邪教の幹部に転生したけど、信仰心はありません 作:ellelle
この状況をどうやって切り抜けるか、このときの私はそれだけを考えていた。
幾つもの選択肢が脳裏を過り、それと同じだけ小さく舌打ちする。
相手が誰であるのかわからない以上、迂闊な行動をとるわけにはいかない。
こんなところで騒ぎ起こせば、その時点で私の人生は終了である。
沈黙はそれだけ私の立場を悪くし、下手な受け答えをすれば更に怪しまれる。
男の素性さえわかれば対処方もあるが、あまりにも情報が少なすぎてね。
男の言葉を否定するのか、それとも肯定したうえで弁明すべきか。
私の焦りとは裏腹に時間だけが過ぎていく、そして私が口を開こうとした瞬間、男の背後から別の人間が現れたのさ。
「国王様、このようなところで護衛も連れずになにしているのです。
ターニャ様や大臣たちも含めて、多くの人間が探しておりましたぞ」
着ている服から軍人であることはわかったが、そんなことよりも彼の発した言葉の方が問題だった。
国王様――つまり目の前の男はこの国の要であり、私が所属する王党派のトップということだ。
時代遅れの統治体制を未だに引きずり、カビの生えた貴族制を採用する無能。
ハハハ、私はなにかの冗談だと思ったよ。なぜならこの男がそのような人間には見えなかったし、なにより先程の変わりようも含めて、男の雰囲気は御姫様とは真逆だったかね。
支配されるのではなく、支配する側の人間であることは間違いない。
そう、とても御姫様が言うような間抜けには見えなかった。
なぜ王党派が他の派閥と対等であるのか、どうして納得しているのかがわからない。
この男が本当に国王であるのなら、少なくとも他の派閥よりも優位に立てるはずだ。
それだけの確信が私にはあったし、この男にはその能力があるとも思った。
「なに、娘の同級生を揶揄っていたのよ。
将軍も御存じの通り、彼はこの国にとって必要な人材じゃからな」
なにを話しているかは聞こえなかったが、それでもなんとなくはわかる。
おそらくは会場からいなくなった彼を、この軍人が連れ戻しにきたのだろう。
目の前の男……いや、国王様は私に苦笑いすると、そのまま近づいてこうささやいたのさ。
「これはちょっとした助言、別に御主を咎めているわけではない。
これから先、様々な人間が近づいてくると思うが、自分の立ち位置だけは見失わないようにな。
少し怖い思いをさせたかもしれぬが、余にとっては楽しい一時であったぞ」
そう言い残して国王様は踵を返し、そのままバルコニーを後にする。
残されたのは一人の軍人と間抜けな会社員、国王様は彼のことを将軍と呼んでいたが、どうして彼が残っているのか不思議だった。
この国には珍しい日本人に似た風貌、その軍服には無数の勲章が――ん? いや、彼がここにいるのは必然だったか。
「こうやって会うのは初めてか、その節は娘が世話になったな小僧。
吾輩はリュトヴャク家当主、ドワイト=リドヴャクだ。貴様の言う通り吾輩の方から出向いてやったぞ」
会いに来るとは思っていたが、個人的にはもう少し後の方が良かった。
それに知らなかったとはいえ、国王様と一緒にいるところも見られている。
状況としてはかなり最悪だが、今更逃げるわけにもいかないだろう。
「それにしてもその歳でこの国の王族、しかもレオンハルト様と交流があるとはな。
貴様には四城戦での借りもあるし、元々直接会って話したいこともあった」
その言葉に私は違和感を覚えたが、それに関しては将軍が説明してくれた。
今回の四城戦に関して、将軍は私と彼女が戦うことを許さなかったらしい。
それは軍閥という特異な組織において、次期当主である娘の経歴を守るためだった。
「どうしても戦うというなら、負けたときは当主としての資格を剥奪する。
お前は吾輩が選ぶ新しい当主の妻となり、四城戦以降表舞台に出ることは許さん」
それは彼なりの親心というか、一種の駆け引きだったのだろう。
さすがにそこまで言えば引き下がるだろうと、そう思っていたが逆効果だったらしい。
彼女は私との試合前に将軍の元を訪れ、そして全てを受け入れると誓ったそうだ。
――全てを捨ててここに来たんじゃない! あのとき彼女が言っていた言葉、あれは強がりでもなんでもなかった。
つまり言葉通りというか、本当に全てを捨てて試合に臨んだのだろう。彼女ならば私に勝てないこともわかっていたはずだ。
軍閥という性質上、リュトヴャク家は徹底した実力主義を謳っている。
私との戦いで惨めに敗北すれば、それはリュトヴャク家への不信感にもつながるだろう。
組織としての運営にも支障がでるだろうし、将軍はあの試合を見ながら焦っていたそうだ。
しかし将軍の予想とは裏腹に、リュドミラは最後まで善戦してね。
結果的に彼女は私に勝利し、将軍はその結果に安堵したそうだ。
「コスモディアの学園長、プランシー=シュトゥルトとは面識があるか?
シュトゥルト家の当主にして大貴族の一人、あの女にはできるだけ近づかない方がいい」
ふむ、そういうことであれば話は別だ。
将軍がなにを知っているのか興味もあるし、ここは素直に受け取っておくとしよう。
「貴様は知らないだろうが、あの女が大貴族の一員となったのはアスクルムの戦い以降でな。
当時のシュトゥルト家は下級貴族に過ぎなかったが、あの戦いで前王の首級を敵から取り戻したことで、国王レオンハルト様が今の地位を与えた」
アスクルムの戦いについては、あのテラスでリュドミラが教えてくれた。
全ての種族を巻き込んだ大きな戦争、その際に当時の国王がエルフたちによって殺された。
確かその国の名前は……そう、アストランだったな。
エルフたちが住んでいる国、その軍勢によって殺されたと聞いている。
まさか学園長様がその戦争に参加し、それほどの功績をあげていたとは思わなかった。
「当時、遠征軍の全権はリュトヴャク家にあった。
先代の当主、吾輩の父がその軍を指揮し戦っていたのだがな。
その際に戦争に参加していた各諸侯に対して、父は派遣された政治将校とは別に記録を取っていた。
だが、その記録にシュトゥルト家という名の貴族、そしてプランシー=シュトゥルトなる人物は参加していない」
そこから先、将軍は当時のことを色々と教えてくれた。
そもそも下級貴族である彼女が中央軍の、しかも国王様の近くにいること自体おかしい。
突然現れたアストランの軍勢もそうだが、学園長様を除く全ての近衛兵が死んでいたそうでね。
彼女はたった一人でその乱戦を生き抜き、更には敵の手から国王を取り戻したわけだ。
どの種族よりも魔術に長けているエルフ、その集団を突破して誰よりも早く王都に戻った。
精鋭ぞろいの中央軍が一方的にやられたというのに、当時の学園長様にこれといった外傷はなかった。
「他にもまだある。レオンハルト様が爵位を授けたとき、一部の貴族が猛烈に反発してな。
曰く、シュトゥルト家という貴族、そしてプランシー=シュトゥルトなる者は知らない。
そしてあの女の持っていた領地にしても、他の貴族はその所有権が自分にあると主張した」
それに関しては私も知っている。以前生徒会長様がそのことについて、マリウス先生と話していたことがあった。
個人的にはちょっとした行き違いというか、その程度の問題でしかないと思っていた。
だが、将軍の話が本当であるなら困りものである。
「結局、レオンハルト様が管理する
しかし、それでも納得できない一部の貴族が度々あの女と衝突している。
そしてそういった者は一人残らず変死、又はなにかしらの事件に巻き込まれて取り潰された。
一番大きかった反シュトゥルト派の貴族、アドルフィーネ家も先日何者かの襲撃にあって皆殺しにされている」
今の私にはそれを調べる手立てがなく、だからといって直接聞くわけにもいかない。
スロウスを頼るという手もあるが、これ以上貸しを作るのは得策ではない。
少なくともアドルフィーネ家に関して言えば、学園長様ではなく私がやったことだ。
「あの女にはなにかある。貴様がなにを目指しているかは知らんが、コスモディアにいたという事実は後々邪魔になるだろう。
沈むとわかっている船に乗るというなら無理意地はせんが、貴様の才能を捨ててしまうのはあまりにも惜しい」
リュトヴャク家の力がどの程度のものであるか、それがハッキリしないのでなんとも言えない。
彼の言葉を素直に信じてもいいが、既にリュトヴャク家は二度も失敗している。
最初は人魔教団が用意した私の素性について、次にアドルフィーネ家の襲撃に関してだ。
おそらく人魔教団が大きいだけで、彼らが無能なわけではないだろう。
しかし、ここで答えをだすのはあまりにも早い。どのみち教皇様の指示がなければ学校を辞めることも、それこそ奉天学院転入することもできない。
それにたとえ本当に沈んだとしても、私には人魔教団という大型船がある。
「御忠告感謝します。ですが、もう少しだけこの景色を楽しんでいます。
たとえ泥船に乗っていたとしても、沈む前に浮き輪くらいは用意したいのでね。
もしものときは新しい船に手土産でも持って、そのうえで新しい船長さんに御挨拶でもします」
「ふん、まあいい。どうせそう言うだろうと思っていた。
今の話を聞いて慌てるような人間なら、どのみち吾輩の軍では使い物にならん。
こうして直接話してみてわかったが、やはり貴様には見所があるようだ」
そう言って将軍は笑っていたが、やはりこの男は今までの人間とは一味違う。
この辺りはさすがと言うべきか、おかげさまで私の頭は混乱している。
もしも学園長様と会う機会があれば、私はその度に彼の言葉を思い出すだろう。
学園長様に対する悪いイメージ、ある種の先入観が私の思考を鈍らせる。
言葉は剣よりも強いというが、将軍は駆け引きというものを知っているようだ。
「それに貴様が娘に渡したレイピアだが、我が軍の職人に見せたら震えておったわ。
曰く、全てが巨大なミスリルから削り出された至高の一品、貴族でも中々手に入らないということだ。
吾輩の軍は貴様の話題でもちきりだよ。そんなものを簡単に手放したこともそうだが、貴様の実力は明らかに他を圧倒していた」
一方的な情報で私の感情を揺さぶり、その反応を確認してから本題に移る。
このときほど営業スマイルという名の盾に、サラリーマン時代の技術に助けられたこともなかっただろう。
「小僧、貴様は一体なにものだ?」
「ただの学生ですよ。少しでも娘さんに近づこうとする学生、
それこそ当主様の御言葉を借りるなら、一応見所はあるみたいですがね。
内心では彼女が喜んでいるのかどうか、そんなことばかり気にしている男です」
一流の営業マンはスーツを着たら変わると言うが、私の場合はこの営業スマイルがそれだ。
自分の感情を制御したうえで、ちょっとした冗談も言えるようになる。
「フハハハハ。そうか、そうきたか。
ならば吾輩はもうなにも言うまい。そこから先は当人たちの、貴様が言うように男と女の問題だからな」
私の言葉に将軍は固まっていたが、数秒後には大きな笑い声が返ってきてね。
まさかこんなにも笑ってくれるとは、私としてもその反応は予想外だった。
そこまで面白いことを言ったつもりもなかったが、将軍が喜んでいるならは問題ないだろう。
「そうそう、リュドミラのことを言い忘れておった。
奴は次期当主としてこのまま学院に通い、卒業と同時に政治将校として軍へ迎える。
いずれは吾輩の地位を継ぎ、新たな当主としてその手腕を振るうだろう。
しかし、少しばかり頑固なところがあってな。できれば娘とは違ったタイプの人間、心理戦に長けている者が一人欲しかった」
ふむ、私の冗談に付き合ってくれる辺り、将軍もこういった冗談が好きなようだ。
わざわざあの女の進路やその後について、それこそ部外者でしかない私に教えてくれたのだ。
些か大袈裟すぎる気もするが、それを指摘するのはさすがに無粋だろう。
「もしかしたらなにかしらの形で……そう、手紙のようなものが届くかもしれぬが、それは吾輩とは全く関係のないものだ。
娘には自分の気に入った相手と繋がり、そして好きなようにしろと言ってある。
これは余計な御節介かもしれんが、あやつは吾輩の意思とは無関係に突っ走るだろう。
今の言葉、屋敷に戻ったら伝えておくとしよう。おそらく……いや、あやつは確実に喜ぶだろうよ」
そう言って満足気に踵を返すと、そのまま将軍はバルコニーを去っていく。
私はその後ろ姿が消えるまでの間、ひたすら営業スマイルを続けてね。
そして見えなくなったところでため息を吐き、やっと休憩することができたのである。
近くにあった手すりに寄り掛かって、月明かりを背に自分の影を見つめる。
先程の将軍にしてもそうだが、一番の厄介なのはやはりあの男だろう。
確か……レオンハルト?だったか、御姫様と同じ間抜けであればよかったものを、この国の王があのような人間だとは思わなかった。
ふむ、取りあえずはこの晩餐会が終わるまで、私はこれからのことを考えるとしよう。
他の派閥がやってくる可能性もあるし、なにより会場に戻っても騒がしいだけだ。
「レオンハルト=ジークハイデン。彼に会えたことが最大の成果であり、今回の仕事で得た大きなの情報だ。
できるだけ早く報告書をまとめて、そのうえで上司の指示を仰ぐとしよう。
次の仕事がどんなものかは知らないが、そろそろあの計画も進めた方がよさそうだな」