一方の雛は、かなり狼狽していた。
如何に弾幕を放とうとも、その全てが逸れて鬼の方へと集まってしまう。伊吹萃香はその弾幕を一手に集め、避けるでもなく体で受け止めていた。いや避けられないのだ。萃香が弾幕を集めると言う事は、萃香に向かってホーミングされると言う事なのだから。
そして、そうしている内に、勇儀がにとりと射命丸を連れてどんどん接近して行く。
「がはッ!!」
「萃香さんッ!?」
「止まるなッ! 私に構わず行きな!」
「行くぞ、天狗ッ河童ッ!」
射命丸が叫んだ。
如何に鬼が強靭であろうともあの白蓮を落とした弾幕だ。それをその身に受けて無事で済むはずが無い。萃香に確実に物理的なダメージが発生していた。
だがそれでも勇儀は二人を引っ張って前へ前へと進んでいく。
雛は焦っていた。徐々に近づきつつある四人に。
弾幕をどれだけ放とうとも、その殆どが萃香の方へと流れていく。そして残った弾幕を勇儀がはじきながら道を作っている。
「いい加減になさい、鬼よッ! それ以上、被弾したら本当に危ないわよ!?」
雛が叫んだ。対し萃香は笑みを絶やさないまま言葉を返す。
「そう言うわけにはいかないさ! 私はあの二人に必ずあんたの所まで送ると言った! 私は鬼だからね! 嘘をつく事が出来ないのさ!」
「下らない矜持ですね。そんな事してもなんの得も無いと言うのに……。そもそも、貴女達にこんな事をする理由すら在りはしない! 何故、貴女もそこまでするのです! かつての山の支配ともあろう貴女方が! 何故ッ!?」
「言った筈だよ厄神ッ! 私たちは鬼だとッ! 鬼は嘘つきが大嫌いなのさ。嘘つきには直にぶん殴らなくちゃ気が済まないたちなんだよ!」
「嘘つき? 私が何か嘘でもついているとでも言いたいのですか?」
「そうだよ!この大嘘つきの神様め。――あんた、あの河童を傷つけたくないから消えるんだろ? さとり妖怪がそんな事言ってたからな! ――でもあんたのそれは嘘だ」
雛は酷い不快感を感じた。
心が読まれると言うのは実に不快だ。にとりの為に消える。その事実を誰にも言わぬまま消えたかったと言うのに………
だが、それ以上に目の前に迫る鬼の萃香の言葉の方が不快だった。
彼女の言っている事は矛盾している。心を読むさとり妖怪が読みとった事だと言うのにそれを嘘と言うのか?
「心を読まれると言うのは思いのほか不快ですね。しかし、それが嘘とはどういう事です? さとりさんが嘘でも言ったのかしら?」
「いや、さとりはお前の心をそのまま読みとっただけさ。そこに嘘は無い。お前も本心から河童の事を想っているんだろう? ただその想いが強すぎて、さとりはもう一つのお前の心を見損ねたのさ! お前は河童を泣かせたたくないのではなく――ただ自分が泣きたくないだけなんだろう?」
「――ッ!?」
「お前はな厄神よ――自分自身に嘘を付いているのさ! 他人を不幸にしたくないから消える? ハッ笑わせるなッ! 悲劇のヒロインにでもなったつもりか? いや、なっているつもりなんだろうな。お前はそんな悲劇のヒロインに酔いしれて、自分の本当の気持ちに気付かないふりをしているッ! 他人を守るためじゃない! お前は自分が傷つきたくないのさ! だからお前は消えるんだ!」
「だ、黙りなさいッ!」
雛の顔が大きく歪み始める。
対し、萃香は満面の笑みでさらに追撃する。
「何だ? 怒ったのか?怒ったのか!? 厄神よ。だったらもう一度言ってやるお前はな――にとりの『為』に消えるのではなく、にとりの『せい』にして消えようとしているんだ! 私にはそれが許せないッ!」
萃香の言葉に雛の中で何か途轍もない衝撃が走った。そして雛は自問自答を始めた。それは体感時間的にほんの一瞬の出来事。しかし、確実に――彼女の中で何かが決定してしまった。
自分がにとりのせいにして消えようとしている? ふざけるな、私は本当に彼女を――
本当に?
萃香の言っている事は間違っているのか?
いや、間違っているだろう?
私は彼女の為を思って――
しかし――だったら、何故にとりはこんな事をしている? 厄を取り除こうとしている?
私の為に?
それじゃなんで私は消えようとしている? にとりが必死になって私を助けようとしているのに……
ああ――そうか。
そう言う事か
本当の私は――にとりの為にではなくて――本当は――
そこで雛の中で何かが音を立てて崩壊した。
今までソレを支えにして今まで耐えてこれた。だがソレは実は全てが虚像であり嘘だった。
それが今崩壊した――萃香の言葉によって……
「………あ、あ、ああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁッッッ!!」
それは雛の慟哭だった。
今まで気付かないふりをしていた想い。厄神として恥ずべき想い。さとり妖怪すらも気付くことなく、心の奥底に隠していた本当の想い。真実の中に隠してきた真実――その全てがむき出された。眼前の鬼によって。
憎い。
ただ途轍もなく憎い
美しい想いの元、消えようとしていた決意。その全てが崩された。
心をむき出しにされた雛の憎悪は、厄へ変わり始める。その厄は今までよりも黒く、禍々しい存在であった。
そしてそれは弾幕に姿を変え始める。その弾幕はあらゆる者を死へと誘うかのような――それほどまでに禍々しいオーラを出していた。
「よ、よぐも……よくも私の心をッッ!!」
一斉に弾幕を萃香に向けて放った。
萃香は相も変わらず笑みを絶やさない。迫りくる弾幕を萃香は避けようともしなかった。能力を使ってホーミング状態にしていないにも関わらずだ。避けても良い筈の弾幕を彼女は避けずにいた。いや避けられなかった。
勇儀たちを守るために、一手に弾幕を受けていた彼女の体はすでにボロボロだった。避ける気力すら彼女には残されたはいなかった。
だが、それでも彼女は笑っている。
そして弾幕が命中し、流血が伴いながらも笑っている。
雛は萃香の不幸を願った。そして弾幕が萃香に命中し、これで少しは彼女が懲りたかと思った。でも実際はそうでなかった。彼女はずっと笑っているのだ。愉快そうに……。
そして雛は確かに見た。そして聞いたのだ。萃香の最後の言葉を……
『――私たちの勝ちだ』
「捕まえたぞ。厄神。」
大きな拳が雛の腹部を直撃した。
「――かッ――はッ――ッッ!?」
腹部に感じる鈍い激痛。肺から空気が漏れ出し、胃の中の残留物が喉元に来るのを感じた所で雛はようやく事態の把握に成功した。
そして、その光景を眺めながら萃香は呟いた。
『ハハ……私の戯言に付き合うから……そうなる……のさ』
そして笑みを絶やさないまま意識を失い、地上に落下して行く事となった。
一方の雛は目の前の三人に完全に包囲されていた。
「雛……」
「に、にとり……」
大切な人の悲しそうな顔を見て、雛はこの場から消えたいと切に願った。だが状況はそれを許しはしない。
「お前を一発でも殴らなくちゃ、私の気が晴れなかったんでね。安心しろ、手加減はしておいた。大して痛くは無かっただろ?」
「雛さん。もう終わりです」
正面にはにとりが。そしてその左右には射命丸と勇儀がいる。この状況で何か動きを見せられるはずが無い。
そしてにとりは雛の目を見ながら――そしてどこか悲しそうな目をしながら説得した。
「雛、もう止めようよ。もう雛の厄はとっくに無くなっているんだ。雛が願えば、また元の生活に戻れるんだ」
「も、元になんか戻れない」
「戻れるさ。絶対に戻れる。私が保証する。だから――」
「戻れないッ! 戻れないわ、にとりッ! 絶対に戻れない!」
「ひ、雛? ――やってもいないのに何で最初からあきらめちゃうんだ!? 何でッ!?」
「こ、恐いのよ……」
「恐い?」
自分のせいで誰かが不幸になる。自分に近づいた者は不幸になる。
自分はそう言う存在なのだと。そう思っていた。だからこそ、他者の不幸な出来事を見ても何も思わなくなっていた。
だが、にとりがそれを変えた。
幸せと言う物がどういう物なのかを教えてくれた。
しかしその結果、他者の不幸という物を見る事が恐くなってしまった。その不幸が自分のせいなのかもしれないと思うと、胸が締め付けられそうな罪悪感に苛まれる。それが堪らなく辛いのだ。
「あ、貴女のせいよにとり――貴女に出会って私は……他人の不幸を見る事に苦痛を感じるようになってしまった。私は厄神として、弱くなってしまった」
「それは違うッ! 雛、君は弱くなったんじゃない、学んだんだ! 不幸や災厄がもたらす物がどういう物なのかを――。雛、逃げちゃ駄目だ! その痛みから逃げないでッ!」
「私は……そこまで強くない……」
「雛……」
二人の会話は何処まで行っても平行線をたどっていた。
そしてしびれを切らしたかのように、勇儀がその場にしゃしゃり出てきた。
「だああぁぁッッ!! ぐちぐちぐちぐちと……お前のようにハッキリしない奴を見ていると本当にイラついてくるッ! おい河童ッ!私はもう限界だぞッ! その厄神をさっさと気絶させるなり縛るなりしてとっちめろッ! それで今回の騒動は終わりだッ!」
「ゆ、勇儀さんッ! なんてこと言うのですか!?」
射命丸が懸命に勇儀を諌めている。
だが勇儀は今にも雛にかかって行きそうな勢いだ。
物事にハッキリした態度を示す鬼のサガと言うべきか――。
少なくとも、勇儀には悪意は無い。少し休んで頭を冷やせばすぐに治るだろうと言う考えの元発言した言葉だ。
だが、そこはやはり鬼だなと言うべきなのだろう。強者は弱者の姿を意識しないが、弱者は一方的に振り回される。
不安定になっている雛にその発言は無かった。
「あ、貴女のような粗暴な人に……ッッ!!!」
突然、雛の体から大量の厄が発生し始めた。
ただの厄ではない。その厄は触れる事が出来ないと言うのに、向こうからは一方的に動きを封じこむ事が出来る粘着質な厄。白蓮の動きを止めた厄と全く同一の物だ。
厄は瞬時に三人を包み込むと同時に、動きを封じた。
「な、何だッ!?これはッ!?」
「こ、これは白蓮さんの時と同じ……ッ!」
「ひ、雛ッ!」
鬼の勇儀の力をもってしてもほどく事が出来ない。物理的な力がまるで通じないのだろう。
「――何でかしら? 消えたいのだったら最初からこうしてしまえば良かったのに……。なんで私は行儀よく貴女達の話を聞いていたのかしら? うふふ、多分、まだ自分でもどこか希望でも見出していたのかもしれないわね」
雛は思わず苦笑してしまった。そして厄はにとりたちの手足を縛るだけでなく、口を封じるように三人の顔に巻かれていく。
「ん゛ッ……ん゛~ッッ!!」
喋る事が出来なくなったにとりに、雛は近づき優しく伝えた。
「ごめんね、にとり。今、貴女の声を聞いたら、また決心が鈍るわ。私は消える――もう決めた事なの」
「ん゛ッ!ん゛ん゛~ッッ」
「安心して。その厄は私の厄だから、私が消えると自然に消滅するわ」
「ん゛ッ!ん゛~ッ!!」
雛は、そっとにとりの頬に手をやった。そして愛でるかのように指をゆっくりと頬を撫で、実に綺麗な瞳をしながら言ったのだ。
「今までありがとう、そしてキュウリ畑の件はごめんなさい。――大好きだったわ、にとり――さようなら」
そう言って、雛はにとりたちに背を向けた。
どんなに叫ぼうとも、声を出す事も、手足を動かす事も出来ない。
にとりは目の前が滲んでいくのをただただ、見ているしかなかった。