激戦の後。血液とナイフとボロボロになった壁面の破片が散らばる廊下には、二人の人間がいた。
一人はメイド服の少女。綺麗に調度されていたであろう服装はところどころ黒く汚れて、破けている。三つ編みおさげの銀髪も、いまは乱れてめちゃくちゃだ。
そしてもう一人はローブを纏う少年。とは言え、そのローブは刃物で何度も切りつけられところどころ破けていて、これがローブだとは一目でわからないくらいに、最早原型を留めていない。
共通するのは、大怪我が無いこと。それと傷だらけなこと。いずれも弾幕ごっこの戦闘後に見られる特徴だ。弾幕ごっこだって死ぬときは死ぬ。いまだってそうだ。夜霧と咲夜は遊びの中で、確かに命を奪い合っていた。
結局そのやり取りは、咲夜のダウンと言う形で終わりを告げた。元より命名決闘の根底には妖怪と人間の共通娯楽という要素だけでなく、安心安全な戦闘を、と言う血生臭い従来の決闘を否定する要素もあるのだ。命名決闘で故意に命を奪う様なことは無いし、決して許されない。もしそのルールを故意に破るようなことがあったとすれば。
――きっとその時、あの妖怪の賢者は黙ってないだろう。
そんなことを、疲労とダメージのせいではっきりとしないアタマで考える夜霧。
「……痛ったいわね、いたいけな少女の腹元に飛び込むなんて。いい度胸してるじゃないの」
傷だらけの身体を起こしながら、近くの壁にもたれかかりながら咲夜が、いたずらを成功させた子供みたいに無邪気な表情で言う。
「そうでもしなきゃ勝てなかった。と言うか、ナイフを弾幕にして戦う女の子のどこがいたいけなんだ」
「私ほど垢抜けた女性は、幻想郷には数える程もいないと思うわよ?」
「あー、はいはい。悪かった悪かった。さすがメイド長だ。……強いよ、やっぱり」
それを、噛みしめるように、懐かしむように言う。
それは未来、夜霧にとっては過去のこと。それを想起しているように見えた咲夜は、一瞬にして夜霧の前へと現れる。時間停止。能力を使用したのだ。
「あなたもね、夜霧」
「まぐれみたいなモノだと思ってる。もうすっからかんだ。一歩も動けない」
全力、死力を尽くしたとも言っていい。それくらいの力を使い果たすつもりで咲夜と戦っていた。それこそ、一歩も動けなくなるくらいに。だが咲夜は、見ての通り時間停止が出来るくらいにはまだ体力に余裕があるようだが。
――これは『咲夜が手を抜いた』と言うよりは、『咲夜は余裕を持って全力で戦っていた』と言った方がいいだろう。その結果、夜霧は勝ったが立ち上がれないくらいに疲労し、咲夜は負けたが歩き回れる体力が残った。……要するに。
「あなた、戦い慣れしてないんでしょう?」
「……そんなことは、」
「じゃあ言い換えるわ。……あなた、戦い方が下手くそよ」
それを聞いた夜霧は、困惑した表情を咲夜に向ける。
「どういう意味?」
「どうもこうも、燃費が悪いのよ。勝つのはいいけど、その後にへばってたら訳ないわよ。……とにかく、こんなところじゃ回復もできないし、妹様に会わせるわけにもいかない」
それだけ言うと、咲夜は夜霧の右手を掴み、自身の肩に担ぐと、そのまま廊下を歩き始めた。
「いいからあなたも歩きなさい。私だって結構ギリギリなんだから」
「……咲夜さんは、」
「なに?」
「俺のことを、信用できないんじゃなかったんですか?」
消え入りそうな声で訊ねる。そうだ、いまのいままで戦っていた理由を忘れていた。そもそも彼女は、自分を信用できなかったから戦いを仕掛けたのでは無かったのか。なのにいまは手のひらを返したように気にかけてくる。それは何故だ。
……まさか、信用してくれたのだろうか。心のどこかでの期待は隠せない。――しかし、その予想に反して咲夜は。
「信用してないわよ?」
「……へ?」
あっさりと期待を裏切っていった。
「ああ、訂正するわ。あなたの話を信用できないのであって、あなたは信用してるわ」
「……それって?」
「ノンディレクションレーザーにマスタースパーク。二つも同じスペルにミニ八卦炉。それだけ見せられたらあなたが魔理沙の関係者だということは信用するしか無くなるわよ」
二つとも、魔理沙のスペルカード。それだけ見れば、夜霧が魔理沙の関係者……弟子だということには納得がいくだろう。
「だけど、それとこれとは違いますよね」
「それは?」
「俺の信用には繋がらないだろうってことです」
弟子だということがわかったら、自分を信じる。それは率直に無いだろうと思った。だいたい話の信憑性と信頼するかどうかは全く無関係だし、そんなに咲夜は甘く無い。だから、彼女が自分を信頼する理由がわからない。……しかし咲夜は。
「ああ、ちゃんとあるわよ。理由も」
夜霧のささいな疑問を払拭するように咲夜は続ける。
「あなた、そっくりなのよ」
「……誰に?」
「霧雨魔理沙」
「――!」
……いま、咲夜の脳裏にはあの弾幕ごっこのワンシーンがはっきりと映し出されていた。
あのスペルカードの宣言と共に飛び出した極光を……少し眩しいくらいに派手な、普通の魔法使いの姿に重なったあの瞬間を。
「だから私は、あなたを信じるわ」
「……咲夜さん」
激戦の後、傷だらけで廊下を歩く二人。その表情は、一点の曇りも無く晴れやかそのもの。最早未来の話が信用できないことも、話が信用されないことも、どうでもよくなっていた。
朧気に揺らめく月の下。魔法使いとメイドは、紅魔館地下の大図書館。紫色の魔女、パチュリー・ノーレッジを目指して歩き出した。
◇◇◇
――来客が来た。そのことをいち早く察知したのは、門番でもメイド長でも主人でも幽閉された者でも無い。引きこもりだ。地下に篭りきりの魔女パチュリーだった。何故地下室暮らしの彼女が、それをいち早く察知できたのか。それは、今日が月に一回の大図書館新刊入荷の日だったからに他ならない。
新刊入荷……外の世界からの新しい知識。つまりあのコソ泥棒、霧雨魔理沙にとっては獲物が大量に増える絶好の機会。それ故にパチュリーは警戒していた。紅魔館全体に感知型結界を展開して、使い魔を外中のあちこちに潜伏させた、万全すぎるくらいの体制だった。
しかし、
それもそのはずだ。夜霧が魔理沙の前から急に消えたせいで、魔理沙はその事ばかり考えている。つまり、大図書館のことなど頭からすっぽり抜け落ちていたのだ。
「対策が無駄になるじゃないの……」
来ないなら来ないでいいのではないか、そう思えそうなモノなのにパチュリーはどこか不満げ。茶化すように、「もしかしてパチュリー様、あの白黒が来るの楽しみにしてました?(笑)」と言った小悪魔は数時間後、おぞましい数の本の山に埋もれていた。いったい何があったのでしょう。
油断した頃、結界を超えて誰かが踏み入った。その知らせは直接術者へと、パチュリーへダイレクトに届く。
「これは魔理沙……!? イヤ、でも……」
感じたものは違和感だった。魔理沙のようで、魔理沙では無いような。同じだけど、ちょっと違う曖昧な感じ。そんな本命なのかそうで無いのかあやふやな侵入者に対して、使い魔のレーザーをぶっ放す程パチュリーは豪胆では無かった。……豪胆と言うよりは無謀では無いというか。
とにかく様子を見るようにした。美鈴と弾幕ごっこをしていても、レミィと対峙していても無干渉に徹していた。さすがに咲夜とガチの弾幕ごっこを開始した時は驚いたが……それでも私は無干渉を貫いた。それも全部、侵入者の正体が得体の知れないままだったから。
――しかしそんな警戒も杞憂に終わる。突然大図書館の扉が開いたのだ。どさどさと誰かが入って来る。片方は見慣れている銀髪のメイド服、咲夜だ。しかしもう片方がわからない。ボロボロのローブに適当にボサボサの黒髪。彼が例の侵入者だろうか。いいやそんなことより。
「謎の侵入者、ね……」
目の前の二人を視界に捉えて、思わずしかめ面をしてしまった。何故なら――。
「あはは……」
「すみません、パチュリー様」
あの得体の知れない侵入者と、うちのメイド長が仲良く傷だらけで大図書館に乗り込んで来たのだから。……そんな二人に、パチュリーは。
「意味がわからないわ」
そんな、全く歓迎するつもりのない素振りを見せるのだった。
「ま、取り敢えず座りなさいよ」
どっしりと大きな椅子に腰掛けるパチュリーが指をクイッ、と動かすと、木製の椅子が夜霧と咲夜の前にどこからかやって来る。背もたれにふかふかのクッションが付いた、見るからに座り心地の良さそうな椅子。それに両者が座ると、パチュリーは話し始める。
「それで? 咲夜はともかくとして貴方は誰よ?」
「霧雨夜霧、魔法使いやってます」
「魔法使いねぇ。それと、霧雨?」
「あー、それはですね……」
「そうだパチュリー様。
私は、という部分をあえて強調して咲夜が言う。
「彼、未来から来たそうですよ」
「……詳しく聞かせなさい」
その咲夜の一言を聞くと、パチュリーの目の色が変わる。
やはり。パチュリーは食いついた。魔法使いとは知識欲の塊。無知なことを受け入れることができない種族だ。ある意味一番獰猛で……はしたなくて下品なヤツらなのだ。だから情報にはハイエナの如く食いつく。
と、自分がそんなヤツらの中の一員であることを、自虐して卑下しながら思う夜霧。故にパチュリーの考えていることもわかる。
「そもそも……元より、そのつもりでしたから」
――だから、パチュリーもそれに食いつく。貪欲に、齧り付く。
夜霧はレミリアに語ったことと同じ事を語った。話の最中、パチュリーがかなりの間隔で質問をねじ込んで来たので、レミリアの時よりも話が長くなってしまったが。……さすがのパチュリーも、地下室での出来事には、一言も口を挟まなかった。
そして話が終わり、パチュリーが一言。
「信用し難い……とも、言えないような……」
目の前の紫帽子の少女は腕を組み、深く考え込む仕草をする。
何度も「うーんうーん」と唸るのを繰り返し繰り返し、ようやく顔を上げる。
「確かにそれじゃ、咲夜が信用できないっていうのも頷けるわ」
「そうですかね?」
「そうね……だけど、それにスキマが関わっているなら話は別。なぜかはわからないけどあのスキマならそれくらいできても不思議じゃ無いとも思えるのよ」
「はは……確かに」
思わず苦笑いをしてしまう。
境界を思いのまま操る常識では測りしれぬ神のような、夢のような権能。きっと一度でもその片鱗を目にしてしまえば、妖怪の賢者たる彼女の強大さを嫌でも思い知ることだろう。
それこそ、時を超えることなど造作も無いと思えるくらいに。
「あと、妹様……フランを助けたいって?」
「ええ、そのためにも――」
「無謀よ」
パチュリーは夜霧の発言を遮りながら、一言で切り捨てる。
「……………何故ですか」
「あなた、失敗したのよね? ……ならわかるはずよ。その行為は無駄に終わるって」
「なぜ無駄だと?」
「……フランドールは、水よ」
水。沸点百度、凝固点0度の溶媒に適した分子化合物のH2O――。いいや、これは違うか。
「禅問答ですか?」
「そんなことを言ってるんじゃない……いい? これは在り方の問題、気質以前の問題だわ。彼女の場合、生まれた時から狂っていたそうじゃない。それはつまり――」
「元々狂っているんだから直しようがないだろうって、そう言いたいんですか?」
「…………ええ、そうよ」
少し詰まったように溜息を吐いて、それからはっきりと言い切るように言い捨てる。
一度対峙して敗れたからわかる。彼女はどこまでも純粋に狂っているのだ。彼女は産まれたその時ならあの色のまま。珈琲に砂糖を幾ら溶かそうと黒は黒のままで変わらないように、元々狂った紅い色をしていたのだ。
――本当に? 本当にそうなのか?
「違う、それは違うな」
「……どういうことよ。私の言っている意味がわからないって言うの?」
「わかるよ。わかるからこそパチュリーさん、あんたは何をそんなに怖がっている?」
「――!?」
目を見開く魔女。よく見れば、その身体は震えていた。自分の言葉を自分で言い聞かせるように。この判断こそが間違っていないのだと、目の前の魔女は自分に言い聞かせるようにしていた。
そうまるで、可能性を棄てるみたいに。だけどそんなことは無い、そんなハズは無いと否定する。
「俺の話をパチュリーさん、あんたが信用するかしないかは置いておく。でもこのまま放っておけば妹様は……フランドールは確実にもっと深くまで狂っていく。そんなことは絶対にイヤなんだ」
「………………」
パチュリーは何も言わない。しかし、無言で次を促していた。
「フランドールは救える。これは確信だ。でもあんたは諦めている……なぜだ?」
「………………」
「あんたほどの魔女が、諦めるなんてらしくないんだ」
「それは、挑発かしら?」
苛立ったような発言の後、アンニュイな敵意の視線が向く。
咲夜も合わせて見つめる。心配するような、切り返しを期待している視線。
「違う、俺は助けたいだけです」
パチュリーだって、何もしてこなかった訳では無いのだ。なんとかしようとしたから、無謀だと言い切れた。レミリアは夜霧を……未来から来た可能性に賭けたのだ。しかし咲夜とパチュリーは、簡単には賭けられない。レミリアとは違い、運命の道筋という分かりやすい目印が無いのだから。加えてパチュリーには、魔法使いとしてのプライドが邪魔をする。
自分より明らかに格下の夜霧が自分に出来ないことを成し遂げるかもしれない……小さいと思われるかもしれないが、これだけでも相当の屈辱なのだ。だから、自身の無力さを呪うようにパチュリーは唇を噛みしめていた。
そしてその裏に隠された、筆舌に尽くせ難い感情がパチュリーを戸惑わせる。
このざわざわする感覚、もどかしくて、苛立つこの想いはなんだろうか。
睨みつける視線の奥で戸惑いつつ思うこと。突然やってきた未来からの使者。そして、自分に出来なかったことをしようとしている者。
――そのことが、自分でもわからないくらいもどかしいのだ。
「霧雨夜霧、あなたはどうしてフランドールを助けようと思うの?」
その疑問は、自分でも驚くくらいにすんなりと問うことができた。それと同時に胸の奥がすっとする感覚を覚える。そうまるで、その言葉がずっと言いたかったことみたいに。そしてその問いに、夜霧ははっきりと答える。
「俺は、無理なんですよ」
「――?」
「一度見てしまった。そして救おうとして失敗した……そんな後にもう一度、救うチャンスが出来たんだ。それに食いつかないほど、俺は器用じゃないんです」
――ああそうか、この人間。根っからのお人好しか。
「……私には、チャンスがあった」
パチュリーは、ぽつりぽつりと話し始める。肩の重荷を降ろすような、そんな気持ちで。
「あなたと違って、私は常にフランドールの近くにいた」
それはあくまでも、救うためではなく拘束するために。それが自分の意思であったかどうか、今ではもうあやふやだ。
「そんな中でも、フランドールを救おうと試みた……だけど無理だった。はっきり言うと、諦めかけている」
そう、これはパチュリーにとっての自白だ。なぜ頑なに夜霧の行動を無駄と評すか。それは他でもなく、それが無駄だと自分で体験してわかっていたから。
「それでも私は、救いたかったのよ。自分の手で彼女を」
それは勝手だと、虫が良すぎると思われるかもしれないが、それでもだ。
パチュリーは一冊の本を本棚から引き寄せると、それを雑多に夜霧の方へと放り投げる。
「なんですか」
「私の何冊かあるグリモワールのうち、結界の魔法をまとめたモノよ。……少しくらいなら、戦力になるでしょう」
「……無謀なんじゃないんですか」
「ええ、確かに無謀ね。現に私がそうであったから。でも、可能性がゼロでないのならやってみる価値はある。そう思えたのよ」
パチュリーは救えないとは一言も言っていない。ただ自分が救えなかっただけで、彼なら出来るかもしれないと思ったのだ。
本当にそれだけの話。プライドと自身の心に少し目を瞑って考えた結果だ。その目を背けていた思い、それはきっと。
「結局、私は友人の妹を救いたかっただけなのよ」
「……優しいんですね。パチュリーさん」
「血も涙もないわけじゃ無いのよ」
あの血に塗れた光景の中、文字通り狂い笑うフランドールは、
「俺を信じてください。――絶対に、助けてみせますから」
「……………はぁ」
夜霧が握手を求めて右手を伸ばす。それを見たパチュリーは強張った表情から力を抜くと静かに微笑む。
「いいでしょう。うちの主様も元より協力するつもりなのだから。今更になるけど、私も協力しましょう。改めて、パチュリー・ノーレッジ。宜しく頼むわ、霧雨夜霧」
伸ばされた片手を握る。この男を見ていると、あれこれ考えていた自分がバカらしくなっていく。
パチュリーは考えていた。自分のフランドールを救いたい気持ちがどこから来ているのかを。そしてその答えは、ただ友人の妹を助けたいなんていう、青臭い友への情だったわけだ。
諦めないレミリアに従って色々やった。紅白の巫女と白黒の魔法使いを地下室に誘った時も……きっと、惰性だった。それなのに辞められなかった。心の何処かでまだ救いたいと思っていた。
そしてそこに魔法使いとしてのプライドなんて、無粋もいいとこだったというわけだ。
フランドールを絶対に救う。いまはそれ以外に想いは要らない。
紫色の引きこもり系魔女は、ようやく気付いたみたいだ。
それにしても亀展開だなって。話の広げ方が下手くそでごめんなさい! でもだからって無理やり話を進めると広げた風呂敷を畳めない状態になることが目に見えている……難しい(確)。ていうかこの物語って夜霧くんが魔理沙とうんたらかんたらでバトルする物語の予定だったのにナー、おかしいナー。