言った。言ってしまった。ゴレイヌさんをデートに誘ってしまった……!
ゴレイヌさんの手を掴んだ私の両手が、いつのまにか震えていた。もし断られてしまったらどうしよう。その次に私はどうすればいい? 何て言えばいいのだろう。そんな後ろ向きな考えばかりが浮かんでは消え、せっかくゴレイヌさんに触れているというのに、高揚感よりも恐怖が私の心を満たした。
以前キルアが私の話を聞いて「恋って怖いな」と言っていたけど、確かにその通りだ。今私が感じている恐怖心は、死にかけた時なんかの比じゃない。愛しい人に拒否されるのが、怖くて怖くてたまらない。
そんな私を憐れに思ってくれたのだろうか。
ゴレイヌさんは軽くため息をつくと、私にとって何よりも嬉しい一言をくれたのだ。
「…………ま、せっかくの祭りだしな。いいぜ、つきあってやるよ」
「! ほ、本当ですか!?」
「嘘ついてどうするんだ」
ゴレイヌさんからOKがもらえた事が半ば信じられなくて、私は思わず呆然と立ち尽くしてしまった。そんな私を見て呆れたように笑ったゴレイヌさんが、「ほら、行くぞ」と言って私が握ったままだった手を引いて促してくれる。私はなされるがままに、そのまま人々の喧騒で賑わうリーメイロの街へ歩み出した。
ゴレイヌさんに気に入ってもらうためには、好きになってもらうにはどうすればいいのか。そう考えた時、私は一番基本的な事をすっ飛ばしていることに気づいた。それが何って、何と言えばいいのか……相互理解とでも言えばいいのだろうか。私……自分の事をアピールすることで頭がいっぱいで、圧倒的に言葉が足りていなかったんだよね。
スポーツ特訓の一週間では家事力のアピールに終始してしまったのと、真剣に取り組んでいる所にずっと話しかけていたら迷惑がられて鬱陶しいと思われやしないかと思って……あまり中身のある長い会話は出来なかった。その後はずっと会えなかったわけで、会ったら会ったで思うように話せる状況でもなくて……。
だから、話をしたいと思った。
私がどれだけゴレイヌさんを好きか、どんなところが好きか。ここまで私がどう生きてきたか。知ってもらいたかったし、ゴレイヌさんの趣味とか仕事とか、好きな物とか嫌いな物とか、好みのタイプとか……ゴレイヌさんの口からゴレイヌさんの事を知りたかった。
そのためにはゴレイヌさんと過ごす時間を作らねばならない。だからこそお祭りにかこつけてデートに誘ったわけだけど……。
(やばいやばいやばい……! よく考えたら、私ゴレイヌさんと二人っきりの状態ってもしかして初めてなんじゃ!? やだ嘘、何話していいかわかんない!! っていうか話したい事いっぱいあるのに声が上手く出てこないーーーー!! 今喋ったら確実に声ひっくり返る! どうしよう!)
せっかくデートをOKしてもらって、ゴレイヌさんが手を引いてエスコートまでしてくれてるっていうのにこの体たらくよ……!
でも、だって! ゴレイヌさんと手を繋いでデートなんて夢みたいなシチュエーション、緊張するなって方が無理だし!! でも話したいのに! どうしよう!! 駄目だ私の頭! さっきからどうしようしか浮かんでこない! このポンコツが! もっと動け! 楽しい会話をひねり出せよ!!
私が頭から煙を出す勢いで猛烈に葛藤をしていると、ふとゴレイヌさんの手が離れた。うそ、挙動不審過ぎて手を繋いでるのが嫌になった!? そう焦った私だったのだけど、ゴレイヌさんの手が私の腰に回って体を引き寄せられたところで一瞬ブツンと機械の電源が落ちるかのように私の意識が真っ白になった。
「おい、ぼーっとしてるとぶつかるぞ。これだけ人が多いんだから気を付け……大丈夫か?」
「! だ、だいじょうぶ、です! ありがとうございます!」
すぐに意識は戻って、ゴレイヌさんが私が人にぶつかりそうだったのを、避けさせてくれたのだということにも気が付いた。だけど私としては、妄想ゴレイヌさんにしかしてもらった事のないお宝シチュを体験できたわけで……もう嬉しいやら幸せやら、でも緊張するやらで……。顔を俯かせて、赤くなった顔を隠すので精一杯だった。
そんな私にゴレイヌさんは、気さくな調子でこう言ってくれた。
「そんなに緊張してたら、楽しめるものも楽しめなくなるぞ」
「ご、ごめんなさい……」
「別に謝ってほしいわけじゃないさ。ただ、もう少し肩の力をぬいたらどうだ。……まあ、俺のエスコートじゃ下手かもしれんが」
「! そ、そんな事ないです! 私、今凄く幸せ! 嬉しいです! ……ゴレイヌさんと、こうやって一緒に歩けて……」
「そ、そうか? そこまで直球に言われると流石に照れるな……」
ゴレイヌさんはそう言ってどこか照れくさそうに頬を掻く。その姿が最高に可愛くて、私は胸いっぱいに愛しさが満ちるのを感じた。
……そうだ。せっかくのデートなんだし、楽しまないともったいない。
無理に会話しようとしなくても、一緒にいれば自然と会話出来るようになるかもしれないし……。今はゴレイヌさんに甘えよう。せっかくエスコートしてくれるって言ってくれたんだから。
……多分、もしかしなくてもゴレイヌさん的には私に最後の思い出を作ってくれようとしている。もしくは変に未練を残されて、つきまとわれないように……という理由かもしれない。
どちらにしたって、私みたいな変な所しか見せていない人間に対して、もったいないくらいの優しさだ。でも、だからといって私はゴレイヌさんを諦められない。だからこのデートで、少しでも……せめて連絡先を教えてもらえるくらいにはなりたいのだ。
このお祭りが終わったら、きっとゴレイヌさんはグリードアイランドから出ていく。そしてツェズゲラからバッテラ氏の違約金を受け取ったら、またグリードアイランドに来る前の、彼の日常に戻っていくのだろう。そしてゴレイヌさんの中のそのビジョンに、私は居ない。
それがたまらなく寂しくて悲しかった。
記憶の中のゴレイヌさんに恋をして、実際に出会って深く愛してしまった今……なおのこと、私にはゴレイヌさんが必要なのだ。そして叶うのなら私の事も、必要としてもらえるように……そう、なりたいと思ってしまう。
贅沢だと言われたとしても、やっぱりどうしたって、私はゴレイヌさんの愛が欲しくてたまらない。
(ゴレイヌさん……)
私は心の中でありったけの想いを込めて彼の名を呼び、繋いだ手を強く握った。
直後に「だ!?」とゴレイヌさんが悲鳴を上げたので、慌てて力を緩めた。……ちょっと強く握りすぎたらしい。
その後、私たちはお祭りで賑わうリーメイロの街を見て回ってはお祭りを楽しんだ。美味しいものを食べて、お酒で乾杯して、ほろ酔い気分に頼ってゴレイヌさんを踊りに誘ってみたりもした。凄く楽しかったし幸せだったけど、肝心の会話となると私はやっぱり下手みたいで……たくさん話せたかといえばちょっと怪しい。いや、たくさん話はしたんだ。でもこの楽しい雰囲気を壊したくなくて、たわいもないような事ばかり喋っていた気がする。だけど私の言葉に頷いたり笑ってくれるゴレイヌさんを見ているだけで私は幸せだった。
本当に夢のような時間だったけど、夢はいずれさめるもの。
…………祭りの終わりがやってきた。
花火が上がる夜空を見上げて、私はゴレイヌさんにお礼を言った。
「今日は、ありがとうございました。すごく……すごく楽しかったです」
「ああ、別にいいさ。俺も楽しかったからな」
「! 本当に? 私と一緒に居て、楽しいと思ってくれましたか?」
言ってからすぐに「あ、楽しかったってお祭りがってことか」と思い至り羞恥に顔が熱くなる。今の発言はちょっと思いあがりすぎていたかもしれない。だけどゴレイヌさんは、そんな風に後悔する私の鬱々とした気持ちをあっという間に吹き飛ばしてくれた。
「エミリアは反応がいちいち大げさで子供みたいだからなぁ。あんだけ素直にはしゃがれちゃ、見てるこっちも楽しくなるってもんだ」
「わ、私そんなにはしゃいでました?」
「おう、はしゃいでたはしゃいでた」
「そ、そうですか……! お、お祭りとか来るの初めてだったから……。で、でも一番はゴレイヌさんと一緒に見て回れたからですから!!」
「あ、ありがとうな。にしても祭りが初めてとはな。結構地域ごとに特色があって楽しいぞ? 戻ったら、色んな所で参加してみるといい」
「あ、はい……戻ったら……」
子供っぽい、という言葉に未だ自分が恋愛対象外なんだなと分かってしまったけど、それでもゴレイヌさんの言葉は嬉しかった。好きな相手が自分と一緒に居て楽しかったと言ってくれる。幸せ以外の何だと言うのか。
だけど花火が終わってしまったら、お祭りは……この楽しい時間は終わってしまう。ゴレイヌさんの「戻ったら」という言葉が、楽しさで高揚した心にズンッと重くのしかかった。
だから私は最後にゴレイヌさんの手を引いて、一緒に来てくれるようお願いした。
「あの、最後に……星を見に行きませんか?」
半ば無理やり連れて来てしまったけれど、「同行《アカンパニー》」を使って訪れた場所でゴレイヌさんは私のわがままをきいてくれた。「ま、最後だしな」とつぶやいたゴレイヌさんの言葉に胸がずきっと痛んだけれど、私は聞こえないふりをして幹が太く背が高い巨樹の上を指さす。
私たちが来たのは「キングホワイトオオクワガタ」がとれる樹のある場所。今は夜で、周りに明かりが少ないこの場所からは満天の星空を望むことが出来た。人工の明かりと言えば近くにある管理人小屋くらいだが、今が夜だからか管理人が出てくる気配は無い。
私が提案したのは、樹の上で星空を見ながら少しお話をしませんかというお誘いだ。
お祭りの後という高揚感、お互いほどよくお酒が入っていい気分だし、葉のこすれる音と風の音だけがあたりを満たし、星の光が降り注ぐという雰囲気的には最高の舞台。うん、シチュエーション的には申し分ない。
「この樹の上でか?」
「はい! これだけ大きな樹ですから、枝もしっかりしてると思うんです。てっぺんなら星が間近で見られますよ!」
「星ならここからでも見れるが……」
「……駄目……ですか?」
私としては分かりやすく二人っきりになれる場所がよかったんだけど、ゴレイヌさんが嫌ならしょうがない。その辺にシートでも敷いて……。
「~~~~! ああ、わかったわかった。登ってやるから、そう悲しそうな顔はやめてくれ」
「いいんですか!?」
「ここまで来たんだ。最後までつきあってやるよ」
「ありがとうございます!」
思わず感極まってゴレイヌさんに抱き着いてしまった。その直後に自分の行動に自分で動揺して、急なバックステップで樹の幹に頭をぶつけた私は馬鹿である。ついでに言うとその衝撃でキングホワイトオオクワガタ含めた虫もろもろが頭上から雨のようにふってきたようで、頭やら服やらにくっついて散々だった。でも頭にくっついたクワガタをゴレイヌさんに「まだついてるぞ」と言って取ってもらえたのは役得だったな。ふふっ。
そんなこんなで、なんとかゴレイヌさんと本格的に二人っきりになることに成功した私。今は巨樹の上にあった、主不在の巨鳥の巣の跡に座ってゴレイヌさんと星を見上げていた。この鳥の巣、器用にも丈夫な蔓でがっちりと作られている上に上手く枝に固定されているためかなり安定感がある。だいぶ古いところを見るに、樹がクワガタのイベントでゴンのグーパンを受けても落ちなかったわけだ。これなら落ちる心配もしなくていいから、安心して星を見ていられそう。
もくろみ通り夜空を彩る星はくじら島で見たものに匹敵するくらい綺麗で、遮蔽物が無いからか空がとても近くに感じられる。私はその美しさに魅入られながらも、すぐ横に居るゴレイヌさんの体温が空気を伝ってわずかに感じられることにどぎまぎしていた。今は夜だしここは高い場所にあるから風も冷たい。だから余計にゴレイヌさんの体温を感じてしまうのだ。
そんな中、先に口を開いたのはゴレイヌさんだった。
「なあ、聞いてもいいか?」
「! は、はい。ど、どうぞ……!」
「えーっとだな……。こんな言い方だと自意識過剰な奴みたいで嫌なんだが、何でエミリアは俺の事が好きなんだ?」
問われた内容に、ひときわ際立って心臓が大きく脈打った。私は回転の良くない頭を必死に動かして、言葉を探す。
私がゴレイヌさんを好きな理由。話したかった内容を、ゴレイヌさんから聞いてくれたのだ。ちゃんと、伝わるように答えたい。
私は深く深呼吸をすると、ぽつぽつと言葉を紡ぎ出した。
「ゴレイヌさんは、多分戸惑ってますよね。初対面の女に、こんな風に一方的に思いを向けられて」
「……やっぱり、俺達初対面でいいんだよな?」
「ええ。私が、その……。一方的に好きになってしまったんです。一目惚れみたいなものかもしれません。ゴレイヌさんが忘れてるとかじゃ、ないです」
好き、と言う時に頬が火照ったけど、今さらだしこの場所は星の明かりしかない。赤面しているのを見られることはないだろうと、止まりそうになる言葉をなんとか続けた。
「ゴレイヌさんを好きになってから、私の世界は広がったんです」
「……世界?」
「はい。あの、お恥ずかしながら……。私という人間は、とてもゴレイヌさんに釣り合うような人間では、ありませんでした。今も多分、ゴレイヌさんみたいに素敵な人は私にはもったいない」
そこから私は自分の出自と、ゴレイヌさんに相応しくなりたくて引きこもりを脱した事、ハンター試験を受けた事、自分に足りなかったものをおぎなおうとしてきた事などを話した。そしてその途中で、本当に大事なものなんて無かった私にかけがえのない友人や尊敬すべき師匠を得られたことも。
ゴレイヌさんは驚いたりいぶかしんだりしながらも、ちゃんと私の言葉を聞いてくれている。それがとても嬉しかった。
「ゴレイヌさんを好きになったから、私の世界は色彩を帯びました。そのことに、私はとても感謝しています」
「だが、それは君が努力したからだろ? 俺は何もしていないんだし、それを感謝されてもな……」
「私にとって、あなたという存在が居ること自体が、感謝すべきことなんです」
い、いかん。どんどん表現が硬く重くなっている。これじゃただ引かれるだけだ! 何か、もっとこう、うまい具合に……!
「え、えっと! ゴレイヌさんを好きになったきっかけなんですけど、ミーハーと思われるかもしれないけど……まず私、ゴレイヌさんの顔が物凄くタイプで!」
「俺の、顔?」
「はい! 凛々しくて逞しくて格好いいです! 大好きです!」
「そ、そんな風にべた褒めされたのは初めてだな」
「!? そんな、嘘でしょう。こんなに格好いいのに。精悍で、瞳は黒目が大きくて格好いいのに可愛いし……厚い唇も、凄く魅力的です……」
言いながら隣のゴレイヌさんの顔をまじまじと見つめ、その格好良さにうっとり見惚れてしまう。ああ、いかんいかん。涎垂れてる……! 気づかれないようにふかないと。
私がゴレイヌさんに見惚れていると、彼は少し困ったように頭をかいた。
「どうも、調子が狂うな……。いや、悪い。実はな……君が本当に俺の事が好きなのか、正直疑ってた部分もあるんだ」
「……え?」
「当然だろ? 何せここはグリードアイランドだ。いつ死んでもおかしくない、幻のゲーム。……そんな特殊な場所で知り合って間もない女性に、ここまで好意を向けられたら色々勘繰りたくもなる。何か企んでるんじゃねーかってな」
「そ、そんなこと……!」
「ああ、大丈夫だ。もうそんな事は疑ってない。俺はそれなりに用心深い方だが、察しの悪い馬鹿でもないからな。スポーツの特訓をしていた一週間で、ああこの子は本当に俺が好きなんだなって分かったよ。疑ってた分、ちょっと後ろめたいくらいだ」
「そうですか……」
思わずほっと息を吐き出した。でもよく考えなくても当たり前だよな……。こんな様々な思惑が渦巻く場所で、恋だ愛だの言われても困惑して疑うのはあたりまえ。TPOをわきまえていないのは私の方だ。
だけどゴレイヌさんは、私の気持ちを本物だと認めてくれている。
……ここまではいい。ここからが、正念場だ。
だって私は、私の気持ちを受け止めてもらったうえで一回フラれているんだから。
私はごくりとつばを飲み込むと、数秒迷うように手をさ迷わせてからそっとゴレイヌさんの手に自分のそれを重ねた。ゴレイヌさんはピクリと動いたけれど、振り払うような様子は見せない。そのことに酷くほっとしてる自分が居る。
そして深い呼吸を繰り返して、少しでも脈打つ心臓を落ち着けようと試みた。あまり効果はなかったけど、今なら多分言えると思う。
今の時点でちょっと泣いてしまいそうだけど、頑張れ私!
「あの! わ、私……! やっぱりゴレイヌさんが好きです」
「! あ~……その、ありがとうな。でも」
「迷惑だって分かってます。私の気持ちが重いって事も。でも、それでも好きで、大好きだから……! ゴレイヌさんを諦めたくない」
我慢していた涙がボロボロ目からあふれ出した。女の涙は卑怯だってのは分かってるけど、我慢できないんだからしょうがない。それに卑怯でも何でも、何に縋ってでもゴレイヌさんを引き留めたい! きっと優しいゴレイヌさんは困るだろうけど……それでも!
「わ、私にチャンスをください! まだまだ自分が未熟で、ゴレイヌさんに相応しくないってわかってます。私馬鹿だし、特に美人ってわけでもないし、流星街出身だし、気が利かないし、感情もいつも暴走しっぱなしだし……足りないものだらけです。……でも! 私、頑張りますから。ゴレイヌさんが好きになってくれるように、がん、ばり、ます……か、ら!」
ああ、駄目だ。嗚咽が止まらなくなってきた。頑張ると言ってる傍からこれじゃあ格好がつかない。鼻水まで出てきて最悪だ。
「エミリア」
「あの! 顔が好みじゃなかったら、整形します。乱暴なとこも、直します。馬鹿だから勉強もして、ゴレイヌさんのお仕事とか手伝えるように、なったり、とか……!」
「エミリア」
「だから! チャンスを……ください……! ゴレイヌさんに奥さんはいないって言ってたけど、ゴレイヌさんくらい素敵な人なら、恋人とか居ますよね……? だったら、その人よりもっともっと素敵になれるように頑張るし、最悪、二番目でも、いいですから……! 私、を、あなたの、近くに、いさせてください!」
「エミリア!」
「!」
強く名前を呼ばれて、思わず肩が跳ねた。そしてすぐにざっと血の気が失せて、頭の中が混乱し始める。
どうしよう。どうしようどうしようどうしよう! まただ。結局私は、自分の気持ちを押し付ける事しかしていない。今度こそ嫌われた。しつこい女だって、見苦しい女だって嫌われた……!
私はゴレイヌさんの顔を見るのが怖くなって、抱えた膝にぎゅっと顔を押し付けた。
怖い。ゴレイヌさんの反応を見るのが、怖い。
しかし震える私を包み込んだのは、さっきまで隣からわずかに感じていた体温だった。
「!?」
わけがわからなくてばっと顔を上げると、思いがけずゴレイヌさんの顔が近くに会って血の気の失せていた顔に一気に熱が集まる。どうやら今私はゴレイヌさんに肩を抱き寄せられているらしい。
そしてゴレイヌさんが口にした言葉を、私は信じられない気持ちで聞いていた。
「まいった。…………まいったよ。俺の負けだ」
「…………え?」
負けたとは、いったいどういう意味だろうか。
「最初はもう一度、ちゃんと断ろうと思ってたんだ」
「!」
「……でもな、よくよく考えてみた」
「何を、ですか?」
恐る恐るゴレイヌさんに問いかけると、彼はこう言った。
「妻は居ないが、俺も今まで恋人がいなかったわけじゃない。だけどだいたい決まって「あなたはいつも側にいてくれない」とか言われてフラれる。本命ほどそうだ。俺が近くに居なくても大丈夫だと言う女は、俺のハンターとしての肩書きや収入が目当てだったりがほとんどで、こっちがあまりのめり込めずにいつのまにか自然消滅ってのがざら。先輩ハンターに「ハンターってのは変わり者がなる難儀な仕事だ。常識的な感性を持った相手と、恋人としてつきあうのは難しい」なんて言われたこともある。俺はそんな事無いって言ったけど、今のところは記録を更新中だな。グリードアイランドに来る前も、彼女にふられたばっかりだった」
ゴレイヌさんをフルとかどんな贅沢者だよ! いや私としてはありがたいけど、何故か妙にムカムカしてしまった。多分ゴレイヌさんを貶された気がしたからだ。
「その点、同じハンターで……しかも俺より強いなら、そんなことは言いださないかな……と、そう思って、だな」
「あ、あの! そしたら私、条件的にならゴレイヌさんが恋人に求める相手に少しでも引っかかるのでしょうか!」
「条件的っていう言い方は君に失礼だとは思うんだが、まあそういうことだ。俺と一緒に仕事してくれる気もあるんだろう?」
「もちろん! あ、その、それと……! 私力任せなら多少自信ありますけど、ゴレイヌさんより強いなんておこがましい事は……」
「いや強いだろ。多分俺じゃ君に勝てない。保証する」
力強く言われてしまった。ちょっと落ち込む。
「ゴレイヌさんは、こんな乱暴者嫌いですよね……?」
沈んだ声でつぶやくと、ゴレイヌさんが笑った気配がした。
「まあ、普通なら出来れば近づきたくないな。初対面で人間投げてくる女は初めてだし」
「ごめ、ごめんなさっ」
「悪い、責めてるわけじゃないんだ。それに関しては十分謝ってもらったからな」
そこでいったん言葉を切ると、ゴレイヌさんは咳払いをしてどこか言いにくそうにしながら続けた。
「だけど、まあ……。そんな強い相手だってのに、俺に気に入られるようにって必死な姿を見てたら、このまま終わりってのももったいない気がして来てな……。…………悪いな、もったいないとか、嫌な言い方しか出来なくて」
「いえ! いいえ!! あの、確認していいですか?」
「ああ」
「もしかして……。ゴレイヌさん、その、私は……チャンスをもらえるってこと、なんでしょうか」
耳元でなっているかと思うくらい、早鐘を打つ心臓の音が煩い。だけど今度は俯かないで、まっすぐゴレイヌさんを見ながら問いかけた。
星の光しかないけれど、こんな至近距離だ。ゴレイヌさんの表情が私に分かるのと同じように、きっと彼にも私のこの情けない表情が見えているに違いない。
ふいに、強い風が吹いた。夜気の冷たさとあいまって体が震える。
私はその寒さを言い訳にして、思い切ってゴレイヌさんの背中に腕を回して抱き着いた。最大限力加減を調整して、だけど思いっきり愛を伝えるように。
「あなたを好きなままでいても、愛していてもいいですか」
重ねて問いかけた私の背中に、ゴレイヌさんの腕が回されて抱きしめ返される。そして子供をあやすように軽く叩くと、私の耳元でゴレイヌさんが福音を告げた。
「色々すげー印象植え付けてくれたってのに、それでも「可愛い」って思わされちまったからな。負けってのは、そのことだ。ツェズゲラにも言われたが、これだけ愛されたら男冥利に尽きる。月並みの言葉だが、友達からよろしくってことでいいか? エミリア」
その優しい声が耳に届いた途端、もう我慢できなかった。友達からって言われたけど、もう無理……! 色々飛び越えちゃっていいかな……!
私はゴレイヌさんの頬を両手で包むと、勢いよくキスをした。
しかし。
「い゛!?」
「ぶっ!」
歯と歯をぶつけるという、典型的なキス失敗例をやらかした。ちょ、馬鹿! 普段からのゴレイヌさんの写真へのキス特訓の成果はどうした! やだもう、本当に穴が有ったら入りたい……! 友達からって言われてるのに我慢できなくてキスしたあげく失敗してダメージ受けるとか、もう本当に嫌だ自分……!
感動によって潤んでいた瞳からは、今度は自己嫌悪で涙がこぼれる。だけどそんな私の顔に、今度は逆にゴレイヌさんが手をそえる。
「……下手だな。もしかして初めてか?」
寝相を入れたら初めてじゃないです。だけど口は初めてです。
「と、とつぜんごめんなさ……」
言いかけた私の唇に、柔らかくて熱いものが重ねられた。それはほんの数秒だったけど、それが離れた後も至近距離に愛してやまない人の瞳がある。
「キスってのは、こうやるもんだぜ」
いたずらっぽく笑うゴレイヌさん。私はと言えば、体中熱くなるのは今さらだけど……酷く強いお酒に酔ったような、そんな陶酔感で何も話すことが出来なくなっていた。だけど欲だけはあるようで、短く今の気持ちを伝える。
「もっと……」
「ん?」
「もっと、ください」
言いながら、今してもらったように今度は自分から唇を重ねた。密着する体から伝わる体温もじんわりと溶けるように交わってきて、今凄く気持ちがいい。夢見心地っていうのは、今みたいな状態の事を言うのだろうか。
「もっと」
「え、エミリア?」
「……もっと、たくさん」
拒否されないのをいいことに、何回もついばむようなキスを繰り返す。へへっ、友達からってなんだっけ。でももう我慢できそうにないんだもの。これは私だけじゃなくて、キスし返してくれたゴレイヌさんにも責任あるよね? あんなことしてもらったら、もう歯止めなんてきかない。
「好きです、ゴレイヌさん」
キスの合間に吐き出した息と共に、愛の言葉をかさねていく。私と同じようにゴレイヌさんも酔ってしまえばいいとばかりに、甘い声で。
次第に私からだけでなくて、頭の後ろに手が添えられてゴレイヌさんからもキスしてくれるようになった。そしてついばむようだったそれも、深いものへと変わってゆく。互いの吐息が交じり合う。
ああ、なんて幸せなんだろう。
私、もう死んでもいいわ。
++++++++++++++
「はいはい、子供はここまで」
そう言ってキルアとゴンから双眼鏡を取り上げたのはビスケである。取り上げた後、双眼鏡を構えたポーズのまま顔を赤くして固まっている子供二人に「ちょっと刺激が強すぎたかしらね」と思いながらも、その青い反応にニヤニヤ笑う彼女は楽しそうだ。
祭りの主役三人が今どこに居るかと言えば、エミリアとゴレイヌが訪れた巨樹のすぐ近く。何をしてたかを言えば、覗き見である。本人たちとしては「心配だから見守ってやった」という言い分であるが、結果的に大成功を収めた現場を見てしまった以上、その行為は覗き見以外の何ものでもなくなってしまった。
「いやぁ……。やっぱ恋愛は押しの強さだわさ。ま、ゴレイヌの心が広いってのもあるけど」
「…………あ、ああ。なあビスケ。あの二人……」
「野暮な事きくんじゃないわさ。さ、帰るわよ。でもって、明日二人をからかうのがアタシ達の役目。
ちらちら樹の上を窺う二人をビスケは問答無用でスペルカードで連れ去った。ちなみに彼女の手には、いつのまにかヒソカの首根っこが掴まれている。どうやら近くで出歯亀していた所を発見されたようだ。
そしてカードにてその場から離れる直前、ヒソカがぽつりとつぶやいた。
「結婚式が近くなったのはいいけど、その前に子供が出来て全力出せないから勝負はお預けとかはやめてよね♠」
今回のお話を書くにあたって必須だったBGM:aikoとか西野カナとか大塚愛