【第二期完結】けものフレンズ ~セルリアンがちょっと多いジャパリパーク~ 作:奥の手
「いやぁ~今日もいい天気だねぇ~♪」
アルパカの弾んだ声が、抜けるような青空に吸い込まれていきます。
高山の天気は昨日と変わらず、気持ちのいい快晴と暖かな太陽が、あたり一面を照らしていました。
「それじゃあアルパカ、電気を生み出す装置の使い方を教えてもらえるかしら」
「わかったよぉ~。って言ってもぉ、私も詳しくは知らないからぁなんかいい感じにいじってねぇ~」
「そうね、そのつもりよ」
アルパカを前に、レミアはその後を追うようにしてカフェの屋根へ上っていきます。
「フェネック、どうしてついて行っちゃいけないのだ?」
「レミアさんねぇー、あの通信機で話す内容を、私たちに聞かれたくないんだってぇー」
「えー!」
屋根へ上っていった二人を見送り、店内の椅子に座ってアライさんとフェネックは、それぞれカップを傾けています。
朝一番の紅茶とジャパリまんを前に、二人は仲良く話し込んでいました。
「なんでそんなこと知ってるのだ!?」
「昨日レミアさんが言ってたじゃないかー。〝みんかんじん〟には聞かれたら困るって」
「〝みんかんじん〟って、アライさんたちの事かー?」
「たぶんねー。まぁーそうじゃなかったとしてもー、私たちはおとなしくここで待ってようよー」
「うー……アライさんも通信機で遊んでみたかったのだー……」
肩を落としてそう呟いたアライさんに、フェネックは何やらちょっと考えた後、なだめるような口調で口を開きます。
「アライさんにもー、大切にしているものがあると思うのさー」
「……?」
「帽子とかー」
「う、うん。あの帽子は大切なものなのだ。アライさんの大事なものなのだ」
「それと同じだよー。レミアさんの持ち物もー、アライさんの帽子と同じくらい大切なのさー」
「あ……」
「だから、まぁーレミアさんは優しい人だけど、やっぱりその辺のことはちゃんと考えないとー」
「ごめんなのだフェネック……」
「いいよいいよー。さ、ジャパリまん食べよー」
「うん、食べようなのだー!」
紅茶の香りが漂う朝のカフェに、元気なアライさんの声が響きました。
○
「これの事だと思うんだよねぇ~」
「この箱だったのね……」
ぬくぬくとした気持ちの良い陽の光を浴びながら、アルパカとレミアは一つの箱を前にしていました。
黒い箱です。煙突の側面に取り付けられていて、ふたのところには電池の模様が描かれています。
周囲を見てみると、屋根に配置されている機械から配線が伸びていて、なるほど確かにこの黒い箱は何かしら電気とのかかわりがありそうです。
レミアはじっくりとその配線の太さや位置を調べて、箱の中も目で見て確かめた後、ため息をつきながらアルパカのほうへ向き直りました。
「残念だけど、この装置をそのまま通信機に繋ぐことはできないわ。線の太さが合わないもの」
「うぇぇ~困ったねぇ~」
「これ以外に、電気を管理してそうな箱とかってあるかしら?」
「下の裏口の方にぃ~似たような黒い箱があるけどぉ」
「案内してもらっても?」
「うーん、いいけどぉ、あれはねぇ~……」
アルパカは眉を八の字にして、尻すぼみした調子で応えました。
○
「開けられないんだぁ~」
鍵のかかった黒い箱は、煙突の側面についていた箱よりは小さいものでした。表面には特に模様もなく、艶消しの黒色で塗装されています。
ふたと思しき部分には半円状の丸棒と鍵穴付きの金属がぶら下がっており、その穴にしかるべきカギを入れて引き抜かなければ箱のふたは開かない仕組みになっていました。
「南京錠ね……これはまたやっかいな」
「どうするぅ?」
「カフェの中に、この穴に突っ込めそうな銀色の細長いものとかってなかったかしら?」
「ないねぇ。私もここ開けてみたくてぇ、引っ張ったり齧ったりしたんだけどぉ、まるで歯が経たなかったんだぁ。仕方なく博士に訊いたら〝鍵〟がないとダメだって言われてぇ」
「探したけどなかった、のね」
「なかったねぇ。残念だけどぉ、ここを開けることはできないよぉ~」
申し訳なさそうにアルパカが肩を落とします。
レミアはもう一度箱にぶら下がっている南京錠を見て、それからアルパカのほうに顔を向けてから、
「アルパカ、耳をふさいでなさい」
「へ?」
アルパカがレミアの言葉に首をかしげながらも自分の耳を手で押さえた瞬間。
ずどん。
何のためらいもなくホルスターから流れるような動作でリボルバーを抜いたレミアは、南京錠を吹っ飛ばしました。
「ひゃぁっっ! すんごい音だねぇ~!!」
「びっくりさせてごめんなさい」
それが昨日言ってた銃だねぇ~、と目を丸くしながらアルパカがのぞき込む中、レミアはスッとホルスターへ戻し、何事もなかったかのように黒箱のふたを開けました。
「ふーん」
「へぇぇ~なんかすごいねぇこれぇ~。何がどうなってんのかぁ~ぜぇんぜんわからないねぇ~」
「これ、分電盤の類だわ。日中に発電したものをここに貯めて置いたり、電圧を変えて出力したりしているのね」
「????」
急に何を言ってるんだこの人はというような目でレミアを見たアルパカでしたが、とにかくこの箱がすごいものだということはよくわかりました。
「カフェにとってもぉ~大事なものなのかなぁ?」
「大事よ。これがないとやっていけないわ」
そう言いながらレミアは回線の一つをぶっこ抜き、通信機のカバーを開けて基盤の端に繋ぎます。
そのまま箱の中のいくつかのダイヤルを回していきました。
「この辺かしら」
レミア自身もよくわかっていないのか、首をかしげながら適当にダイヤルを回していき、通信機の電源スイッチをカチカチと押しています。
一度目は何の反応もなかったため、ダイヤルを少しいじって再び押下。
二度、三度、ダイヤルとスイッチの間で手を動かします。
「へぇぇ~、これ、うまくいったらどうなるのぉ~?」
「ここの画面が緑色っぽく光って、文字が出てくるわ」
「失敗したらぁ~?」
「さぁ?」
アルパカがちょっと不安げな表情でレミアの顔を見ましたが、レミアはいつも通りの何食わぬ顔で、単調にダイヤルをいじっては通信機のスイッチを切って入れる、切って入れるを繰り返しました。
十回ほどカチカチとした時、
「あ」
「わぁぁ! 点いたねぇぇぇ!」
小さな画面に明りが灯り、いくつかの数字と記号、文字が流れていきました。
「ちょっと持っててもらえるかしら」
「いいよぉ~」
アルパカに通信機を渡してから、レミアは分電盤を元に戻し、最後にカシャンと箱のふたを閉じます。
鍵は44口径の鉛玉で粉々にしてしまったのでそのままです。
振り返って、アルパカから通信機を受け取りました。
「これで使えるぅ?」
「えぇ、あとは周波数を合わせて、通信基地局との交信を計るわ。その……」
そこまで言って、レミアは先の言葉を言い淀みました。
遠慮のない言葉をどうやって遠慮深く伝えようか悩んでいるような顔をし、しかし必死に考えるのが面倒くさくなったのか、ふっと肩の力を抜くとちょっと微笑みながら言葉を続けます。
「手伝ってくれてありがとうアルパカ。あなたがいないと、この通信機はただの重りのままだったわ」
「いいよいいよぉ~」
「それで、その……こんなことを言うのは心苦しいけど、通信の内容を聞かれたくないのよ」
「うん、そぉなんだよねぇ~。昨日寝る前にぃフェネックちゃんから聞いてたよぉ~♪」
「え?」
「私は中でお茶淹れるからぁ~、レミアちゃんはその〝つうしん〟? をしてていいよぉ~」
ひらひらと手を振ってカフェの中に戻るアルパカを、レミアは目を丸くしながら、
「……まったく、ありがたいわね」
小さく微笑んで、思わずそうつぶやきました。
○
ザァー……ザァー……。
機械独特の雑音をヘッドセットから聞きながら、レミアは通信機の小さなダイヤルを慎重に回していきます。
カフェのテラスから少し歩き、すぐ足元には何十メートルという崖が広がる草の上に立って、レミアはダイヤルを小刻みに回していました。
「…………つながらないわね」
眉根を寄せて厳しい表情でぼやきます。
最後に行った作戦の司令本部、そこの通信回線に何度も繋いで試しますが、一向に応答はなく、聞こえてくるのはザーザーという虚しい砂嵐の音だけです。
「別の基地……いえ、この際本国に直接つないでみましょうか」
ダイヤルを一気に回します。作戦地方の司令部ではなく、自分が所属している軍隊の総司令部につながる回線に合わせました。
通常ならこのような場所と通信することは絶対にありえません。ただ、自分が今いる場所も状況もわからないため、〝わからない〟ということを報告するためにも本国に伝える必要があります。
ことに自分の置かれている状況報告だけならよいのですが、サンドスターやフレンズといった〝未知の脅威〟を報告する義務が、レミアにはありました。
「あー、あー……こちら東部方面軍、第七中隊所属、第一小隊隊長のレミア・アンダーソン少尉です。聞こえたら応答をお願いします。こちら東部方面軍、第七中隊――――」
同じフレーズを繰り返すこと数分。砂嵐しか聞こえなかったヘッドセットにわずかな変化が起きます。
『――――ちら――――さ――――』
「総司令部、聞こえますか。通信状況が極めて悪いです。こちらアンダーソン少尉――――」
『――――ちら、総司令部オペ――――』
何かが聞こえそうではありますが、回線が不安定なのかそれともどこかから妨害されているのか、耳に届くのはブツ切れの意味をなさない単語のみです。
レミアは辛抱強く通信を試みますが、どれだけ丁寧にダイヤルを回しても通信状況が回復しないため、いい加減腹の底が煮えてきました。
「ああ、もうっ! ぜんっぜん聞こえないわよこの回線! どうなってんのよッ!」
マイクに向かって叫んだ直後、はるか遠くにそびえたつ七色の巨影、サンドスターを吹き出すその大きな山から轟音が響きました。レミアは驚いてそちらのほうに視線をやります。
地面の震える低い音とともに、山の頂上からキラキラとした何かが噴出していました。
「…………噴火?」
ちょうど、レミアの記憶にもあれと似たものがありました。資料で見ただけですが火山の噴火と酷似しています。
陽の光にあてられてまばゆく光るそれは、まぎれもなくサンドスターです。
立ち上るサンドスターはゆっくりと、山の周辺の空を染めていきました。七色の雲と表現しても差し支えない現象が、レミアの瞳に映ります。
その時です。
『いやぁすみませんクソ回線で。俺が勝手にいじったものですから、ちょっと強度と安定性に欠けていまして』
「え?」
ヘッドセットから若い男の声が聞こえてきました。
『東部本面軍所属のレミア・アンダーソン中尉ですね?』
若い男の、よどみなく続けられた声は、たしかに先ほどから聞こえていたヘッドセットの音声と同じものです。
先刻のひどい雑音とは比べ物にならないほどクリアな音声でした。
「えぇ、東部方面軍第七中隊、第一小隊所属のレミア・アンダーソン少尉よ」
『照会しました。たしかにうちの軍の人間ですね、本日はどのようなご用件で?』
「は?」
『へ?』
レミアも、そして通信機越しの若い男の声も、素っ頓狂な声を挙げます。
「あなた……いえ、その前に確認させて」
『何でしょう?』
「私が繋いでいる回線は軍の総司令部の物よね?」
『大体合ってますが少し違います。この回線は本部のものと酷似させて作成した、俺のプライベート回線です』
「……はい?」
『タダで通話がしたくて軍の回線をハックして設立した、俺専用の携帯電話回線と言えばご理解いただけるでしょうか? アンダーソン中尉殿』
レミアは左手でこめかみのあたりを抑え、激しく湧き上がってくる頭痛を何とか鎮めようと頑張りました。
「じゃあ、なに、私は軍の回線に無理やりつないでタダ電話しようとしている男の端末に、こんなわけのわからない場所から緊急回線でつないでしまったわけ?」
『事実としてはそうなるかもしれませんね。でも、ほかの通信回線にはつながらなかったのではありませんか?』
「?」
男の言い方にレミアは若干の違和感を覚えました。
「どういう意味よ」
『興味本位であなたの通信回線から位置座標やコードを割り出してみたんですが、座標不明、コード不明で俺のところにかかってきたのが奇跡に近い感じでつながってますよ。もし外部との連絡をアンダーソン中尉殿が望まれているなら、このまま切らないことをお勧めします』
「……わかったわ」
最初こそ飄々としていた男の口調でしたが、今の語り口は本気でした。レミアは通信機の電源ボタンに触れていた指を離します。
「で、あたしと唯一通信できるあなたは、いったい何者なの?」
『西部本面軍担当総司令部所属、オペレーターの〝ベラータ〟です』
「それ本名?」
『いいえ、戦地の兵たちからつけられたあだ名ですよ。気に入っているんで自分でもそう名乗っているんです。あぁもちろん、聞かれた時にはそう答えてるってだけですよ』
総司令部のオペレーターがこんなふざけたやつでいいのかと一瞬思ったレミアでしたが、ふと頭の片隅にある噂がよぎりました。
西部方面軍の総司令部所属の人間に、ずいぶんとぶっ飛んだやつがいる、という噂です。
マニュアルは守らず。
言葉使いもいい加減で。
おおよそ正規軍のオペレーターにふさわしいとは言えない者が、しかし卓越した頭脳と的確な前線兵士への通信技術、そしてアドバイスによって厚い信頼を寄せられている、と。
前線兵士たちからは信頼と尊敬の意を込めて〝
「あぁ……あなたが、あのベラータなのね」
『東部戦線の兵にまで広がっているとは光栄ですよ、アンダーソン中尉』
「まぁそれはどうでもいいことだわ。用件だけ言うから本部の人間に至急伝えて頂戴」
『俺今日は非番なんで自宅でゴロゴロしていたいんですけど』
「……あなたよくそれでオペレーターになれたわね」
『よく言われます』
「それで――――」
『えぇ、ご心配なく。これからアンダーソン中尉の言葉をすべて本部の司令塔、それから東部方面軍の司令塔にも転送する準備が整いました。回線の強化も今終わりましたから、もういつでも通信を切っても大丈夫ですよ』
レミアは内心で驚きました。ふざけた会話をしていた今の間に、貧弱だった回線の強化と総司令部への転送準備を、この男は同時に行っていたのかと。
「あなた…………いえ、今は関係ないことね。報告を開始します」
それからレミアは簡潔に、かつ正確に、これまで自分が見てきたこと、行ってきたことをベラータに伝えていきました。
『つまり、当初は自分が誰なのかすらもわからない状態でしたが、今は大丈夫と?』
「完全ではないわ。どうやってこんな見ず知らずの土地に来たのかが思い出せないの。肝心なところがね」
『最後に行った作戦、あるいは行動は思い出せますか?』
「どこかの研究所を襲撃したところまでは覚えているの。作戦半ばまでうまくいったことも覚えてるけど、そこから先は雲がかかって思い出せないわ」
『アンダーソン中尉の作戦経歴をいまデータベースにハッキングして調べているんですが……』
「ねぇあなたって〝権限〟って言葉の意味知ってるかしら?」
『知ってますよ。俺は頭がいいんで』
「そう」
こいつとまともな会話はしないほうがいいなと心のうちで決めました。
「で、何かわかった?」
『ダメですね、あなたの経歴や作戦報告そのものが高度なセキュリティに守られていて、ちょっと今すぐ割り出すってのは無理そうです。何日か時間をいただきますね』
いやぁそれにしてもこんな防壁見たことない、面白そうなんでぶち破ってみますねぇ、などという声がヘッドセットから聞こえていましたが、レミアは別のことを考えていたのであまり気にしていませんでした。
とにかく、状況を整理すると。
レミアから通信をつなげられるのはこの男――――ベラータの私用携帯電話のみで、他のところへは転送しないと自分の状況を伝えられないようです。
当然、上の人間からの指示もベラータ越しでなければ仰げません。
レミアの今後の行動は決まりつつありました。
まず未知の部分が多いこのジャパリパークについて、少しでも多くの情報を手に入れ、自国に持ち帰って有効活用する事。
次に、アライさんとフェネックの目的を達成させること。
最後に、自らも無事ジャパリパークから脱出して帰国する事。
アライさんとフェネックについて行きながらも、この土地のことについて調査し、かつ自分の命と彼女たちの命も守り切るということです。
これらのことをレミアは単独でこなさなければなりません。
普通に考えると絶望的なまでに困難な状況ではありますが――――。
「上層部からの横槍なしに、好きに動いていいってわけね」
『えぇ、そうです。俺もお偉いさんからわけわからん指示をされるのは大っ嫌いなんで、いい感じにこっちの方で情報を操作しておきますね』
レミアとベラータは、この二人だけでジャパリパークの調査と脱出を試みるようです。
軍隊という組織に属していながら、見るからに組織的な行動を嫌うこの二人だけで。
レミアは今後の行動指針を固めるとともに、遠くの景色に目を見やりました。
立ち上っていたサンドスターの雲が徐々に薄れつつあるのを、彼女の瞳はよどみなく映します。
○
レミアが高山の端でベラータと交信をしているとき。
ジャパリカフェのカウンターの中ではアライさんが右へ左へ行ったり来たりしていました。
「うーん……これも違うのだー」
「アライさーん、やっぱり混ぜるのはおいしくないってー」
「そんなはずないのだー。どっちもカフェで出てくる美味しいものだから、混ぜたらもっとおいしいはずなのだー」
「どうかねぇ~。今のところぉ~コーヒーの味しかしないよぉ~」
アライさんの左手にはコーヒーの入ったポット、右手には紅茶の入ったポットが握られていました。
数十分前。
フェネックとアライさんが紅茶を飲みつつジャパリまんを食べていると、アルパカが帰ってきました。
「あ、お帰りなのだ!」
「おかえりー」
「ただいまぁ~♪」
帰るや否や手を洗い、棚の中からカップとコーヒー豆を取り出して朝食の準備をするアルパカに、アライさんが半ば興奮した様子で質問を飛ばします。
「どうだったのだ、アルパカ! レミアさんの通信機!」
「動くにはぁ動いたよぉ~。あとは繋がるかどうかってぇ~レミアちゃんは言ってたっけぇ」
「おおぉー、ア……アライさんも、聞いてみたいけどそこは我慢なのだ!」
「えらいねぇ~アライちゃんは~♪」
はいどうぞぉ、と追加のジャパリまんをテーブルに置きつつ、アルパカも着席してカップに口を付けます。
コーヒーの香ばしい香りと紅茶の甘い香りが、アライさんの鼻をくすぐりました。
その時です。何か閃いたのか、急にアライさんが席を立ちました。
「どーしたのーアライさーん?」
「フェネック! すごいことを思いついたのだッ!」
「またー?」
「いや、最近なかったからその返し方はおかしいのだ」
紅茶を飲んでいるからか、どことなくいつもに比べると落ち着きのあるアライさんです。
「どんなことー?」
「紅茶とコーヒーを混ぜるのだぁッ!!」
ブフゥッ!
高らかにそう叫んだアライさんの言葉に、向かい側に座っていたアルパカがコーヒーを思いっきり噴出。
三人は慌てて布を持ってきて、テーブルの上をきれいにしたあと、
「アライちゃん……それはさすがにおいしくないよぉ~」
ちょっと落ち着いてから、アルパカが困った様子でアライさんに向き直りました。
三人とも席に付きつつ新しい飲み物を用意しますが、アライさんだけはカップに何も入れていません。
「そんなことないのだ! きっと上手に混ぜればとってもおいしい〝紅茶コーヒー〟が出来上がるのだ!」
「「うーん……」」
アルパカもフェネックも首をかしげながら、どうしたものかと悩みました。
悩みましたが。確かにその発想はありませんでした。紅茶もコーヒーもおいしいのですから、二つとも一緒に飲めばもっとおいしいかもしれません。
考えてみれば確かにそんな気がしてきます。作り方も簡単で、出来上がった紅茶とコーヒーを二つともカップに注げば完成です。もしおいしかったら、作り方が簡単な〝新しい美味しい飲み物〟の完成です。
実に夢のあるひらめきでした。
アルパカとフェネックはたっぷり十秒ほど悩んだ末、
「……アライさーん、飲んでみてよー」
「はいどうぞぉ~」
アライさんのカップにフェネックは紅茶を、アルパカはコーヒーを注ぎました。アルパカの注いだコーヒーには砂糖もミルクも入っていません。
並々と注がれた〝紅茶コーヒー〟は、紅茶にしては色が黒く、コーヒーにしては色が薄い、だいぶ中途半端な見た目でした。
「くんくん……匂いはおかしくないのだー。紅茶とコーヒーが合わさって、香ばしくておいしそうな感じなのだー」
「飲んでみてよー」
「どんな味なのかなぁ~♪」
フェネックはアライさんの隣で、アルパカは正面からアライさんの様子をのぞき込みます。二人とも興味津々で、特にアルパカは新商品が出せるかもしれないということに気が付き、うまくいけばもっとたくさんのお客さんに、おいしい飲み物を飲んでもらえるかもしれないと考えていました。
ですから。
アライさんの真正面に居たアルパカは。
「――――ぶふぇっっ!!!」
あまりの苦さに飲んだ瞬間すべての〝紅茶コーヒー〟を吹き出したアライさんの攻撃をもろに受け、真っ白かった髪の毛と首元のフワフワを茶色く染めてしまったのでした。
アルパカの目から、光が消えかけたのは気のせいではないかもしれません。
○
そんなこんなで。
アルパカの髪の毛には薄茶色のメッシュが入り、首元のファーは前面だけ若干茶色に染まっています。
アライさんは涙をぼたぼたこぼしながらアルパカに謝っていましたが、アルパカもよくよく考えてみれば、仲間に茶色い毛並みの子がいたことを思い出します。
毛が伸びる周期も早いので、まぁちょっとの間くらい自分で丹精込めて散髪した自慢の髪の毛が薄茶色になってもいいかなぁと、光のなくなった眼でアライさんを見下ろしながら許しました。
〇
それは、まぁでもほんのちょっと前の出来事です。
今はアルパカも元気に笑顔を浮かべつつ、アライさんの思いつきに付き合っていました。
〝紅茶コーヒー〟の作成に格闘する事数十分。
幾度となく配合に失敗しては淹れ直していたアライさん達のところへ、レミアが帰ってきました。
「あ! レミアさんお帰りなのだ! 今美味しい飲み物を作り出しているところなのだ!!」
「おいしい飲み物?」
「紅茶とコーヒーを混ぜるのだぁッ!」
高らかに叫んだアライさんの左右で、フェネックとアルパカは心なしか苦笑いを浮かべました。
きっとレミアさんも「何てこと考えて……」と言うに違いないと思ったからです。
ですが。
フェネックとアルパカの反応をよそに、レミアはテーブルの上のジャパリまんをひょいと掴んで口に頬張りつつ、カウンター越しにアライさんの左右の手を指さして、
「紅茶7に対してコーヒー3で淹れてみて。それから、ミルクと砂糖を多めに入れるのよ」
そうアドバイスしました。
○
「お、おいしいのだ……」
「……なんでだろうねー、おいしーねー」
「これぇ~すごいよぉ~♪ おいしいよぉ~♪」
レミアのアドバイス通りにカップへ注いだアライさんは、苦いブラックコーヒーで幾度となく苛め抜いた自分の舌を心配しつつ、恐るおそるカップに口を付けました。
瞬間、驚愕の表情を浮かべて一気に飲み干します。口をついて出た言葉は「おいしいのだ」の一言でした。
アライさんは同じものをフェネックとアルパカにも作り、二人が声をそろえて賛美を挙げる中、レミアにもカップを渡しながら疑問たっぷりに首をかしげます。
「レミアさん、どうして紅茶コーヒーの作り方を知っているのだ?」
「似たようなものを昔飲んだことがあるのよ。作り方もその時に聞いたから覚えてるの」
「す、すごいのだ……とってもおいしかったのだ! アライさんびっくりしたのだ!」
「ふふ、そう驚かれるとは思わなかったわ」
むしろアライさんの興奮っぷりに驚いているレミアでしたが、ジャパリまんをかじりつつアライさんの淹れてくれた〝紅茶コーヒー〟を飲み干します。
紅茶の上品な香りとコーヒーのほろ苦さが後味を彩るそれは、間違いなく〝おいしい飲み物〟です。
「…………いいわね、やっぱり」
ジャパリカフェにひとつ、新たなメニューが加わりました。
○
空の太陽は良い調子で上り詰めて、しかしまだ一番高いところまでは時間がかかりそうな、そんなお昼前の暖かな高山で。
「気を付けてねぇ~」
「泊めてくれてありがとうなのだ!」
「こちらこそぉ~♪ あの新しい飲み物の名前、〝アライ茶〟にしようとおもうんだけどぉ~どうかなぁ?」
アルパカの言葉に一瞬アライさんは固まり、次の瞬間にはパァっと満面の笑みを浮かべて大きく言い放ちました。
「最っっっ高なのだ! ぜひその名前にしてほしいのだ!」
「おぉ~! じゃあ決まりだねぇ~♪」
「ふぁっはっはっー! アライさんの名前が世界中に広がる第一歩なのだぁッ!!」
「そうかもねぇ~♪」
錆の目立つ緑色のゴンドラを前にして、レミア、アライさん、フェネック、そしてジャパリカフェの店主であるアルパカは別れのあいさつを交わしていました。
「フェネックちゃんもぉレミアちゃんも~、また来てね~」
「はいよー。またコーヒーを飲みに来るよー。砂糖とミルクはたくさんでねー」
「あたしも、今度はテラスで飲みたいわ」
「ふあぁぁ~そうだったぁ~!? テラスで飲んだらぁ景色がきれいでもっとおいしいんだよぉ~!!」
しまった、というような顔をして「もう一杯飲んでいかない~?」と言い出したアルパカに、フェネックとレミアは先を急がないといけないからと丁重に断りました。
「本当にぃ、気を付けてねぇ」
「大丈夫よ」
「このところセルリアンが多いしぃ~サンドスターもぉ、ちょっと様子がおかしいんだぁ」
「様子がおかしい?」
「あの山が見えるでしょぉ~? あれねぇ、本当は一年に一回しか~噴火しないんだぁ」
「……え」
「ここ最近ずっと溢れ出てるからぁ、博士が気を付けてって言ってたよぉ~」
レミアは一瞬だけ表情を険しくしましたが、すぐにいつもの微笑みを浮かべると、アルパカの目を見て言いました。
「わかったわ、ありがとう。十分に気を付けるわ」
「うん~」
緑のゴンドラに三人とも乗り込み、来た時と同じようにアライさんはペダルに足を通すと、
「あ!?」
急に、何かを思い出したかのように叫びました。
「どーしたのー? アライさーん」
「アルパカ! カバンさんがどっちへ行ったか、知らないか!?」
血相を変えてそう聞いたアライさんに、アルパカはいつもの柔らかな表情を崩すこともなく、ただ少しだけ記憶をたどるように目線を上げた後、
「う~んと、たしかぁ~〝図書館〟へ向かったはずだよぉ。カバンちゃんが何の動物かぁ、知りたいからって~」
「…………」
アルパカの返事を聞いて。
アライさんの表情から、みるみるうちにさーっと血色が引いていきました。
彼女にしては似つかわしくない、かすれた声でアルパカに訊き返します。
「何の……動物か、カバンさんが知りたがっていたのか……?」
「そうだよぉ~」
アライさんは視線を落としました。
彼女の様子がおかしいことに気が付いたレミアとフェネックが「どうしたのか」と慌てますが、アライさんは答えません。
もう一度、今度は肩に手を置いて訊こうとフェネックが動きます。
「アライさ――――」
しかしそれより早く、アライさんはハッとして勢いよく顔を上げ、ペダルに通している足に力を込めました。
そのまま足を止めずアルパカの方へ振り向いて、
「お世話になったのだ! とってもとっても急がないといけないから、もう出発するのだ! ありがとうなのだ!」
「はぁい~♪ げんきでねぇ~」
いつもの調子で、そう言い残してキコキコとペダルを漕ぎ進めます。
○
アルパカの見送りを背に、随分とあわただしく、緑のゴンドラはロープをたどって下山し始めました。
その速度は登りの時よりも幾分か早いもので、事実アライさんのペダルを漕ぐスピードは来た時よりも速いです。
「アライさーん、急にどーしたのー?」
「フェネック……」
ちら、と振り返ったアライさんの表情には。
いつもの謎の自信にあふれた表情は影も形もなく。
酷く似合わない、何かに怯えたような面持ちが、フェネックとレミアには一瞬だけ見えました。
「「……?」」
二人が顔を見合わせ、お互いに首を傾げた時。
アライさんは誰にも聞こえないような、小さな小さな声で前を向いたまま呟きました。
「大丈夫なのだフェネック。……今度こそ、任せてなのだ」
フェネックの耳が、ぴくぴくと動いています。
○
そこは、砂の嵐が吹き荒れる場所でした。
「――――くッ! だめだ、キンシコウ下がれ!」
「まだいけます!」
「無理をして突っ込んでお前がやられたら、確実に勝てないッ! 下がるんだッ!」
「くッ――――!」
「ヒグマさん! オーダー、完遂しました! 近くのフレンズは避難完了です!」
「! そうか、ありがとうリカオン!」
「これくらいなら軽いモンですッ! ……て、うえぇー!? なんなんですかこのセルリアン!!?」
「詳しいことは後で説明する! いまは逃げるぞ、急げ!」
「は、はい! オーダー了解です!」
「わかりました、下がります」
乾いた大地と灼熱の太陽。
延々と積み重なる砂の土地がこの地方最大の特徴であり、それは名前にもされている事でした。
ここは砂漠地方、その中央付近。
遠慮容赦のない砂塵があたりに吹き荒れ、十メートル先の視界も人間の五感ではとらえられないような砂嵐の真っただ中で。
たった三人の勇気あるフレンズが、山のように大きな敵と対峙していました。
今は背を向けて三人そろって逃げていますが、幸い敵の動きは鈍いです。
充分に逃げて態勢を整えてから一気に叩けば、まだきっと勝機はあると、ヒグマは心のうちで算段しています。
「……」
勝つために最適な条件、もっと言うならばこれ以上犠牲を出さないためにできる事のすべてを考えだそうとしていたヒグマでしたが、その横を追随するリカオンが、心配そうな声で話しかけてきました。
「このところおかしくないですか? ヒグマさん」
「まぁな、セルリアンの数も大きさも異常だらけだ」
ヒグマの反対側からついて来ていたキンシコウも、二人のほうをちらちらと見ながら会話に加わります。
「ジャングル地方のハンターも、手数が足りなくて困ってるって言ってました」
「ちょっと前にインドゾウがハンターに加わったって聞いたが?」
「それでも足りないそうですよ。ジャングルのみんなはサバンナと砂漠に避難したけど、今度は砂漠がやられるかも……」
弱音を吐くキンシコウを、ヒグマはちらりと一瞥し、再び前を向いたまま呟きます。
「――――させない。させるもんか。私達で食い止めるぞ」
ヒグマの声には、確固たる責任の思いが含まれていました。
この地方を守る。ジャパリパークを守る。守りたい、必ず守ると。
そんなヒグマの、覚悟の声を聴いた二人のフレンズは、
「…………えぇ、えぇそうですよね。私達で止めましょう。かならず」
「最高のオーダーですよ。任せてください」
確かに強くうなずきました。
うなずき、前を見て、
「…………」
「…………」
「…………え?」
視界に飛び込んできた情報を脳が一度否定します。
しかしヒグマも、リカオンも、キンシコウも一様に息を呑んだことをお互いが認知してしまい。
自分の見たものが幻でないことを、望まずも裏付けてしまいました。
吹き荒れる風と砂塵の間に。
ジャパリバスと、三人のフレンズの姿を、彼女たちはその相貌にとらえてしまいました。
だいぶシリアスな引きですが、何のこともなくこの後普通にハンター三人組が砂漠のセルリアンをぶっ潰して、ジャパリバス組は旅を続行します。
ハンターさん達めちゃくちゃ強いですから、この世界は今日も平和です(ニッコリ
次回「さばくちほー!」