――遠坂 凜は絶体絶命の危機に陥っていた
凛は友人を探すために、禅城の家を離れ、冬木に1人でやってきていた。お供は自身の魔術と、父からの贈り物である魔力針。いたいけな少女が1人で聖杯戦争の地を探索するには心もとない装備だが、彼女にとっては父から貰ったものは、とても心強いお守りでもあった。
夜の街を歩きながら魔力針を見ると、あちこちに針が向かう。聖杯戦争の地、危険はそこら中にあるということだ。凜は気を引き締める。
常に、余裕を持って優雅たれ――父からの言葉、遠坂の家訓を思い出しながら、落ち着いて行動する。
すべては行方不明の友人を見つける為。凜は走る。
――結果だけ見れば、彼女は友人の琴音、そして他にも数人の児童を救出することに成功した
どこにでもある物語ならば、そこで「2人はいつまでも仲良く暮らしました、めでたしめでたし」と締められただろう。だが、ここは現実、おとぎ話の世界ではない。
パトカーに保護される琴音たちを陰から見守り、胸の中で父に対して誇らしげに胸を張っていた凛の魔力針が、彼女の手に負えない魔力を捉えた。その方向にいたのは、明らかにこの冬木に似つかわしくない生物。
「ひっ……」
不意の襲撃に彼女がすくんだのを、目の前の捕食者が見逃すはずもない。すかさず彼女に襲い掛かった時だった。
「やめろぉ!」
異形――海魔の後方から、蟲の大群が海魔に襲い掛かる。それと共に聞こえてきたのは、懐かしい声。聞くのは、1年ぶりくらいだろうか。
「雁夜、おじさん……?」
だが、蟲の群れの中から現れた彼の姿は、記憶の中のそれとは似ても似つかないものだった。
服装は同じだ、あの頃と同じパーカーを着ている。そろそろ買い替えた方がいいんじゃなかろうか。
だが、その容貌は様変わりしている。彼の家にしては珍しい――とはいえ、凜は他の間桐の人間と会ったことがないから、それについては知らないのだが――黒髪は、白く。よく言えば平凡、悪く言えば特徴の無かった顔は、まるで一度焼けたかのように、全体、特に左顔面がケロイドのように爛れた跡がある。不気味としか言えない姿だが――凛を見るその瞳は以前と同じもので、どうにか彼女は、彼が雁夜だと認識したのだ。
使い魔である蟲を使って海魔を葬り、凜に近づく雁夜。
「凛ちゃん、大丈夫かい?怪我はしてない?」
「え、あ、うん、大丈夫よ。おじさんがたすけてくれたし」
風貌は変わったのに、言動は相変わらず優しくて、凜は内心で混乱する。一体、この1年で何があったのだろうか。
戸惑っている凛を他所に、雁夜はほっと肩を下ろす。が、直後にき、と眉間にしわを寄せた。
「凛ちゃん、こんな夜遅くに1人で出歩いてたら危ないじゃないか。さっきのみたいに、今の冬木は危険なものが沢山いる。はやく家に帰らないと」
「う、うん。分かった、でもおじさん、その顔」
恐る恐る訪ねてくる凜に、雁夜はああ、と苦笑する。シオの治療のお陰で痛みもなくなってはいるが、髪色と顔――というか体中に走った刻印蟲の浸食の痕跡は、どうやっても消すことが出来なかったのだ。個人的にも、これは自身が行った行為を忘れないためにも、残しておきたいものではある。
「おじさん、色々あって間桐の魔術を習ってたんだ。これは、その影響」
「……それって、じゃあ、桜も同じ風になってるの?」
震える声で訊ねてきた凜に、雁夜は失敗した、と内心頭を抱える。凜は年齢にしては聡明だ。魔術の修行の影響で雁夜がそうなったと聞けば、当然妹の桜を心配するだろう。どうすればいい。
「ねぇ、おじさん。桜も髪の毛が白くなって、そんな顔になってるの?ねぇ!」
不可侵の条約の為、凜は家では妹について訊ねることも、話すことも遠慮していた。一応は納得していたとしても、彼女はまだ小学生だ。完全に納得できるわけではない。目の前に情報が出てきた以上、知りたいという欲求は止まらない。
泣きそうな表情の凛に、雁夜はどうにか答えを絞り出す。嘘はつかず、しかし決して真実ではない答えを。
「――大丈夫、桜ちゃんは髪色は紫になっちゃったけど、傷は出来てないよ」
それを聞いてほっとした様子の凜に、雁夜は歯噛みする。真実を知った時、きっと自分は嫌われるのだろうと。だがまだ、彼女は知らなくていい。
だいぶ長い間走り回っていたのだろう。疲れて微睡始めた凜を抱きかかえ、雁夜は考える。遠坂の家に送るのが確実だろうが、昼間赴いたときには彼女たちの気配はなかった。恐らくは危険に巻き込まないために、別の家に避難させたのだろう。
その候補で自分が思いつくのは、時臣の妻・葵の実家である禅城の家だ。ここからだとかなりの距離がある。バーサーカーとのパスが届く距離なのかも怪しい、どうするべきだろうか。
人気のなくなった公園のベンチに腰掛け、凜を寝かせて雁夜は対処を考える。いっそシオを呼び戻そうかとも考えていると、公園の入り口に見覚えのある人が見えた。
「葵さん……」
「雁夜くん、なの……?」
凜の母親であり、雁夜が今なおも焦がれる、葵が。
葵もまた、雁夜の変わり果てた姿に固まるが、その膝で寝ている凛を見て慌てて近寄る。
「何しに来てたかは分からないけど、使い魔に襲われてたんだ。その前にもいろいろ頑張ってたみたいで、助けたらすぐに寝てしまって」
「そう、なの……ありがとう、雁夜くん」
複雑そうな表情で礼を言う葵に、雁夜は苦笑する。
「はやく家に帰った方がいいよ。まだ聖杯戦争の只中だから、危険すぎる」
聖杯戦争。その単語が出てきたことで、葵が凜を抱きかかえて雁夜から距離を取る。それに少し傷つきながらも、雁夜は首を横に振った。
「俺も参加してるけど、誰も殺すつもりはないよ。いろいろあって……停戦に持っていこうと思ってる」
持っていけるよう頑張るが、やり切れるかは分からない。まだ出せるカードが少なく、本当に聖杯戦争が破綻しているのかも確認できていない。だが、それでも、これを平和に終わらせなければ、桜は家族と再び話すこともできなくなる。
「信じなくてもいいけど、俺は精一杯、頑張ってるよ」
そう言う雁夜の表情はどこか晴れやかで、今まで見てきた鬱屈とした雰囲気が薄く、葵は戸惑う。
「じゃあ。俺いかないと、サーヴァントも待たせてるし」
「ま、待って雁夜くん!あなたは何で――」
その言葉を最後まで聞かず、雁夜は全速力で駆け出した。あれ以上いたら、理不尽な怒りが湧いてきそうで。叫びたくなる醜い本音を隠して、雁夜はアインツベルンの森へと走っていった。
―――――――――――――――――――
時は少しさかのぼり。
ライダー達とシオは、アインツベルンの結界ぎりぎりまでやってきていた。酒盛りの場所に突入する前に、雁夜と合流するためだ。だがそこに雁夜からの遅参の連絡を、シオが受け取る。
「マスター、おくれてくるって!」
「何かあったのか?」
「なんか、しりあいのこえがピンチだったって」
「ふむ、そ奴を助けに向かったという事か。お主は向かわんでいいのか?」
「ピンチのときは、レイジュつかうって!」
だからシオもこっちいるー!と言うシオ。雁夜の身体能力の異常さは知っているが、ともに行動することが極端に少ない主従なのは、少々心配になってくる。しかし、今はそれを言っても仕方ない。
「ふむ、では余達は先に、宴を開くことにするかのう!」
その言葉と共に、ライダーが“神威の車輪”に乗る。
「ほれ、乗ったのった」
「おい待てライダー、貴様どうやってあの結界を超えるつもりだ!」
嫌な予感がしたのだろう。ウェイバーとともに戦車に乗せられながら、ケイネスが叫ぶ。だが、ライダーは止まらない。ちなみにシオもノリノリである。止められる人間はいなかった。
「さぁ、行くぞ!Alalalalalalaie!」
静止の言葉をかける間もなく、ライダーの掛け声とともに戦車が走り出し、アインツベルン手製の結界を豪快に粉砕する。
「何してくれてるんですかー!?」
「ああ、胃が痛い……頭もいたい……」
「うおーはやいはやーい!」
頭を抱えるウェイバーたちマスター陣を他所に、サーヴァント達は楽しそうに歓声を上げながら、アインツベルンの城まで一直線に向かう。
豪快に真正面の玄関に戦車ともども突入した彼らを待っていたのは、警戒態勢を取るセイバーだった。だが、侵入してきたライダーの、現世になじみ切った服装に戸惑いの表情を浮かべる。
「よぉセイバー!」
「ら、ライダー?」
「先日も遠目から見たが、城と言うにはなんともしけたところだのう」
入り口に関してはライダーが壊したためでもあるが、雁夜が侵入した際に、いくつかトラップが作動しており、内装はぼろぼろになっている。元はもう少し、綺麗なところだっただろう。
「それより何だ、のっけからその無粋な戦支度は。今宵は現代のファッションはしておらんのか?」
「ライダー貴様、何をしにきた」
き、と警戒の目を向けるセイバーに対し、ライダーは戦車に乗せていた酒樽を持ち上げて見てわからんのか、と問う。敵対している相手と飲もうとする人間は滅多にいない、とウェイバーは内心でツッコミをいれた。
「一献交わしに来たに決まっておろうが。そんな所につっ立てないで、何処か宴に誂え向きの庭園でもないか?此処は埃ぽくてたまらん」
埃をまき散らしたのはお前だろう、というツッコミもまた、誰もいうことは無かった。
「何故だ、何故こうなった。ただ憂さを晴らすために飲むということが、どうしてさらなる苦悩を呼び起こすんだ……!」
「先生、ライダーはいつもあれなんです、いい加減慣れましょう」
頭と胃を抱えるケイネスを必死に慰めるウェイバー。その横で、きょろきょろとがれきや置物を吟味するシオ。そんな彼らに困惑するセイバー、そしてアイリスフィール。
――事態は、混乱を極めていた
次回、聖杯問答です
雁夜さんはいつやってくるのやら