夜に降った霧雨はまだ止まない   作:平丙凡

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 その思いの始まりを知るのは、やはり全てを知り、全ての元凶となった彼女のみだろう。そしてその願いを叶えることが出来るのも、――彼女のみ。




八雲紫はかく語りき

 それは本当に昔々のことだった。

 

 どれくらい昔か、と言う問いには答えない。なぜなら言ったら歳がバレてしまうから。

 

 ――どうでもいい、って? こっちからすれば重要なのよ。

 

 でもまあ、言うのであれば。地球が太陽の周りを何百何千と回った頃の話。なに? アバウトすぎる? いちいちうるさいわね、あなたも。

 

 その頃は激動の時代、血で血を洗う妖怪と人間の残虐ファイトが弾幕ごっこという平和的なルールに移り変わり始めていた頃。まだまだ野良妖怪どもはそんなルールなんて守ってられるかと荒れていた。

 

 そう。ほんとに今とは大違いだった。

 

 だから八雲紫は利用した。つい最近……とは言っても昔の話だが、幻想郷へと引っ越してきた妖怪たちに協力を持ちかけた。

『被害が最小限で済む程度の異変を起こしてほしい……ただし、命名決闘(スペルカードルール)を利用した解決を……』と。

 

 ――よく協力してくれたな、と? 当然よ。だって彼女たちにはそうせざるを得ない理由があったもの。

 

 そうして起こった異変が『紅霧異変』という幻想郷中が紅い霧で覆われる異変だ。そう、吸血鬼が起こした異変――紅魔館の連中。そこの魔女によくしてもらっているそうな。とにかく、その時に異変解決をしたのがあの二人。博麗の巫女とその友人である普通の魔法使い。彼女たちが弾幕ごっこで異変解決をしたおかげで、一気に幻想郷中に弾幕ごっこというルールが拡散された。それからはもうお祭り騒ぎ。……今まで力を燻らせ続けていた名のある妖怪たちが、憂さ晴らしに異変を起こしたり、外から神社が入ってきたりと。

 

 ――そう、あの山の上の神社のことね。

 

 いろいろ大変だったけど……楽しかった。そうやって数々の異変を彼女たちは解決していって……いつしか二人は異変解決屋としてその名を知らぬ者はいないほどに有名になっていった。

 

 そう、順調だった。この頃までは。

 八雲紫も少し浮かれてたのかもしれない。だから、あんなことになったのかもしれない。

 

 ある日のことだった。

 幻想郷と外の世界を隔てる博麗大結界に異常が起こった。

 

 ――どれくらいマズかったのかって? ふふ、これまでの私の人生がちっぽけだったなと思えるくらいにはマズかったわよ。

 

 そう、ありえないと思っていた。想定外だったのだ。博麗の巫女が死んだならいざ知らず、まさか彼女の存命中に結界が不安定になるとは思わなかった。これが壊れたらどうなるか、夜霧もわからないわけはない。 ……幻想は現実のものとなり、妖怪たちは大勢の人間たちの目に晒されることとなる――妖怪が幻想ではなくなり、人々に認知され現実のものとなる。

 

 ――つまりそれは、幻想郷の終わり。

 

 原因を調査した。全力に全力を尽くして。だって嫌だから、幻想郷が無くなるのは。八雲紫にとって幻想郷は私の半身も同じことだから。だけど原因は見つからなかった。

 

 ――見つかったのは、それを改善する方法。

 

 そう、それがマズかった。

 その方法は。

 

 ――博麗の巫女を犠牲として博麗大結界の安定を図ること。

 

 おかしな結論だった。結界を安定させるために生きているような巫女を、結界を安定させるために殺すのだ。この方法ならまず失敗は無く、損害も最小限で済む。人柱、つまり博麗の巫女の命だけを犠牲にして。

 当然八雲紫も他の方法を模索したが……それ以外に方法は無かった。――それを話して、一番最初に反対したのは誰だったか。

 

 

 博麗の巫女自身では無い。むしろ彼女は自分から進んで参加しようとした。そう、反論したのは彼女――普通の魔法使い。霧雨魔理沙だった。

 

『ふざけるな! 誰かが犠牲になって解決したところで、私たちは喜べるのかよ!』って言って。全く彼女らしいと思う。

 

 でも八雲紫は、言い返してしまった。

『それは何も失ったことが無いから言える……綺麗事なのよ』と。

 

 結局、博麗の巫女が犠牲となることでこの騒動は一応の解決はした。

 

 

 ――そこから、おかしくなったのだけれど。

 

 

 まず。魔理沙が消えた。彼女は外の世界に出て行った。魔法のさらなる知識を求めてかどうかは知らないけれど、八雲紫はもちろん止めようとした……が、できなかった。なぜできなかったか? 色々あったのだ、それはそれは、いろいろと。

 

 そして博麗の巫女……霊夢って言うのだけどね。――あら、知ってた? そう、物知りなのね。とにかく、彼女の周りには人も妖もいっぱい居た。

 

 ――人気者だったのよ、彼女は。いえ、そういうことでは無くて……ああ、中心にいたのよ。けれど彼らは……霊夢がいなくなってから姿を見せなくなった。否、元の場所に戻ったとでも言うべきだ。表立った行動をしなくなったのだ。

 

 まさに等価交換だった。人と妖が手を取り合って生きていける理想の世界の代償に釣り合うだけの価値が、あの子達にはあった。

 

 

 ――本当にそれでいいのか、ね。

 

 

 正直何度も自問自答を繰り返した。これで本当にいいのか? これは本当に理想なのか、と。答えは見つからない。見つけてはならなかった。なぜならそれを見つけて仕舞えば、現にちゃんと成り立っていたモノが、確かにそこにあったモノが、綺麗にさっぱり消えてしまうのだから。

 

 ――例えそれが、脆く崩れやすい硝子細工みたいな理想像だとしても。

 

 しかしそれも、力をつけた魔理沙があっさりと壊してしまった。彼女のことを許すつもりは無い、無いのだが……こうなったのは結果論。いずれ訪れる限界だ。彼女はあの時悟ったのだ。この理想の楽園(私たちの夢)が偽物の上でしか成り立たない、悲しいものだったと。

 

 ――ええ、予想通り。残念ながら、博麗神社は……結界の中心部はすでに掌握されているわ。それどころか幻想郷の主要部はすでに。

 

 ああ。本当に、あっさりだったわ。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

「これが今起こっていることのきっかけ……私のせいなのか、この幻想郷という土地の限界なのかどうかは、わからないけれどね」

 

 紫は長い話を語り終えた後で自嘲するように、けれどもその表情は虚ろでなく、むしろまだまだこれからと言ったような、そんな表情。

 

「嫌ですよ、俺は」

 

 魔力を使い果たし、もう動かないはずの体を無理矢理に起こした夜霧が立ち上がる。

 

「俺は、嫌だ。この幻想郷に限界があったとか、いずれ起こることだったとか、認めたく無い」

 

 ――そう、今まであまり意識はしてなかったけど。結局のところ、俺はこの幻想郷がだいぶ好きみたいだ。

 

「……でも、今のあなたに何ができる?」

「確かに、俺じゃ師匠には勝てない。その様子だと、紫さんもでしょう?」

「ええ、実に悔しいけど……それが事実」

 

 数百年の間に、霧雨魔理沙は異常と呼べるくらいの成長を遂げていた。――それこそ、妖怪の賢者を上回るくらいに。

 

「でも何もできないままよりは……よっぽどマシだ」

「何をする気なのかしら?」

「そんなの、決まってるじゃないですか。

 もう一度彼女の前に立ちはだかります。確かに、無駄かもしれない。……イヤ、無駄だ。勝てるわけがないってわかってる。

 それでも……それでも俺は、」

「――守りたい、と?」

「この幻想郷(場所)を、です」

 

 その少年が語る言葉は、間違いなく理想。絶対に成し得ない夢物語。――かつて、綺麗事だと切り捨てた言葉。それをこうも、澄んだ瞳でただ真っ直ぐに信じて、ひたむきに語れるものなのか。

 

「………………」

 

 その時紫は、覚悟を決めた。――ひとつ、賭けに出てみようか。そんな事を思い、不敵に笑う。

 

「ねえ、夜霧。――ちょっと賭けをしてみない?」

「賭け、ですか?」

 

 なんだってこんな時に……。そう思ったが、聞いてみるだけだ。損はしないはず。だが、その後に紡がれた言葉は、全くの予想外。

 

「――あなたが過去に行って、過去を変えてやるの。……どう? やってみない?」

「……………へ?」

 

 ――何を言ってるんだ、この人は。それが第一に思った事。いくら妖怪の賢者とは言え、時を超えることなんて……一瞬できると思ったが、普通できる方がおかしいし……。

 

「あ、タイムスリップなら私の能力で問題なく行えるから」

「……わぁ」

 

 なんでもありってことかよ。すごいな、もう。

 

「ところで紫さん。そうすれば……過去を変えれば、今のこの結果は変えられるんですか?」

 

 そう訊くと、紫は自信満々に頷く。

 

「師匠を救って、この幻想郷も壊れずに済む未来が……あるって言うんですか?」

「ええ、断言するわ。――未来は変えられる。……もちろんあなたの頑張り次第だけどね」

「――!!」

 

 正直天にでも登りそうな心地だった。未来が変えられる……その言葉に、高鳴る鼓動が抑えられない。

 

 ――この惨状を回避できる……!

 

「やらせてください……! 俺に……チャンスをください!」

「ふふふ、意気込みは十分みたいね……なら、直行よ」

 

 そう言うと、俺の背中の感覚が消失する。

 

「え?」

 

 ――違う、地面が無くなったのだ。そしてそのまま、俺の体は重力によって下に向かって自由落下していき……視界の奥、閉じていくスキマを見ていることしかできないことに気づいたころ、今まで忘れていた疲労が一気に襲いかかってきて、急激な眠気に襲われる。そしてそのまま、ゆっくりと――瞼を閉じる。次に夜霧の目が醒めるのは、今いるこの世界では無く、全く違う異質な空間だった。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

「さて、……と」

 

 夜霧をスキマに放り込んだ、そのすぐ後のことだった。すでに人里は壊滅。薙ぎ倒された家屋に、無残な姿となった村の塀。それにあまり見たいものではないが……ボロボロの姿になった、見回りの役についていたであろう里の男の――亡骸。

 

 

 空を見上げる。――今から雨でも降ってしまいそうな、生憎な空模様。そんな私のそばに歩み寄ってくる……()()の影。

 

「あいつをスキマに放り込んでどうするつもりだよ。あれでも一応私の弟子なんだぞ……紫」

「あら、あなたの弟子にしては随分真面目な子みたいね、彼」

「私には似なかったけれどな」

 

 

 魔理沙――いや、魔霧の姿を見て思う違和感。……先ほどまで幻想郷の各所に殴り込みをかけていたと言うのに、彼女は傷ひとつさえ負っていないない。もう何度も戦闘をしているはずだと言うのに、だ。もちろんというか当然、その中には紫でも一筋縄ではいかない程の実力者も居たはずだ。

 

「あいつら相変わらず強いのなんの。肉体強化の魔法を覚えてなかったら危なかった場面が何度あったか」

「……その様子だと、勝ったみたいね」

「ああ? 当たり前だろ。なんのための数百年だったんだか」

 

 数百年前……彼女が幻想郷を飛び出し、人間を辞めたあの数百年前。……思えば、その頃からこうなることは決まっていたのだろうか。――あの紅魔館に住まう、永遠に紅き幼い月が見た『運命』の話を思い出す。

 

「――いいか、スキマ。運命という物は、事象そのものに影響する道のようなものだ。それ故にいくらでも変えようの余地はあるし……些細な出来事一つで確立されてしまうこともある。だが私の見た『運命』はまだそうなってはいない、だからいくらでも変えようはあるのだ。……少しでも後悔しているなら今のうちだ。もしそうなってしまえば、私の『能力』でもどうしようもなくなってしまう。うちの魔法使いも従者も不安がっていることだしな。……まあ、そうならないことを期待することにしよう。妖怪の賢者様」

 

 その話は、警告だった。彼女の歩む運命――すなわち幻想の破壊者となる運命を変える、最後通告だったのだ。だから、私はその警告に従い、魔理沙を探していたが……もう遅かったようだ。その頃には、彼女の『能力』でも手に負えなくなっていた。それ自体が運命だった。……だとすれば、彼女を止めるのも私の運命だ。

 

 ――でも。

 

「……なぜ、弟子をとったのよ」

 

 そう訊くと、魔理沙は笑う。……いや、嗤う。

 

「ククククク……アッハッハ!! なんでかって? 決まってんだろ、戯れさ。――それ以上でもそれ以下でもない。そんなことはアンタが気にすることでもねーだろ?」

 

 理性など存在せぬその狂気的な笑みに……私は確信を抱く。

 

「嘘ね、それ」

「……はあ?」

「貴女のその言葉は真実ではないということよ。なぜなら貴女は彼のことを――」

「……黙れよ、スキマ」

 

 辺りに、鮮烈に強烈な威圧が満ちる。

 ――その中心にいるのは、霧雨魔理沙。

 

 その異常なほどのプレッシャーは、思わず腰が引けてしまいそうなくらいの存在感を帯びている。そのぐらいならまだ良かった……だけど。

 

 ――どういうわけか、()()()()()()()()()()()()()

 

 そもそも紫の『境界を操る程度の能力』とはなんなのか。彼女の能力を一言で言うのなら、神に等しき力。それに尽きるだろう。あらゆるモノには必ず境目が存在する。八雲紫はそれら全てを等しく操ることができる存在だ。その力を持ってすれば、昼と夜の境界すらも操って永遠に明けない夜を演出することも容易いのだ。

 

 ……そう、生き物の命を奪うのも、容易いこと。

 

 簡単な話だ。生と死の境界を操ってしまえばいいのだから。だから魔理沙が紫の目の前に現れた時、紫は間髪入れずに彼女の境界を操ってやろうとしたのだ。幻想郷の破壊者を、止めるために。しかし魔理沙の生と死の境界を操ることは――魔理沙の命を一瞬にして奪うことは叶わなかった。

 

 

 それは紫の力不足では無い。……この数百年間で、()()()()()()()()強くなった、魔理沙自身の『程度の能力』によるモノだ。

 

 紫はスキマを開くために右手を空間に添えるが……そっと引っ込めた。そうして紫は決心する。――ここで、彼女を止める、と。

 

「……あなたは、幻想郷の管理者たるこの私がここで止めてやるわ」

「ハッ、こうしたのはアンタの癖にな。調子のいいことで」

「……確かに、あの時あなたを変えたのは私かもしれない。けれど、それを間違っていたとも思わない。――だからこそ、私は夜霧に賭けるわ」

「へえ……お前が切り捨てた綺麗事をか?」

 

 それを聞いて、紫はいつものような誰にも内面を悟らせない胡散臭いばかりの不敵な笑みではなく、まるで自分を鼓舞するかのような、根拠のない自信たっぷりの表情で堂々と言い放つ。

 

「いいえ、違って――。私は霧雨夜霧に……綺麗事をはっきり語る彼に魅せられたのよ。

 だからこそ私は、それに賭けるの。かつて私が否定したものが、今この状況を変えてくれると信じてね」

 

 ――八雲紫は、一度否定したものを簡単に信じるほど単純で、愚かな人物ではない。それほどまでに、夜霧の語る理想は純粋で。いくら都合のいいやつだと言われても、この理想ならば。いくら儚く脆い夢物語だったとしても……最後まで見届けたいと思わされたのだ。

 

「――八雲紫、推して参るわ」

 

「ははっ、来いよ! 賢者様!」

 

 

 この場所、全て崩壊した幻想の中心で妖怪の賢者たる八雲紫と、既に普通などではなくなってしまった白黒の魔法使いが、今ここで衝突する。

 

 

 その勝敗がどうなろうと。

 

 

 その勝負がどう終わろうと。

 

 

 その決意がどう傾こうと。

 

 

 ――自分の理想こそが正しいのだ。

 

 

 雨が降ってきた。小さな雨粒が降り注ぐ。――そう、霧雨だ。

 

 哀しい理想を抱く者と、今在る幻想を守る賭けをする両者の戦いが。

 

 

 終わらない雨が、降り始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





霧雨、未だ止まず。

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