あれから何度か少女の姿を墓地内で見かけることがあった。
朝方や夕方などの時間帯にやって来ては、なにをするでもなくぼうっと同じ墓の前に座り込んでいる。どうやら普段は小学校に通っているらしいが、登校前や放課後など、それ以外の時間をここで過ごしているようだった。
ムウマは基本夜行性のポケモンなので日中は眠っていることが多いのだが、なんだか少女のことが気になって、うまく眠れなかった。間近で見た少女の冷たく無感動な瞳が思い出され、なんだか心がざわざわして落ち着かなくなるのだ。
夕方、今日も少女は墓地に現れた。
降り積もった雪に夕日が当たり、墓地全体をオレンジ色に染め上げている。空気は冷たく凛と澄み、少女の白い吐息がふわりと宙に舞っては幻想のようにかき消えていた。
少女はマフラーはしているものの、帽子や耳あてなどのその他の防寒具は身につけておらず、耳の先や鼻の頭は寒さのせいで赤くなっていた。本人は全く気になっていないようだが、見ているこっちが寒くなりそうである。
上空から少女のことをこっそりと観察していると、少女の側をスコップを担いだ初老の男が通りかかった。この墓地の管理人の墓守りだ。足元には"ねずみポケモン"のサンドパンを連れている。
あのサンドパンは墓守りの手持ちのポケモンで、墓穴を掘ったり、墓石を修復する仕事を手伝ったりしていた。背中にびっしりと硬そうなトゲが生えている。ちなみに性別はメス。
墓守りは足を止め、少女に声をかけた。
ここからでは何と言っているか分からなかったが、少女はそれをスルーしたようだった。顔も向けずにだんまりを決め込み、ただただ墓石を見詰めている。
これは何度も繰り返されたやり取りなのか、墓守りは諦めたように肩をすくめ、その場から離れていった。サンドパンも気遣わしげにちらりと少女のことを見やったが、主人の後を追いかけて去っていく。
あれから何度かムウマは少女のことを驚かせてやろうと挑戦していたのだが、結果はいつも失敗に終わっていた。
手を変え品を変えながら何とかビビらせてやろうとしているのだが、少女は悲鳴も上げなければ驚きもしなかった。一切表情を変えず、じっと氷のように冷たい瞳をしてこちらを見詰め返すだけである。
友達のくるりん髪のムウマにも協力してもらい、二匹がかりで驚かせてやろうとしたこともあったが、それも虚しく空振りに終わってしまっていた。
驚かしの腕にはそれなりに自信があったのだが、このままでは自信を喪失してしまいそうだ。
また少女が墓地にやって来た。
よなきポケモンの名にかけて、今日こそは少女をびっくりさせて泣かせてやろうと気合いを入れる。
ムウマは少女がいつもの墓石に来る前に先回りをし、スタンバイした。
少女がいつもの定位置に膝を抱えるようにして座り、ぼうっと墓石を眺め始めた。今日も四つ葉のクローバーの刺繍が施されたマフラーを大事そうに身に着けている。
しばらくすると、墓石の表面に掘られた文字がゆらゆらと揺らめき始めた。
文字の一つ一つが、ゆらゆらもぞもぞと、まるで春先の虫のように蠢きだしたのだ。
「…………?」
さすがに自分の見詰めている墓石の変化は放っておけなかったのか、少女は若干怪訝そうな顔をしながら腰を上げた。
ゆっくりと墓石に近寄り、何が起きているのかを見極めようとする。
その時、みょ~んとお餅のように墓石から黒い影が伸び出した。
そう、ムウマは少女を驚かせるために見えないように姿を消し、墓石の表面に張り付いていたのだ。
そして、ここぞというタイミングで雄叫びを上げながら飛び出した。
『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……!』
が、あまりにも気合いを入れて飛び出したのたものだから、目測を誤り、ゴチンッと少女と頭がぶつかってしまった。
図らずも"ずつき"のような攻撃を繰り出してしまい、反動で吹っ飛ばされるムウマ。
痛かった。
少女は意外にも石頭なタイプのようで、目から火が出るかと思った。ムウマは額を抑えながら、別の意味で『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……!』と呻いた。
『痛てててて……』
頭を振って気を取り直し、少女の方を見やる。
少女は突然のことに驚き、その場にペタンと尻餅をついていた。額を抑えて、鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をして瞳をぱちくりさせている。
しかし犯人の正体がいつも自分にちょっかいをかけてきたムウマだと気付くと、すぐにいつもの無感動な顔付きに戻ってしまった。少しだけムッと眉間にしわを寄せ、冷たい瞳をして恨めしげにムウマのことを睨みつけている。
『あ、あはははは……』
気まずくなり、またしても苦々しく愛想笑を浮かべるムウマ。
少女は無言のまま立ち上がり、尻についた雪や泥を払い落とし、背中を向けて墓地から立ち去ってしまった。
遠ざかっていく少女の背中を見詰めながら、ムウマはハァと重々しくため息をついた。
今日も失敗してしまった。
頭突きを食らった瞬間はびっくりしたように目を見開いていたが、あんな風に驚かせたかったのではない。もっとちゃんとした恐怖心を与えて、泣かせてやりたかったのだ。
ふと、降り積もった雪に埋もれるように何かが落ちているのに気がついた。
それは少女がいつもマフラーの下に身に着けていたペンダントだった。ロケットペンダントだったのか、蓋が開いて中の写真が覗いていた。
そこに映っていたのはまだ若い壮年の男女と、少女の姿だった。
きっと彼女の家族写真なのだろう。どの人物も暖かく笑っていて、ぎゅーっと肩を寄せ合って一枚の小さな写真に収まっていた。とても仲睦まじげである。
『…………』
ムウマはしばらくの間黙って写真をじぃっと見下ろしていたが、きっとこれは少女にとってとても大切なものだろうと判断し、届けてあげることにした。
ネックレスの部分に首を突っ込んで首から下げ、少女の後を追いかける。
いつも墓地内で少女のことを待ち構えていたので、ムウマは少女がどこに住んでいるのかは知らなかった。
一度空高くまで上昇し、上空から少女の姿を探すことにした。きっとまだそう遠くには行っていないはずだ。
キョロキョロと地上をくまなく見回していると、少女の姿を発見した。夕日に照らされたオレンジ色の町、雪の積もった道の端を俯きがちに歩いている。
ムウマはペンダントを落としてしまわないように注意しながら下降した。
こんな冬の寒空の下だというのに、買い物帰りの主婦らしき人物がニ、三人集まって井戸端会議を開いていた。手をひらひらと動かしながら楽しげにおしゃべりに興じている。
その中の一人が少女の存在に気付き、声を潜めながら言った。
「あの子、最近事故でご両親を亡くしたらしいわよ。まだ若いのに、可哀想に」
他の主婦たちが相槌をうった。
「あの見通しの悪い交差点でしょう? 物騒よね」
「でもあの子、毎日のようにお墓に行ってるらしいわね。声をかけても無視されるし、いつも無表情で何を考えているかわからないし……。少し不気味ね」
「親戚の所に引き取られたらしいけど、うまくやっていけているのかしら」
好き勝手に噂話を繰り広げていた。
『…………』
ムウマはそれらの話を、姿を消してこっそり盗み聞きしていた。こういう時、自在に姿を消したり現せたりするゴーストの体は便利である。
少女の後を尾行していると、ある二階建ての住宅に入っていった。小さいながらも新しくて小綺麗な感じの家だ。
ムウマは窓辺に近付き、こっそりと中の様子をうかがった。
ちょうど夕飯時らしく、リビングのテーブルには美味しそうな料理が並べられていた。どれも暖かそうに湯気を立ち上らせている。
少女の他に、三人の人影があった。
夫婦らしい三十代くらいの男女と、年端もいかぬ赤ん坊である。赤ん坊は多分まだろくに言葉もしゃべれないくらいの年齢なのだろう、口の周りをベタベタにしながら、両親に二人がかりで食事をさせてもらっていた。手をグーの形に握りながら、上下にばたつかせて暴れている。
その反対側の席に、少女が座っていた。静かにナイフとフォークを動かしながら、黙々と食事を続けている。
食卓には四人の人間がついていたが、少女と若い夫婦らの間には、何か大きな隔たりがあるように見えた。一見暖かな家族団らんの図だが、どこかすきま風が吹いているような、そんな寂寥感を覚える。
食事を終えた少女はひとり言のようにごちそう様でしたと手と口を動かし、食器をキッチンの流しに運び、そのままリビングを後にした。
夫婦は少女の背中を見詰めながら何か言おうと口を開きかけたが、言葉が出ず、困ったように顔を見合わせていた。赤ん坊がぐずりだしたので、慌ててあやしたり食事の続きを始める。
ムウマも少女の後を追いかけて建物の側面に移動した。
二階の小さな部屋が彼女に与えられた自室らしかった。
机とベッドと棚があるだけの簡素な部屋。部屋の隅の方にダンボールが積まれていたが、どれも開封されてはいなかった。
少女は部屋に入るな否や電池が切れたようにベッドに突っ伏し、動かなくなってしまった。
緩慢な仕草で枕元の写真立てに手を伸ばし、しばしその写真を見詰め……胎児のようにぎゅっと抱えて丸くなる。
それは、少女の本当の家族の写真だった。
学校の入学式の時に撮ったのだろうか? 学校の校門の前で、少し緊張気味にかしこまっている幼い少女の姿が写っていた。
その横には、少女の両親が優しく微笑みながら寄り添っていた。カメラ越しに、今の少女を見詰めている。
ムウマは理解した。
少女は事故で両親を亡くし、一人きりになった。
まだ若い夫婦の所に引き取られてきたが、二人は新生児にかかりきりだし、本当の家族ではない少女にはこの家は居心地が悪く、居場所がない。
だから毎日のように墓地を訪れているのだろう。
……墓地がどういうところかは知っている。
あそこは、死んだ人間や、ポケモンたちが眠るところだ。
多くの人が泣いていたり、悲しそうな顔をして訪れる。
あるいはその悲しみを乗り越えて、尊く健やかな顔をしている。
だが少女は……。
ムウマは両親の墓石を見詰める少女の横顔を思い出した。
少女は、いつも無表情だった。
まるで心が空っぽになってしまったかのように、冷たくて空虚な表情をしていた。
ムウマは少女に気付かれないようにそっと室内に潜り込み、机の上にロケットペンダントを置き、その場から離れた。
いつの間にか夕日は彼方に沈み、町には夜の帳が下りていた。頭上では星々が宝石のように光り瞬いている。
ムウマは瞳を閉じながら、冷たく澄んだ夜の空気に体を溶け込ませた。
あの少女は、未だに両親を失った痛みの中にいるのだろう。
悲しくて悲しくて。
痛くて苦しくって。
心がどうにかなってしまいそうになっているに違いない。
だがムウマは、少女が泣いている姿を見たことがなかった。
* * * * *
墓地に帰ると、くるりん髪の友達のムウマが高笑いしながら墓地の上空を飛んでいた。
下を見ると、こんな寒空の下だというのに、全身ずぶ濡れになった墓守りとサンドパンの姿があった。仕事の途中だったのか、スコップを片手にわなわなと震えている。
どうやら友達のムウマがまだぞろ墓守りに対してイタズラを仕掛け、それがまんまと成功したらしい。空を舞う友達はとても上機嫌で、首元の赤い珠も強く輝いていた。
全身濡れネズミにされた墓守りは怒り心頭に発していて、スコツプを頭上に振り上げて叫んでいた。
「このイタズラムウマめ! いつか目に物見せてやるからなぁ!」
感情を剥き出しにしながら怒っている。
少女もあれくらい感情を見せてくれればいいのに、と思った。