【第二期完結】けものフレンズ ~セルリアンがちょっと多いジャパリパーク~   作:奥の手

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第十八話 「れみあさん」

 月の明るい夜のこと。

 海風がほんのりと鼻をくすぐり、木々のざわめきが耳をなでるようにあたりで聞こえるそんな夜。

 

 ルルルゥゥゥゥゥオオォォォッッッ――!

 

 風も葉擦れも塗りつぶすほどの大音声で吠えた黒セルリアンは、失った前足をまるで信じられない事が起きたかのように、目の前にかざしながら二歩、三歩と後ずさりました。

 

「今よ!」

「はいよー」

 

 鋭く叫んだレミアの声に、遠いところからフェネックの声が応答。直後、後退していたセルリアンの後ろ脚が片方、地面にめり込みました。

 バランスの崩れた所へレミアは間髪入れずに再装填したリボルバーの弾を叩き込みます。

 

 両手のリボルバーが立て続けに火を噴き、黒セルリアンの目玉に襲い掛かります。

 オレンジ色の火花のようなものと、飛び散った黒い粒子に飾られて、黒セルリアンはなすすべもなくその場でたたらを踏みました。

 

 茫然とその様子を間近で見ていたサーバルに、

 

「何をしてるのだ! 早く逃げるのだ!!」

 

 林の中から飛び出したアライさんが、声をあげながらその手をしっかりと掴んで林の中へサーバルを引き込みました。

 

 足をもつれさせながら引っ張られるがままにサーバルは走ります。驚きと混乱で目を白黒させています。

 

「あ、あの、えっと」

「細かいことは後なのだ! とりあえず今は逃げるのだ!!」

 

 サーバルの手をしっかりと握って、後ろを見ながら叫んだアライさんは、

 

「!」

 

 サーバルの後ろ。

 レミアが吹き飛ばした黒セルリアンの、大木のように太い腕が、徐々に再生している様子を目の端にとらえて苦い顔をしました。

 

 

 〇

 

 

 数十分前。

 港を目指して移動していたアライさん、レミア、フェネックの三人は、陽が落ちてからずいぶん経ちましたが、港へ向かう足を止めていませんでした。

 月の明かりが足元を照らしてくれる、木々のまばらな林の中を、やや焦った様子で移動しています。

 

 始めに異変に気が付いたのはフェネックでした。

 

「レミアさーん。なんかいろいろ近づいてるかもー」

「セルリアン?」

「たぶんねー」

 

 フェネックの耳がぴくぴくと動いていました。

 ほどなくして三人はやや開けた場所で立ち止まると、フェネックは耳を、レミアはスコープを使って敵の正確な位置を掴もうと意識を集中します。

 細かったり太かったりする木々の合間。月の明かりは葉の影になって周囲を薄暗くしていますが、それでも視界の確保には困らない景色の中で。

 

「後ろから追ってきてるわね」

「前からも来てるねー」

「は、挟まれたのだ!?」

 

 レミアがスコープ越しに確認できたのは、サバンナやジャングルで嫌というほど見た真っ青なセルリアンです。だいぶ遠いですが、それらはかなりの数を伴って、三人の後ろから近づいていました。

 一方フェネックの聞いた足音は、それら青いセルリアンとはまた別の、いままで聞いたことのない足音です。

 

 地面が揺れるほどのこれまで経験したことのない巨大な足音が、すごく遠くから響いてくるのと、こちらへ近づいてくる小さな足音。小さな方は巨大な奴とは形も大きさも違うけれど、こっちに向かってきていることは確かなようです。そんな感じのセルリアンの音がするとレミアに伝えます。

 

 レミアはその場で撃退することも考えました。

 カバンさんたちが向かっているのが港であり、この先にあるのがその港だからです。捕捉したセルリアンはどういうわけかレミア達に向かってきているのですから、このまま港まで行ってしまっては最悪、カバンさんを巻き添えにする可能性があります。

 

 ですが。

 

「フェネックちゃん、その大きな足音って、もう少し詳しく聞き取れない?」

「んんー、なんというか、足が四本ありそうな感じだねー。あーあと、時々吠えてるねー」

 

 レミアの心中ではなぜか。

 なぜか、どうしてもそのセルリアンが気になりました。

 そのセルリアンの元へ行きたい。近づきたい。そんな欲求が体の内から理由もわからずあふれ出します。

 

「どうするのだ、レミアさん?」

 

 レミアは少し考えた後、手に持っていたライフルを背中へ回して、右腰のリボルバーを抜きました。

 

「前へ進むわ。セルリアンと戦って、囲まれる前に港へ行く。どうしてもそのデカブツの(ツラ)を拝みたいわ」

「わかったのだ!」

「はいよー」

 

 頷くアライさんとフェネックに、レミアは一度笑顔を向けてから、地面を蹴って走り出します。

 

 数分もしないうちに会敵しました。さきほどフェネックが足音を聞き取った小さいほうのセルリアンです。小さいといっても相手はレミアより頭三つほど大きな球型です。月の光をぬらぬらと反射する黒い体を、地面からわずかに浮かせてこちらに突撃してきました。

 

「フッ!」

 

 レミアは息を吐きだしながら右に大きく飛び込み、こちらめがけて突っ込んできたセルリアンをいなします。

 背面に見えた石を立ち上がりざまに射撃。直方体の塊になったかと思うと、セルリアンはバシャリと音を響かせて砕け散りました。

 

「黒いセルリアンとは……新手ね」

 

 立ち上がって周囲を確認しながらレミアが呟きます。

 これまで見てきたセルリアンの色とは違って、たった今倒したものはインクを染み込ませたかのように真っ黒でした。難なく倒せたとはいえ警戒するに越したことはありません。

 

「フェネックちゃん、こっちに向かってきているセルリアンって、今の奴と同じ?」

「かなー。似た足音はー、ちょっと離れてるけど向かってきてるねー」

 

 耳に手を当てて前方へ意識を集中させながら、フェネックはそう伝えました。

 すると、

 

「レミアさん」

「ん?」

 

 アライさんが、神妙な面持ちでレミアの服の裾を引っ張ってきました。普段あまり見せることのないような、どこか陰のある表情です。

 レミアは向き直りながら首をかしげました。

 

「どうしたの?」

「あの黒いセルリアンは〝サンドスター・ロー〟を直接取り込んで生まれる、厄介なセルリアンなのだ。難しい相手だってミライさんが言っていたのだ」

 

 難しい相手。

 それの指す意味がレミアにはすぐには思いつきませんでしたが、アライさんの言葉を真摯に受け止めることに違いはありません。

 

 このタイミングでそれを言ったということは、つまり遠い昔にもアライさんはあの黒いセルリアンと対峙しているということです。

 少なくとも〝パークの危機〟に関わる存在。ミライさんが〝難しい相手〟と称する敵です。

 

 レミアは気を引き締めるつもりで、しっかりとうなずきながらアライさんの肩に手を置きました。

 

「わかったわ。気を付ける」

「あの黒い奴に、たくさんフレンズが食べられるのをアライさんは見たのだ」

「…………」

 

 アライさんの声が震えていました。

 レミアの手が止まり、フェネックが思わず振り返ります。

 

「あの黒い、あいつらは、悪いやつらなのだ。強いし、多いし、フレンズがたくさん食べられたのだ。アライさんの大事な友達も、みんな、みんなあいつらと同じ奴に食べられたのだ」

「…………」

「…………」

「あんな奴らがいるのはパークの危機なのだ。レミアさん……おねがいなのだ。あいつら、あの黒いやつら、みんなやっつけてほしいのだ」

 

 顔を上げたアライさんの頬には涙の筋ができていました。レミアは口を結びながら、一瞬だけかける言葉に悩み、一瞬後に悩んだって気の利いた言葉はかけられないと思い返し、思ったことをそのまま口にします。

 

「そうね、約束するわ。……もう誰も食べさせない。みんな、やっつけてやるわ」

 

 口の端を上げたレミアの微笑には温かな頼もしさがあり、対照的に、次第に冷たくなっていった瞳には、明確な殺意が含まれていました。

 横で黙って見ていたフェネックは気が付いていましたが、アライさんを泣かせるようなセルリアンをレミアが許すわけがありません。滲み出る殺意の理由に、フェネックは肩をすくめました。

 

 アライさんはぐしぐしと目元をこすると、

 

「アライさんも頑張るのだ!」

 

 いつもの快活な表情で、元気よく言い放ちました。

 レミアの手にあるリボルバーが、月の光を反射して、鈍く、勇ましく、輝いています。

 

 それから数十分のこと。

 移動しながらほとんどの――黒くて丸くて、前方から愚直に突っ込んでくる球型のセルリアンを、レミアはアライさんとの約束に従って片っ端から屠って進みました。

 

 

 〇

 

 

 ルルゥゥゥォォォォォォ――!!!

 

 林中に響き渡る咆哮にレミアは顔をしかめながら、目の前三十メートルほど先の巨体を睨めつけていました。

 巨大セルリアンの姿を捉えたのと、その足元で一人のフレンズが松明を持って逃げているのを見つけたのは同時でした。

 

 まずは足もとのフレンズを戦闘から離脱させること。

 そのためには巨大セルリアンを足止めすること。

 

 即興でしたがひとまずの作戦はうまくいったようです。

 一瞬で作戦の目的と手段を構築したレミアは、フェネックに簡易的な落とし穴を掘るように指示。自身は囮と攻撃役に回り、アライさんには戦闘離脱補助を頼みます。

 

 結果は半分上手くいき、半分は想定外のものでした。失敗とまではいきませんが、レミアは頭に痛いものを感じます。

 

「それは反則だわ……」

 

 頬をヒク付かせながら見上げているレミアの先で、周囲から黒い粒子を集めながら、黒セルリアンは腕を再生していきました。

 たしかに攻撃は通るようです。十二発というレミアの所持弾数からするとやや負担の大きな火力ではありますが、それでも敵の攻撃手段、移動手段を大幅に阻害できる、行ってみれば有効打となりえる攻撃でした。

 

 しかし腕を吹き飛ばしたとはいえ再生されては(かな)いません。仮に無限の弾があったとしても、埒があきません。当然、弾には限りがありますし、現段階でもそう多くは残っていません。

 

 視線を落とし、周囲の様子をすばやく確認したレミアは、足元で襲われかけていたフレンズ――サーバルが、アライさんと共に無事林の中へ逃げ切ったことを確認して、ポーチから懐中電灯を取り出します。

 

 遠くの方で、落とし穴作戦に成功したフェネックがさらに遠ざかって、倒れていたもう一人のフレンズに駆け寄っていくのを視界にとらえました。

 レミアは満足げにうなずきます。おそらくフェネックは、倒れているフレンズを移動させようとしているのでしょう。

 

 つまり、見える範囲に危険にさらされているフレンズはいないようです。

 レミアは懐中電灯のスイッチを入れ、強烈な明かりをセルリアンの前でちらつかせました。

 

「ほら、あなたは光に向かって進むのよね?」

 

 ポーチに手を当て、研究員が残した――遺志とも言い換えられる対セルリアンの情報を頭の中で反芻しつつ。

 

「追いかけっこをしましょう。あなたが鬼。あたしが逃げる。あたし以外を追いかけたらぶっ殺すわよ」

 

 言うや否やレミアは走り出しました。全速力で走り出しました。

 口の端には、まるで楽しんでいるかのような、そんな笑みが自然と浮かんでいました。

 

 

 〇

 

 

「これ、たぶんカバンさんだよねー」

 

 落とし穴を掘り終えたフェネックは、黒セルリアンの背後で、気を失って倒れていたフレンズの元へ駆け寄っていました。

 赤いシャツにベージュのハーフパンツ、その下は黒のタイツです。各地域で断片的に聞いていた、カバンさんの特徴そのものです。

 

 ですが、周囲を見渡してもアライさんの帽子は見当たりません。アライさんがやけに大切にしていた帽子で、以前何度かフェネックも見ていますから、落ちていればすぐにそれとわかります。

 

 まさか昔の思い出が詰まったとても大切なものだとは知りませんでした。ですが、今ではそのことも知っています。フェネックはアライさんのためにも、必ず見つけるつもりで辺りを見回していき、

 

「あ!」

 

 木の根元。何やら黄色い変なものが倒れている、その目の前に帽子を見つけました。

 走り出して取りに行こうと一瞬ピクリと動いた後、冷静に思い返して黒セルリアンのほうを一瞥します。

 

 みると巨大な足のすぐそばで、レミアが懐中電灯をちかちかと瞬かせていました。

 

 レミアのやろうとしていることが一瞬で分かり、同時に今すぐレミアの元へ走って「やめるんだ」と言いたくなり。

 しかしすぐに、そんなことをしなくても、あのレミアなら大丈夫だと自分に言い聞かせます。こんなウソみたいに大きなセルリアン相手に、たとえ囮として走ったとしても、あのレミアさんなら逃げ切れる。

 もしかしたら、これはまぁもしかしたらの話だけど、何かしらの方法であのセルリアンをやっつけて帰ってくるかもしれない。

 

「いやー、ここはレミアさんを信じるべきだよねー」

 

 苦笑いを浮かべながら独り言ちたフェネックは、とりあえず帽子を持ってくるより先にカバンさんを林の中へ隠そうと、背中に手をまわし、

 

「よっ……こいしょ」

 

 頑張って抱きかかえて木の影に横たえました。

 すぐに走り出して帽子の所まで行きます。

 

 走りざま黒セルリアンの様子を確認すると、レミアの姿はもうそこにはなく、おそらくはレミアを追っているのであろう黒セルリアンが、地面を揺らしながら移動していました。

 

 無事帽子のところにたどり着き、土ぼこりを払いながら、ボロボロのそれを大切に両手で持ち上げて。

 

「……これのためにがんばってきたもんねー」

 

 誰に言うでもなく、そう呟きました。

 

 アライさんの思い出です。フェネックはしっかりと手に持って、ついでに辺りを少し見回して、

 

「ん?」

 

 よく見ると荷物がそこら中に散らばっていることに気が付きました。

 フェネックは始め首をかしげながら、はてさてこれは何だと考えましたが、とりあえず今は帽子の回収と、アライさんたちとの合流が先です。

 

 散らばっている荷物はそのままに、カバンさんのもとへと走っていきました。

 

 夜風が緩く吹きすさび、月明かりがほうほうと林を照らす静かな夜。

 散らばった荷物のうちの一つである、パークの全地形を記した地図が、パタパタと静かに揺らされました。

 

 〇

 

 カバンさんのもとへ戻ったフェネックは、二人のフレンズがいることに気が付きました。アライさんとサーバルです。

 

 帽子を小脇に抱えて戻ったフェネックに、アライさんは「あ!」と一声上げた後、

 

「フェネック! それなのだ!!」

「はいよー。あっちの方に落ちてたんだー」

 

 フェネックが帽子を差し出して、アライさんは満面の笑みでそれを受け取ります。

 大事そうに手に取ると、懐から朱色の鳥の羽を取り出して、帽子の側面に取り付けました。両サイド一つずつ、冴えた青と、燃えるような朱色の羽が揺れています。

 アライさんはその帽子を、一度胸にぎゅっと抱いてから、

 

「……もうなくさないのだ、ミライさん」

 

 極々小さな声で漏らしました。フェネックは耳をぴくりと動かして、それからいつもよりちょっとうれしそうに微笑みました。

 アライさんは胸に抱いた帽子をもう一度目の前に掲げて、そのベージュ色でところどころ穴の開いた、大切な思い出をゆっくりと頭にかぶります。そのときです。

 

「えぇ、それ、カバンちゃんのだよ! なんで取ってるの!?」

 

 サーバルが帽子を指さしながら慌てた様子で叫びました。帽子をかぶったアライさんはその声にビクリとしながらも、すかさず言い返します。

 

「違うのだ! これはアライさんのなのだ! アライさんが盗られたのだ!!」

「そ、そんなことする子じゃないよッ! 返してよ!!」

「いやなのだ!!」

 

 サーバルが一層声を張り上げ、アライさんは帽子のつばをぎゅっと持ちながらやっぱり負けじと声を上げるものですから、このままではケンカになってしまいそうです。

 

 フェネックは双方の顔を交互に見た後、「ふぅー」と小さくため息をついてから、

 

「はいはーい、ちょっと二人ともそこまでだよー。アライさん落ち着いてー。サーバルもー、私の話を聞いてほしーんだー」

「え、でも、それはカバンちゃんのだから――」

「その辺のことについて話があるんだってばー」

 

 なおも食い下がろうとしたサーバルに、フェネックは表情こそいつもの余裕の笑顔を浮かべていましたが、声音には少しだけ怒気が含まれていました。

 フェネックが怒っていることにサーバルも気が付き、はっとして両手をフルフルと振ります。

 

「ご、ごめんね! 違うの、えっと、その帽子はカバンちゃんがずっとかぶってたから、だから、怒らせたくて言ったわけじゃなくて、その……」

 

 慌てた様子で矢継ぎ早に言うサーバルを見て。

 フェネックは、そしてアライさんも、自分が熱くなっていることに気が付きました。フェネックは肩から力が抜けていき、ちょっと頭に血が上りかけていたことを反省します。

 サーバルには、アライさんとフェネックを攻撃しようなんて意図があったわけではありません。もとより〝ちゃんと話をしないとダメなこと〟だということは、この旅の途中で何度も思っていたことです。

 これは悪いことをしたと、フェネックは内心で深いお辞儀をしました。

 

「ううんー、こっちも悪かったよー。ごめんねー」

 

 聞きようによっては軽い調子でしたが、その声音には本当に申し訳ないという気持ちが含まれていることを、サーバルも感じ取ります。

 

「ううん! いいの。それで、話ってなぁに?」

「えーっとねー」 

 

 それからフェネックは、アライさんの帽子について伝えなければならない大切なことだけを話しました。

 時間に猶予はありません。悠長に話している場合ではないので、要領よく説明します。

 

 フェネックが伝えたことは、この帽子はもともとミライさんが被っていたものだということ。

 アライさんはミライさんがこのパークに居た時からずっと生きていて、この帽子はミライさんがパークから出る時にプレゼントしてくれたもの。

 だから、アライさんにとってはとっても大切な思い出で、それをカバンさんにとられたかもしれないと思い、ここまで旅をしてきたということ。

 

「え! じゃあ、アライグマはミライさんのことを知ってるの!?」

「知ってるのだ! 一緒にいろんなところに行って、いろんなことをして、いろんなお手伝いもしたのだ!」

「じゃあ、やっぱりその帽子は……アライグマの……?」

「うん、そうなのだ!」

 

 快活な表情で腰に手を当てながらそう言ったアライさんは、それからゆっくりと手を帽子に伸ばすと、かぶっていたそれを取りました。

 帽子を胸に抱いたまま、木の影で横になっているカバンさんを見つめています。

 

「……でも、なのだ」

 

 口元には笑みが浮かんでいますが、その目が一瞬だけ悲しそうになり、それから考え込むようにして俯いてしまいました。

 

 サーバルが首をかしげます。アライさんが何をしようとしているのかまるで読めません。

 訝しげな表情を浮かべているサーバルの横で、フェネックは、ハッとしたように何かに気が付きます。アライさんのほうを見て、アライさんはゆっくりと歩きだしたのを見て、小さな声でフェネックは訊きました。

 

「……いいの? アライさん」

「いいのだフェネック。やっぱり、そういうものなのだ」

 

 毅然とした声でアライさんはハッキリと言いました。その言葉にフェネックは少しだけ胸にちくりとした痛みを感じましたが、アライさんが決めたこと。アライさんが決めた〝思い出〟の形です。自分にはもう、何も言う必要はないと、フェネックは口の端をわずかに上げながら、目をつむりました。

 

 アライさんは、迷いのない動作でカバンさんのところまで来て、足をかがめます。

 

 直後、カバンさんのまぶたがわずかに震え、ゆっくりと目を覚ましました。おもむろに体を起こしてきたところに、アライさんはそっと、手にしていた帽子をカバンさんの頭にかぶせます。

 

「ん――あれ? え? サーバルちゃん? ラッキーさん?」

 

 カバンさんが混乱した様子で声を上げて。

 最も近くにいたアライさんと最初に目が合い、それからほんの一瞬動きが止まった、そのわずかな間に。

 

「――――やっぱり、帽子はヒトが被ったほうが似合うのだ。この帽子はアライさんのものだけど、カバンさんが被っててほしいのだ」

 

 カバンさんには何のことだか分かりませんでしたが。

 アライさんの表情は、この旅で一番満足げなものでした。

 

 〇

 

 木々の立ち並ぶ夜の林を、一人の女性がまるで糸を縫うように疾走していました。

 

 時折周囲に懐中電灯の明かりを振り向けては。

 

 すどんすどん。

 

 手に持っている44口径のリボルバーから火を吹かせます。

 

 レミアの周囲には球型の黒いセルリアンが追随してきており、その背後には、地面を揺るがしながら四本足で追いかけてくる巨大な黒セルリアンが迫っています。

 

 一見すると巨大な脅威に追いかけられ、周囲を敵に囲まれているという絶望的な状況ですが、

 

「イージーすぎるわね。追いかけっこにもならないわ」

 

 レミアの口元には笑みが浮かんでいました。

 足取りは見るからに軽く、まったく疲労を感じていない様子です。

 

 むしろ元気になっているような。レミアは体感的にこの場所へ来てから、体が軽くなったような気がしていました。

 

「まぁ、そんなことはひとまず置いといて」

 

 レミアは自らの状態確認もほどほどに、周囲の様子へ気を遣ります。

 走る足はそのままに、後ろを振り仰いでから巨大セルリアンの目元にライトの光をチラつかせました。

 

「……足は遅いし、知能は皆無だし、ちょっと随伴兵を出したかと思えば猿の一つ覚えのように囲うことしかしてこない」

 

 おまけにこの小さいやつらは、後ろのデカブツを倒せば溶岩となって一掃できる。

 

 レミアの頭にはすでに日記の内容が入っています。それの示す今の状況は、まったくもってピンチでも何でもありませんでした。

 ただ一つ懸念があるとすれば、そしてそれがかなり肝心なことでもあるのですが。

 

「問題は倒し方ね」

 

 レミアはひとまず海の方角へと走っていました。理由は単純で、黒いセルリアンは水に触れると溶岩になるという情報を持っているからです。アライさんからも聞きましたし、日記にも書かれていました。まず間違いのない情報でしょう。

 

 ただどうやって水に触れさせるか。

 海の中まで入ったとしてもそこまでこいつが追いかけてくるとは限りません。当てが外れてそこで戦闘になった場合、さすがのレミアも海中での動きは緩慢になります。危険であることは間違いありません。

 

 さてどうするかと思案しつつ、右側から迫っていた小セルリアンの石をぶち抜いてから、ふと視線を前に動かしたその時でした。

 

「――な!」

 

 その目に入ったのは、燃え盛る炎で周囲を明るく照らしている一隻の船です。

 瞬間、レミアはとっさの判断で右側に方向転換、木の影に身体を這わせつつ大きく飛び込み前転をします。そのほんの一瞬後、レミアの足があった場所を、これまでとは比にならないほどの速さで走り出した巨大セルリアンの足がかすめました。

 

 〇

 

「ぬおあー! フェネック!! こんなことしてる場合じゃないのだ!!」

 

 帽子をカバンさんに被せてから、ものすごくいい笑顔を浮かべていたアライさんでしたが、突然思い出したかのようにハッとすると、地面に穴をあけるような勢いで立ち上がってそう絶叫しました。

 

「フェネック、大変なのだ! アライさん見ちゃったのだ!」

「何を見たのさー?」

 

 わたわたとアライさんが、落ち着きなく手を振りながらフェネックに詰め寄っている間。

 目を覚ましたばかりのカバンさんは、始めこそわけがわからないとオロオロしていましたが、サーバルから大体の話を聞くと「な、なるほど……」となにやら飲み込めたらしく、それから落ち着いた動作でアライさんに近づいて、その肩をやさしく叩きました。

 

「何を見たんですか? アライグマさん」

「あのでっかいやつ、レミアさんが腕を取ったのに、再生していたのだ!」

「!?」

 

 カバンが目を見開きます。〝レミアさん〟というのは直接見たわけではありませんが、サーバルから聞いた話で、〝サーバルちゃんを助けてくれたフレンズ〟ということは認識しています。

 

 ただ今はそんなことは関係ありません。問題は〝腕を取ったのに再生した〟という言葉の方です。

 

「それ、どういうことですか!?」

「そのまんまなのだ! 腕がなくなったのに、サンドスター・ローを吸収してもう一度生やしたのだ!!」

「……それ、もしかしてそのままだと、海に沈めても復活するということですか」

 

 張り詰めた声で質問したカバンさんに、アライさんは首を横に振りました。

 しかしそれは「復活しない」という否定の表現ではなく、どうなるかはわからないという意味です。

 

「海に沈めればさすがにやっつけれるかもしれないけど、サンドスター・ローの供給がある限り、レミアさんがまともに戦っても勝ち目はないのだ! 沈めるにしても、そこへ行くまでの間が危険なのだ!!」

「どーすればいいのー?」

 

 首をかしげながらそう言ったフェネックに、アライさんはある場所を見上げながら答えました。

 見上げた先にあるものは。

 

 月の明かりを反射して、七色の光を焚き上げて、複雑怪奇な形で積みあがっているこの島の源。

 

「〝やま〟の〝ふぃるたー〟を張り直すのだ! 〝ししん〟をちゃんと配置したら、サンドスター・ローは止められるのだ!!」

 

 アライさんの言葉に、カバンさんとサーバルは目を見開きます。それは、この二人だけでは成し遂げられなかったことです。やっぱり大事なものだったんだと、どうしてあの時もっとしっかり探せなかったんだと、カバンさんは心中で自分を責めました。

 

 うつむいたカバンさんに、フェネックは気が付きました。

 気が付いて、もしかしてこのふたり、私たちが来る前からあの巨大セルリアンを倒そうと動いていたのかもしれないと思い。

 そして思い返せばサーバルは、あの恐ろしい火を手にしてまで巨大セルリアンと対峙していたことを思い出して、なるほどそういうことかと確信しました。

 

 そっとカバンさんの背中に手を当てて、

 

「ありがとねー、カバンさん。私達もいれば、きっとうまくいくよー」

 

 にこっ、と笑って、カバンさんを励ましました。カバンさんの表情が驚きから笑顔に変わったのはもちろんのことです。

 

 それからバスのところまで戻って、地図を回収して、アライさん、フェネック、カバンさん、サーバルが山へ向かって走り出すのに、数分とかかりませんでした。

 大急ぎで、でも転ばないように、四人のフレンズは月の明るい夜の林を駆けていきました。

 

 〇

 

 燃え盛る船の明かりが、周囲を警戒しながら前へと進むレミアの全身を舐めるように照らします。

 ひび割れたアスファルトの上に立ったレミアは、右手のリボルバーだけを巨大セルリアンに向けて、懐中電灯は下に向けています。

 

「…………」

 

 レミアの先、三十メートルほど向こうで。

 

 ルルウウウウゥゥゥゥォオォォォォォォォッッ――!

 

 闇に染まった黒い空に、どこまでも響くような咆哮を上げて、巨大な墨色のセルリアンは前足を船の上に叩きつけました。

 どしん、という鈍い音と、金属が軋む音がしましたが、船は沈まないようです。

 

 ピピーンッ!!

 

 船の上から、澄んだ高い音が鳴り響いて。

 船はセルリアンの前足を乗せたまま、重たいエンジン音を大きく唸らせて前進。セルリアンは大きくバランスを崩します。

 

 ルルルウウウオ――――。

 

 断末魔の悲鳴か、あるいは後悔の叫びか。

 セルリアンは夜の空へ向かって何事か吠えようとしましたが、完全に吠えきる前に船が真っ二つに裂けて、足を乗せていたセルリアンも当然のことながらバランスを崩し、そのまま引きずり込まれるようにして海の中へ落ちていきます。

 

 沈む直前に響いていた咆哮が、水面の下からくぐもって聞こえた後。

 海の表面に黒い粒子が集まってきました。

 

「ちっ!」

 

 やはり再生するようです。レミアは手にしていた懐中電灯とリボルバーを戻し、背中に回していたライフルを構えます。

 

 狙うは顔を出した直後。いくら再生するとはいえ弱点の海水に全身が浸かっているのです。石まで削り切れないわけがありません。

 要は陸地に揚がらせず、海の中でとどめたまま石を砕けばいいだけの話。レミアはスコープ越しに、今か今かとセルリアンが浮いてくるのを待ちました。

 

 ですが。

 

「……?」

 

 黒い粒子はしばらく水面を漂っていましたが、やがて薄くなると、月明かりでは視認できないほどにまで消えてなくなりました。かわりに、溶岩が冷えて固まったかのような小さな島が、海面に顔を出してきます。

 

 レミアは島が表れてもなお、油断なくライフルを構えていましたが、

 

「…………」

 

 一分が経ってから、ゆっくりとライフルを下ろしました。

 

 港のコンクリに波の当たる、ちゃぷちゃぷとした音が耳を打ち、火照った体に冷たい海風がさらりと肌をくすぶっていきます。

 

「ふー」

 

 胸の底に詰めていた何かを吐き出すように、ゆっくりと、レミアは深呼吸をしました。

 

 終わったのでしょうか。念のため辺りを見回して、追随していた球型の小セルリアンも、残さず溶岩になっていることを視認します。林の影になっているところも、月明かりでは確認しずらいですから、懐中電灯で確認しようと照らします。

 

 ポーチから取り出して、スイッチを入れて、木の根元を照らした瞬間。

 

「ッ!」

 

 レミアは反射的に体をひねりました。ほんの一瞬前まで上体のあった場所を、両手で抱えられるほどの大きさの何かが高速で過ぎ去っていきました。

 

 振り向きざまライトを照らし、ライフルはその場で手放しつつ、それが落下して地面に当たるよりも早くに右腰からリボルバーを抜きます。

 

 一瞬でした。

 ライトが当たってからの一瞬後、レミアはそれが青いセルリアンであることを認識して、認識した直後には丸見えだった石を撃ち抜きました。

 

 青セルリアンが霧散するのを視界の端にとらえつつ、下に落としたライフルを回収、背中へ回します。

 油断なく林を明かりで照らしていき、その照らされた先にリボルバーの照準を合わせたまま、レミアは港のひび割れたアスファルトを進みました。

 

 二歩、三歩と進んだところで、

 

「……誰よ」

 

 レミアは足を止めました。否、止めざるを得ませんでした。

 林の中から何か異様な気配がして。何か嫌な予感がして。

 

 そして嫌な予感は的中して、レミアの目の前に一人の少女が表れました。

 

 髪の根元は青く、毛先は白いグラデーションのかかった色彩に、髪型はレミアとよく似た肩より少し長いストレート。月明かりに照らされたワンピースは目の冴えるような白色で、肌は病的なまでに青白い――いえ、むしろ青い(・・)と形容するのが正しいほどに、少女の肌色は尋常ではありませんでした。

 

 身長はレミアの胸ほどの高さであり、どちらかと言えば細身です。この旅でよく見たフレンズたちとそう変わらない体格なだけに、肌の青さが異質さを増しています。

 

 そして何よりも。

 この場所(ジャパリパーク)へきて初めて向けられた〝明確な殺意〟に、レミアは背筋を焦がされていました。

 

 巨大セルリアンを屠ったことで、ほんのわずかだけ気を緩めかけていたレミアでしたが、今はもう、その目に安堵の色など欠片も見られません。

 目の前の少女が発している濃厚な〝殺意〟に応えるように、レミアの目が、氷点下の凍てついた大地のように冷たくなっていきます。

 

「もう一度聞く。返答次第では射殺する。お前は誰だ」

 

 レミアが冷たい無機質な声で問いただします。

 一方で、記憶の糸を手繰り寄せ、温泉でホッキョクグマから聞いた〝噂〟を思い出しました。

 

 ――大勢のセルリアンに囲まれているのに、少しも慌てず、逃げようともしない、全身真っ青のフレンズがいる。

 

 なるほど、と。

 レミアは、懐中電灯の明かりとリボルバーの銃口を少女からピクリとも動かさず、目線だけで周囲を確認します。

 まだ完全には見えませんが、結構な数のセルリアンの気配がしました。それは、つまりここへ来るまでの間に後ろから迫ってきていたセルリアンなのかもしれません。

 

 レミアの問いには答えずに、青い少女は緩慢な動作で右手を挙げると、

 

『……オマエ、ジャマ。ケス』

 

 ひどく無機質な。

 まるで、どこかで聞いたことのあるような。

 

 いいえ。

 どこか(・・・)でも、あるような(・・・・・)でもなく、レミアはその声を一度だけ聞いたことがありました。

 

 それは――――。

 

「あの時撃っておけばよかったわ」

 

 ブワッ。

 レミアの周囲に虹色の粒子が舞いました。灰色の瞳も光を帯びて、舞っている粒子と同じくらいの輝きを放ち始めます。

 

 しかし、美しく漂う七色の中に。

 黒く、淀んだ、言うならばそれはまるで。

 

『――オマエ、オナジ』

「食うことしか能のないあなた達と、一緒にしないでくれるかしら」

 

 虹色の粒子の中に混じって、淀んだ色の粒子を発しながら、レミアは、冷たくそれだけを言い放つと、地面を蹴って大きく右に飛びました。

 

 ラッキービーストだったセルリアンの少女は、レミアに向かって手を振りかざし、周囲のセルリアンに命令します。

 

『アノ、セルリアンヲ、ヤッツケテ』

 

 

 

 

 






次回『ボクモ』

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