邪教の幹部に転生したけど、信仰心はありません   作:ellelle

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緋色の剣士と歪な真実

「こっ……こちらです」

 

 

 震える足取りで二階へと上がる彼女に、もはや先ほどまでの余裕はなくなっていた。

 真っ赤な足跡が彼女の存在を主張し、月明かりが彼女という人間を優しく包む。

 頬を伝う一筋の雫が光に照らされ、時折聞こえてくる嗚咽が彩を添える。

 

 

 彼女は前掛けの中から錠前を取りだすと、そのまま廊下の突き当たりで止まった。

 細やかな装飾が施された分厚い扉、頑丈そうなそれを前にして振り返る。

 まるでここにはなにもないと、そう言わんばかりに彼女は固まっていた。

 

 

 ふむ、どうやら勘違いしているらしい。

 たとえこの部屋に帳簿がなかったとしても、そんなことはどうでもいいのである。

 私がこの部屋に入ったという事実、それさえ満たせば物語は進む。

 

 

 

「な……なにが目的ですか。あなたがなにを探しているかは知りませんが、ここにはお金なんてありません」

 

 

 困ったものだ。今更そんな風に質問されても、私は友達でもなければ教師でもない。

 そんなくだらない質問に答える必要はないし、なにより下の惨状が物語っている。

 私が持っていた剣に力を入れると、彼女はなにも言わずに踵を返してね。

 

 

 分厚い扉がゆっくりと開かれ、私の視界に無数の本が飛び込んでくる。

 なるほど、彼女が不安がるのも無理はない。

 なぜなら本当にただの書斎であって、それこそ特別なものなど見当たらないからだ。

 

 

 探せば出てくるかもしれないが、生憎と知り合いを待たせているのでね。

 私は部屋の中央まで進むと、彼女にちょっとしたお願いをした。

 それはもしも魔法が使えるなら、この部屋を燃やしてほしいというものだ。

 

 

 

「あなたの言うことを聞いたら……その、私のお願いも聞いてくれますか」

 

 

 脅えている彼女が精一杯の勇気を振り絞り、放たれた炎が私たちを包む。

 周囲の炎はその勢いを増していき、月明かりはその存在価値を失った。

 ふむ、こんな状況でも諦めていない辺り、意外と大物なのかもしれない。

 

 

「お願い……お願いか。なるほど、こんな状況でなにを望む?

 いや、この質問に理由などないのだがね。ただの好奇心だとでも思ってほしい」

 

 

 私は彼女という人間に興味を持ち、この空気を少なからず楽しんでいた。

 それは純粋なる好奇心から、ただの興味本位で口を開いたに過ぎない。

 突きつけていた剣をゆっくりと下し、私はその理由を聞いたのである。

 

 

 

「一応忠告はしておくが、自分だけは助かりたいなんて言わないでくれよ?」

 

「ははは、やっぱりだめですよね。

 だったら――そうだな、私の命をあげる代わりにお金を貰えませんか」

 

 

 それは本当に予想外だったというか、とても面白い内容だった。

 彼女がこんなギルドにいる理由、遅くまで働いているのは単純なことだ。

 ただ単純にお金が必要だったから、幼くして両親を失った彼女は、たったひとりの妹を養うためにここを管理している。

 

 

 それこそなんてことはない、とても簡単で分かりやすい理由だ。

 自分が助からないと言うなら、少しでも妹のためにお金を残したい。

 とても単純で清々しいほど人間的な……ああ、とても面白い内容だったよ。

 

 

「まさか、この状況で強請られるとは思わなかった。

 そうか……金か、君は私の周りにいる誰よりも人間らしいよ」

 

 

「そうですね、私だってこんなこと言いたくはなかった。

 でも……しょうがないじゃないですか――だって、私なんかが逆立ちしたって勝てそうにないんですから」

 

 

 そう言って笑う彼女はどこか満足気で、頬を伝う涙がとても綺麗だった。

 もしかしたら……いや、今更こんなことを言っても仕方ないか。

 彼女は私の計画に協力し、その見返りに金銭を要求したのだ。

 

 

 たとえその生い立ちがどんなものであれ、私には全く関係ない。

 彼女がこんなところで働いている理由も、どうしてこの支部を管理する者がひとりなのかも、全ては私という個人の想像に過ぎない。

 少なくとも彼女はその命と引き換えに、ある種の幸福を買ったとも言えるだろう。

 

 

 

「そうか、それならその願いを叶えてやろう。

 君の妹が大人になるまでの間、私が金銭的な援助を行う。

 君がどれだけ働いても稼げない金額を、君を殺す慰謝料として妹に支払おう」

 

 

「ふふふ、あなたって意外と良い人なんですね」

 

 

 その言葉を最後に私の顔が汚れ、彼女はそのまま炎の中へと消えた。

 剣に付着したそれを拭いながら、私はゆっくりと書斎を後にする。

 気がつけば建物中が炎に包まれ、黒い煙と嫌な臭いが充満していた。

 

 

 全てが燃える臭いと木材が爆ぜる音、それはまるで私を祝福する拍手のように、どこまでも温かくて虚しいものだった。

 これでプライドの奴も気づくだろうが、既に物語の主導権は私が握っている。

 今更動いたところで状況は変わらないし、なにより私がここに来た時点で手遅れである。

 

 

「結局、全員殺したのね」

 

 

 私が一階へと降りてきたとき、彼女は死体を抱えながら呟いた。

 今にも崩れ落ちそうな建物の中で、強烈な熱気に包まれながら口を開く。

 まるで私の行いを非難するかのように、その姿はどこまでも歪んでいた。

 

 

 全く、そんな視線を向けられても困るのだがね。

 おそらくは一人残らず殺したせいで、自分の楽しみがなくなったと言いたいのだ。

 相変わらず狂っているというか、もう少し我慢という言葉を覚えてほしい。

 

 

 彼女の性格を失念していた私のミスではあるが、まさかこれほどとは思わなかった。

 私にそういった趣味はないが、次からはそういう部分も考慮しよう。

 彼女を怒らせるのは得策ではないし、そもそも長い付き合いになるのだ。

 

 

 

「ああ、それでもそれだけの価値はあったよ」

 

 

 そう言いながら魔道具を起動させ、私は彼女へと裏帳簿を渡してね。

 それは殲滅戦の際に奪ったものであり、私の計画が成功した瞬間でもあった。

 震える手で裏帳簿を受け取る彼女と、それを見ながら微笑む私、これで全ての条件は整ったのである。

 

 

 彼女は涙を流しながら裏帳簿を見つめ、目の前の真実を必死に受け入れる。

 私から見れば一年前からの記憶であり、彼女からすれば殲滅戦からの記憶である。

 そこにいたのはどこか儚げな女の子、どこまでも弱弱しくて今にも倒れそうな――そんな、年相応の女の子が立っていた。

 

 

「それともうひとつ、帳簿と一緒にこんなものが置かれていた」

 

 

 そう言って小さな指輪を取り出し、私は赤く染まったそれを彼女に渡した。

 あの日、あの惨劇の夜にとある男から奪ったもの、トライアンフの紋章が刻まれた指輪である。

 それはギルドマスターの証であると同時に、私が正しかったことの証明へと繋がる。

 

 

 たとえその全てが仕組まれていたとしても、たとえその全てが私の思惑だったとしてもだ。

 目の前の彼女は都合のいい真実に飛びつき、私という人間を信用するのである。

 全てはあの夜に決まっていたのだ。彼女にフォールメモリーを使ったときから、私たちの関係はここからは始まるのだ。

 

 

 

「ありがとう」

 

 

 その声はとても小さかったが、それでも私にはハッキリと聞こえた。

 指輪を握りしめながら嗚咽を漏らし、炎の中でその事実を彼女は受け入れた。

 裏帳簿の存在とギルドマスターの指輪、このふたつが私たちの関係を決定づけたのである。

 

 

 人の信頼を勝ち取るのに必要なもの、それは誠実さだと私は思っている。

 しかし誠実さとは酷く曖昧で、言うなれば簡単に壊れてしまう存在だ。

 だったらもっとわかりやすくて丈夫なもの、それこそ絶対の悪意で補強すればいい。

 

 

「気にするな、誰にだって辛いときはある」

 

 

 極上の悪意で誠実さを上塗りすれば、その信頼は絶対に壊れないのである。

 これで私と彼女の関係は対等となり、ギルドを運営する際の障害もなくなった。

 後はプライドを殺して奴のギルドを解体し、そして彼女を利用して組織を大きくする。

 

 

 今にも倒れそうな彼女を支えて、その頭を優しく撫でながら私は微笑む。

 彼女の人生には少なからず同情するが、今更教団と敵対した事実は変わらない。

 私が出世するための道具として、彼女には可能な限り道化を演じてもらおう。

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

※※※※※※※※※※

 

 

 私は勘違いしていたかもしれない。彼という人間を見極めようとして、気がつけば振り回されている自分がいた。

 地下室でのやり取りだってそう、全ては私の失敗でしかなかった。

 あの日のことは今でもハッキリと覚えている。突然苦しみだしたベナウィに、私は子供のように慌てていただけだ。

 

 

 彼が現れてベナウィを殺した時だって、私は見ていることしかできなかった。

 自分でも情けなくて笑えるというか、彼がいなければここまでこれなかったと思う。

 それこそ裏帳簿の場所を知ることや、ギルドマスターの証である指輪を見つけることもね。

 

 

 彼のやっていることは間違っている。ええ、それくらいは子供にだってわかるわ。

 でも、その行動力に私は救われていたと思う。それはサラマンダーギルドを襲った時もそうだった。

 彼がいなければこんなにも早く糸口を見つけて、そしてこの子の前に来ることだってできなかった。

 

 

 

「お姉さま!」

 

 

 ターニャ=ジークハイデン。私の冒険者としての功績が認められた時、王宮に招待された際に知り合った女の子。

 アルのクラスメイトで私の妹的な存在、久しぶりに会った彼女は昔と変わらなくて、そんな雰囲気に私は少しだけ安心した。

 

 

「良かった、アルは来ていないようね」

 

 

 王立コスモディア学園。ここは学園に設置されたカフェテラスであり、アルを通してターニャちゃんと待ち合わせをしてた。

 それは私というよりは彼の考えだったけど、今の私たちにはこれしか方法がなかった。

 

 

「お姉さま、どうしてこの男とお姉さまが一緒にいるのですか」

 

 ターニャちゃんは不満そうだったけど、私の話を聞く内にその表情が変わった。

 私たちの於かれている状況について、あまりにも大きな内容に戸惑っていたわ。

 

 

 

「これがサラマンダーギルドの裏帳簿、ここに教団との関わりが記載されてる」

 

 

 私やアルと仲が良いこともあって、この子は人魔教団のことをよく知っている。

 何度か関わらないよう釘は刺したけど、私が何度言っても聞かないから苦労した。

 正直、この子の情報で仲間が助かったこともあるから、私としても強く出られないのが本音だったりする。

 

 

「その……これは本当なんでしょうか。いえ、お姉さまのことを疑うわけではないですが――」

 

 

 私は自分の記憶が曖昧であることと、この王都に来てからのことを説明したわ。

 できるだけわかりやすいように話したけど、足りない部分や曖昧なとこは彼に任せた。

 全てを話し終えて彼女に帳簿を渡したとき、その手が震えていることに私は気づいた。

 

 

「ゆっくりでいいの。ターニャちゃん、私はあなたの考えを聞かせてほしいだけ」

 

 

 私はターニャちゃんに微笑みながら、その手を優しく握りしめた。

 彼と一緒にいるせいで忘れていたけど、この子は成人すらしていない学生だ。

 彼女のような反応が普通であって、彼が特別だということを忘れてた。


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