なかない少女とよなきポケモン   作:オオルリ

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5 泣けない心

 

 少女に助けられてから数日が経った。

 あれから友達のムウマは墓守りをからかうことをしなくなり、墓守りもムウマたちにサンドパンをけしかけてくるようなことはしなかった。

 友達は今までの反省のためか、日中に起き出して墓地のゴミを拾ったり、落ち葉を集めて"おにび"の技を使って燃やしたりして、墓守りの仕事を手伝うような素振りを見せていた。

 最初はその変わりっぷりに墓守りも驚いて「また何か良からぬことを考えているのではなかろうか?」と警戒していたが、勤勉に働くムウマの姿を見て、次第に表情を柔らかくしていた。

 もしかしたら、同じ墓地で生活するもの同士、今までとは違った関係を築けるようになるかもしれない。

 

 

 ポケモンはある程度人間の言葉を理解できるが、人間はポケモンの言葉は分からない。広い世界には人語をしゃべるニャースもいるらしいが、あいにくムウマには人間の言葉をしゃべるなど不可能だった。

 それでもムウマは、あの少女にお礼がしたいと思っていた。一言ありがとうと伝えたかった。

 奇しくも今日はクリスマスだった。

 デリバードではないが、人に贈り物を渡すにはピッタリの日である。

 

 

 といっても、野生のポケモンである自分には人間にあげられるものなどあまりない。あるとしたら、冬を越すための非常食として集めていた木の実の詰め合わせくらいだ。

 ……まあ、何もないよりはマシか。

 こいつを持って行って、驚かてやろう。

 時刻は夕方。

 今日はまだ少女は墓場に現れていなかったので、こちらから会いに行くことにした。デリバードよろしく、木の実の詰まった白い袋を背中に担いで墓地を出る。

 

 

 少女が暮らしている家まで赴き、窓から室内を覗いた。

 リビングには綺麗に飾り付けられた小振りのクリスマスツリーがあり、その側に少女以外の三人の家族が集まっていた。両親がプレゼントの包みを開き、中から出てきたモコモコとした小さな服を赤ん坊に当ててはしゃいでいる。

 赤ん坊は今日がどういう日だか理解していないだろうが、暖かく微笑んでいる両親に囲まれて嬉しそうにしていた。とても和やかな雰囲気である。

 ツリーの下には、もう一つ未開封のプレゼントが置かれていた。もしかしたらあれは、養父たちが用意してくれた少女用のプレゼントだろうか?

 しかし室内に少女の姿はなく、他の部屋も探してみたが、どこにも少女はいなかった。どうやら外出しているようだ。

 

 

 ムウマは町の上空まで飛び上がり、空から少女の行方を探すことにした。

 クリスマスということもあり、町のそこここに幸せそうなカップルや、家族連れの姿があった。気温は低く吹き抜けていく風は冷たかったが、どの人もとても暖かそうな表情をしている。町中がウキウキと浮かれているような感じだった。

 

 

 やがて日が暮れて、辺りは静かに薄暗くなっていった。

 街灯がポツポツとオレンジ色の柔らかな光を放ち始める。

 気温も下がり、空から雪が降り始めた。まるで妖精のように白く細かな雪がフワフワと舞い踊る。ホワイトクリスマスだ。

 上空から見下ろしていると、雪の積もったその町は、まるで蝋燭の立っているクリスマスケーキのように美しく見えた。

 以前のムウマなら町を見下ろしてもそんな感慨を覚えることはなかっただろうが、これも少女との出会いを通して生じた変化だろうか?

 この美しい景色をあの子にも見せてやりたいな、などと思った。

 

 

 ムウマは夜目がきくので、日が落ちてからも問題なく活動できる。

 だが、なかなか少女の姿を捉えることが出来なかった。空を飛んでいたヤミカラスなどにも尋ねてみたが、知らないという。

 建物の中にいるのか、あるいはもう家に帰ったのだろうか?

 一度墓地まで戻ってみようかなどと考え始めた頃、ムウマは少女の姿を発見した。いつもの四つ葉のクローバーのマフラーをしているので間違いない。あの子だ。

 ムウマは袋を担いだまま町へと降りていった。

 

 

 少女は道の端に棒立ちになり、傘もささずにぼうっと何かを見詰めていた。一点を見据えて離さないでいる。

 なんだろうと思って釣られるようにムウマもそちらに目をやると、そこにはおしゃれな感じのレストランが建っていた。通りに面した部分はガラス張りになっていて、中の様子が外から見えるようになっている。

 店内では少女と同じくらいの年齢の子供が、両親と仲睦まじげに食事をしていた。

 暖かな光りが溢れる店内で、美味しそうにチキンなどを頬張りながら、楽しげに家族とおしゃべりをしている。

 

 

 それを見詰める少女は寒くて薄暗い道路の上に立っていて、その背中はひどく物悲しげで寂しそうで……どうしようもなく一人だった。

 長いことこの場に立ち止まっていたのか、耳や鼻の頭が冷えて赤くなっていた。

 頭や肩に雪を積もらせながら、まるで遠くの惑星を眺めるかのような瞳をして、無言で店内の様子を見詰め続けている。

 ムウマは何だかいたたまれない気持ちになり、声をかけそびれてしまった。

 

 

 視線に気付いたのか、ふいに少女がこちらを振り向いた。

 目と目が合う。

「あっ……」

 恥ずかしいところを見られたとでも思ったのか、少女の頬が一瞬赤く染まり、小さく口を開いた。

 すぐさま口を真一文字に結んでパっと視線をそらし、その場から立ち去ろうとする。

 ムウマは木の実の詰まった袋を担ぎ直し、慌てて少女の後を追いかけた。

「ついて来ないで!」

 少女は強い口調で言い放ち、足を早めた。道行く人々が、なんだなんだと道を開ける。

 少女は雪を踏み荒らしながらどんどんスピードを上げていき、しまいにはマフラーをたなびかせながら走りだした。

 

 

『ま、待って……!』

 言葉は通じないとは分かっていながら思わず声をかけて追いかける。

 少女は右へ左へ町なかを疾走し、どんどん人気のない方へと走っていった。町の喧騒が遠のき、静かな住宅街へと入っていく。

 それでもムウマは少女を追いかけるのを止めなかった。

 ……今、少女を一人にしてはいけない。

 本能的にそう思ったのだ。

 

 

 体力の限界が来たのか、しばらくして少女のスピードが弱まっていった。ハァハァと大きく肩で息をしながら壁に手をつき、足を止める。

 少女は壁に寄りかかるように体を預け、そのままズリズリと体を落としていった。まるで全身の筋力がなくなってしまったかのように体から力が抜け落ち、その場にペタンと座り込む。

 どうした訳か、そのまま動かなくなってしまった。

 側に立っていた街灯が少女の姿をぼんやりと照らし、その背中を夜の闇の中に浮かび上がらせる。

 

 

 ムウマは刺激を与えないようにゆっくりと少女の背中に近付いた。

 少女はムウマがすぐ後ろまで来ているのを感じ取り、こちらに背を向けたまま、冷たい口調で言った。

「……どうしてついて来たの?」

『…………』

「ついて来ないでって、言ったのに」

『…………』

「あなたが追いかけてくるから、こんな所まで来ちゃったじゃない」

『…………』

「本当はもう、二度とこんな所には来たくなかったのに……」

 

 

 こんな所?

 ムウマは疑問に思いながら前方を見やった。

 そこはただのよくある十字路のようにしか見えなかった。四方を高い塀で囲まれているので見通しは悪いが、何の変哲もない道路である。

 いや、電信柱のすぐ側に、雪に埋もれるようにして何かが置かれているのが目に入った。

 それは、花束だった。

 供えるように白い花が道の端に置かれている。

 ムウマは以前主婦たちが井戸端会議を開いていた時の内容を思い出した。

(まさかここは……)

 

 

 まるで前髪で表情を覆い隠そうとするかのように、少女は俯きがちに下を向いたままぽつりと漏らした。

「……ここでお父さんとお母さんは死んだの」

 それは静かな夜の闇に飲まれて消えそうなほど小さな声だった。

「買い物に行った帰り道で車にはねられたの。それで二人とも、遠くの世界に行ってしまったの……」

 ぽつりぽつりと抑揚のない声で、ひとり言のように喋り出す。

 

 

 その頃、私は何も知らずに家でお留守番をしていて……。

 お父さんたちが出かける時には行ってらっしゃいって言って普通に送り出したのに……。

 それはいつもと変わらないことだったのに……。

 いつまでたってもお父さんたちは帰って来なくって……。

 不安になって何度も家の窓から外を見たけど、町はいつもと同じ感じで……。

 夜になってもお父さんたちは帰って来なくって……。

 とても怖くて寂しくなって、今にも泣き出しそうになっていた時、大人の人達が家に来て……。

 

 

 少女の言葉は次第にまとまりがなくなり、チグハグになっていった。まるで今もそこに両親の亡骸が転がっているかのように、道路の一点を見詰めながら、うわ言のように言葉を呟いている。

 相変わらず雪は静かに降り続き、一人と一匹の体を濡らしていた。

 

 

 少女がこちらを振り向いた。

 街灯の明かりに照らされた少女の顔はゾッとするほど青白く、まるで泣いているような、笑っているような、なんとも言いがたい表情をしていた。

 かじかんで赤くなった手で目元を覆いながら言葉を続ける。

「なんでだろうね。最初はとても悲しくて、涙がいっぱい出て、本当にずっとずっと泣き続けて……。これ以上泣いたら体中の水分がみんな無くなってしまうんじゃないかって思うくらい泣いたのに……ある時から、もう涙は出なくなってしまったの」

 

 

 それはきっと、少女の防衛本能だったのだろう。

 ある日突然少女を襲った深い悲しみ。

 何の前触れもなく訪れた不幸と孤独。

 それは十歳かそこらの少女には到底抱えきれぬほどの大きな苦しみであり、そんなものを抱えていてはうまく呼吸をするのもままならなくなって……。

 だから少女は、感情に蓋をしたのだ。

 重すぎる悲しみに心が押し潰されてバラバラになってしまわないように。

 笑いもしなければ、泣きもしない心。

 そういう心が、彼女には必要だったのだ。

 

 

 それでも人間はロボットではない。

 感情の全てに蓋をすることなど出来るはずもない。

 少女は半ば雪に埋もれている献花の花束を見詰めながら、拳を固めて恨めしそうに呟いた。

「クリスマスはみんなでお祝いしようねって、約束したのに……」

 今日がそのクリスマス。

 約束は果たされることなく終わり、そして、生涯叶えられることもない。

 

 

 少女は赤くかじかんだ手で自分の胸元をぎゅっと掴み、絞りだすような悲痛な声で言った。

「痛いの……。あの日からずっと、ずっとずっと……この辺が痛いの」

 それは少女が初めて見せた感情の発露であり、嘆きだった。

 

 

 ムウマは黙って少女の顔を見詰めていた。

 両親を失い、一人ぼっちになり、悲しみや苦しみ、孤独に押し潰されそうになっている幼い少女。

 そんな少女を前に、ムウマはなんと声をかけてあげればいいか分からなかった。

『…………』

 人を驚かせる事しか出来ない自分には、何も出来ない。

 そもそも自分たちはポケモンと人間。

 例え何かを語りかけた所で、その言葉が、その思いが、相手に伝わることはないのだが。

 それでもムウマは、悲痛に顔を歪める少女を見詰めながら、"いたみわけ"が通じればいいのにと思った。

 そうすれば傷付いた少女の心と自分の心とを足しあって半分こにして、少しでも彼女の心を治してあげることが出来るのに、と。

 


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