邪教の幹部に転生したけど、信仰心はありません 作:ellelle
「きっと、あんたからすれば今の私は酷く滑稽なんでしょうね。
だけど私に言わせればあんたの方が哀れよ。あんた、自分の顔を鏡で見た事ある?
今のあんたは私が出会ってきたどんな大人達よりも醜く、そして嬉しそうに笑っている」
目の前に転がる大剣を拾い上げて、震える体で必死に虚勢を張る彼女に私は微笑む。
静まり返ったアリーナに響く一方的な罵倒と乾いた拍手、この状況で罵られるとは夢にも思わなかった。
この私が醜い?おいおい、冗談も休み休み言ってほしいな。
彼女が大剣を拾い上げるまでの間、一度も攻撃をしなかった私に対して失礼だろう。
御姫様の頑張りを認めて何度も拍手を送り、加えて一切の追撃を行わなかったというのにこれではあまりにも身勝手である。
決勝戦という大舞台に於いて、対戦相手から武器を奪ったにもかかわらずなにもしなかったのだ。
彼女が大剣を拾い上げるまで一切動かず、更にはその頑張りを認めて拍手まで送ったのである。
絶対に有りえない光景、本来であれば武器を奪われた時点で勝敗は決している。
これ以上ないという程の優しさ、自己主張を押しつけるバーバリアンとは大違いだ。
確かに個人的な目論見があった事は否定しないが、相手がそれを知らなければなんの問題もない。
つまり、客観的に見れば私の行いは道徳的であり、彼女を思いやっての行動という事である。
「最初に言っておくけど、どんな辱めを受けても私は絶対に諦めない。
正義は負けない。この私があんたみたいな異常者に負ける筈ないのよ」
それなのにこのバーバリアンときたら、なんの根拠もなく私を罵倒した上にこの言葉だ。
きっと、その言葉は浮足立っている己を奮い立たせる為なのだろうが、なんともくだらない理想論だと言わざるを得ない。
正義論について語りたいならば、まずはジョン・ロールズの著書を読んでから言ってほしい。
「正義か、これはまた大きく出たものだな。
無知な大衆は正義と聞けば憧れを抱き、そしてその言葉を調べもせずに一喜一憂する。
……では御姫様に聞くが、君が言うところの正義とはなんだ。それは誰に取っての正義で、誰に対する不義かな?」
このまま永遠と彼女の誇りを穢し続けるのもいいが、それではあまりにも芸がなさ過ぎる。
ここは
もはや大剣を発火させる魔力も残っていないのか、ただがむしゃらにそれを振るう彼女に付き合ってやる。
私の目的は大剣を奪う事ではなく、ましてやその誇りを穢す事でもないからね。
あくまで彼女のプライドを砕き屈服させること、哀れな夢想家に過酷な現実を教えてやろう。
「正義は正義よ!弱きを助け強きをくじく!
みんなが笑っていられるように、誰かを食いものにする奴は絶対に許さない」
「ほう、では御腹を空かせた妹の為に盗みを働いた兄はどうだ。
兄を殺した人間を殺した場合は?その殺した人間を更に殺した場合はどうなる?
弱きを助け強きをくじく――――――なるほど、ではその弱き者とは一体誰のことだ。誰がその強き者とやらを決めるのかね?」
御姫様の剣筋があからさまに鈍り、どこか辛そうにするさまはなんともからかい甲斐があった。
必至に反論しようとしているのはわかるが、私の動きが変わっただけで慌てる姿は滑稽である。
いっその事どちらかに集中すればいいものを、なんとも器用貧乏な小娘だと言わざるを得ない
「だったら法律……法律は絶対だもの!
御父様や貴族の方々が知恵を出し合って制定した法律は、この国に住まう民を救済する為に作られて――――――」
「では貧民街で生まれた人間を誰が守り、親を殺された子供はどうやって恨みを晴らす。
そもそも法律に準ずることが正義ならば、君の言っている事は明らかに矛盾している。
弱きを助け強きをくじく……ふむ、では強き者が定めた法律でどうやって彼等を裁くのかな」
百人が百人とも笑っていられるような世界など、所詮は狂信者の戯言に過ぎない。
なぜなら百人には百通りの生活があると同時に、多種多様な利害関係が存在するからだ。
百人が百人とも幸せになる事は出来ないが、それでも五十人を犠牲として五十人が幸せになる事は出来る。
七十人を犠牲にすれば更なる幸福が手に入り、九十人を犠牲にすれば至福へと変わるだろう。
そして、九十九人を犠牲にすれば一国の王にだってなれる。
この国の法律とやらがどんなものかは知らないが、それでも彼女の言動を見ていればある程度の予想は出来た。
「法律に準じて正義を成したとして、それで数千人が不幸になったとしてもそれは正義なのか?
それが正義であると保証する者もいなければ、その保証するものでさえも保証出来ないだろう。
そんな曖昧でくだらない正義とやらを持ちだしたところで、誰も救われないし誰も変われないのだよ御姫様」
「うるさい!あんたにこの国のなにがわかる!
私はこの国で生まれてこの国で育った。多くの貴族や軍人と話すことで、私は国の在り方や民に対する理解を深めてきたの!
だから私の努力をそんな言葉で馬鹿にするな!何も知らない癖に……御父様がどれだけ悩んでいるのかも知らない癖に!」
前時代的な統治体制、カビの生えた貴族制度を採用しているような国だ。
法律とは万人の為に存在するものではあるが、この国の法律にそれを求めるのは少々無理がある。
社会的地位によってその性質を変える法律など、豚の餌を同じかそれ以上に酷い。
そもそも正義という言葉を免罪符にしている時点で、彼女の努力とやらも底が知れている。
御立派な思想に反してあまりにも中途半端というか、その主張はどこもかしこも穴だらけである。
この国の人口に対して貴族・豪族といった特権階級が占める割合、それがどれほどのものかを彼女は理解していない。
「知らんよ、君の生い立ちなんてどうでもいいしその努力とやらにも興味はない。
だが、この国の事をなにも知らない君に言いたいのさ。……ん?その顔は私の言っている事が理解出来ない――――――っと、そう言わんばかりの表情だな。
しかし君の意見を尊重するなら間違ってはいない筈だ。私の屋敷で働いている使用人の一人、シアンと呼んでいる女の子は元々孤児だったからね」
そうして私は世間知らずの御姫様に、彼女が言うところの救済すべき人間について教えた。
身よりのない子供がどんな扱いを受けているか、雨に打たれながらゴミを漁っている現実をね。
文字通りのボロ切れを身に纏って、体を洗うどころか御風呂というものがなんなのかもわからない。
どこにでもあるようなパンを齧り、これまたどこにでもあるようなスープを飲んで涙する。
名前すら与えられずその日の寝床にすら困る有様、私が付けた適当な名前を宝物のように何度も口にする。
この国で育った彼女ならば知っている筈の現状、最も助け出さなくてはいけない人間達だ。
この御姫様は努力を怠らず、貴族や軍人達と言葉を交わしながら理解を深めたらしい。
それならばその事実を知らなければおかしいし、なにより王都の端には大きな貧民街がある。
正義を口にする御姫様、弱きを助け強きをくじくなら知っていて当然の知識である。
「この国の御姫様である君が、この現状をどう思っているのか知りたくてね。
私に対してあんな言葉を吐いたのだから、当然なにかしらの対処はしている筈だ。
君は――――――君が言うところの弱き者を何人……いや、何千人救ったのかな?」
「わっ……私にそこまでの権限はないのよ。
勝手に国庫を空けるわけにもいかないし、なにより王城や学園の外に出る事は禁止されている」
この御姫様は外の世界をろくに歩いたこともなく、貴族や軍人といった特権階級の人間と理解を深めたそうだ。
信賞必罰の考えは大いに結構だが、その基準があまりにも偏っている理由がそれだ。
短い人生の中で培ってきただろう信念をものの数分で疑い、更にはなにもしていない癖にプライドだけは一人前という事だよ。
直接貧民街にでも行って、そのありがたい御言葉を彼等に聞かせてやればいい。
私は今までなにもしてきませんでしたが、精いっぱい努力してきたので馬鹿にしないでください……ってね。
そうすれば彼等は冷たい瞳で彼女を貫き、その拳を振るいながら精一杯陵辱してくれるだろう。
振るわれる大剣がその荒んだ心を体現しており、決勝戦というにはあまりにも低レベルだった。
まるで靴の裏に張り付いたガムを剥がすかのように、哀れな御姫様は無理矢理……その歪んだ正義を振りかざす。
私は彼女の動きに合わせて大きく踏み出すと、そのまま彼女の両手首を掴んで動きを封じてね。
突然の事に慌てる御姫様は必死に振り払おうと暴れるが、その程度の力では抜け出す事など絶対に出来ない。
御互いの息遣いがわかる程に近づき、そして複雑な表情で私を睨みつけてくる姿は哀れですらある。
籠の中の鳥。外の世界をなにも知らない哀れな
カラスを大事に育てている理由はその飼い主を恐れているからであり、カラスそのものに魅力を感じているからではない。
カラスはどこまでいってもカラスであり、どれだけ努力しようとも羽の色は変わらない。
「なにを言うかと思えば、だったらこの大剣を売ればいい。
これひとつ売るだけで孤児院の設立やライフラインの完備、何万人という人間に柔らかいパンと温かいスープを提供できる。
働くことも出来ず飢えに苦しんでいる子供達を個人的に保護し、大人になったら君の近衛兵として働かせるのもいいだろう」
「なっ……」
「ほう?今君は少なからず動揺したな。
それは私の考えが盲点だったからか、それとも大剣を手放すのが惜しいと思ったからか。
出生も明らかでない者を助ける為に、御父様から貰った鉄くずを手放すのは嫌だ。……なるほど、そんな考え方も悪くはないと思う。
下賤な輩を己の近衛兵として働かせたくない――――――そんな奴等の為に大事な誇りを手放したくないと思うのは当然のことだ」
彼女の手から大剣がこぼれ落ちて、甲高い悲鳴をあげながら虚しく横たわる。
おそらくは彼女自身が揺らいでいる為に、自分でも気づかぬ内にこぼれ落ちたのだろう。
「だが、人の命と物の価値を天秤にかけるような人間に罵られるとはな。
少なくとも君に正義を語る資格はないし、その努力とやらも認めるわけにはいかんよ」
「違う!わっ、私はなにも知らなかったの!」
彼女の声は大剣が転がる音ととても似ていたが、悲鳴というよりは叫び声に近かったかもしれない。
自分は間違っていない筈だという主張は保身へと変わり、掴んでいた手首を離せば彼女はそのまま座り込んで、あれほど大切にしていた誇りを拾おうともしなかった。
私を哀れだと罵ったその口で、彼女自身が哀れな自己暗示を繰り返している。
御姫様の目の前で大剣を拾い上げても、彼女はその場から動こうとはしなかった。
少し前ならば絶対に考えられない光景、私は踵を返すとそのまま少しだけ距離をとってね。
「知らなかった?一国を取り仕切る者の娘が、そんな言葉で許されると思ったのかい?
国王然り、御姫様然り、国のトップに立つ者とその家族にはそれ相応の責任がある。
裕福な生活を送っている分、常に一定の結果を出さなければならない――――――結局、罰せられるべき人間は君自身であり、君の努力とやらも全て無駄だったというわけだ」
うるさいくらい静かなアリーナの中で、私の言葉は普段よりも響き渡っていた。
地面に座り込み両手で顔を覆いながら泣く小娘と、それを見ながら楽しそうにヨハンと言う名の道化師、こんな状況を誰が予想しただろうか。
拠りどころとする信念を折られた御姫様が、自分の浅はかさに打ちのめされている。
「違う……違う。私はそんな人間じゃ――――――」
信じていた正義を否定されて、大事にしていた誇りも穢されてしまった。
もはや御姫様には拠りどころとする場所も、信念も、正義だってありはしない。
後は軽くその背中を押してやればいい、そうすれば彼女のプライドは一気に瓦解する。
与えられたノルマがやっと達成できる――――――そう、この時の私はそう思っていたのだ。
「もう十分だろヨハン君、これ以上ターニャを虐める事は僕が許さない」
ああ、思っていたのだよ。