「はい。 秦人です。
ですが、大将軍を目指さんとする志は、秦人の武人であろうと楚人であろうと同じと心得ます。
かつて、この楚国の令尹・春申君殿が臨淄に留学して今の楚を発展させたように、武人にとっての臨淄にあたる、この陳で学ぶことに何の咎がございましょうか」
春申君でさえ、臨淄に留学した経験を持ちながら合従軍を率いて斉に攻め込み、仇なした。
僕を責めるのであれば、春申君から責めて欲しい。
「これは一杯、とられてしまったな。
手前は今の王の即位の折に春申君に推挙していただいた身であるゆえ、そなたが楚に学ぶことを責めることはできぬ。」
聞いた次の瞬間、項燕将軍は笑いながら、手をうった。
「何を言う。 真意は違うところにあろうが。」
廉頗将軍は訝しげに吐き捨てる。
「いかにも。
しかしながら、章覇。
手前が聞きたいのは、そなたの知る合従軍と秦軍の戦いについてだ。
語っていただいても、よろしいか。」
……………どうなんだろうか。
大王様が関与していたことは既に噂になっているし、項燕将軍の前にあるのは、まさしく、函谷関、武関および咸陽一帯の模型である。
先程まで合従軍戦の検証をしていたのが見て取れた。
その模型をみても、食や郎、商、竹や、蕞などの南道の各都市の配置も正確で、もはや隠しようがない。
城の特徴……………後々、項燕将軍が咸陽を攻めるような事態に至るならば、有益な情報となりうる。
まあ、触れないで話すことは可能だろう
それに、喬英達を助けてもらったこともあるし
「分かりました。 概略だけでよろしければ。」
戦を描いたのは昌平君だ。
軍総司令の昌平君が基本的に携わるのは、開戦に至るまでの戦略。
ここで語るのは昌平君の描いた戦術であり、今後、項燕将軍が昌平君の戦術眼にお目にかかる機会はそうはないはずだ。
生国の楚に昌平君が帰らないという前提があるのなら。
「そうか。 ありがたい。」
僕は昌平君、李牧がそれぞれ描いた戦術を一通り説明した。
「ですが…………李牧がどのように武関正面を攻める別働隊を調達したのかまでは分かりません。」
「いや、十分だ。 忝い。
ちなみに、その別働隊は、汗明の軍師・貝満と剛摩諸の部隊に相違ないだろう。
蒙武は、汗明を討ち取ったあと、その本陣を壊滅に追い込んだ。
だが、そこで死んだのはせいぜい20000程度。
といっても、2割も失えば大敗北だから、壊滅的打撃と呼ぶに相応しい数ではある。
そして、その汗明軍60000のうち、両脇の剛摩諸と貝満の軍は撤退していた。
その後、二人は媧燐の部隊に編入された筈だが、汗明と媧燐の馬が合わないように、旧汗明軍と媧燐軍も馬が合わない。
そこで、春申君は夜陰に紛れて旧汗明軍のうちの幾らか…………大体20000くらいを、媧燐の元から引き抜き、南道の武関まで行かせたのだろう。」
いや、それで…………
「それで、蒙武将軍や騰将軍にはバレなかったのですか?」
夜陰に紛れての函谷関の離脱ならば、おそらく媧燐本陣あたりで軍の再編を行えば難しくない。
だが、果たして兵力の減少に気づかれない訳があるだろうか?
「媧燐の軍は、臨武君の残兵と汗明の残兵を収容しておおよそ110000超くらいの大所帯。
一方の騰・蒙武軍は騰の軍の被害が甚大で両軍合わせて75000くらいに減少したと聞く。
蒙武の軍が多かったはずだから、騰軍はせいぜい30000くらいだったはずだ。
兵力差は目視ではせいぜい敵と味方が同数か、或いは敵が味方の倍以上か、が分かるくらいで、細かいところまでは推し量ることは出来ぬ。
媧燐の軍が90000を割らない限りは気づかれる可能性は低い。
それに媧燐はそういった自分を大きく見せる小細工が得意な奴だから、蒙武はとにかく、騰にさえ気づかれる恐れもない。
加えて、万が一、騰が兵力の減少に気づいていたとしても、未だ媧燐の軍の方が人数も多く、大した戦果は望めないとして、騰なら攻めるようなことはしないはずだ。」
つまり、媧燐は秦軍が蕞や武関にに援軍を送らせないための足止めだから、よほどの兵力を武関に割かない限りは騰将軍にバレる恐れも無い。
そしてそもそも隠す理由もないということだ。
「なるほど……………。」
実際、僕が見たのはせいぜい40000。
倍の100000のような大規模の軍の動向なんて考えるような力はない。
こうしてみると、戦についてまだまだ分からないことも多いなと思っていると。
「おっ クソ爺 まだくたばってなかったのかよコンチキショー」
「おい、翼。 廉頗将軍に失礼だろ」
馬鹿そうな顔の楚人と、弓遣いと覚しき美少年が入ってきた。
「ハッ 嘴の黄色いクソガキがションベン垂れずに帰ってくるとはつくづく意外の極みよ!」
言い返す辺り、本当に廉頗将軍は子供っぽい。
「んだとテメー」
「いい加減にしろ 翼っ!」
美少年はつくづく可哀想な役回りに回っている。
馬鹿そうな方をぶん殴ってた。
「ぐへっ いってえっ!」
「自業自得だバカ」
「…………にしても、麗、アレがあるだろ、ほら………加減って奴がよ
ん? 親父、ところで、このガキはどうした?」
ふと、馬鹿そうな顔の少年が僕を指さして訊いてきた。
「翼、あまりバカを晒すな。 その少年は廉頗将軍の弟子だ。」
項燕将軍は呆れた顔をしていた。
「クソ爺、ついに目ん玉の中まで曇っちまったのかよ。
どーしょーもねー!
こんなガキを鍛えたところで何にもなりゃあしねえだろ」
…………こんな見た目もバカそうで、しかも言葉に品のない、取るに足りない奴に殺意が湧くなんて、生まれて初めての経験だ。
「初対面から馬鹿にされる理由なんて、存在しないんだが。
お前はそうやって人を見下すことしか出来ないのか?」
青筋を立てつつ、口調の怒気を隠してそう吐き捨てる。
「んだと、チビのくせに! 我慢ならねぇ!」
手元の宝刀に手をかけた。
つくづく短気な奴だ。
僕の身長は同年代よりも大きいのでこのバカとは身長はあまり変わらない。
「まあまあ、落ち着け翼。 いくら合従軍が秦に敗れたばかりだからって、お前、短気すぎだぞ」
「うるせぇっ! 文句は秦人に言え!
そういえば、お前、秦のクソ共と同じ言葉訛がするな。
じゃあ丁度いい! 死ねぇっ!」
項翼は宝刀を抜いた。
おそらく適当に言ったことだろうが、この場では正解だ。
「莫邪刀の餌になれやっ!」
項翼は刀を抜いてきた。