なかない少女とよなきポケモン   作:オオルリ

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1 少女と墓石

 草木も眠る丑三つ時、赤ら顔の酔っぱらいが墓地の近くを歩いていた。

 遅くまで酒をしこたま飲んでいたのか頬は上気し、その足元はポケモンのパッチールのようにフラフラとしていた。

 季節は冬。

 空からは粉雪が舞い踊りレンガの小道を白く染めていたが、男の体はぽかぽかと暖かく、身を切るような寒さなど全く気にならない様子だった。気持ちよさげに鼻歌などを歌っている。雪を踏み鳴らしながら、乱れた足跡を地面につけていく。

 

 

 そんな男の耳に、ある物音が聞こえてきた。

「うん?」

 それは細く開いた窓の隙間を風が通り過ぎていくような、あるいは、若い女のすすり泣く声のようにも聞こえた。

 こんな時間のこんな場所に女がいるはずないと思いつつ、男は足を止めて音のする方に顔を向けた。

 

 

 どうやら音は、墓地の奥の方から聞こえてくるようだった。試しに目を細めてじぃっと彼方を見詰めてみるが、墓地内は薄暗く、闇が広がるばかりで何も見えない。

「なんだなんだ……?」

 男は音の正体を確かめてやろうと、フラフラした足取りで霊園に足を踏み入れた。

 ……男は自分の意志でそちらに向かったつもりだったが、他の人から見れば、男は音に魅入られているように見えただろう。

 

 

 人気のない薄暗い墓地を一人進む。

 木の上には夜行性のヤミカラスやヨマワルなどが目を光らせて男のことを見下ろしていたが、男はそれには気付かず、立ち並ぶ墓石を避けつつ墓場の奥へ奥へと進んでいった。 

 ふと、前方に人影が見えてきた。

 街灯が設けられていたのだが、その側の墓石の前に、若い女が膝をついて座り込んでいたのだ。

 その姿は、まるでスポットライトを浴びる女優のように暗闇の中に浮かび上がっていた。降りしきる雪の中、こちらに背を向けて一人肩を震わせながらしくしくとすすり泣いている。

 

 

 時刻はすでに夜中の二時を回っている。男は驚きつつ女に声をかけた。

「こんな遅くにどうしました?」

 声をかけても反応はなかった。

 声が届いていないはずがないのだが、女は男を無視して泣き続けている。

「もし、どうしました? 大丈夫ですか……?」

 男はもう一度声をかけながら、女の肩に手をかけてこちらに振り向かせた。

 ゆっくりと、女の顔が明かりの中にあらわになる。

 振り向いた女の顔には、目玉が一つしかなかった。

 

 

 顔の真ん中にソフトボール大の大きさの目玉があり、それが闇の中で、ぎょろりと鈍い光りを放っていた。

 口は耳元まで裂けており、まるで内臓のように赤黒くてぬめぬめした舌が口の端からだらりと垂れ下がっていた。ぴちょんぴちょんと、地面によだれを垂らしている。

 どう見ても。

 それは人間の顔ではなかった。

 

 

「う、うわあああああああ!?」

 男は素っ頓狂な悲鳴を上げて尻餅をついた。慌てて逃げ出そうとするのだが、酒が入っていることもあって足元がおぼつかず、雪の上ですっ転んでしまう。腰が抜けてうまく歩くことが出来ない。

「あわわわわ……」

 泡を食ったように仰天して震えていると、女が大口を開けて迫ってきた。

『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……!』

 裂けた口から意味不明な言葉を漏らしながら、まるでビデオのコマ送りのような不自然な動きで近付いてくる。

「ぎゃあああああああ!」

 男はずっこけたはずみで靴が片方脱げてしまったのも構わず、悲鳴を上げながら這々の体で墓場から逃げ出した。

 

 

 あとに残されたのは、ひとつ目の口裂け女。

 女は肩を揺らすようにくつくつと忍び笑いをしていたが、しまいには耐え切れなくなって大口を開けて大笑いするようになった。閑静な墓地内に女の哄笑が響く。

 女がくるりとその場で一回転すると、ボンっと何かが弾けたように白煙が舞った。

 女の姿が消え、代わりに空中に小さな影が現れた。

 夜の闇のように黒い体に、まるで燃える人魂のように揺らめく髪。首元には数珠のような赤い珠が連なっていた。

 それは"よなきポケモン"と称されるゴーストタイプのポケモン、ムウマだった。

 

 

 ムウマはイタズラ好きな種族のポケモンで、夜中に女のすすり泣くような声を上げては人間や他のポケモンたちを引き寄せ、驚かせたり怖がらせたりしていた。

 そうやって他者の怖がる心を首元の赤い珠に集め、栄養にして暮らしているのだ。先程のひとつ目の口裂け女は、得意の"おどろかす"攻撃で出現させた幻である。

 

 

 驚かし作戦が成功したムウマは嬉しそうにくるくると回りながら笑っていたが、やがて満足したように空高くに飛び上がった。

 酔っ払っていたせいか、相手はたいそう驚いていた。男のすっ転びっぷりを思い出し、ムウマはもう一度にししと声を潜ませて笑った。

 やはり驚かしがうまくいくと気持ちが良い。首元の赤い珠もいつもより輝いている。

 ムウマにとって他人を驚かせるという行為は、食事も同じ。この調子でもっと人間やポケモンたちを驚かせてやろうと、ムウマは墓地から抜け出して町の方へと繰り出した。

 夜勤で暇そうにしている警備員や、肩を寄せあって木陰で眠っているポッポなどを驚かせては夜じゅう遊び回った。

 

 

  * * * * *

 

 

 やがて東の空が白み始めた。もうすぐ夜が明けてしまう。

 ムウマは基本夜行性のポケモンだった。日が出てきたら巣に帰り、眠りにつく習性がある。

 墓地に戻るべく町の上空を飛んでいると、向こうから友達のムウマがやって来た。髪の毛の毛先がバネブーの尻尾のようにくるりんと丸くなっているのが特徴の奴である。

 どうやら彼も夜じゅう活動し、『食事』をしていたらしい。

 ムウマは友達に声をかけた。

『やあ、首尾はどうだい?』

 

 

 彼は満足気に肯いた。

『ふっふっふ。今日も上々だったよ。また墓守りの奴をしこたま驚かせてやったぜ』

 ムウマたちがすみかにしている墓地には初老の墓守りがいるのだが、どういうわけか、この男はすごいビビリだった。墓地で暮らしているというのに、怪談やホラー、怖い話がてんで駄目なのだ。

 くるりん髪の友達は、いつもその墓守りを驚かせたりからかったりして遊んでいた。曰く『リアクションがいいし、恐怖心の味もいいから止められない』らしい。彼の首元の赤い珠は、ムウマ以上に輝いていた。今日もお腹いっぱい、驚かせてきたらしい。

 一口に恐怖心といっても、色々と味がある。

 うまく驚かせて相手を怖がらせた時に生じる恐怖心は、得も言われぬ美味しさだった。うまく驚かせれば驚かせるほど、相手が怖がれば怖がるほど、味が良くなるのだ。

 

 

 墓地の上空まで来たので二匹は下降を始めた。

『ん?』

 ふと視線を下ろすと、朝もやの煙る墓地内に人影が見えた。まだ朝も早い時間帯だというのに、墓石の前に誰かいる。

 それは十歳くらいの人間の女の子だった。クリーム色のマフラーを首に巻いている。手編みのものなのか、可愛らしい四つ葉のクローバーのマークの刺繍が施されてあった。

 雪の積もる墓地の中、たった一人である墓石の前に座り込んでいる。

 少女を見下ろしながら友達が言った。

『最近よく見かけるね、あの子。ああやっていつも一人でお墓参りに来ているんだ』

『ふーん、そうなんだ』

 

 

 こんな時間帯から子供が一人でお墓参りかと不思議に思ったが、ムウマは今日の仕上げに少女を驚かせてやろうと考えた。

『君も一緒に驚かせに行かないかい?』

 友達も誘ったが、彼はふわぁと大きくあくびをして断った。

『いや、遠慮しておくよ。もう充分お腹いっぱいだし、眠いしね』

 朝は人間たちや昼行性のポケモンたちにとっては起きだす時間だが、夜行性のポケモンたちにとってはおねむの時間なのだ。彼は眠たそうに目をとろんとさせていた。

『そうか。じゃあね、おやすみ』

『おやすみー。頑張ってね』

 

 

 友達を見送った後、ムウマは気付かれないようにゆっくりと地上に下降し、少女の後方に降り立った。横手に回りこみ、まずはこっそりと少女のことを観察する。

 少女は他に何をするでもなく、膝を抱えるように小さくなって墓石の前に座り込み、ぼうっと墓石の表面を見詰めていた。マフラーをしているのでよく分からないが、首からペンダントのようなものを下げている。

 その横顔を見て、ムウマは少々ドキリとした。

 少女は、全くの無表情だった。

 

 

 まるでガラス球のように冷たく澄んだ瞳をしていて、そのくせ顔は能面のように表情がなくて……まるで美しい人形のようだった。

 時折口の隙間から白い息を吐いたり、長いまつげをパチリと閉じてまばたきをしたりするが、それらの動きがなければ、本当にただの人形だと勘違いしていたかもしれない。まるで時が止まっているかのように動かない。

 それほどまでに朝もやの中の少女には生気がなく、また、美しく見えた。

 しばしの間、少女の横顔に見惚れてしまう。

 が、ムウマはハッとして我に返った。ブルブルと頭を振って気持ちを切り替え、驚かしの準備に入る。

 

 

 お得意の"おどろかす"攻撃の幻術で髪の長い女の幻を作り出し、近くの墓の前に座り込んでしくしくと泣く演技を始めた。

 最初は誰にも聞こえないような小さな声で。次第にそれをはっきりしたものにしていく。

 女のすすり泣く声が、朝もやの煙る墓地内に響き渡るようになっていった。

 少女がムウマの泣き声に気付き、顔を上げてこちらを見た。

 

 

 普通の人間なら一人きりの時に墓場でこんな場面に遭遇したら、不気味に思って逃げ出すか、あるいは、警戒して体を強張らせたりするものだが、少女は表情ひとつ変えなかった。

 元々無表情な女の子だったが、まるでつまらない映画のスクリーンでも眺めるかのような顔をして、ただただ無表情にこちらをじっと眺めるのみである。

(あ、あれ……?)

 ここまで反応のない人間も珍しいな。

 臆病な墓守りならば、この時点で震え上がって鳥肌を立てていることだろう。

 

 

 ムウマは気を取り直し、作戦を続行した。

 相手が動かないのならば、こちらから近付いていくまでである。

『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……』

 ムウマは女に奇声を発せさせながら、腕だけの力で、下半身を引きずるようにずりずりと前進を始めた。

 長い黒髪を振り乱し、地面に爪を立てるように指を食い込ませながら、ゆっくりとゆっくりと近付いていく。

『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……』

 最初は動きの遅いコータスのようにゆっくりと這い進むことでたっぷりと『溜め』を作り、そして満を持して、ガサガサガサッ! と一気にスピードを上げて肉薄した。大口を開けて世にも恐ろしげな雄叫びを上げる。

『う゛は゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」

 

 

 普通の人間なら一人きりの時に墓場でこんな場面に遭遇したら、それはもう怖すぎて悲鳴を上げて飛び退ろうものだが……少女は一切微動だにしなかった。

 怖がることもせず。

 逃げる素振りも見せず。

 ただただ迫り来る女のことを冷たい瞳で見詰めていた。

 

 

 いつの間にか、少女の端正な顔がすぐ目の前にあった。

 お互いの鼻の頭がくっつきそう、息がかかりそうなくらい近い場所に少女の顔がある。

 しまった。

 相手が逃げないからといって、思わず近付きすぎてしまった。これではもう接近して脅すことも出来ないし、今更離れてすごすごと撤退することも出来ない。

「…………」

『…………』

 両者の間に微妙な感じの沈黙が流れてしまった。

 

 

 びっくりした。

 ここまでして一切驚かない、表情を変えない人間がいるなんて思いもしなかった。

 相手がびっくりしないことにびっくりして、思わず"おどろかす"攻撃の幻術が解けてしまっていた。ボンっと何かが弾けたように白い煙が舞い上がり、ムウマ本来の姿があらわになる。

 しばし見詰め合う一人と一匹。

『あ、あはははは……』

 なんとなく気まずくなり、思わず愛想笑いを浮かべてしまった。口の端を持ち上げて苦笑いをする。

 

 

 ふいに少女が立ち上がった。

 反射的にビクッと反応するムウマ。

「…………」

 少女は無言のままムウマから視線を外し、マフラーを首筋に巻き直し、その場から立ち去ってしまった。

 足音が遠のき、どんどん距離が離れていく。

 遠ざかっていく少女の背中を見送りながら、ムウマは呆然と呟いた。

『い、一体なんだったんだ、あの子……』

 




 はじめまして、よろしくお願いします。
 ポケモンの生態や技については独自の解釈があります。
 そのうち出てくるバトル描写については、ターン制のゲーム基準ではなく、アニメやポケスペのような感じなのだと思ってください。

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