邪教の幹部に転生したけど、信仰心はありません 作:ellelle
歓声という名の雑音に包まれて、私は一本の模擬刀を握りしめた。
とどのつまり、こんなのは所詮ごっこ遊びに過ぎない。
彼に深手を負わせることも重要だが、それよりも大事なのは御姫様に憎しみを植えつけること。
残りの二本を地面に突き刺すと同時に、私は刀を構えながら真っ直ぐ距離を詰める。
対する彼の動きもそう悪くはなかったが、やはり身体の一部を庇っているようにみえてね。
おそらくは連戦による疲れが彼の動きを鈍らせ、無意識のうちにこのような形で表れているのだろう。
仮に、もしも私が彼の立場だったならこの状況下での選択肢は三つ。
一つ目の選択肢は私という存在を無視して、先に地面に突き刺さっている模擬刀を破壊すること――――――ふむ、最も合理的で尚且つ時間対効率も素晴らしい最上の策だ。
この戦いに於ける勝利条件とは相手を倒すことではなく、あくまで相手の武器を破壊することにある。
少々だまし討ちに近い部分もあるが、私に勝とうとするならそれが最も簡単な方法だ。
二つ目の選択肢も上記の戦い方に沿ったスタイル、私を倒すのではなくあくまで模擬刀の破壊に努めるというもの。
彼は真剣を使っているが対する私は模擬刀であり、その強度もさることながら剣術も彼の方が上だろう。
だが正攻法で破壊するには三本という数字はあまりにも多く、尚且つそれを使っているのが私である。
私を倒そうとするよりも現実的ではあるが、それはあくまで可能性が有るというだけだ。
要するに最上とは言えないものの可能性がある分、この選択肢は見込みの薄い次善策というわけだ。
そして最後の選択肢は上記のスタイルを真っ向から否定する戦術、武器破壊に努めるのではなく真っ向勝負での勝利を狙う。
つまりは私を倒そうとする愚行だ。愚行にして愚鈍、バーバリズムとでも言うべき下策である。
確かに万人が好むやり方ではあるが、それでも勇敢と無謀は似て非なる行いだ。
合理性の欠片もなければその効率も最悪であり、これをバーバリズムと言わずしてなんと言うのか私にもわからない。
ではなぜ私がなんの考えもなしに突っ込んだのか、脳筋野郎よろしく距離を詰めたのかはもうわかるだろう――――――そう、彼を試したかったのだ。
彼が上策を選んでいたなら……なるほど、私は全力で叩き潰していただろう。
彼が次善策を選んでいたなら、ごっこ遊びという点に於いて軽い練習台くらいにはなると思った。
では彼が下策を選んでいたらどんな行動に出るつもりだったか、それはこの試合が始まる前に既に言っている。
ハンディキャップをあげよう。要するに、更なるハンデを彼にプレゼントするのさ。
「私が最も嫌いなのは君のような感情主義者、くだらない理想を垂れ流す狂人だよ」
ハンディキャップ――――――まずは一本、彼の脳天に狙いを定めて自らへし折ってあげよう。
私を牽制しようと動き回り彼を見極めて、私は模擬刀の強度を度外視して振り下ろす。
当たれば無事では済まないだろうが、少なくともこの一模擬刀は折れてしまう。
それが彼の頭を直撃して折れるのか、それとも躱されて折られるのかは知らないがね。
感情論には感情論を、バーバリズムにはバーバリズムで、愚かな主人公には愚かな悪役として立ち向かうべきだろう。
「なっ!?」
迫りくる刃に驚く彼がとても面白くて、その多彩な表情を見ているだけでも楽しかった。
おそらくこの一撃は容赦なく彼の額を割るだろうと、もうすぐ伝わってくるはずの感触に私は笑みを浮かべる。
「くっ、僕で遊んでいるのか!」
そう、その瞬間までは彼も含めて全員が思っていたはずだ。
だが現実はあまりにも拍子抜けであり、その光景を前にして私はため息を吐いたのさ。
まさか風圧だけで折れてしまうとは、折れた模擬刀を見ながら思わず呆れてしまったよ。
慌てて距離を取る彼や折れた刀を見て変な勘違いをする観客たち……なるほど、この馬鹿騒ぎはまだ終わらないのか。
見渡す限りの大合唱、観客席からの歓声に笑いが止まらなかった。そう、彼らの感性に笑えてきたのさ。
だが一番笑えたのはこんなごっこ遊びを続けている自分に対して、こんな初歩的なミスを犯した自分の低能さにだ。
「御覧の通り折れてしまった。私は代えの模擬刀を取りに行くが、その隙を狙って攻撃してくれても一向に構わない。
むしろ君の命を守るためにも、正面からではなく背後から強襲することをお勧めしよう」
それだけ言うと私は踵を返して代えの模擬刀を取りに行く、さすがにこんな形で幕切れなんて認められないからね。
最初から彼に期待なんてしていないが、それでも練習台としてある程度は頑張ってほしかった。
まあこの分だとそれも見込めないか、感情主義者の考えは相変わらず理解できん。
ゆっくりと時間をかけたのに彼は動かず、私が地面から模擬刀を引き抜いてやっと剣を構えた。
とても道徳的で気持ち悪いほど綺麗な心の持ち主、彼はライトノベルの主人公でも目指しているのだろうか。
感情論で動き善悪を重んじる聖人様、常に正しい主人公は決してだまし討ちしたりしない。
「さて、これで二本目だ。
次は少し手加減しながら戦おうか、さっきみたいに折れてしまってはつまらんからな」
なんとも素晴らしい出会いじゃないか、ここまで対極的で人間性に富んだ人間を私は初めて見た。
歓声の渦に包まれながら私の気分は最悪である。
彼の考えていることを想像しただけで吐き気を催し、まるで生ごみに包まれたキャビアをみているようだった。
誰よりも人間性に富んだ人間? ああ、そいつはきっと誰よりも人間離れしているだろう。
「ヨハン=ヴァイス、僕はあの日のことをずっと君に聞きたかった。
君は……君はどうしてあんなことをしたんだ! なんで、あんなにも多くの受験生を襲った!」
まず、それは私にとっても予想外だったと言っておこう。
先ほどの失敗を考慮したつもりが少々やりすぎたようで、私の攻撃は彼に受け止められてしまったのさ。
これが折れれば残りの模擬刀は一本だけであり、その現実を前にして私は過剰に力を抜いてしまった。
こんなところで社畜時代の悪い癖が出てしまうとは、貧乏性とでもいうべきこの性格は改めるべきだろう。
全く、こんな会話をするくらいならこの刀もさっさと処分してしまおう。
「まさか私の攻撃を受け止めるとはな。……で、それで? あの日のこととは一体いつのことかな?」
「入学テストで君がやったことを、僕は絶対に忘れたとは言わさない!」
しかし彼も絶妙に加減しているせいか、何度も打ち合っているのに一向に終わらない。
私の太刀筋を包み込むようなこの感覚、それだけ彼の技術が優れているのだろう。
剣術だけでここまで戦えるとは、何度も打ち合っているのに全く感触がなかった。
「君のせいで多くの受験生が障害を負ったんだ。どうして腕を切り落とす必要があった!」
「ふむ、申し訳ないのだが質問の意図が理解できん。
つまりどうして腕輪だけ奪わなかったのか、彼らの片腕を切り落としたことに憤りを感じているのだろうか?
だったら教えてあげようじゃないか、それが一番効率のいい最も適した方法だったからだ」
「ふざけるな!」
絶妙な剣捌きとでもいえばいいのか、素人の私から見ても彼の剣術は理に適っている。
刀の威力を最小限にとどめながら受け流し、なんとかこの会話を続けているようではあったがね。
「では聞くが、彼らとて相応の覚悟もなくあのテストに臨んでいたのか?
あの時生徒会長様は仰られたはずだ。手段は問わない……そう、手段は問わないのだよ主人公君。
つまりそのリスクを度外視しても入学したかったわけであり、あの時点ではまだ私と彼らの立ち位置は同じだったのだ」
初めはその剣捌きを参考にしようと馬鹿話にも付き合ったが、さすがの私にも限界というものがある。
なるほど、確かに彼は清廉にして類い稀なる人格者だ。
きっと大多数の人間は彼をそう評するだろうし、その考えだってあながち間違ってはいないだろう。
だが、私に言わせれば彼はただの偽善者であり、それこそ稀代の人格破綻者となんら変わらない。
ロシアにいた赤い切り裂き魔ほどではないが、それでもそれと近い部分はあるはずだ。
「違う! 物事には限度というものがある!」
「違わないよ。なぜなら彼らにはリタイアするという選択肢もあったのに、それなのに結局は私と戦う道を選んだ。
君にしたってあのテストに合格したからここにいる。今もこうして戦っているじゃないか。
私は大勢の受験生から腕輪を奪い、君は少数の受験生から腕輪を奪った。
その過程は違うかもしれないが、行きつく先は同じであり戦う戦わないも本人の自由だ」
こんなくだらない会話に付き合ってやる謂れもなければ、こんな無知蒙昧な子供と議論するつもりもなかった。
私は模擬刀を自ら地面に叩きつけると、そのまま彼へと投げつけて踵を返す――――――一旦仕切り直しと行こうか、そろそろ私のお腹もいっぱいである。
「私は一方的に彼らから奪い取り、君は嫌がる彼らから強引に奪い取った。
手段は違うかもしれないがその目的は同じであり、結果として得たものもまた同様である。
君も同じことをしたのになぜ私だけを責めるのか、君が私を否定するというなら私も同じことを言わせてもらおう。
君は――――――一体何様のつもりだい?」
二本目の模擬刀が折れたと同時に再び湧き上がる歓声、観客席の熱気は最高潮に達している。
ただ一人の例外もなく彼のことを称賛しているが、それなのに当の本人はどうにも浮かない顔だった。……いや、それはもはや浮かないというよりも絶望しているように見えた。
世の中の道理も知らないような子供が私に舌戦を挑むとは、愚かなバーバリアンには愚かな最期こそ相応しい。
未熟な覚悟と未熟な精神、彼の周りにはきっと悪い大人なんていなかったのだろう。
「さて、遂にこれが最後の一本だ。
これが折れたら君の勝ちであり、そしてその逆は私の勝ちでもある」
結局、最後の一本を取りに行ったときも彼は動こうとはしなかった。
私には彼という人間が理解できないが、彼もまた私という人間が理解できないだろう。
互いに互いを理解できない関係、哲学的に考えればそれは一種の似た者同士なのかもしれない。
私が彼を気持ち悪いと思うように、きっと彼もまた気持ち悪いと思っている。
私が彼を人間のようななにかだと思うなら、その逆もまた同じなくそう思っているだろう。
そこには法則のようなものが存在しており、対極に位置するからこそ似通っているのだ。
誰よりも人間らしい化物と、誰よりも化物らしい人間か――――――一いや、私は化物じゃないからその理屈は当てはまらないな。
うむ、私としたことが少々短絡的だった。
「最後のハンデとして、私は一度しか
これ以上長引かせても意味はないし、なによりこんな茶番はさっさと終わらせるべきだ。
これが折れたら君の勝ちであり私の敗北、くだらないお遊びはここまでにしよう」
私が刀を握ると同時に構える彼は、相変わらず律儀というか本当に哀れな男である。
私は剣を振りかぶりながら一直線に距離を詰めて、ただ彼という人間だけを見つめていた。
目に映る全てが
振り下ろした模擬刀がまたしても受け流され、そして防がれた刹那に私は語り掛けていた。
彼というどこまでも愚かな偽善者に、ただ彼の驚いた顔が見たかったという理由でね。
「一度しか振らないと言ったが、誰も一撃とは言っていない」
それは一瞬のことだった。本当に一瞬の……気がつけばアリーナの歓声は止んでいた。
吹き飛ばされる彼と湧き上がる悲鳴に体が震え、このときの私は少なからず高揚していただろう。
色々と勘違いしていた彼には御似合いの薬、その一撃は骨の髄まで響いたはずだ。
「一振りは一振り、模擬刀は一度しか振るってないから約束通りさ」
そもそも私は剣士ではない。
剣術の心得もなければ技術もなく、端からそんなもので彼を倒せるとも思っていない。
あくまで彼の土俵に立ってくだらない遊びをしていただけ、最近学び始めた剣術を試したかっただけだ。
要するに私と彼の勝負が拮抗していた理由、それは私が不慣れな
結果論で言えばそれが功をそうしたのか、彼は私の刀に気を取られてその攻撃に対応できなかった。
蹴撃――――――そう、何の変哲もないただの蹴りだよ。
私はただ無防備な彼の脇腹を狙っただけであり、そこにファンタジーチックな要素は存在しない。
哀れな彼は予想外の攻撃に避けることもできず、正面から私の攻撃を喰らってしまったがね。
その威力は御覧の通り、あれほどうるさかったアリーナが静まり返っていたよ。
「それで、君の方は楽しんでくれたかな?……ハハ、そんなに見つめられると勘違いしそうだ」
「あんた、絶対に許さないからね」
ただ、まさか御姫様がこんなにも短気だとは思わなかった。
今にも殴りかかってきそうな勢いで近づいてくる彼女に、私としてもどう対応すべきか迷ってしまう。
当初の予定通り私への敵意は感じるが、これほどまでに彼のことを想っていたとは予想外だ。
このままでは消耗していた彼の分を補うだとか、そんな適当な理由をこじつけて攻撃してきそうだ。
彼女を傷つけるわけにもいかないので逃げるしかないが、それでもこの様子だと追いかけてきそうだった。
「ほう、まさか立ち上がるとはな」
まあ、結局それも杞憂と終わったがね。
まさかあの一撃を受けて立ち上がるとは、自力で立ち上がった彼に拍手を送りたいよ。
「これで勝負は終わり、だからターニャはそんなに怒らなくてもいいんだ」
見るからにボロボロで足元も覚束ない姿は……なるほど、確かに誰が見てもその勝敗は明らかだ。
素直に彼の健闘を称えようとも思ったが、それも彼の口から出てきた次の言葉を聞くまでの話だった。
「だって、この勝負は僕の勝ちなんだからね」
それと同時に模擬刀の刃先がゆっくりと、その綺麗な輝きを保ちながら落ちていく――――――ああ、それは比喩でもなんでもなく地面に落ちたのさ。
止まらない歓声をその中心で聞きながら、私は自分でも気づかぬうちに舌打ちしていた。
全く、せっかくいい気分だったのにこれでは台無しだ。