邪教の幹部に転生したけど、信仰心はありません 作:ellelle
「おっ、やっと起きたようだな」
それは不思議な感覚だった。気がつけば全てを失い、トライアンフは壊滅してた。
前日までギルドの方針について、人魔教団と戦っていくかを考えていたわ。
サラマンダーギルドの裏帳簿や、協力者であるシチーリヤのことを調べてね。
人魔教団との激しい争い、進展しない毎日に疲れていたけど、あの日を境に全てが変わった。
それは笑っちゃうくらい順調で、毎日が希望に満ち溢れていた。
だけど、今思えばあいつらの思惑通り、ただ踊っていただけかもしれない。
「あっ……あなたは?」
王都で目を覚ました私は、その商人から全てを聞かされた。
赤い月――トライアンフで起こった惨劇を、王都の人間はそう呼んでいるらしい。
突然のことに私は混乱し、気がつけば男の肩を掴んでたわ。
混乱……なんて、そんな言葉では説明できないほど、私は絶望していたと思う。
だって、やっと教団の幹部を特定したのに、目を覚ますと全てが終わってた。
終わっていた――うん、本当に、なにもかもが終わっていた。
「そんな……そんなわけない!
だって、昨日まで私は仲間たちと話してた。ギルドの今後について、どうやってあいつらと戦うか!」
記憶喪失。商人の話を聞きながら、自分の記憶を辿ってみると、ある時期を境に記憶がなかった。
それは裏帳簿の存在に気づき、シチーリヤと接触した頃からでさ。
目の前の男と話せば話す程、私はその事実に打ちのめされた。
どうして記憶がないのか、なんで私だけ生きているのか、ただ単純に恐ろしかった。
まるで自分という人間が、他人と入れ替わったような感覚、私は両肩を抱いて震えてた。
私が殺したんじゃないか――想像したくはなかったけど、そんなことばかり考えてしまう。
激しい頭痛が私を襲い、恐怖がその心を支配する。
今にも倒れそうな私を、その商人は必死に励ましてくれた。
「そうだ、嬢ちゃんに伝言を頼まれてたんだ。
王都で灰色の死神を探せ、そいつが全てを知っている――俺にはなんのことかわからねぇが、取りあえずそいつを探してみたらどうだ」
灰色の死神。王都にトライアンフの支部はないけど、個人的な知り合いが何人かいた。
一緒に仕事をした冒険者に、顔見知りの情報屋、見つかるかはわからないけど、このまま脅えているのは嫌だった。
私はその商人にお礼をいうと、できるだけ目立たないように動きだしたわ。
教団に見つかればただではすまないし、なにより王都には
できれば巻き込みたくなかった。あの子にはターニャちゃんがいるし、私みたいな人間になってほしくない。
復讐のために生きて、復讐するために強くなる。私はそうすることを選んだけど、あの子には幸せになってほしかった。
「勘弁してくれ。あんたには世話になったが、この件には関わりたくねぇんだ」
ええ、私は必死に情報を集めた。
どれだけ否定されようが食らいつき、手がかりを見つけるために奔走した。
「悪いが、俺にも守りたい人がいるんだ」
そんな数週間で得たものといえば、結局は新しい絶望だけだった。
誰もがあの事件から目を反らし、人形のように同じ言葉を繰り返す。
気がつけば私は雨の中を、傘もささずに歩いていた。
このときの私は酷く弱っていたと思う。どうしようもない現実に、ただ泣くことすらできなかった。
「……ベル姉?」
そのときのことは今でも覚えてる。冬の冷たい空気を溶かすように、酷く懐かしい言葉だった。
振り返ればあの子がいて、泣きそうな顔で私のことをみている。
そして、もう一度だけ私の名前を呼ぶと、全てがスローモーションのように動きだす。
私の胸にあの子が飛び込み、私はその頭を撫でながら謝ってさ。
これでは姉と弟ではなく、親子のようだと思いながら、私は初めて自分の過ちに気づいた。
王都で目覚めたあの日から、一度もいい事なんてなかったけど――今日この日、この瞬間だけは笑えたと思う。
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「なんて言うか……こんな風に話すのは久しぶりだね」
アルが借りている王都の一室、そこで私たちは数年ぶりに言葉を交わした。
ほとんど一方的なものだったけど、そんなどうでもいい時間が嬉しかった。
罪悪感という溝を埋めるように、アルは多くのことを話してくれた。
それは学園での生活から始まり、嫌いな同級生についても含まれていた。
私がターニャちゃんのことを聞くと、アルは困ったように笑ってた。
もしもあの時、あんな事件さえ起こらなければ、私たちも幸せになれたかもしれない。
それは私が望んでいた生活であり、捨ててしまった未来でもある。
今更後悔なんてしないけど、そんな未来にも少しだけ憧れてしまう。
あーあ、やっぱりここにいたらダメだわ。
普通の生活は捨てたのに、アルといるだけで揺らいでしまう。
私はアルの話が落ち着いたところで、そのまま立ち上がると玄関を目指す。
このままここにいたら、きっと私は私じゃなくなる。
トライアンフ最強の冒険者、緋色の剣士は剣を握れない。
「待ってよベル姉! トライアンフのことを聞いてから、ターニャもベル姉のことを心配してたんだ!」
突然掴まれた腕は、私の想像以上に力強かった。
目の前にはアルがいて、その真っ直ぐな瞳が頼もしい。
そっか、もう子供じゃないのか……なんて、そんなことを私は考えてた。
「僕も色々と情報を集めて、そしたらその内の一人が教えてくれた。数日前、ベル姉を王都で見かけたって――
だから僕たちは必死に探して、それでようやく見つけたんだ!
どうして僕たちを頼らないのさ! ベル姉にとって、僕たちはそんなに信用できないの!?」
でも、こんなところは昔のままだ。
すぐ感情的になって泣きだし、私を困らせるのは変わらない。
その瞳から零れ落ちる涙も、震える唇だってそうだ。
「僕はベル姉に守られるだけの……そんな人間にはなりたくない。
大切な家族が困っているときに、ただ見ているだけなんて絶対に嫌だ!」
私がアルの前から消えたときと同じ――でも、アルは成長したんだと思う。
自然と私の足が動いていた。アルを巻き込まないために、私はこの子から離れたはずだったのにさ。
「わかった。今回だけは手伝ってもらうけど、一つだけ条件がある。
それは私の判断には従うこと、それが聞けるなら話してあげる」
だけど、結局はこうなってしまった。
私はここまでの経緯と灰色の死神について、商人から聞いたことをアルに伝えた。
その男を見つけるのが最優先で、どんな情報でもいいからほしかった。
ただ、期待はしていなかった。
王都の知り合いにあたってみたけど、結局は無駄足だったしね。
だからアルの言葉を聞いた瞬間、私は自分の耳を疑った。
「灰色の死神――まさか、いや……彼ならありえるかも」
予想外の反応とその言葉に、私はちょっとだけ混乱した。
だって、プロの情報屋が知らなかったのに、私の弟が知っているなんて、冗談だとしても質が悪い。
あまりにも出来すぎているというか、なにかしらの悪意を感じてしまう。
相手が人魔教団というのもあるが、あいつらと戦うのに油断は禁物だ。
たとえアルが正しかったとしても、絶対に飛びついてはいけない。
だから、私はその同級生について、アルの知ってることを全て聞いた。
それは入学試験から始まり、学園代表戦で彼がどう戦ったか、そして四城戦での活躍についてもだ。
確かに、アルの言っていることが本当なら、その同級生はあまりにも異常だった。
天才……なんて、そんな言葉では表現できないほど、周りを圧倒しているとも思う。
だけど、所詮は学生同士の試合だ。
開始の合図が決められて、私たちのように命がけでもない。
だから直接その同級生を見るまで、私もそこまで期待していなかった。
「へぇ、その様子だと私と会ったことがあるみたい。
最初は半信半疑だったけど、あんたが灰色の死神で間違いないわね」
ヨハン=ヴァイス。アルの同級生であり、四城戦で最も活躍した学生。
彼という人間を初めて見たとき、私はこの男だと確信してた。
それは彼の反応というか、私を見つけたときの表情だ。
これが初めてだというのに、彼は私のことを知っているようだった。
そして彼が放つ独特の雰囲気も、その直感を後押ししてくれた。
アルの同級生だというのに、彼の動きはとても落ち着いていた。
それは大人びているのではなく、どこまでも自然体で礼儀正しく、その雰囲気はギルドの相談役に似ていた。
人を言いくるめる才能。この年でここまでの実力があるなら、彼の将来は明るいと思う。
私の剣を奪い取った動き、アルの前に突き刺さった剣がその証拠。
「ねぇ、あんた。
今回は許してあげるけど、次アルフォンスに剣を向けたら……わかってるわよね?」
だけど、これとそれとは話が別だ。
気がつけば複数の魔法陣が展開し、その切っ先が彼に向けられていた。
こいつを攻撃すればどうなるか、そんなことは私にもわかっていた。
しかし頭ではわかっていても、やはり納得することはできない。
これは些細な抵抗というか、私なりの忠告でもあった。
アルを傷つけたら容赦しない。巻き込んだ私が言うのも変だけど、それでもあの子にはまだ早い。
「取りあえず、あの日のことを教えてもらうわよ。
あんたとグリフォンさんの関係や、教団のことをどれだけ知ってるかもね」
それから何度か言葉を交わして、最終的に協力関係を結ぶこととなった。
私が彼に抱いたイメージと言えば、不気味で生意気な学生ってとこ。
なにを考えているのかわからないし、彼の計画にしても異常だった。
普通の学生ならベナウィを誘拐して、そのまま尋問しようだなんて思わない。
その計画もかなり現実的だったし、客観的にみても成功する可能性は高い。
ただ、この年てこんなことを考えるなんて、正直あまりにもズレている。
「ねぇ、どうして貴女みたいな女の子がここにいるの?」
あいつがいなくなった後、私は獣人の女の子に聞いてみた。
メイド服を着た小さな女の子。私が彼と話している間、ずっと一緒にいたから気になった。
たぶん、子供の頃のターニャちゃんに似ていたのも、その子に声をかけた理由だと思う。
「ふん! そんなの、ご主人様がシアンを大好きだからです!
ご主人様は寂しがり屋だから、悲しまないようにシアンはいるです」
もっと内気な子だと思ったけど、性格までターニャちゃんと似ていた。
ただ、女の子が教えてくれる彼と、直接話してみた彼が全然違って、さすがの私も困惑してしまった。
どちらの彼が本当の彼なのか、気がつけば私は呟いていた。
「そう、あんな気持ち悪い奴のどこがいいんだか」
今思えば大人げなかったと思う。好きな人を貶されて、この子が黙っているわけがない。
案の定、私の顔はクリームまみれになってさ。
女の子は顔を真っ赤にしながら、その生い立ちを教えてくれた。
可哀そう……なんて、そんな安っぽい言葉で片付けるのも、この子を憐れむのも嫌だった。
彼女はとても幸せそうだったし、私がアルを大切にしているように、この子もあの男が大切なのだと思った。
私にはカビの生えたパンの味も、地面で寝る辛さもわからない。
この子のようにたった一人ではなく、いつだって隣には誰かがいた。
自分でも気づかなかっただけで、私は恵まれていたのかもしれない。
大勢の仲間を失ったけど、それでも隣には誰かがいる。
たぶんこの子にとっては、あの男が全てなのだと思う。
目の前で泣いている女の子に、私はその手を伸ばした。
「ごめんなさい……小さな勇者様」
確かにあいつは不気味だ、生意気だし底が知れない。
だけど、それは私の思い込みであって、その内面は全く違うかもしれない。
私は女の子の頭を撫でながら、自分の発言に後悔していた。
人を見た目で判断してはいけない。そんなことはわかっていたけど、私は大事なことを忘れていた。
泣き続ける女の子に謝りながら、私は頬のクリームを一口食べる。
「はは、やっぱりケーキは美味しいよね」
あの男が人魔教団を憎み、敵対していることはわかった。
それなら彼を避けるのではなく、導くのが私の役目だと思う。
間違った方向に進むなら、それを注意してやめさせればいい。
私は緋色の剣士。誰よりも長く教団と戦い、あいつらの危険性も知っている。
それこそ手遅れになる前に、それを止められるのも私だけだ。
「大丈夫、あんたの御姫様は私が救ってあげる」
こうして私は彼の計画に乗り、ベナウィたちをおびきだした。
このときの私はまだ、ヨハン=ヴァイスという男の危険性を知らず、そして教団への憎みも甘くみていた。
彼がシルバーファングのメンバーを殺し、その首を玩具のように扱うまで、私は彼という人間を勘違いしていた。