それは刹那の出来事。
あまりにも自然な動作であり、敵意も殺気も感じなかった。故にその場にいた誰もが即座に反応できなかったのだ。
現れるなり挙動不審な動きをもって動揺し始めた女から、砲弾のごとき速度で一人の人間が射出されるなど……誰も考えもしなかったのである。おそらく投げられた本人も、自分が宙を舞う瞬間までその事実を把握できなかった事だろう。
……投げられたヒソカという青年と投げつけられたゴレイヌ。その両名が念能力者であり、それなりの実力を有していなければ……おそらくはどちらかが死んでいた。
それほどの、威力!
ビスケット=クルーガーは、たった今目の前で起きた出来事をそう評価した。
(強いわね、あの子。強化系だとしても、それ以前に体が恐ろしく鍛えられている。あの細身からは考えられないけど……もしかしてアタシと同じタイプかしらね)
幸いにして、男二人の正面衝突は避けられた。ヒソカがぶつかる直前で粘着性のあるオーラをカードと共に近くの木に投げつけ、貼り付けた事で減速からの回避を図ったのだ。その際ヒソカの股間のブツがゴレイヌの顔をビンタするように引っ叩いていったが、見なかったふりをしてやるのが優しさというものだろう。……しかし見なかったふりをしようにも、折れたゴレイヌの鼻がそれを許さない。
ゴレイヌはぶつかることに危機感を覚え咄嗟に"堅"で防御していたようなのだが、どうやらヒソカもまた、堅をしていたようだ。そのためブツでひっぱ叩かれたゴレイヌは、堅をしたにも関わらず鼻の骨が折れたらしい。
あと五cm……彼が後ろに下がっていたのなら、その事態は避けられただろう。それだけに余計に憐れである。
その後しばらく、場の空気は地獄のように重々しい気まずさによって支配されていた。
そして惨事を引き起こした張本人……エミリアであるが、現在体を縮こまらせて地面に額をこすりつけて土下座している。その体はぷるぷる震えており、口からはひたすら同じ言葉が繰り返し繰り返し吐き出されていた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
声はか細く震えており、横から覗き込めば彼女の瞳からは涙がとめどなく溢れて地面を濡らしている。先ほどの暴挙を見ていない者がこの場にいたならば、そのあまりにも惨めで哀れみを誘う姿に「かわいそう」と同情したかもしれない。だがほんの数分前の惨事を目の当たりにすれば、何も言わずに目をそらした事だろう。……この女に関わりたくないと。
(ゴンとキルアとは違った意味でもったいない子だわさ……!)
ビスケはぐっと拳を握りつつ憤り、同時に呆れた。
身のこなしや洗練されたオーラを見れば相当な実力者であると窺えるだけに、それに伴わない未成熟な内面が非常にもったいない。これならばゴンとキルアの方が大人ではないか、とすら思う。
そしてそんな彼女に対し、被害者の一人であるゴレイヌは大人で、更に言えば寛容だった。
「い、いや……いいさ。病み上がりで情緒不安定だったんだろ? 俺でなきゃどうなってたか分からんが、もう十分反省しているようだからな。居心地悪いから、せめて地面から体を起こしてくれ。これじゃ俺が虐めてるみたいだ」
「あんたいい奴だわさ……」
「ん?」
「あなたはとても良い方ですね」
いけない。先ほどからついつい本来の口調が漏れてしまっている。
そんな風に思いつつ「か弱い少女」のメッキで自身をコーティングしなおしたビスケはにっこり笑ってゴレイヌを褒めた。これは心からの賞賛である。
あんな目にあっておきながらこうも寛容な態度をとれるとは、なかなか人間が出来た男だ。ヒソカから「彼女病み上がりでね♦ 時々錯乱するんだ♠」とフォローがあったおかげもあるだろうが、だとしても心が広い。若干エミリアから離れた位置に立っているが、それくらいはご愛嬌というものだ。
「あ、あの! だ……だったら、その、怪我! わ、わたし、に、治させてくだひゃぎっ」
(噛んだ……)
(噛んだな……)
(噛んだわさ……)
(エミリアさん……)
(www♥)
がばっと身を起こしたエミリアが何やら申し出ようとしたが、呂律が回らなかったのかどうやら思い切り舌を嚙んだらしい。蹲って再びぷるぷる震えている様は非常に間抜けである。
「あ……あの……。よければ、そのけが、わたしになおさせてください……」
「な、治せるのか?」
「はい! 応急処置とかでなくて、この場で治せます! 治します!! 私の能力です! お願いします、治させてください!! お願いします!!」
ダメージから立ち直り再び怪我の治療を申し出たエミリアであるが、その目は泣いた後というのもあるだろうが血走っていて赤く、必死な様子とあいまって恐ろしかった。
ゴレイヌはぐいぐい身を乗り出すエミリアから、また一歩離れた。
「いや、折角だが遠慮してお……く……」
鼻は痛むが、エミリアに治療をお願いするのは遠慮したかったらしいゴレイヌ。だが断った瞬間、エミリアは愕然とした表情をしたままガクンッと崩れ落ちるように地面に倒れた。そしてそのままピクリとも動かなくなる。
「お、おい大丈夫か!?」
あまりにもあまりな急激な変化に焦ったゴレイヌが駆け寄って抱き起すと、今度は青ざめた顔色を一瞬で朱に染めて口をぱくぱくとさせはじめたエミリア。ゴレイヌはそれを見て理科の実験で使うリトマス紙を思い出しつつ、やはりこの様子は異常だと判断して知り合いらしいゴンとキルアの方に顔を向けた。
「この子ヤバいぞ、死にそうだ! すぐにグリードアイランドの外へ連れて行って病院へ……」
しかしそう言いかけたゴレイヌにキルアが待ったをかける。
「いや、多分大丈夫だから。とりあえずそいつから離れて、次に治療を受けるって言ってやってくれない?」
「大丈夫!? これのどこが……」
「いいから」
有無を言わせないキルアの強い口調に、ゴレイヌは眉根を寄せながらも言われたとおりにしてみる。すると体を離したところで顔色の異常な変化は収まり、乱れていた呼吸も本人が深呼吸でもって整えた。そして「やはり、治療を頼んでもいいか」とゴレイヌが言うと、エミリアは数秒目を瞬かせた後、頬を桃色に上気させて輝くような満面の笑みを浮かべると「はい!」と元気に返事をした。あっという間の復活である。
それを見ていたゴン、キルア、ビスケだが……。
「ねえキルア。エミリアさんが好きなゴレイヌさんって、あのゴレイヌさんみたいだね」
「ああ……だろうな。でもゴレイヌはエミリアと会った事ないって言ってるし……」
「間違いないわさ。あれで惚れてないって言われた方が違和感あるわよ。反応が極端すぎるけど。……おおかた一方的に好きになったパターンじゃない?」
思わず声をひそめて話す三人。しかしはたから見ればバレバレなエミリアの恋心も、肝心のゴレイヌには微塵も察してもらっていないようだ。
ゴレイヌはけして鈍い人間ではなく、むしろ頭の回転が早く勘も働く非常に察しの良い男である。だが出会い頭から続くインパクトに、その察しの良さは現在留守にしているらしい。
そして治療を許可されたエミリアは恐る恐るといった様子で、ゴレイヌの折れた鼻にふれた。その際一瞬ゴレイヌの肩がビクッと跳ねたが、それも仕方のない事だろう。先ほどの怪力を思えば自分の体に、まして怪我した部分に触れさせるなど本来断りたいはずだ。それを許容したゴレイヌに、ゴン、キルア、ビスケの三人は心の中で賞賛の声を送る。「あんた、漢だ」と敬意を込めて。
エミリアの極端な反応にのまれているといえばそれまでだが、どちらにせよ広い心が無ければ不可能な事。
こうしてゴレイヌは訳も分からぬまま、レイザー攻略のために組んだ仲間から信頼を得たのだった。
ちなみにヒソカはしっかり服を着込んでから面白そうに傍観していた。
そして肝心の治療であるが、エミリアはゴレイヌの顔に触れるとまた顔を赤くしながらも心を落ち着けるように再度深呼吸をする。そしてオーラを極限まで丁寧に練り、相手のオーラを感じ取って変化させ、指先からそれを繊細に放出し患部に流し込んだ。
ゴレイヌは折れた鼻の骨が穏やかな熱を帯びて再生していくのを感じ、思わず息をのむ。
(なんて温かいオーラだ……)
先ほどの剛の者たる力に反し、施される治療のオーラはとても温かく柔らかい。
そしてそれを見ていたビスケも感心したように言う。
「へえ、ずいぶん修練を重ねてるわね。オーラの扱いが驚くほど繊細だわさ」
しかしそれに反して、胡乱げなじと目でそれを見ているのはキルアだ。
「あいつ、ミルキの訓練の時は殴るか蹴るかのついでに回復させてたくせに……」
「俺、てっきりあれがエミリアさんの制約なのかと思ってたよ」
「俺も」
「…………。いまいちどんな子なのか掴めないんだけど」
「ゴリラ」
「そ、そう」
投げやり感たっぷりに言われた単語に、ビスケはどこか疲れた様子の二人にこれ以上聞くことは出来なかった。
とりあえず、今は実力のある者が仲間になった事実を喜ぼう。
ビスケはそれだけ納得すると、目の前で繰り広げられる一風変わった若人の恋愛劇場を見物する事に決めた。
++++++++++++++++++++
死にたい。
さっきまでわりと本気でそう考えていた。しかし今の私はその真逆で、生きている事に感謝の気持ちしか浮かんでこなかった。
ゴレイヌさんと喋れた! ゴレイヌさんに抱きかかえてもらえた! ゴレイヌさんの顔に触れられた!!
幸せ。
今の私は最高に幸せだ。
私はその前にあった惨事についていったん目を瞑ると、味わった幸福感を噛みしめた。そして存分に堪能したあと、私とヒソカをパーティーに加えた後の方針を話し合っているゴレイヌさん、ゴンさん、キルアさん、ビスケから少し離れた場所で、隣に立つヒソカに小さな声で精一杯の感謝の思いを込めた礼を言った。
「ありがとう。フォローしてくれて本当にありがとう……!」
もしあの酷い事故の後もう一人の被害者であるヒソカがゴレイヌさんにフォローを入れてくれなかったら、私はゴレイヌさんに近づくことも出来ないほど嫌われていたかもしれない。その最悪の事態を、ヒソカが私のゴレイヌさん愛による暴走を「病み上がりゆえの情緒不安定」にしてくれたおかげで免れる事ができた。これを感謝せずにいられようか。いや、いられない。今回は本当に助けられた。
ゴレイヌさんに嫌われる。そうなった場合、私にとってそれは死を意味するに等しい。
だからヒソカは私の命の恩人ともいえるのだ。
「くくっ、面白いものを見せてもらったからね♦ でもこれで君は僕にいくつ借りが出来たかな?」
「ええ、分かってるわ! お前と戦う時はみっちり修行積んだうえで全力中の全力で戦ってやる。約束する」
それが礼になるなら、私は喜んでお前を殺しにかかろう。それが誠意だ。
「それは楽しみだ♥」
「だけど、条件があるわ」
私の言葉に、嬉しそうに笑っていたヒソカの表情が真顔になる。しかし私に約束を違えるつもりは無い。条件に関しては時期の話だ。
「戦うのは私とゴレイヌさんの結婚式(予定)に参列した後にしてちょうだい! 我が友よ!」
変態だが、少々長い付き合いになるこいつに私は妙な感情を抱いていた。それが友情であると、たった今確信したのだ。
思い返せば出会いは最悪だったが色々世話になったからな。変態だが、是非とも結婚式(予定)に来てほしい。そしてその後、友情をもって全力で闘い、殺してやろう。それがこの友への報いになるだろう。
友よ! いずれ拳で語り合おう! 勝つのは私だけどな!
【結婚式参列者:友人枠一名追加:ヒソカ=モロウ】