【第二期完結】けものフレンズ ~セルリアンがちょっと多いジャパリパーク~   作:奥の手

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第十六話 「ゆきやまちほー! にー!」

 

 

 雪景色の中にぽつりと建っている温泉宿、その一階ロビーで、キタキツネは黙々と作業をしていました。

 片手にはレミアの通信機が握られていて、スイッチは入ったままです。今現在も回線はベラータと繋がっています。

 

「もうちょっと待ってて」

『りょうかーい』

 

 キタキツネの言葉に、力の抜けた様子のベラータの返事が聞こえてきました。

 

 つい数分前までは、声にもならない悲鳴を上げながらしばらくバタバタしていたベラータでしたが、突然物音がしなくなったかと思うと、キタキツネとのやり取りを始めていました。

 

 ベラータが聞いたことは主に三つ。

 

 なぜレミアの通信機をキタキツネが使っているのか。

 キタキツネはどんなところに住んでいるのか。

 スリーサイズを教えてほしい、と。

 

 最後の質問には「なにそれ?」の一言しか返ってこなかったので、あえなく精巧なモデリングのための情報収集は失敗したわけですが、そこは変態オペ――――天才オペレーターです。言葉の感じから伝わるキタキツネの姿を推測して、それなりに再現度の高いモデルを作り上げていました。

 

 同時進行で、一つ目の質問から〝レミアの身に何かあったわけではない〟ということも確かめています。

 

 要するに勝手にキタキツネが通信機を使っているわけですが、軍の正式なやり取りというわけでもありませんし、ベラータ自身は特に問題にするつもりもありません。

 レミアには〝こちらから通信をしたらキタキツネちゃんが応答してくれただけ〟と説明するつもりでいました。なかなかずるい男です。

 

『で、キタキツネちゃんは何をしようとしているのかな?』

「ベラータ、パソコン持ってるの?」

『あるよ』

「通信機をそっちのパソコンにつないでみてよ」

『?』

 

 キタキツネの言葉にベラータは要領を得ていない様子でしたが、通信機の向こうからは何やらガチャガチャと音がしているので、接続をしているのでしょう。

 キタキツネはそれを確かめると、自分の目の前にあるデスク――――もとは業務上の顧客データ等を管理していたデスクトップPCですが、今はキタキツネのおもちゃになっています――――の前に座り、使えそうなコードを机の引き出しから引っ張り出して通信機に接続しました。

 

 そして。

 

 キタキツネは温泉宿の奥の部屋からジャパリまんを一つ持ってくると、パソコンの本体に向かって思いっきり押し付けました。べちゃぁ、っと潰れて出てきた中身を、無言で本体側面に擦り込んでいきます。

 

 ギンギツネがその場に居れば卒倒しそうなほど狂気じみた行為ですが、止める人は誰もいません。キタキツネは表情一つ変えずに、さもあたりまえの事のようにジャパリまんを塗りたくっていきます。にちゃにちゃと粘っこい音を立てて、パソコン本体の側面部が甘い餡でコーティングされていきます。

 

 しばらくすると、すり潰されたジャパリまんから虹色の粒子が浮いてきました。

 キラキラと耳触りの良い音を立てながら、パソコンを包んだかと思うと、急速に薄くなって、やがて見えなくなりました。

 

「これでよし」

 

 何がいいのかわかりません。パソコンの側面には哀れにもすり潰されたジャパリまんがこびりついています。

 

 しかしキタキツネは満足げに頷きながら席に座り、モニターのスイッチをオンにしました。

 そこそこ大きくて、なかなか高画質なモニターの中には。

 

『…………え』

「〝ビデオ通話〟だよ。便利でしょ」

 

 鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしている、色白い青年が映っていました。

 

 〇

 

「磁場を感じたからできると思った」

『ちょ、ちょっとまって。少しだけ整理する時間をください。それからちょっとだけ作業する時間をください』

「いいよ」

 

 キタキツネがうなずくや否やベラータは机に突っ伏して、『これは夢じゃない現実だ今俺の目の前にはフレンズが居て名前はキタキツネちゃんでもうなんかこの子思ってたよりめちゃくちゃかわいいけどとりあえずモデリングしてからじっくり愛でていやその前に周辺機器の技術を吸い取って――――』と、早口でブツブツと念仏を唱え始めました。

 

 キタキツネは少し退屈そうに椅子の上で足をプラプラさせてから、思い立ったようにモニターの中のベラータの様子を観察し始めます。

 

 長い茶髪を後ろでくくっていて、服装はゆるゆるのスウェット、首元から見える白い肌は長らく日の光に当たっていないことを悟らせます。

 キタキツネは覗き込むようにしてベラータの容姿に注目して、

 

「耳としっぽがない……ベラータも〝ヒト〟なんだ」

 

 ぽつりとそう呟きました。

 

 数分後。

 

 念仏を唱え終わったベラータはようやく顔を上げて、いくらか落ち着いた表情でモニターのカメラ越しにキタキツネを見据えました。

 

『……こうして顔を見られることを奇跡に思うよ、キタキツネちゃん。ありがとう』

「出来そうだったからやっただけだよ。喜んでくれるならうれしいかな」

 

 小さく笑みを浮かべたキタキツネに、一度ベラータはうなずくと、すぐさまその笑顔を残そうとモデリングプログラムに組み込んでいきました。

 

 ベラータの頭の中では瞬時に様々なことが流れていきます。

 

 百年先の未来を今、この目で目の当たりにしているということ。

 妄想と会話の中でしか知ることのできなかったケモミミ少女、つまりはフレンズを、今はしっかりと両目に写せていること。

 この調子なら、他のフレンズもこの目で見ることができるかもしれないこと。

 それどころか、ジャパリパークという謎の桃源郷を見回せるかもしれないこと。

 

『ふ、ふふふ…………』

 

 ――――ベラータはうれしすぎて気が遠くなるのを何とかこらえて、半分はわが祖国のため、半分は己の欲求のために、一生懸命キタキツネのモデリングを済ませていきました。

 

 ただそれは左手での作業の事です。

 同時進行で質問しなければならないことが山ほど出てきましたから、ベラータは手元のモニターとキタキツネとの顔を交互に見つつ、口を開きました。

 

『どうしてこんなことができるんだい?』

「カメラの事? パソコンにくっついてるからだよ」

『いや、そうじゃなくてね……話せば長くなるけど、まぁその、本来ならこの通信が成り立っているのも信じられないくらいに奇跡的な接続の仕方をしているんだよ』

「?」

『いやぁわかんないよねそりゃあ……』

 

 百年という時間の壁がある事を説明しようかとも思いましたが、そんなことをしたところで〝繋がっているものは繋がっている〟のです。

 目の前で起きている事実を考えると、この質問そのものに意味がありません。

 

『いや、ごめん質問を変えよう』

「うん」

『こうやってビデオ通話を可能にするために、キタキツネちゃんがやったことを教えてほしい』

「ジャパリまんを擦りつけた」

 

 ベラータはその一言で、何がこんな超常現象を可能にしているのかを悟りました。

 ふと手元の端末機に視線を落とします。そこにはキラキラという心地よい音を立てながら、虹色の粒子に包まれている携帯端末がありました。

 

『……要するに、サンドスターの作用ってことか』

「どうなってるのかはボクも知らないよ。でもなんかできそうだったから」

『素晴らしいガッツだよ』

「……誉め言葉?」

『もちろん』

 

 首をかしげるキタキツネに、ベラータは親指を立ててすがすがしい笑顔を返しました。

 

 その時です。

 

「ふはははは! 〝ふく〟を脱いで走るとスースーして気持ちいいのだー!! アライさんいいこと見つけたのだーッ!!!」

「ちょ、アライさん待ちなさい!」

 

 元気なアライさんと、それを制止しようとするレミアの声が、温泉宿中に響き渡りました。

 ロビーには一糸まとわぬすっぽんぽんの姿で、白い肌からホカホカと湯気を立ち上らせているアライさんが脱衣所から飛び出してきました。

 

『…………』

「…………」

 

 モニターの向こうのベラータとアライさんの目が合います。ご丁寧なことにアライさんはぴたりと固まっています。

 しかも追い打ちをかけるようにキタキツネが体をそらしてカメラの正面から退いていますから、それはもう、障害物も何もない状態で、非常にクリアな映像情報をベラータに送り届けています。

 

『ぶふぇ』

 

 奇妙な声を一つ残して、鼻を押さえながら崩れ落ちるベラータを、キタキツネはモニター越しに見ていました。

 

 〇

 

「信じられないわ、こんなこと」

『俺も開いた口がふさがりませんよ』

「口の前に血管をふさぎなさい」

『あい』

 

 モニターの向こうのベラータは鼻に詰め物をしています。気絶してから数分で起き上がりましたが、その頃には温泉宿の全員が集合していました。

 目が覚めた後のベラータは初めこそ狂喜乱舞しましたが、レミアにたしなめられ、それからは落ち着いて一人ひとりと自己紹介を交わしました。

 せわしなく左手が動いていたので、おそらく全員分のモデリングをしていたのでしょう。抜け目のない男です。

 

 レミアを除くフレンズたちは、各々反応に微妙な温度差こそありましたが、一様にしてとても驚いていました。

 

「すごいわねこれ……」

「ギンギツネ、触っちゃだめだよ」

「わ、わかってるわよ!」

 

 ギンギツネはモニターの中にフレンズが――――厳密にはフレンズではありませんが、とにかくモニターの中でベラータが動いているという光景に目を丸くして、それからパソコンの横にへばりついているジャパリまんを見てため息をつきました。

 

「キタキツネ、これは?」

「ビデオ通話には必要だった。ごめんなさい。後でちゃんと食べるから」

「食べなくていいわよ!」

 

 あぁもうベトベトじゃない……、とあきれ顔で言いながら、ギンギツネはこびりついたジャパリまんを丁寧に拭きました。キタキツネもお手伝いします。

 

 一方その間、アライさんとフェネックもベラータとの会話を試みました。

 アライさんは、

 

「ア、アライさんも通信機でお話していいのか……?」

 

 と最初こそ躊躇っていましたが、フェネックと、何よりレミアがいいよと言ったので、ぱぁっと表情を明るくしてベラータと仲良く会話を楽しんでいます。

 高山では〝レミアさんの大切なものだから遊んではいけない〟とフェネックに言われました。ですから、今はとてもうれしそうです。

 

「ベラータとレミアさんはお友達なのか?」

『んー友達とはちょっと違うかな。うまく説明しにくいけど、しいて言うなら〝相棒〟か』

「おー、アライさーん、相棒だってー」

「アライさんとフェネックも相棒なのだ! 相棒で、親友で、頼れる仲間なのだ!!」

「やー照れるよアライさーん」

「ところでベラータは、そんなせまいところに居て〝びょーき〟にならないのか?」

『こう見えても病気にはなりにくくてね。なんてったって外に出ないから、持ち込む菌がない』

 

 不健康極まる返事が返ってきました。

 

 それからもそこそこ長い時間、レミア以外の全員が、興味津々でベラータとビデオ通話を続けました。

 ベラータが〝百年〟も昔のヒトで、ジャパリパークからは遠く離れた場所に居るということも話します。

 

「パークの外……きっとお宝がたくさんあるのだ!」

「どうかなー?」

『宝かどうかはわからないけど、確かにいいものはたくさんあるかもね。でも俺は、〝そこ〟が一番の宝物だと思うよ』

「ジャパリパークのことー?」

『そう! 君たちの住んでいるところは、控えめに言っても宝物だ』

「ふっふっふー! アライさんもそう思うのだ! パークはおっきな宝物なのだー!」

「だねー。私も、いいところだと思うよー」

 

 アライさんとフェネック、ベラータが歓談しているのを、少し離れたところでレミアは聞いていました。

 彼女たちを見守る表情は柔らかく、どこか安心しているようにも見て取れます。

 

 ――――民間人に通信の内容は教えられない。

 

 そんなことを考えていたこともありました。

 ですがレミアにはもう、その必要はありません。軍務につく人間というよりはむしろ、今レミアが動いているのは、レミア自身の意思にほかならないからです。

 

 命令があったわけでも、必要があったわけでもなく、ただただアライさんたちについて行きたい。フレンズの子たちを守りたい。その思いで行動しています。だからこそ、祖国の、軍の規定に縛られることもまったくありません。

 

 レミアはそのことに気が付き、少し考えました。

 

「……自由を求めるなら、帰らないのも手かもしれないわ」

 

 コップを拝借し、ギンギツネが用意してくれた雪解け水を汲んで、一口飲みました。

 冷たく澄んだ味わいにのどを潤しながら、ゆっくりと考えます。

 

 もし、ここに残るという選択肢を選んだら。

 それはきっとたしかに、束縛されたくないというレミアの気持ちは満たされるかもしれません。

 ですがそれと同時に湧き上がってくるのは、本当の意味での自由がそこに在るのかということです。

 

 一度死んだ身。サンドスターがなければ形を維持できないとされているこの身体は、いうなればサンドスターのあるところでしか活動できません。

 

 それは、レミアの言う、レミアの思う自由とは少し外れた事実です。

 

 百年前に戻れたとして、死んだこの身がサンドスターなしに無事でいられるという保証はなく、下手をすれば百年前のこの土地で同じようにサンドスターに拘束されるかもしれません。

 

 ただその時は、その時です。

 

 祖国に残した部下もいます。数はとても少ないですが、恩を感じている上司もいます。

 彼らのためにも、やはり帰りたい。

 

 レミアはコップに残った最後の一口を飲み干して、そんなことを考えました。

 

「ま、今すぐ決めなきゃいけない事じゃないしね」

 

 そのとおりです。そもそも百年前に戻ることが本当に可能なのかどうかもわかりません。レミアは小さく肩をすくめてから、飲み終わったコップを洗い場へもっていきました。

 

 ロビーに戻ってきた時。

 

「ん?」

「レミア、お願いがある……」

 

 おずおずとした様子で、キタキツネが服の袖をつかんできました。

 

「なに?」

「通信機、貰っちゃダメ…………?」

「…………」

 

 唐突です。かなり唐突なお願いです。

 レミアは迷いました。

 あごに手を当てて視線を下げ、本気で考え込むようなそぶりで、実際本気でいろいろと考えて、とてもとても迷いました。

 

 別にあげても構いません。というのも、ジャパリまんを食べていればいつかは再生します。いまここでキタキツネに渡してあげれば、ベラータはパークの情報をキタキツネから細かく、時間をかけて聞きだせるかもしれません。

 

 聞き出したところでその情報をどうするのかというのは考えどころですが、そんなことはもうレミアには関係ありません。このパークにとって不利益になるようなことにだけは使うなと、ベラータに念を押しておけばいいでしょう。

 

 通信機を渡してダメなことと言えば、再生する前に何らかのトラブルが起きた場合です。

 とはいえ、交戦中にベラータと通信をしたところで何らかのサポートを期待するのは難しいでしょう。基本的にはレミアの判断で動かかなければいけませんし、それがこなせるからこそここまで来られたのです。

 

 だいぶ、レミアにしてはしっかりとした考え方ができました。

 

「…………いいわよ、あげるわ。ベラータにいろいろ教えてあげて」

 

 ぱぁっと。

 花の咲いたように、キタキツネは満面の笑みで頷きました。

 

 〇

 

 温泉宿の玄関口。

 ひんやりとした空気が肌をなめる雪世界に、六人のフレンズたちは立ち並んでいました。

 

「それじゃあ、あたしたちはこのまま港へ向かうわ」

「セルリアンが出たら、その時は頼む」

「まかせて」

 

 ホッキョクグマの言葉にしっかりとレミアは頷きます。

 温泉宿にはパークの地図がありました。それを見て確認し、このまま最短距離で港までいけるルートを割り出したレミア達は、温泉宿を出発するところです。

 

 太陽は一番高い位置からほんの少し傾いただけで、まだまだお昼は長そうです。

 日があるうちにたどり着けたらいいなぁと思いつつ、レミアは振り返って手を振りました。

 

「キタキツネ、ベラータをよろしく頼むわよ」

「うん、あとで一緒にゲームするって」

「あいつ職務を何だと思って……」

 

 あきれ顔のレミアに続いて、アライさんとフェネックも別れの言葉を交わします。

 

「また入りに来るのだ!」

「じゃーねー」

「気を付けて行きなさいね。帽子、きっと返してくれるわよ」

「うん、ありがとなのだ!」

 

 温泉宿の三人が手を振って見送ってくれる中。

 アライさん、フェネック、レミアの三人は、雪を踏みしめて歩き出しました。

 

 

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 

 

「わー! ここが〝みなと〟かなー!?」

「そうなんですか? ラッキーさん」

『そうだよ』

 

 機械的な音声で返事をするボスに続き、カバンとサーバルもジャパリバスから降り立ちます。

 

 さんさんと輝く太陽は一番高いところまで昇り、港の景色を余すところなく照らしていました。

 朽ちたコンクリートにはところどころヒビが入り、鉄で出来ているものは長年にわたって潮風に晒されているからでしょうか。赤茶色でざらざらとした粉が全体に吹き出しています。

 

 日の光はよく当たりますが、さびれた港というような印象が強いこの場所に、しかし降り立った二人は喜びの声を上げました。

 

「ふあぁぁ~すごいね、サーバルちゃん!」

「おっきいねー! わたし海って初めて見たー!」

 

 二人の目の前に広がるのは、生まれて初めて見る広大な海原でした。

 日の光が水平線の向こうからキラキラと反射し、その光がまるで生き物のようにうねっています。

 

「すっごーい! 海って動くんだねー!」

「ほんとだねー。なんだか生きてるみたい!」

『あれは〝波〟だよ。海には波があって、泳がなくても沖のほうまで流されちゃうんだ』

「あ! 見てカバンちゃん! あれって〝船〟じゃないかなー! 絶対そうだよねー!!」

 

 サーバルの指さす先には、塗装が剥げてかなり錆の浮いた、ボロい鉄の塊がありました。

 それは、しかし波の動きに合わせてぷかぷかと上下しており、しっかりと海の上に浮いていることがわかります。

 

 カバンとサーバルは駆け寄ってさっそく乗ってみました。

 木張りの板はずいぶんと風化が進んでいますが、抜け落ちて穴が開くほどは痛んでいません。ぎっぎっと鈍い音を上げながらも、床としての役目をちゃんと果たしています。

 

「す、すごい……これが〝船〟ですか?」

『そうだよ。これに乗って海へ出れば、島の外にも行けるよ』

「すごいすごーい! わたし海の上に立ってるー!!」

 

 両手をあげて飛び跳ねるサーバルでしたが、その隣でカバンは、

 

「……ラッキーさん。でもこの船、すごく古いような気がするんですが」

 

 少しだけ不安そうな顔でそう呟きました。見れば錆が浸食して、船べりの崩れているところもわずかに見て取れます。

 しかしボスは音声では返さずに、一瞬だけ目を緑色に(またた)かせました。直後。

 

 ピピーン、ドルン――――ドルルルルルル。

 

「わ、わぁ! ラッキーさん!?」

「う、動いたぁ! これもバスなの!?」

『エンジンは大丈夫みたいだね。使えるよ』

 

 小刻みな振動と大きな音を立てて、船は永い眠りから覚めたことを喜ぶようにエンジンを吹き上がらせました。

 

『これで準備が整えば、いつでも海の外へ出られるよ』

「海の……外」

 

 言葉の意味に、何か感じるところがあったのでしょうか。

 噛みしめるようにゆっくりとそう言ったカバンは、顔を上げるとサーバルのほうへ向きました。

 

「ボク……これに乗って、海の外に行ってみたい!」

「海のそとー?」

「うん、サーバルちゃん。もしかしたらヒトは、そこに居るのかも」

「うーん、港にはいないみたいだし……そうなのかな? 〝海のそと〟にいるのかなー?」

 

 サーバルは少しだけ笑顔を浮かべながら、首を傾げます。

 その直後。腹の底に響くような爆発音が、あたり一面に響き渡りました。

 

「うえぇぇ! な、なに!?」

「カバンちゃん、山だよ! 見て!!」

「な、なにあれ……?」

 

 サーバルとカバンの視線の先には。

 見上げるほど高くそびえ立ち、山頂付近では虹色の立方体が複雑な形で積みあがっている〝山〟が見えました。その根元から、大量のキラキラとした粒子が噴き出ています。

 

 カバンは初めこそ驚いていましたが、すぐに口を引き締めると、

 

「あれが――――行ってみよう、サーバルちゃん!」

「うん!」

 

 力強く、そう言い放ちました。

 

 〇

 

 山の方角へ駆け出した二人は、しばらく走ると林の中ほどで足を止めました。

 

「え?」

 

 気配を感じ、カバンが振り返った、そのすぐ先で。

 墨汁を溶かしてゲル状にしたような、ヌメヌメと光を反射する球体のセルリアンがそこにいました。

 サーバルよりも随分と大きく、高さで比較するならばジャパリバスと同じくらいの大きさです。

 

「セ、セルリアンだぁぁ!」

「逃げて、サーバルちゃん!!」

 

 サーバルが叫び、カバンの声で二人とも駆け出します。

 全速力で走りますが、セルリアンは二人の姿を捉えると、不気味な音をたてながら追ってきました。

 浮遊したまま追いかけてくる黒色の巨体は、どういうわけかかなり速いです。

 カバンの足では逃げ切れそうにありません。サーバルはすぐにそのことに気が付き、勢いよく踵を返すと爪を立てました。

 

 うみゃぁぁぁ――!

 

 気合一声、真っ白な光を放ちながら全力で振り下ろされたサーバルの爪は、しかし黒セルリアンの身体に当たった瞬間、弾力をもって跳ね返されました。

 

「サーバルちゃん!」

「うわぁッ!」

 

 セルリアンが飛び上がり、サーバルの上から降りかかります。

 すんでのところでジャンプしてやり過ごしたサーバルは、自分の攻撃が効かないと分かると、すぐさまその場から離脱。カバンの元へ駆け寄ります。

 

「カバンちゃん、どうしよう! 石がないよぉ!!」

 

 焦って叫ぶサーバルに、カバンは一度「大丈夫だよサーバルちゃん。石は体の後ろに見えたから」と落ち着いた口調で返答しました。

 そのまま考え込むようにして口元に手をやり、早口で思考を整理していきます。

 

「えっと、さっき飛び上がった時にセルリアンの後ろに見えたから、だから何とかして背後に回り込めたら――そうだ!」

 

 サーバルちゃん、ついて来て! その言葉と同時に、二人は林の奥へと全速力で駆け出します。

 

「ボクがおとりになってセルリアンの気を引くから、サーバルちゃんは木に登って隠れて!」

「やだよ! そんなことしたらカバンちゃんがッ!」

「大丈夫。セルリアンがサーバルちゃんの下を通り過ぎたら、すぐに後ろにある石を攻撃して!」

 

 カバンの作戦がどういうものかわかったサーバルは、ハッと目を見開いて、それから力強く頷きました。

 

「気を付けてねカバンちゃん!」

「うん、サーバルちゃんも!!」

 

 にこっと笑って答えたカバンの声をしっかりと耳に残して、サーバルは真上にあった木の枝にジャンプします。

 二メートルほどの高さを一気に登り、続いてもう二メートル、地上から考えると四メートル近い高さまで数秒で駆け上ります。

 

 すぐさま真下に視線を移すと、墨で染めたようなセルリアンが、酷く不気味な鳴き声をあたりに響かせながらたった今通過しました。

 

「――みゃぁーッッッ!!!」

 

 爪を大きく振りかぶり。

 めいっぱい張り上げた声と共に、木の枝を蹴り飛ばして、猛烈な速さで落下したサーバルは。

 

 白色に輝く爪の残像を空中に残しながら、黒セルリアンの背後にあった石を寸分の狂いもなく的確に砕きました。

 一瞬後。

 

 ――――パシャァァァァン。

 

 ガラスの割れるような破砕音を響かせて、無数の粒子となってセルリアンは砕け散りました。

 砕けた光が周囲に広がり、薄れ、やがて見えなくなる頃には、先ほどまでの騒動が嘘のように静かな林が訪れます。

 

「…………ふー」

「危なかったね、カバンちゃん!」

「うん……すっごくどきどきしたよー」

 

 安堵から息を深く吐いて、力なく笑いながらその場にへたり込んだカバンに、サーバルは駆け寄って体の前でこぶしを握って上下に振りました。

 

「でもすっごいよ! あんなにすぐにセルリアンの倒し方を考えちゃうんだもん! やっぱりカバンちゃんはすごいよ!」

「そんなことないよぉ」

 

 照れ笑いを浮かべながら、

 

「サーバルちゃんの爪もすごかったよ! とってもかっこよかった!」

「えへへ~」

 

 カバンの言葉に、サーバルもまた後ろ髪を掻きながら、嬉しそうに口元をほころばせました。

 そんな二人のすぐ横で。

 

『ちょっと見てきてもいいかな?』

「え、ラッキーさん? どうしたんですか?」

『気になることがあるんだよ。カバン達は、ここで待ってて』

 

 そんなことを言い残して、ボスはピョコピョコと音をたてながら離れていきます。

 サーバルはカバンに向かって手を伸ばすと、

 

「カバンちゃん、ボスを追いかけよう!」

「うん!」

 

 カバンの手を引っ張って、二人一緒にボスの後を追いかけました。

 〝ここで待ってて〟とボスに言われたことは完全に二人の頭から抜けてしまっているようです。

 とにもかくにも、カバン、サーバル、ボスたちは、山の方角へと走っていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――災いが、鎌首をもたげ始めます。

 




次回「かばんちゃん」

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