暴風を纏い飛翔したキバチヨは一瞬で元いた場所、正確にはその遥か上空に辿り着いた。
風の結界で姿を隠し、天空の厳しい環境から身を守りながらキバチヨの頭の上から和麻は眼下を眺める。
五分程度しか経っていないが、下では炎と風が激しくぶつかり合い、しのぎを削っていた。
神炎使いである厳馬の蒼炎を中核にそえた、神凪の圧倒的な攻撃に対し、風牙の神に完全に乗っ取られた兵衛と、神の力を与えられた四人の風牙衆の術者たちは妖気に染められた黒風で迎え撃つ。
地水風火の四大精霊の精霊魔術における精霊たちの力関係の絶対法則である「火が最強」「風が最弱」にのっとれば、神凪に風牙が勝てる通りはない。
それだというのに、戦況は風牙の圧倒的優位に進んでいた。
「はあっ!」
厳馬の蒼炎が兵衛に向かって放たれるが、それはぐにゃりと軌道を変えて兵衛の横を通り過ぎる。
「ぐぅっ……おのれ」
頭を押さえながら厳馬は膝をつく。屈強な肉体と精神を持つはずの厳馬らしからぬ姿に、空の上から眺めていた和麻は目をひそめるが、すぐに原因を理解した。
厳馬の周りには絶えず黒い風が渦巻いており、その風に含まれる妖気が厳馬の体を侵しているのだ。破魔の神凪一族の、その中でも千年の歴史の中で11人しかいない神炎使いの体を蝕むほどの妖気は、流石は神と言われた妖魔と言える。
三百年前に更識と神凪の精鋭と互角に戦ったのは伊達ではない。
(それに流石は元裏組織。えげつないことやるな)
加えて、渦巻く風は厳馬の周りの空間の酸素濃度をエベレストの山頂並みの濃度まで下げている。
如何に屈強な肉体を持とうとも人間であることに変わりはない。体が十分な酸素が取り込まれなければ、体調は悪くなるばかりだ。
厳馬も状況を打開するために蒼炎を広げて黒い風を燃やし尽くそうとするが、黒い風は流動的に動き蒼炎を避けてしまう。
さらにダメ押しに空気圧を変化させ、厳馬に虚像を見せることで、攻撃を当てられないようにしている。
まさに厳馬を封じる包囲網だ。
その風を操るのは、山の中に隠れた風牙衆たち。
綾乃と雅人はなんとか厳馬を助けに入ろうとしているようだが、二人はそれぞれ風牙衆の術者たちに足止めされている。
しかもその二人は他の風牙衆とは一線を画した実力をしており、援軍は望めないだろう。
今まで非力と言われ、神凪の力に押さえつけられていた彼らが、神凪の実力至上主義の権化と言える厳馬を苦しめている光景に、和麻は心の中で風牙衆たちに勝算を送る。
弱者が強者を仕留めるキリングジャイアント。それは和麻が歩んできた人生そのものなのだ。
「ま、だからって容赦はしないけどな」
風牙衆をはるかに凌駕する探知能力で山の中に隠れた風牙衆たちの居場所を探る。
わずか数秒ですべての風牙衆の位置を把握した和麻は、その数47人に向かって風の刃を飛ばす。
上空からの奇襲に、風牙衆たちの命は一瞬で刈り取られる……かに思われた。
その風の刃は風牙衆たちの体から湧き上った黒い風の鎧に防がれてしまった。
「やっぱ無理か。よし……落ちるか。キバチヨッ!」
和麻の命令通りにキバチヨは一気に急降下し、厳馬と兵衛の間に着陸する。
キバチヨは瞬時にその身を清らかな風へと転じ、黒い風を吹き飛ばす。
『戻って来たか。神凪の風使い』
「ああ、戻ってきてやったよ。殺したいんだろ?神凪の血の流れている俺を」
キバチヨだった風の中から現れた和麻は不敵に笑う。その両隣には翠鈴と煉がいる。
「ずいぶん兵衛の体になじんだんじゃないか?風牙の神様」
『くかか。この男、才はそれほどではないが、やはり風牙の直系。我によくなじむ』
和麻の言葉に、先ほど流也を殺した時のような獣染みた雰囲気はなく、落ち着き払っている。
まさに神と呼ぶのにふさわしい風格を漂わせていた。
「和麻……なぜ戻ってきた?」
厳馬は現れた和麻に声をかける。体を妖気に侵されながらも不遜な声音だった。
幼い頃は和麻にとって恐怖の象徴だった厳馬が、そんな姿をさらしていることが無性におかしくなってくる。
「別に。可愛い弟のたってのお願いを聞いてやっているだけだ」
応えながら和麻は兵衛に向かって風の刃の乱舞を放つ。
『ふん』
が、それは兵衛が右の手首をひねった動作だけで生まれた風にすべて逸らされてしまう。
「やっぱ相性悪いか。加えてこっちはお荷物四人か……なかなか絶望的だな」
もちろん綾乃、雅人、煉、そして厳馬の事だ。
四人を守りながら和麻と翠鈴は目の前の兵衛と綾乃と雅人と闘っている二人の術者、山の中に隠れた風牙衆47人を倒さなければいけない。
二人と五十人の戦い。
圧倒的な数の不利だが、和麻は特に気負った風もなく、くるりと回れ右をして兵衛に背中を見せる。
「じゃあ翠鈴。面倒なの頼んだ」
「えええっ!!?」
そのまま翠鈴の手に自分の手を重ねて、兵衛をの相手を押し付けた。いわゆるタッチ交代である。
そんな和麻に煉は驚く。まさか和麻が自分の妻に面倒事を押し付けるなんて考えていなかったのだ。
見れば厳馬も驚愕に目を見開いている。
「じゃよろしく」
二人に構わず、和麻は風と共にその場を離脱してしまった。
残されたのは煉と膝をついた厳馬。それと翠鈴だけだった。
「よし、任されたからには頑張るわよ!」
両手でガッツポーズをしてふんすと気合を入れる翠鈴。
その瞬間、彼女に向かって無数の黒い風の刃が襲い掛かった。
漆黒の凶刃は翠鈴の体を斬り刻み通り過ぎた。
「翠鈴さん!」
煉の悲鳴が、山の中に響いた。
翠鈴の雰囲気を忘れてなかなか筆が進まない。うーん、おかしくないですよね?