キュウリ畑にやってきた二人が見た光景は、見るも無残な光景であった。
「そ、そんな……どうしてこんな事」
にとりは急いでビニールハウスだった場所に駆け寄った。
ビニールハウスが完全に倒壊していた。いや倒壊では無く破壊と言った方が正確だろう。
地面には無数の獣のような足跡があった。そこから推測するに、野生の獣か野良妖怪か。いずれかの仕業であると疑いようが無い。
にとりはその場所にペタンと膝をついた。まるで全身から力が抜けたように。
「あ、あああぁぁッッ!! キュウリッ! 私のキュウリがッ!!」
にとりは憤りを晴らすかの如く拳を振り上げ地面に叩きつけた。
彼女の目の前には無残に喰い荒されたキュウリの残骸があちこちに落ちている。
「うぅ……ひぐぅ……な、なんで、なんでこんな事にッッ……」
何度も何度も拳を振り上げた。泣きながら振り上げた。
獣の対策を怠っていたわけではない。ビニールハウスの回りには針金の鋼線が敷き詰めていた。野良妖怪に対してもそうだ。ここは天狗たちの管理する妖怪の山であり、本能だけで動くような野良は基本的にはこんな所に来たりはしない。
だと言うのに、どうしてこんな事になっているのか?
不運にも程がある。災難にも程がある。
「にとり……」
雛は蹲って泣いているにとりの肩にそっと手を置いて呟いた。
「ごめんなさい、にとり……」
「――ッッ!?」
まるで自白をするかのように雛が謝罪した。この惨状は自分のせいであると……。
だからなのだろう。にとりのなかで何かが。何か憎悪のようなネガティブな感情がほんの一瞬だけ芽生えたのは……。
意識していたわけでもない。ただ、無意識ににとりは雛を見上げながらこう呟いてしまった。
「ひ、雛の……雛のせいだ……ッ」
「――ッ!?」
その言葉を口にした途端、にとりは我に返った。
無意識の、他意の無いただの呟きだった。決して本気で雛を貶めるわけでは無かった。本気で雛のせいだなんて思ってはいなかった。
「ひ、雛ッ! 違ッッ!!」
にとりはすぐに弁解をしようとした。だが何もかもが遅かった。雛の顔を見た瞬間、口が止まった。言葉がそれ以上、続かなかった。
「ひ、雛……?」
雛の回りに纏わりついていた『厄』。それが急激に強くなったのだ。
真っ黒な煙のような形をした『厄』は雛の姿を完全に覆い隠してしまった。真っ赤なドレスは完全に漆黒に変わり果て、雛の姿はさながら昆虫のサナギのような姿に変わった。
だが、にとりが言葉を発せなくなったのは雛の変わり果てた姿を見たからではない。
にとりは確かに見たのだ。『厄』が雛の姿を覆い隠す前の彼女の目を。
雛の回りに纏わりついている『厄』なんかよりも黒く、深く、酷く悲しそうな目をしていた。
「にとり……」
『厄』を纏い、完全に姿を隠している状態で雛は喋った。その声はとても透き通っており、綺麗な声をしていた。
「ごめんね……」
一言、そう言い残し、雛はその場から飛び去って行った。その場に在った厄の残骸も雛の後を追うようにその場から消え去った。
その場ににとりだけが残された。
にとりは雛の後を追う事が出来なかった。
それは雛の――いや、雛を酷く傷つけてしまった事が原因か……。
一体何をもって彼女を追えと言うか?
雛をあんな風にさせてしまったのは自分自身だと言うのに………
にとりは、日が沈みかける時間帯までそこから動く事が出来なかった。
…………………………………
霧雨魔理沙は妖怪の山の周辺を愛用の箒を持って航行していた。
別段、何か山に用事があったわけでは無いのだが、近くを通りかかったので散歩がてら、景色を覗いてみようとやって来ただけだ。
そして妖怪の山の上空に差し掛かった辺りで、魔理沙は見知った姿を見た。
「お、あれは……お~いッ! にとり~ッ!」
魔理沙は高度を下げ、地上に降り立った。そしてにとりの側まで近寄ると、彼女が何か様子が変だと気付いた。にとりは蹲ったまま動かないのだ。しかし、反応だけは返してくれた。
「やぁ、魔理沙。どうしたんだい?」
「お、おい、にとり? どうしたって、お前の方がどうしたんだよ? 目が真っ赤じゃないか」
にとりの目は真っ赤に腫れ上がっており、とても酷い顔をしていた。
明らかに大泣きした跡だ。誰がどう見てもただ事では無かった。
「だ、大丈夫なのか? にとり」
「わ、私は大丈夫だよ……。なんともない」
「なんとも無いわけがないだろう! にとり、どうして泣いてるんだ? 教えてくれ、私でよければ相談に乗るぜ! 誰かに酷い事をされたのか!?」
「違うッッ!!」
「ッ!?――に、にとり?」
「酷い事をしたのは……私だ……」
その後、にとりは大粒の涙を流しながら魔理沙に事の成り行きを説明した。
雛の事。キュウリ畑が壊滅した事。雛に酷い事を言ってしまった事。
何もかもを、まるで罪を吐き出すかのように言った。泣きながら自白した。
魔理沙に説明し終えた後も、にとりは泣き続けた。そしてにとりが落ち着きを取り戻すまでしばらく時間がかかった。
…………………………………
「落ち着いたか……? にとり」
「うん。ありがとう魔理沙」
にとりが泣いている最中、魔理沙はにとりの傍らに座りこみ、ずっと彼女を宥めていた。
そのお陰でにとりは何とか落ち着きを取り戻していた。
「雛が居なくなった後……」
「うん?」
「雛が居なくなった後、私はずっと考えていたんだ。畑が荒らされたのは本当に雛のせいだったのかって……」
「それで……お前は今どう思ってるんだ?」
「畑が荒らされたのは、偶然の不幸なのか、雛の『厄』が起こしたものなのか……。私はずっと考えていた。でも結局のところ、それを証明する事は出来なかった。どっちにも証拠がないからね。――でも、でも仮に……畑が荒らされたのが雛の『厄』が原因だと仮定して、雛が悪いのかと言えばそうじゃない。雛をキュウリ畑に連れてきたのは私だ。雛も畑を荒らしたいなんて思っていたわけでもない。そして雛が畑を荒らした張本人と言うわけでもない。雛は何も悪い事なんかして無いんだ。それなのに、私は……雛はちっとも悪くないのに……私は、雛を責めてしまった。何も悪い事してないのに……雛に怒りをぶつけてしまった。私は……最低の妖怪だッ!」
歯を食いしばりながらにとりは己の心を告白した。
早苗に偉そうな説教をかませたが、自分も同じだった。その事ににとりは自虐的に苦笑してしまった。
「それで……お前はこれからどうするんだ? にとり」
にとりの告白を聞いた魔理沙が尋ねてきた。
これからどうするか……分からない。
「分からない。これからどうするか……分かんないよ、魔理沙」
「いや、言葉を間違えた。これからどうするか、じゃない。お前はどうしたいんだ?」
「どうしたい……って……」
「にとり。お前はこれからどうしたいんだ? 何がしたい? 言ってみろよ」
「わ、私は……ひ、雛に謝りたい。謝ってまたいつもみたいに笑って欲しいよ……でも、今私が雛に会ったらまた雛を傷つける。雛もきっと私に会いたくないと思ってる……」
「厄神の気持ちは関係ない。今重要なのはお前の気持ちだ。にとり。お前は何がしたいんだ? 声に出して言ってみろよ」
「わ、私は……」
自分が何がしたいのか?決まってる。そんな事決まってるのだ。
にとりは声を荒げながら叫んだ。
大粒の涙を目に浮かべながら叫んだ。
「雛に会いたいッッ! 雛に会いたいよッ! 会って、謝りたいッ! そしてキュウリを一緒に食べたいよッ! 会いたいッ! 雛に会いたいんだッ!」
まるで欲望を吐き出すかのように叫んだ。
にとりの声は山全体に響き渡った。
「そうか、にとりはそうしたいんだな?」
「うんッ! 私は雛に会いたい!」
「良しッ! 決まったなッ! 厄神に会いに行けよ。お前が会いたいと思ってるならそうすべきだ」
にとりは魔理沙に思考を誘導されたような気がした。だが実際に口にしてみると決意が固くなるのを感じる。
会いたい。雛に会いたい。
より一層、にとりはそう思えるようになっていた。
いつの間にか涙は止まっていた。
「魔理沙はずるい奴だね。相手の気持ちも考えないでさ……。人間って本当に自分勝手だよ、自己中だよ」
「そうとも、人間は自分勝手な生き物なのさ。自分がやりたい事を優先的に考える。その上、私は魔女だ。自分の欲望のためなら何でもする、自己中の鑑だぜ」
「誉れる事じゃないねそれ。――でも魔理沙、ありがとう。魔理沙のおかげで腹が据わったよ」
「……そっか」
「うん。私は雛に会いたいんだ。そうしたいからそうするんだ。確かに雛の気持ちは関係なかったよ。――それじゃ、魔理沙。私はひとまず守矢神社に行く。八坂様に雛の厄の解決方法を聞いてくる。その後、雛に会いに行こうと思う。」
「そうか、それじゃ私も一緒に行くぜ。箒の後ろに乗れよ。守矢神社に送ってやるぜ」
「一緒? 一緒って、魔理沙には関係の無い事だよ? 魔理沙は人間だし、余りこの件には関わらない方が……」
「冗談じゃない。事情を知った以上私も関係者さ。それに私は『人間』。お前は『河童』。私たちは『盟友』だろ?」
「魔理沙……」
「さ、思い立ったら即行動って言うぜ。行こう、にとり!」
「うんッ!」
にとりは魔理沙の箒に跨り、その場を猛スピードで駆け抜けて言った。
必ず雛を元に戻す。
そう決意をあらたかにし、二人は守矢神社に向かっていったのだった。