一話に収まらず二話に分けることに。
月の爆破から一ヶ月。
殺せんせーが地球を爆破するまで残り十一ヶ月となった。
個人的にはまだ余裕のある──それ以前にもはや問題を感じないが──タイムリミットであるが、それでも焦燥を募らせる者が出てもおかしくはないだろう。
マッハ20というスピードに元死神という殺し屋の経験はあらゆる暗殺を掻い潜り、更に超生物という彼の持つ能力は未だに全容を把握できず、これといって暗殺に有効な弱点は掴めていない。
しかし、だからと言って政府も手をこまねているばかりではないだろう。
事実、殺せんせーを殺すためなら
各種ナイフや銃の支給や暗殺の訓練は勿論、必要ならばスタンガンや火薬なども手配する用意があるらしい。それ以外にも暗殺に必要とあらば経費を政府で負担するそうだ。尤も、危険性の高い武器は専門の知識を身に付けた上で、また暗殺の計画も生徒自身の安全を確保した上で烏間先生の監督のもと行われるとのこと。技術的に未熟かつ殺せんせーを殺す手段を模索中の今のところそういった支援は利用されていないが。
それに、いくらチャンスに恵まれているとは言え、中学生に任せきりにと言う訳ではあるまい。
こうして殺せんせーを相手している間にも、地球を守る対策が、殺せんせーを殺す研究が行われていることだろう。
「イリーナ・イェラビッチと申します。皆さんよろしく!」
だから政府が殺し屋を雇い送り込んでくることも当たり前の話だ。転校生でも教科担任でも殺せんせーと日常的に接触することができる。それを利用しない手はない。
「……そいつは若干特殊な体つきだが気にしないでやってくれ」
「ヅラです」
「構いません!」
ただの中学生三十人弱とプロの殺し屋ならどちらが暗殺者として優れているかなんて考えるまでもないだろう。
中学生に殺せんせーを教室に留めさせ、その間に
刺客はプロとして
「ああ……見れば見るほど素敵ですわぁ……。その正露丸のようなつぶらな瞳、曖昧な関節……私、虜になってしまいそう……」
「いやぁお恥ずかしい」
……いや、いくらなんでも露骨過ぎない?
※
「ヘイパス! ヘイ暗殺!」
休み時間。
校庭では
銃やナイフを振りながら複数のサッカーボールを蹴ったり投げたりといまいちルールは掴めないが、まあ楽しそうで何よりである。
「いろいろと接近の手段は用意してたけど……」
と、その様子を眺めながら話し出す。
「……まさか色仕掛けが通じるとは思わなかったわ」
「……ああ。俺も予想外だ」
「はは……。そうですね」
巨乳に反応していたようだし、雪村先生を連想させるのだろうか?
「……で? あんたは混ざらなくていいの」
煙草をくわえ火を着けながら、興味無さげに質問する。
現在、僕と烏間先生とイリーナ・イェラビッチさんの三人で殺せんせー達を眺めていた。
「うーん……。個人的に、イリーナさんのことを知りたいなって思いまして」
「私のことを?」
「ええ。折角こんな綺麗な方が教師として赴任してきた訳ですし、気になるのも当然でしょう?」
「……警戒心を隠さずそんなこと言われても嬉しくないわよ」
こちらを一瞥し、そう吐き捨てる。
烏間先生はそれを静観していた。
「で? 私に何か用でもあるの?」
「暗殺の計画をどう立てているのか質問に」
「何であんたにそんなこと話さなきゃいけないのよ」
冷たく突き放すも、それは当然のことだ。
あくまで彼女はプロであり、自分はただの学生。暗殺においては素人である。
わざわざ話す義理も必要もない。
「ああ、大丈夫です。こちらも興味はありませんから」
そしてこっちもそんなことはどうでもいい。
「どう言うことよ?」
やや苛立った様子で尋ねる。
彼女からすれば、暗殺の計画や自分の能力を軽んじられたように感じたのかもしれないがそんな意図はない。
「貴女が行う計画自体は興味はないんです。と言うより、殺せんせーの暗殺自体興味ないですね。学生の本分は勉強ですし、殺せんせーの対処は他の人に任せると言うのが僕個人のスタンスですから。ただ、それによって僕らに被害が及ばないか不安なだけで。例えば極端な話ですけど、こっそり教室に爆弾を仕掛けて授業中に、とか、そんな手段をとられたら困りますから。それだけ確認に」
そう伝えると、彼女は呆れたように返す。
「素人の発想ね。そんなことする訳ないじゃない。必要以上に被害を出して
まあ、そうなのだろう。
そんな強引な手段であればわざわざ殺し屋を雇う必要なんてない。
標的を殺すのに民間人を巻き込む殺し屋なんて依頼人からしても使い勝手が悪い。
プロの殺し屋だからこそ、合理的にもプロ意識からも、そんな手段はとれないしとる必要もないのだろう。
「まあ、いいわ。折角だし、奴の情報でも教えてもらおうかしら?」
気持ちを切り替えたのか、逆に質問をしてくる。
プロとして対象の情報を探るのは、またその対象を知る人物から情報を得ようとするのは当然のことであり、僕からしてもそれによってさしたる損害はない。
「うーん……。取り敢えずハニートラップはばれていると考えていいでしょうね」
だから、正直に思っていることを答えた。
「ふうん……?」
「と言うと?」
続きを促すように相槌を打ち目を向けてくる。
烏間先生も尋ねるが、そこに意外さは感じない。
「と言うより、この時期に外部から人が来たら普通に勘付くでしょうし」
二人とも別段驚く様子はなく、寧ろ考えていたことを確認するような様子だった。
当然と言えば当然で、クラスのみんなもそう予想している。これで肝心の標的が気づいていないなんて考えるのは虫がよすぎるのだろう。
「つまり気づいてる上で泳がされている訳?」
「まあ、それもあるでしょうけど、寧ろ楽しんでいるのではないでしょうか」
「楽しんでいる?」
「殺されない自信があり、その上で受け入れている」
命を狙われている立場でE組の担任としてこのクラスに留まり、生徒達に暗殺のアドバイスすら行う。
外部の殺し屋に対してもその対応は変わらないのだろう。
「だからこそ、ハニートラップも手段として有効なのでしょうね。素性が知られていたとしても、本人がそれを歓迎しているのならどこかに隙は生まれるでしょうし」
例え刺客と分かっていたとしても殺せんせーは彼女を排除できない。
殺せんせーはE組に対して危害を加えないことを条件に担任としてこのクラスに来たが、その条件は周囲の教員に対しても有効に働く。
明文化されてなくとも、守る義理がなくとも、『生徒に対する体裁』のため、無闇に荒っぽいことは行えない。
赤羽君は殺せんせーを挑発した時、『俺でも俺の親でも殺せばいい』と言っていたが、実際に実行したら彼の言う通り殺せんせーは先生として見られなくなる。そしてそれは周囲の教員へも当てはまる。
故に殺せんせーは事実上派遣されてきた殺し屋にも過度に危害を与えられず、多少強行に来たとしてもすぐさま排除という訳にはいかない。すぐそばに自分の命を狙う暗殺者がいても放置せざるをえない。
また、自分が狙われる立場だと自覚している殺せんせーは、殺されないという自信のある殺せんせーは、その上で刺客を迎えている。自分を殺す者を歓迎している。
だからこそ油断や隙を狙うことができる。既に素性がばれていたとしても、その上でハニートラップが通用する。
「あと、殺せんせーの情報について知りたいのでしたら潮田渚君に聞くといいと思いますよ? 殺せんせーの観察記録をつぶさにつけているようですし」
「そう……。あなた名前は?」
「九頭龍宗沙。憶えていただかなくて結構です」
彼女は適当に相槌を打ち、携帯灰皿を取り出して煙草を揉み消す。
そしてそのまま玄関へと向かう。早速行動に移るらしい。
「ただの殺し屋を学校で雇うのは流石に問題だ。表向きのために教師の仕事もやってもらうぞ」
去っていく彼女に烏間先生が通告する。ここで働く上ではゆずれない一線なのだろう。
「……ああ、別に良いけど」
戸を開けながら、何でもなさそうに返答する。
それが当然だと言わんばかりに。
「私はプロよ。授業なんてやる間もなく仕事は終わるわ」
「……君は成功すると思うか?」
「まあ無理でしょう」
イリーナさんが去った後、烏間先生が問い掛けてきたので、即答する。
あの様子だとすぐに仕掛けそうではあるが、そもそも殺せんせーの手札もまだ不明なところが多く、また赴任してしばらくは警戒されているだろう。現時点だと難易度が高すぎる。
「ただ、適任ではあると思いますよ? 能力差が大きすぎますからどのみち隙を突かないと殺せないでしょうし」
日常的に傍で命を狙うと言うのなら殺人の技術や技能に長けた殺し屋よりも相手を油断させ隙を狙うことに特化した殺し屋の方が適任だ。
優れた技術だけでは殺せんせーを殺すのは難しい。殺せんせーを殺すには油断を狙い、隙を突き、不意を打つ必要があるだろう。
また、二十四時間命を狙われている殺せんせーは逆説的に隙も多い。罰ゲームと称して生徒達にハンデを与えたりするように、或いは新任教師のことを殺し屋だと勘付きつつも歓迎しているように。
そこまで計算してこの刺客を送り込んだのかは定かでないが、殺せんせーを狙う刺客としては確かに適任だ。
「だから、今後次第ですね」
「……君が接触を図ったのは彼女を観察するためか?」
彼女に対する警戒心を烏間先生も感じていたのか質問を重ねる。
事実その通りだし、隠す理由もない。
「本人に否定されましたけど、被害が来るならそれに備えたいので。あと、良ければ簡単なプロフィールとか後で教えてくれませんか? 実績とか経歴とか、守秘義務に関わるところは結構ですから」
政府から派遣された腕利きの殺し屋が身近にいるなんて心休まらない。 素性を調査するのは難しいだろうし、ある程度相手の人間性くらいは把握しておきたいと思うのは当然だ。
顔を合わせるにしても一対一で話をするほどの度胸はない。だから烏間先生がいるときを狙い接触を図った。
「まあ、取り敢えず人格としてはそれほど問題無さそうで少し安心しました。こちらとしては実害がなければそれでいいですし、ただ……」
問題があるとすれば、
「クラスのみんなと確執を作らないか不安ですけど」
高慢そうな性格くらいか。
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 ̄
英語の時間。
沈黙する教室に、一人タブレットを操作するイリーナさん。
「なービッチねえさん。授業してくれよー」
……訂正、ビッチねえさん。
「そーだよビッチねえさん」
「一応ここじゃ先生なんだろビッチねえさん」
「あー! ビッチビッチうるさいわね!」
どうやら早速不和が起きているらしい。
あの後、運動をしているみんなに歩み寄り、授業は自習でもしてなさいとか、気安く呼ばないでとか、邪魔すると殺すとかぶちまけたり、更には渚君にディープキスを行ったらしい。最後だけ意味が分からない。
外部から三人程男を連れ込み暗殺の計画を進め、「ガキは外野でおとなしく拝んでなさい」だとか。
……確か本人はすぐに終わらせる算段のようだし、協力する必要を感じないのだろう。長引いた時にマイナスだろうけど。
今後のことを考えたら生徒ともある程度良好な関係を維持した方が無難だろうに、プロ意識が空回りして無闇にこっちを見下してしまっているらしい。
優れた外見と人を見下す性質と言うとアレの化身を連想させるけど、あいつは基本的に物腰柔らかと言うか慇懃無礼だし、寧ろ胡散臭さが服を着て歩いているような感じのアレは人を油断させる暗殺者とは対極だろう。人を唆すことは得意だが。死ねばいい。
そして今、ヴィチュ(Vic)とビッチ(bitch)の発音を指摘され、BとVの区別もつかないのかと下唇を軽く噛む授業をしている。なんだこの授業?
苦笑いして教科書を広げる。大人しく自習をしていた方が無難だ。
実害が無いのなら放置で問題ない。教師としての仕事なんて期待もしてないから気にすることもない。
ヘイトの高まる教室を尻目に自習を進めた。
※
結局、自習で一時間が終了。現在は体育で暗殺の訓練のためジャージに着替え運動場へ。
殺せんせー型の的を相手に射撃を行っている。
「……おいおいマジか。二人で倉庫にしけこんでくぜ」
と、三村君が指差す先にはビッチねえさんに連れられ倉庫へと向かう殺せんせーがいた。
だらしなく顔を緩ませて。
「……なーんかガッカリだな殺せんせー。あんな見え見えの女に引っかかって」
多分フリとは思うけど、楽しんでるのは本心だろうなぁ。
罠と知ってて本気で引っかかってるのかもしれないけど。
「……烏間先生、私達……あの
みんなの思いを片岡さんが代表する。
外部からいきなりやってきて、高圧的な対応を繰り返し、賞金をかっさらおうとしている。そりゃあいい気はしない。
「……すまない。プロの彼女に一任しろとの国の指示でな」
「まあ仕方ないですよ。烏間先生も大変ですね」
やや同情しつつ烏間先生を励ます。
軍人で、公務員で、組織人では上の立場の人間には逆らえない。分かっていたことだ。
「だが、わずか一日で全ての準備を整える手際、殺し屋として一流なのはたしかだろう」
外部から協力者を募ったらしいその人脈、手早く罠を仕込む手腕、そこへと
確かにこれはプロならではなのだろう。
プロの仕事がそれだけとも思えないし、連れ込めなかった場合のプランも想定しているはず。
計画通りにいかない事なんて珍しくないし、その場合の予備のプランや本命とは別の目標を複数作り計画が失敗しても成果が得られるよう策を練るのが理想だろう。
そして倉庫に連れ込むのが本命の計画なら、連れ込むことができれば、恐らくは確殺できる計算を行っている。
──銃声が連続して轟く。
倉庫の狭い空間ではマッハ20も十全に発揮できない。
部屋の全てをカバーする弾幕なら避けることもできないだろう。
銃声が止む。
音からしてマシンガン。より弾幕を濃くするなら使われているのは散弾。
普通の生物ならひとたまりもない。
「いやああああああ!」
……まあ、殺せんせーが普通の生物な訳がないのだが。
多分実弾を使ったのだろうけど、対殺せんせー弾が
実弾が効かないと確かめられたのは一つの成果かもしれないが。
「な、何⁉ 銃声の次は鋭い悲鳴とヌルヌル音が!」
ヌルヌル音という言霊に突っ込むべきか、殺せんせーの執拗さに突っ込むべきか。というかここまでヌルヌルと聞こえるのは何故だろう?
断続的に聞こえていた悲鳴が小さくなっていく。
これはどうなのだろう? 倫理的にというか、モラル的にというか、教師として。
どんだけヌルヌルしてるのだろうか。あのタコ。
……うん、ただのタコだ。それ以上考えてはならない。
あの触手生物とクトゥルフは一切関係ない。
若干気分を悪くしつつクラスのみんなで倉庫へと向かうと、丁度殺せんせーが出てくるところだった。
服は所々雑に縫われボロボロだが、本人は無傷である。
「殺せんせー! おっぱいは?」
「いやぁ……。もう少し楽しみたかったのですが」
……第一声でどんな会話をしているのだか。
「皆さんとの授業の方が楽しみですから。六時間目の小テストは手強いですよぉ」
そう言って朗らかに笑う。
クラス全員が、仕方ないという感じで笑うのだった。
尚、手入れをされたビッチねえさんに関してはスルーしておく。本人の名誉のために。
大人には大人の手入れがあるって一体……
※
「九頭龍君はあの人のことどう思ってるの?」
教室へ戻る途中、歩きながら茅野さんに尋ねられる。
質問が大雑把で返答に困るのだが、周りも変に注目してるし。
「どうって聞かれても、取り敢えず悪い人ではなさそう、かな?」
「悪い人ではって、殺し屋だけど……」
そう苦笑する茅野さん。周囲も似たような反応だ。
「そうだね……。高慢なところもあるけど仲良くなれたら良いと思うよ? ハニートラップに長けた殺し屋なら高い交渉能力とか持ってるだろうし、いろいろ教われたら役立ちそうだし」
結局プロフィールについて詳細には聞けなかったけど高い対話能力を持つ潜入や接近に長けた暗殺者らしい。
授業をやる気は皆無のようだが、教師としても優秀に働けそうではある。
「相変わらずマイペースだなぁ。もしかして惚れたか?」
前原君がからかうように笑う。
「別にそういう訳じゃないけどね。ただ、折角教師として来たんだし、勿体ないでしょ?」
実際、彼女がいたら心強くはある。
もし彼女が教室に加わってくれれば、僕らと打ち解けてくれれば、彼女の存在に助けられることもきっとあるだろう。