「起きて、ヨキリ?」
寝ぼけ目を半目開き、目の前の天井を見つめる。そこには金髪紅眼、可愛らしい顔立ちの小さな小さな吸血鬼の姿。
「ああ、フランドールか……」
フランドールとの
「そう、私。もう朝だよ? 人間は起きる時間でしょ?」
「……ん、あ、あー。まぁそうなんだけどなあ」
確かに朝になったらヒトは起きるわけだけど、別に起きなきゃいけないワケだってないし。昼行性に従う理由だってないし。
「そんなこと言ったらフランドールは寝てる時間だ。君、吸血鬼だろ」
夜の帝王、吸血鬼。
文献にもある通り、彼らは昼の間に力を蓄え、夜の間にその驚異的な異能を発揮する種族だ。ならば、幼いとはいえ吸血鬼なフランドールは寝ていなければならないのではないか。
「そうなんだけどね。眠れなかったの!」
と、無邪気に言うフランドール。人外な体力を持っているとは言え、彼女も彼女で十分疲弊しているはずなのだが。
「明日が楽しみすぎて! 眠れなかったの!」
そう遠足を心待ちにする子供みたいに、にっこりと笑ってた。
「………そう、なるほど。それじゃ、しょうがないな」
そう言って、夜霧も身を起こす。疲れているし、今日は半日以上寝てやろうと思っていたが、起こされてしまっては仕方ない。まだぼーっとして微睡んでいる目を擦り上げて眠気を覚ます。
「おはよう。フランドール」
「おはよう、ヨキリ」
そんな暖かな時の話。
これが、勇気を出して進むことにした魔法使いが掴んだ、とても優しいひと時だ。
「……あ、そう言えば」
「どうした、フランドール?」
「お姉様が呼んでたよ。『早く起こしてこい』って」
「――それを早く言って!!」
優しいひと時、終了。
夜霧はそれを聞いて、玉座の間へと早朝寝起きダッシュをするハメとなった。
◇◇◇
「遅い」
「申し訳ありません! お嬢様!」
先ほどの心地よい微睡みは何処へやら。急いで駆けつけた夜霧に待っていたのは、眠たそうに重い瞼を開けているレミリアと、相変わらず瀟洒に着こなしたメイド服の銀髪、咲夜の険しい表情だった。
そんなモノを目にした夜霧が取る行動は、一に謝罪、二に敬服の動作をすること。すなわち、玉座に座るレミリアへと跪くのだ。
「……別に、そこまでしてほしいなんて言ってないのだけれどね」
しかし悪い気はしないレミリア。そういう行動をする者がいると、二次関数よろしく放物線のように自身の威厳――すなわち、カリスマが強まるからだ。
「まあいいや。よい、顔を上げなさい」
「はっ」
そんな二人のやりとりは、ありがちなセリフを言ってみた子供と、それに付き合うお兄さんのようにも見える。
「コホン……茶番はここまでにしましょう。あなたを呼び出したのは、他でもなく。例の『契約』のことよ」
「……契約、ですか」
複雑そうな顔をする夜霧。そんな彼に咲夜は問いかける。
「どうしたのよ夜霧。あなたはやり遂げたのでは無くて?」
「いや、まぁそうなんだけど……そうなのかな?」
「なるほど、夜霧。お前は契約をまで果たせていない――そう感じているのね?」
「……はい。その通りです、お嬢様」
「それはお嬢様……どう言う意味ですか?」
ため息。レミリアの口からため息が漏れる。
「まず。私と夜霧が結んだ契約の内容、覚えてるわよね。咲夜」
「……妹様を狂気から救い出し、地下室から連れ出すこと。それだったはずです。そしてそれならば、もう契約は達成されたはずでは?」
「そう、達成されたはず。なのに夜霧……そして私の両者とも、契約が果たされたとは思っていない。そうね、夜霧?」
「……俺は、まだフランドールを救えていないんじゃないかって、そう思うんですよ」
拳を握り、また開く。掴んだ実感はあった。そしてそれを手放すことなく、今ここに立っている。……しかし、まだ
「正解。そうよ夜霧。フランドールは……我が妹は未だ狂気の檻の中ね」
「……ならば、どうすれば妹様は救われるのでしょう?」
咲夜が問う。あれもダメ、これもダメ。もはや八方塞がりのようにも思える状況に対する策が、我が主にはあるのだろうか。
「咲夜さん」
しかし、その問いに答えたのはレミリアでは無く。それの契約相手、夜霧だった。
「そんな方法は、無いと思います」
「――? どういうことよ。夜霧」
「お嬢様。一つ質問をいいですか?」
「何よ」
「あなたは――レミリア・スカーレットは、
「まさか、……夜霧」
レミリアの性格を熟知し、大体の行動の意図を察することができるくらいには、咲夜は主のことを理解している。
それゆえに分かってしまうのだ。いま、夜霧はどう言う意図で、どう言うつもりでそんな質問をレミリアに投げたのかを。
「……へぇ、そう訊くのね」
そして、感心したように返事を返すレミリア。
「なぜ、そう思うの?」
「……フランドールと戦って、思ったことがあるんです。彼女は、生まれついて狂気に囚われている」
「そうね。そして私はひどくなっていく狂気を抑えきれないフランドールを……隠すように地下に閉じ込めた」
「違うだろう。貴女は、」
「いえ。“隠して、閉じ込めた”のよ。その事実に、変わりはないわ」
頑なに否定するレミリア。恥だとでも思ったのだろうか。とにかく、そのことについてレミリアは認めたくないようだ。
そしてそれをまあいいやと割り切った夜霧は話を続ける。
「……生まれついて狂気を持った彼女には、すでに狂気が染みついている。それこそ
「結局、何が言いたいの?」
「――彼女を狂気から救うっていうのは、彼女の人格を壊すことになるんじゃないのか。……と、思ったんです」
生まれついた時は、些細な一要素でしか無かった『狂気』。しかし成長につれてそれはどんどんと肥大していき、次第に人格の奥深くへと根付いてしまった。――つまり、彼女には元より、狂気が組み込まれている。……狂気から解き放つとは、人格から狂気を取り除くと同義だ。その後に残るフランドールは、本当に今までと同じフランドールなのか。
――おそらく、違う。後に残るのは、誰も知らないフランドール。元のフランドールは、きっと“死ぬ”ことになるだろう。
「その上で、貴女は『フランドールを狂気から救ってほしい』と契約をした。まさか貴女は、今の妹を……殺すつもりなのか?」
「はぁ、恐れ入ったわ。そこまで考察するなんて」
緊張が解けたように、レミリアが脱力する。そして言う。
「そんなワケないでしょ」
「……ま、それは分かっていましたがね」
と、夜霧。大体妹のことを少し口にしただけでグングニルを突きつけてくるくらいの妹への愛――もとい、シスコンなのだ。そんな彼女がフランドールを殺す可能性? 無いに等しいだろう。だから夜霧が確かめたかったのはそこではなくて、
「して、俺とお嬢様の契約はどうなるのでしょう?」
この部分だ。
「なるほど……お前は、私が契約を破棄することを恐れているのね」
「それは当然です」
レミリアと契約できない。つまり運命を変える――未来を変える手立てが潰れる。そんなことは絶対に避けたい夜霧。そのための契約、そのための対価だったはず。しかしレミリア、そして夜霧自身も、その対価は払えていないとした。……これは、契約破棄と同義なのではないのか。夜霧はそれを恐れている。
「ま、そんな心配は杞憂ね」
レミリアが一言、そう言い切る。
「対価は必要。でも肝心のそれはなんでもいいのよ。血でもいい、腕一本でもいい、極端な話だけど髪でもいい。私はそんなのいらないけどね」
「だとしても、あなたの提示した対価を俺は払えない。――払えやしないですよ?」
「話は最後まで聴くものよ、夜霧。確かにお前は対価を支払ってはいない……でも、それは先ほどの話。言わば、前払いよ」
「前払い?」
対価の前払い、と。確かにレミリアはそう言った。――つまりだ。
「……まだ、対価を寄越せって言うんですね?」
「正解」
「ズバリ、それはなんでしょうか?」
「貴方の時間よ」
ここにきてレミリアは、夜霧に血でも身体でも、心でもなくもっと概念的な――時を求めてきた。これはどういうことなのか。レミリアは続ける。
「漠然としていると思うかしら? 私はそうは思わない。何故ならね、私が要求する時間とは自由と同義だからよ」
「自由ですか。つまりお嬢様は俺を紅魔館に縛り付けておきたいと?」
「逆よ、むしろ出てってほしいわ」
「あ、それは世知辛い」
と言いつつ内心そうは思ってない夜霧。
ここまで来ると、イヤでも察せる。レミリアは夜霧に何をさせたいのかを。
「――つまりお嬢様、貴女は俺にフランドールを連れ出せと言うのですか」
「よーくわかってるじゃないの」
「ちょっとお待ちくださいお嬢様」
その発言に冷静を装いつつ、内心慌てふためくメイド長、咲夜。
「どうしたのよ。普段の調子は何処へやら。それじゃ完璧でも瀟洒ではないわよ?」
「いまはそんなことよりも、正気ですか? 妹様を外に連れ出すなど……」
「私は正気よ。心配性ね、咲夜も。大丈夫よ、どうせ
「そのトラブルで、紅魔館が傾いたらどうするのでしょうと言いたいのです」
「それで私が諦めるとでも?」
「いいえ。ただ目先のことだけで、計画性が無いなぁ……と。そう思ったまででございます」
主の言葉に棘ある反論を返す従者。
従うだけでのしもべなど退屈だ。このくらい噛み付いてくれた方がこっちも張り合いがあるというもの。
――普段はそう言って憚らないレミリアだったが、さすがに今の言葉にはカチンと来たようだ。
「うるさいわねぇ……! だいたいあなたはいつもいつもどこか理屈っぽいのよ!」
カリスマ、オフ。そこにいたのは、先ほどまでの威厳が嘘みたいに思えるほど、見た目通りに駄々をこねて感情のままに喚き立てる幼き少女――もとい、幼女だった。
「えーと。あの、レミリアお嬢様?」
「悪いけど夜霧。部屋に戻っててくれないかしら。私は今から頭の固いメイド長としっかりお話ししないといけないから……!」
「あら? 頭がお固いのはお嬢様の方では無いのでしょうか。であればこの十六夜 咲夜、しっかりと治療させていただきますけれども、いかがいたしましょうか」
「なっ! ――言ったわねこの駄メイド!」
「言いましたとも!」
従者と主の、止めようの無い喧嘩が始まる。しかもその理由が主の妹の処遇についてだからわからない。
「……戻るか」
そんな二人を尻目に、結果は後で聞こうとそそくさと立ち去る夜霧であった。
◇◇◇
誰か私を、助けてよ。
暗く、狭く、低く、紅く、浅かったこの
ここに居ても、誰かも来やしないだろうよ。
――そうかもしれない。けれど私は、待っていたい。
どこに居ようと、お前には誰も関わらないだろうよ。
――そうなのかもしれない。けれど私は、信じていたい。
待っていれば、信じていれば。
そう盲目に
待っているのは、狂気だけだと知っていただろうに。
喘ぎ、苦しみ、もがいたとして。
誰がそれに気付くのだろうか。気付いたとして、誰が私などに手を伸ばすというのだろうか。
壊すための力を持ち、壊すことしか許されなかった自分に許されることもまた、壊れるのみ。
狂え、叫べ、唸れ、喚け。その声は反響し、私の耳を貫くだろう。
そうしてまた、私は一人で哭いている。
……どうしてだろうか。
その理由は明白だった。
彼女はまだ、信じていたかったのだ。
気にかけられているよと、愛されていると分かっていたから、信じてしまっていた。
あらゆるものを壊す。――その行為に一つ、罪悪感が生まれる。
壊す。その罪悪感を握りつぶす。
壊す。それに対する悪寒を握りつぶす。
壊す。止まらない吐気が身体を襲う、苦しい。気持ち悪い。それらを一切合切握りつぶす。
――壊す。そう感じる自分の意思が、もはや邪魔でしかない。握りつぶす。
そこに残ったのは、ただのフランドールでした。
「………………」
そんな夢を、彼との出会いの後に見てしまった。縁起が悪いどころじゃない。不吉でしかない。
そう、やけに現実味があって……まるで、自身の未来を見せられているよう。
「……気持ち悪いわ」
いづれ、ああなるのだろうか。狂気に染まり尽くした哀れな少女は、やがて自分まで壊してしまうのだろうか。
「そうは、なりたくないな」
拳を握りしめ、開く。片手には長方形の白紙。少し魔力を込めれば、
でもそれはせず、私は歩くことにする。雰囲気でわかる。今は朝だ。人間は起きて、妖怪は寝る時間。でも地下暮らしにはあまり関係のないことだから、構わずに行こう。
コツンコツンと、廊下に私の足音が響く。普段は地下から聞こえるモノでしか無かったのに、それを今や私が奏でている。
「……あは」
楽しい。こんな当然のことが、素晴らしいことのように思えて来る。
だけど、そんな楽しい時間はすぐに終わってしまう。
「あ、……フランか」
「――お姉様」
最悪のタイミングだ。朝だからと油断していた。偶然朝に起きて、偶然散歩中だったレミリアお姉様と私は、廊下のど真ん中でばったりと遭遇してしまう。
何かを話さなくては……。そう思ったけれど。
「……その、あの。おはよう、フラン」
驚いたことに、お姉様から言葉を発した。完全に不意をつかれた。まだ心の準備も出来てなかったのに、挨拶された。
「…………おはよう、お姉様」
声が震えている気がする。でもそれなら、お互い様だし問題は無い。
「じゃ、じゃあフラン。一つお使いを頼まれてくれない?」
「な、なに?」
「あー、あいつよあいつ……夜霧に早く起きなさいって言ってくれないかしら」
「……自分で行けばいいじゃん」
「……………うー、」
しまった、これは間違えたかもしれない。こういう時は……っと。
「わ、わかったよお姉様! ヨキリを起こして来るよ!」
そう言って逃げるが勝ち!
「あっ、待ちなさいフランっ! ……もう」
そんな声が、朝早く紅魔館に響く。
ぎこちなく、どこかズレたままの会話。どちらも本心だから、そこに茶目も嘘も冗談も交えられない。つまらなくて短絡的だけど、私たちに本当に必要なのはこういう会話なんだ。
……そう思うレミリア。あとたぶんきっと、フランも思っているだろう。
コツンコツンと、さっきよりも早いペースで足音が刻まれる。
確かに、私は壊れているさ。普通じゃ無いさいさ。――でも、それならそれでいいじゃんか。
こんな私を、愛してくれる人がいる。こんな私を、大切に思ってくれる人がいる。
――私に、その大切なことを教えてくれた人がいる。
扉を開けて、ベッドに横たわるその人を見る。ぐっすりと、熟睡してるようだけど。
「お姉様の頼みなのよね」
身体を揺さぶり、眠りを覚まさせる。多少悪い気はするけれど、こんな時間まで寝ているヨキリもヨキリだ。仕方ない。
「起きて、ヨキリ?」
こんな日を、ずっと夢みてたような。
だから、助けてくれと喚くのは、もうやめよう。そんなくらいなら、自分で哭き止んでやる。だって、今はそれさえ支えてくれるみんながいるから。
紅い紅魔の妹は笑う。無邪気に、そして無垢に。もう哭く理由なんてない。
……哭す少女の物語は終わりを告げる。これからの彼女が刻む物語は、そんな涙とは無縁なはずだから。
Episode.1『狂乱と慟哭の吸血鬼』
――End.
いやぁ、長かった。第1章、ようやく完です。
あとは裏設定ぶちまけて終わりかな。