現在は十月十八日、絶賛七十四層攻略中である。マッピングは――僕のデータでは――九割方終わっているので、ボス部屋も今日中には見つけられるだろう。
―――しっかし、本能が遠回りをしているのかね……。
《狂戦士》時代はほぼ真っすぐボス部屋が見つかっていたのに、今では九割埋めても未だ発見できていないのだ。つい宝箱を優先してしまうからではあろうが。
探索を続け、細道を出て別の道に合流する。今までは石の壁しかなかったところに、新しく石柱が天井と床を繋いでいた。明らかな人工物であるそれは、この先にボスがいることを表していた。
「ん? 誰か……いる?」
人の気配があった。どうやら二人組のようだが、二人組で攻略するような人間を僕は知らない――パーティは三人以上がセオリーである――。果たして誰だったかと言えば、
「――ねえ、キリト君。覗いて……みる?」
「……ああ。《転移結晶》を持ったままなら――」
アスナとキリトだ。この二人が組んでいるとは珍しい。キリトはたまに誰かとコンビを組んだりもする。しかしアスナは《KoB》の副団長なので普段は護衛といるはずなのだが。
疑問は頭の隅に追い遣って、物音を立てないようにこっそり二人の後ろに近寄る。
「――――わっっ!!!」
「うわぁあぁぁぁっぁああ!!」
「きゃあああぁぁぁぁああ!!!」
少し後ろから驚かせただけなのだが、驚かせたこちらが驚いてしまうほどの悲鳴が二人からは出た。こちらを認識した二人には怒られるかと思ったが、安堵の方が怒りよりも大きいらしい。
「はあぁぁ、良かった……レントさんで」
「ああ、レントで本当に良かった」
「……何をそんなに驚いているのか知らないけど、ボス部屋、覗くよ?」
「あっ、俺も「私も行きます!」行く……。アスナ? どうしたんだそんなに慌てて」
「じゃあ行くよ」
この二人のやり取りは見ているとどこか面白い。相性が良いのだろう。僕はにやけそうになる口元を必死に堪え、ボス部屋を覗き込んだ。
最初は暗く何も見えなかった。少し足を踏み入れると、脇から青い炎が走りボス部屋の中が露わになる。
中央にいたのは悪魔だった。人型をしているがその頭は山羊のそれで、脚にも毛が生えており山羊のようだった。人間らしさを残した上半身含め全身が青く、その眼も青かった。名は《ザ・グリーム・アイズ》。その怪物は口を大きく開くと――。
グルアアアァァアアアアァァァァッァァ!!!!!!
気づくと走り出していた。まるでこちらの精神を直接揺さぶるような咆哮に、そもそも逃げ腰だったのもあって耐えられなかったのだ。
しばらくしてから落ち着いて周りを見渡す。かなり離れたところに来てしまったようで、キリトとアスナともはぐれたようだ。マップデータも更新されていない。ついでに残りも埋めながら街に帰ろう。ボス部屋が見つかったなら近いうちに攻略会議が行われるはずだから。そう考え、僕はゆっくりと歩き出した。
******
マップデータを埋めていると、別の道を通って再びボス部屋の前に辿り着いた。そこにはまた先客――鎧姿の一団がいた。
―――……ん? あれは《軍》か?
《軍》とは《アインクラッド解放軍》の略称だ。彼らは《はじまりの街》を拠点に活動しているギルドで、軍隊のような規律を特徴としている。元々はリアルのゲーム攻略サイトの管理人が起こした、皆で情報や物資を分け合おうという目的のギルドだったのだが、最近は色々と変わってきてしまっているらしい。二十五層の攻略で大損害を出してから攻略には関わらなくなったと聞いていたが、再び攻略に乗り出したのであろうか。
彼らがボス部屋に入るのが見え、僕は駆け出した。最近攻略に来ていないプレイヤー達がそう簡単にボスの相手をできるわけがない。人のことを言えるのかという脳内の声は捻り潰す。余計なお世話だった場合は謝れば良いのだから。
しかし、僕の予想は正しかった。彼らにボスの相手は厳しかったようで、僕が到達した段階で既にパーティメンバーのHPは軒並み減っていた。対してボスはほとんど傷ついていない。
「大丈夫ですかっ! 早く《転移結晶》で――」
「け、結晶が使えないんだ!!」
「なっ、結晶無効化エリアっ!? ――すぐに避難を!!」
思わず臍を噛みながら、僕は両手用の大剣を振り上げた悪魔の注意を引きつける。慣れないパリィで作ったその隙に、奥にいた瀕死の三人はボス部屋の外に退避することができた。残りのプレイヤーはHPが十分にある。
―――これなら大丈夫か……。
グヲヲオオォォォオオオン!
大剣を悪魔が振り回す! 退路は瘴気のブレスで塞がれた! 僕は何とか自分から飛ぶことでHPの減少を最低限に抑えたが、大剣に吹き飛ばされた《軍》の者は違った。ボス部屋の外にいる三人を除いた全員が扉の反対側に来てしまった! 三人が助けに来ようとするのを叫んで止め、悪魔と睨み合う。数秒、数十秒、はたまた数分か。ジリジリと《軍》の集中力が下がっていくのが分かる。
―――どうにかしても彼らは助けたいっ、けど……。
人だ。人が足りないのだ。僕だけでは彼らを助けることはおろか、彼らに意識を向ければ僕だって死んでしまう。そんな中、救援は来た。
「レントッ! 大丈夫か!?」
「大丈夫……とは言いがたいかな。気をつけてキリト君。結晶無効化空間になってる」
「なッ……」
《軍》の悲鳴が聞こえたのだろう、キリト達だ。《風林火山》もいる。その姿を確認して安心したのか、《軍》の一人が肩の力を抜いた。
彼の体が空を舞った。
悪魔は隙を窺っていたのだ。そして一瞬で彼を剣で斬り上げた。その体はキリト達の前まで飛び、そこで砕けた。
「っっっっっ!!!!」
悪魔に突っ込みそうになる体を、何とか意志の力で押さえ込む!
「い、いやあぁぁぁ!!」
しかしアスナは抑えられなかった。あの悪魔には対峙するプレイヤーを恐慌状態に陥れるパッシブスキルがあるのかもしれない。過ぎた恐慌は《風林火山》のように人の足を止めるだろうが、一度食らって耐性のついてしまったアスナの足は止まらなかった。そのまま済し崩しでキリト達もボス部屋に入ってくる。
「《風林火山》は《軍》の人達を外へ出してください!」
僕は後ろを振り返り、アスナを殴り飛ばした悪魔に斬りかかりながら叫ぶ。《風林火山》がいればそうHPが減っているわけでもない《軍》の退避は可能だろう。僕とキリト、アスナでボスを釘づけにするのだ!
しかしボスの持つ大剣はそもそもリーチが非常に長い。先程のように全体攻撃をされてしまっては戦線が崩壊する。キリトも同じことを考えたようで、僕達に声をかけてきた。
「レント! アスナ! 十秒もたせてくれ!」
「十秒と言わずに一分でも」
「一分は無理よ!」
まだ軽口を叩く余裕があるから問題はない。ボスはクォーターポイントの直前だからだろう、かつての大狼同様に戦闘力は低かった。恐怖は掻き立てられるが、それを乗り越えてしまえば問題はない。他に武器を持っている様子がないので武器交換もなく、防御力などの一つ一つの能力は高くともAIが弱い。スイッチに簡単に惑わされる上に攻撃が単調だ。本当に一分ほどは――守る者がいなければ――相手をできるだろう。
「スイッチ!」
キリトの合図で後ろを振り返らずに場所を変わる。そのまま僕は悪魔の後背へと走った。
―――キリトが剣を二本装備している……?
秘策はあれのようだ。確かに強い。一撃一撃に通常の二倍ほどの威力がある。既に二本目の半分になっていたゲージ――注意を引く中で攻撃を入れていたのだ――の削れるスピードが急激に上がった。《風林火山》も一瞬呆っとしていたがすぐに持ち直し、この隙に《軍》を全員退避させることに成功する。
―――ついでに倒しちゃうか、ここまで削ったし。
キリトの秘策の『
我に返ったアスナも攻撃を再開した。キリトの剣――二本ともだ――にライトエフェクトが灯り、連撃が始まる。皆の目がキリトに向いている横で僕も
最近安定させられてきた超高等技術。まずは右手でソードスキルを発動させる。打撃を与えた後、《脳内タブ操作》で右手の剣を収納し左手に武器を装備する。ソードスキルが終わると決まった姿勢で止まってしまうが、この姿勢に入って硬直する直前に、左手で別のソードスキルを発動させるのだ。
これを繰り返すことでソードスキルを使い続けることができる。もちろん欠点はある。まずは前提条件に途轍もなく面倒な《脳内タブ操作》の習得があり、次に《脳内タブ操作》を戦闘中に行う度胸と精神力が必要とされる。加えてソードスキルを繋げられるタイミングはとてもシビアで、関節の僅かな動きで発動させるためタイミングと姿勢の両方で繊細な微調整がかかせない。また、これを失敗すると技後硬直が一気に襲ってくるのだ。硬直の時間は単純加算ではないが少しづつ増えていくため大きな隙を生むことになる。
しかし、それだけの苦労に見合う威力がこの技術にはある。悪魔の前から怒涛の連撃で削るキリト、後ろから裏技の連撃で削る僕。止まったのは同時だった。そして悪魔のHPが尽きるのも。
パリィィィィィン
ボスがいた場所には大きく『Congratulations』と表示されており、それを見た僕とキリトは同時に崩れ落ちた。
******
意識が戻ってくると、そこには救援に来てくれた人はいたが《軍》はいなかった。
「――《軍》、は……?」
「っ。ハァ、気絶して目が覚めたらすぐに赤の他人の心配って。少しはおめぇのことも心配したらどうだ?」
「《軍》の人達は《転移結晶》で本部に帰ったわ。目が覚めて良かった、レントさん」
クラインとアスナが答えてくれる。僕と同じように倒れたキリトはアスナのすぐ横で寝ていた。と思うと、「……ン」と彼も身じろぎをして目を開いた。
「キリト君っ……。良かったぁ、生きてて、くれて……」
「ア……スナ? ……皆は!?」
「お前も他人の心配かよ……」
キリトはアスナを見るとガバッと起き上がり、クラインを呆れさせていた。アスナはキリトに抱きついてしまっているが、きっと突っ込んだら《閃光》の一撃を食らうことだろう。
目を覚ましたキリトにクラインが尋ねる。
「そりゃそうと、おめぇらさっきのは何だよ」
「――言わなきゃ……駄目か?」
「ッたりめぇだ! 見たことねぇぞ、あんなの!」
「……エクストラスキルだよ、《二刀流》」
―――《二刀流》……!
「しゅ、出現条件は……?」
「……分かってりゃもう公開してる」
「情報屋のスキルリストにも載ってねぇ。てこたぁお前専用のユニークスキルじゃねぇか。たく水くせぇなキリト、そんなすげぇ裏技黙ってるなんてよぉ」
―――ユニークスキル。これで二人目、か。
「おい、レントの方はどうなんだ?」
「――え?」
「え? じゃねぇよ。ボスを後ろからずっと攻撃してたじゃねぇか。しかもソードスキルで」
どうやら見られてしまっていたらしい。キリトに注目は集まっていると思っていたのだが、存外クラインは目敏かった。
「システム外スキルです。一応《スキルコネクト》って呼んでます。左右の剣で交互にタイミングを合わせてソードスキルを使って、硬直にソードスキルを重ねて踏み倒す技術です」
「なっ。……いや、そりゃすげーが、両手に剣もったらソードスキルは発動できねぇだろ。もしかしてお前も《二刀流》持ちってわけか?」
唯一事情を知るキリトだけが呆れ顔であるが、他の面々は疑いの目を僕に向けていた。
「……初期に出てくる《クイックチェンジ》には更に派生スキルがあるのは知ってますよね。その派生スキルの《武装交換》には熟練度があるんです。それを完全習得すると更なる派生スキルの《脳内タブ操作》が手に入ります。これを使って武器を同時に持たないように入れ替えていたんです」
「マジ? そりゃ、熟練度があって不思議には思ったがそんなことになってるとはなぁ」
「まあ、連続であんなに成功させられたのは初めてなんですけどね」
《軍》はいなくなっていたが、こういう噂はすぐに広まってしまうものだ。誤情報を流されないためにも自分から情報を流した方が良いかもしれない。取りあえずはこのボス戦の話をアルゴにメッセージで送るだけで十分だろう。アルゴならこちらの狙いも察するはずだ。ボス戦が終わり迷宮区内の安全地帯と同じ扱いになった部屋でアルゴへのメッセージを送った。
アスナとキリトはまだ抱き合ったままで動かない。《風林火山》と僕は目線を交わした。
「キリト君、アクティベートは僕らがしておくから、後は二人でごゆっくり」
「そういうわけだ。気をつけて帰れよぉ」
キリトは知らないが、アスナがキリトに何らかの――マイナスでない――感情を抱いているのは以前より透けて見えていた。これを機にその思いは実る……のではないだろうか。キリトといえど流石にそこまで鈍くはないだろう。
僕はキリト達を祝福するように眼を向けてから背を向けた。クラインにはまだ言いたいことがありそうだったので、僕は先頭を切ってクォーターポイントの七十五層へと向かった。
******
―――……まさか、こんなことになるとはね。
七十五層が解放されてから、攻略組の一部のプレイヤーは攻略を一旦休憩するようにと通告された。僕もその一人だ。残りのプレイヤーは迷宮区のマッピングよりも実力を養うことに重点をおいて活動するように、と。
しかし、こんなことになるとはというのはそのことではなく、七十五層の《コリニア》にあるコロシアムが満員の現状を指している。
予想通り《二刀流》の噂は数日でアインクラッドに蔓延していた。それに隠れて《スキルコネクト》は目立たなかったのは幸いだったが、問題は別の所にある。噂を聞いたプレイヤーが挙ってこう考えたのだ。
―――《神聖剣》と《二刀流》どちらが最強なのだ?
そして
歓声を浴びながら《黒の剣士》と《聖騎士》が登場する。そして
《黒の剣士》は黒と薄緑の二刀を使い圧倒的なラッシュをかける。
《聖騎士》が巨大な十字盾と十字剣を使いその全てを防ぐ。
《神聖剣》の特殊効果で攻撃判定をもつ盾が襲いかかる。
意表を突かれるも再度突撃する《二刀流》、その動きがぶれ始めていた。
今度は唐突な突きで、ヒースクリフが削られる。
一瞬の睨み合いの後は、乱戦だ。二人のスピードが天井知らずに上がっていく。
キリトが七十四層のボス戦で使ったソードスキルを発動させる。
十字の盾と剣は防御に徹するも、双剣のスピードがそれを上回り始める。
数えて十五撃目の攻撃で絶対的な防御が撃ち抜かれる。盾が後ろに流れた。
十六撃目、七十四層のボスを倒した圧倒的な攻撃がこの矛盾に勝ったと思った。
世界が……ブレた
絶対に間に合うはずがなかった。それなのに、ヒースクリフの盾は引き戻されていた。筋肉の動きはまるで視えなかった。今までの戦闘では二人とも筋肉の動きが視えていたのだから、
キリトの最後の攻撃は盾に流され、その横腹は貫かれた。決闘はヒースクリフの勝利だった。
******
キリトとヒースクリフはこの勝負にあることを賭けていたらしい。何でも『キリトが勝てばアスナが《KoB》を退団する』、『ヒースクリフが勝てばアスナは退団せず、新たにキリトが入団する』だそうだ。つまりキリトは《KoB》の一員になるのだ。ユニークスキル持ちを二人とも独占するのだから《KoB》は更に強力な組織になるだろう。
―――これでソロはもう僕だけか……。
「レントさん、《フリーダム》にようこそ!」
いつの間にか隣にいたタロウが、まだ入ってもいないのに歓迎の挨拶をかけてきた。僕がキリトに憧れてソロをしていたことを彼は知っているからだ。だが、僕に《フリーダム》に入る気はない。元々は彼に少しでも近づきたくて貫いていたソロだが、今ではソロの方が慣れてしまった――もちろんパーティでの連携戦闘も及第点程度には行えるが――。
少し寂しい想いを抱えながら、僕は未だ熱狂の渦に巻き込まれているコロッセオに背を向けた。
……うん。原作のキャリバー編のキリトよりも続けてたよね、ソードスキル。片手ずつしか使えないのに。
主人公はこういう子です。