かんパレ ~波濤幻想~   作:しょっぱいいぬ

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第7話 大規模作戦計画

 提督による艦娘の艦隊運用は、距離による影響を大きく受ける。

 司令部機器の出力や艦種などの条件によって若干異なるが、おおむね100kmを超えるあたりから、情報の伝達に支障が生じ始めるとされていた。

このため、大半の艦隊には司令部機能が備えられた指揮艦艇が配置されている。長距離の出撃の場合、提督は指揮艦艇に座乗、艦隊に同行して戦闘指揮をとるわけだ。

ただし、沿岸警備を主とする小規模艦隊などは指揮艦艇が配置されていないことも多い。こういった艦隊に大規模作戦等で長距離出撃の必要が生じた場合は、指揮艦艇を持つ他の艦隊の提督に、艦隊の指揮権を一時的に委譲(いじょう)することで対応することが一般的だった。

 

 熊本警備府所属第816艦隊も、現在のところ、このような運用を想定されていた。

 

 

 

 1999年3月6日 一四三三 天草諸島下島西岸沖

 

 

 

 この日は、九州全域に強風波浪警報が発令されていた。荒天の中、816艦隊は艦隊訓練を実施していた。

 

 冷たい雨混じりの叩きつけるような風が吹き荒れ、海面は激しく波打っている。

 万里(ばんり)波濤(はとう)、とはよくいったものだな、と長月は内心ぼやいた。

 艦であった時も楽とは言えなかったが、この小さな艦娘の体になるとまたひときわ厳しい。なにせ海面の高低差は下手すると10メートルを軽く超える。3階建ての建物の屋上まで持ち上げられ、すぐに1階まで下ろされる。これを絶え間なくくりかえされるようなものだ。

 

『みんな、がんばって。戻ってくる頃には、お風呂、沸かしておくわ』

 

 そう励ます一乃の声。彼女の方も、決して楽ではないだろう。

 提督は強風や波浪により目まぐるしく変わる周囲の状況を把握、分析して艦娘にフィードバックし、索敵その他の能力の低下を少しでも補わなければならない。荒天下での艦隊運用は、穏やかな海に比べて数倍の情報処理能力が要求される。そういう意味では、荒天時の訓練は艦娘だけではなく、提督の艦隊運用の訓練でもあるのだ。

 

「お風呂……。なんだか、とても遠い世界の気が、するね」

 

 響がひときわ大きな波を乗り越えながらいった。

 

「まったくだ。さっさと訓練を終わらせて帰りたいところだが……それにしても、こんな状況で砲撃や雷撃など、当てられるのか?」

 

 長月は標的代わりに浮かべた発泡スチロール箱に単装砲を向けようとして、悪戦苦闘していた。自分も標的も波風にもみくちゃにされている状態では、ろくに狙いをつけることもできない。

 

「当たらないなら当たる距離まで近づくのよ。こんな風にね」

 

 叢雲がそう言いつつ、波間を縫って標的に接近。ほとんど手が届きそうな至近距離で12.7cm砲をぶっ放し、標的を吹き飛ばした。

 

「もしくは、こうだな」

 

 木曾が別の標的に近づくと、やおら腰の超硬度カトラスを抜き放ち、目にもとまらぬ速さで標的を串刺しにした。見ているこちらの方がぞっとするような手並みだった。

 

『か、格闘戦って……』

「士官学校じゃ教わらなかったろうけど、けっこう有効なのよ。今日みたいな大しけの日だとか、月のない闇夜とかね」

「発砲音がしねぇし故障とも無縁だからな」

 

 絶句する一乃に、叢雲が肩をすくめ、木曾もうなずく。

 

「対馬海戦なんかでも、水雷戦隊が闇夜をついて敵艦隊に突入して、超近接戦で戦ったことがあったぞ」

「あら、木曾もあの作戦に参加してたの?」

「なんだ、叢雲もだったのか。知らなかったな」

「あの闇夜だし、自分の艦隊以外は味方の顔もろくに見えなかったものね。敵はもちろん、味方が全部で何人参加してたのかもわからなかったし」

「ま、どっちにしろあんな滅茶苦茶な乱戦は二度とごめんだな」

「同意するわ」

 

 心底うんざりしたような顔の二人を見て、長月と響は思わず顔を見合わせた。

 

『叢雲の(それ)ってそのためのものだったんだ……』

 

 一乃の納得したような声

 

「あのね、格闘戦のためでないなら今までなんだと思ってたのよ」

『ええと、趣味かなって。ほら、大きなシルバーアクセサリー、みたいな?』

「アンタの中の私はいったいどんな趣味してんのよ!」

 

 叢雲の声がきん、と無線を震わせる。一乃は耳を押さえているに違いない。

 

「しかし、こう上下運動が激しいと、目が回ってくるね」

 

 響がぼやいた。

 彼女は駆逐艦の中でも小柄な部類に入る。体躯は長月もあまり差はないが、特型駆逐艦の背負う艤装は、睦月型のそれにくらべてかなり大きい。いつものクールな表情は崩していないが、さすがに動きに疲れが見えた。

 

「ま、この小さな体でも良いことはあるわよ」

「良いこと?」

「とりあえず、波で首がもげる心配はしなくても済むじゃない?」

「……なるほど、確かにそうだね」

 

 涼しい顔で言う叢雲に響は笑った。

 だが、長月は笑おうとして失敗した。木曾もなんとも言えない顔をしている。

 

『あの……叢雲……』

「なによ」

『それ、笑えないんだけど……』

 

 さすがに司令官も、あの事故(第四艦隊事件)は知ってるか、と長月は苦笑いした。

 

 世界を驚嘆させた特型駆逐艦ならではの自虐ユーモアだったが、当の本人達以外には、少々刺激が強すぎるようだった。

 

 

 

 

 816艦隊隊員寮の浴室はこの規模の寮としてはかなりの広さを持つ。

 ゆうに10人は入れる浴槽は、毎日たっぷりと湯が張られる。戦時下にいささかぜいたくにも思えるが、艦娘寮では決して珍しいことではない

 風呂好き民族の作った船だからというわけでもないだろうが、なぜか艦娘は入浴を非常に好む。艦隊の士気にも無視できない影響を及ぼすほどであり、このため、多くの基地では入浴設備をできる限り充実させていた。

 

 広々とした浴室で、一乃はひとり、湯に浸かっていた。

 艦隊運用は脳を酷使するため、直後の入浴は好ましくないとされている。疲労からうたた寝をして溺れたり、貧血をおこしたりする危険があるからだ。

 だが、この肌寒い日に熱い風呂の誘惑は、艦娘でなくても(あらがい)いがたいものがある。叢雲に見つかったら怒られるかな、とちらりと考えたが、今日の訓練は比較的短時間で頭痛もおきなかったし、眠気防止にカフェインの錠剤を飲んだのでたぶん大丈夫だろう。……という自己判断、もしくは自己欺瞞(ぎまん)の末に、艦隊司令たるものが秘書艦の目を盗んで、こそこそと湯に浸かっているわけである。

 

 そんな一乃の内心は、だが、のんきに入浴を楽しむという状態からはやや遠かった。

 

「……いいのかな、このままで」

 

 天井を見上げ、独り言が口からもれる。

 816の初陣から約10日。あれから出撃は2、3度あったが、艦隊戦といえるほどの規模の戦闘には参加していない。 警備府全体としても、ここしばらく大きな戦闘はないようで、熊本の海の戦いは、小康状態を保っているようだ。

 戦闘がないぶん、艦隊の訓練に時間を割けるのはありがたい。ありがたいのだが、一乃は漠然とした不安をもて余していた。

 こうしている間にも陸では、幻獣と陸軍との間に絶え間のない激戦が繰り広げられており、自分と同じ学兵たちも命を懸けて戦っている。味方が犠牲になっているのに、自分たちは楽をしているのではないか。―――そんな思いがどうしても付きまとってしまう。

 理性ではそんなことはないとわかっているし、とにかく目先のことをやるだけだ、そう考えるようにしている。いるのだが、どうしても、これでいいのかという不安が頭から離れなかった。

 

 ぼんやりと手で湯をすくう。指揮官たるもの不安を兵に見せてはならないと教わっている。気分を変えようとばしゃりと顔に湯をかけたとき、浴室の扉が開く音がした。

 

「ん、 提督、いたのか」

 

 叢雲かと思ってどきりとしたが、タオルを肩にかけて入って来たのは木曾だった。

 

「艦隊運用の後は、風呂入るとよくないんじゃなかったのか?」

「あ、ええと、今日はさっき眠気覚まし飲んだから、眠くならないかなって」

 

 いささか言い訳っぽくなったかと思ったが、木曾は「ふーん、そういうもんか」と、気にした風もなく洗い場に腰を下ろした。

 

「木曾も、もうお風呂は入ったんだと思ってたわ」

「ああ、妖精たちと艤装の調整をしていたんだ」

 

 ちょっと舵の利きがしっくり来ないんだよな、などと言いながらシャワーを頭からかぶると、木曾はこちらに歩いてきて湯船に身を沈めた。

 しなやかに引き締まった、しかし要所は意外なほど女性らしい丸みがある肢体が湯気の向こうに見え、一乃は視線を逸らした

 

 そういえば、木曾とこういう形で一対一になるのは初めてだった気がするな、と思って横目で見る。

 木曾は眼帯に覆われていない方の眼を気持ちよさそうに閉じている。お風呂でも眼帯は外さないんだ、などとどうでもいいことを思った。

 

「どうかしたか?」

「あ、ううん、なんでもないわ」

 

 ちょっと慌てて手をふるが、木曾はじっと一乃の方を見つめる。

 

「なんだ、提督。さっきから不景気な顔してるな。どうかしたのか?」

 

 そんなことはない、と反射的に答えようとしたが、ふと思い直す。前を向き、正直に口を開いた。

 

「うん……ちょっと、このままでいいのか不安になっちゃって」

「このままで?」

「初陣以来、戦闘がないから……その、戦闘がないのはいいことだし、哨戒や訓練が大事だっていうのはわかってるんだけど、なんだかこう、楽をしているような気がして、それで―――」

「戦争を楽しもう、平和が怖い。か」

「え?」

 

 木曾はふ、と笑って、湯の中で体を伸ばした。

 

「なあ提督。仕事や訓練の時はともかく、そうでない時は戦いのことなんざ忘れとけ」

「忘れる……って」

「戦時の軍隊ってのは、出撃と待機の繰り返しの日々だ。いっつも戦争戦争じゃ疲れちまう。休む時は休んで、遊ぶときは思いっきり遊べ。戦いのことは考えるな」

「け、けど、指揮官としてそういうわけには……」

「普段から気ばっかり張ってると、一番肝心な時に失敗するぞ。たまには頭をリセットしてやるのも必要さ。士官学校でどう教わったかは知らないが、大事なのはメリハリだ。」

 

 木曾はそういえば、と言って一乃の方を向いた。

 

「提督、お前、なにか趣味はないのか」

「趣味?」

「ああ。スポーツ、旅行、映画、なんでもいい……そうだな、料理なんかもいい。食事当番の時なんか楽しそうだったじゃないか」

「確かに気分転換にはなったけど、趣味と言えるほどでも……」

 

 言われて思わず考え込む。

 

「えーと……本を読むのは、好きかな」

「なるほど。こっちに着任してから、本は読んでるか?」

「ううん、それどころじゃなかったし」

「それだ、提督。とりあえず新しい本でも仕入れてこいよ。明日、日曜だろ」

「ええ? でも、この辺に本屋さんなんて……あっても、疎開しちゃってるだろうし」

「なんなら熊本市内まで足をのばしたっていいさ。図書館くらいはあるだろ。お前には、戦争以外のことを考える時間が必要だ」

 

 肩に湯をかけながら、木曾は言った。のんびりとした口調だが、その言葉にはなぜか説得力があった。

 

「ああ、もちろん、仕事の本なんか選ぶなよ。戦争と関係のない、趣味の本だ。お前は何の本が好きなんだ?」

「うーん、ファンタジーとか神話は好きかも。あとは動物の本とか……」

 

 そういえば昔、猫の神様が出てくる絵本が好きだったな、とふと思い出した。

 

「なるほどな。いい趣味じゃないか」

「あはは、妖精とか魔法使いが出てくる本は好きだけど、実際の妖精さんを()る才能はないんだけどね……」

「好かれてはいるみたいだけどな。今も風呂に何人か入ってるし」

「え、ほんとに?」

 

 慌てて回りを見回し、目を細めて湯気を透かしてみる。

 浮き輪に乗ってトロピカルジュースを片手にくつろぐ小さな姿が…視界の端にうすぼんやりと見えた気がした。

 

「……なんだか、すごく優雅っぽいものが視える気がするんだけど」

「ああ、だいたい合ってるな。ま、お前もこいつらのオンオフの切りかえを見習ったらどうだ?」

 

 見習おうにもそもそも視えないし、お風呂はビーチやプールじゃないんだけど、などといろいろ言いたいことはあったが、妖精を視ようと目を凝らしすぎたせいか、頭がぼんやりしてきた。

 

「なんかのぼせそうになってきたかも……先に上がるね」

「ああ。足元に気をつけろよ」

 

 そそくさと浴槽から上がってバスタオルを体に巻き、一乃は浴室の扉を開ける。

 

 叢雲が腕を組んで(たたず)んでいた。

 

「……げ、叢雲」

「ふーん。自室にもいなければ、執務室にもいない。隊舎と寮を散々さがしまわった秘書艦に対するご挨拶が、それ?」

 

 ジロリ、と半眼で睨まれる。

 怒られる、と身を固くした一乃だったが、その眼前にぴ、と一枚の紙が差し出された。

 

「高速暗号通信よ。各艦隊司令は明朝、警備府へ出頭されたし、だって。一乃、どうやら楽しい戦争のお時間が始まるみたいね」

 

 

 

 

 熊本警備府庁舎2階、第3会議室。

 一乃は()の字型に並べられた会議用テーブルの末席に座っていた。

 熊本警備府所属の提督たちや本部付の参謀たちがそれぞれの席に着いている。彼らが身に着けている濃紺の第一種軍装の中にあって、自分の学兵提督の白い制服はいかにも目立つような気がして、どうにも落ち着かない。

 もっとも、各提督の後ろには秘書艦たちがそれぞれの服装で控えているため、全体としてはさほど悪目立ちはしていないかもしれないが。

 

 昨日、警備府長官原口海軍大佐名で、熊本警備府旗下の各艦隊司令に召集命令がかかった。

 さすがに警備上すべての提督の参加というわけにはいかず、一部の提督は映像通話での参加であるが、それでも一〇名近い提督達がここに集まっていることになる。

 歴戦の海軍軍人たちに囲まれて、一乃の背は強張っていた。

 

「田村少佐。そう緊張することはないよ」

 

 見かねたか、隣席の第814艦隊司令(ひがし)少佐が声をかけてきた。

 

「は、はい。ありがとうございます」

「といっても、緊張するなという方が無理か。僕にしても新米もいいところだ。これだけ先輩方が並ぶ席では緊張もする」

 

 髪こそ軍人らしく短く刈り込んでいるが、眼鏡をかけどこか理知的な印象を与える東はかすかに笑った。

 

「まあ、取って食われるようなことはないよ。すぐに慣れるさ」

「ふむふむ、お優しいことじゃのう」

 

 背後から囁き声が聞こえた。彼の秘書艦である初春が口に手を開けてくすくすと笑っている。

 

「何か言いたいことがあるのか? 秘書艦殿」

「とくにありませんぞ、司令官殿」

 

 肩越しにちょっと睨む東と、わざとらしく扇で口元を隠す初春。仲の良さそうなやりとりに、少しだけ緊張がほぐれた。

 ちらりと自分も後ろを見ると、叢雲と目が合う。

 

「なに、アンタも漫才やりたいわけ?」

「ま、漫才ってそんな失礼な……」

 

 言いかけたところで、会議室の扉が開き、原口長官が姿を現した。

 室内の提督たちが一斉に立ち上がり、敬礼する。一乃も、慌ててそれにならった。

 原口は答礼すると、全員に着席を促し、自らも席に着いた。後ろに、原口に続いて入室してきた第一秘書艦由良をはじめ、警備府艦隊のおもだった艦娘たちが控える。

 

「急な召集にもかかわらず、お集まりいただき感謝する」と原口が口を開いた。

 

「まずは、熊本警備府長官として、諸君に礼を言わせてほしい。警備府の設立から3か月余り。これまでのところ、我々は当初の計画通り深海棲艦を撃退し続け、九州西岸の制海権を維持している。これは、諸君らの勇戦と献身の賜物(たまもの)だ」

 

 重々しい口調で言う原口。

 着任の時は気さくに接してくれたけれど、やっぱり偉い人なんだな、と一乃は改めて思った。

 

「さて、まずはこの画像を見てほしい」

 

 原口の言葉とともに由良が立ち上がり、端末を操作する。

 スクリーンに映像が映し出され、室内からどよめきが上がった。一乃も思わず目を見張る。

 高々度から撮影したらしきやや不鮮明なその画像には、海上に浮かぶおびただしい数の深海棲艦達が写っていた。

 

「この画像は、約13時間前、旧韓国領済州島の南、約50km付近で哨戒機が撮影しました。分析の結果、少なくとも10個艦隊相当の深海棲艦が確認されています」

「10個艦隊だと……」

 

 呻き声があがる。

 

「さらに、問題はこの後です」

 

 由良の言葉とともに、画像が切り替わる。深海棲艦隊の中心を写した拡大画像だ。

 

 周囲の深海棲艦よりひときわ大きい、小山のような醜怪な黒い鉄の塊。針山のように突き出た砲塔と、紅い燐光に(いろど)られたカタパルト。

 

 その上に、白い、女が立っていた。

 

 今度はどよめきは上がらなかった。

 かすかな唸り声。息をのむ気配。身じろぎ。

 むしろ静かな反応が、逆に衝撃の大きさを物語っていた。

 

「これは鬼級……いや、姫級か」

「画像分析の結果、97%以上の確率で空母棲姫と推定されています」

 

 姫級、と呼称される艦種は深海棲艦の最上位に位置するクラスだった。

 単体での戦闘力がきわめて高いうえ、しばしばその個体を中心にして大艦隊が形成される。深海棲艦側の切り札ともいえる存在だ。

 

 次の画像、女は哨戒機の方を見上げていた。

 微笑む女の周囲から、異形の艦載機が蜂の群れのごとく一斉に飛び立っている。

 この世のものとは思われないほど美しい、しかし同時にとてつもない禍々しさを感じさせる笑みに、一乃は小さく身を震わせた。

 

 そこで、画像は終わりのようだった。

 

「敵戦力はこの空母棲姫を中心とした空母機動部隊のようです。他に正規空母級が少なくとも6。軽空母級がその倍確認されています」

 

 由良が淡々と続ける。

 

「この画像を撮影した哨戒機はどうなりました?」

「撮影後、即座に反転して逃げを打ったようです。夕暮れ時だったのが幸いして何とか離脱に成功して、この画像を持ち帰ってきました」

「これだけの情報、勲章ものの働きだな。甑島の哨戒機か?」

「警備府から感状の2枚や3枚は出してやらねばいけませんな」

 

 言葉を交わす出席者たちを見回し、原口が口を開く。

 

「率直に言って、これだけの戦力が一度に侵攻してきた場合、現在の警備府の戦力では守りきれん。敵空母に行動の自由を許せば、九州沿岸部の被害は甚大なものとなるだろう。熊本要塞の崩壊につながる危険すらある」

「ふん、ここのところやけに静かだと思ったら、コソコソとそんなところに戦力を集めとったのか。油断も隙もないな」

 

 八代艦隊司令、氷川中佐が目を細めて鼻を鳴らした。

 

「このまま指をくわえて見ているわけにもいかんでしょうな。どうします、長官」

「氷川司令のおっしゃる通り、このまま手をこまねいているわけにはいかない」

 

 一度言葉を切って瞑目。自然、室内の視線が集まる。

 原口は、ゆっくりと目を開き、宣言した。

 

「先手を取ってこちらから一発、思いきり殴りつけようじゃないか」

 

 瞬間、室内の空気が一変した。

 ()たりと膝を打つ者、目を光らせて口の端を吊り上げる者、こぶしと手のひらを打ち合わせる者。

 目に見えぬ熱気が、提督たち、そして艦娘たちの間から立ちのぼり、こちらにふきつけてくるように一乃には思えた。

 

 深海棲艦との戦いの最前線に身を置く者たちが、みな、獲物を見つけた餓狼のように、(たかぶ)っていた。

 

 

 

 

箕尾(みのお)司令、それでは失礼します」

「ああ、では、よろしく頼む、田村少佐」

 

 一乃は第815艦隊司令である箕尾少佐にぺこりと頭を下げると、(きびす)を返して高機動車の助手席に乗り込んだ。

 

「予定通り、熊本駅の物資集積所に寄ってから戻るってことでいいのね?」

「うん、お願い」

 

 運転席の叢雲にうなずく。

 あそこはお辞儀じゃなくて挙手敬礼だったかな、と気づいて思わず顔を赤くしたのは、叢雲が車を発進させた後だった。

 

 会議は2時間ほどで終了していた。

 作戦計画はすでに警備府司令部によって作成されており、会議の後半は各艦隊への任務の割り振りと、細部の打ち合わせが主となった。

 経験したことのない大規模作戦である。会議の内容を追うのに精いっぱいで、一乃には発言する余裕などなかった。

 発言したのは、816艦隊の任務について確認を求められた時に返事をしたくらいである。緊張で裏返った声が出てしまい、顔から火が出そうになった。

 

「815の提督と少しは話せた?」

 

 ハンドルを握る叢雲が口を開いた。

 

「とりあえず、ご挨拶はできたわ」

「作戦では連携することになるものね。後方警戒とはいえ、お互い、意思疎通は重要よ」

 

 816艦隊は、815艦隊とともに後方警戒の任を割り当てられていた。

 新米提督が指揮する定数割れ艦隊であることを考えれば妥当な配置だが、一乃は内心、816が危険な前線に配置されなかったことに胸をなでおろしていた。

 もっとも、叢雲に言うとまた怒られそうだったので、口には出していない。

 

「後でまた改めて連絡しておくといいわ。状況によっては816の指揮権を委譲することもあり得るし、できるだけしっかり話し合っておきなさい」

「う、うん。わかったわ」

 

 一乃はあいまいに頷く。

 箕尾少佐とは今日初めて顔を合わせた。提督としては比較的若手だろうが、ソフトな雰囲気の東少佐とはまた違って、がっしりとした体格のいかにも軍人らしい雰囲気の提督だった。建前の上では同じ階級だが、こちらは臨時少佐かつ学兵の身分であるし、提督としてのキャリアも向こうがはるかに先輩である。一乃としてはどうしても遠慮と気おくれが先に出てしまうところだった。

 

 高機動車が信号待ちで停止する。一乃は気分を変えようと窓の外に目をやった。

 対向車線側の歩道では、重そうな背嚢とアサルトライフルを背負った少年少女たちが歩いている。一乃と同じ年頃だ。体操服姿のところを見ると、学兵だろう。行軍訓練だろうか。

 士官学校での地獄の夜間行軍訓練を思い出す。あれはつらかったな……などと思いながら一乃はぼんやりとそちらを眺めた。

 ゴーグルをつけた少年が二人分の荷物を背負い、華奢な少女の手を引いてやっている。

 懐かしいな……わたしもあんな風にへばって、同じ班の仲間に手を引いてもらったっけ。佐上くん、元気にしてるかな。

 ほんの数か月前のことなのに、ずいぶんと昔のことのように思える。

 信号が変わり、車が動き出す。一乃は心の中で二人に、がんばれ、と声援を送った。

 

 その拍子に道端の標識が目に入り、一乃は思わず声を漏らした。

 

「あ……図書館……」

「なに、どうかしたの?」

「……ううん、なんでもないわ」

 

『←熊本市立図書館』と表示された標識から目をそらし、一乃は首を振った。

 

 木曾はああ言ってくれたが、さすがに大規模作戦を控えて趣味の本を物色する気にはならない。

 

 新しい本はまた今度、作戦が無事に終了してからにするね、と一乃は心の中で木曾に謝った。

 

 

 

 

 

 

 3月9日、〇三〇〇。

 

 熊本警備府司令部は各艦隊宛に作戦開始命令を発出。

 

 これにより、当初の作戦計画に基づき、警備府所属の各艦隊が一斉に作戦行動を開始した。

 

 

 

 

 後にいう、五島沖(ごとうおき)海戦の幕開けである。

 

 

 

 

 

 

 


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