かんパレ ~波濤幻想~   作:しょっぱいいぬ

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第6話 八代艦隊

 艦娘の艦隊は、6隻が基本編成である。

 提督による艦隊運用に、この数が最も適しているとされているためだ。むろん、7隻以上の艦隊運用ができないというわけではない。

 ひとりの提督が2個艦隊以上を同時に運用する場合、旧軍の伝統にならって連合艦隊と呼称される。連合艦隊は数が多いぶん強力な打撃力を誇るが、個々の艦娘に対する提督のサポートは1個艦隊の場合より劣るという側面も持つ。

 鎮守府、警備府に次ぐ規模の泊地においては、連合艦隊を編成できる2個艦隊が配置されていることが多かった。

 

 熊本警備府においても、八代(やつしろ)泊地、五島列島泊地、甑島(こしきじま)泊地などに2個艦隊が配置されている。

 

 いずれも、熊本防衛に不可欠な要地であった。

 

 

 

 1999年2月28日 〇八五五 天草灘(あまくさなだ)沖海上

 

 

 

 この日の816艦隊の任務は、船団護衛だった。と、いっても輸送船団の護衛ではない。

 

「おおい、そっちを寄せてくれ!」

「こん馬鹿たれ! さっさと網を巻かんね!」

 

 やや甲高いディーゼルエンジンの音と、それに負けないたくましい男たちの声が飛び交う。

 2隻の漁船の間に張られた巨大な網が巻かれ、飛び跳ねる魚が次々と水揚げされていく。

 

「なんというか……ここが最前線だということを忘れそうになるな」

 

 並んで航行する長月のつぶやきに、響は無言でうなずいた。視線の先では、10隻以上の漁船が一団となって漁を行っている。

 

 天草灘沖における操業中の漁船団の護衛。これが816艦隊の本日の任務だった。

 

 漁業は、深海棲艦の出現によってもっとも被害を受けた産業のひとつである。

 先の大戦によりただでさえ疲弊していた日本の漁業は、深海棲艦により一時壊滅寸前まで追い詰められた。艦娘の登場によって多少は海の戦況が安定した現在でも、ある程度安全に漁が行えるのは、沿岸海域とごく限られた近海域の一部だけである。このため、漁船団が海軍の護衛のもとで操業を行うことも決して珍しくはない。

 とはいえ、最前線となり民間人の疎開が進みつつある熊本である。

 この光景は、やはり異例といっていいだろう。

 

「ま、結局、人間も艦娘も食べないと生きていけないしね。それに、自衛軍側の事情もあるし」

 

 叢雲が肩をすくめる。

 彼女の言うとおり、これだけの漁師たちが未だに疎開せず残っているのは、自衛軍の思惑もかかわっている。漁船とその船員である漁師たちが残っていれば、いざという時に輸送手段としてそのまま徴用することができるからだ。

 熊本警備府がわざわざ漁の護衛に艦隊を出しているのは、その引換え条件と考えることもできるだろう。

 

「おーい、嬢ちゃんたち、茶でも飲まんか!」

 

 声がかかった。見れば、1隻の漁船の船長が手招きしている。確か、地元漁協の組合長だったはずだ。

 

「司令官、こう言われているけど……」

 

 響が通信を送ると、少し間があり、一乃からの返答があった。

 

『せっかくのお気づかいだし、いただいて。ただし、ひとりずつ交代でね』

「わかった。響、先に行ってくれ」

「了解」

 

 響はうなずくと、漁船に近づいた。

 

「寒いなか朝早くからご苦労さんだな、嬢ちゃん。ほれ」

「いただきます」

 

 湯気の立つマグカップが差し出され、響はありがたく受け取って口をつけた。

 働く男の茶とでもいうべきか、苦すぎるほど濃く出された茶だった。

 

「あんたらの司令さんは学兵だってな。出港前に挨拶の電話をもらったよ。若いのに大したもんばい」

 

 禿頭にねじり鉢巻きを巻いた組合長は、熊本弁交じりに話しかけてくる。

 

「俺の親父も16で、海軍に船ごと徴用されてな。親父は命だけは助かったばってん、一緒に徴用された仲間はほとんど戻らんかったそうばい」

 

 大戦中、多くの漁師たちが軍によって徴用されて海防任務に従事し、その多くは還らなかった。戦後の混乱の中、この犠牲はほとんどかえりみられることなく、現在でも、漁師たちの軍に対する不信感は根強い。 ただ、実際に体を張って海を守っている存在である艦娘たちに対しては、比較的良い感情を持っている漁師が多かった。

 

「そんで今度は学兵だもんな。50年以上もたってまた同じことしとるんだからまあ、人間ってのも進歩がないねえ」

「……でも、同じ人間が相手じゃない分だけ、50年前よりはいいかな」

 

 響はポツリと言った。

 太平洋での戦いの後、講和条約の賠償艦としてロシアに渡り、深海棲艦、そして幻獣と戦った記憶。

 信頼の名で呼ばれていたあの頃は、太平洋以上に厳しい戦いの連続だったが、それでも人間同士の殺し合いよりずっとマシだった。

 

 組合長はちょっと目をしばたたかせたが

 

「確かにそうだな。俺達もこうしてまだ漁ばできとるし、あんまりくだらんこつばっか考えとってもしょうがなかね」

 

と、豪快に笑った。

 

「ごちそうさま。ありがとう」

「おう、あっちの嬢ちゃんも呼んできな」

 

 礼を言ってカップを返す響に、組合長は気のよい笑みを浮かべて長月の方を指した。

 

 

 

「はい、本日のみんなの成果が、こちらになりまーす」

 

 芝居がかった仕草で、一乃が皿を置いた。

 816艦隊隊員寮食堂、夕食の席である。日曜日であるこの日の夕食は、彼女が食事当番だった。

 

「なるほど、ガラカブ、か」

 

 皿の上の魚を見て、長月はうなずいた。

 ガラカブは熊本名産の魚であり、カサゴの一種である。大きな口に大きな目、どこかユーモラスな顔をしているが、ヒレに鋭い棘(とげ)も隠し持つ魚だ。

 

「昼過ぎに組合長さんがみえてね、ご挨拶にって、たくさんいただいちゃったの。からあげや煮つけにするとおいしいってお話だったから、今日は煮つけにしてみたわ」

 

 ささ、味見してみて、と一乃に勧められ、長月はガラカブに箸をつけた。

 身離れのよい白身を口に運ぶ。

 

「うん、いい味だ、司令官」

 

 脂の乗った身はしっかりとした旨味があり、煮過ぎて固くなってもいないし、味も抜けていない。甘辛い煮汁に、ほのかに香る生姜(しょうが)が、いいアクセントになっていた。

 ひれの棘はもちろん、えらや鱗もしっかりととってあるし、一緒に煮つけてある人参やゴボウも、よく味が染みている。

 食卓には煮つけの他にもポテトサラダやおひたしなどが並んでおり、簡素ながらバランスもしっかり考えられた献立だった。

 

「煮汁も濃すぎず薄すぎず、ちょうどいいな」

「おいしいよ、司令官」

「本当? よかった」

 

 一乃は嬉しそうに笑って傍らの叢雲をつついた

 

「だって、叢雲。ちゃんと聞いてる?」

「聞こえてるわよ」

「叢雲の感想も聞きたいな~?」

「……イラッとくるんだけど、その顔」

 

 なにやら妙にグイグイと押す一乃と、眉間(みけん)にしわを寄せる叢雲。長月と響は顔を見合わせたが、木曾は何か事情でも知っているのか、にやにやと笑っていた。

 

「実は20匹近くいただいちゃったの。まだまだあるから、みんなたくさん食べて」

「へえ、豪勢だな、ガラカブって、たしか地元じゃそれなりにお高い魚だろ?」

「え、そうなの?」

「そういえば前に店で見た時も結構高かったかな。佐世保(あっち)ではアラカブ、っていう名前だったけど」

「……う、受け取っちゃまずかったかしら。ワイロとか、そういう話にならないかな」

 

 急に心配そうな顔になる一乃。生真面目というか、(とし)の割に妙なところにまで気が回るな、と長月は思った。

 

「まあ、大丈夫だと思うぞ、司令官。漁協の側としても、今の熊本の状況では、なかなか地元に(おろ)すのも難しいんだろう。イワシやアジなんかは軍がまとめて買い上げるだろうが、こういう地元魚はそうもいかないからな」

「熊本市内の飲食店もどんどん疎開しているらしいしね。足の早い魚だし、向こうにとっては手土産にちょうど良かったんじゃないかな」

「そ、そう? それなら良かった」

 

 長月と響のフォローに、一乃がホッと息をつく。

 

「そういえば、野菜もものすごく高くなってたわ。スーパーをのぞいてびっくりしちゃった」

「戦争税もまた上がるみたいよ。私達は軍の補給があるからまだいいけど、民間人は大変でしょうね」

「食べられるうちに食べておくのが正解ってことだな。と、いうわけで提督、もう2,3匹頼む」

「はーい、おかわりね」

 

 木曾から早くも骨だけになった皿を受け取り、一乃は嬉しそうに微笑んだ。

 

「叢雲も、おかわりいくらでもあるからね~」

「だから腹立つっての、そのどや顔」

 

 

 

 

 

 

 海上、激しい風が頬を打つ。

 速度は30ノット超。響は前を進む木曾の背を必死に追った。

 

「敵艦発砲! 回避ッ!」

 

 木曾の叫びに、考えるより先に体が反応した。

 面舵いっぱいに回頭した直後、敵の砲撃が7時方向に着弾し、巨大な水柱が上がる。

 取り舵での回避を選んでいたら、完全に直撃していた位置だった。

 正確な予測射撃に、思わずゾッとする。

 

「足を止めるなよ! 相手は高速戦艦だ。びびって足を緩めたら、一方的に砲撃で叩かれるぞ!」

 

 木曾の叱咤。響は歯を食いしばり、懸命に主機の出力を上げる。

 速力は限界のはずだが、相手に全然接近できている気がしない。むしろ、砲撃に対して回避行動をとるたびに引き離されている気がする。

 

「くぅ!」

 

 後ろを航行していた長月に至近弾。その速度ががくん、と落ちた。主機に異常が生じたようだ。

 

「長月、大丈夫か!?」

「くっ、こうなったら、わたしが(おとり)になる!二人は隙を見て距離を詰めてくれ!」

「待て! 自棄(やけ)を起こすな!」

 

 木曾が制止するが、長月は敵艦めがけてまっすぐ針路を変更、主砲を連射しながら突進する。

 が、それはあまりにも無謀な行動だった。

 水平線上の敵艦から発射煙が噴出したのが見えた、と思った次の瞬間、長月の周囲に敵弾が連続して着弾。

 長月の体が水柱の中に消える。

 

「長月!」

 

 思わず叫ぶ響。自分が敵艦から一瞬注意をそらしてしまったことに気付いたのは、水柱の向こう、巨大な砲を一斉にこちらに向ける敵艦の姿が目に入った時だった。

 キロメートル単位で距離が離れているにもかかわらず、敵艦の眼がギラリと光るのが見えた気がした。

 とっさに面舵をいっぱいに。が、時すでに遅かった。

 10発を超える大口径砲弾が次々と装甲力場に着弾し、響はひとたまりもなく吹き飛ばされた。

 

 

 

「みなさん、なかなかいい動きでしたよ」

 

 トレードマークである眼鏡を光らせてそう言ったのは、金剛型高速戦艦4番艦の霧島である。

 八代泊地所属806及び807艦隊、通称『八代艦隊』。彼女はその旗艦だった。

 

「ったく、遠慮なしだな。霧島」

 

 コンクリートの上にあぐらをかいた木曾がペットボトルの水をあおりながら応じた。まだ寒い季節にも関わらず、額に汗が光っている。

 

 この日、816艦隊は八代艦隊と艦隊演習を行うため、八代泊地を訪れていた。

 一乃は叢雲を伴って艦隊司令同士の打ち合わせ中であり、残りの3名で霧島との対大型艦演習を実施しているところだ。

 

「しかし……さすがの金剛型というべきか……雷撃を当てられる気がしない」

 

 同じく座り込んで水を口に含みながら長月が言、隣の響も無言で頷いた。

 駆逐艦の主砲では戦艦の装甲を抜くのは難しい。となれば有効打を与えるためには砲撃の嵐を潜り抜けてなんとか距離を詰め、雷撃を仕掛けるしかない。

 しかし、霧島はその快足を存分に活かし、一定の距離を保ちながら正確な砲撃の雨を降らせてくる。

 

 3対1にもかかわらずここまで0勝3敗、いいようにやられっぱなしである。

 

「それはまあ性能もあるけど、練度が違うもの」

 

 霧島が微笑む。

 艦娘は、旧軍の軍艦であった頃の戦闘や訓練の記憶を持っている。つまり、記憶の点だけから言えば、すでに熟練兵と言って良い。

 しかし、かたや数百mの鋼鉄の体、かたや2mにも満たない生身の体である。艦娘として生を受けてからしばらくは、記憶と身体のギャップに悩まされることとなる。

 訓練や実戦を通して練度を高め、艦娘としての身体を使いこなせるようになることで、徐々に本来の力を発揮できるようになるのだ。

 

「さすがは大陸戦でも大暴れした佐世保の金剛型、ってとこだな」

「自分は2回も当ててきておいて、よく言うわね」

 

 また貴方のデータ、更新しないと、と霧島が苦笑する。

 木曾は3戦を通して砲撃と雷撃を1回ずつ霧島に命中させていた。砲撃は装甲力場にはばまれてかすり傷だったし、雷撃も霧島がうまく艤装の装甲部で受けて小破判定だったが、正確無比な弾雨を体をねじ込むようにかいくぐり霧島に食らいつていく木曾の動きは、後ろから見ていても感嘆すべきものだった。

 後に続く自分や長月が同じような動きができるようになれば、百戦錬磨の金剛型とはいえ決して勝てない相手ではないな、と響は改めて思った。

 

「月月金金で訓練あるのみ、か」

 

 響と同じことを思ったか、長月がつぶやいた。

 

「そのとおり。さて、ひと休みしたことだしもう一戦しましょうか?」

「ああ、お願いする」

 

 長月が立ち上がる。

 水を飲み干し、響も後に続いた。

 

 

 

「君の艦隊はなかなか熱心だな」

 

 艦隊司令執務室の窓から訓練の様子を眺めながら、中佐の階級章をつけた男が一乃に言った。

 八代艦隊司令、氷川(ひかわ)中佐は口ひげを蓄えたがっしりした体格の壮年の男性だった。傍らには秘書艦である陽炎型2番艦、不知火が控えている。

 

「ありがとうございます、氷川司令。お忙しい中演習に時間を割いていただきまして」

 

 一乃は改めて頭を下げる。こちらは叢雲を伴っている。

 提督着任の挨拶、そしてお互いの艦隊の連携についての打ち合わせの席だった。

 

「なあに、816はお隣さんだからな。何かと協力する機会も多いだろうし、お互い艦隊の練度を上げておくことに越したことはない」

 

 氷川は呵々(かか)と笑った。いかにもつわもの、といった感じの陽気で豪快な笑いだ。

 

「どうぞ、田村提督」

 

 不知火がコーヒーのお代わりを運んでくる。良い香りが一乃の鼻孔をくすぐった。

 

「警備府長官ご推薦の代用コーヒーはもう味わったかね? うちの大将はおおかたの点でまあ文句はないが、あの趣味ばっかりは何とかして欲しいもんだ」

 

 氷川の遠慮のない物言いに、一乃はかろうじて苦笑を返した。

 

「あはは……その、由良さんの()れた代用コーヒーは十分おいしかったです」

「ああ、確かにあの秘書艦どのが淹れれば多少はマシだな。しかしな田村少佐、秘書艦はうちや君のところのように、駆逐艦が一番だぞ」

 

 氷川はにやりと笑う。

 

「なにせ、間違いを起こす心配がないからな」

 

「はあ、まちがい、ですか?」

 

 首をかしげる一乃。

 

「そうだ。その意味では、警備府の秘書艦どのはいかんな。軽巡の割にちょいと色気がありすぎる。あれは間違いの元だな。まあ大将は確か男やもめだったはずだから、よしんば何かあったとしても、どうということはないだろうが」

「司令、田村提督相手にその発言は、ハラスメントです」

 

 横に控えていた不知火が、口をはさんだ。

 

「失礼だな。これはコミュニケーションというんだぞ、不知火」

「もう一度言います。その『コミュニケーション』とやらも、八代艦隊(うち)の皆ならばまだ広い心で許します。が、よその女性相手に司令のそれは、完全な、ハラスメント、です」

 

 不知火は、氷川をじろりとにらみ、一語一語区切るようにして断言した。はたから見てても微妙に背筋が寒くなるほどの視線である。

 彼女の両眼から氷川へ向けて一直線に青白い光線が照射されている、そんな錯覚を一乃は覚えた

 

「わ、わはは」

 

 高笑いする氷川だが、先ほどの陽気な笑いと違って微妙にひきつっており、いまいち誤魔化しきれていない。

 

「ね、ハラスメントって、なにが?」

 

 とりあえず前後がよくわからなかったので、小声で叢雲に聞いてみる一乃。

 

「……わからないなら、わからないままにしときなさい」

 

 なぜか、非常に残念なモノを見るような眼で見られた。

 

「……あー、その、不知火。俺が悪かったようだ。……すまん」

「……猛省してください」

 

 視線を転じるとなぜかいきなり氷川が頭を下げ、不知火も沈痛な表情でそれを受けている。

 一乃はますますわけがわからなくなった。

 

 

 と、その時、遠雷のような音が響き、卓におかれたコーヒーカップがカタカタと小さくなった。

 

「ふむ、やっとるな」

 

 氷川はふと真顔になり、埠頭とは別方向の窓へと歩いていく。

 

「見てみるかね、田村少佐」

 

 言われて一乃も立ち上がり、氷川に並んだ。

 

 

 地平線の彼方から、遠く、砲撃音が響いてくる。

 眼下には、荒涼とした荒野。

 巨大なクレーターがいくつも穿たれて、草一本生えていない。まるで、月面のような光景だった。

 

 八代市は、八代会戦において20万の自衛軍と2000万の幻獣との決戦の舞台になった。

 自衛軍は数の不利を補うべく日本中から火砲をかき集め、とにかく幻獣に砲弾を叩き付けた。海軍も動かせる艦娘にくわえ、『こんごう』『しなの』『あかぎ』など、虎の子であるホンモノの戦艦、空母を動員して八代平原を埋め尽くす幻獣を攻撃し続けた。

 自衛軍は最終的に生物兵器を投入、敵味方もろともに自爆させたといわれており、その戦力の8割と引き換えに辛うじて戦術的勝利を手にした。

 

 その激戦の結果のひとつが、今、一乃の目の前に広がっている風景だった。

 

「知っての通り、この八代の地は幻獣との最前線でもある。現在ここから二十キロほど南で、陸軍の陣地群と幻獣どもが押し合いをしとるんだ」

 

 万が一あそこの陣地が破られたら、こっちは尻に()かけて逃げにゃならん、と氷川は笑った。

 

「もっとも、一蓮托生(いちれんたくしょう)なのはお互い様でな。我々が八代湾に深海棲艦の侵入を許せば、背後からの艦砲射撃で陣地群はたちまち崩壊することになるだろう。幸い、八代湾は閉塞率の高い湾だから、守りやすくはある。湾の入り口は814と816が押さえてくれとるしな」

「814の(ひがし)司令には、先日の初陣でもお世話になりました」

「おう、そうか。あの青二才も少しは艦娘を使いこなせるようになってきとるみたいだからな。ま、せいぜいこき使ってやってくれ」

 

 先輩を青二才と断じられ、一乃はただ引きつった苦笑を浮かべるしかない。とはいえ、氷川中佐からすれば一乃はもちろん東少佐も青二才に過ぎないだろう。

 氷川中佐は大陸の戦いでも勇名を馳せたと聞いている。

 彼の指揮下の八代艦隊は、旗艦の霧島を筆頭に警備府所属艦隊中でもその精強さで知られていた。

 

「哨戒中の第2艦隊もそろそろ帰投するはずだ。霧島との対大型艦演習が一段落したら、次は隼鷹と対空射撃演習をするといい。どちらも敵には多く、我々に足りんものだからな」

 

 氷川の言うとおり、熊本警備府には戦艦と航空母艦が致命的に不足していた。

 旧佐世保鎮守府所属の主だった戦艦や正規空母の多くは対馬海戦で戦没しており、その残存戦力を母体としている熊本警備府は、巡洋艦以下を主戦力として戦うことを余儀なくされている。

 定数15個艦隊の警備府全体で見ても、戦艦は片手の指で足りる数。正規空母にいたっては、警備府第2艦隊旗艦の飛龍ただ1隻のみだった。

 

「君の艦隊は水雷戦隊だからな。空母の1隻でも相手に混じってれば、そりゃ苦労することになるぞ」

「はい……士官学校でもそう習いました」

「まあ、旧軍の対米戦争の頃に比べればまだマシだがな。あの時代の軍艦と航空機ほど、艦娘とその艦載機の関係は絶対的ではない。対空装備さえ充実しとれば、機動部隊相手でも対抗するくらいはできるからな」

 

 艦娘が使用する艦載機は、彼女たちの使用する兵装の中でも最も謎の多いもののひとつである。旧軍の航空機を模した、ラジコンサイズの自動操縦兵器、とでも形容すればいいのだろうか。

 艦娘と同じく、戦闘力はモデルとなった兵器そのままというわけではないが、武装は侮れない威力を誇る。

 戦闘機の機銃は軽ウォードレスの装甲をやすやすと貫通するし、爆雷撃機の集中攻撃を受ければ、新鋭の護衛艦でも撃沈は免れない。

 一方でモデル元に比して大きく低下しているのが速度と航続距離である。これにより軽巡や駆逐艦、さらには通常の陸上部隊でも、適切な火器さえあればなんとか対抗できるとされていた。

 

「ま、お互い5月までは我慢だな、田村少佐。困ったことがあったら何でも言ってくれ。これでもう、知らん仲でもないからな」

「はい、ありがとうございます」

「八代市は見てのとおりだが、熊本市内にはまだイイ店がのこっとる。こんど一杯やろうじゃないか……と言いたいところだが、すまんな。不知火がまたすごい目でにらんどる」

 

 まあ5年後のお楽しみにしておこうか、と氷川は笑った

 

 

 

 不知火と叢雲が連れ立って埠頭に姿をあらわしたのは、ちょうど4戦目の演習が終わったタイミングだった。

 

「あら、提督同士のお話は終わりかしら」

「いえ。ですが、ちょうど第2艦隊が戻ってきましたので。次は隼鷹に対空射撃演習を、との司令のご指示です」

 

 不知火が指差す先には、沖合からこちらに向かってくる艦娘の一団があった。

 

「今度は叢雲も参加するのか?」

「ええ、そのつもりよ」

 

「ただいま~っと。お、そういや816が来てたんだっけ」

 

 埠頭に上がった飛鷹型軽空母2番艦、隼鷹(じゅんよう)が手にした巻物を巻きながら歩み寄ってくる。

 彼女は八代第2艦隊の旗艦であり、貴重な航空母艦娘だった。

 

「隼鷹、ひと休みしたら、816さんと対空射撃演習をお願いね」

「りょーかい。そんじゃ、ちょーっと燃料を補給してくるかな」

「くれぐれも、燃料と称してアルコールを摂取しないように」

「似たようなもんじゃないか。ちょっとした景気づけだよ、景気づけ」

 

 まったく不知火は固いなーと口をとがらせる隼鷹。

 

「うー、やれやれ、おなか空いたク……お?」

 

 隼鷹に続いて埠頭に上がってきた艦娘が、ふと木曾の方を見て立ち止まった。

 

「ん?」

 

 木曾とその艦娘が見合う。

 白と水色を基調とした丈の短い水兵服は、どこか木曾のものと似ている。柔らかそうな栗色の髪。一筋だけ流れに逆らった毛が、風に揺れた。

 

「……なんだ、だれかと思えばわが『妹』かクマ」

「あー、『姉貴』か。そういや、八代艦隊に一人いたんだったな」

 

 忘れてた、と頭をかく球磨型軽巡5番艦木曾を見つめ、球磨型軽巡ネームシップ、球磨は「ふっふっふ」と怪しい笑みを浮かべた。

 

「816に木曾がいることは聞いていたクマ。1月の警備府着任から今日に至るまでお姉ちゃんに挨拶の一つもないとは、いい度胸だクマ……」

「いや、姉貴の識別番号いくつだよ。俺は五七一だけど」

「六〇一だクマ」

「やっぱり俺の方が建造年早いじゃないか」

 

 艦娘は基となった艦1隻につきにひとりだけ、というわけではない。同じ名の艦娘は同時に複数存在し得る。

 このため、個体の識別に用いられるのが個体識別番号であり、これを見ればその艦娘の建造年と建造順がわかるようになっていた。

 ちなみに、姉妹艦でも順番に建造されるわけではないため、このように年下の姉、年上の妹という状況が発生することは珍しくない。

 

「そのような些細(ささい)なことは関係ないクマ。重要なのは球磨はお姉ちゃんで木曾は妹だということクマ。この歴史的事実は未来永劫揺らがないクマ」

「いや、そりゃフネの時はそうだけどさ……」

 

 普段はいかにも腕利きといった言動の木曾が、妙にやりにくそうにしている姿に、長月が目を丸くしている。

 

「ふふふ、木曾がどうしてもと言うなら、このお姉ちゃんが抱きしめてあげてもいいクマよ?」

「言ってねえ」

「ぎゅーしたげるクマ、ぎゅー。名付けてくまはっぐクマ」

「ハナっから締め上げる気満々のネーミングじゃねえか」

 

 同じ艦の艦娘は、それぞれ同じ姿形をしているが、性格はまったく同一というわけではない。

 考えてみれば当たり前の話だ。艦娘も人間と同じく、周囲の環境や経験によって日々成長し、それにより性格も変化する。

 故にこの若干過剰なほどのフレンドリーな対応も、『球磨六〇一号』個人の性格によるもののはずだが……

 

「いや、俺の知ってる球磨姉は、どいつもこいつもだいたいこんな感じだったな……」

「血のつながったたった一人のお姉ちゃんをつかまえて、ドイツ艦だのオランダ艦だの呼ばわりとはひどいクマ、お姉ちゃん泣いちゃうクマ」

「つながってねぇし一人じゃねぇし呼ばわってもいねえ。ついでに言うなら、つかまえようとしてるのは姉貴の方だ」

「半分で良ければロシア艦呼ばわりしてもらっても構わないよ」

「そっちも頼んでねぇ」

 

 じりじり迫る球磨とじりじり下がる木曾。

 霧島を中心に円を描くように追い、逃げる。

 

「あの……目が回ってくるんですけど」

「霧島、ちょっと協力するクマ。そこの素直じゃない()()()()()を捕まえるクマ」

「いや、そこの頭の()いた()()()()()をどうにかしてくれ」

「……なんというか、日本語って難しいですネー」

「霧島、貴方までノらなくていいです」

 

 急にカタコト交じりの怪しい口調になって肩をすくめる霧島に、不知火が冷静につっこんだ。

 

「ふふ、なんかお姉様たちが懐かしくなっちゃって」

 

 霧島は舌を出しつつ球磨の襟首を捕まえ、いとも簡単にひょい、と持ち上げる。

 

「むっ、なにをするクマ。人をクレーンゲームのぬいぐるみかなんかみたいに扱うなクマ」

 

 じたじたと抵抗する球磨だが、片手一本で持ち上げている霧島はびくともしない。

 

「はいはい。816さんは次は対空射撃演習をするんだから、邪魔をしないの」

「ぐぬぅ、屈辱クマ~」

 

 抵抗をあきらめ、ぐてっと持ち上げられる球磨。

 

「あっはっは。ま、そんじゃあ、いっちょうやるかい?」

 

 ケラケラ笑いながら成り行きを見ていた隼鷹が、笑いをおさめて巻物を取り出した。

 

 

 

 この日の演習における816艦隊の通算成績は、2勝7敗だった。

 

 

 

 


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