夜。食卓を囲んで、雁夜、鶴野、桜、シオが顔を合わせていた。夕食も食べ終わったところで、シオが話したいことがある、と言い出したのだ。
何故全員がいなければいけないのか。疑問に思った三人――桜はどうだったかは分からないが――だったが、続いた言葉に思わず身構えた。曰く
「マスターのからだ、なおすほうほうについてだ」
そう言ったシオに、全員の注目が集まる。桜も、雁夜に関係することだからか、いつもより反応が速かった。
「どういう、ことだ。俺の体が、治るっていうのか……?」
信じられない、と言った様子の雁夜に、シオが頷く。鶴野は半信半疑と言った様子で、食後の酒を煽りながら、話に耳を傾けている。
「なおる、っていっても、かんたんなほうほうじゃないんだ。ほとんどのばあい、たぶん、しんじゃう」
死ぬ。その単語に、雁夜が瞠目する。たった1日しかともにいないとはいえ、シオ本人の性格はなんとなくだが理解している。優しい彼女が、そんな危険な提案をしてくるとは思えない。これ以外、方法がないという事なのだろう。
「それだけじゃない。もしかしたら、しなないで、アラガミになっちゃうかもしれないんだ」
「それは、ダメなのか?お前と同じようになるんだろ?」
鶴野のもっともな疑問に、シオは首を横に振る。そうじゃないのだと。
シオはアラガミの中でも特別な存在らしい。たとえ、雁夜がアラガミになっても、シオのように理性が強い人型のアラガミではなく、本能のまま暴れようとする獣型のアラガミになるだろう、と。
「でも、これでだいじょうぶなら、マスターはけんこうになる。きずのなおりもはやくなるし、きたえたら、ふつうのひとよりもすごいうごきができるようにもなる」
だけど、これでせいこうしてるのは、うまれるまえのあかんぼうだけなんだ
成功例はたった一つ。それも胎児のみで、母体は死亡。シオの知らないところでそれ以外の成功例もあるのかもしれないが、少なくとも彼女に勉学を教えた者たちは知らないようだった。
今にも死んでしまいそうな人間を急速に治療し、且つ健康体に瞬時に押し上げる方法を、シオはこれ以外に知らない。知っていたら、こんな方法は話さない。マスターを殺さざるを得ない可能性のあるこの方法は、正直一番避けたいものだった。
沈黙が続く。正直言って、シオはこの提案は飲んでほしくはない。だが、このまま行動に制限のあるままだと今後の戦闘で困るのも事実。シオは葛藤の末に、話すことを決めたのだった。
「――どうやるんだ」
長い沈黙の後、雁夜からでた言葉はそれだった。答えではなかったことに驚きながらも、シオは説明する。
「えっと、シオのオラクルさいぼうからつくった『P73へんしょくいんし』ってのを、カラダにいれるんだ」
そう言って取り出したのは、小さな瓶に入った、ごく少量の何か。一見液体に見えるそれは、しかし時折ぴちゃぴちゃと勝手に揺れている。
「これは、さいぼうをオラクルさいぼうにかえる、つよいちからをもってる。でも、へんしょくいんしにちゃんとテキゴウできたら、オラクルさいぼうにイタダキマスされないで、そのまま、マスターのままでいきられる、はずだ」
ものすごくいたいだろうし、きっとココロのなかで、アラガミとのあらそいになるかもしれない。
思い出すのは、自身に名前を付けてくれた青年。胎児のときにこの偏食因子を投与された彼の中には、ずっとアラガミとしての心もあった。シオは確かに、それを聞いていた。アラガミを前に、食べたい、おいしそう、と言う声が。
「もし、しっぱいしてマスターがアラガミになったら、シオがとめる。そしたらシオもきえるから、それでおしまいだ」
オラクル細胞をこの世界に流出はさせない。その為なら、いやだけれど殺すことも辞さない。それは心に決めていた。
また、雁夜が考え込む。すぐに答えが出るとは思っていない。ただでさえ生きるか死ぬかの二択なのだ、ゆっくり考えてほしいと、シオは考えていた。
――と
「おじさん、死んじゃうの?」
今まで沈黙を貫いていた桜が、小さく訊ねてきた。予想外な人間からの質問に雁夜が戸惑う中、シオが口を開く。
「いまのままだと、たぶんもうすぐ、しんじゃうかもだぞ」
「そう……」
「――サクラは、マスターがいなくなるの、いやか?」
「おいバーサーカー」
桜に問いかけるシオを、雁夜がとがめる。まだ死の概念もよく分からない少女に何を訊ねているのだと。だがシオは首を横に振る。
「サクラにも、ちゃんとしってもらわないといけないぞ。なぁ、サクラは、マスターといっしょにいたいか?」
シオの問いに、桜は答えない……もしかすると、悩んでいるのかもしれない。雁夜は答えがでるのをどこか恐れながら、鶴野は相変わらず酒を飲みながら、シオはただただ答えを待つ。
――どれほどの時間がたっただろうか。桜がまた、小さな声で話し始めた。
「よくわかんない」
「でも……おじさんがいない生活、思い浮かべようとしたけど、なんかもやもやした」
胸に手を当てて、変わらない表情で、顔を上げてそう答える桜。その感情の根幹にあるのは、依存か、それとも親愛なのか……それはこの場の誰にもわからない。桜本人が見つけるものだ。
「えっと、だから。わたしは、おじさんにいなくなってほしくない、と思う」
「桜ちゃん……」
感情を閉ざした少女が、考えに考えて出した答えに、雁夜は何かが晴れていくような気がした。
そうだ、自分はこの子を地獄から救い出すために戻ってきたんだ。時臣をぶっ飛ばすことも大事だが、桜ちゃんの笑顔を取り戻すために、ここに戻ってきたんだ。その本人がいなくなってほしくないと言っているのだ、それを叶えないと、きっとまた彼女は心を閉ざしてしまう。
聖杯戦争のあとも、桜とともにいなくてはならない――生きなければいけない。
雁夜は桜の頭を一撫でした後、シオに向き直った。
「分かった、バーサーカー。その偏食因子とかいうの、俺の中に入れてくれ」
――自分から提案したくせに泣きそうな表情をしたシオと、得体のしれないと言いたげな目でこちらを見る鶴野のツーショットは、たぶん忘れられないことだろう。
―――――――――――――――
「が、あああああああああぁぁぁぁぁぁっ!!」
「おじさん、おじさん、しっかり」
「そだぞサクラ、しっかりこえ、かけつづけるんだ」
ベッドで、弟が悲鳴を上げている。
いや、これは悲鳴なのだろうか。
まるで獣が吠えているようにも思えてくる。
その傍らで、義娘の桜が叫び声の中でも聞こえるように、弟の耳元で呼びかけ、シオが痛みで暴れる弟の体を懸命に押さえつけている。桜を励ますシオの声は、何故かよく透って聞こえてきた。
雁夜の自室で行われている施術を、鶴野は隅で見守るしかなかった。役目もないのにこの場にいるのは、シオが見届けてほしい、とお願いしてきたからだ。
雁夜がアラガミ化せずに生還できるかは、分からない。寧ろ生還できない確率の方が高い。雁夜の死を幼い桜の間近で見せなくてはいけない状況、しかもその後にシオは消えてしまう。2人がいなくなってしまった後、すぐにフォローに回れる人物が必要だった。
桜がこの場にいるのは、雁夜がこの屋敷内で唯一気にかけている存在だからだ。その声を縁に、雁夜が雁夜として戻ってきてくれるのを、シオは期待していた。
偏食因子を投与した直後から暴れだした雁夜を押さえ続けているシオの額からは汗が滴り、その表情からは先ほどまでの幼さは感じられない。見た目相応の精悍さを、彼女は見せていた。
酒を煽りながら、鶴野は歯噛みする。年長者だというのに、自分は何もできない。もはや血縁者としての情がないとはいえ、弟の生き死にを見届けなくてはならないのは、複雑な思いだった。
だが、と鶴野はシオに顔を向ける。間桐家のハッピーエンドを掲げる彼女が示した、余りにも無茶な方法。本当は聞き入れてほしくはなかった、と自分にだけ零したのは、準備をしていた時だった。
「ほんと、人間じゃないって言ってるのに、俺らより悩んでるじゃねぇか……」
ぽつり呟いた言葉は、雁夜の叫び声で、誰にも聞こえることなく消えていった。
――雁夜の叫び声が収まったのは、夜が明けるころ
穏やかに眠る様子を確認し、鶴野と桜は、ようやく眠ることが出来た。
「おつかれさま、マスター」
いきてて、ありがとうな
思ったよりあっさりと雁やんの治療が済みました
が、次は雁やんの精神世界の方の描写のよていなんだ……すまない……
エミヤオルタが鉄心士郎だと主張する日々です