邪教の幹部に転生したけど、信仰心はありません 作:ellelle
とある学生と取引したことを私は後悔していました。私自身がそれを望んだのであり、決して脅迫されたわけではありません。
彼が特異な存在であることは知っていましたし、ある程度のトラブルは覚悟していました。
彼という劇薬を用いてでもやりたかったこと……ふふふ、他人が聞いたらそれこそ失笑するでしょうね。
ですがそれを叶えるためなら私は悪魔とだって契約しますし、端から理解されたいだなんて思っていません。
そして私は私自身のために一部の生徒を生贄にして、生徒会長としての立場を利用し様々な便宜を図りました。
全ては私の御母様にしてこの学園を取り仕切っている大貴族、シュトゥルト家当主プランシー=シュトゥルトに認めてもらうために――――――ね? 笑っちゃうでしょ?
御母様は重要な式典か行事でもなければ顔を出しません。学園の運営に関してはマリウスを中心とした一部の上級職員がやっているほどで、初めて聞いたときは戸惑いましたがそれも御母様からすれば苦渋の選択だったのでしょう。
シュトゥルト家の人間は私も含めてたった二人、国内屈指の大貴族にもかかわらず御母様と私しかいないのです。
御父様は私が生まれてすぐになくなったそうで、御母様は当時のことをあまり教えてくれません。
血縁関係にある縁者が一人もいない家系。ですからシュトゥルト家が管理する領地から貴族間の付き合いまで、その全てを御母様一人で行っていました。
大貴族ともなれば政治に関する仕事も多いですし、そのせいで学園の運営にすら手が回らないのが現状なのです。
私が幼かった頃より御母様は貴族としての仕事が忙しく、屋敷に帰ってくることはほとんどありませんでした。
言葉を交わすどころか顔を合わせるのだって数える程度、だだっ広い屋敷の中で従者として雇われていた
私にとってマリウスという人間は頼りになる従者であり家族、当時から魔術に関する才能のあった彼には何度も嫉妬しましたね。
幼少時代は御母様に雇われた家庭教師に貴族としての礼儀作法や知識、剣の扱いや戦う術は屋敷の護衛をしていた冒険者の方に教わりました。
マリウスと共に様々なことを勉強するのは楽しかったですが、それと同時になにか物足りなさも感じていたのです。
おそらくは中々縮まらない御母様との距離感に対して、ある種の不満を抱いていたからだと思います。
一度でいいから御母様に褒めてもらいたい――――――それが幼かった頃の目標であり夢でした。
御母様のような立派な貴族になって、同じシュトゥルト家の人間として少しでも役に立ちたい。
そんな憧れを抱いたまま大きくなったのが私、それが私というくだらない人間の望みです。
学園の運営にまで手が回らないなら私が頑張ろう。ただそれだけの理由……そんな感情で私は生徒会長に立候補しました。
生徒会長になった私を褒めてほしくて――――――ですがその日の食卓に御母様が来ることはありませんでした。
屋敷で働いている使用人とマリウスに祝福されながら、あのときの私は上手く笑えていたでしょうか。
「本当に、私ってばなにを期待しているの」
そしてそんなわだかまりを残したまま私は生徒会長としての初仕事に臨みました。
入学テスト。私の取引相手である彼と初めて出会ったあの日の夜、偶然帰ってきた御母様にその全てを伝えたのです。
「あら……そう、わかったわ。
その件はこっちでなんとかするから、貴女は気にしなくてもいいわよ」
途中から現れたマリウスが私を庇ってくれましたが、それでも久し振りに交わした親子の会話はとても冷たくて悲しかった。
御母様の力になりたくて頑張ったのに、結局は余計な仕事を増やしてしまったのです。
「それじゃあこの後も用事があるから――――――」
だからこそ私はどんな手を使ってでも挽回し、この失態を取り戻さなければなりません。
四城戦に優勝することで全てを帳消しにしたうえで、御母様に最大級の名誉をプレゼントしたい。
四城戦で優勝した選手とその学園の責任者は王城で開かれる晩餐会、それに招待されると共に国王様とお話しすることができるのです。
貴族としての仕事が忙しくて、そのせいで親子らしい会話なんてしたことがありませんでした。
ですがその日だけは特別なはず……その日だけは絶対に違うはずなのです。
「この学園を優勝へと導いて私は御母様に認めてもらう。そのためには彼の力が必要だもの、今更引き返すなんて絶対にできない」
あの男が出て行ってから何度もアリーナが沸きたちました。それは建物全体が揺れるほどのもので、ここにいてもその熱気が伝わってきます。
アルフォンス君もかなりの手練れですし、最終的には彼が勝つでしょうがそれでも一筋縄ではいきません。
個人的には戦いの中で彼がどういった行動に出るのか、私との約束を反故にするのではないかと不安でした。
彼が職員を斬りつけたあの日、ここでその本質を垣間見た気がします。
同じ人間と話しているはずなのに全く別の生き物と対峙しているような……淡々と説明する彼に私は恐怖しましたよ。
人間の形をした悪魔とその倫理観について、まるで意見交換でもしているような気分でした。
「やめて……もう震えないで――――――」
あれだけのことをやっておいて平然としている化物、そんな彼から生徒たちを守ろうと私は奔走したのです。
予選で彼と戦うはずだった生徒に生徒会を通して圧力をかけて、従わない者には彼との戦いに関して責任は負わないことを伝えました。
学園側は一切の責任を負わない。つまりは試合で負った怪我やその治療も含めて、その全てが自己責任であると伝えたのです。
ただ、決勝トーナメントともなると圧力をかけるわけにはいきません。
既に決勝トーナメントの組み合わせに関して、彼の希望通り全ての日程を変更していました。
なぜ彼がターニャさんにこだわっているのか、結局その理由を聞き出すことができませんでした。
どうしてこんな回りくどいことをするのか、彼の目的がなんなのかも私は知りません。
しかし、私との取引の中で彼は対戦相手に対する過度な攻撃、及び流血沙汰は起こさないと約束してくれました。
それに警備の職員を増やしさえすれば問題ないはず、私を利用するつもりならこちらも利用させてもらいましょう。
どんな手を使ってでも優勝すると私は誓いました。それならば彼を利用しない手はありませんし、なによりその異常性も含めて彼という存在は大きい。
狂っているでしょう……化物染みているでしょうよ。ですがこの学園で一番強いのは彼であり、その人間性から他校への牽制にも使えるでしょう。
彼と取引した時点である程度の危険は承知の上ですし、それを差し引いてでも彼という人間がほしかった。
ハッキリ言いましょう……私は一部の生徒を犠牲にしてでもその力がほしかったのです。
――――――ただこればかりは些か予想外だったというか、彼の恐ろしさは私の想像を遥かに超えていました。
「出せ! 私を騙したあの裏切り者に会わせろ!
人の心を弄んで……私は絶対にあんたを許さない――――――私はあんたのことを信じてたんだ!」
彼の試合が終わったのかアリーナが元の静けさを取り戻した頃、女性の声が聞こえたかと思えば激しく言い争っていました。
ドア越しからでも感じられるほどの激しい憎悪、その聞き覚えのある声に私は戸惑ったのです。
この学園にいる唯一の獣人にして彼と親しい間柄の生徒、彼女のことを私は入学テストの時から知っていました。
とても家族想いで絵にかいたような優等生であり、少なくともあんな感情を学友に向けるような人ではありません。
きっと彼女の違和感に気づいたマリウスに止められて、それでこんな風に言い争っているのでしょう。
冗談にしても質が悪いというかあまりにも現実味がなく、こんな状況でなければ失笑していたと思います。
彼の名前が出てきたからこそ私は青ざめ、彼と仲の良かった彼女だからこそ私は思う。
たとえどんなに荒唐無稽なことであっても、たったそれだけの理由で私は信じられます。
「あっ、やっと来ましたか! 試合の方は……ひっ」
そんな剣呑な空気が漂う控室の中に、アルフォンス君との試合を終えた彼が帰ってきたのです。
今まで感じていた空気など霞んでしまうほどの殺気をまとって、なにが面白いのか不気味に笑っていました。
このときの私は酷い顔をしていたでしょう。壊れた玩具のように笑い続ける彼が、どうしようもないくらいに怖かったのです。
「生徒会長様に言われた通り直接的な攻撃は控えました。
数日間は立てないでしょうがそれ以降は問題ありませんし、これといった外傷もないので後遺症の心配もありません」
「それは……本当なのですか?」
思わず聞き返してしまうほどそのときの彼は血生臭かった。私は彼のことを信用していませんし、なによりその倫理観が全く理解できません。
ですがある側面に於いては高い教養を備えており、彼という人間の悪質さはその一点に尽きます。
共感能力の欠如とその二極化思考さえなければ、私は彼に対して好意を抱いていたと思います。
白か黒か。0か100か。
その極端な思考と性格こそが恐れられる理由、生徒達が脅えてしまう原因でありその本質でしょう。
高機能反社会的人間、特別な人間とは誰にも理解されないから特別なのです。
「交わした約束を反故にするほど礼儀知らずではありませんし、生徒会長様の言葉に従って最大限努力はしました。
彼の
むしろ私の方が傷を負ったほどでして、己の不甲斐なさに気が立っているのですよ」
「武器? 武器ならば問題ありません。
アルフォンス君が無事なら武器の代えなどいくらでもありますし、なにより剣や刀というのは消耗品と同じですからね。
――――――ただそんなことよりも少々聞きたいことが……この声が貴方には聞こえていますか?」
徐々に激しさを増していく喧騒、ドア越しからの声がいつしか衝撃音へと変わりました。
おそらくは実力行使に出たのでしょうが、彼女が職員を攻撃するなんて絶対普通ではありません。
しかしその当事者の一人でありながら彼は平然と、あのときと同じようになんの躊躇もなく言ったのです。
「どうやらどこかの誰かがマリウス先生と言い争っているようだ。……ふむ、考えたくはないですがこれは由々しき事態ですな。
仮に理由もなく職員に危害を加えたなら、その女生徒を処罰しなければなりません。
確か校則にも職員に対する攻撃や私闘、それに準ずる行為を禁止する旨が記載されています」
なるほど……全ては貴方の目論見通りということですか、こうなることを見越して職員を待機させたのでしょう。
おそらくは彼にとって唯一ともいえる学友を騙すつもりで、貴方にとっての友達とはただの踏み台に過ぎない。
化物染みた力と悪魔のような狡猾さを兼ね備えた人間、貴方はこの世界をどんな風に見ているのですか。
「ここで私から提案なのですが、その女生徒を自宅謹慎とするのはどうでしょうか。
仮にその生徒が決勝トーナメントの出場選手だった場合、更生させるためにもその当日まで謹慎させるのです」
ですがもう引き返すことはできない。……いや、引き返すつもりもありません。
四城戦で勝つためには彼の協力が必要であり、私は私の目的を果たすために彼を利用する。
今更後悔するくらいならもっと前に、それこそ入学テストの時点で彼を弾くべきだった。
私は踵を返すとそのまま控室を後にしました。取引相手がそれを望むなら、その共犯者である私に選択権などありはしない。
だから私はセシルさんを生徒指導室まで連れていき、そして然るべき手続きを踏んでから処罰しましょう。
職員に対する攻撃によりセシルさんを謹慎処分に、その期間は次の試合が行われる当日までの間です。
「全く、私はちゃんと伝えたのだがな。
試合が終わってから話し合おう――――――つまりは彼女との試合が終わってからであり、今押しかけられても迷惑なだけだ。
ああ……なんというか、本当に鬱陶しい小娘だよ」