東京郊外、首都圏でありながら周りを森で囲まれたその場所に更識家の本家は立っていた。
神凪のような戦国時代から存在しているのではないかと思わせるような武家屋敷だが、敷地内には現代建築の建物も立っており中々にアンバランスな雰囲気を醸し出している。
その建物の一つ、治癒を必要とするものや治療術師が泊まる建物の一室のベッドの上に一人の青年が眠っていた。
優男のような寝顔をした青年だが、布団からわずかに覗くその身体には焼けただれたような跡が至る所に残っており、触れれば壊れるような儚さがある。
青年、風巻流也は妖魔に憑りつかれ、肉体が人の物から妖魔の物へと堕ちようとしていたが、一晩にも及ぶ更識家が抱えるすべての治療術師を総動員した大規模治癒魔術儀式により元の人としての肉体へと戻ることができた。今も、この建物の部屋には疲弊した術者たちが昼間であるのにもかかわらず熟睡しており、静寂に包まれていた。
そんな中、流也の瞼がわずかに開き、その手が動いた。
一時間後、はやてを更識本家に送り届け、先行した和麻たちのもとへと向かおうとしたシルフィが、様子を見に来たときには流也の姿は忽然と消え失せていた。
昼ごろに京都に着いた和麻たちは、重悟が用意した車に乗り込むために駐輪場に向かう。山道を走ることを考慮したのか四駆のレンジローバーが二台、用意されていた。
乗り込む際に和麻が全員を集めて口を開く。
「さて、移動中に攻撃されるようなことはなかったわけだが、これからはそうもいかない。全員気を緩めるなとは言わないが、気が付かなかったからと言ってフォローはしねえぞ。特にそこの移動中にのんきに寝ていたやつ」
その言葉に全員の視線が集中した。綾乃だ。
彼女は新幹線で眠りこけていたのだ。流石の和麻もあきれた。
一方の綾乃は恥ずかしそうに顔を赤らめ、和麻を恨めしそうににらむが和麻はバッサリと無視する。隣の煉は苦笑いで綾乃をたしなめる。果たして、どちらが年上なのか疑う光景だ。
「まず運転は俺と……雅人だ」
少し間があったのが気になったが、話を進めるために全員気にしない。雅人は苦笑いだが。
「雅人の車には翠鈴と厳馬殿。他は俺とだ。俺の車が先行して進む。以上だ」
「ちょっと待ちなさいよ!」
いうことだけを言って車に乗り込もうとする和麻を綾乃が止める。
「なんだ?手短に話せ」
「何か作戦とかないの!?このまま行ってもどう戦うのかくらい決めておかないと……」
「作戦?んなもんあるわけないだろ。というか神凪に作戦行動を期待するだけ無駄だ」
綾乃の言葉を和麻はバッサリと叩き斬る。
その返答に綾乃は怒りを見せる。
「どういう意味よ!」
まるで自分たちがまとまりのない不良集団のようではないか。神凪は今回の戦いの発端かもしれないが、人々を妖魔から護ってきた由緒正しい一族であると考えている綾乃は、そのようなことを言われたのが我慢ならなかった。
「じゃあ、聞くがお前神凪以外の術者、炎術師以外と連携を取ったことがあるのか?協力して妖魔を倒したことがあるのか?」
「そんなこと……あっ」
呆れた風に言われた和麻の言葉に、語気を荒くして返そうとするができなかった。なぜなら綾乃の今までの16年ほどの人生の中で神凪以外の術者と共闘した記憶などなかったのだ。
神凪は炎術師であり、攻撃力がずば抜けて高く、並大抵の相手なら小細工なしで叩き潰せる。しかし、その大きすぎる力が他の術者との共闘を必要とせず、しかも下手をすれば巻き添えを生み出しかねない。後方支援と裏方のプロフェッショナルである風牙衆の存在もあり、神凪の術者は他の術者との共闘経験が皆無なのだ。
「お前ら神凪が攻撃。俺と翠鈴のタッグ。それ以外選択肢なんざ無い。ま、煉一人なら俺がフォローできる。あとはそっちで頑張れ」
「言われるまでもない。お前の手助けなど必要ない」
「あ、そ」
厳馬の憮然とした答えを軽く流す和麻。二人はそのまま車に乗り込み、綾乃も雅人と煉に促されて乗り込んだ。
運転席に座る和麻は手早くカーナビを操作し、目的地を入力する。反対側のドアが開き煉が、後ろには綾乃が入ってきた。
二人がシートベルトをしようとする手を伸ばす。
「シートベルトはつけるなよ。遠距離からの狙撃に対応できなくなる」
状況的に交通ルールを守っている場合じゃないと言外に語る和麻に、煉は素直に、綾乃はしぶしぶ従った。
駐車場を出た二台の車は京都の街並みを脇目も振らず走り、ほどなくして一つの山の裏道へと入る。
見たところ普通の山と変わらないが、少し風で探ってみれば違いが分かった。三昧真火の封印があるせいか、この山には炎の精霊が多く存在する。流石神凪の聖地と感心するが、さらに探索を続けると和麻は顔をしかめた。
「……まずいな。囲まれている」
「「え?」」
ぼそりと呟かれた言葉に綾乃と煉が反応する。
「見られているんだよ。数は10。全員妖気を纏っているが……気配は人間。風牙衆だ!」
和麻の言葉の意味。それを聡明な煉はすぐに理解した。その瞬間、和麻たちの運転する車両に無数の黒い風の刃が四方八方から襲い掛かった。
それを和麻は運転しながら同じ風で迎撃する。
突然巻き起こる乱気流に、車が激しく揺れる。
「出ろ!」
和麻は助手席の煉を抱えドアを蹴破って外に飛び出す。運転席から助手席に一瞬で移動する体さばきは見事と言えた。
綾乃も煉の後ろに座っていたため同じ方向に飛び出す。
無人になった車はそのまま追撃の風刃に斬り刻まれ、爆発炎上する。
一方、和麻たちの後ろを走っていた雅人が運転する車も攻撃されるが、中に乗っていた三人はすでに飛び出していた。
車の社外を出た和麻たちが周囲を警戒する中、目の前に黒い風が集まり始める。
身構える全員の前にその男は姿を現した。
真っ白な白髪をした初老の男、風牙衆の長である風巻兵衛だ。そして、潜んでいた風牙衆の兵衛一派も姿を見せる。
『来たか神凪。もうすぐ来ると思っていたぞ』
声音は人間の物と変わらないが、その身から発せられるのは最上級妖魔にも匹敵する妖気。あの蒼炎の厳馬でも顔をこわばらせるほどのそれを纏い、しかもほかの風牙衆も同等とはいかないが強い妖気を纏っている。
『もうわかっていると思うが、我らが風牙の神“ゲホウ様”は復活された。もはや神凪など敵ではない』
“ゲホウ様”というのが神の名なのだろう。楯無の説明でも出なかったことから、風牙の長に口伝で伝えられていたのか、封印のために名を抹消されたのか。どちらにせよ、兵衛の口ぶりでは復活したのは確実だ。身に纏う妖気が神の加護――与えられた力なのだ。
『これより、我ら風牙は神凪を殲滅する。我らが受けた屈辱、恨みすべてを貴様らに反してくれよう。手始めに、貴様らを血祭りにしてのう』
憎悪を宿した瞳で厳馬、綾乃、煉、雅人を睨む兵衛。あまりの迫力に厳馬以外の三人は思わず後ずさる。
『だが、その前になぜ関係のないものがここにいるのじゃ?』
兵衛はひとまず神凪の四人から目線を和麻と翠鈴へと移す。
『和麻よ。お前はなぜ我らの邪魔をする?お前の境遇は我らもよく知る。流也がお前たちを襲ったのは我らにも予期できぬことだった。それについては神凪を滅ぼした後にいくらでもわびよう。しかし、神凪に助力する理由が見当もつかない』
「ま、そうだな。俺もどちらかと言えばお前たちの気持ちはよくわかる。同じ扱いをされてきたしな。心情的にもお前たち側だ」
和麻は堂々と本音を語る。まさかの答えに神凪はギョッとするが、よくよく考えればその通りだ。
しかも、神凪側は知らないことだが、和麻は流也と交流を始めてから何度か風牙の屋敷に食事をしたこともあり、兵衛とも面識があった。最初は邪険に扱われていたのだが、和麻が風術師だと知るといろいろ世話になることもあった。
『ならばなぜだ?なぜ手を貸す』
「それは私のわがままです」
ここで翠鈴が前に出る。
『和麻の妻、確か名を翠鈴と言ったか』
「はい。初めまして、兵衛さん」
例え、強大な妖気を発する者が相手だろうと翠鈴の態度は変わらない。肝が据わっているというのか、なかなかできないことを平然とやってのけるのだ。
『何用じゃ?』
「流也君のことです」
『……流也、か。あ奴はどうなった?』
「峠は越しました。後遺症もほとんどないらしいです」
『……そうか』
翠鈴の返答に兵衛は小さくそう言い、再度『そうか』と自分の中に押し込めるように呟いた。
その姿は息子の無事を安堵する父親そのものであり、とても息子を妖魔に落とすような狂気の所業をした人物には見えなかった。
それを見た翠鈴は己が目的を果たすために、兵衛に呼びかける。
「兵衛さん。流也君に会ってください!彼ともう一度、父親として!」
すれ違った親子の再会。それこそが翠鈴がこの場にいる理由。
神凪と風牙の争いなど関係なく、風巻親子を案じ戦場へと足を踏み入れた翠鈴。
大抵の者はそれを愚行だと、不可能だと断じ、中にはせせら嗤う者もいるだろう。
実際に厳馬、雅人、綾乃などは彼女を正気かと疑いの目を向けており、彼らを包囲する風牙衆の者たちもそうだった。
だが、和麻は違う。彼は翠鈴は本気で言っているのだと理解していた。
流也の無事を知らせた時に見せた兵衛の安堵した表情から、彼が流也のことを気にかけていたことは分かった。ならば、まだ望みがある。
『……それはできん』
翠鈴の訴えを兵衛は跳ね除ける。
『儂はすでに魔道に落ちた身。これより神凪に虐げられてきた同胞のため、修羅となるのだ。なのに今更どのような顔をして会えばいいのだ?』
「例えそうであろうと、あなたが流也君にとって父親であることに変わりはありません。だったら会うべきです」
拒絶されても翠鈴に諦めはない。
長年培った観察眼によりそれを見抜いた兵衛は、早々に問答を終わらせる。
『……翠鈴殿。貴女の心遣い、まことにうれしく思う。だが、所詮何もかも遅いのだ』
「遅いなんてことはありません。だって貴方はまだ生きているんですよ?」
『それでも、儂が流也に会うことは金輪際ない』
兵衛はもう話は終わったとばかりに、両手を広げる。
風が集まり始め、風牙衆が和麻たちへの攻撃準備を始める。
『和麻、翠鈴殿。すぐに立ち去られよ。そなたたちを手にかけたくない』
「断ります。あなたを必ず流也君に会わせるんです」
翠鈴の手に水の精霊が集まり、無数の水球が浮かび上がる。
一色触発の空気の中、一陣の風が舞い込んだ。
「何?」
和麻が驚愕をあらわに呟く。
一色触発の両者の間に舞い込んだのは小さな風の竜巻。人ひとりくらいの大きさだ。
和麻が風を探知できなかった。
その理由は和麻が知る限りでは
一つは風牙衆が今やっているように妖気で風の精霊を発狂させ、和麻の存在を認識できないようにする。
だが、今目の前に現れた竜巻は風牙衆のように妖気に染まった黒く濁った色をしていない。逆だ。
まるで風に揺れる草木のような、見る物を穏やかな気持ちにする薄い緑色をしているのだ。
「神風だと……!?」
――神風。
神凪の神炎と同様、選ばれた風術師にのみ操ることを許された最強の風。術者の氣の色に染まった風は、たとえ和麻であろうと支配できない。
その神風――いうならば
『りゅ、流也……!?』
「父さん」
風巻流也は治ったばかりのボロボロの体を引きづり、父の前に現れたのだった。
「父さん。僕は、父さんを恨んでなんかいない」
兵衛のもとへと踏み出す流也。あまりに突然の事態に全員が攻撃をやめる。
和麻は流也のもとへと向かおうとするが、
「和麻は、そこで見ていてくれ。大丈夫だから」
「流也……」
流也に止められる。だが、万一の事態に備えるように風の精霊を誰にも気が付かれないように慎重に集めることだけはしておく。
「父さん。僕はもっと父さんのことを理解したかった。風牙を背負う苦しみを。先人たちの無念を晴らさなければいけないという重責を。もっと分かち合いたかった」
そして、流也は兵衛の目の前にたどり着く。
「父さん」
『流也……ありがとう。こんな儂を、流也ぁ……』
そして――流也の体を兵衛の右手が貫いた。
活動報告で行った四天王登場まで行かなかった・・・すみません。
衝撃のラストで次回へ。お楽しみに。
PS
私にはサクセスストーリーとか無理かなあと悩むこの頃。リリカル編はそんな感じで進めたいけれど、う~ん・・・。はやての成長をどう書こうかな。