この2年の間に、楚は都の寿春を郢と改めた。
春申君は再び楚の令尹に戻されている。
また、秦では大将軍・蒙驁が病で死んだらしい。
僕は16才になろうとしており、楽諒も11才になって、剣を振り回している。
項翼の山猿とは未だ仲が悪いが、白麗とは仲がそこそこ良くなったし、玲とも頻繁に会っている。
もっとも、玲から来ることの方が多い。
何故か勘違いする輩が多いが、玲はただの友達だ。
かなり美人に成長したし、寂しい時とか凄く心の支えになってくれていることもあるけれど………うん。ただの友達。
軍略囲碁は9:9:2くらいで僕が勝つか楽諒が勝つか、引き分けるかでほぼ互角だ。
身長も相当伸び、廉頗将軍には流石に届かないまでも、信さんは確実に超えている筈だ。
顔も以前よりも逞しくなって、平民特有の野暮ったさがなくなり、洗練されたような顔つきに変わっていた。
自分でこう評するのも変だが、まあそれくらいの変化があったということだ。
これが、楚という風土に根ざした何かの影響なのかはまるで分からなかった。
そして、何よりも、筋力が飛躍的に増大した。
廉頗将軍の練兵は苛酷を極めており、恐らくはそれに耐えてきたからだろう。
殊に直弟子の僕は、廉頗将軍から直々に相手をして貰えるので、鍛えられ方も桁違いだった。
従来の矛術に加えて、力でねじ伏せる廉頗将軍の矛術も習ったので、両方を駆使して戦うことが出来るようになっていた。
そして、秦国もそろそろ完全に反乱の傷跡も和らいできて、次の戦に乗り出すのではないか?
との噂がちらほら聞こえてくる。
これは、もうそろそろ、秦に帰る頃では無かろうか?
そして、何よりも、時間が無い。
中華統一戦争の中で力を振るえるような大将軍になるために、昇進するだけの手柄が欲しいのだ。
だが、そうそう大手柄ばかり得られる確証もなければ、大戦争が起こる確証すらない。
小さな戦争を重ねて地均しした後、一気呵成に国を滅ぼしにかかられたら昇進の機会を得ることなしに中華統一は終わってしまうかもしれない。
「ついに、動き出すって訳かい?」
喬英がうっすら笑みを浮かべながら尋ねてくる。
「ああ。 秦へ帰り、大将軍を目指す。」
「待っていたよ。 私は。」
「あははっ……………待たせたね。」
「とりあえず、あの化け物爺さんに挨拶してきな。」
「そうしようか。」
僕は廉頗将軍の元に向かった。
「案外、遅かったな。」
廉頗将軍は、僕が切り出す前から既に悟っていたようだ。
「お世話になりました。 必ずや、将軍の弟子としてその名に恥じぬ働きをします。
では、楚に攻め入る折がありましたら戦場でまみえましょう。」
「待て」
廉頗将軍は僕を呼び止めた。
「将軍………?」
「楽諒も連れて行け。」
「え?」
「儂は趙人の廉頗。
楚兵を率いても大した力にはなれん。
それはこの楽諒とて同じじゃ。
じゃから、この楽諒を秦に連れて行け。
このまま、楚に埋もれさせて良い男ではない。」
「い、いいんですか?」
「奴も、楚から出たいと言っていたからな。
奴は剣術もあまり上手くないから、軍師にでもすると良い。」
これは大変ありがたい。
別働隊を組織する…………なんて時に、その場で判断できる指揮官を手に入れたという意味でもあるからだ。
楽諒は副将にしようと思う。
本人が大将軍を目指さない限りは。
「ついでに。」
廉頗将軍は……………。
「こいつも持っていけ。」
自分の矛をくれた。
「し、将軍………まさか」
「そのまさかだ。
うぬにやる。
代わりに王騎の矛を振るう男を超えて見せよ。
儂の歴代の弟子の中で、一番、知勇の均衡のとれたうぬならば、必ずや為し得よう。
儂はもはや、中華に羽ばたくことは無いだろう。
代わりに、うぬが儂の矛に、中華を見せてやれぃ。」
「は! 有難き幸せ!」
「分かったらさっさと行っちまえ 章覇よ」
廉頗将軍はいつものようにニィッと笑った。
「お世話になりました!」
「必ず、中華を統一してみせよ。 よいな!」
「では、それまで、ご自重なさってください!」
「ハッ。 貴様に言われんでも、この廉頗は100になるまで死なんわ!」
そんな廉頗将軍の笑い声を背に、僕は楽諒に会いに行く。
「章覇兄ぃ 準備は出来てるよ!」
楽諒は相変わらずの童顔で笑いかけてくる。
「よし! じゃあ、行くかっ!」
「それは、ダメだよ。 まだ」
楽諒が僕の袖を摑む。
「……………え?」
「玲姉ちゃんに挨拶済んでないでしょ。」
「あ…………。」
実は数日前に喧嘩別れしたばかりだった。
無論、理由は秦に戻ることだった。
「ま、まぁ、一応、行ってこようか。
お前も菓子を分けてもらったしね。」
最後に顔を見ておくのも悪くないし、仲良くしてきた…………お世話になった分、喧嘩別れというのも嫌だ。
僕は項燕将軍の屋敷に入った。
「ごめん下さい」
「また来られましたか~。」
いつもニヤニヤしてる執事の人(家宰)に項燕将軍に取り次いでもらった。
もはやこの屋敷の家宰も、僕にとっては顔馴染みだった。
「そうか。 秦に戻るのか。」
「はい。 将軍にもお世話になりました。」
「いや、構わん。 玲に手を出してなければな。」
「出してないと何度言ったら分かるんですか?!
ってか、手を出すってそもそも…………?」
「君みたいなのを羊の皮を被った狼って言うから油断は出来ん。」
項燕将軍はつくづく親バカだ。
「酷い、あんまりです。」
「はっはっは…………冗談だ。
はぁ、また秦に一人、強大な敵が生まれるな。」
「項燕将軍はおそらく、最後にして最大の敵となるでしょうね。」
「その時は容赦はない。」
「正々堂々、やりましょう。」
「ふっ。 では、玲に会ってくるがいい。
最後だからって、情に流されて…………」
「将軍!!」
本当に冗談が大好きなお人だ項燕将軍は。
見た目通りの堅物かと思えば、親しい間柄の人には真面目くさった顔で、平気で冗談を飛ばしてくる。
そんな人だった。
そして、項燕将軍の部屋を出て、玲の部屋へ向かうと
「あ……………。」
玲を見つけた。