【第二期完結】けものフレンズ ~セルリアンがちょっと多いジャパリパーク~   作:奥の手

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第十七話 「かばんちゃん」

 斜面の急な山道を、足元に注意しながらカバンとサーバルは登っていました。

 むき出しの山肌は大小さまざまな石がゴロゴロとしていて、お世辞にも登りやすいものではありません。足を取られてケガをしないように注意して歩く必要があります。

 

 カバンは黙々と歩いていましたが、サーバルの息は上がっていました。

 

「けっこう来たねー。ちょっと休まない?」

「ごめんねサーバルちゃん。うん、休もう」

 

 サーバルはその場に腰を下ろし、カバンは地図を広げます。二人の様子に気が付いたボスも、一緒に止まって待ってくれるようです。

 二人がいる場所はもう少しで山頂に届く、そのすぐ手前のところでした。周囲に草花は生えておらず、荒れた地面が続いています。

 

「カバンちゃん、これからどうするの?」

「ラッキーさんが向かっている場所について行って、それから船で出発する準備をしようと思う」

「ジャパリまんとかお水とか、用意しないとなんだよね!」

「うん、そうだね」

 

 サーバルの言葉に笑顔で頷きながら、カバンは手元の地図に目線を落としました。現在位置と山頂までの距離をあらかじめ確かめようと思った、その時です。

 ボスの目が緑に輝いて、地面にミライさんの映像が映し出されました。

 

「あ! カバンちゃん、またミライさんがでるよ!」

 

 サーバルが手招きしてそういったものですから、カバンはあわてて地図をしまって、サーバルの横に並びました。

 ボスから録音されたミライさんの声が鳴り始めます。

 

『巨大セルリアンですが、やはり何かしらの供給を受けていることがわかりました。黒いセルリアンは〝あの〟能力があるため、攻撃せずに、先に山のフィルターを張り直す必要があったんです』

 

 ミライさんの言葉に、カバンは首をかしげました。

 

「巨大セルリアンって、何のことだろう?」

「黒いセルリアンは、さっきやっつけたセルリアンの事かなぁ?」

「でも、〝巨大〟ってほど大きくは無かったような……」

『無事四神を並べたので、私たちはこれから下山します。なんとしても、私達で先に退治しないと。フレンズの皆さんを避難させてからとはいえ、この島に、あんなものを…………』

 

 ミライさんは映像の中で、悔しそうに、そして申し訳なさそうに視線を落として呟きましたが、ふっと顔を上げると、これまでと同じように言葉を続けました。

 

『後日まとめますが、今のところ、いくら攻撃しても山から〝サンドスター・ロー〟を吸収する事。太陽の方向に向かっているということ。海を嫌がっていること、などが見て取れます』

「ぜ、ぜんぜん言ってることがわからないよー……」

 

 肩を落としながらサーバルがぼやきましたが、カバンはその言葉に反応せず、真剣な表情でミライさんの録音を聞いています。

 今は邪魔しちゃダメ、という気がしたサーバルは、きっとカバンちゃんならミライさんの言っていることをわかってくれるかもしれないと思い、先ほどのまで表情とは一転して、安心した様子で視線を戻しました。

 

『このあたりを――――あ! カラカルさん、サーバルさん、行けますか! はい、行きましょう! ――――四神の場所は、以前記録した〝貴重なもの〟の場所そのものでした! また後ほど!』

 

 慌てた様子で記録を打ち切ったミライさんの声がまだ耳に残っているうちに、サーバルはカバンのほうへ向き直りました。

 

「カバンちゃん! わたし、何のことだかさっぱりだったんだけど、何かわかった?」

「ボクもあんまりわからなかったけど……でも」

 

 これまでよりもいっそう不安げな表情で、カバンは言葉を紡ぎます。

 

「〝巨大セルリアン〟っていうのは、なんだかすごく怖い感じがする。この山と、何か関係があるのかもしれない」

「どうする? ボスも山頂に行きたいみたいだし、このまま――――」

 

 どしぃん。

 

 サーバルの言葉が最後まで言い切られる前に、遠くの方から大きな音が響いてきました。

 驚き、目で追って、二人して息を詰まらせます。

 

「え……?」

 

 カバンが目を凝らす先には、かなり大きな、黒いセルリアンが森の中を進んでいました。

 すぐ横には、頑丈そうな木が中ほどからへし折られています。先ほどの音はあの木がなぎ倒された時のものでしょう。

 

 四角く大きな足跡が、セルリアンの後に続いています。

 

「も、もしかしてあれが〝巨大セルリアン〟!? パークにあんなのがいたら、みんな大変なことになっちゃうよ!!」

「何とかしないと……でも、どうすれば」

「行こうカバンちゃん!」

 

 大きく叫び、カバンの手を握って山を下りようとしたサーバルに、カバンは瞬間的に手を握り返してぐいっと引き寄せました。

 

「サーバルちゃん待って。先に山頂へ行こう」

「え、なんで!?」

「ミライさんの言ってたことが、あのおっきなセルリアンと関係してるなら、山の上に何かあるはずだよ。先にそれを確かめよう」

「うん、わかった!」

 

 快活な表情で頷いたサーバルと、不安げな表情を浮かべるカバンは、山の上へ向けて走り出しました。

 

 〇

 

「ここが……山頂、かな?」

「すっごーい! こんな風になってるんだー!」

 

 サーバルが、まるで巨大セルリアンの存在を忘れてしまったかのような歓声を上げました。

 カバンもその光景に思わず息を飲みます。

 

 見事なものです。

 七色に光輝きながらも透き通って見える立方体が、複雑怪奇なバランスで天を貫くように上へ上へと伸びています。

 足元を見れば巨大な火口があり、その表面には不思議な模様の膜が張られていました。ただ一部が欠けていて、黒と光の混ざった煙が際限なく立ち昇っています。

 

 カバンはあたりを見回しました。

 

「ミライさんの話が本当なら、ここに何か……たしか〝四神〟って言ってた。サーバルちゃん、何か変わったものがないか探そう」

「うん!」

 

 カバンとサーバルはお互いに頷き、変わったものがないか探そうとあたりに視線をちりばめた、その時です。

 ラッキービーストの目が再び緑色に輝き、ミライさんの姿が映し出されました。

 

「あ、サーバルちゃん! ミライさんだよ!」

『その場所は、火口の中心から東西南北。……えっと、パンフレットで言うと〝ウの3〟の交差点が、まさに中心点ですね。この像が東の青龍なので、あと三つ埋まっていると考えられます』

「……〝せいりゅう〟?」

「なんだろうねー?」

『本当に、サンドスター・ローの粒子をここでフィルタリングしているとしたら、まさにこの島にとっての宝ですね』

 

 ミライさんの言葉が終わるとすぐに、カバンは地図を取り出して目を凝らしました。すぐ横で覗くサーバルにも見えるように傾けてから、人差し指で地図の上をなぞります。

 

「えっと……〝ウの3〟っていうのがこれとこれの引っ付くところなのかなぁ……〝とうざいなんぼく〟って何だろう? サーバルちゃん、聞いたことある?」

「うーん……わかんないや」

 

 困った顔で首を振るサーバルに、カバンも眉尻を下げます。

 

 ミライさんの言葉はきっと、この場所にある〝変わったもの〟のヒントだったのでしょう。しかしカバンとサーバルにはそのヒントの内容がわかりません。

 

「どうしよう、カバンちゃん?」

 

 さすがのサーバルも不安げな表情でカバンをのぞき込みます。

 少し考えてから、

 

「サーバルちゃん、もうちょっとだけこのあたりを探して、何も見つからなかったら山を下りよう。ボクたちであのセルリアンを確かめて、すぐに博士たちのところへ行ってみよう」

「うん、そうだね!」

「セルリアンの石の位置だけでもわかったら、何か作戦が立てられるはず。大きさと、動きの速さを確かめよう」

 

 それからしばらく、右へ行ったり左へ行ったりして変わったものがないか探しましたが、結局何も見つかりませんでした。

 先ほどの予定通り、サーバルとカバン、ボスは下山の準備を整えます。

 

「そういえば、ラッキーさん。ここにきて確かめたかったことって……?」

『さっきの映像を見てほしかったんだ』

 

 ボスはその言葉の続きに何か言おうとしていましたが、そこで黙ると少しだけうつむいて、後は何も言いませんでした。

 

 〇

 

 山を下りてジャパリバスのところまで戻ったカバンたちは、連結部を外してその場に後部を置きました。

 

「ラッキーさん、これなら林の中でも進めますか?」

『ちょっと危ないけど、しっかり掴まってくれてたら大丈夫だよ』

「ありがとうございます」

 

 全員が運転席に乗り込み、

 

『出発するね。しっかり掴まってて』

「はい」

「うん!」

 

 お世辞にも整っているとは言えない林の中を、ボスはハンドルを切って進めていきました。

 

 がたがたと上下に揺れる悪路を、ジャパリバスの運転席部分だけが走ります。

 しばらくすると、木々の合間に巨大な影が見えてきました。

 

 同時に地響きのような音が聞こえてきます。その周期はゆっくりですが、目の前の影が確実に移動していることが分かります。

 やがて直立する木の間からハッキリと、その黒い巨体が見えてきました。

 

「うわぁぁ……」

「うぅわぁ……」

 

 カバンとサーバルは二人そろって背筋にひやりとしたものを感じ、思わず小さな声をあげます。

 数十メートル先のセルリアンはジャパリバスよりもやや高く、胴体の長さはジャパリバスの後部をつなげてもなお足りないほどに長いです。四本足の、奇妙な見た目をしています。

 

「……やっぱりおっきいねー」

 

 声を極限まで小さくして、サーバルはカバンの耳元で呟きました。

 

『あまり近くまで寄れないよ』

「大丈夫です、ラッキーさん」

 

 カバンもできるだけ声を小さくしてからそう伝え、そしてよく目を凝らして巨大セルリアンの様子を観察します。

 太い脚に、長い胴体。墨を溶かしたような真っ黒い全身に、前部にはぎょろりとした漆黒の目玉。これまで見てきたセルリアンに比べると、その異様さは際立っています。

 

 カバンは石を探しました。足、腕、腹、顔と確認していき、

 

「……あった」

 

 背中に石を見つけました。

 同時。

 

 ――――ギョロリ。

 

 黒セルリアンとカバンの目があいました。

 

 一瞬の間。瞬間的にカバンは息を思いっきり吸って、

 

「逃げてください! ラッキーさんッ!」

「こっち見てるよぉぉぉッッ!!!」

『しっかり掴まって』

 

 二人は大きく叫び、ボスはその言葉に応えます。

 

 唸るバスのエンジン音と、腹の底を震わせるようなセルリアンの咆哮が重なると、直後にジャパリバスは土煙を上げながら後進。

 黒セルリアンは巨体を旋回させ、周囲の木々をなぎ倒しながらこちらに前面を向けます。

 

「こ、こっちに向かってるよボス!!」

 

 サーバルの叫びにボスは反応せず、代わりにジャパリバスのエンジンが一際激しく唸り。

 勢いよくハンドルが切られ、スピードをそのままにくるりとタイヤを滑らせて転回。前を向いてスピードを上げます。

 

「わぁー! ボスの運転はさすがだね!!」

『注意! 注意!! 大量のサンドスター・ローが放出されました。超大型セルリアンの出現が予測されます。お客様は直ちに避難してください。注意、注意――』

「え?」

 

 セルリアンがだんだんと遠くなり、木々の間に見え無くなっていく中。

 カバンは二つの意味で驚きました。

 一つはボスの鳴らしているけたたましい警告音。

 そしてもう一つは、セルリアンの周囲に黒い粒子が集まり、遠ざかっているにもかかわらず大きくなっていくというその光景。

 

 何か、信じられないことが起こっているような。

 胸騒ぎを通り越して、苦しくなるほどの息詰まりを感じながら、カバンはボスに目を移しました。

 

 〇

 

 巨大セルリアンが見えなくなってからしばらくして、林の中の少しだけ開けた場所でジャパリバスはエンジンを止めました。

 相変わらずボスは警告音をけたたましく鳴らしたまま、似たようなフレーズを繰り返しています。

 

『警告! 超大型セルリアンの出現を確認しました。パークの非常事態に付きお客様は直ちに避難してください。ここからの最短避難経路は日ノ出港です。警告――』

 

 ボスはそう繰り返しながらジャパリバスを降りて、カバンのほうへ振り返ります。その耳は、ずっと真っ赤に点滅しています。

 カバンもバスから飛び降りて、少し困った顔で、

 

「ラッキーさん、今はそんな場合じゃ」

『警告、警告、超大型セルリアンの出現を確認しました――――ダメです。お客様の安全を守ることが、パークガイドロボットであるボクの務めです。警告、警告』

 

 繰り返されていたボスの言葉に少しだけ、カバンの言葉に返答する形で変化がありました。

 

「…………」

『超大型セルリアンの出現を確認しました。パークの非常事態に付き――」

「ラッキーさん」

 

 繰り返される言葉の途中で、カバンはがっしりとボスの両サイドに手を当てて、間髪入れずにはっきりと断言します。

 

「ボクはお客さんじゃないよ」

『…………』

 

 ボスは黙りました。心なしか警告音も少しだけ弱まり、耳だけが真っ赤に点滅し続けています。

 カバンはボスを掴んだまま、吸い込まれるような黒い瞳でまっすぐにその目を見据えました。

 

「ここまでみんなに、すごくすっごく助けてもらったんです。パークに何か起きてるなら、みんなのためにできることを……したい」

 

 ボスはしばらく黙っていました。カバンは立ち上がりながらも、ボスから目を離しません。じっとその目を見たままきつく結んだカバンの口元は、ただならぬ覚悟の表情を表しています。ボスの目にも、その影が映りこんでいます。

 

 帽子の羽は片方ありませんが、かつてこのパークの職員であった、そして自分の相棒ともいえる存在であった女性を記録媒体から――――機械に、このような言葉は不釣り合いかもしれませんが――――〝思い出した〟あと。

 

『…………わかったよ、カバン。でも、危なくなったら必ず逃げるんだよ』

「はい」

 

 深く、確かに、カバンは頷きました。

 口の端に笑顔を浮かべながら。

 

 〇

 

「バスから遠ざかるとき、黒セルリアンが大きくなるのを見ました。たぶん、さっきより大きくなってるかも」

『サンドスター・ローを吸収すると大きくなるからね。そのぶん、動きは鈍いはずだよ』

 

 林の中のすこし開けた場所。

 倒木を椅子代わりにして、カバンとサーバル、ボスは作戦会議をしていました。

 

 気付けば空は茜色に燃え上がり、もうあと数十分で日が沈みます。

 

 ここへ来てまず最初にサーバルは言いました。〝すぐに博士たちのところへ戻って、ハンターを呼ぼう〟と。

 しかしこれに反対したのはカバンです。なにせあれだけの大きなセルリアン。動きが鈍いとはいえ巨大なことを加味すると、放っておいていい存在ではありません。

 

 危険ゆえにハンターに任せるべきだ、とも思いましたが、砂漠での一件を思い出してすぐに思考を切り替えます。

 

 ハンターは今どこに居るのかわかりません。呼ぼうと探し回っている間に被害が出るかもしれません。

 サンドスター・ローを吸収したセルリアンが最終的にどれほどの大きさになったのかは確認できませんでしたが、間違いなく砂漠に居た奴よりかは大きいはずです。当然、より危険な存在だと言えます。

 

 そう言う意味でも、このまま放置するという選択肢はカバンの頭にはありませんでした。砂漠の時のようにしっかりと考えて行動すれば、せめて異常に気が付いた他のフレンズが博士やハンターに知らせてくれる。

 自分たちが今取るべき行動は、あのセルリアンを足止めするか、運が良ければ退治できる方向にもっていくこと――。

 

 カバンはそう判断しました。だからこそ自分たちで時間稼ぎ、あるいはそのまま退治できる可能性のある方法を模索します。

 

「それで、あのセルリアンは〝太陽に向かって〟進むんですよね?」

『そうだね。正確には〝光に向かって〟進むよ』

「光……じゃあ、夜になればバスの明かりと火を使って誘導ができます。あとは海に沈められれば……」

「えっと、カバンちゃん!」

「どうしたのサーバルちゃん?」

「よくわからないけど、わたしあのセルリアンって自分から海に入らないと思うの! ほら、嫌なことって自分からしたくないでしょ……?」

 

 サーバルはおずおずと手を挙げながら言いましたが、カバンは頷きながらその言葉に賛同します。

 

「サーバルちゃんの言う通りだよ。たぶん、明かりで誘導しても自分からは海に入らない。だから船を使って沈めるんだ」

 

 カバンの作戦はサーバルにも理解できました。

 

 船に火をつけて明かりで誘導し、黒セルリアンが乗ったところで船を出す。

 重心さえ乗っかれば、巨大なセルリアンゆえに自重で船ごと沈めることができます。

 

 ですが、

 

「だめだよカバンちゃん! だってあの船は――」

「いいの、サーバルちゃん。海の外に行くより、もっと大切なことだから」

「…………いいの?」

 

 サーバルはまるで自分の事のように悲しそうな顔で、カバンを見ました。

 カバンはしっかりと一度だけ頷きます。後悔も迷いもその表情にはなく、あの船はセルリアンを退治するために使う。その決意が確かなことを感じたので、サーバルも納得しました。

 

「船まではバスの明かりで誘導しよう。ラッキーさんしか運転できないから、港まで行ったら急いでバスを降りて、船に乗り換えるよ。港についてからが大変かもしれないけど、あのセルリアンの動きにだけ注意していけば、きっと大丈夫」

「うん! カバンちゃんはやっぱりすっごいね!!」

 

 カバンの表情には一抹の不安がありましたが、そんな様子のカバンをサーバルは明るい声で励ましました。

 カバンは頭の後ろを照れくさそうに掻きながら、

 

「えへへ――あ、もしバスでの誘導でなにかトラブルが起きたら、火を使ってボクが誘導するよ。サーバルちゃんはボスを抱えて船まで走って」

「え、カバンちゃんは!? 大丈夫なの?」

「火はボクしか持てないし……木の間を上手に使えば、大きな体のセルリアンだからそんなにすぐには追ってこられないと思う」

「なるほどー!」

 

 カバンは倒木から立ち上がり、ゆっくりと手を差し出しました。

 サーバルも、にっこりと笑ってその手を握り返します。

 

「これできっと――――うまくいく、かな?」

「いくよ! だいじょーぶ!!」

 

 太陽の残滓が空を紫色に染める、そんな夕刻の林の中に。

 自信なさげに首を傾げたカバンにサーバルが激励する声が、やけに大きく響きました。

 

 〇

 

 すっかり日が落ちてあたりが暗くなった頃。

 空には月が昇っていますが、黒セルリアンは月の明かりには反応していません。

 

「……やっぱり、めちゃくちゃおっきくなってるよー」

「港側に回り込んで、ある程度離れた距離からライトを付けてください。ラッキーさん、お願いできますか?」

『まかせて』

 

 先頭部分だけのジャパリバスを林の中から発進させ、巨大なセルリアンの背後に回り込みます。停車した後。

 

 ばしゃん。

 

 小気味よい音を立ててヘッドライトが点灯し、強い光が暗闇の林を切り裂きました。

 すぐに黒セルリアンはジャパリバスの存在に気が付きます。巨体をのっそりと動かし、ぎょろりとした黒目でバスの光を補足します。

 

 足が動くたびに空気が震え、大地が揺れるのを、バスの上で二人はひしひしと感じました。

 

「こ、これ、大丈夫かな」

「大丈夫だよカバンちゃん! 船の明かりまで行けば大丈夫!!」

 

 サーバルが元気よく叫んだのと、バスが発進したのは同時でした。

 バスのエンジンが低く唸って、勢いよく後退します。ヘッドライトは正確にセルリアンの姿を捉え、そして目論見通りセルリアンはジャパリバスの光を追ってきました。

 

「やったよカバンちゃん! 上手くいったよ!!」

「まだ! 船のところまで行かな――うわぁ!」

 

 ズオオォッ――!

 

 黒セルリアンは前足を高く持ち上げると、墨色の立方体を振り落として攻撃してきました。

 勢いよく落ちてくるそれはジャパリバスの先頭部とほとんど同じ大きさです。当たればひとたまりもありませんが、ボスの華麗なハンドルさばきはすべての攻撃をかわしました。

 

「すっごーい! ボスって本当はすごいんだね!」

「ラッキーさん、かっこいいです!」

 

 称賛の声を二人があげた直後。

 

 バスの後輪に木の枝が絡み、急速に速度が落ちました。

 

「うわわわわああああ!!!」

「ラ、ラッキーさんッ!」

 

 一瞬で先ほどの声とは正反対の悲鳴が上がります。

 ボスは瞳を緑色に輝かせると、

 

『パ――――』

 

 ブゥゥゥゥォォォォォンンンッッ!!

 

『――――ッカーン!!』

 

 ミライさんの声で、バスのエンジンを一気に吹き上がらせて、枝をへし折りながら再び加速し始めました。

 接近していた黒セルリアンから距離をとることに成功し、最初の間合いを取り戻します。

 

「今日のボスはかっこいいねー!!! すっごいよー!」

 

 両手を挙げて喜ぶサーバルの声に、ボスは返事こそしませんでしたが、そのハンドルさばきに一層のキレが生まれたようです。

 

 後進するジャパリバスは一定の距離を保ちながら、巨大な黒セルリアンを誘導することに成功していました。暗闇の中に地を震わせる足音と、バスの頼もしいエンジン音が響いています。

 

 しかし、一歩を踏み出すごとに地鳴りのような音を上げる黒セルリアンは、自らの攻撃が当たらないことを察したのか。

 あるいは、単に光へ追いつけないと判断したからか。

 

 その巨大な体を、後ろの二本足のみで支えて立ち上がると、脚部をかがませて跳躍する動きを見せました。

 

「……え?」

 

 何をしようとしているのかを察したカバンが、張り付いたのどからそれだけを漏らします。

 直後、後ろ脚に体重を乗せたセルリアンは、縮めたバネを伸ばすように脚をぴんと張ると、巨体をゆっくりとした動作で倒してきました。

 空気が押しつぶされるような、圧倒的な質量を持って闇が目の前に迫ってきます。

 

「ボス! ボスッ!!」

「ラッキーさんッ!!!!」

 

 黒セルリアンの巨体を、小さなジャパリバスが支えられるわけもありません。

 張り裂けそうな声で叫ぶ二人に、ボスは行動をもって答えてくれました。

 

 これまで以上に加速したバスはタイヤを一瞬だけ空転させながらも、瞬時に黒セルリアンの影から離脱。巨体の覆いかぶさらない場所まで逃げ切ります。

 直後、もうもうと土煙を挙げながら、そして轟々とした地震を伴って、黒セルリアンはその巨体を地面にぶつけました。

 振動でバスの車輪が浮き上がり、バランスを失って制御不能に陥ります。

 

『アワ、アワワワワ!!』

「わーッッ!!!」

「うわぁぁぁぁぁ!!!」

 

 ジャパリバスは地面を何度か跳ねたのち、木に衝突して横転しました。乗っていた全員が放り出されます。

 

 一番最初に立ち上がったのはカバンでした。瞬時に周囲を見渡し、

 

「バスが――――!」

 

 ジャパリバスの車輪が破損し、すでに使い物にならないことを認識。見るや否やすぐに次のプランである〝火を使って誘導〟を実行しようとします。

 ですが、セルリアンの姿を目にとらえた瞬間。

 

 カバンの背筋は凍り付きました。

 

 巨体を投げ出したはずのセルリアンはいつの間にかしっかりと四本足で立ち上がり。

 否、地面を捉えているのは三本の足。残り一つの前足は、空高く振り上げられていました。

 

 カバンの頭に、チカリと一閃が走ります。

 

 ――サーバルちゃんは。

 ――見るからにダメで、何で生まれたかもわからなかったボクを受け入れてくれて。

 ――ここまで見守ってくれて。

 ――だから、今度こそ。

 

「ボクがサーバルちゃんを守るんだ!」

 

 瞬間、カバンは走り出しました。倒れていたサーバルとボスを両手に掴み、走った勢いをそのままに、思いっきりバスの向こうへ投げ飛ばします。

 

 サーバルとボスから入れ替わる形でその場所に立ったカバンに。

 セルリアンの腕が、目にもとまらぬ速さで襲い掛かりました。

 

 バスの向こう側へ飛ばされたサーバルが、地面を転がった瞬間に目を覚まし、バッと顔を上げて黒セルリアンを睨みます。

 

「カバンちゃんッ!!」

 

 その目で見たものは、セルリアンの巨大な腕に飲み込まれたカバンの姿でした。目を閉じ、口が開き、意識は完全に刈り取られています。

 

 ――助けなきゃ!

 

 見るや否や走り出そうとしたサーバルでしたが、足を一歩踏み出した瞬間に、

 

「うわぁ!?」

 

 空から何かが降ってきました。すぐに足を止めて、両手で受け止めます。落ちてきたものを見て息を飲みました。

 それは、カバンがいつも背負っていたものでした。

 

 ――〝あれ? それまでなんて呼べばいいのかなぁ?〟

 ――〝カバンちゃんで!〟

 

「…………そんな」

 

 サーバルはあの日のことを思い出しました。もうずいぶんと昔の事に思える、でも今でもしっかりと思い出せる、カバンと初めて会ったあの日のことを。

 

 サバンナのあの日から、たくさんたくさん旅をしてきました。いろんなものを見て、いろんなことをして、泣いたり笑ったりたくさんして。サーバルは、いつも隣にいたカバンの、ちょっとかすれた声の温かい笑顔を思い出しました。

 

 一も二もなく手を伸ばし、中身を次々とその場に出します。

 

『サーバル』

「ボス! カバンちゃんを、カバンちゃんを助けるよッ!」

 

 焦る心を必死に落ち着け、中身を取り出す手を止めず、サーバルはそう叫びました。間髪入れずに続けます。

 

「ボスは船まで走って! わたしがカバンちゃんを助けて、セルリアンを船まで連れて行くから! 船を動かせるようにしてて!!」

『サーバル、でも』

「でもじゃないよッ!」

 

 林中に響き渡る声で叫びました。今にも泣きそうな目で、ボスのほうを見ます。

 

「……カバンちゃんはわたしが助ける。ボスは、ボスにしかできないことをして!」

『…………』

 

 ボスの目に映ったサーバルの瞳は、まるで野生開放をしたかのように、しかし明らかに〝野生〟とはかけ離れた色をもって、煌々と光り輝いていました。

 一瞬、逡巡したように黙ったボスは、

 

『わかったよサーバル。気を付けてね』

 

 それだけを言い残して、出せる限りの一番の速さで船の方向へ向かいました。その目の周りは、七色に光輝いています。

 ボスの背中を見届けたサーバルは、一度グシッと目尻にたまった涙をぬぐうと、覚悟を決めた表情で取り出したものに目を落としました。

 

 そこに在るものは、カバンとサーバルがこれまでの旅でもらったもの。二人の思い出がたくさん詰まった、かけがえのないものばかりです。

 

 植物のツタを編んでできたロープを見て思い出しました。

 ――カバンちゃんはこれで、橋を動かしてた。

 

 図書館でもらった小さな箱を見て、思い出しました。

 ――カバンちゃんは〝火〟で誘導するって言ってた。博士のところで見た火は、そう言えばとっても明るかった。

 

 紙を丸めて作った松明を見て、思い出しました。

 ――カバンちゃんが一番最初に火をつけたのは、たしかこの〝かみ〟だった。

 

 瞬間、サーバルはマッチ箱を手に取って、中からマッチを取り出しました。急いで出したそれを箱の側面に擦りつけます。

 ですが、擦りつけた一本目は力が強かったのか真ん中から折れてしまいました。

 

「うみゃぁ……うみゃああ!」

 

 あきらめずにもう一本。

 上手く動かない指先に全神経を集中させて、必死にカバンちゃんの手を思い出して、

 

「こう、こうだよね!」

 

 恐怖を無理やり押し殺して一息でマッチに火をつけます。

 しゅっ、という摩擦音と鼻をくすぐる煙の後、小さな木片の先に小さな火が灯ります。

 

 ――怖い、怖い、怖い、怖い。でも、でも、絶対に、絶対に!

 

「カバンちゃんを助けるんだから!!!」

 

 こみ上げてくる恐怖を無理やり抑え込み、すぐに松明を持ち上げてマッチの火を移します。

 ぽうっ、と灯った明かりに黒セルリアンが気付きました。

 

「こっちだよ!」

 

 しっかりと松明を持ったまま振り仰ぎ、声を張り上げながら走り出し、やや離れた木まで来ると器用にそこを登ります。

 

 サーバルは図書館で料理したときのことを思い出していました。

 ――カバンちゃんは火を、小さな木からだんだん大きくしていった。だったら。

 

「お願いだよ…………ッ!」

 

 サーバルは登った先の木の枝に。

 それも、カバンが火をおこした時に一番最初に使ったような細い枝に、松明の火をくぐらせました。

 

 果たして願いが叶ったのか。

 

「やった! やったよカバンちゃん!!」

 

 火が燃え移り、ゆっくりとですが確実に、その木を光源へと変えていきました。

 

 ルルゥゥゥォォォォオオオオオオオッッッ!!

 

 黒セルリアンの咆哮。

 地面を揺らしながら、燃えている木へ近づいてきます。すぐにサーバルは飛び降りると、バスのところまで戻って今度はロープを手に取り、そのまま全速力で黒セルリアンの背後に回り込みました。

 

 サバンナからジャングルへ行く、あのゲートで戦ったセルリアンを思い出して。

 ――こうやって後ろに回り込むんだよね。

 

 サーバルはセルリアンの背後まで来ると、木にロープを括り付けて、その木の一番上まで駆け登りました。

 そしてジャングル地方でどうやってカバンが橋を動かしていたかを思い出します。

 ――この細長いのを引っかけて、引っ張ればいいんだよね。そうだよねカバンちゃん!

 

 高い木の頂上から、巨大なセルリアンの背中を見下ろします。半濁した黒い巨体の中に、サーバルはカバンの姿を確かめました。 

 

 息を止め、歯を食いしばり、思いっきり走って全力で木からジャンプして。

 

「うみゃぁぁぁぁぁ!」

 

 どぼん。

 

 黒セルリアンの背中に飛び込みました。

 狙い通りカバンの真上に来られたので、すぐさまロープをカバンに巻き付けて、木にくくってある方を手繰り寄せます。

 

 少しずつ、確実に、二人の身体は黒セルリアンの巨体を移動して。

 

 結果はうまく行きました。

 高いところから落ちてカバンが怪我をしないように、サーバルはしっかりと抱きかかえて着地します。

 

「カバンちゃん! カバンちゃん!」

 

 必死にその名前を呼びました。

 

「カバンちゃん! 起きてよ! カバンちゃんッ!!」

 

 ピクリと。

 カバンのまぶたが震えました。サーバルはそれでカバンが無事であることを確信します。

 ――よかった、カバンちゃん、間に合ったよ。

 

 サーバルは一度ぎゅっと目をつぶった後、ゆっくりと顔を上げて黒セルリアンをにらみました。黒セルリアンは燃えていた木をすべて食べつくし、カバンとサーバルのほうへ向き直ります。

 

「…………」

 

 おもむろにサーバルは立ち上がりました。バスのところまで戻って、松明とマッチを取り出して火をつけます。オレンジ色の炎が、サーバルの白い頬をぬらします。

 サーバルは最後にもう一度だけ、バスの前に広げた今までの思い出を見返しました。

 

 カバンちゃんと作ったたくさんの紙飛行機。

 カバンちゃんと一緒に架けた橋のためのロープ。

 カバンちゃんと一緒に戦った、丸い紙の筒。

 カバンちゃんと一緒に料理したときのマッチ。

 カバンちゃんと一緒に見たぺパプのライブチケット。

 

「…………カバンちゃんはね、すっごいんだよ」

 

 誰に聞かせるわけでもなく。

 黒セルリアンの方へ振り向きながら、サーバルは震える声で小さく呟きます。

 

「怖がりだけど、やさしくて」

 

 カバンが倒れている方向とは反対側へ、松明の明かりを大きく振りながら走り出しました。

 

「困ってる子のために、いろんな事考えて」

 

 黒セルリアンが、サーバルの松明を追います。

 

「頑張り屋で――――まだお話しすることも、一緒に行きたい所も」

 

 サーバルは追ってくる黒セルリアンを振り切らず、しかし決して追い付かれることはないであろう速度で疾走しました。

 それは、もしかしたら船まで行けたかもしれません。

 

「…………」

 

 しかし。

 遠くの音までよく聞こえる、サーバル自慢の両耳には聞こえました。黒セルリアンとは明らかに違う、でも絶対にセルリアンであろうと思われる大量の足音が。

 サーバルの足から力が抜けていき、やがて歩みが止まります。

 

「カバンちゃんはね、すっごいんだよ。……だから」

 

 こらえきれずあふれ出した涙をぬぐうこともせずに、ゆっくりと、振り返ります。

 仰ぎ見た先。明るくキレイな月を背に、黒セルリアンは空高く腕を振り上げていました。

 

「――――だから、なにがあっても大丈夫だよ」

 

 泣きながら笑顔でそう言ったサーバルに、セルリアンの腕が振り下ろされ、夜の林にひどく重たい轟音が、どこまでもどこまでも響きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――約束は守るわよ」

 

 硝煙の立ち上るリボルバーを両手に。

 サーバル目掛けて振り下ろされる漆黒の腕を、十二発の重たい轟音を響かせながら吹き飛ばし。

 レミアは、殺意を込めた目でそう(うな)りました。

 




次回「れみあさん」

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