五日後。
11000のうち、豹司牙黒騎兵を始めとする昌平君の手勢2や飛信隊ら正規兵や僕等のような一部の例外で構成された3500の先遣された軍は、ある城を真下に見下ろしていた。
既に武関からは戦闘態勢入った旨の狼煙が上がっていた。
そして、その城から武関は程近いところに位置する。
「ここはどこなんだ? テン?」
信さんが思わず河了貂さんに聞いた。
「…………商だ。」
河了貂さんはそう呟いた。
河了貂さんによると、商は、かつて秦国の三丞相の一人、公孫鞅が領地としていた南道最大の城の規模を誇る都市だ。
だが、軍事的重要拠点とは云えないらしい。
理由はいくつかある。
・公孫鞅が処刑され、10万近くいた民が公孫鞅の側近粛清と共に離散して、以来人口が半分以下になってしまったこと。
・武関に近すぎるため、武関陥落後に迎撃態勢を整える時間がない。加えて兵糧や武器の中継地点にもなれないこと。
などがその例だそうだ。
特筆すべき点は、その規模の大きさゆえ、武関陥落という事態が発生したら、敵が武関を占領するまでに時間稼ぎが出来るということくらいだという。
「なんで先生はこんな都市を狙うんだろう?
挟撃の心理効果を与えるつもりなら…………。」
と、次の瞬間。
数万規模の人員が商の城の中に入っていくのが見えた。
「あ、あれは…………。」
それは流民であった。
この流民は、南道を逆走して李牧が攻めてくるのから逃れるために南道の始点の都市・商に来ていたのだ。
李牧も、おそらくはこの流民と衝突をおこすのを避けるため、敢えて南道最大の収容規模を誇るこの商を占領せずに武関を攻めているのだろう。
南道の兵糧の中継地点は別の都市にあり、そこを占領した李牧軍の兵糧問題は解決されている。
加えて李牧は、武関の兵の倍にも満たない兵力で武関を攻めている。
さらに幸いなことに、城門は開かれている。
ここまで語れば一見、こちらが有利な状況に見える。
いつでも商の城を落とし、李牧軍に対して挟撃の心理効果を与えるもよし、迎撃態勢を整える暇を与えずに昌平君を中心に突撃して李牧本陣まで到達するもよし。
李牧軍は休む暇もなく蕞、武関や南道の諸城を攻めて疲れているのに対し、こちらは豹司牙黒騎兵を始めとする
昌平君直営の精鋭部隊の補充を済ませているのだから、李牧軍の本陣に到達出来るのは間違いない。
だが、問題は2つ、存在する。
1つは、趙国三大天のもう1人、龐煖が李牧本陣に待機しているはずであること。
もう1つは……………。
「時間がない。 いくぞ」
「「「はっ!」」」
もう一つは、李牧の立てた最後の策にある。
合従軍の別働隊に、正面から武関を攻めさせ、李牧は裏側から武関を攻めているのだ。
関は、両側から攻められたならどのような名将が護っていてもたちまち落ちてしまう。
つまり、こちらが先に李牧を追い詰めるか、李牧が先に武関を落とすのかで勝敗は決するということだ。
商…………現在の陝西省商洛市に存在。
武関も同じく商洛市に存在したので、使ってみました。
現実において地理的に、武関の外側か内側かは申し訳ありません。分かりませんでした。