邪教の幹部に転生したけど、信仰心はありません 作:ellelle
化物の定義
時に、日本には同意殺人というものが存在する。
被害者の同意を前提とした殺人、人を殺すのは同意の上でも罪となる。
命とは代えがきかない尊いものだからこそ、それを奪うのは重罪ということである。
しかし、この世界に於いての命とはとても軽く、それはまるで御菓子の包み紙を思わせた。元いた世界とは全く異なる価値観を、私はこの数ヶ月で嫌というほど教えられたのさ。
自己紹介が遅れたようで済まない。
日本の皆さまこんばんは、私はヨハン=ヴァイスというただの青年である。
この名前は尊敬する上司から私を雇用する際に、各種手続きと共に与えられた第二の本名だ。
まだ色々と不慣れではあるが、これからはそう呼んでいただけるととても助かる。
ヨハン? ヴァイス? この容姿にしてもそうだが、もはや日本人としての原型は皆無である。……いや、過去の記憶は健在なので一応残ってはいるのか。
それは社畜時代の記憶であり褒められたものでもないが、その記憶だけが私を日本男児たらしめている。
私はこの世界でも元気にサラリーマンをやっているが、皆さまの方はどうだろうか?
電車に揺られながらバスを何度か乗り継いで、そうやって会社に辿り着けたなら幸いだ。
ん? なぜかって? それは君達の日常が大変恵まれているからである。
私の置かれている状況に比べたら、今の君達は霞が関で働いている官僚かなにかだ。
青空の下、新鮮な空気を吸いながら美味しい食事を食べて、適度な娯楽と共に文明社会を満喫している。
私のいる世界は見渡す限りの砂塵であり、そこには文明社会の影も形もありはしない。
大衆の見世物として戦い続けたこの数ヶ月、私は檻の中にいる動物の気分を味わっていた。
「化物! くるな、くるな、こないでくれ!」
「失礼な、私は頭の天辺から足の爪先まで徹頭徹尾人間だ。
化物とは妖怪や怪異、またはそれに準ずるなにかが化けたものの総称である。
私のような人間はその枠には当てはまらないし、むしろ炎や氷を出せる君たちの方がよっぽど化物染みている」
そこは殺し合いという名の見世物で観客を魅了する、言わば非合法の闘技場であった。
古代ローマ帝国のコロッセオを彷彿とさせる建物は、今日も相変わらず資産家たちのたまり場である。
そんな中で私は大衆を楽しませる見世物として、
巨大な洞窟を利用して作られた施設には、新鮮な空気どころか綺麗な空だって見えはしない。
見渡す限りの岩肌にため息がこぼれ、闘技場を包む独特の血生臭さには気分が滅入る。
地下へと続くように掘られた空間と、この巨大な施設の中では力こそが全てなのだ。
さて、少しばかり説明が遅れてしまったが――――――ここは我が社が経営する闘技場の一部である。
天然の洞窟を加工して作られたコロッセオを見れば、我が社が保有する技術力の高さにも納得していただけるだろう。
この施設は退屈な日々を過ごしている資産家の皆さんに、他では味わえないスリルと刺激を提供している。
「これで何人目だったか、私はいつになったら解放されるのやら」
手に持った大鎌を振り下ろせば、それだけで血に飢えた大衆は熱狂する。
舞い散る鮮血と人間だったそれが転がり、闘技場は更なる歓声と賛美に包まれた。
――――――度し難い。馬鹿な大衆を一瞥しながらため息を吐くと、私は再び彼女が来てくれることを願う。
「道化師!」
「素敵よ、道化師!」
「道化師、万歳!」
黒いローブを身に
ほぼ毎日ここで戦っている私は……なるほど、彼らからすれば道化なのだろう。
全ては敬愛する上司の指示で戦っているのだが、それを知っているのもごく一部の同僚だけだ。
仲の良い同僚も良い機会だと背中を押してくれたが、今ならその理由もわかったような気がする。
こんな私でも初めは戸惑っていた。それは戦うということに対する抵抗であり、人を殺すことに対する恐怖でもある。
普通のサラリーマンだった私に人を殺せと言われても、やはり身体がついていかないのが現状であった。
しかし相手が殺意をもって攻撃してくるなら、正当防衛が成り立つ分いくらでも許容できたのである。
死ぬのはゴメンだ。
私は聖人でもなければ
どんな人間にも優先順位というものがあり、それは個人の価値観によって左右される。
最初は効率が悪く手痛い反撃も喰らっていたが、今となってはパンを
人間とは学習する生き物にして、どんな環境にも適応できる生命体なのだ。
この世界に来たばかりの無知な自分と比べて、今の私は心身ともに成長しているだろう。
郷に入っては郷に従え。
ここが違う価値観を有する世界であるなら、まずは既存の倫理観を捨てなければならない。
その点に於いてこの場所は正に理想的であり、人の生き死にを通して私は多くのことを学んだ。
無数の屍を踏み越えた先に手に入れたもの、それはなんの変哲もない極めて単純な真理だった。
目的を達成するためにはどうすべきか、無理であるならどこで妥協するのか――――――
「貴様の役目はこの女を叩きのめすこと、遠くないうちにプレイヤーとして闘技場に現れるはずだ」
私に与えられた命令はその女が現れるまで、この闘技場でプレイヤーとして戦い続けること。
上司の話では少し前に一度だけ姿を見せたが、それ以降ここには現れていないらしい。
彼女の身分など詳しい情報は知らされていないが、それでもやれと言われたらやるのが社畜である。
はい。了解です。わかりました。
この三種の神器を片手に戦った私に言わせれば、こんなものはデスマーチの内には入らない。
そもそも必要な人材や舞台は既に手配済みらしく、後は彼女が来るのを待つだけという優しさだ。
新入社員である私がやるべき仕事を、直属の上司が代わってくれたのである。
その手際の良さから新入社員に対する配慮まで、あの神様のような上司には頭が上がらない。
私の記念すべき初仕事が失敗に終わった際も、社畜界の
コスモディア学園入学テスト。学園の有力者を怒らせてしまった私に対して、あの御方はなんの
取引先の部長を怒らせたようなものなのに、それを笑い飛ばしてくれる懐の深さが素晴らしい。
ホワイト企業の行き届いた管理と社員に対する思いやり、改めてこの会社の良さを実感した瞬間である。
「それにしても生徒会長様はなぜ怒っていたのか、やはり両腕を削いだだけでは物足りなかったか」
彼を殺さなかったことに対する失望と落胆、私という人間の評価は確実に下がっただろう。
どこの世界でも中途半端な奴は嫌われるということか、これは今後の付き合いを考えるうえでもいい勉強になった。
まさか生徒会長様がそこまで厳しい御方だったとは、彼女のプライドだけは絶対に守らなければならない。
たった一度の攻撃で
絶望的なスケジュールと過度な労働を平気で強要するタイプ、ブラック企業に於ける
「ふむ、そう考えたなら全てに納得がいく」
学園から届いた入学テストに関する成績と書類の数々、その中にあった学年首席の文字はちょっとした配慮だったのかもしれない。
最初の一回目だけは大目にみるという警告、要するに二度目はないという事である。
なぜ学園に通うのかは私にもわからないが、だからといって投げ出すわけにもいかないだろう。
この不手際を清算しなければ悪評は蔓延し、不名誉なレッテルが貼られるのは目に見えている。
失敗が許されるのは一度目だけであり、同じミスを繰り返す無能は必要ないのである。
この世界の価値観を学んだ今ならば、私はなんの躊躇もなく人間を殺せるだろう。
数多くの人間を刻んできた今となっては、もはや人の生き死にで一喜一憂することもなくなった。
最初は同情もしたし可哀想だとも思ったが、結局は殺すのだからそんな感情は無意味である。
百人殺せば百通りの物語が存在し、その物語の中には更に千人の登場人物がいる。
ここで戦っている者の大多数が奴隷であったが、彼等の中には元は冒険者だった奴らも少なくはない。
先ほど殺した男はただの奴隷であったために一方的だったが、これが冒険者ともなればそうはいかない。
彼らは
聡明な諸君たちならばギルドとはなにか、そして冒険者とはいかなる職業か御存じだろう。
漫画。アニメ。小説。そういったものによく登場する組織であり、独特の風習と法律によって集められたヤ〇ザである。
一応フリーランスの者もいるにはいるそうだが、その説明に関しては機会があれば話すとしよう。
魔物の討伐やダンジョンの探索など、彼らの仕事は多岐にわたりその内容も野蛮極まりない。
彼らの戦闘スキルには私も何度か苦しめられたし、なによりあの多様性には目を見張るものがあった。
彼らとの戦いは非常に有意義であり、私が成長するうえでも良い経験となっただろう。
極稀に現役の冒険者もまぎれ込んでいたが、要するにそれだけ金銭的に困窮しているのだ。
ここで行われる戦いが違法だとわかっていても、彼らからすればそんなことは関係ないのである。
事実、この闘技場の存在をギルドに報告する者はほとんどいなかった。
これは仲の良い同僚に教えてもらったのだが、ギルドに所属している者はその身分を保証する代わりに行動を制限されるらしい。
それは――――――社訓?のようなものだろうか。
ギルドという会社に入ったからには、会社員としての規律が求められるのである。
その規律にしてもギルドによって違うのだが、基本的にはモラルの逸脱や社会秩序を乱す行為は禁止されている。
しかしそれさえ守っていれば個人に見合った仕事を、ギルド側から定期的に紹介してくれるのだ。
FクラスからSSクラスまで、社員はその与えられた立場によって依頼を受注するのである。
誰であろうとも最初はFクラスから始まり、依頼をこなしていくことによってランクを上げていく。
冒険者になる者の大半は金銭的な問題を抱えているが、だからといっていきなり高額な仕事は受注できない。
高額な仕事とはそれだけ危険であると共に、一般の依頼に比べて難易度が高いからだ。
突然入用になったからと慌てて登録したところで、結局はFクラスからスタートしなければならない。
だからこそここでひとつのねじれが生まれるのだが、要するにFクラスでありながらSランク並の冒険者がいるのだ。
同僚が言うには彼らには三つのタイプがいるらしい。
まずは地道にランクを上げていく勤勉な者たち、彼らに関する説明は不要だろう。
次にギルドを辞めてフリーランスとして活動する者たち、この者たちに関してはある程度の知名度がないと雇ってもらえないそうだ。
そして最後に地道にランクを上げながらも、裏では違法な取引に関わっている者たち。
彼らが違法な取引に手を出している理由は、詰まるところ金銭的に困窮しているからである。
酷く滑稽な話ではあるが、要するにこの世界はそういう世界なのだ。
誰が正しくて誰が間違っているかなんて、そんなのはこの私にだってわからんさ。
「誰かを殺すのも殺されるのもゴメンだが、私のようなブルーカラーには選択権などありはしない。
ホワイトカラーに転身するためにも、まずは与えられた仕事を完璧にこなすとしよう」
興奮冷めやらぬ歓声の中で、私の言葉はもはや願望に近かっただろう。
いつの時代も国を腐らせるのは老害であり、犠牲となるのは決まって若者である。
踵を返した際に吐いたため息はとても深く、それでいてどこまでも哀れみに満ちていた。