かんパレ ~波濤幻想~   作:しょっぱいいぬ

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第9話 816艦隊、前へ!

 飛龍は、弓を油断なく構えていた。

 

 敵弾がかすめたか、こめかみをひと筋の血がつたっていた。はちまきは千切れ、かろうじて耳に引っかかっている。横に並ぶ形で日向が、さらに反対側には霧島が、それぞれ大口径砲を構えている。

 彼女たちの視線の先には、猛火に包まれながらゆっくりと沈んでいく空母棲姫の姿があった。

 

 艦体は何発もの砲撃により大穴があき、砲塔は吹き飛んでいる。カタパルトがへし折れ、すでに原形をとどめていない。

 本隊である空母棲姫も、右の半身をほぼ吹き飛ばされ、断面は無残に黒く焼け焦げていた。

 人間ならば確実に即死の状態だが、白い女は膝を折りつつもなお、艦体の上でこちらに顔を向けていた。

 その視線が、飛龍のそれと絡み合う。唇がかすかに動いた。

 

「クリカエス……ナンドデモ……」

 

 業火にかき消されそうなそのつぶやきは、なぜか飛龍の耳にはやけにはっきりと聞こえた。

 

「ヨキユ………アシキ…メ……ユキテ……モドリテ……シズメ……シズミ……」

 

 沈みゆく女は、やはり笑みを浮かべていた。戦いの間終始浮かべていた嘲りの笑みではない。どこか静かな笑みだった。

 その顔が、よく知っている誰かにひどく似ている気がして、飛龍の胸がざわめいた。

 

「……マタ……ドコカノウミデ、アイましょう」

 

 空母棲姫の体が、静かに波間に消えた。

 

 

「……空母棲姫の撃沈を確認」

 

 飛龍はゆっくりと息を吐き、弓を下ろした。

 わっ、と周囲が沸き立つ。

 

「見事だったよ、飛龍───よし、敵の残存艦隊を殲滅するぞ!」

 

 近付いてきた日向が飛龍の肩をひとつ叩くと、後ろを振り返って声を張り上げた。

 

「さすがの活躍ね───第二打撃部隊、敵艦隊を追撃するわ。陣形を再編!」

 

 霧島が眼鏡を直してひとつウィンクすると、自艦隊の方へ向かう。

 

 わずかな呼吸を挟み、警備府艦隊がふたたび敵撃滅のために動き出す。

 

「なあ、飛龍。あの空母棲姫な、なんか言うとったんか?」

 

 すれ違いざま、ふと龍驤が聞いてきた。

 

「……ううん、私にも、よく聞こえなかったわ」

「……そか」

 

 龍驤はそれ以上聞かず、離れていく。

 

 飛龍も短くなったはちまきを締め直し、さあ、「残りは烏合(うごう)の衆よ!」と声を励まして叫んだ。

 

 

 

 艦隊司令部から緊急通信が入ったのは、そのわずか数十秒後のことだった。

 

 

 

 1999年3月9日 〇七二五 東シナ海上 熊本警備府艦隊旗艦かいりゅう 艦橋内

 

 

 

 警備府艦隊司令部は、怒号に包まれていた。

 

「後方海域に浸透(しんとう)した敵艦隊は2個艦隊と推定されます!」

「伊26が重巡級2隻を確認している模様!」

「815艦隊、奇襲を受けた模様です! 大破2、中破1、…あ、いえ、大破3になりました!」

 

 オペレーターの叫び声が交錯する。

 

「816艦隊は!?」

「10km後方に位置しています!」

「815がなぜそんな前に出ているんだ!」

 

 司令部要員はいずれも蒼白になっている。

 無理もない。815,816の両艦隊はこの戦いにおける最終防衛ラインだ。この2個艦隊の後ろに熊本警備府の水上戦力は存在しない。

 せめて両艦隊が共同で敵と当たっていれば話はまた違っただろうが、815単独で倍の敵に奇襲されては、結果は見えていた。

 

 横須賀鎮守府や呉鎮守府などと異なり、急造の拠点である熊本警備府は、港湾防備施設の整備が間に合っておらず、沿岸防備が脆弱である。深海棲艦に対抗することはほぼ不可能だ。

 無防備な島原湾、有明湾に敵艦隊が突入すれば、警備府が存する熊本港はもちろんのこと、最悪の場合は熊本市の西半分が敵艦砲射撃の射程にすっぽりおさまってしまう。

 

「基地航空隊は出せんのか!?」

「先ほど全力出撃したばかりです! 再度の出撃には相当の時間が……」

「なぜ2個艦隊もの浸透に気づかなかったぁ!」

 

 幕僚の一人がらちもないことを叫んだ。

 通常ならば、12隻もの深海棲艦隊を見逃すことなどあり得ない。

 敵主力を目標とした戦力の集中投入。それによる敵味方の大乱戦状態、そして朝方からの霧。

 数で劣る警備府艦隊が勝利をたぐり寄せるために取った策が、この瞬間に限ってはことごとく裏目に出ていた。

 

 がたん、という音がして、司令部要員の眼が一斉にそちらに向く。原口警備府長官が、指揮席から立ち上がっていた。

 

「第二水上打撃部隊は反転し、ただちに天草灘(あまくさなだ)方面へ急行。続いて甑島(こしきしま)泊地の笹野提督に伝達。『待機中の甑島艦隊はただちに出撃。天草灘付近に侵攻中の敵艦隊を迎撃されたし』」

 

「りょ、了解しました! 第二水上打撃部隊はただちに陣形を再編し反転せよ」

「甑島艦隊に命令を伝達します!」

 

 原口の低いが落ち着いた声に、司令部はわずかながら平静を取り戻す。

 

「九州総軍司令部にも警備府長官名で支援を要請。続いて、沿岸部の港湾警備隊に迎撃命令を発令」

「はっ! 九州総軍司令部に伝達、ならびに各隊に迎撃命令を発令します」

 

 オペレーターがうなずくが、その表情は険しい。

 艦娘を持たない港湾警備隊は、小型幻獣相手ならともかく、深海棲艦相手に対抗できる火力は持っていない。

 他ならぬ熊本の危機だ。九州総軍司令部───陸軍も動くだろうが、深海棲艦相手に対水上戦闘が可能な部隊は決して多くない。限られた時間の中で、どこまで対応できるかはあまりにも不透明だ。

 

「長官、816に815の救援命令を出します!」

 

 幕僚の言葉に、原口はそちらをちらりと一瞥(いちべつ)し、短く言った。

 

「無用だ」

「長官!? な、なぜですか」

「間に合わん」

 

 にべもない言葉に、幕僚が絶句する。

 

「で、ですが長官、まだ戦闘は……」

「『はちくま』、撃沈されました!」

 

 なおも言いつのろうとした幕僚の言葉を、悲鳴に近いオペレータの叫びが遮った。

 原口は奥歯をかみしめ、無言で戦況画面に向きなおった。

 

 

 

 

『あ、うそ……そんな、こんな……簡単に……』

 

 無線から、一乃の呆然とした声が流れる。

 815艦隊は、戦況画面からすでに消失していた。緊急入電から5分もたっていない。

 

「2倍の敵から不意討ちを食ったんだ。無理もないな」

 

 815の連中は気の毒だったな、と木曾が淡々と言いながら、単装砲の砲弾をチェックする。

 

『……警備府司令部より入電。敵艦隊の艦数は重巡2を含む2個艦隊相当。天草灘方面……つまり、こちらに向かって進軍中。816艦隊は当該敵艦隊を迎撃せよ……』

「なお、撤退は許可できない、というところか」

 

 長月がつぶやく。

 

「司令官、援軍の当ては?」

『第二特編水上打撃部隊が反転して急行中。南の甑島泊地からも艦隊が緊急出撃したわ。けれど、どちらもどんなに早くても、あと1時間は……』

 

 1時間もあれば敵艦隊は湾内に殴りこみ、破壊の限りを尽くすだろう。撃退がかなわないまでも、せめて盾となって時間を稼ぐ、それが、816に課せられた使命だった。

 

「ここは腹をくくるしかないみたいだな。ふん、やっとらしくなってきたじゃないか」

 

 木曾が獰猛な笑みを浮かべて砲を構える。

 

 霧が、薄れてきていた。

 

 

 

 モニターの光に囲まれた指揮司令室でひとり、一乃はインカムを握り締めて呆然としていた。

 

 迎撃? 盾?

 たった4人の水雷戦隊で重巡級を含む2個艦隊相手に?

 

 みんなに死ねと言っているようなものだ。

 

 ……違う、みんなに死ね、と命令しているんだ。

 

 最後の一人までことごとく敵と戦って死ね、と言っているんだ。

 

 

 

 ───()()()()()()()()

 

 

「あ……わたし……そんな……」

 

 全身が震えだした。カチカチと自分の歯が鳴る音が、まるで遠くから響いてくるように聞こえた。

 

(わたしのせいだ……)

 

 自責の念が、鋭く全身を貫く。

 

 もっと早く815の前進に気付いていれば。もっと強く箕尾(みのお)少佐を制止していれば。816を前進させて艦隊を合流させていれば。

 いくらでも機会があった。ひとつでも正しい判断をしていれば、こんなことにならなかったのだ。

 

 その責任があったんだ。指揮官であるわたしには。

 

「ど、どうしよう……わたしのせいだ……わたしの……」

『し、司令官、どうした、大丈夫か』

 

 長月の気づかうような声は、しかし、よけいに一乃の罪の意識を締め上げる。

 

 何が運のいい提督、だ。

 わたしは自分の無能のツケを、みんなに払わせるのだ。

 みんなに死ねって命令するんだ。

 

 一人だけ、安全な指揮司令室から。

 

「ごめ……ごめんなさい……わたし、わたし……」

 

 視界がゆがむ。言葉が出ない。

 

 

 ―――だって、わたし、本当は……

 

 

 

『こらっ! パニくってんじゃないわよ、いまいちのっ!』

 

 無線越しに叢雲の声が炸裂、一乃の頬をぴしゃりと打った。一瞬、思考が止まる。

 

「む、叢雲……だって……」

 

『うるさいっ、いいからいったん黙りなさいっ!』

 

 とんでもない剣幕に、思わず気おされて黙る。

 

『ごちゃごちゃつまんないこと考えてどツボにはまるの、アンタの悪いクセだわ! 要は味方が来るまで粘ればいいんでしょ? 私達だけであいつらを撃破するのは無理だけど、時間稼ぎだけなら戦い方もあるはずよ』

 

「だ、だけど、戦い方っていっても、どうすれば……」

 

『それを考えるのがアンタの仕事でしょ、この、いまいちの!』

 

 再び、ぴしゃり。今度は逆の頬を張られた気がして、一乃は思わず頬を押さえた。

 

『そんなんだからアンタはいまいちのなのよ! ちょっとは士官学校から進歩しなさいよね、いまいちの!』

 

「な、何度もいまいちの、いまいちのって言わないでよぉ……」

 

 叢雲の勢いに圧倒され、知らず、情けない声が口からもれた。

 

 そんなこと言ってる場合じゃないのに。あれ、でもそもそもわたし何を言うべきなんだっけ?

 

 さっきまで考えていたことが、どこかに飛んでいってしまっている。

 バケツの底が抜けたみたいに、感情が抜けてしまっていた。

 

『む、叢雲? その、いま……は、司令官の……?』

『そ。士官学校時代のあだ名ね。おつむは悪くないくせに、いまいちどんくさくて、いまいち頼りないから“いまいちの”」

『…っく』

『ぶふっ!?』

 

 長月が笑いをこらえた。後ろで木曾がおもいきり噴き出している。

 

『他にも、真っ先に失敗して教官に怒られて他の生徒の反面教師となる“いちの()罰百戒”とか、演習でうっかりミスで自艦隊を全滅させた“いちのう(一網)打尽”、あとは剣道の授業でのあまりにもへっぽこな打ち込みを称して “いちのぺち(一の太刀)”なんてのもあったわね』

 

「ぜ、ぜんぶ叢雲が作って流行(はや)らせたんでしょお!!」

 

『司令官……いじられキャラだったんだね』

 

 響のしみじみと優しげな声がまともに突き刺さり、一乃は轟沈した。

 

 長月が耐え切れずふきだす。

 木曾の爆笑がさらに大きくなった。モニターに木曾の生体情報(コンディション)の異常を示すアラートが表示される。『酸欠』と書かれていた。

 

『や、やめろよぉ……手ぇ、手が震えて、狙いがつけられねえだろうがぁ……』

 

 息も絶え絶えといった声で木曾が抗議する。

 

『ま、まったくだ。さ、作戦中にする話ではないだろうに』

『そう? じゃあ今夜、隊舎に戻ったら山ほど聞かせてあげるわ。田村一乃提督候補生のいまいちのエピソード集』

『っぷ、やめろ、やめてくれ……』

 

「あ……」

 

 半ば呆然として交信をきいていた一乃は、しかし不意にすとん、と胸に何かが落ちる感覚を覚えた。

 

 そうだ、今夜、隊舎だ。

 きっと叢雲は士官学校時代の自分の恥ずかしいエピソードを容赦なくばらすだろう。自分も同席してなんとしても叢雲を阻止しなければならない。

 

 ───そのためには、誰ひとり、欠ける事なく帰ってきてもらわなければならない。

 

 叢雲も、みんなも、誰ひとりあきらめてなんかいない。それなのに、わたしが絶望してどうする。

 みんなに帰ってきてもらうために全力を尽くすのが、今のわたしに許されたただひとつのことだ。

 

 一乃は、ふと腰に手をやった。腰のホルスターに、護身用の拳銃がおさまっている。指先に、銃把の冷たい感触。

 もしみんなが帰って来なかったら、わたしはこれで自分のこめかみを撃ち抜くことになるだろう。それで許されるとも思わないが、他にできることはない。

 

 けれど、今はまだ、わたしにも提督としてできることがある。

 

 

 後悔も絶望も、後だ───

 

 

 袖でごしごしと目をこすってひとつ深呼吸。

 握りしめたままだったインカムから指をひきはがし、頭につけ直す。

 

「ありがとう、叢雲。───再起動した」

『ようやくお帰りね。まったく、このお代は高くつくわよ』

 

 相変わらずそっけない叢雲の声が、嬉しかった。

 口を引き結び、モニターを見据える。左手の多目的結晶を端末に接続し直し、敵の情報を確認。

 

「敵艦隊は依然こちらへ進軍中。接敵まで推定5分」

『了解、こちらはいつでも行ける』

 

 木曾の返答。

 

「みんな、ごめんなさい。帰ってきたら、いくらでも謝るから、いまは、わたしに力を貸して」

 

『大丈夫だ。私たちを信じてくれ、司令官』

 

 長月の凛々しい声。

 

『この名にかけて、君の信頼は裏切らないよ』

 

 響が誓うように言う。

 

 みんな、こんなわたしを信じてくれている。

 

 ───なんだ。わたし、やっぱり、運のいい提督だ。

 

 一乃は束の間目を閉じ、そして目を開けて言い放った。

 

「816艦隊は、これより接近中の敵艦隊を迎撃します。全艦前進!!」

 

 

 

『各艦。叢雲が言ったとおり、敵を無理に殲滅する必要はありません。作戦目的は敵艦隊をできる限り拘束し、沿岸部および熊本市内への攻撃を阻止すること。なお、第二打撃部隊が4分前に50km沖から反転、こちらに急行中。甑島艦隊も緊急出撃準備中。時間はこちらの味方よ』

「提督、迎撃座標の指示はあるか?」

 

 木曾が零式水偵を格納しながら訪ねる。少し間があって一乃からの返信。

 

『包囲、挟撃だけは絶対に避けなければならないわ。そこから1km後方、ポイントG-3の機雷群に敵を引き込んで。有効な打撃にはならないだろうけど、相手の行動を制限することはできるはずよ。うまく活用して』

「なるほど。あのあたりなら何度も哨戒している。私達なら目をつぶっていたって、通り抜けられるさ」

 

 一乃から送られてきた座標に、長月が頷く。

 4人は散開しつつ、機雷群の後方に布陣。ほどなく、響が海上の一点を指した。

 

「司令官、敵艦隊を確認した。まだこちらに気付いた様子は見えない」

『情報を確認。解析完了。重巡リ級2、軽巡へ級1、軽巡ホ級2、駆逐ロ級1、駆逐イ級4』

 

 即座に一乃が敵艦隊の情報を解析する。

 

 総数10隻。2個艦隊の定数にやや満たないのは、815艦隊の意地か。

 

「2隻欠員ってとこか。――なんだ、条件は816(うち)と同じじゃないか、なあ?」

「まったく、一乃の次ぐらいにおめでたいわね、あんたは」

 

 木曾の軽口に叢雲が応じる。二人とも目が凶暴に光っている。

 

「よし、迎撃する! 適当に戦った後機雷群まで下がるぞ」

 

 迎撃態勢を取る4人の前方、水平線上に影が現われはじめる。

 

「敵重巡、発砲!」

「さすがに発見されたか!」

 

 響の警告に4人が一斉に回避機動。彼女たちの前方、50mほどのところで水柱が上がる。

 

 艦娘と深海棲艦隊の戦闘における砲撃の有効射程は、第2次世界大戦の艦隊戦に比べ、はるかに短い。砲自体の射程もそうだが、互いに的が小さく動きが早く、おまけに体高の低さから互いに視認距離が短いためだ。だが、それでも砲ごとの射程差は厳然として存在する。

 

 2隻の敵重巡が8inch砲を続けざまに発砲。次々と4人の周囲に着弾する。木曾が舌打ちしながら砲撃を開始するが、14cm単装砲の有効射程では牽制程度にしかならない。逆に敵重巡が木曾に砲撃を集中し、木曾は砲撃を中断して回避運動に専念。その隙をついて敵軽巡級、駆逐級が前進を開始する。

 これに対し、叢雲、長月、響が艦列を揃え、一斉に砲撃を開始。

 艦数こそ少ないものの統制のとれた砲撃に、敵艦隊の前進が停止。しかし、射程で勝る軽巡級が応射を開始し、さらに木曾を狙っていた重巡級も、前に出てきた駆逐艦組に砲撃を加える。

 必死に回避運動を取りつつ後退する3人。その機に駆逐級が一気に前進しようとするが、先頭の一隻が小型機雷に接触し、爆発が起きた。

 装甲力場のため大した損傷は与えられないが、艦列が乱れた隙に木曾が敵前衛に砲撃。一発が駆逐イ級の至近に着弾し、衝撃波にさらされた駆逐イ級は大きく体勢を崩す。

 しかし、直後に木曾は第二撃を中断し高速機動。1秒前まで木曾がいた海面に、無数の水柱が立った。

 

「ちっ、仕留めきれなかったか」

 

 毒づきながら砲撃を回避する木曾を援護すべく、駆逐艦組がふたたび砲撃を再開する

 

 

 戦闘開始からの最初の5分間は、機雷群を挟んでの砲撃の応酬に終始していた。

 数の差、そして射程の差を押し付けられる側の816艦隊は、じりじりと圧迫されつつも、機雷群のおかげで何とか攻撃をしのいでいる状況だった。

 

『各艦、損害状況は?』

「ありがたいことに、こっちは損害なし。いまいましいことに、向こうのほうもね」

 

 全身から海水をしたたらせた叢雲が、敵をにらみつけながら答える。

 答えて初めて、いつの間にか敵艦隊の砲撃の密度がまばらになっていることに気付いた。

 

『敵艦隊に陣形変換と思われる動きがあるわ。様子見は終わり、ということみたいね。一気に前進してくるわよ』

「軽巡級が前に出るみたいだ。次が駆逐艦級。重巡級は後列」

「重巡の支援砲撃下で一気に機雷群を突破するつもりか……」

 

 長月が歯を食いしばる。

 

『乱戦になったら終わりよ。くれぐれも正面からぶつかろうとは考えないで。機雷群を突破されたら、後退しつつ戦闘を継続して』

 

 後退しながらの遅滞戦闘がどれだけ困難かは、今さら言うまでもない。

 

『後退ルートを送信するわ。確認して』

「このルートは……下島(しもじま)の沿岸沿いに後退するのかい?これじゃあ、居住区にも……」

『下島沿岸には今朝から避難命令が出ているわ。この状況下で沿岸部への被害を考慮しろとは言いません。地形を最大限に活用して遅滞戦闘を継続して。責任はわたしがとります』

「あんたにしちゃ大見得(おおみえ)きったわね。いちおう、ほめてあげるわ」

「奴らが動き出した! 来るぞ!」

 

 長月の警告。重巡級が再度前進し、砲撃を再開。それに合わせ、縦列で軽巡級が機雷群に突入する。

 4人は一斉に砲撃するが、自分たちが敵重巡の砲撃を回避しながらの状況では、有効打とならない。時折機雷の爆発にさらされながらも、軽巡級は機雷群を突き進む。

 

「なめるなっ!!」

 

 木曾が()えざま腰を落とし、2門の14cm単装砲を連射。うち一発が機雷群を突破した先頭の軽巡へ級に命中。軽巡へ級は形容しがたい苦悶の声とともに、大きく傾く。

 戦闘開始から初めての有効打である。

 しかし、後続の軽巡級が一斉に応射。木曾の周囲に無数の水柱が立ち、桜色の装甲力場が激しく明滅する。

 

「木曾! 大丈夫か!?」

 

 長月が叫んで12cm単装砲を連射。響がこれに続き、軽巡級の艦列が乱れ、その隙に木曾が追撃から逃れる。

 

「ちょっと欲張ったな。悪い悪い」

 

 全身ぬれ鼠になりながらも、不敵に笑って後退する木曾。だが、その右そでが裂け、血が滴っていた。

 

莫迦(バカ)!! 無茶してるんじゃないわよ!」

「司令官、潮時みたいだ」

 

 軽巡級に続き、駆逐級も機雷群を突破。さらに、重巡群も機雷群に侵入した。

 

『各艦、後退を許可します。引き続き、遅滞戦闘を継続』

 

 命がけの鬼ごっこが、始まった。

 

 

 

 

「816艦隊、深海棲艦隊と接触、遅滞戦闘を継続中!」

 

 艦橋内にオペレーターの報告が響きわたる。司令部のほぼすべての人間が、816に注目していた。

 いまや半人前の学兵が指揮する定数割れの艦隊が、熊本の最後の守りと言ってよかった。

 

「田村少佐は、よく決断しましたな」

 

 司令部要員の賞賛の声は、だが同時に無意識の軽視も含んでいる。

 彼らからすれば、半人前の学兵提督が恐怖にかられ、戦闘を放棄してしまうのが最悪のシナリオだった。

 が、今回は若者ゆえの生真面目さが有利に働いたようだ。816は勝ち目のない戦いに身を投じている。

 第二打撃部隊と甑島艦隊が現場に急行中であり、816がこの調子で時間稼ぎに努めてくれれば、たとえ彼らが全滅しても、市内への被害は最少限に抑えられるだろう。

 

 戦術としてはまさに理に適っている。倫理的にはともかくとしてだが。

 

 原口は無言で戦況画面を見つめていた。

 彼の秘書艦がこの場にいれば、指揮卓の下に隠された拳が、爪が皮膚を突き破らんばかりに固く握りしめられていることに気付いたかもしれない。

 

 

「長官、総軍司令部より通信が入っています……これは」

 

 そう報告したオペレーターが、途中で口ごもった。

 

「どうした?」

 

「その、下島付近の陸軍各部隊から問い合わせが入っているそうでして――――」

 

 困惑した様子のオペレーターから詳細を聞いた時の彼の顔こそ、見ものだった。

 

 

 戦闘開始時より終始感情を表に出さなかった原口が、ぽかん、と口を開けたのである。

 

 

 

 

 816艦隊が後退を開始してから20分。自分たちは良く持ちこたえていると言っていい、と響は思った。

 

「響、そっちの残弾はどうだ!?」

「まだ半分は残ってる。大丈夫さ」

 

 長月に答えつつ最大戦速で(みさき)を回りこむ。背後で敵の砲撃が岬に着弾し、派手に岩を砕く。

 

 天草灘が816にとって哨戒区域内、いわば庭のようなものであったことが幸いしていた。加えて重巡級のうち一隻が、815との戦闘による損傷のためか、最大速度が出せない様子なのも幸運だった。

 おかげで戦力で圧倒的に劣る816は、地の利と速度を生かして何とか遅滞戦闘を継続している。

 

 ここまでの戦闘で有効打と言えるのは、木曾が軽巡級を中破させた一撃だけで、あとは敵味方とも大きな損害は出ていない。しかし、816の4人には細かい損傷が積み重なっている。危ない場面も何度もあった。

 20分は決して長い時間ではないが、その間つねに瞬時の判断と無理な機動を強いられている。

 

 緊張の糸が切れたら最後だ、と響は自分に言い聞かせた。

 

 風切り音とともに周囲に連続して弾着。

 

「来るわよ、全速後退!」

 

 敵艦が島影から次々と姿を現し、砲撃を浴びせてくる。叢雲が12.7cm砲を連射して牽制し、長月と響がその隙に後退する。さらに後方から木曾が砲撃し、叢雲はその隙に何とか砲撃を回避しつつ後退する。

 

 長月と響は、目星をつけておいた岩陰に飛び込む。直後に周囲に連続して敵砲撃が弾着。

 響は援護射撃のタイミングを計るため、そっと岩陰から顔を出そうとした。

 

「っ、なにっ!? 響っ!」

 

 いきなり長月に思い切り突き飛ばされる。次の瞬間、長月の装甲力場に砲撃が突き刺さった。

 

 轟音と共に水柱が上がる。

 

「あぁっ!?」

 

 長月の体が吹き飛ばされ、小石のように海面を何度も跳ねた。

 

『しまった、観測射撃っ!』

 

 一乃の叫び声。ハッとして顔を上げた響の目に、飛び去る敵偵察機が映る。

 偵察機にあらかじめ待ち伏せされ、曲射で遮蔽物越しに観測射撃を受けたんだ、と響は理解した。

 地形を利用した動きを読まれ、逆手に取られたのだ。

 

『長月、中破!! みんな、援護して!!』

 

 悲鳴じみた一乃の声。

 木曾が砲を連射し、叢雲が長月に向かって疾走する。

 とっさに響は敵艦隊の方向へ向けて魚雷を全弾発射した

 有効射程には遥か遠く、6発の魚雷はやすやすとかわされる。しかし、回避機動を取ったため、敵艦隊の砲撃が一時中断された。

 その隙に、叢雲が長月を引き起こす。

 

「しっかりしなさい!」

「だ、大丈夫だ、直撃では、ない……」

 

 長月が歯を食いしばって立ち上がる。艦装は大きく破損し、額から赤いものが滴っている。

 

航行でき(走れ)る? 後退するわよ!」

「ああ、航行は、可能だ……」

 

 叢雲が肩を貸すようにして長月を下がらせる。

 

「響、ナイスだ! とにかく弾をばらまけ!」

 

 砲撃しながら木曾が叫ぶ。響もすぐに木曾の援護にまわった。

 

 しかし、あと何秒持ちこたえられるか。

 

 響は唇を噛んだ。

 

 

 

「長月、無茶はしないで!」

 

 長月の生体情報を確認しながら一乃は思わず叫んでいた。

 装甲力場出力低下、照準装置異常、対空兵装全損、水上航行が可能なのが救いか。

 本人も全身の打撲、頭部裂傷に軽い脳震盪、そして肋骨に複数のひびと満身創痍だ。

 

『大丈夫だ、司令官。それに、いま無茶をしないで、いつするんだ』

 

 弱々しいが、しっかりとした長月の声。つまらないことに言った自分に、一乃は歯噛みをする。

 

 だが、ここまでだ。速力の落ちた長月を抱えては、遅滞戦闘を継続することはできない。

 

 お願い……どうか……

 

 その時、不意に無線が入電。内容を確認した一乃は、思わず叫んでいた。

 

 

 

『各艦!直ちに海岸線沿いに2キロ後退して!』

 

 突然の一乃の指示。

 

「一乃? 言われなくても後退の真っ最中よ!」

『違うわ! 遅滞戦闘を中断、全速で後退して!』

「司令官、へたに下がると、総崩れになる。敵の勢いを止められなくなるよ」

『構わないわ! 後退を優先して!』

「わかった、つまり何か考えがあるんだな!?」

 

 木曾が回避運動を取りながら、続けざまに砲撃を放った。

 

「今だ! さがれ!」

 

 叢雲と響が長月を庇いながら全速で後退。木曾も砲撃をばらまくと、思い切りよく後ろを向いて後退を開始する。

 深海棲艦隊が盛んに砲撃しながら追撃してくるが、未だに艦速はわずかだが816のほうが早い。

 

「指定座標に着いたぞ!」

『その地点で敵艦隊に逆撃を加えるわ。陣形を整えて』

 

 一乃の命令に長月が目を剥く。

 

「司令官!? 今さらそれは…」

 

 だが、長月が言い終わる前に、風切り音が聞こえ、深海棲艦隊の周囲に、いくつもの水柱が立った。

 

「砲撃!どこから……?」

 

 予期せぬ砲撃に艦列を乱す敵艦隊に、より正確な第2射が降り注ぐ。1発の榴弾が駆逐艦イ級の至近で炸裂。イ級が大きく傾く。

 

「いた、あそこだ」

 

 響が陸地のほうを指す。下島沿岸の国道上、こちらを見下ろす位置。4両の装輪式戦車、士魂号L型がこちらに砲塔を向けていた。

 

『付近に展開していた戦車小隊が支援に応じてくれたの! 堅田女子高校の桜81、82戦車小隊よ!』

「学兵の戦車隊か!?」

 

 木曾が驚くのと同時に、三度目の一斉砲撃。二度の弾着修正を加えた榴弾が深海棲艦隊に降りそそぎ、装甲力場が明滅し、軽巡ホ級一隻が煙を吐く。

 

 ここにいたって敵艦隊も戦車隊の位置に気づき、応射を開始。重巡級の砲撃が戦車隊の周囲に次々と着弾する。すると、戦車隊は即座に移動して稜線の向こうに退避、敵艦隊の視界から逃れた。

 だが、その数秒後、再び敵艦隊の周囲に続けざまに着弾。先ほどの戦車隊とは全く別の方角から数両の士魂号L型小隊が砲塔を向けていた。敵艦隊がそちらに応射を始めると、素早くその隊もひっこむが、今度は最初の小隊がいつの間にか姿を現し、一斉砲撃を開始する。

 

(うま)い……」

 

 見事な連携に、長月が思わず感嘆の声を漏らした。

 

 

 

「82小隊は後退! 81小隊、砲撃開始!」

 

 桜81戦車小隊、隊長車。士魂号L型の車長席で、少女は叫んだ。

 

「隊長、次はポイントB-3に逃げ込みます!」

 

 運転席の隊員が叫ぶ。

 

「いい目してるわ! 石丸(いしまる)、81小隊は次はポイントB-3に隠れるわ。フォローよろしく!」

 

 前半は運転席に向かって、後半は無線で82小隊を率いる後輩に叫ぶ。

 

 警戒任務中、隊の専用周波数にいきなり海軍から救援要請が飛び込んできたときは何事かと思った。

 聞けば、相手はすぐ近くの海上で深海棲艦と戦闘中の艦隊だった。どうしてこの専用周波数をと尋ねてみて、帰ってきた返答に正直ひいた。

 なんと、自衛軍学兵問わず付近に展開している部隊の周波数を片っ端から解析し、直接救援を頼みまくっているらしい。

 陸軍と海軍である。お互い支援を行うことは当然あるが、普通は互いの司令部を通して要請と命令が行われるはずだ。艦隊から現地部隊に直接支援を要請するなんて、指揮命令系統を半ば無視した行為だ。

 そもそも海軍が陸軍の専用周波数を勝手に解析すること自体、相応の情報技能がないとできない、ハッキングすれすれだ。

 どちらも軍規的に限りなく黒に近いグレーの行為であり、当然ながら、付近の他の自衛軍部隊には、のきなみ断られたらしい。

 

 最初は、自分も断った。陸軍司令部からの命令はなかったし、正直言って、自分たちを駒扱いする自衛軍は好きじゃなかった。陸軍はもちろん、海軍だってイメージは同じだ。

 自分は隊長なのだ。仲間をむやみに危険にさらしたくはない。この前だって友達が死んだばかりだった。

 

 けれど、てっきりオペレーターだと思った女の子の声が実は艦隊司令のもので、しかも同じ学兵だと聞いたとき、少女は反射的に救援要請を受諾していた。

 学兵の艦隊司令なんて聞いたこともなかったが、あのすがるような声が嘘をついているなんて思えなかった。

 自分と同じ学兵の隊長の危機を見過ごすことなんてできなかった。

 

 ───なにより、仲間を見捨てるなんて、自分に憧れて戦車兵になったなんて言ってくれた男の子に、顔向けができないじゃない。

 

館野(たての)さん、82小隊、後退しまっす!』

 

 やや訛りの強い後輩からの無線に「了解」と返し、きっと前を見据える。

 

「さあ、81小隊、砲撃開始! 海の仲間に堅田魂を見せてあげるわよ、かきまわせぇーっ!」

 

 

 

 みたび、戦車小隊の一斉砲撃。思わぬ陸からの攻撃に翻弄され、敵艦隊の陣形は乱れている。

 一瞬816から敵の注意が逸れたその瞬間を、叢雲は見逃さなかった。

 

「突撃するわ! 援護頼むわよ!」

 

 叫びざまに姿勢を低くし、敵艦隊へ向けて一気に加速。

 

「響!」

 

 長月がとっさに自分の魚雷発射管を外し、響に向かって放る。受け止めた響もすぐに察して、叢雲の後ろに続く。

 急速接近する2隻に気づいた数隻の敵艦が混乱しつつも迎撃の構えをとろうとするが、長月、木曾が砲撃をくわえ、動きを妨害した。

 

「沈みなさいっ!」

 

 叢雲が三連魚雷管から魚雷を発射し、素早く旋回して敵艦隊の射線から逃れる。追随していた響も魚雷を発射し逆方向に旋回、二人の航跡で海面にYの字が刻まれる。

 6発の魚雷は敵艦隊に殺到、うち2発が乱れた艦列をすり抜け、重巡リ級に命中。大爆発を起こした。

 元から損傷していた重巡リ級は、断末魔の声と共に真っ二つに折れる。

 

『重巡リ級の撃沈を確認!』

「第二次雷撃に移るわっ!」

 

 叢雲が旋回し、再び肉迫雷撃を試みようとする。が、追従する響は陣形を立て直してこちらに砲を向け始めた軽巡群に気付く。

 

「叢雲、ダメだ!」

 

 警告の叫びに反応し、叢雲が舌打ちしつつ即座に魚雷を発射し急制動、急旋回をかける。彼女が直進するはずだった一帯にいくつもの水柱が立つ。射程外からの雷撃は敵艦隊に容易く回避されるが、その間に木曾の14cm砲が駆逐艦一隻を仕留めていた。

 

『敵が立ち直りつつあるわ。みんな、潮時よ』

 

 一乃から通信。深海棲艦隊は戦車隊の方向に盛んに砲撃しつつ、陸地から離れようとしている。深海棲艦隊を翻弄していた戦車隊も、敵観測機に張り付かれたようで、機銃を撃ちながら回避に専念していた。

 

『堅田女子から入電。『戦車小隊は後退。ご武運を祈ります』よ。みんな、今のうちに陣形を再編。もうひと踏ん張りよ、お願い、頑張って……!』

 

「……いや、司令官。その必要はなくなったみたいだ」

 

 そう呟いた長月の頭上を双発機の編隊が飛び過ぎ、敵艦隊に襲い掛かった。

 一式陸上攻撃機の十八番である高々度からの爆撃に、不意を討たれた敵艦隊は、再び大混乱に陥る。

 

「基地航空隊か! 鳳翔の奴、よっぽど急いでくれたな」

 

 木曾がにやりと笑みを浮かべた。

 

 その直後、風切り音とともに敵艦の周囲に次々と砲撃が弾着。816の砲撃とは比べ物にならない威力だ。

 

『待たせたわね! 第二特編水上打撃部隊! 到着したわ!』

 

 艤装に缶とタービンを強引に接続した霧島が水平線から姿をあらわし、35.6cm砲を連射。うち一発が重巡リ級に直撃し、装甲力場ごと楽々と粉砕する。

 

『呼ばれて飛び出て、お姉ちゃんが参上クマよ~!』

 

 霧島の横を追い抜く形で、軽巡球磨が深海棲艦隊に向けて突撃。続いて第2打撃部隊の艦娘たちが次々と現れ、深海棲艦隊に攻撃を開始した。

 

『第二打撃部隊も……! 間に合ってくれた……!』

 

 一乃がなかば声を詰まらせながら言った。

 

 わずか数分後、これまでの苦闘が嘘のように、深海棲艦隊はあっさりと殲滅されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 深夜の艦隊司令執務室は、しんと静まり返っていた。

 

 叢雲はひとり机に向かっていた。

 3月とはいえこの日の夜は冷えこんでいた。石油ストーブの燃える音がかすかに聞こえている。

 

 部屋の外に足音を聞きつけ、端末操作の手を止め、顔を上げる。

 

「よう、報告書作りお疲れさん、だ」

 

 顔をのぞかせたのは木曾だった。

 

「艤装の出撃後点検終了、異常なしだ。……提督はどうだ?」

 

 木曾が差し出した書類を受け取って内容を一読したのち、叢雲は艦隊司令の決済待ちの書類入れに放り込む。

 

「あのままぐっすり寝てるわ」

 

 

 戦闘終了後、隊舎に帰投した4人を出迎え、一乃は大泣きし、そして直後に昏倒した。

 816艦隊の一連の戦闘は時間的には決して長くなかったが、あのぎりぎりの戦闘では提督の消耗も大きかっただろう。

 

「明日は長月が警備府のドックに入渠するだろうから、念のため市内の病院で検査を受けさせるわ」

「ふうん……なるほどな」

 

 叢雲が再び端末に向きなおろうとする。木曾はその机の端に腰掛けた。

 

「大丈夫なのか?」

 

 窓の外を見ながら、何気ない調子での問いかけ。

 

「何についての『大丈夫』かしら?」

 

 対する答えも、何気ない調子である。

 

「そうだな、俺たちが命を預けても、とでも言っとくか?」

「……」

「確かに、情報接続は提督の脳に大きな負担をかける。それは他の提督も同じだ。けどな、ああいう消耗の仕方は、俺はちょっと見たことがない。戦闘後に頭痛でひっくり返るようなのはな」

 

 響や長月なんかは建造されて日も浅いし、新米提督ならそんなもんか、と思ってるかもしれねえけどな、と、木曾は続ける。

 

「指揮官としては率直に言って未熟もいいところだ。判断は場当たり的で、思い切りも悪い。終始自信なさげなところもマイナスだ。まあ、あの歳で、しかも半年間の速成教育じゃ当たり前だな。今日に関しちゃ、一回キレた後の指揮は合格点をやってもいいが」

 

 木曾は窓の外を見ている。叢雲は端末から顔を上げない。

 

「だが、艦隊運用の能力、特に情報処理能力は新米にしちゃでき過ぎだ。本人はあまり自覚しちゃいないだろうが、情報分析や射撃管制なんかは下手すりゃその辺のベテランの提督並みだな。それに加えて、今日のアレだ」

 

 机の上に広げられた、書きかけの戦闘報告書を手に取る。

 

「あのキツい遅滞戦闘をサポートしながら、並行して陸軍のデータリンクから各部隊の専用周波数を解析する(抜く)なんて曲芸みたいな真似、誰ができる。しかも、半年教育を受けただけの学兵が、だ」

 

 外の波音が、遠くに聞こえる。

 

「───かと思えば、軍事知識の基本的なところは穴だらけ。極めつけは妖精もロクに()えねえときた。考えれば考えるほどちぐはぐだ」

 

 石油ストーブが、かすかな音を立てた。

 

「ま、余計なことを考えちまうわけだ。いろいろとな」

 

「それで、いろいろと余計なことを考えた結果、わたしに聞きたいことでもあるわけ?」

 

 叢雲が顔を上げる。表情は平静なままだが、その眼は何とも形容しがたい光をたたえていた。

 

「……いいや、俺のひとりごとだ。どうやらな」

 

 だが、木曾はするりと視線をかわし、机から腰を浮かした。

 

「誰ひとり何も知らない、ってのは最悪だ。何かあった時にどうしようもなくなるからな。誰かわかってるやつがいるならいい。───今のところは」

 

 邪魔したな、とひらひらと手を振って、木曾は執務室を出ていった。

 

 

 しばし無言でその背を見送った後、叢雲は席を立った。

 

 執務室の窓を開け、白い息を吐きながら空を見上げる。空は不機嫌に曇っており、星の光も見えない。

 

「これだから、夜は好きじゃないのよ」

 

 叢雲はポツリとつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 

 ───ワタシタチハ、ナニものナンダロウ。

 

 最初に頭に浮かんだのは、いつのことだっただろう。まだ彼女がこの姿を取る前、波間にたゆたっていた頃からもしれない

 

 

 

 静かな海を、彼女は滑るように進んでいた。

 

 闇に包まれた海上は、朝方の死闘が嘘のように静かに凪いでいた。

 わずかな風が、大きな帽子からのびている彼女の銀の髪をなぶった。

 

 戦いの気配に気づいた彼女がこの海域に来たときには、すべてが終わっていた

 

『姫』の気配は既になく、取り巻きの艦達はその多くが討ち果たされ、散り散りになって敗走していた。

 偵察機で艦娘たちの姿を確認し、付近の敗走艦をまとめ、彼女は西へと撤退した。深追いを恐れたのか、艦娘たちが追撃を途中で中止したのが幸いだった。

 

 そして今、暗闇にまぎれ、『姫』が水底へと還った海に、彼女は来ていた。

 

 

 ───いったいなぜ、私はここに来たのだろう。

 

 彼女は考える。

 

 

『姫』、とは顔見知り、という程度の関係以上のものではなかった、と思う。

 自分は仲間たちの中でも、変わり者だ。他の同胞たちの勢力とも交わらず、旗艦として他の艦を導くこともなく、いつも独りでいることを好んでいた。

 あの『姫』とも、配下になることもなく、かといって敵対することもなく、一定の距離を保っていた。なにかの機会に数度、言葉を交わしたことがあったくらいだろう。

 

 

 ただ、『姫』の言葉は、今も覚えている。

 

 ───アナタノ、ギモンハヨクワカル。ワタシモ、ソレガシリタイ

 

 自分と同じ疑問を持つ同胞に出会ったのは、その時が初めてだった。

 

 ───アノコタチトタタカッテイレバ、ソレガワカルカモシレナイ

 

 そう言った『姫』の眼は、ここではないどこかを覗き込んでいるようだった。

 

 

 足を止めてかがみこみ、指でそっと、海水を掬う。

 

 水底へと還るとき、『姫』は、答えを得ることができたのだろうか。

 

 

 ───ああ、そうか。私は、それが知りたくて、ここに来たのか。

 

 

 ふいに、爆音が耳をつき、彼女は思索を中断した。

 

 上空に目をやる。

 

 巨大な哨戒機が、闇を割って姿をあらわした。彼女の優れた視力は、こちらを見下ろしながら無線に向かってしゃべる搭乗員の姿を捉えていた。

 

 その唇の動きは、空母ヲ級、と読めた。

 

 そう、彼らが自分たちを空母ヲ級、と呼んでいるのは知っている。

 もしかしたら、私がなにものか、彼らの方がむしろよく知っているのかもしれない。

 

 

 彼女はかすかに笑みを浮かべ、哨戒機を指差した。

 

 次の瞬間、彼女の大きな帽子から、衣の裾から、青い燐光を放つ艦載機が一気に飛び出し、その丸っこいフォルムからは想像もつかない速度で急上昇した。

 哨戒機は即座に反転して逃走を図る。迅速な判断だったが、それでも彼女の艦載機()からは逃れるには遅すぎた。

 2度、3度、光の尾を引いて艦戦が交錯し、機銃の掃射を受けた哨戒機はパッと炎に包まれた。

 

 燃え上がり下降していく哨戒機にはもう構わず、彼女は踵を返す。

 

 ───私がなにものなのか、今はまだわからない。

 

 ───けれども、戦い続ければ、その先に、何かが見えるかもしれない。

 

 

 ゆっくりと遠ざかる彼女の背を、雲からわずかに顔を出した半円の月が照らしていた。

 

 

 

 

 

 1999年3月9日、熊本警備府艦隊は旧韓国領済州島沖に集結した空母棲姫を中心とする深海棲艦隊に対し、保有戦力の8割を動員した一大作戦を決行。

 

 乱戦の中いくつかの危機的局面があったものの、結果的には敵主力の撃破に成功し、勝利を収める。

 

 五島沖海戦と呼ばれることになるこの戦いにより、熊本防衛戦における海の戦いは、人類側有利に大きく傾くことになった。

 

 この戦いは、熊本警備府艦隊がその創設以来最大の戦力を投入した戦いとしても知られている。

 

 ───結果的に、これ以後の戦いにおいても、この海戦以上の戦力を投入(でき)た戦いはなかったわけであるが。

 

 

 


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