邪教の幹部に転生したけど、信仰心はありません 作:ellelle
古代ギリシアの哲学者、12年間もの間地中海を旅した男はこう語る。――初めは全体の半ばである。
つまり、それだけ物事を始めるというのは難しく、多くのリスクがつきまとうということだ。
不当な裁判で師匠を殺された彼は、後にイデア論という新しい概念を提唱する。
ふむ、ではそんな教訓も踏まえたうえで、ヨハン=ヴァイスという少年について振り返ってみよう。
彼はこの世界に召喚されると同時に、とある大企業の重役を担うこととなった。
そして、他の役員と比べて少し若かった彼は、その年齢を活かしてとある教育機関に潜入してね。
その学校はこの国の王族も通う名門校で、王党派と呼ばれる組織が管理している。
若者たちはノートを片手にペンを握るのではなく、剣を片手に呪文を唱えるというふざけた場所だ。
若いうちから人殺しの技術を磨き、それを一種のステータスとして評価するのである。
彼はそんな原始人どもと共に生活し、そしてこの数ヶ月で代表選手に選ばれた。
四城戦で各学校の代表を蹴散らし、その手に優勝旗を掴んだのはつい先日である。
会社側からすれば私の活躍も含めて、全ては計算通りに進んだはずだ。
要するに彼がその世界に呼ばれた時点で、四城戦での優勝は決まっていたのである。
初めは全体の半ばである。……なるほど、教皇様がどの程度の未来を予想し、なにを目標に動いているかはわからない。
だが、私の目から見てもそれが順調に進んでいることは確かだ。
さて、ここまでは会社側の意見というか、教皇様から見たヨハンという人間についてである。
だからここから先は私自身の口で、ヨハン=ヴァイスという人間を語ろうと思う。
今日この日、この場所から始まる彼の未来について――私から見た彼の第一歩はここからだ。
この世界にやってきたあの日でも、クロノスを振るった入学試験でもない。
煌びやかな装飾と見渡す限りの老害ども。この国の権力者たちが一堂に会する晩餐会、ここから私の計画は始まるのである。
「ふーん、意外と似合ってるじゃない」
「ハハハ、まさか一国の御姫様に褒められるとはな。
最近良いことでもあったのか? 君の方から私に話しかけるなんて、なんだか裏があるようで怖いよ」
上質なローブを羽織った老人から、軍服を着た若い将校まで、この部屋にはありとあらゆる人間が集まっている。
どちらかといえば社交界に近いような気もするが、この世界に於ける晩餐会とはなんとも不思議なものだ。
会場の中を見渡せば誰がどの派閥であるか、それが一目で分かるよう配置されている。
王党派と門閥貴族はテーブルの下で殴り合い、魔術師協会と世襲派軍閥は顔を合わせようとすらしない。
様々な思惑がバイオリンの音色を汚し、そして上質なワインを泥水へと変える。
私たちの登場によって少しだけ穏やかになったが、各派閥から向けられる視線は相変わらずだ。
「そんだけ言えるなら上出来ね。一応私にも王族としての立場があるから、ずっと一緒にいるわけにもいかない。
あんたは大丈夫だと思うけど、あそこにいるガールフレンドはなんとかしなさいよね」
御姫様の言葉に視線を向けて見れば、そこには若い将校たちに囲まれているセシルがいた。
おそらくは私たちを探している途中で捕まったのだろう。彼女は必死に助けを求めてきたが、私はそれに対して軽く手を振ってね。
この機会にセシルにも各派閥との繋がり、特にリュトヴャク家と交流を持ってほしい。
セシルは売られていく子牛のような……ふむ、とても悲しそうな顔をしていたけどね。
しかし、ここで顔を売っておくのも彼女のためであり、ひいては私の利益へと繋がるのだ。
御姫様はそんな私に深いため息を吐き、そして踵を返すと真っ直ぐセシルの元へと向かう。
「全く、あんたみたいな人間のどこがいいんだか」
そんな捨て台詞を吐きつつ、なんだかんだセシルを助けようとする辺り、彼女もまた主人公君と同じ御人好しなのだろう。
私はそんな光景を見ながら近くにあったグラスに手を伸ばし、心の中でそんな御姫様に拍手を送った。
「私が言えた義理でもありませんが、もう少し優しくしてもいいのではありませんか?
せっかくのパーティーだと言うのに、これでは勘違いされてしまいます」
「これは……生徒会長様、いやはやお恥ずかしい限りです。
しかし彼女もこれからは獣人としてではなく、セシル=クロードという個人として人間関係を築いてほしい。
私や学園にいる者とは別の繋がり、本当の意味でためになる友人というものをね」
聞こえてきた言葉に私は言葉を返しつつ、困ったように笑いながら視線を移す。
そこには普段とは少し違った雰囲気の彼女、生徒会長様と一人の女性が立っていた。
「へぇ、君がニンファの言っていた男の子ね」
その女性を見たときに私が感じたイメージは――蛇。ふむ、その表現が一番正しいだろう。
私や生徒会長様とは違うタイプの人間、その微笑みはとても魅力的で謎が多く、見る者を不思議と高揚させる。
どちらかと言えば生徒会長様とは真逆のタイプ、スロウスと同じ匂いがするのは気のせいだろうか。
「生徒会長様、こちらの方は?」
「ああ、そう言えば私の御母様と会うのは初めてでしたね。
プランシー=シュトゥルト、シュトゥルト家の現当主にして我が学園の責任者です」
普段の私ならばすぐさま思考を切り替え、サラリーマン時代の処世術を駆使したはずだ。
しかしこのときばかりは違っていたというか、どうにも気が進まなかったのである。……そう、進まなかった。
そのときの感覚を言葉で表現することは難しく、たとえ出来たとしても酷く曖昧なものだ。
生徒会長様にその女性が母親だと言われても、私はどうしても納得できなかった。
それは二人の顔が似ていないということもあるが、それよりも先に彼女の人間性というか、第一印象があまりにもかけ離れているのだ。
たった一言。この数秒間でそれだけの違和感に私は気づき、最後までその違和感を拭いさることができなかった。
「ニンファからある程度のことは聞いていたけど、今回は学園のために働いてくれてありがとね。
もしも必要なものとかがあったら、遠慮なくニンファかマリウスに言えばいいわ。
学園のことは二人に任せているし、他の職員にもマリウスを通して話してちょうだい」
気持ちが悪い――それは、主人公君に抱いたものとは真逆の感情、暗闇に話しかけているようなものだった。
どれだけ言葉を交わしてもなにも響かず、どんなに観察しても見えてこない。
なにもわからない。それがプランシー=シュトゥルトの第一印象であり、少ない会話の中で導きだした答えだ。
「それじゃあ頑張ってね死神さん、あんまり面倒事は起こさないでよ」
ただ最後の部分だけ、その言葉にある種の怒りが含まれていた。
それがなにに対してのものかはわからないが、確かにそんな瞳をしていたのである。
「今回は本当に助けられました。これからも同じ学園の生徒として、色々とよろしくお願いしますね」
生徒会長様は私の耳元で囁くと、颯爽と踵を返す学園長様について行く。
その姿がどこかシアンに似ていたので、私としたことが苦笑いしてしまった。
貴族の生まれである生徒会長様と、孤児だったシアンの後姿を重ねるとは、さすがに冗談だとしても笑えない。
「さて、それにしても困ったな。
もう少しアプローチがあると思ったが、どいつもこいつも私に近づこうとすらしない」
取りあえず、今はこの状況をどうするかが問題である。
生徒会長様達が去って一人になった私は、その場でなにをするわけでもなく、一度だけ会場を見渡すとそのままバルコニーへと向かう。
御姫様や生徒会長様がいなくなったところで、他の派閥が接触してくると思ったが、結局誰も近付いてこなかったからね。
もしかしたら王党派の人間を気にして、他の派閥が躊躇しているのではないかと、そう思ったからこそ移動したのである。
ここならば誰にも見つからないし、なにより話をするのに打ってつけだからね。
そこはバルコニーと言うより庭園に近かったが、個人的にはこのくらい広い方がいい。
私は月明かりに包まれながら、アドルフィーネ家の最期を思い出していた。
間抜けな貴族と哀れな小娘、あのような人生は絶対にごめんだ。
利用できるものは利用し、使えないものは容赦なく排除する。
人魔教団の基本理念は資本主義の亜種であり、そこに余計な感情を持ち込むべきではない。
私はただ与えられた仕事を効率的にこなし、その過程で競争相手を蹴落とせばいい。
「おや? パーティーの主役がこんなところでなにをしておるのじゃ?」
私は聞こえてきた声に踵を返すと、瞬時に全ての感情をリセットした。
そして頭を切り替えると同時に視線を移し、男性の着ている服とその口調から人間性を判断する。
既に私と彼との間で駆け引きは始まっており、まずはこの男がどの派閥であるのか探るとしよう。
男の容姿から察するに年齢は五十代くらい、着ている服は他の者達と比べて簡素なもので、おそらくは協会の人間だろう。
貴族のように着飾っているわけでも、軍人のように階級章をつけているわけでもない。
王党派の人間が今更接触してくるとも思えないし、そうなれば魔術師協会しかいない。
「こういった場所は初めてなもので、少し疲れてしまったのかもしれません。
こんなことを言うのも変ですが、外の空気が吸いたくて出てきました」
「おぉ、そうかそうか。
確かに初めて参加する者にとっては、今回の集まりはちと厳しいものがあるな。
ワシも御主と似たようなもので、あの空気がどうにも苦手で逃げだしてきたのじゃよ」
一応それなりに高い地位を持っているのか、簡素な服であってもその素材は見事なもので、こんな私でもその服が高級品であることはわかった。
落ち着いた口調に独特の雰囲気、人当たりの良さはそれだけでも才能である。
気がつけば私はその男と言葉を交わし、くだらない話に花を咲かせていた。
どうやらこの男は王族と親しい間柄らしく、国王の側近たちについて情報を得ることができた。
魔術師協会の人間だと思っていたが、ただ単にパーティーが嫌で逃げだしたそうだ。
その口調から王党派であることはわかったが、ここで王党派の人間といても時間の無駄だ。
できれば魔術師協会か門閥貴族、最低でもリュトヴャク家の者と繋がりを持ちたかった。
限られた時間でできるだけ効率的に、それでいて目的を達成するにはこの男は邪魔だ。
私は強引に男の話を切り上げると、そのまま踵を返そうとして肩を掴まれる。
「まあ、そう焦らなくてもいいじゃないかヨハン=ヴァイス君」
さすがにこれ以上は面倒だと、そう感じて振りほどこうとしたがね。
しかし振り返った瞬間に私は固まり、そして男は顔色を変えずに言葉を続けた。
「王都の一等地に屋敷を構えて二人のメイド、この国では珍しい獣人と共に暮らしている。
君の両親については既に死んでおるのか、その存在まで確認することはできなんだ。
コスモディア学園には一般入試を受けて合格、その際に多くの受験生を再起不能にした」
そこにいたのは先程までの男……ではなく、落ち着いた口調で私の全てを暴露する狂人。おそらくは王党派の重鎮だろう。
国王の側近かそれともその身内か、いずれにしても私は動くことができなかった。
どうしてそこまで調べたのか、なぜセレストのことを知っているのかが不思議でね。
私は男の雰囲気に呑まれてしまい、それを否定することすらできない。
沈黙と肯定は同意義であり、私の足は地面に縫いつけられた。
男の口調はそれが本来のものであるのか、最初のときとその一人称が変わっていた。
「そう怖い顔をせずとも、余は御主をどうこうするつもりはない。
むしろ四城戦での功績を褒めたいくらいでな。おかげさまで南方の軍閥や、小うるさい貴族共が静かになった」
この男がなにものであるのか、それが今の私にとって最重要であり、ここで選択肢を誤れば明日はない。
どれだけ高い地位を持っているのか、もしかしたら王族なのかもしれない。
その口調は明らかに貴族を馬鹿にし、そしてあのリュトヴャク家を下に見ていた。
「ただ……な。あれだけ暴れたのだから、御主の素性は他の派閥も調べておるだろう。
この程度のことで顔色を変えていては、この先使いものになるかは少々不安じゃの。
別にやましいことがないのであれば、そのように焦る必要もなかろうて」