かんパレ ~波濤幻想~   作:しょっぱいいぬ

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第5話 大矢野の日々

 わずかな月明かりを頼りに、木曾は水平線に目を凝らしていた。

 3時方向に100mほどおいて響が並び、同じく西方を警戒している。さらにその100m向こうでは、叢雲が同じように警戒に当たっているはずだった。

 

『814、815とも未だに会敵せず。引き続き索敵中。816はこのまま、現海域の警戒を継続してください』

 

 心なしか(ひそ)めた声の、一乃からの通信。木曾も「了解」と短く答えた。

 

 この日の一九〇三、東シナ海を哨戒中の哨戒機より、2個艦隊相当の深海棲艦が九州西岸へ接近中との一報が入った。

 警備府司令部はただちに814、815の両艦隊に迎撃命令を発令。さらに、816艦隊にも、後詰(ごづめ)として後方警戒の任があてられた。

 816艦隊は一九五〇に出撃し、814,815艦隊の後方約10kmの海域で待機、警戒態勢に入った。このころになるとすでに日は没し、海上は暗闇に包まれていた。

 

 深海棲艦の特性として、レーダーを始めとする電子機器類ではなぜか姿を(とら)えにくい、というものがある。人類はこのきわめて重大な『なぜか』を解明するために50年以上に渡って研究を進めているが、残念ながらほとんど成果は得られていない。このため、航空機による索敵は目視に頼るところが大きく、日没後はその困難さが飛躍的に増すこととなる。

 今回の場合でも、哨戒機は日没後の深海棲艦隊の追尾をあきらめ、一時帰投していた。

 

 木曾はなおも水平線に目をこらす。

 816艦隊においては、叢雲が対水上電探を装備している。艦娘の電探はこちらも『なぜか』通常レーダーに比べれば深海棲艦に有効ではあるが、絶対ではない。

 結局最後に頼りになるのは艦娘自身の目視だった。

 

 ふと、肩を叩かれる。振り向くと、長月だった。交代の合図である。

 目視による索敵はかなりの集中力を必要とする。30分見張り、10分休む。4人編成の816ゆえの、交代サイクルだった。

 無言でうなずき、長月と場所を入れ替わる。夜戦での警戒中は灯火類は一切点けず、不必要な声も出さない。

 木曾はすれ違いざま、緊張した面持ちの長月の肩を叩いてやった。

 

 と、そこで一乃から通信。

 

『警備府司令部より入電。再出撃した哨戒機が東シナ海沖で深海棲艦隊を発見。迎撃目標の艦隊と推定。なお、敵艦隊は西方に撤退しつつあり。敵艦隊の追撃を禁ず。敵艦隊が哨戒域を離脱するまで、引き続き警戒を実施せよ』

 

 誰ともなく、安堵の息が漏れる。どうやら、今日の戦闘は回避されたらしい。

 

「目のいい哨戒機で助かったな。まだ気は抜くなよ。814と815が戻ってくるまでは警戒を続行するぞ」

 

 木曾はそう宣言すると、もう一度長月の肩を叩いてから後方へ下がる。

 

 

 

 第816艦隊の2度目の出撃は、こうして一発の砲火も交えることなく終わった。

 

 

 

 

 1999年2月27日 一二四九 上天草市大矢野島(おおやのじま)港湾監視所前

 

 

 

「あのぉ、あなた、田村さん?」

「はい?」

 

 ちょうどあくびをかみ殺したところで、不意に背後から声をかけられ、一乃は驚いて振り返った。

 

 監視所の正門を出て数十m。

 昼食を取ったあと、眠気覚ましに、外の国道沿いに設置されている自販機まで飲み物を買いに出てきたところである。

 

 振り返ったこちらを覗き込んでいたのは、スタイルの良い美女だった。

 ピンク色のミニのスーツが鮮やかである。美人じゃないとなかなか着こなせない服だなぁ、と一乃は思った。

 

「あなた、田村さんでしょう?」

「は、はぁ、そうですが……」

「やっぱり!」

 

 女性はぱっと笑うと、ずかずかと近付いてきた。

 ずい、といきなり眼前にマイクを突き出される、一乃は固まった。

 

「テレビ新東京です! 田村さん、初陣はどうだった?」

「え、ええ!?」

 

 いつの間にかカメラマンが美女の背後に立っており、カメラをこちらに向けている。

 

「初の学兵提督としてひとことどうぞ!」

「い、いえ、あの……」

「提督のお仕事は大変? 訓練は週何回くらいかしら? やっぱり腕立て伏せとかランニングとか、鬼軍曹にしごかれるのかな?」

 

 な、何を言ってるんだろう、このレポーターさん。

 海軍と陸軍、さらには学校の部活動をごっちゃにしたような質問に一乃は目を白黒させた。

 

「そ、その、軍務に関することは、立場上お答えできませんので……」

「あら、緊張しなくていいのよ。リラックスリラックス、笑って。あ、彼氏はいるのかしら?」

 

 どうしよう、話が通じてない……

 矢継ぎ早に繰り出される質問に、一乃は目を回しそうになった。

 助けを求めて監視所の正門の方向を見るが、歩哨詰所からは角度的に微妙に死角になっている……

 と、ちょうど正門から叢雲が姿をあらわすのが見えた。

 た、助かった……と思った一乃だったが、直後に顔が引きつる。

 叢雲はこちらを見るや、目を吊り上げて猛然と走ってくる。あれは、かなり怒っている顔だ。

 普段はクールに見えて、叢雲は怒ると過激である。

 走ってきた勢いでそのままカメラマンに飛び蹴りでもかましかねない。テレビ局のカメラが回っている前で、血の雨でも降ったら大変なことになる。ど、どうしよう……

 半ばパニックになった一乃の眼前に突き出されているマイクを、不意に横から伸びた手がひょいとつまんだ。

 

「おやおや、これはテレビ新東京さんですか、お仕事ご苦労さまですな」

 

 海軍大尉の階級章をつけたやや恰幅(かっぷく)の良い初老の男性が、にこにことほほ笑んでいた。

 マイクをつまんだまま、ごく自然な動作で、一乃とカメラの間に体を滑り込ませる。

 

「あの、あなたは?」

「おお、失礼、申し遅れましたな。小官は、この大矢野島監視所の責任者をしております、倉田(くらた)と申します」

 

 テレビ新東京さんの番組はいつも楽しく拝見させていただいております、と倉田と名乗った老大尉はぺこりと頭を下げた。

 マイクはつまんだままである。

 

「本日は、当監視所に、どのようなご用向きですかな?」

「それは、その、田村さんにインタビューをさせていただきたいと思いまして……」

「田村少佐、にですか。それはご苦労さまです。しかしお嬢さん、まことに申し訳ありませんが、当施設における取材は熊本警備府広報課の許可が必要でして。取材許可証を拝見できますかな?」

 

 微笑みを絶やさず言う倉田に、レポーターとカメラマンはばつが悪そうに顔を見合わせる。

 

「その……て、天下の公道での取材は自由かと思いますけど」

「なるほどなるほど。確かにそれはおっしゃる通りですな。とすると、田村少佐のご了解があればですが……」

 

 倉田は振り向いて見せるが、その時にはすでに一乃は叢雲に腕をつかまれ、監視所の門をくぐっていた。

 

「おや、これは申し訳ありません。田村少佐はもう午後の執務の時間ですな。大変恐縮ですが、取材は後日改めてお越しください」

 

 あくまで申し訳なさそうな顔で、ああそれから、と倉田は付け加えた。

 

「まことにお手間ですが、海軍とマスコミの皆様には戦時取材協定がございますので、本日取材された内容は忘れずに警備府広報課のチェックをお受けください。本日いらしたことはワタクシの方から警備府に連絡しておきますので。ああ、もちろんご存じだとは思いますが、念のため」

 

 

 

「いやはや、田村提督、ご災難でしたな」

 

 監視所の正門をくぐり、外から見えないところまで進んだところで、倉田大尉は一乃に笑いかけた。

 

 倉田はこの大矢野島港湾監視所の所長であり、かつ、海兵2個小隊から成る海兵警備中隊の隊長も兼ねている。つまりこの監視所の本来のトップでもある。816にとって、ある意味大家さんのような存在と言ってもよいかもしれない。

 50がらみでやや恰幅のよい体つき。丸い赤ら顔に丸い鼻、丸い目がちょこんと配置されており、いつもにこにことしている。

 一乃は初めてこの大尉と対面したとき、おなかを空かせた子供に自分の顔を食べさせるヒーローを連想した。

 

「倉田隊長、ありがとうございました。わたし、パニックになってしまって……」

「助かりました。中隊長」

 

 礼を言う一乃に続き、叢雲も神妙に頭を下げる。

 

「とんでもない。むしろこちらの方がお詫びをしなければなりませんよ」

 

 倉田がそう言ったところで、先ほどの叢雲に負けず劣らずの勢いで走ってくる影があった。

 第1小隊の軍曹が、こちらの目の前で急停止、直立不動の姿勢を取った。一瞬前まで走っていたのに、息ひとつ乱していない。

 一乃に向かい敬礼するや、雷のような声を張り上げた。

 

「田村少佐、たいへん申し訳ありませんでした! 全責任は自分にあります!」

「え、そんな、責任なんて……」

「軍曹、少佐にはワタクシからよくお詫び申し上げておきます。田村少佐、まことに申し訳ありませんでした」

 

 戸惑う一乃にかわり倉田が答え、こちらに向かって頭を下げる。

 叢雲に肘で脇腹をつつかれ、一乃はハッと我に返って慌てて手を振った。

 

「と、とんでもありません! 謝っていただくようなことは何もないです」

「と、おっしゃっておられます。軍曹、少佐の広いお心に感謝しなければなりませんな」

「はっ! 寛大なお言葉、ありがとうございます、田村少佐!」

「ああ、それと軍曹。そういえばワタクシは、少佐と叢雲さんとお話しするのに夢中で、歩哨が誰だったか見ていませんでした。ま、そういうことで、後はよろしく頼みますよ」

「はっ! 中隊長、面目次第もございません! お心遣いに感謝します!」

 

 軍曹は一乃に向かって敬礼すると、踵を返して正門の歩哨詰所に大股で歩いて行く。

 

「この間抜けども、お前らの目は節穴(ふしあな)かっ! 隠れてたのがテレビ屋だったからよかったものの、これが幻獣や共生派どもだったらどうするつもりだっ! 今すぐ監視所の周囲を巡回してこい! 10周、1時間以内だ! 1分遅れるごとに腕立て伏せ100回を追加してやる! いけっ!」

 

 こちらまで縮みあがりそうな怒声。若い兵が二人、詰所から転がるように出てきて、必死に走りだした。

 

「と、いうわけです。いやはや、まことに申し訳ありませんでしたな」

「わたしがきっぱり断っていればいいだけの話だったんです。あまり、歩哨の方たちを怒っていただかなくても……」

「いえいえ、基地の周囲の警備もろくにできていなかったなど、警備中隊としてお恥ずかしい限りです。816のみなさんはもちろん、民間人にも安心して外を歩いていただけるようにするのが我々の仕事ですからな」

 

 恐縮する一乃に、それに、と倉田は片目を(つむ)って見せた。

 

「失敗した時に叱ってもらえるのは、若い者の特権ですよ、田村提督」

 

 親子、いや下手すると祖父と孫ほどに年齢の離れた大尉と少佐だが、幸いなことに、倉田と一乃の関係は良好といってよい。一乃としてはおそれ多くて倉田を下級者扱いなどできなかったし、倉田もそのあたりを()んでくれているようで、一乃を上位者として立てつつも、816の艦隊運営から日々の生活まで、様々に世話を焼いてくれている。

 

「間抜けは私もです。こんなところまでテレビ屋が来るとは思いませんでした。うかつだったわ」

 

 叢雲がまだ腹立たしそうに言う。

 

「まあ、そこは仕方がありませんよ。本来、田村提督への直接取材は警備府の広報課の方でほぼすべて断っているはずですからな」

「直接取材…… わたしに、ですか?」

「あんたは一応、学兵提督の一期生でしょ。そこそこのニュースネタにはなるわよ」

「まともなメディアなら、通すべき(すじ)は通してから取材に来るものです。今日の連中はまあ、うっかりさんの勇み足、といったところでしょう」

「うっかりさん……」

 

 失礼ながらあの美人リポーターにいかにも似合っている気がして、一乃は思わず噴き出した。

 

 

 

「昨夜の出撃は、お疲れ様でしたな。とにもかくも、艦隊の皆さんがご無事で何よりでした」

 

 並んで歩きながら、倉田が言う。

 

「ありがとうございます。しばらくは、他の艦隊との支援と、哨戒任務がメインになると思います」

「島原湾と八代湾の保持は熊本防衛の上で必要不可欠ですからな。陸の状況も厳しいですし、原口長官も頭が痛いでしょう」

「陸は、やはり苦戦してるんでしょうか?」

 

 一乃の問いに、倉田は肩をすくめて見せた。

 

「ある程度は予想されていたことですが、大混戦状態ですな。熊本市内への侵入を狙う幻獣を防御陣地群が迎え撃つ形で、互いに入り乱れて戦力を削り合っています。特に、東の阿蘇特別戦区と、南の八代戦区で押し合いが続いとるようですな」

 

 八代市は先の八代会戦でその8割が焦土と化している。

 だが同地が九州中部の要地であることに変わりはなく、陸軍は有力な防衛陣地群を築いており、熊本警備府も八代泊地を設置して戦艦を含む強力な2個艦隊を配置していた。

 

「幸い天草はまだ静かですが、宇土半島への小型幻獣の浸透の噂もぼちぼち聞こえとりましてな。外出の際は銃を必ず携帯なさってください。ウォードレスも着ずに素手でゴブリンどもとやり合うというのはぞっとしませんからな」

 

 倉田の指揮する海兵警備中隊は、天草地区に浸透した小型幻獣の掃討も行っている。小島が近接して点在する天草地域は、舟艇を有する海兵による警戒が不可欠だった。

 

「たとえウォードレスを着て銃を持っていたって、一乃じゃ猫に勝てるかどうかね……」

「ちょっと、叢雲!」

 

 思わず頬を膨らませる一乃だが、自分の士官学校での射撃訓練の成績を思い出すと、強く言い返せないのが辛いところである。

 倉田は、はっはっは、と笑って見せた。

 

「艦娘にしても、油断は禁物ですよ。艤装なしでは、いくら艦娘でも幻獣と渡り合うのは骨がおれるでしょう」

 

 倉田の言うとおり、艤装を装着していない艦娘は通常の人間よりやや身体能力が優れる程度の存在である。

 

「そうね。ありがとうございます、中隊長。他の艦娘にもよく言っておくわ」

 

 叢雲が頷く。

 

「憲兵隊が巡回を増やしているようですし、我々も警備を強化していますが、何事も絶対はありませんからな。どうぞお気をつけて」

 

 ちょうど816艦隊隊舎前に到着。それでは、とひょいと頭を下げ、老大尉は歩き去った。

 

 

 

「電探に反応なし、だな」

 

 島原湾、海上。

 長月は髪をなびかせながら、顔を上げて空を見やった。

 本日の天気は快晴。海上をごく穏やかに風が吹き抜けている。

 

「響、そちらはどうだ」

「水中聴音機も異状なしだよ」

 

 少し後ろを航行する響が答える。

 

 長月と響は、島原湾、天草灘の定時哨戒任務に就いていた。

 

 まだ警備府創設から日の浅い熊本の海は、沿岸防備や警戒網が非常に脆弱(ぜいじゃく)である。

 それを補うのが艦娘による哨戒であり、816艦隊の重要な任務だった。

 

「E-2機雷群、敷設状況に異常なし……ん、一四〇〇、ちょうどだ」

「わかった。定時報告はこちらでする」

 

 長月はうなずくと、艦装を介して通信を送る。

 

「816艦隊司令部、聞こえるか。こちら長月。定時報告。一四〇〇現在、E-2機雷群付近を航行中。異状なし」

『こちら司令部、了解だ』

 

 司令官とは明らかに違う声に、長月は首を傾げる。

 

「ん? 木曾か?」

『ああ、提督は執務室で書類と格闘中だ。せっかくのいい天気だし、のんびりやってくれ』

「のんびり……いや、了解した。『適当に』やるさ」

『おっと、そうだな。怖い鬼軍曹に走らされない程度には、真面目にやってくれ』

「ん、なんのことだ?」

『戻ったら、教えてやるよ』

 無線の向こうで木曾の笑い声が聞こえ、『今夜はカレーだとさ』という言葉と共に無線が切れた。

 

「カレーか……叢雲のカレーはどんなカレーだろうね」

「うん、そうだな……叢雲は元は桂島と言っていたし、やはり桂島流のカレーだろうか」

 

 艦娘達がカレー談義を始めると、長い。

 旧軍の時代より、海軍とカレーの縁が深いのは周知の事実である。

 加えて艦娘の場合、軍艦時代の記憶、建造された鎮守府、そして配属された艦隊と、それぞれで味もレシピもまったくばらばらであり、結果として個人の味の好みも千差万別となるからだ。

 

 ちなみに、創設間もない熊本警備府において「警備府公式カレー」のレシピを巡って艦娘たちの間で激論が交わされたのは、一部の艦娘たちの間で有名である。

 佐世保からの異動組と、その他の基地からの転入組、そして警備府の前身である熊本泊地出身組の三国志から始まり、熊本なんだから馬肉を入れるべきだ、いやいっそ熊肉を放り込めなどという暴論、いっそカレーうどんにしようという斜め上派、そもそもカレーとは何ぞやという哲学派まで、警備府全体を巻き込む百家争鳴(ひゃっかそうめい)の大激論が巻き起こった。

 事態を重く見た警備府司令部は着任間もない原口長官の発案で、地域交流のイベントを兼ねた警備府公式カレー決定戦、『K(警備府)C(カレー)1グランプリ』の開催という奇策で事態の収拾を図った。

 結果は第一艦隊旗艦日向考案の『瑞雲カレー』が地域の子供達に人気を博して来場者票の多くを獲得。警備府公式カレーの栄誉を勝ち取り、ここに熊本警備府カレー事変と呼ばれた一連の事態は終結した。

 ちなみに後日、日向が第二艦隊旗艦飛龍に「長官と由良の頼みで参加したが、他の『日向達』はともかく、私個人としてはそこまで瑞雲にこだわりはないんだがな……」などとぼやいていたのは、長月や響が知る(よし)もない余談である。

 

 しばしカレー談義を続けながら哨戒を続行する長月と響。

 不真面目にも見えるが、長時間一定の緊張を保つ上で、適度な雑談は有効である。

 

 ふと、長月は口調を改めて問いかけた。

 

「……なあ、響。これから先、どうなると思う?」

「それは、何について、かな?」

 

 響の言葉に、自分の言葉が抽象的に過ぎたことに気づき、長月はちょっと顔を赤らめる。

 

「ひとことにまとめるならこの戦い、だろうか。私たちの役目は、5月の自然休戦期の開始までなんとか熊本の海を守りきることだ。それは、わかる」

 

 毎年5月10日になると、幻獣はなぜか一斉に侵攻を停止する。ここから侵攻が再開される夏の終わりごろまでを、人類は自然休戦期と呼び、戦力の回復に努めるのが常だった。

 ただし、深海棲艦相手には当てはまらない概念でもあったが。

 

「もし、自然休戦期まで守りきれたとして……その後は、どうなるんだろうか」

 

 長月の言葉に、響はちょっと考える素振りを見せた。

 

「そうしたら……自然休戦期明けに自衛軍が反攻作戦を開始するんじゃないかな。今は本州で必死に八代と対馬の損失を穴埋めしているそうだし」

「そうだな。陸軍は熊本・福岡・長崎のラインから南に向けて進軍し、幻獣に奪われた土地を奪還する。海軍は九州西部海域の制海権を奪還して、再び大陸からの侵攻に備えて防備を固める……普通に考えればそうなんだろうが……」

 

 長月は通信がオフになっていることを確認すると、響に肉声が届く距離に近づいた。

 

「あくまで噂なんだが……佐世保鎮守府が、呉への機能移転…いや、機能統合を進めているらしい」

 

 長月の耳打ちに響はわずかに眼を見開いた。

 

「佐世保を、()てるってこと?」

「わからない。あくまで噂だしな。ただ、同期の水無月がまだ佐世保にいるんだが、この前それとなく聞いてみたら、口を濁された」

 

 事実無根であれば、口を濁す必要などない。そんな事実はない、の一言で済む。

 

「司令官はそれを知っているのかい?」

「それもわからないな。ただ、司令官はあまり私達に隠し事をしたがるタイプではないと思う。この噂も折を見て耳に入れるつもりだ」

「それがいいだろうね。でも、先に叢雲に話を通しておいた方がいいかもしれない」

「ん、確かにそうだな。戻ったら話してみる」

 

 長月は湾の対岸を見る。やや霞がかった島原半島、雲仙岳が見える。あの向こう側が長崎、さらにもう少し向こうが佐世保のはずだった。

 

「いずれにしろ、私達は私達にできることをするしかないさ。とりあえずは、目の前のできることをしよう」

 

 響の言葉に、長月は何かを振り払うようにうなずいた。

 

「……ああ、そのとおりだな。さっさと哨戒を片付けて、叢雲のカレーを楽しみに戻るとしようか」

 

 

 

 艦娘は、通常の人間より多量のカロリーを必要とする。

 その特性は大型艦になるほど顕著であり、戦艦娘や航空母艦娘になると、相撲取りでも目を剥くような食事の量になる。

 鎮守府や大規模泊地などでは、下手な料理人顔負けの腕を持つ給糧艦娘や補給艦娘が所属して艦娘たちに食事を提供している場合が多いが、前線の小規模艦隊ではさすがにそのような贅沢はできない。

 

 816艦隊においては、食事当番制が採用されている。

 

 海軍監視所内には警備中隊の隊員食堂があり、当初、倉田大尉は3食の提供を申し出てくれた。

 しかし、警備中隊の隊員向けの通常メニューでは艦娘にとって必要カロリーが足りないという問題があり、また、出撃や哨戒が長時間に渡ることも多く、食事の時間が不規則になりがちとなることも予想された。

 これらを踏まえて艦隊内で話し合った結果、警備中隊に昼食の提供のみを依頼し、朝食と夕食を食事当番制とすることになったのだ。

 

 現在のところ所属艦娘4名で当番を回しており、哨戒などの日常の任務は、食事当番でない艦娘で編成される。つまり、ある意味通常任務より食事当番が優先されている形だ。

 

 いましも、隊員寮の厨房では、本日の当番である叢雲が、食材の山を前に奮闘していた。

 

「そ、それにしても、毎度すごい量だよね」

 

 一乃が若干顔をひきつらせながら言う。

 近くの食料品店から配達された食材が大きな段ボール2箱分。一乃を含めた5人が、朝食と夕食だけで消費する量である。

 

「うちは軽巡と駆逐艦だけだから人数の割に少ない方よ。戦艦や空母みたいな大食艦連中がいたら、もっと量は増えるわ。喰うボ、なんていうあだ名もあるくらいよ」

 

 大きなボールに山盛りのジャガイモの皮を剥きながら、叢雲が答えた。

 

「大体でいいから、みんなの食べる量把握しときなさいよ。明日の日曜は、あんたもやるんでしょ、食事当番」

「あ、うん。そうね」

 

 艦隊司令としての仕事は山ほどある。普通なら、当然だが提督は食事当番の対象外だ。

 しかし一乃は、提督だからといってただ作って貰うだけというのは、抵抗があった。

 

 と、いうことで話し合いの末、816では日曜日の夕食のみ提督が食事当番、ということに決められていた。

 

「なんだ、提督。ここにいたのか」

 

 厨房の入り口から木曾が顔を覗かせた。

 

「哨戒班は異常なしだそうだ。これから帰投するってよ」

「了解したわ。無線番ありがとう」

 

 一乃にひらひらと手をふると、木曾は食材を眺め、豚肉のパック(2kg)を手に取った。

 

「ふうん、桂島のカレーはポークカレーだったのか?」

「今回は一乃の見本も兼ねてるから、残念ながらごくノーマルなポークカレーよ。桂島レシピは朝から牛すじを煮込んで、隠し味にチョコレートやインスタントコーヒーを入れてたわね」

「へえ、トロみとコクの強い濃い口タイプって感じだな」

「そうね。ファンは多かったけど、私はさらっとしたカレーの方が好きなのよねぇ」

 

 ぼやきつつもどんどんジャガイモの皮を剥く叢雲。一乃が感心して見ほれるほど手際がいい。

 

「ちょうど手が空いたし、何か手伝うか?」

「他の仕事なんていくらでもあるでしょ、と本来は言うべきとこだけど…… そうね。そこの人参だけでも皮を剥いてもらえると助かるわ」

 

 叢雲がざるにいっぱいの人参を指し示す。

 

「ん、了解だ」

「あ、わたしも手伝うわ」

 

 木曾に続いて一乃も包丁を取る。

 

「一乃、あんたは量だけ確認したらあとは執務に戻りなさいよ。書類、たまってるじゃない。」

「うん、人参だけ切ったら戻るから」

 

 言いつつ人参を左手に持ち、ふと、動きを止める。人参と、包丁を見比べ、小首を傾げる。

 

「なんだ、どうした?」

 

 手際よく人参の皮を剥きながら、木曾が尋ねる。その木曾の手元を見て、一乃も包丁を人参に当てる。

 

「お、おい、大丈夫か?」

 

 危なっかしい手つきに、木曾がちょっと焦った声を出す。

 しかし、危なっかしかったのは最初だけで、一乃はすぐに、木曾ほどではないにしても、それなりに慣れた手つきで人参を剥き始めた。

 

「うん、そうそう、こんな感じだったわね。ちょっと考えちゃった」

「なんだ、ヒヤッとしたじゃないか」

「あのね。いくら士官学校でしばらく料理と縁がなかったからって、人参の皮の剥き方なんてふつう忘れる?」

「ちょっと悩んだだけよ。手はちゃんと憶えてたし」

 

 叢雲の呆れた声に、一乃は口をとがらせる。

 

「はいはい、わかったからそれ切ったら、ボロが出る前に執務室に戻りなさい。アンタの血の味がするカレーなんて、ごめんこうむるわ」

「むぅ、失礼な……明日の夜になったら覚えてなさいよ……!」

 

 切った人参を投げつける真似をする一乃に、木曾が忍び笑いをもらした。

 

 

 しばらくして、執務室で書類を片付ける一乃の元まで、香ばしいカレーの匂いが漂ってきた。

 

 


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