竹林の時間
夏休みも終わって九月となり、僕らは気持ちを切り替えて二学期の始業式を迎えていた。まぁ今日は始業式だけで本格的に授業が始まるのは明日からだけどね。
いつも通りE組の皆は早めに体育館で並んでいると、あまり関わりたくない七賢人(下位)の人達が絡んできた。
「久しぶりだな、E組ども。ま、お前らは二学期も大変だと思うがよ」
「メゲずにやってくれ!ギシシシシ!」
わざわざ嫌味を言いにくるなんて……始業式が始まるまで暇なのかな?っていうかあの……えっと、名前なんだっけ……眼鏡のワカメ頭、笑い方の癖が強くない?
「一学期の期末で打ち負かされたってのに、アイツらも懲りねーな」
そんな彼らを見て後ろから吉田君の呆れたような声が聞こえてきた。
そう言われれば終業式では悔しそうにしてたな。五教科トップ数で底辺クラスのE組に負けて、更に沖縄旅行まで奪われたんだから無理はないけど。
「切り替えが早いだけじゃない?」
「でも何か妙にニヤニヤしてたような……ちょっと変じゃなかった?」
僕と吉田君の話に前から矢田さんが疑問混じりに入ってきた。
んー、そんなに気になる程ニヤニヤしてたかな?僕は特に変には感じなかったけど……だいたい普段から嫌味ったらしい感じだし。
「まぁ変なのはいつものことでしょ」
「そういうこと言ってんじゃねーだろ」
そうこうしているうちに始業式の始まる時間となり、無駄に長い校長の話や部活動の表彰などのプログラムが進んでいく。E組にはほとんど関係ないし早く終わらないかなぁ。
「……さて、式の終わりに皆さんにお知らせがあります」
始業式も終わりに差し掛かったところで、最後にまだ話があるらしかった。わざわざプログラムと分けて言うなんて、いったい何の話なんだろう?
そうして話された内容に、僕は驚きを隠せず呆然とするしかなかった。
「今日から三年A組に一人仲間が加わります。昨日まで彼は———E組に居ました」
…………は?E組に居たって……え、どういうこと?
僕が訳も分からず混乱しているのを余所に、壇上での話はどんどんと進んでいく。
「しかし弛まぬ努力の末に好成績を取り、本校舎に戻ることを許可されました。……では彼に喜びの言葉を聞いてみましょう!竹林孝太郎君です!」
その言葉を受けて、壇上の脇から竹林君が姿を現した。
た、竹林君……!?A組になったって……E組を抜けたってこと……?皆でずっと頑張って暗殺してきたのに……いったいどうして。
壇上に立った竹林君が体育館に集まった全校生徒へ向けて話をする。
「———僕は四ヶ月余りをE組で過ごしました。その環境を一言で言うなら地獄でした。やる気のないクラスメイト達。先生方にも匙を投げられ、怠けた自分の代償を思い知りました。もう一度本校舎に戻りたい。その一心で生活態度を改めて死ぬ気で勉強しました。二度とE組に堕ちることのないように頑張ります。———以上です」
全員が何も言えず、ただ壇上にいる竹林君を見ていることしか出来なかった。
そんな空気などお構いなく話し終えた竹林君が壇上を降りようとしたところで、壇上の脇に控えていた浅野君の拍手が静かな空間に響き渡る。
「おかえり、竹林君」
その一言を皮切りにE組を除いて体育館が拍手喝采に包まれた。僕らは未だに状況を上手く飲み込めていない。
そんな状況を受け止められないまま始業式は幕を閉じた。
始業式が終わった後、E組の教室まで戻ってきた皆は竹林君の件で荒れていた。
「なんなんだよ、あいつ!百億のチャンス捨ててまで抜けるとか信じらんねー!」
「しかも
竹林君が言ったE組に対する外からの認識は間違っていないが、それはあくまで殺せんせーが来る前の過去の話だ。
今はやる気のない生徒なんてE組には居ないし、一学期の期末テストで勉強の成果も出ている。国家機密が関わっているから本校舎の人達が知らないのは無理もないが、他ならぬ竹林君がそんなE組を貶めたのが信じられなかった。
「言わされたにしたってアレはないよね」
「ホントだよ。ただちょっと校舎が山の中にあって設備が整ってなくて、普通の先生が居なくて勉強以外にも暗殺の訓練があるってだけなのにさ」
「実情を知らなかったら最悪の環境だな」
「…………地獄と言われても仕方がない」
まぁ確かに額面通りに受け取ったら、反社会的人間の育成所と言われてもおかしくないな。
でも重要なのはそこじゃなくて、どうして竹林君がE組を抜ける決断をしたのかってことだ。現状を考えれば本校舎よりE組の方が伸び伸びできて、殺せんせーのおかげで成績アップも望めそうなものなのに。
「事前に一言くらい相談があっても良さそうなものじゃが……何か事情でもあったのかのぅ」
「とにかくあぁまで言われちゃ黙ってらんねー!放課後に一言言いに行くぞ!」
僕らは竹林君に話を聞くために本校舎の前で彼を待ち伏せることにした。もしかしたら話次第ではE組に戻ってきてくれるかもしれない。
しかし幾ら話をしても竹林君がE組へと戻ってくることはなかった。
★
始業式の次の日、E組の教室内は暗い空気に包まれていた。
今まで一緒に過ごしてきた仲間が急に居なくなったのだ。それを気にするなという方が無理である。
「おはようございます」
そんな雰囲気を打ち消すかのように、普段と変わらない調子の殺せんせーが教室へ入ってきた。
ただし変わらないのは調子だけで、見た目は何故か真っ黒に変貌していたが。某探偵漫画の犯人も顔負けの真っ黒具合である。
そんな意味不明な変貌を遂げた殺せんせーに前原君がツッコむ。
「何でいきなり黒いんだよ、殺せんせー」
「急遽アフリカに行って日焼けしました。これで先生は完全に忍者!人混みで行動しても目立つことはありません」
人混みに紛れるつもりなら全身真っ黒になるのは寧ろ悪手だろう。それなら今までの出来損ないの変装の方が良いくらいだ。
っていうかそもそも何で黒くなったのだろうか。同じ疑問を岡野さんが殺せんせーに投げ掛ける。
「そもそも何のために?」
「もちろん、竹林君のアフターケアのためです」
「……アフターケア?」
その答えを聞いてもいまいちピンと来ないという風に岡島君が言葉を繰り返した。
殺せんせーはHRの準備をしながら話を続ける。
「自分の意思で出ていった彼を引き止めることは出来ません。ですが新しい環境に馴染めているかどうか、先生には暫し見守る義務があります。これは先生の仕事なので、君達はいつもと同じに過ごしてください」
そう言われても……流石にいつも通りに過ごすのは無理でしょ。
それに昨日は皆も突然のことで気持ちの整理がついてなかったけど、竹林君だって自分なりの想いがあってE組を抜けたんだ。A組になっても竹林君は仲間だし、殺せんせーがアフターケアするって言うなら僕も力になりたい。
「……俺らもちょっと様子見に行ってやっか」
「なんだかんだ同じ相手を殺しにいってた仲間だしな」
僕だけじゃなく皆も気持ちは一緒みたいだ。それなら話は早い。すぐに竹林君の様子を見に行こう。
「それじゃあ授業を始めます。教科書を開いてください」
うん、そりゃそうか。今日から普通に授業だもんね。殺せんせーも授業を疎かにするわけにはいかないだろう。
というか僕らだけじゃなくて竹林君もA組で授業か。アフターケアは放課後からだな。
★
〜side 竹林〜
始業式の翌日。今日がE組からA組になった僕が受ける初めての授業である。
E組とは授業内容も進み方も違うはずだけど、いったい今はどの辺りの勉強をしてるのだろうか。テストでは良い成績を取れたから、少なくとも着いていける範囲の内容だとは思うけど……。
「授業の準備は出来てるか?」
「A組の先生は進み早いから取り残されんなよ」
A組のクラスメイトは、勉強が出来てE組じゃない人間にはごく普通に接してくれる。今もE組から復帰したばかりの僕を気に掛けてくれているくらいだ。
ついこの前までE組とA組で敵対していたはずなのに、すぐ気持ちを切り替えて仲間扱いしてくれるのは正直ありがたい。
「……はは、緊張するな」
「せっかく表舞台に戻ってこれたんだ。竹林君なら着いてこれるさ。大変だろうが一緒に頑張ろう」
そんな僕に対して浅野君も笑顔でエールを送ってくれる。
浅野君こそ最もE組を敵視しているはずなのに、A組の仲間になれば元E組にも優しく接してくれるのか。人身掌握の術なのかもしれないが、彼がA組のリーダーなのは成績だけじゃなくて人望があるからなのだろう。
そうして授業が始まったところで、僕は全く想定外の授業内容に着いていけなくなった。
これがA組の授業……?E組じゃ一学期でやったとこだぞ……?
しかもやたらと非効率的だ。早口で黒板に書いては消して、生徒の都合は一切無視。着いてこれない奴をふるい落とすための授業じゃないか。殺せんせーとは大違いだ。
その後も似たような授業がずっと続き、僕の初めてのA組での一日が終了した。
今のところ全部E組で一学期にやった内容なので復習にしかなっていない。いつも放課後は復習や予習、暗殺の訓練とかやってたけど今日は何もやることがなさそうだ。
「……なぁ。放課後、何処かでお茶でもしていかないか?」
本当は行きつけのメイド喫茶に行きたいけど、A組初日だし今日のところは皆と交流を深めたいところだ。普通の喫茶店にでも誘うとしよう。
「え?あ、馴染もうとして気ィ遣わなくていいぜ、竹林」
「俺らすぐ塾だからよ。じゃーな!」
しかし声を掛けた二人は塾だと言って足早に教室から居なくなってしまった。彼らだけじゃなく、他のA組のクラスメイトも似たようなものである。
昔の僕みたいにいつも勉強に追われていて、余裕なのは本当に出来る数人だけらしい。殺せんせーは生徒に合わせて勉強を進めていたから、きちんと予習と復習をしておけば余裕があったくらいだ。やっぱりE組とはかなり違う。
改めてA組とE組の違いを認識していると、見慣れた顔の男子生徒……にそっくりな女子生徒が僕に話しかけてきた。
「竹林君、クラスには馴染めそう?」
「木下さん……まぁ何とかやっていけそうだよ。気に掛けてくれてありがとう」
何度見ても木下君と言いそうになるくらい瓜二つである。服装を取り替えられたら本当に見分けがつかなそうだ。双子とはいえ男女でここまで似るものだろうか。
「いいのよ。今までの環境とは違うんだもの。何かあったら相談してね。もしA組で言えないことがあったらE組の人にも相談したらいいわ。クラスが変わっても友達には変わりないでしょ?」
木下さんは何気なく言ってくれるが、そんな簡単にE組の皆を頼れるわけがない。その資格が僕にはもうないんだ。
「……そんなこと、出来るわけないじゃないか。僕はE組の皆を裏切ってA組へ来たのに、今更親しくするなんて……」
「あら、誰もそんな風に思ってないわよ。E組の皆だけじゃない。殺せんせーだって貴方を心配してるんだから」
…………なんだって?
僕の聞き間違いじゃなければ今、木下さんが知らないはずの存在の名前が出てきたような……。
あり得ないことに呆然としながら木下さんを見つめていると、彼女は僕の視線を受けて窓の外へと顔を向けた。
僕も釣られて外へ視線を移すと……何か居た。何かというかE組の皆と殺せんせーが居たのだが、アレで隠れてるつもりなんだろうか。
頭に植物を巻き付けてカモフラージュしているようだけど、E組と本校舎で植物が違うから余計に怪しい。特に殺せんせーは何故か黒くなってるから不自然に目立っている。
というかE組の皆が来ていることや殺せんせーを知ってるってことは……。
「まさか……木下君かい?」
半信半疑な気持ちでそう問い掛けてみると、木下さん……いや、木下君はウインクで肯定を示してきた。
おっふ……っと、危ない危ない。木下君のせいで新しい扉を開いてしまうところだった。幾ら木下君が可愛くても、
でも言われてみれば確かに、あまり木下さんと交流はないとはいえ教室で見掛けた彼女より少し表情が柔らかいような気がしなくもない。
本当に服装を取り替えてるとは思わなかったが、女装した木下君は木下さんの演技を続けたまま話を進める。
「本当は私と一緒に殺せんせーも変装するって言い出したんだけど、実際に変装した烏間先生のクオリティーが壊滅的だったから置いてきたわ」
「賢明な判断だろうね」
いったい殺せんせーがどんな変装をしたのかは気になるが、まず間違いなく不審がられるだろう。本物の烏間先生を知ってる本校舎の人間なら尚更だ。
「私の見た感じではあるけど、結構上手くやれてるみたいで安心したわ。元E組ってことで爪弾きにされてる様子もないし、あとは時間があれば問題なく馴染めそうね。その調子ならきっと殺せんせーも安心できるはずよ」
そう言って木下君は柔和な笑みを浮かべた。
どうして皆、
E組では何も暗殺の役に立っていなかった。つまり必要とする価値のない存在だろう。僕のことを知ったところで、何も得られるものはないはずだ。
そこまで自問自答したところで、僕は今の自分の状況にも同じことが言えると気付いた。
……僕の方こそ、何を学びに本校舎へ戻ってきたんだっけ。E組の皆を裏切ってまで本校舎で得られるものなんてあるのだろうか。
地球の終わりや百億なんかより、家族に認められたくて本校舎へ戻ってきた。落ちこぼれの烙印を押されたE組にいる限り、家族が認めてくれることはないだろう。
……でも今のE組は決して落ちこぼれなんかじゃない。何より本校舎に居た頃よりも学校生活を楽しんでいたはずだ。それこそE組に居てこそ学べるものがあるんじゃ……。
と、そんな僕らの元へ浅野君がやってきた。
「……此処で何をしているのかな、
凄いな、浅野君。一目で木下君と木下さんを見分けられるなんて。僕なんて話をしていても気付けなかったのに。
だが木下君は微塵も動揺を見せずに木下さんの演技を続ける。
「あら、浅野君。いったい何のこと?」
「惚けなくてもいい。普段の彼女とは身のこなしや重心の位置が僅かに違う。何なら幾つか質問させてもらえば、今の君が姉か弟かくらい判別できるはずだ」
これは流石に止めた方がいいだろう。僕なんかのためにわざわざ本校舎まで来てくれたのに、それで罰則を与えられたら木下君に申し訳ない。
しかし僕が止めるよりも前に、意外にも浅野君から木下君への追及を切り上げてくれた。
「君のことを問題に取り上げてもいいけど、生憎だが理事長に竹林君を連れてくるように言われているんだ。もしすぐに校舎から出ていくというなら、今回だけは君について言及しないでおこう」
理事長が僕を連れてくるようにって……いったい何の用だろう。A組になるためのスピーチを読まされたように、また何か僕にさせるつもりなんだろうか?
「よく分からないけど、帰れっていうなら用事もないし帰ることにするわ。浅野君、また明日ね」
木下君もこれ以上この場に留まるのは無理と判断したのか、下手に反発せず涼しい顔で演技をしたままA組の教室から去っていった。
あそこまで徹底して演技を貫けるなんて最早プロだな。普通に今からでも業界で通用するんじゃないか?
「……顔に似合わず食えない奴だ」
「……それで、浅野君。理事長が僕のことを呼んでるって……?」
「あぁ、そうだよ。逆境に勝ったヒーローである君を必要としているようだ」
浅野君がこうやって他人を立てた言い方をするのは、相手の気を良くさせて利用する時なんだろう。でなければ浅野君が僕を見てヒーローなどと言うはずがない。
それが僕にとっても良いことなら何も問題ないんだけど……あまり良い予感はしないな。
浅野君に理事長室へ連れて行かれた僕は、そこで理事長から明日ある創立記念日の集会でスピーチをしてほしいと頼まれた。
ただしその内容はほとんど嘘で塗り固められた、E組を貶めて囚人のように扱うというものである。どうやら僕を利用してE組を完全な支配下に置きたいらしい。
これで僕は弱者から強者になれる。理事長や浅野君のような強者に……でもそれはE組の皆を陥れてまで僕が得たかったものなんだろうか。
スピーチを読むことは承諾したものの、まだそんなスピーチを読んでいいのか決心がついていない。読めば二度とE組の皆と仲良くすることは出来ないだろう。
学校からの帰り道、頭の中でスピーチを読むのか読まないのか幾ら考えても答えが出ない。
そんな僕の前……というか前にある曲がり角から殺せんせーがこちらを覗き込んでいた。あれで隠れているつもりなら下手過ぎる。
「……警察呼びますよ、殺せんせー」
「にゅやッ!?な、なぜ闇に紛れた先生を!?」
せめて闇に紛れるなら街灯の下から離れるべきだろう。街灯に照らされて黒くなった身体が逆に目立ってるくらいだ。
それとも何か話があって出てきたのか?本校舎からずっと付き纏っていたなら上手く隠れられていたはずだし。
「何の用ですか?殺しとはもう無縁な僕に……」
でも僕には話をすることなんてない。E組の皆を裏切るのみならず、皆を貶めることを拒否できず悩んでいる時点で合わせる顔がない。
だから殺せんせーにも素っ気なく返したのだが、次の瞬間には眼鏡を奪われて何故か髪型を整えられて化粧を施された。
「ビジュアル系メイクです。君の個性のオタクキャラを殺してみました」
そう言って殺せんせーが差し出してきた鏡の中の自分を見ると……僕自身ですら見たことのない僕がいた。誰だこれは?
「……こんなの僕じゃないよ」
微塵も元の要素がない自分に若干引いていると、すぐに殺せんせーが元に戻してくれた。
「竹林君、先生を殺さないのは君の自由です。でもね、“殺す”とは日常に溢れる行為ですよ。現に家族に認められるためだけに、君は自由な自分を殺そうとしている」
それが普通のことだろう。何かを得るためには何かを捨てなければいけない。僕が家族に認められるためには自由な自分を、なんだかんだで楽しかったE組での生活を捨てて本校舎へ戻ることが一番なんだ。
……そのはずなのに、僕はE組との繋がりを捨てる決断が出来ずにいる。地球の終わりや百億よりも家族に認められることの方が大事だと思っていたはずなのに。
そんな僕の迷いを見透かすかのように、殺せんせーは僕の目を真っ直ぐに見ていた。
「でも君ならいつか、君の中の呪縛された君を殺せる日が必ず来ます。それだけの力が君にはある。焦らずじっくり殺すチャンスを狙ってください。相談があれば闇に紛れていつでも来ます」
そうして殺せんせーは僕の前から立ち去っていった。ああいう風に言ってきたってことは、もう僕が必要としない限り姿を見せることはないのだろう。
僕の中の呪縛……その呪縛された自分を殺すことが出来れば、僕が本当にしたいことが分かるのだろうか。
僕が今、本当にしたいこと。それは———。
★
理事長からスピーチを頼まれた次の日、僕は予定通り集会でスピーチを読むために壇上へと上がっていた。
それだけで体育館内が騒つく。まぁ始業式で壇上に上がって日が浅いのに、また僕が壇上に上がっているのだから疑問に思うのも当然か。
そうして体育館内の騒つきが収まったところで僕は話を始める。
「……僕のやりたいことを聞いてください。僕の居たE組は弱い人達の集まりです。学力という強さがなかったために、本校舎の皆さんから差別待遇を受けています」
これは紛れもない事実だ。殺せんせーが来たことで状況は変わったけど、E組が椚ヶ丘中学校における弱者の象徴であることに変わりはない。
「———でも僕はそんなE組がメイド喫茶の次くらいに居心地良いです」
しかしだからこそ、他者を蹴落とす強さよりも他者と寄り添える優しさがあるんだ。そのことをA組になった数日ではっきりと実感することができた。
「E組の中で役立たずの上に裏切った僕を、クラスメイト達は何度も様子を見に来てくれました。先生は僕のような要領の悪い生徒にも工夫して教えてくれた。誰も認めなかった僕のことを、E組の皆は同じ目線で接してくれた」
家族に認めてもらいたかったのは本当だけど、それ以上に認め合える仲間の存在が嬉しかったんだ。ここでE組を陥れるような真似をしたら、僕は二度とそんな仲間を得られないと思う。
「強者を目指す皆さんのことを正しいと思うし尊敬します。でももうしばらく僕は弱者でいい。弱いことに耐え、弱いことを楽しみながら強い者の首を狙う生活に戻ります」
と、そこに僕のスピーチが予定と違っていたことで舞台袖から浅野君が割って入ってきた。
「撤回して謝罪しろ竹林!さもないと———」
でも僕が取り出したガラス細工の盾を見て浅野君の動きが止まる。
「理事長室からくすねてきました。私立学校のベスト経営者を表彰する盾みたいです」
僕も暗殺の訓練を経て浅野君の目を盗めるくらいの隠密技術は身についていたようだ。これには少し自信が持てたな。
このガラス細工の盾は、スピーチを読むかどうか悩んでいた僕が念のため盗っておいたものである。まぁ結果としては正解だったと言えるだろう。
そのガラス細工の盾を懐から取り出したナイフで叩き割った。
僕の突然の行動に誰もが固まって動けずにいる。ちょっと気持ちよかったのは秘密にしておこう。
「浅野君の言うには、過去これと同じことをした生徒が居たとか。前例から合理的に考えれば、僕もE組行きですね」
浅野君は恐らく“さもないとE組に逆戻りだぞ”とでも言おうとしたのだろうが、寧ろ今の僕はそれを望んでいるんだ。聞けば前例もあるみたいだし、これで確実にE組へ逆戻りできるだろう。
誰もが呆気に取られている中、僕は壇上を降りてその場を後にした。これで明日からまた暗殺の日々だ。弱者なりに僕に出来ることで頑張らないとな。
★
〜side 明久〜
二学期の始業式から数日が経ち、休みボケも抜けて通常授業へと戻っていた。今は烏間先生による暗殺の訓練中である。
「二学期からは新しい要素を暗殺に組み込む。その一つが火薬だ」
火薬かぁ。雄二が一学期から暗殺のたびに使ってたから、僕もそれなりに馴染みがあるものだ。
「空気では出せないそのパワーは暗殺の上で大きな魅力だが、寺坂君達がやったような危険な使用は絶対厳禁だ。既に坂本君達は積極的に使用しているが、皆にも同じように使用できるようになってもらいたい」
そう言って烏間先生は分厚い本の数々を取り出した。中には広辞苑よりもページ数が多そうな国家資格の勉強に関するものまである。
「そのために火薬の安全な取り扱いを最低でも一名に完璧に憶えてもらう。俺かその一名の監督が火薬を使う時の条件だ。俺が居ない時でもその一名が居れば火薬を使用して構わない」
僕らが殺せんせーの暗殺計画を立てる時、必要なものは烏間先生に頼んで用意してもらう。もし必要なものがなくても暗殺の計画案は報告するのが決まりだ。
雄二が火薬を使う時も烏間先生に用意してもらっていたし、一学期は十分に取り扱いのレクチャーを受けた上で使用許可をもらっていた。
それを烏間先生抜きにして火薬が使えるようになるということだ。別に烏間先生を挟んで困ることはないけど、咄嗟の際に生徒間だけで物事を進められるのはやり易いかもしれない。
「さぁ誰か、憶えてくれる者は?」
だからといって率先して火薬の取り扱いを覚えるつもりはない。というか僕には無理だ。火薬の取り扱いを覚えるのに二学期どころか三学期まで費やす必要があるかもしれない。
他の皆も似たようなものだろう。なかなか誰も手を上げる人が居ない。
「———勉強の役に立たない知識ですが、まぁこれも何処かで役に立つかもね」
しかし一人だけ烏間先生の前へ進み出ると、先生が取り出した本を受け取った。
「暗記できるか?竹林君」
「えぇ、“俺妹ファン”二期オープニングの替え歌にすればすぐですよ」
A組からE組へ出戻りしてきた竹林君だ。
二学期はいきなりの移籍騒ぎで出鼻を挫かれたけど、竹林君も戻ってきてくれたことで元通りのE組となった。これからが本当に二学期の暗殺の始まりだ。
“俺妹ファン”とは、“俺の妹が突然広島ファンになったのは彼氏の影響に違いない件について”のオリジナル略称となります。
自分で略称を考えて思いましたが、世の中に溢れる分かりやすい略称はいったい誰発信なんでしょうね。