#1 手を伸ばせば届くのに
私は海岸沿いを歩いていた。バスには乗らなかった。海風を感じたかったから。
私はあるところに行きたかった。
私と千歌ちゃんが約束をした場所。
一面黄色に染まるひまわり畑。
ひまわりは何年経っても変わることなく、ピッカピカに輝いた笑顔で私を迎えてくれた。
一枚一枚の花びらは先の方まで活き活きとしていて、少しでも太陽の光を求めてその方へと伸びている。
他の余計なことは考えずに、ただひたすらに輝きを求めながら。
『おーい。』
私はひまわり畑の中から声がするのが聞こえた。
彼女の声にも曇りなんてなくて、ひまわりの様にどこか輝きを放っていた。
『おーい!』
曜「ちょっと待ってて。」
私は彼女の呼びかけに応じた。
『じゃあ待ってる!』
私はひまわりをかき分けていった。私はいつの間にかひまわりの背に追いついていた。
同じ目線に黄色い花びらと茶色い顔がちらつく。その度に私はかきわける。
最後の一本を右手でかきわけると、そこには見慣れた大きなひまわりがあった。昔からあるなぜか一本だけやたら大きいひまわり。
その大きなひまわりの隣に、今まで見てきたひまわりの笑顔よりも輝いた笑顔をこちらに向けてくれている子がいた。
千歌『曜ちゃん。』
曜「千歌ちゃん。」
千歌『曜ちゃん、その手はどうかしたの?』
曜「ああ…。これ?
これはちょっと無茶しちゃってね。」
千歌『包帯巻くなんてよっぽどじゃない?大丈夫なの?』
曜「まあ…無茶したことは後悔してないかな。」
千歌『んー。曜ちゃんがいいならいっか!』
屈託のない笑顔で千歌ちゃんはそう言った。
曜「千歌ちゃんはここで何やってたの?」
私が抱いた素朴な疑問。
それに……
曜「なんで制服を着てるの?しかもスカーフが黄色いし。」
黄色いスカーフじゃまるで…
千歌『確かに制服なのはおかしいし理由はないけど……。黄色いスカーフは別におかしくないよ?』
曜「え?」
千歌『だってわたし』
柔らかい笑顔とともに私が耳を疑うようなことを千歌ちゃんは言った。
千歌『高校一年生だもん。』
曜「こう…こう…いちねん?」
千歌『そうだよ。
やだなぁ。曜ちゃんだって一年生でしょ?』
どういうことなんだろう……
私は今置かれている状況と日差しの暑さによって目がクラクラしてきた。
ブーブー ブーブー
私の一種の酔いの状態を醒ますべく、ポケットに入れてあったスマホが鳴った。
曜「……え。」
LINE 今
千歌ちゃん
ねえ。話したいことがあるの。
いつもの場所に来てね。
メッセージの内容が意味不明だった。
だって千歌ちゃんなら目の前にいるのに。
曜「ちかちゃ」
すぐに千歌ちゃんを呼びかけようと顔を上げるとそこには誰もいなかった。
曜「夢?」
にしては随分とリアルだったけど…
千歌ちゃんの家の近くにある砂浜。ここが私と千歌ちゃんのいつもの場所。千歌ちゃんは私が到着する前にそこに立っていた。私もLINEを受けてからバスに乗って急いで来たけど間に合わなかったみたい。
千歌ちゃんはしばらくそこにいたかのような雰囲気を出していたし。
千歌「曜ちゃん。」
声をかける前に千歌ちゃんは私が来たことに気づいた。
同じ『曜ちゃん』なのに、ひまわり畑で呼ばれたものとはえらく違く聞こえた。
どこか距離を感じる、少し寒気を覚えるほど冷たくて突き刺さるように感じた。
千歌「あれから、曜ちゃんに会うのは初めてだね。」
あれ、とは東海地区予選の日のことだと思う。
千歌「私ね。あの日、とっても楽しかった。人生で一番楽しかったかも。」
千歌ちゃんはこっちを向いてはくれなかった。返事をしないから、私が本当に後ろにいるかもわからないはずなのに、ただ話し続けた。
千歌「あんなにキラキラ輝いたステージで、私たちはめいっぱい輝いてた。」
千歌ちゃんはなんで私にずっと話しかけているのだろう。私にはちょっと理解ができなかった。
千歌「アンコールまでされちゃってさあ。地球上の中で一番輝いてたのは間違いなく私たちだって。そう思えた。」
なんでこっちを見てくれないの…?
千歌「あの日は私にとって最高の日。」
いい加減、千歌ちゃんの顔を見て話を聞きたかった私は千歌ちゃんに近づいた。
千歌「でもね!」
私の足は自然と止まってしまった。
それは千歌ちゃんの足元の砂が濡れていたから。
千歌「私にとって最低の日でもあるんだ。」
それは海の水でもなくて、汗でもなくて、涙。千歌ちゃんの涙だった。
千歌「ねえ、どうして?」
千歌ちゃんは泣いていた。
千歌「なんで私には言ってくれなかったの?」
千歌ちゃん。そう声をかけたいのに、声が喉から出てこない。キュウって音が奥から出てくるだけ。
千歌「私、こんなことになるなんて思ってなかったんだよ?」
手を伸ばせば届く距離、それなのに私は千歌ちゃんに触れることができなかった。
千歌「曜ちゃんがずっと苦しんでたって梨子ちゃんは教えてくれた。」
梨子ちゃん……
千歌「梨子ちゃんは知ってた。」
なんで言っちゃったの……
千歌「ダイヤさんも鞠莉ちゃんも私と果南ちゃんに謝ってた。今まで話していなくてごめんなさいって。」
ウソでしょ……
千歌「ダイヤさんも鞠莉ちゃんも知ってた。」
なんで私はみんなを信じたんだろう…
千歌「ルビィちゃんは私には何も言ってないけど、善子ちゃんに問い詰められて話してた。」
みんなのことを信用してた私がバカだった。
千歌「ルビィちゃんも知ってた。」
みんな千歌ちゃんが傷つくのなんて、おかまいなしなんだ。
千歌「Aqoursの半分の子たちは曜ちゃんのケガを知ってた。それなのに私は知らなかった。」
みんな最低だよ。
千歌「私、曜ちゃんのこと嫌い。」
え……
私のこと、きらい?
千歌「私が言いたかったのはそれだけだから。」
そう言って千歌ちゃんは千歌ちゃんの家に戻っていった。
砂浜に一人取り残された私は、長い間立っていたときについたと思われる千歌ちゃんの足跡を見つめていた。
曜「ねえ、誰のために頑張ってきたと思ってるの……」
嫌い
曜「痛いのも苦しいのも全部耐えてきたのは誰のためだと思ってるの……」
きらい
曜「泣きたいのを必死に堪えてきたのは誰のためだと思ってるの……」
キライ
曜「ぜんぶ千歌ちゃんのためだったんだよ……」
千歌ちゃんにとってはそれはきっと嫌だったんだ。
気づくのが、今さらすぎるよね……
ただ立ち尽くす私の背中側にゆっくりと日が沈んでいく。
海岸には波音が広がっていた。