妖怪の山。流石に立ち入ってはいけないと言われていたので、今まで来たことはなかった。
その梺に今私は立っている。隣ではウサギが大袈裟に周りを見渡している。いや、小さすぎる体で頑張っているのかもしれないが。
「あ、あったあった。行くよ~燐乃亜」
「あ、あぁ」
柄にもなく緊張している気がする。どうにも足取りが重い。が、とりあえず入らない事には始まらない。
私は縦穴にウサギと飛び込む。私は小さな蝙蝠のような羽を、ウサギはフワフワで絵に描いたような羽を広げてゆっくり降下していった。
――――――
「振り切ったか!?」
「ううんっ!まだ追いかけてきてるっ!」
「マジかよ……あともうちょいーっ」
「待てーっ!」
「少し闘いたいだけじゃないかぁ!」
旧都の入り組んだ道を全速力で走る。絶賛、捕まったらほぼ確実に死ぬ鬼ごっこ中だ。私達はアイコンタクトを交わし、急停止する。そして――
「「せーのっ!」」
足元を蹴って、宙へ舞う。そのまま高度を上げて眼下を見渡す。遠くにステンドグラスの填まった窓がキラキラと反射していた。おそらくあれが地霊殿だろう。
「彼処だね、行こうっ!」
「あぁ。ってうわっ!?」
「逃がさないよっ!」
抉れた地面がそのまま飛んでくる。それを避けつつ、私達は一直線に地霊殿へと降下していく。
「「待てええええええ!!!」」
「「うおおおおおおお!!!」」
やっとの思いで地霊殿に滑り込むと、真後ろに岩石の落ちる音がして地面が揺れた。私達は強ばった顔を見合わせると、全力で奥へと走り出した。
――――――――
「……本当に、好戦的な人々ですね。お疲れさまです」
開口一番に、ピンク髪の女の子はそう言った。手には赤い瞳を抱えている。名前は確か……
「古明地さとりです。そして、妹の……、こいし?」
「ここだよ~」
先程私達が飛び込んできた扉から、今度はミントグリーンの髪の女の子が覗いていた。能力があるらしいので、気配がまるで感じられなかったのも無理は無いが。
「さとりさんにこいしちゃん、お久し振りです。それと今日はありがとう」
「いえ、まだ未解明の事が多いので……此方としても助かるのです」
「また会えて嬉しいなぁ♪今度はゆっくりお話しできるね!」
「う、うん♪」
ウサギは二人と言葉を交わして、私に向き直った。そして、重々しく話し始める。
「実は……今回行くのは、焔の霊殿なんだ。」
「っ!……それって」
「うん……。」
焔の霊殿。話に聞いた通りなら、私はそこで……。
思考は顔に出るらしいが、その通りみたいだ。気づくと、ウサギらは私の顔を覗き込んでいた。特に、さとりは覚り妖怪なだけあって、心配しているのが見てとれる。私はひきつる頬を無理やり解そうとしたが、上手くいかずに顔を逸らした。そのまま強気に言い放つ。
「行こう。日が暮れたら大変だしな」
「え……っと、うん。分かった」
「分かりました。こいし、留守番を頼みますね」
「?うん、行ってらっしゃーい!」
無邪気な笑みを背中に受けて、私は足を止めないように時の止まったような街並みを走り出した。
――――――
「着いた、な……」
「うん……っ」
声に出さずとも分かる事実だが、そうせずにはいられなかった。その程度の発言でもしないと、今すぐに引き返してしまいそうな威圧。目一杯に広がる焔の壁が、そこにはあった。
私はそっと腕を伸ばして焔に手首まで入れる。燃え盛る焔と焼けつくような痛みが、されど一瞬右腕を駆け抜ける。それでも姿勢を維持すると、焔はじわりじわりと抵抗を止める。
最初臨戦態勢であった兵達が、味方の大将である事に気づいたかのように。ピタリと音が止んだ焔の壁を私はゆっくりと慎重に手繰り寄せた。焔は私の掌で丸まって、弾となった。やり場に困ってウサギ達の方を見ると、さとりは別に意識が向いているらしい。が、ウサギの方は事情を察したらしく私にそれを差し出すように、と言った。
そっと焔だけを目の前に残すと、ウサギは小さな両手を前に翳して何かを呟いた。何を意味するのかは聴こえなかったが、次の瞬間にも焔は消え去っていた。
小さく肩を揺らしつつも、どや顔を決めるウサギに少し感心しつつ私は先を急ぐことにする。霊殿まではまだ少し距離があるのだ。
横穴を無言で進んでいくと、唐突に熱風が吹き抜けて火の粉が頬をかする。思わず目を瞑った後、聞こえたのはさとりの声だった。
「すごい……です」
「「……!」」
声が出ない、出せない。でも、この場にいる三人の心情は同じのはずだ。
感動。
紅く丸いステンドグラスが焔の光に反射して輝き、それに合わせて焔が躍る。その繰り返しから成り立つ景色は、とても神秘的なものだった。
恐怖。
パチパチと音を発てる焔がにじりよってくる。感覚では表せない怖さが、私達の息を詰まらせた。
しかし、私の胸の内に広がるもう一つの感情は、他には理解しがたい物だろう。
此処はとても……懐かしかった。
ここが私の居場所な気がするのだ。根拠は無いわけではないけれど、それでも異常な程に。
私はそっと焔に足を踏み入れる。もう焔が抵抗してくる事は無い。やることは一つ、自己満足でもやっておきたかった事。
「あー……」
声を出してみると、予想外だった。とても美しい声。儚く夢のように広がる唄が、自分が唱っているものだと、誰が信じられるだろうか。
夢の中で唄っていた歌を、覚えているフレーズだけ何度も繰り返す。懐かしく恐ろしいこの場所を受け入れて、少しでも"私"を知りたかった。
だからこそ、期待こそしていたが困惑している。
一語一句、覚えている。"あの時"何を思っていて、というか"あの時"の場景というのが鮮明に思い出せた。
「り、燐乃亜?何があっ」
「聞かないであげて下さい。燐乃亜さんは取り戻しただけですから」
「~っ!……」
啜り泣く声に後ろを振り向くと、ウサギがボロボロと涙を溢していた。良かった、と幾度も呟いて、泣き笑いを浮かべる表情。それを何処かで見た気がしたが、今の私にはそれを考える必要は無いと感じた。
ただ一つ一つの場面を噛みしめた今、もう一度皆に会いに行こう。そう感じた。
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