邪教の幹部に転生したけど、信仰心はありません 作:ellelle
――ギャギャギャギャ
廊下に横たわる無数の人形と不快な音色、私の見つめる先には元気なそいつがいてね。
兵士の悲鳴をおかずに食事をするそれ、周辺のカーペットが水分を含んでボロボロとなっている。
個人的にはさっさと進みたかったが、さすがに置いていくわけにもいかない。
「全く、まさかこんなにも隠れているとは思わなかった」
私はこういった戦いに慣れていないし、こんな死角だらけの空間というのも初めだった。
だからお腹を空かせているこいつを使い、そういった照れ屋さんたちを排除しようと考えてね。
たとえば室内に隠れている阿呆、他には廊下の陰に隠れている間抜けなど、こいつの使い道はいくらでもあった。
そもそも人
そして私が来るよりも前に敵を排除し、更には死体の後片付けまでしてくれる。
だからこういった状況では使い勝手がよく、この鳴き声にしても慣れてしまえば可愛いものだ。
――ギャギャギャギャ
相変わらずなにを言っているのかはわからないが、それでもこの状況を楽しんでいることは確かだろう。
私は屋敷の中にある部屋をしらみつぶしに探し、可愛い御姫様と間抜けな悪党を探し続けた。
しかしこれだけ大きな建物となればその数も多く、おかげさまで着ている服が更に汚れてしまった。
「化物が……たとえどんな犠牲を払おうとも貴様を殺し、そして我等が主への忠義を示そう――」
多くの人間が自分の無力さを痛感しながら、そのちっぽけな命を対価に剣を振るう。
私としては彼らの考えが全く理解できないし、そんな社会科の授業でも聞かないような言葉を言われても、それこそ苦笑いしかできないので反応に困る。
少なくとも彼らが普通でないことはわかったが、喜々として死にに来るような連中と会話する気にもなれない。
そんなに死にたいなら適当な場所に縄でも結んで、そのままダイ・〇ードばりの大ジャンプを決めてほしい。
そちらの方がクロノスに食べられるより幸せだし、なにより私としても余計な体力を使わずに済む。
私は今日何度目かのため息を吐きながら、そんな哀れな彼を見下ろしながら踵を返した。
――ギャギャギャギャ
そうやってどれほどの人間を殺しただろうか、もはやこの私にも正確な数字はわからない。
しかし、先ほどの男を殺してから襲われることがなくなったので、個人的にはとても嬉しかったとだけ言っておこう。
鬱陶しい人間たちがいなくなったおかげで、私の着ている服もこれ以上汚れないからね。
クロノスの方は少し退屈そうにしていたが、廊下に転がっているそれを食べている辺り、そこまで気にしなくてもよさそうだ。
ただ、私がとある部屋の前で立ち止まった瞬間、クロノスがその刃を揺らしながら嬉しそうに笑ってね。
おそらくはこの部屋に隠れているエサの存在に気づき、私にそのことを教えてくれたのだろう。
ふむ、それならばこいつの期待に応えるとしよう。私は数回ノックすると相手の返事を確認し、そしてそのまま中へ入ると小さく笑った。
そこは私の執務室ととても似ており、四方には巨大な本棚が並べられて、窓際にはアンティーク調の机が置かれている。
中央には茶色いソファーと大きなセンターテーブル、そして視線の先には私に返事をした大貴族様だ。
――ギャギャギャギャ
ただ、目の前にいる男をエサと勘違いしたのか、クロノスがその口を開いて襲いかかろうとしてね。
これにはさすがの私も焦ったというか、彼には色々と聞きたいことがあったからさ。
だからその軌道をずらすために鈎柄を振るい、そのまま本棚に激突したところで注意する。
「おい、誰が食べていいと言った?」
破壊されたそれと宙を舞う書類、私はそうやって何度もクロノスを叩きつけてね。
いくら教皇様からプレゼントされたものであっても、一応最低限のマナーは守ってほしい。
それこそ自分の飼っているペットがリールを引き千切り、そのまま歩行者をかみ殺そうとすれば誰だって怒る。
だから私はクロノスの笑い声が聞こえなくなるまで、ただひたすらにその刀身を本棚に叩きつけてね。
そうやって大人しくなったところで顔をあげて、自分の身だしなみを整えたところで軽く微笑む。
「さて、貴方がパウロス=アドルフィーネで間違いないかな?」
パウロス=アドルフィーネ、アドルフィーネ家の当主にしてシアンを攫った張本人である。
この男は貴族でありながら門閥貴族には加担せず、だからといって他の派閥にも属していない。
領内で起こったトラブルには積極的に介入し、更には領内の交通網を整備するために私財を手放した。
彼は貴族でありながら領民のことを第一に考え、その政策は多くの貴族から反感を買っている。
つまり領民たちからは好かれているものの、ほとんどの貴族は彼のことを嫌っているということだ。
「その若さでここまでの力をもっているとは……初めは子供相手に大人気ないと部下に進言されたが、私はどうしても君という人間が許せなくてね。
だからその尻尾を掴むために行動を起こしたが、結局は多くの部下を死なせて私たちだけが生き残ってしまった」
ではそんな男がどうしてシアンを攫ったのか――ふむ、それは中央のソファーで横になっている女性を見ればわかる。
その女性は虚ろな瞳で天井を見上げたまま、これだけの騒ぎだというのになんの反応も示さない。
そして呼吸のたびに小さく動くお腹だけが、彼女のささやかな抵抗であり生きている証だ。
私はその女性が誰であるのか、どうしてここにいるのかを知っている。
なぜならこの屋敷は彼女のために建てられたもので、目の前の男がシアンを攫ったのもそれが理由である。
エレーナ=アドルフィーネ、彼女は代表戦で私と戦った哀れな生徒でね。
セシルを代表選手にするため、私は彼女との戦いであの能力を使った。
その結果は諸君も御存じの通り、私にとっては最高の……そして、彼女にとっては最悪の結末をもたらした。
なんと言うか、彼女の父親である彼には気の毒なことをしたが、私にも色々と事情があったからね。
要するにこの茶番劇は私への復讐であり、彼なりの最終手段ということだ。
どれだけ調べても進展しないあの事件、可愛い一人娘が人間としての幸せを奪われ、更にはその名誉すらも穢されてしまった。
娘の不注意による不幸な事故という調査結果、そして大事な跡取りを失ったことに彼は絶望しただろう。
「しかし、この屋敷を守っていた兵士はともかく、武器を持っていない者まで殺したのはどういうことだ。
君が恨んでいるのは私であって、あそこまでやる必要はなかった。
私たちはお互いに相手のことを憎んでいる。だが、この屋敷にいたメイドやその家族は関係なかったはずだ」
「ハハハ、まさか誘拐犯に説教されるとは思わなかったよ。
確かにこの屋敷にいた人間を皆殺しにしたが、それは私なりの優しさだと思ってほしい。
私は貴族たちのような差別主義者ではないし、貴方が言うように正気を失っているわけでもない。
ただ単に全ての人間を平等に扱い、貴方への怒りを平等にぶつけた結果がこれだ。――ん?その顔は私がなにを言っているのか、それがわからないといった感じだな。
別にわかってほしいとも思わないし、私も貴方という人間を理解するつもりはない。
だからいいじゃないか、そんなに怖い顔をしなくても――」
私は道徳のお勉強をするためにきたのではなく、あくまでも彼と彼の側近たちを殺すために足を運んだのだ。
その過程で多くの人間を殺しはしたが、それにしたって私に言わせれば大事なプロセスのひとつである。
そもそもこの男にそれを説明したところで、私の考えに納得してくれるとも思えない。
「君は私が出会ってきた中でも最低の人間だ。普通の人間ならば当たり前にもっている感情、人として大事な要素が明らかに欠けている。
君は他人の苦しむ姿を見ながら剣を振るい、そしてその返り血を浴びながら愉悦に浸っている」
「全く、どうして先ほどの言葉でその考えにいきつくのかが理解できん。
まあ、類人猿どもに理解しろというほうが無理だな。
取りあえず私のところにいたメイドはどこにいる? 彼女の居場所さえ素直に答えれば、最後にお茶をする時間くらいは与えてやろう」
これ以上の会話に意味はなく、彼の言葉に答えてやる義理もない。
私はシアンを見つけだして彼を殺し、このくだらない関係を綺麗に清算する。
この状況で彼が取れる道は二つ。その内の一つは素直に居場所を教えることであり、残された時間を大事な娘と過ごすことができる。
そしてもう一方の選択肢に関しては……まあ、今更言うまでもないだろう。
この私を倒して屋敷の包囲を突破し、そのまま全てを捨てて娘と共に暮らす。
どこぞの主人公君なら選びそうだが、この男がそこまで馬鹿だとも思えない。
「あの女の子のなら上の階にいる。一番左端にある青い扉の部屋だ」
だからその言葉は私としても嬉しかったというか、おかげさまで余計な体力を使わずに済んだ。
私は彼の決断に盛大な拍手を送り、約束通り踵を返すとシアンの回収に向かう。
たとえ彼が背後から襲い掛かってきたとしても、この距離ならば瞬時に対応することができる。
そして彼が娘と共にこの屋敷から逃げだそうとしたなら、外で待機している冒険者たちが一斉に襲いかかる。
彼一人なら逃げることもできるだろうが、娘を囮に自分だけ逃げるようなタイプでもないだろう。
「だが、君のような人間をこのまま行かせるわけにはいかない。
私はこの国に住まう一人の人間として、故国に害を与えるだろう人間は排除する。
有象無象の終焉(メタモルフォーゼ)――私は私自身が犯した罪を償うために、アドルフィーネ家の当主として君とその最期を迎えよう」
だからこそ足元に浮かび上がった魔法陣、私がドアノブに触れた瞬間作動したそれに困惑した。
それは私にとって完全に予想外のもので、こんなものを仕掛けているとは思わなかった。
真っ赤な光が部屋の中を包み、魔法陣の中から人間の腕によく似たものが生えてくる。
それは私たちを魔法陣の中に引きずりこもうとし、それに触れられた服が一瞬で変色してね。
これにはさすがの私も震えたというか、少なくともこのままではヤバいということがわかった。
魔法が使えない私にはこれを破壊することはできないし、そもそもこの魔法陣がどういったものかもわからない。
だからこの空間を強引に上書きすることで、私はその全てをコントロールすることにした。
本日二度目。この能力を短時間に何度も使えばどうなるか、それくらいのことは私にもわかっていたがね。
しかしそんなことを言っている余裕もなく、私にはそれを使うしか方法がなかった。
全てが止まってしまった世界の中で、彼はなにが起こったかもわからないまま、最後の最後まで私の死を願っていただろう。
私は彼に歩み寄るとクロノスを振るい、そしてその返り血を浴びながら舌打ちをする。
「くっ……やはり体への負担は大きいか、糞ったれな貴族にしては中々やるじゃないか」
彼の死と同時に足元の魔法陣が消え、私はその場で膝をついて呼吸を整える。
やはり一日に何度もあの能力を使った弊害か、大量の胃液と共に仄かな鉄臭さを感じてね。
視界はおぼろげで頭が割れるように痛く、激しく動く鼓動が私の体を支配する。
静けさを取り戻した部屋の中で、私はなんとか立ち上がるとそれを一瞥した。
あの魔法がなんだったかは知らないが、それでもこの男が私を追い詰めたのは確かだ。
だから、私の判断がもう少し遅れていたら……なんて、そんなどうでもいいことを思わず考えてしまう。
――ギャギャギャギャ
満足そうな顔をしているそれと、血まみれの胴体はなんだか作り物のようで、私は離れ離れとなっているそれを繋ぎ合わせてね。
そしてこの男が最期の瞬間にどんな姿をしていたのか、それを確認すると同時に踵を返した。
「クロノス、そこの女は食べていいぞ」
ふむ、私はなにがしたかったのだろうか、どうしてそんな行動をとったのかがわからなくてね。
私はアドルフィーネ家という名家が潰えるその瞬間、自分でも驚くほど冷めていたように思う。
ソファーの中に入っていた綿が視線を塞ぎ、真っ白なそれがあっという間に赤く染まる。
それは映画のワンシーンのように、どこまでも綺麗でとても残酷なものだった。
肉を切り裂く音と降り注ぐ雨の中で、私はクロノスの笑い声をバックミュージックに部屋を後にする。――こうしてこの国有数の名家、アドルフィーネ家はその歴史を終えたのである。