SAO~if《白の剣士》の物語   作:大牟田蓮斗

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 投稿を始めてからぴったり一年になりました。話数だけ見るとまるで週一更新のよう、あら不思議。
 唐突ですが本編最終回となります。だからと言うとあれですが、普段の二倍の量があります。どうぞ。
※キャラ崩壊注意。
※完全にオリジナルになります。


エピローグ
#50 英雄


~side:和人~

 今は六月。先月も事件があったがそれも無事に解決し、最近はバイトに励みながら平和な日々を送っている。のだが……、

―――翔の様子がおかしい。

 おかしくなり始めたのは先週くらいからだ。いや、おかしいというのは言い過ぎかもしれないが、間違いなく普段とは様子が違った。

 

「どうかした? 和人君?」

 

 前の席からこちらを振り返る翔。その笑顔がいつもよりも深い。明らかに上機嫌と分かる。普段から接しているからこそ分かる違いなのだが、いつもの大体三割増しで優しい。理由が分からない分、不気味だ。

 

「大蓮君、ちょっといいかな」

「なんだい?」

 

 最近よく翔は呼び出される。今日は金曜日だが、これで今週で四度目、ほぼ毎日だ。

 

「その、……好きです! つき合ってください!」

 

 今週で四度目の告白。どこかに呼び出された今までとは異なって教室でとは。大胆と言うか、断りづらい環境を構築した策士と言うか。

 

「ごめんね。気持ちは嬉しいけど応えることはできない」

「そんなっ……」

 

 今週で四度目の玉砕。翔に想いを寄せる生徒が多いことは何となく察していたが、ここ数日はあいつの機嫌が良いからか告白する生徒がとても多い。

―――なのになぁ……。

 上機嫌だからといって、あいつが応えるかというとまた別だ。しかも告白されて少しは逡巡すれば良いものを、即断だ。余りの呆気なさに今まで振られた生徒は呆然としていた。

 教室の衆人環視の中といえどもそれは変わらない。取りつく島のなさに、観衆のクラスメイト達も相手に同情の色を示す。

 

「何でですか! 好きな人でもいるんですか!?」

 

―――おっ。

 四人目にして初めて理由を聞いた。それにしても翔に好きな人なんているのか。

 そんなとき、教室のドアが大きな音を立てて開いた。

 

「翔ーー!!!! しののんとデートするって本当!!?!??」

 

 リズだ。

―――って、それより!

 

「おい、翔! シノンとデートって本当か!?」

 

 教室の空気が変わったようだ。男からも女からも疑惑の目線だ。翔には浮いた噂など今まで一度もなかった。それが一気にデートだ、はっきり言って驚いている。

 

「何のことかな?」

「白を切っても無駄よ! こっちにはこんなものがあるんだから」

 

 勝ち誇った顔のリズはそう言って、よく見るタイプの録音機器を左手で取り出した。

 

『えっ? 今週の土曜日? ――悪いけど、翔と出かけるから私はパス』

 

 録音機器から流れるクールな声は明らかにシノンのものだ。

 どっと教室がざわめく。

 

「今のって、やっぱり……」「ヒュー、遂にあいつに、か」「クールっぽい声だなぁ、多分可愛いぜ」

「そんなぁ……」「翔君まで……」「先を越されたかっ」

 

「里香さん。そのことを誰が知っていますか?」

「え? 私と明日奈だけよ? それより――」

 

 リズの言葉の続きは生まれなかった。

 空気が明らかに変わった。教室のではなく、翔の。それは、あの世界で感じたような殺気。かつて須郷に食らった重力魔法の如き重圧が身体を圧迫する。

 

 

「里香さん。それからみんなも。

 

 変な噂を、立てないでくださいね?」

 

 今日一番の笑顔だ。だがそれは優しさから来るものではない。教室の空気が変わった。……絶対零度に体が震える。豹変した翔に、先程まで顔を――色んな意味で――赤らめていた女生徒が小さく悲鳴を溢した。

 そのまま翔は教室を出ていった。

 

******

 

~side:詩乃~

―――どうしよう……。

 早く起き過ぎてしまった。まだ日も昇っていない。いくら楽しみだったといえども、これは流石に早すぎだ。

 

「~~~~~~~~~~~ッッ!!!!」

 

 ……ふぅ。翔とその、で、デート、をするということを考えただけでも頭が沸騰しそうになる。自分でもよく誘えたものだ。

 

『ねぇ、翔』

『なんだい?』

『来週の土曜日って空いてる?』

『空いてるけど?』

『――い、一緒に遊園地行かない?』

 

 ……うん。私、頑張った。某有名テーマパークに行くのだ。下調べは終わっているし、用意は全て事前にしてある――今から準備しても間に合う時間だが――。

 

「いけるわ。大丈夫。落ち着きなさい、私」

 

 必死に自己暗示をかける。……今日、私は翔に告白しようと思う。この誘いを受けてくれたのだから完全なる脈なしではないだろうが、私からすれば翔が私のことをどう思っているかなんてまるで分からない。しかし色々と明け透けだった私の気持ちなんてとうに気づいているだろう。

―――あの朴念仁とは違うものね……。

 知り合いの黒い男の鈍感さの影響を彼が受けていないことを願う。真剣に。

 

「どうしよう……」

 

 回想に耽ったところで、既に数回繰り返しているのだから大した時間は稼げない。

―――ま、いっか。

 私は時間を潰すためにアミュスフィアを被り、懐かしい世界(GGO)に飛び立った。

―――硝煙の匂いがするわけではないし、構わないわよね。

 

 

―――やって、しまった。

 いや別に、GGOに夢中になって時間を忘れただとか、そういうことはない。ただ、別の物を忘れてしまったのだ。

―――眼鏡が、ない。

 今更気づいたところで意味はない。今から取りに帰ったのでは確実に翔を待たせてしまう。私としたことが、――アミュスフィアを着けるときには眼鏡を外す上に――視力が悪いわけではないただの伊達眼鏡なため気がつかなかった。

 仕方ないと溜め息を吐いたところで、待ち人がやって来た。

 

「おはよう、詩乃。待たせてごめんね。それと眼鏡外したの?」

「おはよう、翔。大した時間じゃないから気にしないで。……眼鏡は、元々伊達だったから」

 

 「待たせちゃった?」「ううん、全然」なんていうやり取りは存在しない。自分より早く来ている時点で待たせたことは確実なのだ。あとはそれがどの程度かという話だ。そして、流石は翔――まあ見れば分かることなのだが、あの黒い方じゃどうせ何も言わない――。いつもとの違いをさらっと聞いてくる。

 

「そうなんだ。――眼鏡がないと詩乃の顔がよく見えていいね」

 

―――~~~~~~~~ッッッッ!!!!!!!

 早速、(一キル)されるところだった。笑顔でそんなことを言われたら、恥ずかしくて死んでしまう。

―――それより……。

 翔は例のバーベキューのときから私のことを呼び捨てするようになった。私も合わせてリアルでも敬称を外したのだが、まるで呼び捨てに慣れそうにない自分が悔しい。まだ名前を囁かれると脳が沸騰して死を覚悟する。彼の掌の上で転がされている気がする。

―――まあ、それも悪くないけれど。

 好きな人の隣は、凄く安心できる。今までの私にない感覚はくすぐったくて幸せだ。喜びを噛み締めながら、私は翔の腕を引っ張って目的地に向かった。

 

******

 

~in:テーマパーク~

 

「どう思う?」

「どうって、……別に普段通りじゃないか?」

 

 某有名テーマパーク、レストランのテラス席に座って楽しそうに談笑するカップル。

 

「もう、ちゃんと見てたの?」

「見てたけどさ、どこか変わったところあるか?」

「……まず、服装はどう思う?」

 

 女性の方が頭を抑えながら男性に尋ねる。

 

「えぇと、……いつもよりも明るめ?」

「う~ん。おまけで正解。普段から意外と脚は見せてる方だけど、今日はいつもと違ってスカートじゃないわ。それに落ち着いた雰囲気でまとめてることが多いのが、今日はかなぁり活動的なコーデね」

 

 女性はそう言うが、彼女はロングスカートに上半身はゆったりとしたカーディガンを羽織っておりとても言葉のようには思えない。

 

「……あっ、眼鏡!」

「――今、気づいたの……?」

 

 女性が驚愕を示す。男性は黒髪を掻きながら目線を外す。

 

「いや、前から見てなかったから気づかなかっただけで……」

「……はぁ。本当に無頓着だよね、和人君って」

 

 男性――桐ヶ谷和人は、女性――結城明日奈に抗議の目を向ける。

 

「そもそも俺はこんなことするつもりはなかった」

「仕方ないでしょ、リズに頼まれちゃったんだから」

「本当、『私は用事があるから、二人の監視お願い!』だなんて勝手過ぎるよな……」

 

 この場にいない里香の言葉を思い出し、和人は深く息を吐く。

 

「まぁ、私もあの二人のことは気になるし……」

 

 そう言いながら明日奈は店の前の広場の方――正確に言えば、そこにあるベンチ――に目を向ける。そこには仲の良さそうなカップルが並んで軽食を頬張っていた。翔と詩乃である。二人は彼らを見守って――正確に言えば覗き見て――いたのだ。

 

「それにしても、しののん凄い楽しそうだよね」

「そうか? いつもと大して表情変わってないように思えるけど……」

 

 明日奈が再びジト目になる。

 

「か~ず~と~く~ん? それ本気で言ってる?」

「……イッテナイデス、アスナサン」

 

 溜息を吐き、納得していなそうな鈍感な恋人に説明を始める明日奈。

 

「頑張ってポーカーフェイスでいつも通りを装ってるけど、楽しさが隠しきれてない顔してるし、さっきから歩き方軽やかだし……」

 

 次々と理由が並べ立てられていく。そのどれも、言われてみれば和人にも理解できるものだった。

 

「なるほど。確かに言われてみれば……」

「翔君だから気づいてるだろうけど……。和人君だったらしののんの気持ちは伝わってないんだろうなぁ」

 

 理解できて顔を輝かせている和人と、鈍感な恋人に肩を落とす明日奈。明日奈はテーブルに伏せて顔だけを和人に向ける――絶妙な上目遣いになっているが、本人は気づいていない――。

 

「和人君はしののんが上手くいくと思う?」

「いくんじゃないか? 翔だって別にシノンのこと嫌っているわけじゃないし」

「――好きってわけでは……?」

「俺に分かると思うのか」

「……思わない」

 

 胸を張る和人。明日奈は組んだ腕に顔を埋めて唸った。

 

「うぅぅぅぅぅ」

「明日奈? 大丈夫か?」

「……うん。そうだね。よし、そうしよう!」

「ん?」

「これ以上二人を見てたってしょうがないから、私達も楽しもっか」

 

 里香への義理は果たしたと言わんばかりの明日奈。その気合の入りように、むしろそっちの方がきついのではと思い始めた和人だった。

 

******

 

~side:詩乃~

 そろそろ日が沈む。一通り乗りたかったアトラクションだとかは試し終わり、翔との初デートは楽しいままでここまで来た。

 

「夕陽が綺麗だね」

「ええ。本当に綺麗ね」

 

 こんなに近くで話しかけられても動じないまでになった。後は想いを告げるだけなのだが、それはデートが終わるまで取っておく。

 

「じゃあ、行こっか」

 

 私の手を取ってそろそろ始まるイベントに向かう翔。その足が、止まった。ここは入り口すぐの広場で、足を止めるようなものは何もないはずなのだが。

 すると、いきなり抱き締められた。

 

「え!? ちょ、え!?」

 

 

 

ダァァァン

 

 

 

 一瞬かなりの興奮状態にあった精神が一気に醒める。仮想の世界で散々聞いた音。現実の世界で聞くのは二度目。それは、銃声だった。

 冷静になった私と反対に、一瞬の空白の後に広場は恐慌へと陥る。悲鳴が響き、銃声が聞こえた方から離れようと四方八方へと人が走り出す。

 翔に守られたお陰で人の波に流されなかった私は、銃声を放った人間を目にする。そいつは大体三十前後に見える男。無精髭が生えてはいるが、頬がこけていたり髪が乱れていたりなどの不潔さはない。シャツにジーパンという簡単な服装。脇に落ちている肩かけの鞄から手にしている拳銃を取り出したのだろうか。

 そしてその男は一人の女性を捕らえていた。その頭に拳銃の銃口を突きつけている。女性は恐怖の余り涙を目に溜めながら固まっていた。

 翔は恐らく男が拳銃を手にした段階で気づき、咄嗟に私を庇ってくれたのだろう。

 

「詩乃、あの銃知ってる?」

「いいえ、見たことないわね。似たような物は見たことあるけれど」

「じゃあオリジナルかな。銃程度なら作れる人はいるからね」

 

 冷静にそう言う翔の手には見慣れた液晶画面があった。

 広場では男が何事か叫んでいる。

 すっ、と翔が一歩前に出た。動かない私達がいたからか、大勢の客は男を取り囲むように大きな円を描いている。その先頭が私達だったから、当然一歩前に出た翔は注目を浴びた。それは犯人からも同じだった。

 

「警察に通報しやがれ!!!!! おら!!! さっさとしろ!!!!! ――ぁ?」

「警察にこの電話は繋がっています。何か要求はありますか?」

 

 広場は男の声以外聞こえていなかったが、その男が黙ったので翔の声だけが響く。

―――通報してたの?

 私を守りながら翔は通報していたのか。銃の詳細を確認したのは警察に伝えるためか。

 

「っ!! じゃあ、高浦署の溝浦って奴をここに寄越せ!!!」

 

 そう叫びつつ男はもう一度空に向けて発砲した。

 携帯で今の発言を警察へと伝える翔。あの発砲音は聞こえているだろうから警察も信用するだろう。電話口からは慌てたような声が聞こえる。

 携帯をすぐ後ろにいた私に放ると、翔は男へと近づいていく。投げられた携帯を慌てて受け止めた私は翔を止められなかった。

 

「その女性を離していただけませんか?」

「あぁ!?」

 

―――はぁ!?

 男が人質を離すことなどありえないだろう。男の目的が何なのかは分からないが、人質がいない危険人物などすぐに制圧に踏みきられてしまう。それで男の目的が果たされるとは思えない。

 私は、翔の次の言葉を聞きたくなかった。

 

「僕が人質になれば、それで十分でしょう?」

 

 そう、牽制のための人質なら誰だって構わない。犯人が一般人に銃を突きつけているだけで警察は犯人を刺激できなくなるから、人質の役目は極論赤子でも構わないのだ。しいて言えば、女性の方が抵抗される可能性も、抵抗が成功する可能性も低いから女性の方が好ましいが。

―――お願い……。

 私は犯人がそう判断することを望んでいた。

 

「…………ちっ。いいだろう。その代わり、抵抗すんじゃねぇぞ」

 

 犯人は女性を翔の方へと押しやった。翔は女性に声をかけて連れの方へと送り出すと、犯人の足元で胡坐を組んだ。

 

******

 

~side:翔~

 彼と出会えたのは一つ幸運だったか。……詩乃にとっては間違いなく不幸だろう。僕も、できれば今じゃなければ良かった。

 そんなことを胡坐で考えていた。

 

「…………」

 

 頭を銃口が狙っているのが分かる。体の底から恐怖が湧いてくる。それでも、僕はここをどけない。

 

「――なぜ、こんなことをしたんですか?」

「ああ? ……何でテメエにんなこと教えなきゃいけねぇんだ」

 

 視線を向けずに彼に尋ねる。

 

「……あなたは、梶野康介(かじのこうすけ)さんの弟さんですか?」

 

 ガチャ

 

 銃が構え直された。

 

「テメエ、どうして兄貴の名前を知っている」

「……あの人とはSAOで出会いました」

「…………」

「そのときに、弟さんがいると」

「……兄貴に会ったのか」

「はい。それで、あなたはどうしてこんなことを?」

「ふん。――兄貴の仇を討つためだ」

 

―――ッ。

 

「仇、とは」

「兄貴は殺されたんだよ。あの屑どもに」

「…………」

「自慢じゃねぇが、兄貴には相当な資産があった。あの屑どもは親の権限でそれを奪おうとしてやがった」

「……親、ですか」

「……ああ。兄貴は家庭を持ってなかった。だから、あいつらは兄貴の財産を奪えると思っていやがったんだよ」

「思っていやがった……?」

「兄貴はあいつらには秘密で前から遺書を遺してた。それに基づいて、あいつらにはほとんど遺産はいかなかった。あいつらは全く無駄なことをしたんだよ」

「…………」

「オレが兄貴から目を離した隙にあいつらは兄貴を殺したんだ。SAOで死んだように見せれば、罪は全部茅場晶彦が被ってくれるからな」

 

 彼は静かに怒りを込めて語った。

 

「そうじゃなければ、兄貴が死ぬはずがねぇ。あの兄貴がたかがコンピューターなんぞに殺されるわけがねぇんだよ。サツもナーブギアから指紋が出ても、あいつらが兄貴が死んだときに病室に居ようと、家族だからって押しきられやがって……」

「それでは、その再捜査を……?」

「もう捜査できることなんざねぇよ。だが、あのおっさんなら兄貴とあいつらの縁が切れてることも知ってた。オレがここまですればきっと動いてくれるッ……」

 

 それで彼の話は終わったようだ。今度は、僕が語る番だ。

 

「……康介さんとは、SAOで出会いました。彼はかなりの実力者でした」

「そりゃあな。兄貴が弱いはずがねぇ」

「彼とは攻略組の関係で出会いました」

「へぇ、流石は兄貴だ。トッププレイヤーだったってわけか」

「……彼の最期のときも僕は近くにいました」

「――ど、どんな最期だったんだ……?」

「……詳しくは言えませんが、最期までとても勇敢に戦って、敵に被害を与えました」

「最期、まで?」

「はい。……ラグが起きたようなこともなく、最期まで、戦い抜きました」

「は……?」

「彼の最期の言葉は、『弟じゃなくて良かった』でした。それだけは伝えようと――

 

 

 

ダァァン!!!!!!!

 

 

 

 

 耳元で聞く銃声とはこれほど響くものだったのか。反響した銃声が脳を揺さぶる。僕の身体から一mほど離れたところに弾痕が生まれていた。

 

「っそれ以上は止めてください。今なら手が滑っただけですから、罪は軽くなります。お願いします。お兄さんも貴方にこんなことはしてほしくないでしょう」

「黙、れ。うるさい、お前に、何が分かる……。じゃあ、じゃあ、何だよ、あいつらは関係ないってのか? は……?」

「はい、恐らくは」

 

 彼には受け入れがたいことかもしれないが、事実は事実だ。彼の両親は本当にたまたま居合わせただけなのだろう。

 

「嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ。兄貴が簡単に死ぬはずがねぇ……。――お前か」

 

 低い声で、まるで呪いを籠めるかのように、彼は僕を見た。

 

「お前がいたからか。そうだよな。兄貴が簡単に死ぬはずがねぇんだ。さっき、テメエ死んだ状況は話せねぇって言ってたな。お前が原因か。兄貴が死んだのはお前が原因だったってわけだな」

「…………」

「最期の言葉を聴けるほど近くにいたんだな。なら、テメエが兄貴が死んだ原因に違いねぇ。そうだろ、そうだろ!?」

 

 彼の目が僕を映しているのかも、もう分からなかった。疑問の形を取っているようで、彼は僕の答えを全く期待していなかった。

 彼が脚を振るう。胡坐で座る僕に避けられるべくもなく、脇腹を抉られる。

 体から空気が逃げる。

 脚が振り抜かれたため僕は蹴り飛ばされた形になる。その反動を利用して立ち上がる。動きを阻害するような物を着けられていなくて幸いだった。

 そう僕が思ったのはほんの一瞬だった。

 男は立ち上がった僕に向かって銃を構えていた。

 周囲をすぐに確認する。広場だから当然遮蔽物なんてものはない。男と僕の身長差はほぼ零。銃口はやや下を向いており、恐らくは心臓を狙っているのだろう。

 男は撃つかどうか逡巡しているようだった。やはり先程のは衝動的な行動で、落ち着けば大丈夫かと思ったそのとき、僕の耳に彼の声が届いた。

 

 

 

 

 

「兄貴の、仇……だ」

 

 

 

 

 思わず体が固まった。

 彼の指が震えるようにして引き金に近づく。

 震える銃口で着弾点が予想できない。手足ならば、最悪構わない。そもそも運が良ければ弾丸が外れる可能性もある。それに恐らく射撃と同時に屈めば素人の腕では当てられない。そうして弾を避けれ……ば――

 

「――詩乃……」

 

 僕の後ろには、人がいた。傷つけられない人。護りたい人。

 僕は、避けられない。彼に、撃たせてはいけない。

 ハッとしたときには、男の指が引き金にかかっていた。頭が空っぽになった。

 気づけば駆け出していた。僅かに驚く男も、すぐに指に力を込めようとする。

 引き金を引き切る直前に肩から男に飛び込む。体重をかけて男の身体を地面に張り倒す。一連の動作の衝撃で弾丸が発射されるが、それは僕の顔の右側を飛んで空に向かっていった。すうっと右頬が風圧で僅かに裂ける。だが、僕はそんなこと気にならなかった。いや、気にできなかった。

 彼を起こさないように、再び射程に彼女を入れないように、僕は彼を取り押さえることに必死だった。焦っていたからだろう。慌てていたからだろう。僕は彼を押さえつけることで精一杯だった。そして気づかなかった。

 

 彼の右手の拳銃が僕の頭を狙っていることに。

 

******

 

~side:詩乃~

 彼が蹴り飛ばされたときに私は駆け寄りそうになった。だけど、できなかった。あの人の背中が来るなと言っているようで。

 私の前で立ち上がった彼はまるで私を護ってくれているようだった。自惚れかもしれないが、そう思いたかった。

 彼越しに銃口が見えた。

 

 

 恐怖に捕まった。

 

 

 冷や汗が止まらない。背中どころか体の隅々まで冷えきって、誰かに縋りつきたくなった。あの日の光景がフラッシュバックする。銃口の暗闇からあの男が顔を出す。手が震え、立っていられずに座り込みそうになる。

 そのとき、あの人がこちらを一度見た。

 それだけで恐怖は遠退いた。根源的な死への恐怖は残るが、記憶への怯えは遠ざかる。自分でも単純だと思うが、それでも今だけは助かった。

 あの人は銃口への恐れなんて見せずに、犯人へと飛びかかった。思わず心の中で歓声を上げ、応援する。

 だが、それも長くは続かなかった。

 犯人はあの人の圧力で身体の大部分と左手を全く動かせない。しかし右手をしぶとくも動かそうとしていた。そしてその手には、拳銃があった。

 今度は駆け出していた。周りが突然の行動に目を瞠るが、私はあの人の許へ走った。

 走る内に犯人は右手を完全に自由にしていた。そして、その銃口をあの人の頭へと向けていた。

 私の脚に更に力が籠る。今更止まるはずもない。

 至近距離まで接近した私に、トリガーに指をかけた犯人がようやく気づいてその表情を驚愕に染める。しかし一瞬の後にすぐに引き金を引こうとする。

 私は無我夢中で、脚を振り抜いた。そしてそれは綺麗に犯人の手に直撃し、私の足に確かな感触を与えた。

 犯人の手から拳銃が飛ぶ。私はすぐにそれに飛びつくと、構えて犯人へと向けた。

 

「すぐに抵抗を止めなさい!」

 

 犯人は観念したかのように、大人しく翔に取り押さえられた。

 

******

 

 私と翔の大立ち回り――自分で言うのはとても恥ずかしいが――の直後に警察が到着した。

 犯人の男は呼び出した、恐らく知り合いであろう刑事と少し言葉を交わすと、大人しく連行されていった。翔の頬の怪我はほんの掠り傷だった、というか古傷が開いただけだそうなので、緊急事態に備えて呼ばれた救急隊員に簡単に手当てをされていた。

 犯人が連行された後に私達はとても怒られた。私の方は状況を確認して――あんな場面にもかかわらず撮影している野次馬がいたそうだ――咄嗟の判断だったから軽い注意で済んだが、翔は傍から見て可哀想になるほどだった。

 まず通報したのは良かったが、その後の犯人へ声をかけるという行為が挑発と取られるかもしれない、と。次に人質の女性を助けようとしたことは立派だが、それは一般人がやることではなく、更に言えば自分が人質になるのは自らの身を最優先にするべき一般人からしたらありえない、と。そして最後の立ち回りは蹴られてからは成り行きで仕方ない――それでも拳銃への警戒が足りないと言われていた――が、蹴られるまではどこか穏便だった犯人の態度が一変したのは何か挑発をしたからではないか、そういうことは危ないから止めろ、と。

 それも警察らしいこちらの言い分を完全に無視した頭ごなしな人格まで否定するような怒りの発露ではなく、危険性を十分に説明し、ゆったりとした口調で教え諭すように説教するものだから反発しづらい。あの警官は教師が天職なのではなかろうか。

 事情聴取も終わり、ようやく解放されたときにはすっかり夜も更けていた。心残りはあるが、時間も時間なので私達は大人しく自宅へと帰ることにした。

 移動中はどちらも何も喋らなかった。

 最寄り駅で電車を降り、そのまま私を家に送ろうとする翔を手で遮った。

 

「ねぇ、あなたの家に行ってもいい?」

「え……?」

「少し、話したいことがあるの」

 

 方向は変わったが、私達は二人で並んで歩いた。

 そして、翔の家。部屋の大きさは私の部屋とほとんど変わらないが、間取りは違う。それに自然と笑みが零れていた。

 部屋の座卓で私と翔は差し向いに座った。翔が出してくれた烏龍茶に口をつける。

 

「今日はごめんね。折角楽しい一日だったのに僕が首を突っ込んじゃったから」

「ううん、それはいいの。それより、貴方、あの犯人とどういう関係なの?」

 

 私がいたところでは遠過ぎて会話していることは分かったが、内容は全く分からなかった。それを今、問い質す。

 

「……あの人のお兄さんとSAOで出会ったんだ」

「どうして分かったの? 本人じゃなくて弟でしょ?」

「……色々と調べたからね。あの人には伝えたいことがあったから」

「伝えたいこと?」

 

 翔は唾を飲むと、一呼吸入れて私の質問に答えた。

 

「彼のお兄さんの最期の言葉」

「ッ――。お亡くなりになったのね」

「うん。僕が殺した」

 

 

 呼吸が止まった。

 

 

「彼のお兄さんはラフコフ討伐戦での最後の犠牲者だ。ラフコフ側だったんだけど、僕の判断ミスで殺してしまった」

「そんな……」

 

 私は今日の翔の動きを思い浮かべた。

 

「もしかして、それで手加減してたの?」

「……どういうこと?」

「貴方のことだから、リアルでもあのくらいなら鎮圧できたんじゃないの?」

 

 我ながら信頼感が天井を知らないが、思ったことをそのまま口にする。

 

「できなかった、とは言わないよ。でもあれは周りの安全も兼ねてたし」

「嘘。人質になっていたときはかなり相手も油断してた。あの間に制圧した方が安全で確実だった」

「…………」

「それに、貴方は撃たれたときにほとんど何も抵抗してなかった。どうして?」

「……撃たれても、いいかなって少し思ってた。あの人さ、ずっとお兄さんの仇を取ろうとしてたんだよ。だから、僕が正当な仇なわけだから」

「ッそんなわけないでしょ! それにラフコフ討伐戦で戦ったんだったら、その兄ってのは犯罪者じゃない!」

「犯罪者だから殺していいわけじゃない!!」

 

 ハッとこちらを窺う翔。今の言葉に私の頭も急激に醒める。少し二人とも熱くなり過ぎたようだ。

 

「ごめん、詩乃」

「別に構わないわ。確かに翔の言う通りね。犯罪者だからって、殺してもいいわけじゃない」

「うん。それに、ラフコフの下っ端ってのはPoHに唆されただけの人が多いんだ。あの人は最期に弟を気遣ってた。単純な凶悪殺人鬼には、思えなくて」

「……そうね。でも、それとこれとはまた別よ。今の日本では敵討ちなんて認められてないわ。貴方に殺される理由なんて、全く存在しない」

 

 口ではそう言っても、私には翔の気持ちがよく分かった。私も、もしあの男の関係者だと名乗る者が来たら、殺されても良いとまでは思わないが、まともに抵抗できる気はしない。

 互いに言葉を探して沈黙が空間を満たす。

 

「……そう言えば、どうして最後に犯人に飛びかかったの?」

 

 ふと、口から疑問が零れた。

 

「えっ……。――それは、……詩乃が、いたから」

 

 最後は――翔にしては珍しく――消えそうな小さな声だったが、生憎と部屋は静かでよく聞こえた。

 

「え」

 

 だから、ちゃんと――という言い方はおかしいか――思考が停止した。

 

「僕が避ければ詩乃まで一直線だし、避けなくてもあんなに手が震えてたら詩乃に当たる可能性があったから」

 

 それは、これは、勘違いしても許されるだろうか。気持ちが舞い上がった。

 

「詩乃は?」

「え?」

「詩乃はどうして最後、走ってきてくれたんだい? ……拳銃は、怖いだろう?」

「それは、翔が危なかったから」

 

 だから、言葉は素直に出てきた。普段からは考えられないくらいするすると言葉が出てくる。

 

「翔がいてくれたから、私は今ここにいる。死銃に殺されてたとかじゃなくて、私が、今の私になれたのは貴方のお陰。貴方がいなければ、私はずっと震えているだけの少女だった。それがああしてもう一度立ち向かえたのは、貴方がいたから。私に光を見せてくれたから。拳銃は、……まだ怖いけど、貴方のためなら私も走り出せる」

 

 翔が私の顔を見つめる。私は座卓を乗り越えて翔の手を掴んだ。

 

「詩乃……」

「だから、殺されてもいいなんてもう二度と言わないで。思わないでとは言わない、でも、私の前からいなくならないでッ――」

 

 気丈に振る舞おうとしたができなかった。翔が私の手の届かないところに行ってしまう、そう考えただけで声が震えた。口の端が歪んだ。

 翔はこちらをじっと見つめた。その口がゆっくりと開いていくのを、私は身構える。

 空気が、揺れた。

 

 

 

 

 

「好きだ、詩乃」

 

 

 

 

 

 

 

「へ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へ?」

 

 いけない。頭が真っ白になっていた。

 

「え、…………ちょ、え、え」

 

 言葉を口にした翔が目に見えて分かるほどに慌てふためく。こんなに慌てた翔を初めて見た。白い顔が耳まで真っ赤に染まっている。

 

「あ、あ、ああああああ」

 

 ここまで慌てられると逆にこちらが落ち着いてくる。ちなみにさっきの一回目の「あ」で動きが止まり、一回目の「あ」で少し顔から赤みが引いて、「ああああああ」で座卓に額がつくほど崩れ落ちた。

 深呼吸して、再びこちらを見た翔はすっかり落ち着いたようで……いや、かなり落ち込んでいた。

 

「はぁ……。もっと、ちゃんと、告白するはずだったのに…………」

「…………大丈夫?」

「うん……。詩乃、もう一回言うね。僕は君が好きだ」

 

 翔が落ち着くのと反比例するかのように私の心拍数は上がっていく。フルダイブ中なら強制ログアウトさせられるほどにドキドキしている。

 

「……私も、貴方のことが好き。他の何よりも」

 

 言ってしまった。もう戻れない。

 

「僕の……隣に、いてくれるかい?」

 

 いつもの微笑みに見えて、自信がなさそうな固い笑み。自信を持てば良いのに。私の答えは決まっているのだから。

 

「ええ、もちろん。私の方こそ隣にいさせてほしい。……私の、英雄(ヒーロー)

「英雄?」

「さっきも言ったけど、私を救ってくれたのは貴方なの。だから、私の英雄は貴方」

「――それは、嬉しいな」

 

 さっきとは違う、いつもとも違う深い笑み。

 私と翔はどちらともなく顔を近づけた。




 一年間本当にありがとうございました。皆を救う英雄に憧れた少年が、一人の少女の英雄になっていたというありふれた物語でした。
 このシリーズの本編はこれにて完結となりますが、このシリーズ自体は蛇足編(ほのぼの話)を完全オリジナルで細々と続けたいと思います。これからも見守っていただけると幸いです。

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