紫伯や呉鳳明達との対魏戦まで、主人公は戦には参加しません。
対魏戦ではオリヒロイン候補を出す予定です。
その3000くらいの兵士が趙兵10000の後方を突いたのが見えた、次の瞬間
「っ!!」
李牧が手首を負傷し、昌平君は李牧の剣を地面に叩き落とした。
流石に剣と矛じゃ間合いが違いすぎたようだ。
「李牧様っ!」
李牧の愛じ…………じゃなかったカイネが傍に駆け寄る。
「離脱するぞ。」
昌平君は側近に告げた。
「殿、李牧の首はとられないのですか?」
「李牧の首を獲るならば、趙にはこの上ない打撃を与えられるだろう。
だが、代わりに周りの趙兵は死兵と化して、我々も無事では済まぬ。」
「は! 退却だあっ!」
既に僕と飛信隊副長・楚水さんの部隊とで退路は確保してあった。
後は龐煖と信さんの一騎討ちを中止させ、信さんを回収するだけだ。
「うぉおおおおっ!」
「ぬんっ!」
信さんは剣を持ちながら地上を縦横に走り回り、武神を自称する龐煖相手に割と有利に一騎討ちを進めていた。
力と間合いの有利さでは明らかに龐煖が勝っていたが、龐煖の新たに負った傷は信さんのそれよりも重い。
信さんは龐煖に鎧を砕かれた跡が幾つかあるのに対して、龐煖は刺し傷が5カ所、切り傷が4カ所くらいあった。
だが。
「退却だ。」
「うっせえ! 俺は負けてねぇ!」
「逃げるな 言ったはずだ 3度目はないと。」
信さんは退却に反対し、龐煖も逃がすつもりはないようだった。
「信殿。」
ここで楚水さんが説得に入る。
「ああ? なんだよ楚水」
「本隊がまだ商の城に到着していらっしゃらない以上、ここで一騎討ちを続けていたら、商の城は陥落してしまうのです!
信殿が王騎将軍や麃公将軍の仇を討ちたい気持ちは分かりますが、機会はまた後日、必ず巡って参りますから、この場は我々に任せて、下がってください!」
「……………ああ。」
信さんは引き下がった。
「…………逃がさぬ」
龐煖は胸に刺し傷を負っているためか、血を吐きながら呟いた。
「信殿の退却を援護するぞ!」
楚水さんは周りの飛信隊士を集めて龐煖の間に割り込む。
この退却は龐煖や、李牧が投入した、東壁の将でもあった晋成常が率いる精鋭の追撃を受け、味方に大きな損害を出した。
そうして僕等の兵数は2000足らずになった。
加えて、烈しい追撃を受けて、皆、疲れ切っていた。
だが、この軍勢で商の城を攻めている10000の軍を防がねばならない。
と、そんな僕達に更なる追い打ちを駆けるかのように。
「は、はやくお逃げ下さい!
敵将・孫青の新手が右からこちらに来ます!」
「大変不味い状況になりました!
敵将・傅抵の騎馬隊が我が軍の先方に回り込もうとしてきております!」
相次いで悪い報せが舞い込んだ。
後方には晋世常の精鋭、左には龐煖。
囲まれて万事休したかと思ったその時。
「味方を救い出すのだ! かかれっ!」
ついに、待ちに待ったアレが到着した。
大王様、壁三千人将、昌文君の率いる本隊である。
8000人弱の部隊は、李牧に降った各城から兵力や民兵を更に吸収し、16000くらいまで膨れあがっていた。
商の城の右から、一気にこちらの先方に回り込んだ傅抵隊に突撃していく。
大王様の本隊は、やはり秦の兵隊とは言えないくらい、全体的に民兵が目立つ一団ではあったが、前衛に兵士が集中していたため、一定の破壊力があった。
傅抵隊は右から攻撃を受け、撤退していく。
「ヤロウ共! 政に合流するぞ!」
信さんは号令して、傅抵隊を捌きながら大王様の部隊に合流を図る。
程なく、僕達は大王様の部隊に合流を果たした。
「信、それに昌平君。 遅くなって済まない。」
「へへっ。 まあ間に合ってよかったぜ。 」
「そうか。 では、このまま商を攻めようと企む趙兵に突撃するぞ。」
「は!」
「御意!」
そして、僕等が突撃を敢行しようとしたその時。
「董翳が、敵将の首を討ち取った!」
3000の兵を率いていた大将らしき人が、敵10000の指揮官の首を挙げたようだった。
10000の部隊は味方の内側へと潰走していき、李牧軍の陣形は一気に崩れ始めた。
「大王。 こうなった以上、敵に退却を促しましょう。」
「ああ。」
商の城を正面に見て、右側。 先ほど大王様が来た方角に敵が雪崩れ込み、退却していくように促すのだ。
「だが、信。 武関もかなり危うい。
おまえと飛信隊は武関からの軍と合流し、武関の外の合従軍に備えろ」
「わかった」
信さんはその軍に合流して武関の城壁に上っていった。
武関には既に別働隊の楚兵が階段下に差し迫っていたが、信さん達の奮戦により、押し返すにいたった。
そして、李牧は本陣の立て直しが効かないと判断し、武関の外にいる合従軍に、作戦失敗を狼煙で知らせた後、ようやく撤退したのである。
潰走した兵士達もそうだが、皮肉にも、李牧本人が使用した流動力術が、本陣の立て直しが困難な事態に更なる拍車をかけた。
こうして李牧の別働隊は退却。
1ヶ月以上にわたる函谷関防衛戦並びに蕞防衛戦は、秦側の勝利に終わった。
両者作戦案 まとめ
李牧:合従軍の更なる別働隊と武関を挟撃し、武関を落とす。秦側の流民を商に収容し、もし秦が攻めてくるようなら流民のいる商を攻めて、逃げ出した流民を利用して秦側を混乱に落とすつもりであったが、商が落ちなかったために作戦は失敗した。
加えて、連戦続きで士気が低下していたので、商を攻めようとした部隊は指揮系統を失って潰走してしまう。
この潰走した部隊のために、立て直しが効かなくなって退却を余儀なくされた。
合従軍が失敗に終わることへの責任感と焦りが、名将として引き際を誤った。
この重責が、普段ならば危ない橋を渡らない李牧に、武関を落とすという、自身が勝つ確率が高い〝賭け〟に出させたものの、武関を落とす前に商を攻め落とし、挟撃状態を解消することが困難になってしまい、結果として負けてしまった。
昌平君:政の本隊は民兵が半分以上を占めるため、敵に挟撃の心理効果を与えるには、正規兵を主とした別働隊で商の城を落とすことが必須だったが、流民が商に大量に収容されていたために、作戦を変更して、商を主戦場にすることを避け、3000で李牧本陣に向かった。
だが、商攻めの別働隊を組織され、李牧本陣から退却した。
退却した後、別働隊10000を叩いた上で政の本隊到着を待とうとしたが、政の本隊が到着した上、武関から出現した軍が商を攻める10000を潰したため、趙に退却を促す作戦に変更した。