毒々の国のアリス   作:柏木祥子

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一日一回投稿します




  それはひどい夏のことだったわ。隣の家の犬はへたれて仕方ないみたいだし電線はぐにょぐにょ。死にたくなるほど暑いのかもしれない夏に私は風邪をひいてしまったの。

 

 キンキンに冷えた部屋でドリトスと冷茶で映画を見たあと熱を測ってみたら下がってなかったの。むしろ一分上がっていたわ。まあ下がるなんて思っていなかったし別にいいんだけど、でもなんか微妙よね。それでもう一本なんか見ようと思ってね、暇なもんだから。ああ、ああ。暇だよ~!いっそ寝込むぐらいの熱だったらよかったのにね?38度じゃちょっと怠いかな?ってくらいよね。昔からそうなの、私!熱あると逆に興奮しちゃったもんでさーあ?いっつも小言いってくるお母さんが頼めばゼリーだのプリンだの買ってきてくれるんだから、ホント、私ちゃんにとってイベントみたいなもんだったのよ。部屋を駆けずり回って尻を叩かれたこともあったわ。まー最近はお母さん働いてるから風邪っぴき一人でそこもひまーな原因よね。

 んで、話を戻すと私、映画探していたんだな。そうね……そんなに難しくないのがいいな。あんまり頭使いたくないから。そういうわけでDVD入った棚からいくつか抜き出してみたの。「フェイス/オフ」「ドーンオブザデッド」「スターシップトゥルーパーズ」「スパイダーパニック」「エスケープフロムLA」エトセトラエトセトラ・・・

 ほかにも何本か出していたんだけど…クーラに当たりすぎて頭が変になってたのかな?それとも案外悪質な風邪だったのかしら。選んだのはシュバンクマイエルの「アリス」だったわ。なんてこったい。でも私の頭はそのときおかしくなっていたからね。そのままデッキに入れてしまったの。

 それでね、はく製のウサギが動き出すのを見てね、ふと気づいたのよ。

 ドリトスがないってことに!キャーッ!冷茶はあるのにねっ!プリングルスもポップコーンもハリボーだってありゃしないのよ!冷茶はあるのにねっ!

 イヤーッッ!

 ええ、ええ。この時の衝撃ったらなかったわ、頭がガツンと、いや中からジグワ~っと痛むような……。とにかくこのままじゃ映画なんて見れないわ。だから岩場を歩くアリスを停止して私は財布を手にして外服に着替えたの。

 お気に入りの水色のワンピース。レースのついたワンピース。黒い先の丸まった革靴を履いて私は外に出たわ。

  ▼

 外は夏でした。まさしく夏への扉といったところですが彼女の家の外へと続く扉は11、いえ12もなく正門と裏口たったの二つでした。そのうち庭から出ていきたくなったのかアリス(ではない)は裏口へ靴を持って行ってそこから外へ出ていきました。

 外は夏でした。風のない夏でした。草木はもはや水の過剰供給によって生きながらえているのではという暑さで蒸発した水分が空間を歪めアリスは平衡感覚を狂わされて転んでしまいそうでした。

実際転んで芝生に頬を付けたまま寝そうになったあと立ち上がったアリスは、ジグワ~ッがジグググワ~ッになっていることに気づいていませんでした。頭寒足熱からの急展開が脳を収縮させることは必至です。視界だけ不便にされているならまだしも蝉がカルテットと化しゆがむ視界は異世界への扉のようで、蝉たちが演奏しているのはロイツマ。

 (っでぃっでぃどぅーどぅでぃきだんでぃん♪ でかだんでかだんでかだんだんどぅー♪蝉さん蝉さん何故フィンランド語の歌を歌えるの?とアリスが訊くと蝉たちはそれは日本とフィンランドがかつて地続きだったからさ、確かパンゲアとか云うんだったかなと答えました。アリスは歩きました。イトーヨーカドーに向けて歩きました。

 小石の敷き詰められた道路は歩きやすいものですがどうにも熱をためやすいらしく、そこかしこに蜃気楼が立っています。アリスは小石を削りながら歩きました。

「机…机はどこ…」

 アリスがぶつくさ文句を云いながらも歩いてみると、ふと、目の前を白兎が通りました。真っ白な白兎でした。左手になにやらチューブをもって片手は頬に置かれ自分の頬をくりくりやっていました。前を通るのでアリスが止まると白兎はアリスを見てあたふたしていました。彼女は気づいていませんでしたがその兎とやらは彼女の知り合いでした。白兎がてってってーとアリスを横切って走り抜けていきました。アリスは白兎のあとをおっかけました。白兎は追っかけるものと相場が決まっていたのです。

 白兎は体躯のわりにすばしこいのか中々距離が縮まりません。アリスはそれでも追いかけました。白兎は言いません。遅刻だ遅刻だ!チューブから半透明のジェルがぼたぼた落ちていました。

 白兎がすっころびました。

「大丈夫?兎さん。すごい転び方をしたわ」

 兎はなにやら危なげなポーズでアリスを見上げました。目には怯えの色すら走る気がします。チューブの中身が半分以上地面ににゅるにゅるでした。アリスはにゅるにゅるが手につくのもいとわず白兎の手を取りました。

「せっかくだから一緒に行きましょうよ」

 白兎は云いました。引きずられながらです。

「あの、あの隣の……えと、お姉…さん。すごい顔色なんですけど、大丈夫ですか」

「ぜひぜひお姉ちゃんと呼んで!これから長い道中になるのにお姉さんなんて他人行儀が過ぎるというものよ!顔色はどっちかっていうと貴方のほうが白いわ!」

 アリスは多少土色でした。あと二十時間で青白くなるでしょうしもっとたてばチタンホワイトの輝きを土に汚すことになるでしょう。

 白兎は懐疑の表情を浮かべ引きずられていましたが大人しく歩くことにしました。靴をすり減らすのが嫌だからでした。

 酷い夏でした。公園を遊ぶ子供がたくさんいたって可笑しくないのに一人もいませんでした。それほどまでにひどい夏でした。(平日の11時に外にいる子供はいない)アリスと白兎は手をつないで歩きました。姉妹には見えませんでした。それが何故なのか賢明な誰かならわかるでしょう。

 そういうわけで二人はともにイトーヨーカドーへ向かうことになりました。アリスは鼻歌ですいみん不足を歌い始めました。実のところ風邪の原因は夜更かしによる免疫低下と風邪菌にあったのです。

 

 Today is an always sleepless day , a body will hotness and hotness ,

A usually school , a usually classroom

The child’s always healthly!

Suimin suimin suimin suimin suimin busoku !

                     《英訳:アリス・リデル(ではない)》

 ところで白兎には心配事がありました。それは隣のアリスの顔色やアリスの歩が早く少し辛いことやまあまあ値の張るにゅるにゅる等もありましたが、専ら考えていたのは肌の焼けることでした。ええ、ええ。白兎にとって色はアイデンティティですからね。もし肌がまだらになってしまったらそれは白兎ではなく斑兎なのです。だからあまり外を歩きたくはなかったのですが、なんとなくアリスの手をにぎりにぎりとしていると落ち着いて、とりあえず何も考えないことにしました。

「お姉ちゃん、どこに行くの?」

「永遠の豊穣を約束された神の土地、エル・ドラドよ。桃源郷、ヘヴン、ルートビアとも呼ばれているわ。そこには無数のドリトス(ナチョチーズ)の葉を持つ木と缶コーラの湧き出る泉があるのよ。酒池肉林のようなところよ」

「しゅちにくりん?」「食欲と性欲を一途に満たせる場所よ」

 聞いてもわからなかったのでますます白兎は考えるのをやめました。それは愚かしい選択でしたが健康的ではあります。足が棒にならなければ歩くのは簡単でしたから。

 二人は公園を横切りました。てってこてってこ歩きました。歩いているうちにアリスはこのままだと白兎が辛いかもと思い若干握っているほうの肩を下げました。

 長い旅路とアリスは云いましたがイトーヨーカドーは歩いて二十分ぐらいのところにありました。直線距離です。地図にすればわかりやすいでしょう、アリスは頭に地図を浮かべて歩いていました。ところが統計学上女性は地図を読めない場合が多く、アリスもその限りではありません。結果としてあっという間に迷ってしまいました。

 女性差別ではありません。統計学上の事実です。

 ここはどこかしらとアリスは思いました。地図を浮かべても現在地は浮かんでいませんでした。

 左手にあるのは森でした。森といってもアリスがそう思っただけで事実は雑木林程度のものでしたが入らなければ同じようなものですしイトーヨーカドーがちゃんと舗装された道にあったことは流石にわかっていたので入る気はありませんでした。蝉がなきカブトムシめいたものが飛び蠅が死体にたかっていました。白兎は云いました。

 右側には古びた工場のようなものが立っていました。閉められた門は敗残兵の様に錆を身に着け無意味に孤立していました。

「お姉さん、ここは……?」

「迷ってしまったようね」アリスは素直でした。

 白兎としては当然不安になるべきでしたがアリスがあんまりにもはっきりと云うので混乱していました。それ以前に白兎は多少頭にぼうとしたものを抱えていました。

 白兎は云いました。

「戻りますか?」

「いえ、今戻っても道がわかるわけでもなし……そうね、誰かに聞きましょうか」

「でも誰もいません」「ちょっと待ってれば来てくれるわよ」

 アリスは道端に座りました。ひざを叩いて白兎をのせました。白兎は柔らかいと思いました。いわゆる双房という奴でした。

 アリスは白兎を抱えて道端に座り、誰かを待ちました。照り付ける太陽がじんじくアリスから体力を奪いましたが地面を見ると木陰によろうとは思えませんでした。

「こうやって誰かを待つその時間は贅沢なものだわ…時間の無駄を惜しまないということだものね」

「はあ…そうですか」白兎は言いました。よくわからないなと思いました。

 夏でした。夏らしく夏でした。

 程なくしてその誰かは、前から歩いてきました。

 蜃気楼の先、その巨体は背中に星条旗を背負っていました。近くまで来ると服装がわかりました。ぼろぼろのズタ布のようなものが肌に張り付いているようでよく見るとバレエようのセパレートでした。そいつは全身の筋肉が隆起していました。一目で強靭な肉体を持っているとわかりました。しかしそれよりなにより目をついたのは醜い顔です。全体がでこぼこで左目のほうが歪に膨れていて、左右の目が斜めになっているのです。右目は正常かといえばそんなことはなくこちらも多少に膨れています。肌は緑色でした。口と思われる部分には無駄に綺麗な歯がそろい白く輝いていました。

 チープな左目がきょときょと動いてアリスと白兎のほうを見ています。

「ど」アリスは感動のあまり叫びました。「毒々モンスターだわっ!」「……あ、サボテン」

 愛と正義の味方ッ!地獄からの使者!その名も毒々モンスター!

トキシィィィッック アヴェンジャーッ!

 アリスはどきどきしていました。ここはまさかトロマヴィルなのかしら?原子力発電所以外売りのないあのトロマヴィルなのかしら。だとしたら危ないわ、とっても危ないわ。

 毒々モンスターはアリスと白兎の前に立つと親しげに話しかけました。

「どうしたんだいこんなところで。この先は海しかないよ」

「海!トロマヴィルは内陸ではなかったのっ!?」

 突然叫ぶアリス。トロマヴィルは時空と空間の裂け目になりえる土地ですから、時に海があり、時に火山があるのです。それを忘れてしまったのでしょうか?毒々モンスターはアリスを悲しげに見つめました(いいえ)。

「いったいこの街に何が起きてるというのかしら……」

「いや、もしかしたらすごーくでかい湖だったかもしれないけどね」「でも危険よ毒々モンスター。あなた海水に浸かったら浄化されて死んじゃうかもしれないじゃない」「神父がどうこうしたわけじゃないから浄化なんてされないよ」

 聖水じゃないからね、と締めた毒々モンスター。白兎のほうに対象をシフトして話しかけました。

「どうしたの。この壊れかけのレディオみたいな人に連れてこられたの」

「まあ…うん」

 毒々モンスターは白兎をぎゅっと抱きかかえるアリスを見やりました。顔は土色、お花畑みたいな服を着ています。目は変に充血していて、呼吸が妙に荒いです。

「警察行こうか?」「駄目よ!トロマヴィルの警察なんてっ!コカイン吸って市街を爆走するような連中よっ!」アリスが乱入しました。「子供の前でコカインとか云っちゃだめだよ」

「大丈夫だよ」白兎はアリスの双房に頭を押し付けました。「こないだすごい怖い映画見たの……最後は廃人……コケインなんて吸わないよ。この人は悪い人じゃないし……それに迷っただけなの、わたしたち」

「そう?ならいいんだけど」

 毒々モンスターはあっさり云いました。左目がきょときょと動きました。

「で、どこに行きたいんだ。もう帰るから途中までだったら送るよ」

「えっとね、エルドラドに行きたいの」「アンデス山脈に行きたいわけじゃないよね」「山には行かないけど……」「エルドラド?」「え、え、確かあの、コーラの湧き出る泉があるって……ドリトス(ナッチョチーズ)の葉が生える木も…」「うーん」毒々モンスターは唸った。「似たようなとこなら知ってるんだけどな」「どこ?」

「ウィリーウォンカ」「……どこ?」「アメリカだなー。似てるだけだよ。チョコレート工場だもん。ガムとかもあるけど」

 ガムとチョコレートって食い合わせ悪くない?とアリスは思いました。

 でもガムが溶ける感触を味わえるならまあ多少味に目はつぶれるのではないでしょうか。

「他になんかないの」

「あと?あとは……とーげんきょー、あっそうだ。しゅちにくりんみたいなところだって」

 毒々モンスターの眉はありませんでしたが毒々モンスターの眉がピクリと動きました。

「酒池肉林?」「食欲と性欲を一途に満たせるって。性欲ってなーに?」「登り棒だよ。まいったな……その説明じゃわかんないや」

「そう…」白兎はがっくりと項垂れました。その様子を見た心優しい毒々モンスターは脳をフル回転させました。アリスは白目をむいて後ろに倒れそうになっていました。

 蠅の飛び交う音がぶんぶか聞こえる。悪臭とも落ち着くにおいとも取れない林の臭いが三人の嗅覚を刺激していた。それはもしかすると誘惑を意味するのかもしれない。もの知らぬbutterflyや羽虫が捕食者たちに食い荒らされていました。

「ああ。ああ。そうだ、ドリトスだったらあるとこ知ってる」

「コーラの湧き出る泉は?」「そりゃー知らんなぁ」毒々モンスターは云いました。「コーラだったらまあ一杯あるとは思うけど」「そこは?」

 毒々モンスターはもったいつけて顎を引き、云いました。

 …………。

 ………………。

「OKだよ」

                 ▼

「О、K?」やや時間があり白兎は小さく呟きました。そこには全てのアンサーが込められているようで、あり。幼い白兎は完璧な回答と見まがうその語感に戸惑いを隠せません。

「そう、OKだ。万物を紙幣貨幣と交換できる人類の叡智の総決算さ。ドルは使えないけどね」「ドルが……使えない」「そう。香港ドルもオーストラリア・ドルも使えない。日本円だけだ」それはどっちかっていうと日本人の叡智の総決算なのでは?とは誰も突っ込みませんでした。そんな余裕のあるやつはこの場にいませんでした。

「お姉さん」白兎はアリスを見上げました。「OKだって」

 アリスは云いました。「OKってなにかの略語なのかしらね。オールド・カインダ―フックかしら。謎だわ……何故OKなの。意味と合わせてこれほど謎な英単語も少ないでしょう……そうね、bautifullを美しいと訳すぐらい謎だわ」

「そりゃ確かに謎だな。ちょっとずれてるけど」毒々モンスターは星条旗を背負い直し、アリスたちが来た道へ顎をしゃくりました。「じゃあ行こうか。近くまで送るよ」

 アリスは立ち上がりました。アリスが立ち上がるので、少し名残惜しそうにしながらも白兎も立ち上がりました。(どうやら白兎熱さには強いらしい。流石恒温動物)アリスは白兎の手を握りました。白兎はアリスを見上げ、きゅっきゅっと柔く握り返しました。

 一行はもと来た道を引き返します。魔界に匹敵する林が畑に代わり、さほど高くないブロック塀に移行するのに大した距離はありません。

 車の音が流れ、三人の前をハーレー・ダヴィットソンの群れが通過しました。交差点に到着したのです。72度角、五首の交差点は県で屈指の交通事故数を誇る交差点でした。ダヴィットソンが通った後、追うようにして一台のマスタングがっ!

 マスタングが一番後ろのダビットソンに接触し、大炎上しました。

「ここまで来ればあとはもう単純だからね」

「ありがとう。ありがとう毒々モンスターっ!感謝してもしきれないわ!」

 と、アリスは毒々モンスターの手をぶんぶか振り回しました。毒々モンスターはその手を静かに振り払うと紙にメモを書き白兎に渡しました。ついでに頭も撫でました。

「じゃあね、これ見ればOKつくから。気を付けてってね」

「うんありがとう。今度チューペットあげるね」

「じゃ、もういくね」

 よっこいしょと星条旗を背負い、毒々モンスターは去っていきました。しばらく見ていた二人。ひときわ大きなトラックが通るのを合図に、歩き出しました。

 照り付ける日がアスファルトを抉るようです。

「そういえばお姉さん、毒々モンスターってなあに?」

「醜い顔の下熱く煮えたぎる正義の心を隠し持つ、人呼んでトキシックアヴェンジャー。そんなに孤独でもないヒーローよ」

「孤独じゃないの?」「街の人に愛されてるし……巨乳の彼女もいるのよ」

「孤独じゃないね」

「いいことよ」

 二人は他愛もないことを喋りながら毒々モンスターに渡された地図をもとに悦楽と堕落の地、OKに向かいます。彼女らを見送る一対っぽくない目が静かに細められ、静謐な一言を落としました。

「大丈夫かなあの人、ほんと壊れかけのレディオみたいな顔色だったけど」

 アリスの中で割れ鐘が鳴っていました。

 ええ、ええ。二人は歩いていました。OKはまあまあ遠い場所にありました。地図によればずっと直進していけばいいそうです。確かに単純だな、と白兎は思いました。

 道路のアスファルトは今にも溶けだしそうに脂ぎった光を放ちます。風がひゅうとふくと軽く汗の浮いた肌を不健康に冷やされます。それで白兎は、アリスへ身を寄せました。

 白兎から見たアリスは、変な人でした。いろいろと変なので一々槍玉にあげるのがバカバカしくなるぐらい変でした。ハカバカしくバカバカしいのです。今さらながら白兎はついてきちゃったなぁと思いました。

 何故この人はわたしを連れているだろう、と白兎は思いました。いえ、いえ。頭の中ではもう、多分ちゃんとした答えはないんだろうなあと漠然答えを出していたのですが、感覚的でもいいから、アリス自身から答えを聞きたいなあと白兎は思っていたのです。

 大きな金物屋の前を通りました。白兎は、握った手にきゅっきゅっと力を入れ、アリスにモーションをかけました。アリスは先ほどから鼻歌を歌っていました。はじめてのチュウでした。

「お姉さんは…」白兎は云いかけて口を噤みました。アリスが、ん?どうしたの?という顔で見下ろしています。前見ないと危ないぐらいにふらついていました。

「迷惑かけるわね」アリスがどことなく遠い目をして、云いました。今までと違う感じでした。何だか目がうつろです。

「そんなこと……ないです。いきなりでしたけど、いやじゃありません」

「そういってくれると助かるわ…いい子ね、メレンゲ買ってあげる。まあまあ高いのよあれ」

 白兎は、アリスを見上げました。アリスは、物で懐柔しようとしている風ではありません。他意なしにそう云っているようでした。もしそうだとしたらやっぱり変な人だなあと白兎は思いました。それと同時に、不思議な感覚が胸にありました。

 白兎には百合っ気があったのです。その手の情報をレクイエム・フォー・ドリームぐらいしか持ち合わせない幼い白兎は戸惑いました。

 白兎は頭をぶんぶか振りました。でもじっとりと濡れた互いの掌が正気を取り戻させてくれるばかりか、より生々しく音声付きでまで白兎の頭に現れるのです。白兎はアリスの顔を見ないよう地面の硬貨を探し始めました。でもそうすると、左手の感触がより強く頭に残ってしまってもう、まいったものです。

 隣の白兎がもんもんとしているのもつゆ知らず、アリスははじめてのチュウを歌いました。鼻歌が漏れ出たあの感じです。歌詞が歌詞なのでさらに白兎は悶々としてしまいます。

 はじめてーのチュウ、君とチュウ、

 アリスはチュウと歌うたび、潤んだ唇をすぼめる動作をするのです。肉厚のそれが破裂するような音を聞くと、そのたびに白兎の脳でなにかが死滅する気がしました。実際暑さで大数が死滅しているのでしょうが、それは失わせるというより希薄にさせる感覚でしたので、なかなか自分では気づきにくいものです。白兎のなにか薄れていくようなのです。

 早く次の歌詞に行ってほしいのに、アリスったらそこしか覚えていないのか、壊れかけのレディオのようにはじめてーの、チュウ、君とチュウ、と繰り返します。

 本人も多少飽きがこんでいるのか、趣向を変えて質問するようだったり命令するようだったり誘惑するようだったり妙な声音ではじめてのチュウを歌っています。

「はじめてーのっ、チュウ、君と、チュウ?」

 アリスは白兎の視線に気づくと、にっこり笑って唇をちゅーっと突き出しました。

 ちゅーっ。アリスには唇の皮をむく癖があるのか、血管の近くまで削がれた唇は天然の薄紅色をしていました。

「…………」白兎は無意識に唇をすぼめていました。

 これでは、まるで、チュウのおねだりのようです。

 幸か不幸か、二人の身長差は唇で埋まるものではありませんでした。きっと歩いている限りは大丈夫なはずです。白兎は、自然、足を緩めました。

「あらあら?」とアリスがよろけました。近くにあった電柱に手を置き、荒い息を吐くわけでもなく、ただ酩酊に頭を揺らしています。「ちょっと休みましょうか?あの公園あたりで」果たして指さした方向に公園はありました。小さい公園で遊具は公衆トイレしかありません。あの公園あたりでと自分で言ったわりよろけてなんだか遅いので白兎はアリスを引っ張りました。手汗がひどくて滑りやしないか心配するほどでした。

 公園につくとアリスはベンチを探しましたがライターが置いてあったのでやむなくトイレで休みを取ることにしました。小さい公園の小さい公衆トイレはかろうじて男女にわかれているという風で、敷居の壁は薄っぺらです。男女どちらも全体が黄ばんでいるようでした。空気の循環も悪く、それがますますトイレを黄色く濁らせました。「これでコーラでも買いなさい」一番奥の洋式トイレに座ったアリスは白兎に120円を渡しました。さて自分の分も買ってきてもらおうと思い財布の中のお金を計算したところ、120円を抜くとドリトスとメレンゲを買うので精一杯しかないことがわかりまして、アリスはあれあれと疲れた風に笑いました。「さあコーラでも買ってきなさい」アリスは洋式トイレを椅子にしました。「ありがとう」といって走っていく白兎をトイレの個室から頭を出して見送ると、アリスは頭にまたジュワワワワが浮かび、その場に倒れこみそうになりました。

 一方白兎は困りました。コーラは130円だったからです。白兎はコーラの代わりに何を買おうと思いました。全部130円でした。「…ええ」白兎はさらに困りました。アリスにお金の催促をすべきか悩みました。白兎はあまりアリスに迷惑をかけたくないと思いながらも悩みました。本気で喉は乾いていたのです。ごく、と集積した乾いたつばきを飲み下すと、渇きは前頭葉のほとんどを占める欲求となり、白兎は公衆トイレに戻りました。

 塩素とアンモニア、faexの混じる公衆トイレに戻ると、これはやはりひどい匂いなのだなと白兎は思いました。

 一番奥のトイレの個室で、アリスは死んだように腕を垂らしていました。

「おっお姉さんっ!大丈夫ですか!?」「うーん…楽だからこうしてるだけよ」アリスは弱弱しく頭を上げ、にこりと笑って見せました。「そ、そうですか…」

その時です。アリスの髪から汗が落ちて、白兎の手の甲に浮かびました。白兎はまた、つばきを飲みました。アリスの汗玉は白兎の汗と混じり合い、その形を崩しつつあります。白兎は自然と、手の甲に舌を這わせていました。

舌は夏で熱くなっていました。手は肉厚の布団のような熱を内にこもらせ唾液の通るあと残るのは呪縛のような肉垂れでした。

白兎は自分の手の溶けるよう感じました。不思議と抵抗感なくどろどろと手の肉が落ちて行き白兎は熱の塊になっていると思いました。もう溶けきってしまうと思う時折、またアリスの髪からしずくが垂れ、白兎はそれをなめました。舐めるたび溶けきるはずの白兎は延長されますが舐めるたび熱の塊としての白兎は一層熱くなりました。

「んー?」とアリスが不思議そうに白兎を見下ろしていました。

 白兎はそれでも手の甲に落ちる雫をなめていました。アリスの体が揺れ動き、ぽたぽたと複数の汗が垂れると、白兎は一旦舐めるのをやめてアリスを見上げました。アリスの口元から一筋の液が流れ出ました。つーっと滴るその先に掌を差し伸べ、白兎は目で追いました。重力に従って白兎の掌に溜まるそれを白兎はしばらく見ていましたが、それが小さな水たまりを作るに至ると、おもむろにそれを舐めあげました。白兎は不思議な味だ、と思いました。味は濃いと思われましたが何の味ということもできずただただ塩分の過多をおかずに白米を掻き込むがごとく中毒性を白兎は覚えました。白兎はアリスを見上げました。アリスは目をつむっていました。白兎は線となって落ちるつばきを舐めるだけに飽き足らず、小さな口を懸命に開けて直接つばきで舌を穿ちました。口の中に溜まるつばきを飲み下し、白兎はこれは甘味なのだと理解しました。それは濃密な甘味でした。濃密でありながらもどかしいほどに淡く白兎は脳のしびれる思いを味わいました。ゆっくりと白兎の口がアリスの口に近づき、舌が唇を舐めあげるほどに近づきました。ど、う、し、た、の~アリスがささやくように言い、吐息が白兎の人中を湿らせました。

 白兎は我慢が効かなくなった、と思いました。気が付くと白兎はアリスの半開きの口に自分の口を重ねていて、その責任の半分をアリスに押し付ける形で舌をアリスの歯に這わせました。

 アリスは不思議なほど抵抗せず、ほとんど塞がれた口で軽く笑い声をあげました。対して白兎はひどくまじめな顔でアリスに吸い付きました。「あっ」アリスが体勢を崩し、公衆トイレの床に膝をつきました。「にゅあははははは、ばっちぃ」と笑うアリスの首筋に白兎が吸い付きました。髪が床に揺れていることはほとんど気にならないようでした。アリスはくすぐったそうに笑って、白兎の背に手をまわし持ち上げて便座に座りなおしました。甘えたいの、とアリスは云いました。声は明るいのにダウナーな重さがあり、着崩れたアリスワンピースを含めて奇妙な色気がありました。白兎は脳裏で別に甘えたいわけじゃなくて、と思いましたが本当に一瞬で本人すら気づきませんでした。白兎はアリスの胸に顔をうずめ、アリスワンピースの中ごろのボタンをはずして下着と肌を舐めました。これにもアリスはくすぐったい声を出して応えるので、白兎の脳は混迷を極めました。

 白兎には、エスカレートしている自覚がありました。でもそれ以外にはありませんでした。これは不味いんじゃないかな、と幼心に思いながらも舌を這わせていて、甘い肉と不道徳を叱る頭の二律背反がますます白兎の興奮に火をつけました。

 アリスは笑うばかりでした。時折愛おし気に胸を舐める白兎の頭に手をのせて、くすぐったがっていました。こればっかりは白兎の愛撫が下手だったことが幸いでした。

 白兎はアリスワンピースをめくりあげ、腹を舐めました。それから土下座するように頭を地面すれすれにもっていってアリスのスカートの中に潜り込みました。アリスがこらぁと楽し気に叱りました。白兎はレクイエム・フォー・ドリームの分だけ性的な知識を持っていました。内訳すると普通に男女で致すものが大半でしたがジェニファー・コネリーの双頭ディルドーも記憶にありました。思えば白兎の初恋はジェニファー・コネリーだったかもしれません。彼女の知的な目、力強い相貌、厚い唇は白兎の目を惹きつけて病まないものでした。アリスは、多少タイプの違う顔立ちでしたが年上らしい大人っぽさを持った日本的美人でありながら頭がちょっと変という部分が白兎を惹きつけました。白兎は、アリスのパンティに口を近づけました。鈍重な酸の臭いが薄く香りました。今の白兎にそれは凶暴な色気となって降りかかりました。白兎は歯でパンティーをずらしました。トイレの電灯がアリスのスカートを突き抜けて朧げに明るく、露呈したそれが曖昧に白兎の目に映りました。白兎は躊躇なくアリスのそこを舐めました。毛と毛の間に不定形の肉の塊が感ぜられました。唾液の何倍も美味しい、と白兎は思いました。

 アリスもこれにはたまらず足をすぼめました。頭をももに挟まれ苦しげな声を出しながらも白兎はアリスの蜜を吸いました。「はっ」アリスは天井を仰ぎ、喉から音を噴出させました。ニキビから出た膿のようでした。じゅるじゅると下半身で音がして頭の中に耳鳴りがオブラートに包まれました。は、とアリスはまた声を出しました。

 アリスはアリスのそこに残尿感めいた感覚を覚えました。白兎の舌はやはり上手くありませんでしたがもどかしさが膀胱をせきたてました。

 は、は、とアリスは断続的に息を吐きだしました。カウントダウンでした。白兎が深く顔をうずめるごとに「は」の瞬が増えました。アリスの目の奥でちかちかと光が点滅しました。アリスはほんの一瞬だけ正気に戻り、これはいったい何だろうかと思いました。が、水分不足が思考力を一気に奪い、気づいた時には決壊が始まっていました。

「は、は、」と耐えると息が漏れ、大きく満足を浮かばせる声とともに尿が白兎の喉に流れ込みました。アリスの耳に喉奥に下される尿の音が聞こえました。アリスワンピースの内側やすねにつく感触も感ぜられました。「こほっ、こほっ」時間にしても量にしても大したものではありませんでしたが、白兎はせき込みました。衝動任せの延長戦には何もなく、ただこの先になにがあるのかと訝りました。アリスの気は遠くなり、また床に倒れこみそうになりましたが、白兎が抑えました。抑えようとしました。しかし完全に気絶した高校生を支えきることはできず、あえなく床に正常位の形をとりました。

 白兎の脳裏に第二ラウンドという文言が浮かびました。

 この発情兎め。

 しかし白兎にもその余裕はありませんでした。アリスの体に潰され、息はし辛くこもった熱が白兎の意識をも奪おうとしていたのです。というか、睡魔に耐え切れず眠ったのでした。

         ▼

 


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