誰もがまさかの事態に動けなかった。
翠鈴も、厳馬も、綾乃も、煉も、雅人も――そして流也をその手で貫いた兵衛自身も。
「とう……さん?」
『りゅ、流也!?』
そんな中、和麻だけが動いていた。
瞬時に神風・
「はぁっ!」
超高密度の風の刃を兵衛の体に叩きつけ細切れにすると、流也の体を抱えすぐさま後退する。
この間、僅か一秒。全員が和麻の認識できたのは、和麻が流也の体を抱えて翠鈴たちの元に戻ってからだった。
「おい流也!しっかりしろ!!」
和麻は地面に流也を横たえ、傷を見る。
兵衛の腕は流也の丹田を貫いており、彼の体の氣の流れを乱しており、かなり危険な状態だ。
『なぜ……一体なぜ』
呆然としたような声に全員が振り向けば、体を斬り裂かれた兵衛が呆然としていた。その身体を斬り裂かれたまま、しかし形が崩れ落ちることなく佇んでいる。よくよく見てみれば、体から妖気が溢れている。彼は斬り裂かれた部分を妖気で繋げているのだ。
『なぜなのですか!!?ゲホウさあlfhるいわぅえんくいあうぇああああああああああ!!!!!!!!』
もはや後半の言葉は言葉として成っていなかった。
溢れる妖気が勢いを増し、兵衛を包んでいく。
濁流のごとき容器の本流が木々を、大地を、大気を汚していく。
木々は枯れ、大地は裂け、大気が淀み暗雲が空を覆う。
雷鳴が鳴り響き、風が吹き荒れる中、妖気に包まれた兵衛の姿が変貌していく。
皮膚が肌色から、緑へと変色していく。だが、それは流也の緑風とは違い黒に近い禍々しい色だ。老人の衰えた体は筋肉質の物へとなっていく。身長も三メートルを超えるほど巨大化し、その顔は牙の生えた鬼のような物になり、髪は怒髪天を衝くように逆立ち、その合間には鋭い角が生える。瞳は消え、神凪勢を睨みつけるその目は赤く光り輝き、憎悪を宿している。
「とう……さん」
息も絶え絶えな流也が呟いた言葉は咆哮にかき消され、その意識は途絶える。
『……神凪―――』
兵衛とは異なる、もっと人間とは根本的に異なる存在の声。
しかも、さっきでさえ最上級妖魔ほどあった妖気がさらに増している。しかも一向に止まる気配がない。上昇し続けている。
圧倒的な力、根源的な格の違いにこの場にいる誰もが理解した。
ここに、神が降臨したのだと。
『神凪いぃぃっっ!!』
そして妖気が爆発する。黒い風が弾け、荒れ狂う暴風となって周囲を破壊する。
「ち、やばいな」
和麻はその様子を見て、冷静に状況を分析する。その結果、あれは人の手に余るものだと結論を出す。
流石は元超越者と言ったところか。力の底が全く見えない。
その上、和麻は隣にいる翠鈴に目を向ける。
「あ、……そ、そんな………間に合わなかった、の?」
彼女は目の前の事態に呆然自失となっていた。
普段は毅然とした芯の強さを見せる彼女だが、ある状況下ではそれが崩れてしまう。それは、家族の死別と決別――。
「……しょうがねえか」
和麻は流也の傷に携帯していた治癒のための呪符を貼り付け、一時的な止血を施す。精霊魔術では傷の治癒などができないため、いつも持ち歩いている。もっとも、水術師である翠鈴なら血液に干渉して簡単に止血できるのだが、今の彼女にそれはできないだろう。人の体液を操るというのはとても繊細な作業なのだ。
「煉!こっちに来い!!」
和麻は目の前の強大な力に腰を抜かしていた煉を引き寄せる。
「風の眷属よ。今こそ集い、荒ぶる
言霊を唱え、精霊を集める。
言霊は術式を構築するトリガーとなり、精霊は形を成していく。
「来い!キバチヨ!!」
精霊魔術と儀式魔術を織り交ぜ生まれる、この世にはいない幻獣が姿を現す。
その姿は巨大な蒼き龍だった。
十メートルはあろうかという長い胴体に、顔と尾の近くに生えた体に対して短い手足と東方で崇めたてられている龍そのものの姿をしている。頭に鹿のような角を二本生やし、首には数珠のような飾りが巻き付いている。
黒風吹き荒れる中を青き閃光となって駆け抜けるように現れたその龍――キバチヨは和麻が生み出した精霊獣だ。
仮想人格に精霊群を制御させて、一個体の生物として生み出す精霊魔術と儀式魔術の応用。一個人が使役できる数を超えた精霊を支配下に置くことのできる強力な魔術なのだが、仮想人格にインストールされた命令しか実行できず、術者がその制御にいっぱいいっぱいになってしまうという欠点を持つ。そのため、有力な精霊魔術師が多く多才であることを誇る日本の精霊術者は、自らを制限してしまうこの精霊獣を見下しているが、和麻は精霊獣の有用性を見つけた。
例えば、自分一人では抱えきれないものでも簡単に運ばせることができる。
キバチヨは
その巨大な体をくねらせ、両手で翠鈴と煉を掴む。和麻も流也を抱えて角の間あたりに着地する。
そのまま、和麻はキバチヨを猛スピードで飛ばし、その場を後にする。
『俺たち逃げるからあとよろしく』
呼霊法で残された三人に伝言を残して。
隣の山の裏手まで飛んだ和麻はそこでキバチヨを下ろす。
頭の上から飛び降り、翠鈴と煉も地面に下ろす。
「さて、さっさと治すか」
和麻は抱えていた流也を地面に下ろす。
内ポケットから小瓶を取り出し、ふたを開ける。流也の頭を持ち上げ、口を開かせる。小瓶を口にあてがう。そのまま中身を流し込んでいくと、さっきまで力をなくしていた流也の体に生気が戻る。
「いるんだろ?シルフィ」
和麻の呼びかけに虚空からシルフィが姿を現す。
「ごめんなさい、和麻。少し目を離したすきに流也が」
「いい、気にするな。とりあえず、急いできてもらったところ悪いんだが流也を安全な場所まで運んでくれ。ダミーエリクサーでなんとか傷はふさがったが安静にしておくのに越したことはない」
ダミーエリクサーとは、死者をも生き返らせるといわれる錬金術の粋を集めて作られる奇跡の霊薬『
「分かったわ」
シルフィは流也を抱え上げて、その場を後にしようとする。だが、気を失っていたはずの流也がうめき声を上げる。
うっすらと目を開け、口を動かす。
「和麻……」
「どうした?流也」
「すまない。手を、煩わせて」
「ああ。あとできっちり金で返せよ」
「ああ……一生かかってでも、返すさ。それと、翠鈴、さん」
流也の呼ぶ声に、いまだ俯いていた翠鈴がピクリと反応する。
「ありがとう、ございます。とうさんに、声を、かけてくれて。伝えて、くれて。あなたのおかげで、少なくとも、僕は、救われました……きっと、父さんも」
そこまで言って、流也は再び気を失った。
シルフィは無言でその場を後にする。
残ったのは和麻と、うなだれている翠鈴と、どうすればいいのかわからない煉だ。
煉としては残してきた(正確には和麻が見捨てた)父と姉と叔父のことが気になるのだが、この空気の中ではそれを切りだせない。
「翠鈴」
そんな中、和麻が声をかけることで彼女はようやく口を開く。
「ねえ、和麻。私って何がしたかったのかな?勝手に首を突っ込んで、自分の言いたいこと勝手に言って、自分の言葉を相手に押し付けて」
「……まあ、確かにあれはしつこかったかもな。見方によってはかなりうざい」
「兄様!」
和麻の言葉にそれまで黙っていた煉が咎めるような声を出す。だが、和麻は弟の非難する声など意にも返さない。
「はっきり言うぞ、翠鈴。お前、もうほかの家族に口出しするのはやめろ。現在進行形でそれをやられている俺だが、はっきり言ってありがた迷惑だ。俺はもう二度と神凪の性は名乗らないし、厳馬とあの女を親とも思わない」
あの女とは和麻の母親である深雪のことだ。炎術師ではない和麻のことを赤の他人同然に扱った。
「目の前でおやじさんたちを殺されたお前が家族を大切に思うのは良いが、それは誰かに押し付けるべきじゃないんだ。少しくらいなら、それはいいのかもしれない。でもな、度を過ぎればそれはただの
できることなら、それは自分で気が付いてほしかった。翠鈴の家族への執着は半ば無意識でのことで、自分でちゃんと納得しないと意味がない。彼女の中に存在する『歪み』なのだから。
和麻がここについてきたのも翠鈴の意思を尊重させたいというのもあったが、歪んでいる翠鈴を放っておけなかったからだ。
「……」
「ま、お前のやったことは少なくとも流也を救えたのは間違っていない。でも、これからはその境界を自覚しろよ」
そう言うと、和麻は風の遠距離探査で戦場になっているだろうさっきまでいた場所を探る。
そんな和麻に煉が近づく。
「に、兄様。戻りましょう!父様と姉様、雅人叔父様を助けに」
「やだ」
弟の懇願をバッサリと和麻は断る。
そんな兄に煉は信じられないような目を向ける。
「に、兄様は三人が死んでも構わないのですか!?」
「ああ。ぶっちゃけどうでもいいしな」
あっさりと答えた和麻に今度こそ煉は目の前が真っ暗になりそうになった。
昔はあんなに自分に優しかった兄が、そんな非情なことを口にしたと信じたくなかったのだ。
「別にあの三人が死んだからって神凪の直系が絶えるわけでもないし、炎雷覇はお前が継げばいいだろ?風牙の神は復活したが、あの三人が力を削って弱ったところを叩けばいい。俺だけじゃなく更識もその方針だ。そのほうがよっぽど安全だ。ああ、安心しろ。お前はちゃんと俺が守る」
和麻の言葉を煉はほとんど聞いていなかった。だが、自分の中で何かが切れる音だけはやけにはっきりと聞こえた。
「ふ……」
「ふ?」
「ふざけるなあああああっっ!!」
煉の咆哮が衝撃波を生み、その煽りを受けて火の精霊たちが歓喜する。
火の精霊ともっとも
「僕を連れていけ」
「断る。お前程度があそこに行って何ができる?」
「だったら、なんで僕を連れ出した。僕程度の存在を」
「お前が俺の大切な存在だから」
和麻の言葉に嘘はない。神凪のいた頃、煉は和麻にとって数少ない自分を自分として受け入れてくれる存在だった。だからこそ、助けたのだ。
「……だったら、今から僕を守れ。あそこに行く僕を守るためにあいつらと闘え」
「俺に命令するとは、偉くなったな煉」
くくくッと笑いながら、いつもは気弱な弟が放った暴言をどこかうれしそうに受け止める和麻。
「だけどなあ。今から戦いに行ってもほとんど神の力は減っていないだろうし、割に合わない。あと、お前を気絶させるっていう手もあるんだぜ?」
「だったら、こうしてやる!」
煉は両手に炎を生み出し、それを空に向けて放つ。
それは上空で弾けて巨大な花火となる。
「ほう……」
和麻はその炎に感心する。今の煉の炎は炎雷覇を持たない綾乃に迫り威力を持っており、なおかつ力をしっかりと制御している。
「あれを見つけた敵はすぐにここまでくる。どっちにしても同じことだ!」
穴だらけの考えだが、一応合格だ。
弟が成長を見せてくれた以上、ご褒美に少しだけ手を貸してやろう。
「いいだろう。後で対価を請求するから覚悟しておけよ」
「わかった」
和麻はそばにいるキバチヨに新たな命令を与え、煉を風で頭の上に乗せる。
「翠鈴。お前はどうする?」
次いで俯いたままの翠鈴に声をかける。
「……行くわ」
翠鈴は立ち上がり、地面を踏みつけ、一気に和麻のいるキバチヨの頭の上に飛び乗る。
「ごめん、和麻。迷惑かけて」
「大丈夫なんだな?」
「……はぁー」
深く息を吐き、そしてパチンと頬を思いっきり叩く。
「うん、大丈夫。和麻にはっきり言ってもらえたのが、ショック療法になったのかな。いろいろ吹っ切ることができた」
愛する和麻の否定の言葉は、翠鈴に強烈な劇薬となったのだろう。完全にではないが、もとの気丈な姿を取り戻していた。
「そうか、なら戻るか。キバチヨ!」
和麻の声に咆哮で応え、キバチヨが空を飛ぶ。
(さてさて、さっきから探っているが、頑張るねえ、厳馬殿。だが、流石に四対一は分が悪いか)
さっき探った際に変化した戦況を頭に浮かべながら、和麻はキバチヨを飛ばした。
またしても四天王まで行けなかった。次回は確実にいけるはず!
今回は翠鈴の歪みを言及しました。
まあ、前話は確かに少しうざいと思いましたが、それも彼女が両親を殺されたことによる影響を表現しようと思って書いたのですが、文才が無いせいか伝わらなかったですかね。
キバチヨの元ネタがわかる人いるのだろうか?
やっぱ龍はかっこいいですよね。