キングダム別伝   7人目の新六大将軍   作:魯竹波

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第四十一話 楚国、遷都す

そんな、しばらく経ったある日のこと。

 

この日は自主訓練の名目のもと、練兵はなかったので、午前中から楽諒と軍略囲碁で遊んでいた。

 

「引っかかったな楽諒! 弓兵4000、伏兵だっ」

 

「え!! じゃあ、騎馬2000を左に回頭させてっと!」

 

「なかなか上手いけど、終わりだ! 

歩兵3000に騎馬の横を突かせて北の楽諒の部隊は全滅だ!」

 

「うっ!  負けちゃったか今回は…………ん?」

 

屋敷の前の何かに反応したようだ。

 

見ると、屋敷の前の通りを、項燕将軍の私兵が通り過ぎていくのが見えた。

 

中には大将の項燕将軍の姿も見える。

 

「何だろう?」

 

項燕将軍は南へ向かっているようだった。

 

「ちょっと、玲に聞いてこようかな?」

 

「あ、僕もいく~!」

 

楽諒もついてきた。

 

玲は来る度にお菓子を持ってきてくれたので、楽諒にも分けてあげるのが常だったからだ。

 

お菓子目当てとは、子供らしくて結構なことだと思う

 

 

 

 

 

「珍しいね、章覇から来てくれるなんて!」

 

玲は快く………いや、嬉嬉として出迎えてくれた。

 

項燕将軍に出入りの自由は認められている。

 

ただ、仲が良すぎるのではないか………との指摘もあり…………。

 

「クラァッ!  おい秦のクソチビバカスケ!

玲に手を出し……」

 

「うるさい さっさと帰って」

 

「………………。」

 

部屋に入ってきた山猿は、即座に玲に撃退された。

 

「さて、で、今日はまた、どうして?」

 

「あ、うん。  ちょっと顔が見たくなって………。」

 

項燕将軍の出兵とあれば、万が一の可能性はないとはいえ、億が一くらいの可能性はある。

 

「え…………。」

 

顔が赤くなってるのは気のせいだろう

 

「というのもあるけど、項燕将軍が出征するのを見かけたからなんだけど、行き先が気になって。」

 

私兵のうち、従っていたのは数百。 戦をする人数ではない。

 

「ああ………それ?  それは、近々、遷都するという噂が関係しているんじゃないかな?

媧燐将軍と二人、軍を率いて出かけたらしいよ。」

 

「なるほど………。」

 

恐らく、春申君が秦の一強体勢に備え、より南の寿春に遷都するよう、楚王に進言し、楚王はこれを容れたようだ。

 

二人が出かけたのは、新都を、秦からの侵攻に耐えられる作りに改造するためだろう。

 

 

 

まあ、楚王は後継者に悩まされており、春申君の進言のもとに国政から遠ざかって憂さ晴らしの狩りや、子作りに励む日々だというから、容易に事が進んだのだろう。

 

「ってことは…………引っ越し…………か。」

 

「そうね~。  寿春…………。 どんなところなんだろ~?」

 

「良いところだといいけど………。  

あ、それより、お菓子を貰えるかな?

楽諒が退屈してるし。」

 

「待ってて。 もうすぐ侍女が持ってきてくれるだろうから。」

 

「わ~い。」 

 

 

 

 

 

その一ヶ月後には、寿春への遷都作業が始まった。

 

「早く武器を荷台に詰め込むのだァ!」

 

「「うっす!!」」

 

僕らの住む廉頗邸でもそれは変わらない。

 

まず一番に槍や矛、剣や弓などの武器を束にして荷車の荷台に詰め込み、次に酒や肉などを箱の中に詰め込む。

 

楚王からの金品を詰め込み、必要最低限の家財道具を詰め込むと、屋敷の中は空になった。

 

「さて、行くぞ。 寿春へ!」

 

「「「はっ!」」」

 

 

寿春は淮北と呼ばれる地域にある。 もと春申君の領地だったところだ。

 

すぐ南には淮河が流れており、或いは寿春で時間稼ぎをした上で淮河の南の地域=淮南に逃がすという戦術も採りやすい。

 

 

 

 

 

新都・寿春に着いた時、秦王6年(紀元前241年=始皇6年)は残り1ヶ月となっていた。

 

だが、どうにも、遷都ということに関して、あまり実感は湧かなかった。

 

何故か?

 

既に道中で沢山の商人やその配下、妻子あるいは奴隷達が郢陳から寿春へ向かうのを見ていた。

 

だけど、僕は合従軍から逃れる秦の流民達を見たことがあるから、確かに大事なんだけれども、どうにも遷都という現実には繋がらなかった。

 

活気もあまりなく、人々はこの遷都が何を意味するのか、充分過ぎるほど悟っていたようだったからだ。

 

 

 

 

だから、この寿春に入ればなにか変わるかと思ったが、何も変わらなかった。

 

寿春は春申君がかつて領していた際に、ある程度都市化が進んでおり、首都として耐えうるだけの都市設計もその時に既に成されていたようだ。

 

だから、実際のところ、項燕将軍と媧燐将軍は寿春の周辺に戦略的に必要な城塞を築き上げるために奔走しているだけに留まっているらしい。

 

 

寿春の城内を見て気づいたことがもう一つある。

 

貴族の館が少ないのだ。

 

合従軍を率いて敗戦し、その影響力が落ちた今、その影響力を更に殺いで、取って変わろうとする貴族達がいたから、遷都の際に、郢陳に置き去りにしたり、追放したり、粛清したりしたのだろうか…………?

 

 

 

とにかく、僕にとって寿春への遷都は、あまり大した感動を与えてくれる代物ではなかったということだ。

 

遷都の翌日には、また練兵が再開され、いつも通りの日常がこの寿春で始まっただけに過ぎなかった。

 

一つ変わったのは、練兵になれてきた頃に、陣頭指揮などの兵士を使った模擬戦が加えられたくらいだ。

 

これがかなり大きい。 この陣頭指揮の訓練が無ければ、千人将でさえなれないからだ。

 

10対10、100対100、300対300とどんどん使用兵数も増えていった。

 

最初の数週間は介子坊さんの苛烈な攻めや姜燕さんの鋭い用兵にコテンパンにされながらも場数を増やしていき、勝つ回数も少しずつ少しずつ増えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

練兵、軍略囲碁、そしてたまに項玲と遊ぶという日常はあっという間に過ぎていき。

 

 

 

 

 

僕が楚にきて2年が経った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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