いやつだぜ、ホントに。」

 

 片頬で笑いながら、魔理沙は砲撃をピタリと止めた。そして、霊夢と肩を並べると、くるりと指を回した。空に現れたのは、暗い中でも虹色に輝くスペルカード。

 横目で見ると、霊夢も隣で宙を叩く。透明にも見える儚い光は、博麗の霊力が見せる幻視なのか。魔理沙は目を少し、眩しそうに細めた。それに気づいたわけでは無いだろうが、霊夢が肩を竦める。

 

「ほら、さっさと終わらせるわよ。」

「勿論だぜ。合わせろよ、っ!」

「こっちの台詞……!」

 

 霊力と魔力――霊夢と魔理沙がぶつかり合い、互いを高め合っていく。火花が散って、燐乃亜は結界を強くしなければならなかった。

 

「"博麗弾幕結界"!」

「"ファイナルマスター……スパーク"ッ!!!」

 

 博麗霊夢、スペルカード――"博麗弾幕結界"。

 霧雨魔理沙、スペルカード――"ファイナルマスタースパーク"。獣の姿は見えない。世界の色が飛ぶほどの光が辺りを照らし出したが、あのシルエットはどこにも無かった。

 

 荒ぶる結界を必死に繋ぎ止めながら、燐乃亜は霞む目で目の前の草原を捉えた。二次災害が凄そうだな――現に自分は意識ごと吹っ飛ばされそうな訳で――と、頬をひきつらせる。それでもまだ強くなる余波に瞼を焼かれながら、ふと燐乃亜は考えた。

 

――結界の中に、未来禍は居ただろうか?

 

――――――

 

 もう指一つ動かせない。髪を焦がす残り火を払いのけ大地に背中を預けると、魔理沙は脱力感に襲われた。

 極限まで高まった力を解放した反動を受けて、身体中が悲鳴を上げているが、どうにか目線は動かせる。相棒を確認すると、こちらもぺたりと可愛らしく座り込んでいる。魔理沙に気づくと、気恥ずかしげに顔を背けたが口を開いた。

 

「随分お疲れみたい、じゃない……?」

「説得力が無いぜ、説得力が」

 

 肩で息をしながら言われたんじゃ、と魔理沙は笑う。掠れた呼吸が暫く響き、二人は顔を見合わせて無言で拳をぶつけ合った。何も交わす必要は無い、これで全ては――。

 

「霊夢、魔理沙……!」

「あ、レミリア。」

 

 終わって――。

 

「んー、遅いお目覚めで」

「こっちに来て、早く……!」

「寝ぼけてんじゃないの?ていうか治ってないし……」

「おいおい。まだ休んでろよ、……、?」

 

 片手をついて上体を起こしていた魔理沙は、レミリアを笑うと立ち上がろうとした。しかし、力が入らない。まだ動けないのか、と自分の力不足を笑おうとした、のだが。震えている。指先だけではない、身体が、心が。人間としての本能が、叫んでいる。

 

 

 ここにいてはいけない、と。

 

 

 次の瞬間、怯える紅い瞳のその先で、二人の人間が宙に舞った。突き飛ばすように地面が隆起して、夜の獣を造り出す。それは最早、"影"そのものだった。

 

―――――

 

 終わってなんか、いなかった。力尽きた燐乃亜を抱き上げた魅空羽は、呆然とその場に座り込んだ。

 もう誰も闘えやしない、紅魔の面々はまだ回復しきっていない。もちろん自分も含めて、と魅空羽は襲ってくる眠気を何とか押しやった。霊夢と魔理沙も今の一撃でやられてしまったはずだ。

 ふと、草を踏みしめる音がする。隣を見れば、フランが険しい目付きで立ち上がっていた。

 

「フラン、ちゃん……!」

「えいっ!」

 

 小さな手のひらが握りしめられる。これなら……と、安堵したのも束の間。フランの表情が焦りに染まる。

 

「あ、れ……何で……!?何で壊れないの?!」

「無駄よフラン!アイツは最早幻影に過ぎない。貴女の能力じゃ壊れない!」

「そんな……!」

 

 レミリアは紅い槍で何とか攻撃を往なすと、立ち尽くすフランにそう叫んだ。影の猛攻は止まらず、吸血鬼を圧倒する驚異のスピードで相手を切り裂かんとする。

 

「っ!」

「お嬢様……!」

 

 咲夜の声が響くと同時に、視界がぐらつく。咲夜が時を止めたのだ。最後の霊力を振り絞ったのか、レミリアに抱き止められ意識を失った彼女に、美鈴が駆け寄る。

 

「咲夜さん……!」

「貴女達も十分に働いたわ、ありがとう咲夜。」

 

 レミリアは咲夜にそっと囁くと、美鈴にその身体を預けた。そして、また立ち上がると新しい槍を創る。妹の制止も聞かずに飛び出そうとする幼い身体を、魔力の壁が受け止めた。レミリアにとっては、感じ慣れた親友のものだ。振り返ると、真剣な目をしたパチュリーが、息絶え絶えになって立っていた。

 

「パチェ……!」

「私の、役目は、貴女を、止めること。昔から、そうでしょう?レミィ……」

「やめて、分かったから。もう、喋らないで……」

「いいえ。私たちは、勝てない、アイツには、判ってるでしょ?それを、視たのは……貴女でしょう、レミィ」

「……えぇ。そうね、パチェ。貴女の言う通りだわ」

「どういうことよ?」

 

 霊夢がやっとのことで立ち上がり、パチュリーの目を閉じたレミリアに問う。魅空羽もハッとして、燐乃亜の身体を咲夜の隣に寝かせると、霊夢の隣に立った。

 

「あの、私も知りたいです!レミリアさん」

「魅空羽……。そう、まずは久しぶりね。」

「え、は、はいっ。」

「こんな形で再会したくは無かったけれど、少し移動するわよ。着いてきて!」

 

 レミリアは地面を抉るようなスピードで、紅魔館の方角へ駆け出した。慌てて霊夢、魅空羽、魔理沙、フランの四人は地を蹴った。

 魔理沙の箒を必死に追いかけながら、霊夢は自分の中で渦巻く"違和感"を、どうしてか拭いきれずにいた。

 

――――――

 

 橙は必死に闘っていた。何と、といえば、闇と。幼い身体を動かす度に、傷口から力が失われていく。しかしこれは主の命令なのだ、倒れるわけにはいかない。

 

(紫さまのためだもん、頑張らなくちゃ!)

 

 ただ主のため、と爪を振るい続ける橙は、背中に庇う少女をちらと確認した。霊力感知もうまく利かないような弱々しさ、それなのにしっかりとその場に立っているその傍らには、(恐らく)半霊が浮かんでいる。

 

『頑張ってね~。大丈夫よ、もう少しで……ふふっ』

「は、はいっ!」

 

 幽々子のそんな声に背中を押されながら、襲いくる闇を振り払う。この少女を狙っているようなのだが、何せ周りは真っ暗で、敵がどこから来るのか分かりづらい。橙は腕を振り回しながら、辺りを窺うものの、実体を無くした敵には当たらない。

 

「……っ!」

 

 背中が浅く切り裂かれるだけで済んだのは、日頃の成果だと言えるだろう。最近は、魅空羽や燐乃亜との手合わせも増えた。すぐに反撃に移ると、切り裂いた闇の奥に、自然の光が見えた。橙が思わず手を止めると、穴はすぐに塞がってしまったが、幽々子は嬉しそうに言った。

 

『あらあら……!もうちょっとみたいね、もう下がっていいわよ、橙。』

「ですが……!」

『大丈夫よ。さ、此所に座りなさい。きっと、あの子も急いでいるはずだわ。』

 

 主の親友にそう言われては、橙は引き下がる他ない。代わりに自分の傷の治癒に専念することにした。未来禍は、主の元から逃げ出した。それは知っている。籃と共に捜索を頼まれたからだ。弥生の空は耳が凍りつきそうだったり、陽射しに眠くなったり、色々と大変だった。

それでも主のため、と駆け抜けてきた橙には、目の前に立っている少女の真意が、よく解らなかった。

 

「あと、どのくらい?」

『そうねぇ……あ、動いた。よくあんなに走れるわね、羨ましいわ。』

「え……移動してるの?何で?」

『恐らくだけど、負傷者が多いのでしょうね。だから敵を引き付けて、第二ラウンドへ入ろうとしている。』

「……!魔理沙は?!レミリアや霊夢は無事なの!?」

『極めて劣勢ではあるけれど、ね。』

「そっか……。皆、僕のため、なんだ……」

 

 けれども、この少女は、愛されているのだ、ということは、嫌でも分かった。

 

――――――

 

「はぁ……はぁ……っ」

「此所まで来れば、話くらいはできそうね。」

「んで?どうするんだよ、こっから。」

 

 五人は、霧の湖畔まで来た所で、立ち止まった。魔理沙は、レミリアに厳しい顔でそう問うと、一同をぐるりと見渡した。レミリア、フラン、霊夢、魅空羽、魔理沙の、たった五人。幻想郷の中では、実力者揃いではあるが、対抗策があるとはあまり思えない。

 

「……壊せない敵なんて、私お姉様くらいしか見たこと無かったのに……何か、嫌な感じ。」

「同感ね。強すぎるでしょ、アイツ。ああいうのは、封印しても後から出てくるタイプね。」

「そんな……でも、アイツを倒さないと、未来禍、いえ暁華ちゃんは……」

 

 魅空羽が泣きそうな声でそう言う。少しの沈黙の後、レミリアが口を開いた。

 

「……、本当に、そうなのかしら?」

「え?」

「暁華、というのは、現実に住む女の子でしょう?」

「えっと、はい。」

「未来禍、というのは、いわゆる"想像"なわけで、それが幻想郷に来て、自我と命を持った。そうよね?」

「暁華ちゃんの理想、なんですよね。」

「そう。だから、暁華にはそれを見守る権利があった。」

「一体、何の話をしてるんだ?」

 

 魔理沙が痺れを切らしたように、そう訊ねる。レミリアは顔を上げると、その瞳を真っ直ぐに見つめて答えた。

 

「未来禍は本当に、霜月暁華であるか、ということよ。」

「つまり、その……=(イコール)じゃないってことですか?」

「そうよ。限りなく近い存在……それこそ、感覚を共有してしまうくらいには。でも、同一の存在では、無いと思うのよ。」

「うーん……じゃあ、暁華と未来禍と、両方を助ければいいの?」

「そういうことになるわね。ただ、外界に手出しはできないから、まずは未来禍の事を考えましょう。」

 

 未来禍を助ける。当初の目的にようやくたどり着いた一同は、やがてあることに気づいた。

 

「あれ、未来禍は?」

「はっ?」

「居ない……?!」

 

「ええええええええ!!?」

 

 慌てる五人の所に、すっと現れる影。霊夢はそれに逸早く気づくと、振り向き様にお祓い棒を構えた。

 

「っ!」

「いやねぇ、驚かせないで頂戴?せっかく話をしに来たのに……」

「何だ、アンタか。驚かせないでよね。」

 

 霊夢は敵の再来かと身構えたのだが、そこに居たのは紫。スキマから上半身を覗かせて、辺りを見回す。

 

「あら、逃げたの?」

「悪かったわね!てか、何で今さら来たの?」

「貴女達が困っているようだったから……。未来禍の事でしょう?」

 

 紫はにこりと微笑んだ。ふっと目線を逸らした先には、――アイツがいた。顔を歪める一同に、追い打ちをかけるように紫が衝撃の事実を告げる。

 

「未来禍なら、アイツの中よ。」

「はあぁ!!?」

「おいおいマジかよ……」

「えぇ……私に、勝ち目は……あああ……」

「魅空羽、しっかりなさい。とりあえず私とフランで、何とか動きを封じてみるから……」

「その必要は無いわ。」

 

 紫はレミリアの肩に手を添えると、夜空を見上げた。いつの間にか月は西に傾いている。夜明けも近いと思われるその空に、ポツリと人影が出来た。

 

「「「!」」」

 

「紫さん――っ!」

「よく来てくれたわ。」

 

 白い髪、緑の服。二振りの刀を腰に提げ、その少女は地に足を付いた。サッと顔を上げると、ばつの悪そうな顔で言う。

 

「すみません。少し、霊達が暴れていまして……遅れてしまいました。」

「いいえ、大丈夫よ。幽々子も無事だし……多分。」

「多分っ!?」

 

 若干の不安材料が出来たが、まぁ致し方ない。少女、魂魄妖夢は目を丸くした一同に向き直ると、まずは礼儀として一礼、そして魅空羽に駆け寄った。

 

「魅空羽さんっ!お久しぶりです……!」

「妖夢!久しぶりだね、来てくれてありがとう!」

「は、はいっ!お役に立てれば!」

 

 嬉しそうな笑顔を見せた妖夢は、敵に向き直ると、刀を抜いた。磨き抜かれた楼観剣の曇りない光に、グリムが少し怯んだように見える。

 

「"業風閃影陣"、ハッ!」

 

 気合いと共に降り下ろされた刃が、赤や紫の弾を散らしてグリムに迫る。さらに妖夢は大きく踏み込むと、己の身を投じた。

 

「"斬れぬものなどあんまり無い"ッ!楼観剣!」

 

 妖夢の宣言と共に、白銀の刃が振るわれる。黒い獣を深々と切り裂いて、飛び出してきたのは見覚えのある霊体だった。

 

「は、半霊!?」

「そういや連れてなかったな、そういうことか……」

 

 息を切らして半霊を両手に抱えた妖夢は、肉体を再生させつつあるグリムから距離を取ると、宙にそっと置くようにした。すると、淡い桜色の光が飛び出してきて、あっという間に亡霊の姿を取り戻す。

 

「ん~!やっぱり外は良いわねぇ~。待ってたわよ~、妖夢♪」

「幽々子様……!」

 

「あ、ごめんなさいね紫。やっぱり連れてこられなかったわ。今は橙ちゃんが、結界でどうにかしてると思うけど……」

「……そう。まぁ、想像の範疇ね。」

 

 紫は親友にそう告げると、先ほどグリムが現れた方を見つめた。それに応えるように現れたのは、複数の人影と大量のシルエット。

 

「は?あれって……人形?」

「あっ、あそこに乗ってるの、燐乃亜!?」

 

「お嬢様ーー!妹様ーー!」

「め、美鈴?!」

「美鈴~!こっちだよ、こっちー!」

 

「よっ、魔理沙。随分やられたみたいだな?」

「いくら巫女と言えども、あまり無茶するなよ。霊夢。」

「あ、あんたら……!」

「妹紅に慧音じゃねーか!」

 

 数々の増援と、仲間の復活を驚きつつ歓迎する一同。巨大飛行型上海人形の大群は、やがて上空に押し迫ると消えて、仲間達が降ってきた。

 

「燐乃亜!」

「ん、魅空羽。ありがと、もう大丈夫。」

 

「咲夜!パチェ!」

「ご迷惑を……十六夜咲夜、戻って参りました。」

「どうせまた無茶する気だったんでしょ。私が側に居ないと、ね?」

 

「美鈴は何してたの?元気だったじゃない!」

「ああ、少し気を操ってグリムから皆さんを隠してたんですよ~……アリスさん達にはすぐに見つかりましたけどね。」

「当然じゃない。……その後は私が全員の治癒を受け持ってたのよ。幸い、皆大した怪我じゃなかったから。」

 

「人里にも変な奴らが来てさ、どうなってんだって紫に問い詰めたら、親玉がこっちに居るらしいだろ?慧音は連れてくる気は無かったんだけどね……」

「私も当然付いてくるだろう!里にまで影響が及ぶような事なのだからな。それに、皆の一大事となれば、駆けつけない訳はない。」

 

 アリス、妹紅、慧音、そして妖夢。四人が加わった事で、状況はいかに良化するのか。紫は正直判らなかったが、このメンバーが集まればどうにかなるだろう、という楽観的思考も少なくない。

 

「さて、さっさと片付けちゃいましょうか!」

「ええ、全員集まった事だしね。」

 

 不思議と負ける気がしない。一同は顔を見合わせるとグリムと迎え撃つように向き合った。全ては一人の少女のために、二つの尊い命のために。

 

 そうして、ついに攻撃が始まった。

 

 数えるのもバカらしい弾幕が、黒い巨体を撃つ。人形がグリムの手足を塞ぎ、軽い磔状態だ。星が流れて光が舞って、まるで天ノ川だと魅空羽は思った。

 

「あたいを燃やしたのは、お前かぁぁぁぁぁ!!!」

 

 一人一人のスペルカードとは格が違う。妖夢の能力で切り裂いた傷を、すぐに不滅の炎が侵食していく。そこを無数の弾幕が抉り、グリムはついに悲鳴をあげた。

 

 始まってしまえば、あとは呆気ないものだ。数分後、耳障りな奇声を残して、グリムは消え去った。

 

******

 

「未来禍……っ!」

「魔理沙……ありがとう、……!」

 

 魔理沙は駆け寄ってくると、私の事を思い切り抱きしめた。そのせいで何を言おうと思っていたのか忘れてしまったけど、もう大丈夫だ。

 

 だってこんなに暖かい、この世界に居られる。光が頬をくすぐるので、ふと隣を見ると、懐かしい少女が微笑んでいた。夢から覚めていく彼女は確かに、これからの未来を生きていくだろう。

 

「私は、未来禍。この世界で生きていく……魔理沙と、香霖が付けてくれた、この名前で……ね、魔理沙。」

「っ……あぁ。そうだな、未来禍。帰ったらアイツにも謝らないと、な……」

 

 魔理沙の声が途切れる。さらに強く抱きしめると、肩がぽつりと濡れた。誰も何も言わなかった、ただ私の腕の中で、魔理沙が涙を流すだけ。

 

 それでもやっぱり、この世界は暖かかった。

 

******

 

 紫が言うには、暁華は無事らしい。今は容態も安定していて、確実に良くなっている。いったい何をしたのかと妹紅が聞くと、ちょっと励ましただけよ、と紫は笑った。

 

 皆は未来禍を囲むように歩いて、香霖堂と人里への分かれ道まで来た。その時、誰かがあっと声を上げた。

 

「わぁ……!」

「こんなに、綺麗だったっけ……」

 

 白んだ空から、朝陽が顔を出す。毎日の出来事なはずなのに、その日の光はとても美しかった。それを目一杯に浴びた未来禍は、目を細めて立ち尽くした。魔理沙がその隣に立って、ふと切り出した。

 

「なぁ、未来禍。」

「何?」

「お前の名前さ、変えようぜ。」

「え……」

 

 きょとんとしている未来禍の正面に回り込み、魔理沙は太陽のような笑顔を見せた。

 

「未来に、華で、未来華にしよう。」

「!……うんっ」

 

 よろしくね、魔理沙。未来華は手を差し伸べた、あの日のように、トモダチの証として。今日からの、家族の証として。

 

 魔理沙はしっかりとその手を握ると、二人で香霖堂へと入っていった。否――帰っていった。

 

 木製の扉の前を、一筋の初桜が通りすぎていった。

 

―――0―――

 

 幻想郷には、一人の少女が住んでいる。

 

 椅子に座って、オルゴールを鳴らす。

 

 瞳に湛える灯は、夢見る幼子のまま。

 

 曇りない光が、ふっと窓辺に向けられる。

 

 家族の帰りを待つ、あの日の雨を見つめながら。

 

 未来に渦巻く可能性の中で、咲き誇る華のように。

 

「ただいま、未来華。誰も来なかったかい?」

「うん、お帰り。香霖、魔理沙も。」

「ただいまだぜ!」

「君の家じゃないだろ……」

 

――今日もこの世界は暖かく、全てのものを受け入れている。

 

 

 

 

 




ありがとうございました!

感想等お願いいたします!!!

(久しぶりにこれ書いた)

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