およそ一年前くらいにPixivに上げたものです。
それは、いつもと変わらない、ちょっと変わった、でもそれなりに平和なある日のことだった。私は、いつものように紅魔館の玄関の掃除をしていた。本当に、いつも通りだった。
突然。本当に、突然のことだった。何の前触れもなく、いきなりある感覚に襲われた。普段自分が能力を使った時にほんの少し感じる、誰かが時を弄った時に生じる、違和感のようなもの。それを、今、感じた。
そして。
それと同時に、私はふと自分が誰かの腕の中にいるのを感じた。少し低めの体温。ながら、愛しいお嬢様や妹様、それからいつも悪戯で飛びついてくる美鈴のものとはまた違う。だからと言って、全く知らない温度でもない気がする。
じゃあ、誰か。考えることほんの…一秒以下だったと思う。記憶は、恐怖と共に蘇ってきた。
「お嬢さん、みぃつけた。」
震えが、止まらなくなった。本当に久々のことだった。
「そう言うレミリアちゃんはどうなの?誰か好きな人とか、いないの?」
どきっ。その瞬間、すっごく心臓が跳ねた。きっと今のは全世界記録だったに違いないわ。きっとわたし、動揺してるのね。でも、わたしカリスマだもの。こんな動揺、隠し通すくらい簡単よ。
「そそそそっんなわけっけなななないわああわわ。」
完璧ね。動揺の欠片も感じさせないくらいに言えたわ。顔だった赤くならずに済んだし。本当にわたしってカリスマ。
「…レミリアちゃん、嘘つかなくていいよ。好きな人、いるんでしょ?」
「ねえこいし、その目、実は薄目開けて見てるんでしょ?」
そうでもしないと、わたしの完璧な動揺隠しを見破るなんてできないわ。
「そんなことするわけないよ…で?で?誰なの?わたしが言ったんだから、レミリアちゃんも言わなきゃダメだよ?」
「…うー☆…」
「ごまかさないのー!」
「…いない、もん。」
「ふぅーん。」
言えるわけないじゃない、わたしみたいな気高い吸血鬼が、一人間にすぎない咲夜を好きになったなんて。しかも、主従関係だし。
「でも、そんなにツンツンしてたら、嫌われちゃうよ?」
「そんなわけないわ!咲夜がわたしのこと嫌いなわけないわ!」
「そう?でも、伝えなきゃ分からないと思うけれど…」
だからわたしは毎日お姉ちゃんに大好きって言ってるの、そうこいしは笑いながら言ったけれど。
「全く、そんな浅い関係のあなたたちに言われたくないわ。わたしと咲夜は、能力とか関係なく、お互いの心が分かるのよ。わたしには分かるの、咲夜は私を好き。愛してる。」
あらあら、これにはあのこいしもびっくりしたみたいね。まるで一見痛々しい発言をした小学生を見ているかのような顔でわたしを見つめた。まあ、能力が能力だから、覚妖怪には分からない感覚なのかもしれないわね。全く、本当に可哀相な生き物だわ、覚妖怪。
「…じゃあ、試してみたら?」
「試すまでもないわ。」
「あら、それなりに楽しいと思うけど?レミリアちゃんがすっごいイケメンと仲良くしていたら、咲夜さん、どんな顔するかしら?もしかして、その人に惚れちゃったりしてね?咲夜さん、恋のライバルみたいになっちゃったりしてね。」
「そんなことないわ。」
すっごいイケメンねぇ…ふとお兄様のお顔が浮かんで、消えていった。
…惚れないわよね、咲夜?
別に咲夜を信じていなかったわけじゃないわ!ええ、断然そうじゃないのよ!わたしは心底咲夜を信じていたわ!
でも、ちょっとくらい、試すくらい、許されるとも思ったし、咲夜に妬かせてみたいとも思ったし、それから咲夜が「いけませんっ、私には愛しいレミリア様がっ…!」なんて言ってるのを想像したらよだ…じゃなくて、そういう台詞を聞いてみたいとも思ったから。
だから、ほんっとうに久々に、お外の世界でぶらぶらしていらっしゃるお兄様に、連絡をとってみることにした。
「どなた…ですか?」
「ヤだなぁ、忘れちゃった?ボクだよ、ボク。」
耳元で囁かれる、所謂セクシーボイス。これが普通の夢見る乙女ならイチコロとやらなのでしょうが、如何せん相手が相手ですから。私、お嬢様以外に興味ありませんから。
「あの夜のこと…忘れるわけなどないでしょう?50943号。」
遠い遠い昔。私が外の裏の世界で吸血鬼ハンターとして名を馳せていた頃。その私が殺り損ねた、数少ない吸血鬼のうちの一人。本当に、死ななかったのが奇跡だったくらいの激しい争い。そして、身体から離れない、あの時の恐怖。すっかり忘れたと思っていたのに、やっぱり、忘れられるわけなどなかったのだ。
「その名前で呼ばないでよ。…ああ、本名を教えてなかったね。」
ボクは、ラドゥリッツ・スカーレットって言うんだ。そう男が、耳元で囁いた。
なんでよ!?打ち合わせでは、「この方はわたしの恋人なのですよ」って咲夜に紹介するはずなのに!なのになんで紹介の前に咲夜に会っちゃってるのよお兄様!しかも、なんかよく分かんないけれど、玄関で!玄関で!みんなが見る可能性のある玄関で!堂々と抱き合ってるし!なに!?なんなの!?お兄様何してるのよ!いや、っていうか咲夜も振り払いなさいよ!
「あの夜のこと…忘れるわけなどないでしょう?」
…え…?あの夜…?え?忘れられないって?え?咲夜?え?お兄様と夜に何をしたっていうの!?あの夜って何!?夜に何をするの!?前にパチェに似たようなことを聞いたことがある。確か、図書館で「黒魔法少女と紫魔女の夜~二人きりのサバトに溢れる甘い蜜~」っていう本を見かけた時のことだったと思う。それで、夜って?何するの?って聞いたら、パチェは、さも取り繕ったかのような真顔で、「昼は憎しみの時間、夜は愛の時間なのよ」なんて意味深なこと言ったけれど…。
もしかして…咲夜は、「あの夜」に、お兄様と、愛を…愛を…愛…って、作るものなのかしら…えっと、ああ、違うわ、交換する…
交替?交差…そうだわ、愛を、為替したのかしら?
そんな…お兄様…そんな、咲夜…。
「その名前で呼ばないでよ。」
そう言って囁くように名乗るお兄様の声が…えっと、色…色…色々?色鉛筆?ああ、そうだわ、色とりどりだった。
「えーっと、咲夜、改めて紹介するわね。ラドゥリッツお兄様よ。今はお外の世界で暮らしていらっしゃるの。」
目、紅色。髪、金色。お嬢さまと妹様、両方との共通点を持っていると言われたら、確かにそうだけれど。それにしたって、全然似ていないわ。お嬢さまも妹様も、心が真っ白なくらいピュアで純白で何の穢れもないけれど、この男からは、穢れしか感じない。
「今日は里帰り…とは違うけれど、わたしの顔を見に、幻想郷に来て下さったの。しばらくここに滞在することになるから、咲夜もお世話よろしくね。」
嫌よ、なんて、言えませんよ、お嬢さま…だって、こんなんでも、私の主のご父兄ですものね…。
「先程はご挨拶できず申し訳ございません。昔は色々しておりましたが、今はレミリア様にお仕えしております、十六夜咲夜と申します。」
できるだけ嫌悪感が表に出ないよう、冷静な表情を取り繕って、完璧に瀟洒なお辞儀で挨拶をする。
「いや、ボクの方こそ、さっきは驚かせてしまってごめん。改めて、よろしくね、咲夜。」
咲夜ですと!?咲夜って!咲夜って!いや、一メイドなんてそんなふうに呼ばれるのが普通なのかもしれないけれど!でもこの男の場合、絶対そういう意味で呼び捨てたんじゃないわよね!?絶対に、なんか、こう、気持ち悪い愛情…っていうか欲のこもった呼び捨てよね!?あー、気持ち悪い…なんて思う間にも瀟洒な従者の顔が出来るのだから、我ながらこの性格が、もう逆に損だと思えてきたわ…。
そして。呼び捨てだけでは満足できなかったらしいラなんとか様は、なんとまあ図々しくも、私に握手を求めてきた…というか、片手を差し出すということは、そういう意味よね。全く、私の手に触れていいのは、お嬢さまか妹様だけなのに。美鈴にさえ許さないのに。パチュリー様は…まあ、許してやってもいいけど、そういうことしないから、あの人。
仕方なく、右手をそっと差し出したその瞬間。ラ様は信じられないことをやりやがった。
手の甲に、キス。これには流石にキレそうになったわね。瀟洒顔に、かあっと血が上った。こいつも吸血鬼だしナイフの一本や二本くらい刺したって死なないんでしょう、そう思ったけれど、寸での所で止まった。だって…私は、メイド、だから。それにコイツは、こんなんでも、お嬢さまのお兄様だから。
「ふふ、そんなに顔を真っ赤にして。照れてるのかな、咲夜?」
「そういうわけでは、ございません。」
精一杯怒りを抑えて応えると、あのラ様は更に調子に乗りやがって、やりやがりました。
手の甲を。
ペロリと。
流石に殴ろうと思った、その時。
かぷっと、同じく手の甲に軽い甘噛みを感じた。けれど、嫌な感じじゃない。私には、分かる。もう甘噛みだけで、誰の甘噛みか分かる、それくらい、私は、お嬢さまのことを、ああ、お嬢さまのことを、愛しておりますお嬢さまああお嬢さま。
「…お兄様ばっかりずるいわ。私も。っていうか、咲夜は私に仕えているのよ?」
「はは、ごめんごめんレミィ。ちょっとからかいすぎたよ。」
「本当です…お二人とも、困ります…。」
今顔が赤いのは…お嬢さま、貴女のせいですよ。私は今、幸せで顔が赤くなっております。
「先程はご挨拶できず申し訳ございません。昔は色々…」
その後の言葉なんて聞こえてこなかった、っていうかどうでもよかった。っていうか!なによなによぅ、色々って、お兄様と咲夜ってば、昔、何があったのよ!え?色々…?色々って?色々?色々…
―色々なところに連れて行って下さいましたよね、ラディ―
うわぁぁぁそんなことあってたまるかぁぁぁ咲夜と一緒に色々なところに行くのはわたしだけでいいんだもぉぉん!違うもん!きっと、こうに違いないわ
―色々と恥ずかしいところをお見せしてしまいましたね、ラディ―
咲「私、私、もう泣かない…泣いてなんていられない!」
ラ「お願いだ咲夜、ボクの前でだけは、強がらないで」
咲「でっ…でも…ラディ…」
ラ「いいんだよ、咲夜」
ラドゥリッツ、優しく咲夜を抱きしめる
咲夜、ラドゥリッツの胸に顔を埋め、静かに涙を流す
ラドゥリッツ、優しく咲夜の髪を撫でる
違う違う違う!そんなわけないわよ!大体お兄様そんな優しくないし!それに、咲夜は強いのよ、それに、それに…私のほうが、咲夜に優しくできるもん…。
じゃあ、
―色々な愛の言葉を―
いやぁぁぁぁぁ!考えたくない!考えたくない!
うー…でも、悔しいけど、わたしはお兄様みたいにぽんぽん愛の言葉を囁けるタイプじゃない。わたしは…愛の言葉が、足りないのかな…。
なぁんて思っていたら。突然、目の前に驚きの光景が広がっていた。突然、だったから、きっと咲夜が例の能力を使った…んだと思う。だって、わたし、ずっと咲夜のこと見てて、別に他の世界に没頭してたりなんかしてないもん。
…二人っきりの時間を、過ごしてたのかな、咲夜。
わたしの目の前で、お兄様が、咲夜のお手てにちゅうしていた。
しかも、咲夜は咲夜で、抵抗もせず、ただ、顔を真っ赤にさせて、震えているだけだった。わたし、知ってる。恋をしてる時って、とりあえず震えるんだよね…?
咲夜…お兄様のこと、好きなのかな…。
しかも、お兄様はなぜか、その後咲夜のお手てをぺろってした。どうしてぺろってしたのかは分からなかったけれど、より咲夜が真っ赤になったから、きっとちゅう以上に、えっと、その…ちゅう以上に、なんなんだろう…恥ずかしいこと、なのかな?
でも。
流石のお兄様でも、許せないわ。
かぷっ。すかさず、咲夜のお手てに噛みついてやった。わたしはいつもけっこう強く噛んでやるんだけれど、咲夜はいつも「これくらいなんともありませんよというかむしろご褒美です」って言って、我慢してくれる。本当に、咲夜って、いい人だと思う。大好き。
…なのに、こんなに痛く噛み付いちゃって、わたし、悪い子だな…悪魔って言われても、仕方ないかもしれない。
「…お兄様ばっかりずるいわ。私も。っていうか、咲夜は私に仕えているのよ?」
「はは、ごめんごめんレミィ。ちょっとからかいすぎたよ。」
「本当です…お二人とも、困ります…。」
そう相変わらず顔を真っ赤にさせながら咲夜が言った。
困る…のは、お二人、じゃなくって、わたし、なんだよね?お兄様と咲夜の二人っきりの幸せな時間を邪魔しちゃって、だから咲夜は困ってるんだよね?
…でも、ごめんなさい、咲夜。それでもわたしは、咲夜が大好きだから、邪魔させてください。
ほんっといい加減にして欲しいわ、あのラ様。
まず、料理中に抱き着いてくるな。(私に)包丁刺さりそうだし、刺してしまいそうだし、火を扱っている時とかだったら燃やしてしまいそうだし。
いい加減に作り笑いであしらうのも面倒臭くなってきたわ。
お兄様と咲夜、すっごく仲良さそう。
まず、お台所でいちゃいちゃしてる。咲夜は気づいていないかもしれないけれど、わたしはちゃんと知ってるんだもん。
時々、咲夜は険しい顔でじぃっと包丁を見つめている時がある。
―私はお嬢さまのもの。でも、ラドゥリッツ様と一緒になりたい。そうするには、方法は二つ。一つは、これで私を刺して、ラドゥリッツ様も刺してしまって、二人で一緒に眠ってしまうこと。もう一つは、お嬢さまを刺してしまって、私が自由になること…
違う違う!咲夜はそんなこと…そんなこと、考えないもん…。きっと、この包丁研ぎに出したばっかなのに切れが悪いわ、なんて考えてるに違いないんだから…。
それから、咲夜はじぃっと火を見つめている時もある。
―私とラドゥリッツ様の恋の炎は、きっとこれ以上に燃え上がるのだわ!―
違う違う、違うってば!
咲夜は…身も心も、わたしに捧げた…はず…だもん…。
お洗濯の時なんかはもっと面倒。だって。あの人。
まあ兄弟なのだから、お嬢さまと妹様のは三九八歩譲って許すことにしましょう。でも!でも!私の下着まで観察して、しかも!
「へぇ~咲夜ってこんなの着けるんだ?」
「ボク、こういうの好きだよ。」
「もしかして、ボクの好み知っててこれ着けてる?」
「ねぇ、誘ってたりする?それなら、応えなくっちゃね?」
セクハラなんて初めてで(だってお嬢さまのはセクハラというのにはあまりに可愛すぎるしお嬢さまにだったら何をされてもセクハラにはならないし)、もう怒りを通り越して、とうとう目に涙溜まりましたよ、ええ、悔し涙というやつです。
それでもキッと睨み返してやれば、今度は
「はは、ごめんごめん。」
なんて言いながら、目の端をぺろりと…ぺろりと!ああ、これはものもらいに…いえ、目に厄が溜まって…いいえ、目が穢れてしまうわ!後でお嬢さまに消毒…じゃなくて、目にアルコールでもぶっこんでしまわないと。
それで私が無視して仕事に戻ろうと踵を返すと、今度は後ろから抱き着いてきて、
「…咲夜のスリーサイズ、頂き。案外着やせするタイプ?」
もう、お嬢さま、私…。
それでも、頑張りました。
だって、お嬢さまの大切なお兄様だから。
きっと、こんなんでも、ラ様を傷付けたりすれば、お嬢さままで傷付いてしまうだろうから…。
咲夜は、お兄様の好みに合わせて下着を決めていたんだ…目の見えないところまで、お兄様の好みに合わせていたんだ。
しかも、誘う…きっと、デートのことよね?いつ誘ったのかしら、お兄様が誘ったのではなくて、咲夜が、誘った、のよ、ね…?
しかも、咲夜は…きっと照れくさくてたまらなくなったのよね、涙を浮かべて、そしたらお兄様がぺろっとして、ぎゅっとして…咲夜…咲夜…どうして?どうしてそんなにお兄様と仲良くするの?せくはらよー!って、叫ばないの?
…きっと…嫌じゃないから、なのよ、ね。
「パチュリー様、紅茶をお持ちしました。」
パチュリー様は、少し前から文筆活動をなさるようになった。残念なことに、どのようなお話を書かれているのかは、一切教えて下さらないけれど。
そして、その執筆活動のお供の紅茶が切れないよう、ちょくちょく図書館にお茶を淹れなおしてお届けするのも私の仕事の一つ。不思議なことに、この図書館には、あの男は寄りつかなかった。もしかしたら、あの男とパチュリー様は、お知り合いなのかもしれない。
「ありがとう咲夜。…って、なんだか疲れているようだけれど。」
「え…ええ、一人分、お仕事が増えましたから。」
あまりに苦し紛れすぎる言い訳だと思った。きっとパチュリー様も納得しては下さらなかっただろう。この私が、たかが一人面倒を見る人間が増えたくらいで疲れることはない、きっと、知っていらっしゃるだろうから。
「我慢は身体に良くないわよ。…
あ…そのまま、口が塞がらなかった。
「話して分からない方ではないわ。それに、貴女のこと気に入っているようだから、少しくらい文句言っても、レミィに告げ口するようには思えないし。」
「そうで…しょうか…。」
「…全く、少しは自分の気持ちに正直になりなさい。貴女はレミィのことを気遣いすぎなのよ。」
そう言ってパチュリー様は、すっかり冷え切ったポットをトレイに乗せて返し、代わりに私が新しく持ってきたポットから温かい紅茶をカップへと注いだ。
下がってよろしい、その合図だった。
咲夜が図書館を去るタイミングを見計らって、わたしは図書館へと入って行った。
「…全く…。」
パチェは、飲みかけていたカップをソーサーに置いて、それから、なぁに、とわたしに話しかけてきた。
「パチェ…わたし、わたし…」
何が言いたかったんだっけ?わたし、パチェに何を言おうとしたんだっけ?
「…わたし、咲夜にシンジュウしてほしくないの…」
「はぁ!?」
「…だから、咲夜をカイコするしかないの…」
「はぁぁ!?」
「でも…でも、嫌なの…咲夜に、わたしのこと好きになってもらいたいけれど、でも、咲夜に幸せになってもらいたいの、元気になってもらいたいの、咲夜が、両想いがいいの…」
「はぁぁぁ…」
パチェは大きく溜め息をついた。
それから、がしっとわたしの肩をつかんで。わたしの目を見て、言った。
「貴女もね、レミィ。自分の気持ちを正直に咲夜に言いなさい。プライドとかカリスマとか、そんなことばかりに気を遣って、肝心なところがダメでどうするの。」
「でも、咲夜、優しいから、わたしのこと、嫌でも嫌いって言わないから…」
「だから!気を遣わないの!以上。」
そう言って、パチェは机へと向かい直して、紅茶を飲み始めた。
もう話は済んだわ、その合図だった。
パチュリー様とお話して決心がついた。
今夜、ラドゥリッツ様とお話してみよう。
パチェとお話して決心した。
今夜、咲夜とお話してみよう。
「真夜中に男の部屋に忍び込むなんて…君って意外と大胆だったんだね、咲夜。」
無言。私は、そんな冗談を言うつもりで此処に来たのではないのだから。
「ラドゥリッツ様。」
「初めて名前を呼んでくれたね。」
「もうこれ以上、私に構うのはやめて頂けませんか。」
彼がどんな顔をしているのかは分からなかった。別に暗かったからではない。夜目はよく利く方だ。
答え、私が深々と頭を下げていたから。
「どうして?」
意地悪を楽しんでいる声。それが、聞こえてきた。
「主従関係を気にしているのかい?」
「そうではありません!」
「じゃあ、誰か他に好きな人でもいる、とか。」
「っ…」
何も言えなくなった。
肯定すれば、相手は誰かと問われる。正直になれ、パチュリー様は言った。でも、でも。もし、この人が…私にあれ程の深手を負わせるくらいの力の持ち主が、もし、万が一、お嬢さまに嫉妬、報復でもしたら。
でも、否定も、できなかった。
「沈黙は肯定と受け取るよ。で、誰?」
先程より冷たい声。ああ、これだ。私がかつて恐れ、震え、敗れた、あの時の声。背筋が凍るほどの、恐怖。
「そ…それは…その…。」
「言いなよ、咲夜。じゃなきゃ、無理矢理ボクのものにしちゃうよ?」
するりと頭から首へと片手が滑る、かと思ったら、もう片方の手も私の首へと掛けられた。絞める?それとも、吸う?
「ほーら、咲夜、早く言わないと…あー、やっぱりボクのにしちゃおうかな。」
ぞわり。色んな意味で恐ろしくなった。
そう言えば、妹様も、こんな、感じ、だったこともあった、ような…。
「…わかり…ました…。」
私が絞め殺されることなど、きっとお嬢さまも望まないだろう。お嬢さまは…お優しいから。
「ラドゥリッツ様の、ものに、なり、ます…。」
涙がぼろぼろ零れた。悔しさ?苦しさ?恐怖?もう、分からなかった。ぐちゃぐちゃ、もう、色々、ぐちゃぐちゃだった。
「じゃあ、誓いを。」
もちろん此処にね?そう言って、ラドゥリッツ様はご自身の血のように赤い唇を指差した。
嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ…
全身が、全心が悲鳴を上げているのに、私は、まるで愛しい人にでもするように、ゆっくりとラドゥリッツ様の首の後ろへと両腕を回し、顔を近づけ、その美しいお顔に、よく見れば私の愛し人に似ていなくもないその顔に、自らの顔を近づけていった。
その時だった。
「咲夜ぁ!だめえっ!」
ドアが叩きつけられるように開かれた音が聞こえた。
咲夜のお部屋に行こうとしたら、咲夜がお兄様のお部屋に入っていくのに気づいた。
嫌な予感がした。
夜。
パチェの言葉。
愛の時間。
なんか顔が一瞬ぽっとなったけど、すぐに頭をぶんぶん振って、それから、お行儀が悪いのはわかったけれど、お兄様のお部屋のドアの鍵穴から、そっと中を覗いた。声の方は、別に聞き耳を立てなくても十分聞こえた。だって、吸血鬼って、目も耳もいいのよ?
それから、色々咲夜とお兄様が難しいことを言って、本当によく分からなかったけど、咲夜が泣きながらお兄様にちゅうしようとした。
だから、突入した。
「さっ…」
ちょっとだけ、恥ずかしかったけれど。
「咲夜がちゅうしていいのはわたしだけなんだからっ!ちゅうしたいんなら、わたしにしてよっ!」
「んで、それからは咲夜とレミィは抱き合ってわーわー泣いてから、仲直り。ついでに多分、二人とも両想いだって気付いたと思う。」
「でも、言わせられなかったんでしょう?」
「…まーね、そこんとこは。流石にこの俺もね、そこまでは無理だったわ。」
「じゃあ、キスは?」
「いーや、結局咲夜がレミィのほっぺにしただけ。マウストゥマウスはナシ。」
「だから言ったのよ、貴方に恋のキューピッドなんて出来ないって。」
「いや、けっこー自信あったんだけどなー、それに、二人今日同衾だし?」
「残念。レミィと咲夜が一緒に寝るのは、今日が初めてじゃないわ。咲夜が此処に来てすぐの頃とか、しょっちゅうだったし。ってことで、報酬は無し。いいわね?」
「ちっ、残念。お前の書いた『本』、結構外じゃあ売れんだぜ?」
「あらそう、残念ね。」
「あ、じゃあ、代わりに俺とお前くっつけるから」
「拒否。」
「じゃあ、お前と…そーだな、あの黒魔女っ子さんくっつけるから。」
深夜のヴワル魔法図書館。
そこの主は、ほんの一瞬だけ動揺したような顔をして見せたが、それも本当に、ほんの一瞬のことだけだった。
「…やっぱ、拒否。アンタには無理よ。」
「ちぇっ。」
その後。
相変わらずラドは紅魔館でのだらだら生活を続けたが、咲夜へのセクハラは止んだ。その代わりに、俺はキューピッドだの、急にデカい態度をするようになった。
そして、ある日。何の前触れもなく、「じゃ、そろそろ帰るわ」と言って、まるで何処かへ出かけるかのように、玄関から出て行った。「結婚式には呼べよな、咲夜、レミィ。」なんて台詞を残して。
そうして、再び、紅魔館の、本当に、ちょっと変わった、平和な日々が取り戻された。
…やれやれ、これで私も安心して暮らせるようになったわ。何せ、私の「本」の内容、咲夜やレミィにバラされる恐れがなくなったんだから。
最後までお読み下さりありがとうございました。
オリキャラ苦手等の方にも読めるものを目指しましたが、いかがだったでしょうか。
一言でも感想等いただければ幸いです。