邪教の幹部に転生したけど、信仰心はありません 作:ellelle
その昔、彼の偉人はこう言った。天才とは1%のひらめきと99%の努力である。
よく誤解されがちな言葉ではあるが、聡明な諸君たちならば知っていると思う。
つまり、1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である。
要するに天才とは1%のひらめき、ひいては1%の要領が必要なのだ。
ではここでいうところの要領とはなにか、物事を処理する能力や作業時間の捻出に他ならない。
それは一流企業に於いてもっとも求められる資質であり、その人間性を推し量る為の重要な
それでは改めましてこんばんは。
先ほど仕事を終えて帰宅したばかりの新入社員、ヨハン=ヴァイスとは私のことである。
とある企業に勤めるサラリーマンにして
人魔教団、憤怒を司る原罪司教。
人魔教団の中で新たに新設された部署、憤怒の
入社当時から役職付きの
名目上は管理職だが、そのじつ部下もいなければ資材も乏しいような部署である。
人材不足のために全ての仕事を一人でこなしているため、既にデスマーチを彷彿とさせる仕事量だった。
しかし、それも今日という日を境に改善される。
私の下に配属された新人は、多少感情の起伏が激しいもののそれさえ除けばかなり優秀だろう。
リスクを恐れない戦い方とひたむきな姿勢、セレスト=クロードという人間には非常に好感がもてた。
あれだけのダメージを受けながらそれでもなお一矢報いたのだから、その実績を考慮したうえで話し合わなければならない。
職場環境に関する取り決めや今後の処遇について、彼女とコミュニケーションを取ることも必要だろう。
だからこそ頃合いを見て私は自室を後にすると、わざわざこうして彼女を寝かせている部屋まで出向いたわけだ。だが、ドア越しに聞こえてきた声がね――――――
「違う、あなたはあの男に騙されているの!」
「うるせーです!
どうせそのばいんばいんでご主人様を誑かして、あわよくばシアンから奪い取るつもりだったくせに!
ご主人様の正妻であるシアンを騙そうだなんて、なんて意地悪でハレンチな大人です!」
ばっ……ばいん、ばいん?
確かに私の使用人は少々舌足らずではあるが、まさかドアノブに手をかけたまま固まるとは思わなかった。
そもそも言葉のキャッチボールができておらず、むしろお互いにバットを構えたまま
目を覚ましたときに同族の者がいれば落ちつけると思ったが、まさかその気づかいが裏目に出るとはな。あまり期待もしていなかったが、それでもこの状況はさすがに予想外だった。
無意識のうちにこぼれたため息はとても深く、私は目の前のドアを数回ノックした後に足を踏み入れた。
よもや味方だと思っていた使用人に撃たれるとは、やはりシアンには最低限の教養を身につけてもらおう。
「あっ、ご主人様!」
「ちっ……」
私に抱き付いてくるシアンとは対照的に、彼女。セレスト=クロードの顔は清々しいほどむくれていた。
あそこまで露骨に舌打ちされるとも思わなかったが、この後に及んで御機嫌伺いをする気もない。
そもそも管理職である私が部下に媚びるだなんて、それこそ同僚たちの笑いものである。
無能の烙印を押されれば上司の覚えも悪くなり、悪い噂や常識のない部下はそれに拍車をかけるだろう。つまりは私の出世に影響するのだ。
ここは毅然とした態度で彼女と向かい合い、そのくだらない誤解から解くとしようか。
「なによ……この変態」
そこから先、私は彼女の誤解を解くために尽力した。
闘技場での非礼を詫びると共に獣人族に対する認識が甘かったと認めて、そのうえで己の勉強不足を素直に謝罪した。
彼女の表情を見るからに理解はできるが納得はできない――――――と、おそらくはそんな感じだろう。
一応、私が幼女好きの変態ではないと念を押したが、それを彼女がどう捉えたかは別問題である。
全く、やはり第一印象が悪すぎたようだ。
人付き合いの八割は第一印象で決まる。
社畜時代の上司から教わったありがたい言葉だが、確かにそれは言い得て妙だった。
「シアン、聞いての通りだ。
耳や尻尾に触る行為が獣人族にとって特別な意味を持つならば、私はお前のそれに触れることはできない。
それはお前という個人を守るためであり、私の人間性を疑われないためでもある」
今更シアンから求められたのだと弁解したところで、それをセレストが信じてくれるとは思えない。
本当にシアンから言い出したことなのだが、そんなことを必死に主張しても時間の無駄である。
彼女の中にある私のイメージは
「どうしてです! シアンはご主人様に触られるのが好きです!
もっと、特別なことされたいです!」
「いや、待て。話をややこしくするな」
永久凍土よりも冷たい視線が私を貫き、一旦私はその元凶でもあるシアンを部屋の外へと追いやった。
シアンがいては誤解を解くどころか、そもそも話し合いのテーブルにすらつけない。
不満気に口を尖らせていたシアンだったが、その頭を軽く撫でてやれば素直に出て行ってくれた。
ふむ、なんともちょろい幼女である。
「ここはどこ、もしかしてあんたの屋敷?」
そこは人魔教団の所有物件であり、私の世界でいうところの社宅にあてはまる。
家具の一切から消耗品に至るまで、ありとあらゆるものが揃えられていた。
レオ〇レスもビックリのサービス精神、これも全ては私に対する期待の表れだろう。
「私をどうする気? あんたの慰み者になるくらいなら私は――――――」
そして私たちが今いる部屋はこの屋敷でいうところの客室にあたり、気絶している彼女をこの部屋で寝かしつけていた。
命に別状はなかったものの、中々目を覚まさない彼女を待っているほど暇でもない。
だからこそこの場はシアンに任せていたのだが、まさかそんな風に思われているとはな。
よくぞそこまで人の善意を無視したものだと、その才能にありったけの皮肉をプレゼントしたい。
慰み者? 全く、誤解を解くのにもいい加減疲れてきた。
私は彼女のくだらない妄想を一蹴したところで、なかなか進まない話を切り上げると本題に入った。
まあ、本題に入るといってもただの確認作業である。
彼女が置かれている立場を確認した後、今後の処遇について少しばかり提案するのさ。
本社勤務の同僚から彼女にかけられた魔術契約について、ギアススクロールと呼ばれるものの説明は受けていた。
ギアススクロール、なんとも便利で夢のような代物である。これを日本に持ち帰れたならそれだけでも価値がある。
日本には数多くのブラック企業が存在しており、その数だけ社畜と呼ばれるサラリーマンたちがいる。
しかし、時に彼らは己の雇用主に牙を剥き、同じ仲間を集めて労働法を盾に反旗を翻すのだ。
労働基準局。社畜たちの
その圧倒的な力には経団連も従わざるを得ないが、このギアススクロールさえあれば反乱どころか労働法だって必要ない。
会社に身も心も捧げた戦士が生まれるのだから、経営者としては喉から手が出るほど欲しい代物だ。
「これから先、君には私の部下として色々と働いてもらう。
表向きはシアンを同じ使用人という扱いではあるが、その業務内容は比べものにならないだろう」
だが、仕事とは自らの意思で取り組むべきものである。
仕事を強制されるのと自主的に取り組むのでは、その効率性からみても後者の方が優れている。
ならばここは包み隠さず話し合うことで、御互いの目的をすり合わせることこそ合理的だ。
「それは、私に拒否する権利はあるの?」
彼女の反応はいまいちだったが、それでも今の状況は理解しているらしい。
ああ、なんとも素晴らしい話し合いだ。
これぞ文明人らしい会話というべきか、この場には剣を振り回したり電撃を放ったりするような人間はいない。
暴力行為の存在しないやり取り、これぞ現代ビジネスの根本にして生産性のある時間。
「これは……これは、そんな選択肢があると思ったのかい?
もしも本当にそう思っていたなら、きっと私は君という人間に対して失望するだろう」
彼女が交わしたギアススクロールの内容、それは実質的な隷属関係に他ならない。
そんな契約書にサインしながら今更拒否するなんて、なんとも自分勝手な言い分ではないか。
契約に際してどんな打算があったかは知らないが、それでも文明社会とはなにをするにも対価が必要である。
「だが、私だってギアススクロールなんてものは使いたくない。
私たちの間で交わされる雇用契約に関して、それは真っ当なものであればあるほど望ましい筈だ。
だからこそここでひとつ提案なのだが、君が求めているものをその働きに応じて提供しようと思っている。
私に用意できる範囲であればなんでもいいし、よほど無茶苦茶な内容でなければ一定の自由も認めよう」
私の言葉に初めは怪訝な顔をしていた彼女も、それが冗談や酔狂の類ではないと気づいたのだろう。
ふむ、感情的ではあるがそこまで馬鹿でもないらしい。
所詮は口約束に過ぎないが、それでもこういったやり取りはとても重要である。
なにを求めるかで私という人間性を測り、どこまで許されるかで己の立場がハッキリする。
お互いの主張とそれに起因する意図を探ることこそビジネスの基本、安易な考えはそれだけ己の首を絞めるだろう。
うるさいほどの静寂に包まれながら、そうやってたっぷりと時間をかけた彼女は口を開く。
どこまでこの私に譲歩を迫るのか、この世界に住まう者の価値観を知れるいい機会だ。
「お金が欲しい。それと、一ヶ月に一度でいいから家に帰ることを許可して頂戴」
彼女が提示してきた内容は給料に関することとその拘束時間について、前者に関してはそれほど高額でもないのでなんら問題ない。それこそ私のポケットマネーで賄いきれるほどだ。
だが、後者に関してはあまりにもリスクが大きい。
個人的な外出という点も含めて、彼女が於かれている立場はとても複雑なのである。
仕事を手伝ってもらうといっても、会社にまつわる情報やその企業形態などを教えるつもりはなかった。
彼女はワケありだ。敬愛する上司にもそれとなく注意されており、たとえそれが命令でなくとも従っておいて損はない。
詳しいことは私も聞かされていないが、要するに契約社員を部下にするようなものだ。
なんとも扱いにくく使い勝手が悪いが、それをあの方が望まれるならば私に拒否権などない。
「前者に関しては用意できるが、後者に関してはあまりにも時期尚早だ。
君がそのまま逃げないとも限らんし、今の段階でそれを許可することなどできんよ」
生産性のある時間も佳境に差し掛かって、後はお互いの主張をすり合わせるだけだった。
もっとも、その決定権は私にあるのだから調整するというにはあまりにも一方的だ。
今更口を挟んだところで意味はないと、そうわかっているからこそ彼女も大人しかった。
「では、話もまとまったところで私も退散するとしようか。
ああ……それと、順序が逆になってしまったがこれを君に渡そう――――――なに、私からのささやかな入社祝いだと思ってくれ」
それは本社の保管庫から持ち出した物品のひとつ、私と仲の良い同僚は特別なポーションだと言っていた。
私の知識が確かならポーションとは回復薬の一種、これひとつでどこまで効くかは知らないがね。
ただ、少しでも早く治るのであれば使わない手はない。
費用対効果。そう、
彼女にそれを手渡してから踵を返すと、私はそのまま部屋を後にして大きなため息を吐く。
「シアン、隠れているのはわかっている」
客室のドアを閉めてから私は物陰に隠れている使用人、頬を膨らませながらむくれているシアンに声をかけた。
全く、それで拗ねているつもりなのだろうか。
そのあまりにも古典的な手法に呆れていたが、当の本人は至って真剣なのだから質が悪い。
なんと言うか、彼女の幼い見た目もそうだが反応に困ってしまう。
相手が大人であればいくらでも対処できるが、なまじ子供であるがゆえに難しい。
ここまで不機嫌なことも珍しいが、それでもシアンにはこれから少々付き合ってもらわねばな。
「どうしたです? シアンの、御・主・人・様」
「本社に出勤する。今回の件に関しては少々面倒でな」
なにをむくれているのか、私には子供の考えていることがよくわからん。
見た目は十代であっても、その中身は三十代なのだからそれも当然といえば当然か。
取りあえずその頭を数回撫でてやったところ、ひとまず機嫌は直ったのでよしとしよう。
なんと言うか、本当にちょろい幼女である。